成果論文

生体感覚系を模擬 した運動知覚系 の工学的実現
に関する研究
三橋 渉
電気通信大学 電 気通信学部
電子 情報学科 講 師
.は じめに
車 などの運 行制御 にお いて は、行動環境 を実時間で知覚で きる ことが
移動 ロボ ッ トや無人WxL送
ー
望 ま しい。近年 の計算機 の 小型化や撮像装置 の高性能化 によ つて 、 いわゆる コンピュ タビジ ョ
ン技術 による環境認識手法 の 発展 にはめざま しい ものが あ るとは いえ 、移動体 の 自己運動 パ ラメ
ー タを実 時間 で求 め ることは、依然 ・難 しい課題 である。
一 方、水 中や夜間 などの不可視環境下 での対象 に対す るセ ンシング手段 と して は、電波や音波
の 使用 は今なお有効 であ り、実用的であ る。 ところが対象空間 に向けて これ らの波動を放射 し、
一
ー
観測 され る反響波を分析 して運動 パ ラメ タの推定や対象の空間的構造 の復元 を行 うとき、 般
的 には、 自己 と対象空間 との 間 の相対速度 が測定結果に悪影響 を及ぼす。 この ことは波動 伝搬 速
度が低速 な空 中音波 を利用 せ ざるを得な い場合 に極 めて 顕著 で ある。 したが って 、彼我 の相対速
)信
度 の影響を受 け ることな く、対象 まで の距離情報 を正確 に取得 で きる (Doppler tolerantな
信号処
号 を設計す る必要があ り、 その上でなお、相対速度 も推定可能 (Doppler resolvent)な
理法 の 開発 が望 まれて いた。
・
1甫
乳類 は、長 い進化 の過程を経て、対象世界 の網膜上 へ の投影や、音波 の反射 回折等 の物理
現象 に適応 し、それ によ って もた らされ るで きるだけ多 くの情報を獲得 で きるよ うに、感覚器官
・
を組織的 に構築 して きた。本研究 は、 これ ら哺乳類 の視覚 聴覚情報処理系 に特徴的 な機能 的構
成 に着 目 し、回転や拡大運動 の知覚機構、両眼立体視機構、および反響定位機構 な どの計算論的
な モ デ ル を構築す るとともに、その結果を対象空間 の構造復元 と運動情報 の推定 な どの工 学的分
野 に応用す ることを 目的 と して行われた。現在、 これ らのモデルを統合 した システムを完成 させ
るには至 って いないので、以下で は個別 に報告す る。
2.空 間 フ ィルタによる 回転、拡 大 ・縮小運動 パ ラメ ー タの推定
ー
動画像 の動 き情報を検 出す る方法 と して は、(a):連続 フ レ ム間で の特徴点 の対応付 け によ り
・
変位 ベ ク トル を求 め る、(D:画 素濃淡値 の 時間 空 間勾配を記 述す る微分恒等式を解 く、 な どの
方法 があ るが、計算量が大 きい、大域的 な計測 が困難、などの 欠点があ る。 また、た とえ これ ら
ー
の手法 で 変位 ベ ク トルが求 め られて も、運動 パ ラメ タは未知 の まま残 されてお り、改 めて 計算
す る必要があ る。対象が静止 した背景内を大 きな変形をせず に並進運動す る場合 の速度推定法 と
して は、工業計測 の 分野 で発展を遂 げた空間 フ ィル タ法が実時間計測可能 な計測法 と して知 られ
て い る。 しか し、 この方法 の 時間 ・空間分解能 は低 く、本来、 並進運動 の計測法 と して発展 して
きたた めに、 一般 に任意 の運動を対象 とす るには不適 当であ ると考え られて きた。
一
高等動物 の 視覚系末梢 か ら外側膝状体を経 て、皮質 の第 次視覚野 に至 る網膜神経節細胞 の 受
-19-
容野 の分布 は、 複素対数変換 で近 似的 にモデル化 で きる。動画像 の動 きの無限遠点を原点 とす る
像 面 の 直交座標 を複素対数変換す ると、回転、拡大 ・縮小 は互 いに直交す る並進 に写 像 され る。
ー
したが って複素対数変換面 上で空間 フ ィル タ法を適用すれば、回転 と拡大 ・縮小運動 パ ラメ タ
を分離 して直接 に測定 で きる。 しか し、像 の複素対数変換 は計算量 が 多 い。 そ こで 、複素対数変
換面上 での並進計測 に必 要 な空 間荷重を、あ らか じめ動画像 の座標上 に逆 写像 してお き、像面上
で 荷重計算を施す よ うにすれば、実時間で回転運動 や拡 大 ・縮小運動 のパ ラメー タを測定 で きる。
ー
従来 の空間 フ ィル タ法 は速度の計測法であ り、変位計測 は不可能 とされて い たが、 コ ヒ レン
トな空 間荷重 を設計す ることで、変位計測 も可能 な方法 を開発 した。 ブロ ックダイアグ ラ ムを図
1 に 示す計測系 は、像 と空間荷重 との フ レー ム内積和を出力 し、その瞬時周波数 が像 の速度を、
・
瞬時位相 が 変位 に対応す る。 これ らのチ ャ ンネルを並 列接続す ることで、並進、回転、拡大 縮
・
一
小運動 などの 同時計測 が可能であ る。 例 と して、 カメラの光軸 に沿 って正弦波状 に接近 離遠
を繰 り返す物体変位 の 実時間計測結果 を図 2 に 示す。
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Interface
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一
図 1 : 運 動 パ ラメー タ計測 システムの概念的構成 . 像 と空間荷重 の積和 で つの空 間 フ ィル タ計
・
測系が実現 され る。処理系を並列 に接続 し、適切 な空間荷重を設計すれば、並進、回転、拡大
縮小運動を同時 に計測 で きる。
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time(sec)
・
図 2 : 光 軸 に沿 って 接近 ・離遠 を繰 り返す物体 の変位計測結果 の例。像 は像面内で拡大 縮小運
動を繰 り返す。上 は コ ヒー レン ト空間 フ ィル タの 出力。下 は物体変位 に対応す る瞬時位相。
- 2 0 -
3 . 眼 優位性 コラム構 造 をモデルとす る奥行 き知覚 モデル
動 き情報を利用す ると外界 の 奥行 き情報を取得で きるが、移動 ロボ ッ トな どの行動環境下で は、
静 止 状態 で も外界構造 の知覚が必要 となる。 これ には主 に両眼立体視が利用 され るが、複数の カ
メラで観測 された画像間の 視 差抽 出法 は、動 き情報検 出法 と理論的な共通性を持 つ。 しか し、 高
等動物 の 一 次視覚野 に見 られ る眼 優位性 コラム構造 の単位 ユニ ッ トの大 きさと、両眼視 差を単 一
像 に融合可能 なP a n u m 領域 の広が りとの 関連が指摘 されてお り、本研究で は、 眼優位性 コラ ム構
造 を モデル と した視差抽 出アル ゴ リズ ムの導 出を試みた。
一 次視覚野で は、左 あ るい は右眼か らの神経投射が優位 な
部位 が交互 に並んで コラ ムを構成 し
てい る。 これ は、工学 的 には、左 右 の T V カ メラの水平走査線 を交互 に抜 き出 して 一 枚 の 画像 フ
レー ムを合成 した もの と見 ることがで きよ う。隣接す る走査線上の画 素値 に視差があれば、走査
線 間隔 の二 倍を周期 とす る高周波信号成分 が発生す る。視差がなければ このよ うな不要信号 は発
生 しな い。 したが って 、合成画像 フ レー ム上 の任意 の位置 に、適 当 な大 きさの受容野 を持 つ細胞
が あ る もの と仮定す ると、 この細胞 が 出力す る信 号 の 高域通過成分 の エ ネ ル ギを最小化す る問題
と して、視差抽 出法 を定式 化 で きる。交互 に配 列 された左右の カメラの走査線関数 とその周波 数
スペ ク トル を、概念的 に図 3 に 示す。走査線周期がW で あ るとき、周波 数 % W の 位置 に左 右 の 視
差 の影響が現れ る。推定 された視差分布 による木製半球 の形状復元結果 と断面 プ ロフ ァイルの例
を図 4 に 示す。
1上
図 3 : 交 互 に配 列 した左右 カ メラの走査 線
図 4 : 縞 様板 の上 に配 置 した木製半球 と、
関数 g R ( y ) , 。ざ y ) と その 周波数 スペ ク ト
推定視差 による形状 の復元結果
ルG R ( η) , G L ( 切)
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4 . 反 響定位 と標的 パ ラメ ー タの推定
周囲 の対象物が比較的近接 して存在す る環境下で動 き回 る移動体が、 これ らを回避 しつつ彼我
の相対距離や相対速度 を求め る方法 と して、音波 の利用 は有効 な手段 である。 一般 に、相対運動
す る対象 の 検 出や パ ラメー タ推定が合理的な規模 の装置で効果的 に実行 で きるた めには、それ ら
の計算 に要す る コス トが低 い ことが望 まれ る。対象物 の大 きさや表面形状 な どは無視 し、推定す
べ きパ ラメー タを距離 と相対速度 に限定 した と して も、 これ らの パ ラメー タ推定の誤差が互 いに
影響す ることな く、瓦 いに独立 に推定 可能 な方式 が必要であ る。
周囲環境 へ の探索 プ ロー ブ と して音波 を利用 し反響定化す る生物 と して は、 小翼手類 ( ヨウモ
リ) が 良 く知 られて い るが、本研究で は、相対運動 の 存在下で、速度の影響を受 けず に対 象 まで
の距離 を安定 に推定で きるた めに定位音 が持 つべ き条件 について 検討を加 えた。
ー
果 のため、発射定位音 の波形 に比 べ ると、観測 され るエ コ 波
運動 に伴 って生 じるD o p p l e r 効
形 は時間軸 に沿 って速度 に応 じた伸縮 を受 ける。 この伸縮 を計測で きる ことが 相対速度 の推定を
可能 にす る要件であ る。 この 目的 のためにM e l l i n 変換を採用 し、M e l l i n 変換 の位相回転 に基づ く
PM)波
速度推定法を開発 し、 この方法 に適 した信号が線形周期変調 ( 1 ン
であることを導 いた。
一 般 にM e H i n 変換 は計算時間を要 し、実時間計測 の 目的 に と って は必ず しも有用な方法で はない。
ー
しか し、 1 2 P M 波を定 位音 とす る場合、M e l l i n 変換 の位相回転 に基づ く速度推定法 が コ ヒ レン
ト相関波 出力 の位相l 回
転 の推定 に帰着 で きる ことを明 らかに したc
5 . 定 Q フ ィルタ群 と相関受信機
コウモ リな どの聴覚系内で相関検波が行われ ているのか否か について は、従来 よ り主 と して動
物行動学 に基 づ いた実験結果を巡 って 、多 くの議論 が 行われて い るものの 、確た る証拠が見出さ
れて い るわけで はな い。聴覚系末梢 での周波数選択特性を近似的 に二 次系 の帯域通過特性 とみな
す 生理 学的知見 に基 づ いて 、 L P M 波
に対 して聴覚系が相関検波 と等価 な機能 を果たす ために必
要 な条件 について検討 を加え、具体的 な設計 アル ゴ リズ ムを導 出 した。
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・
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= a ( t ) COS(Ω
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図 5 :LPM信
号 と帯域通過 フ ィル タの配置.
- 2 2 -
oτ(μ sec)
4
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Omもr―
Roo lower bound
Rob lower bound
Cromttr―
0ヤ
43 57
31
27.4
SIN(dB)
24.9
25
21.4
図 6:対 象 までの 距離 に対 応 した伝搬遅延
4557
31
27.4 24.9
SIN(d8)
23
21.4
図 7:相 対速度 の推定 精度
の 推 定 精度
以上 の成果を基 に して設 計 した速度 ・距離測定系は、図 5に 示すよ うに、従来 よ り音声情報処
理の分 野 で広 く使用 されている定 Qフ ィル タ群を対数周波数軸上 に一様 に配 列 させ、発 射 した定
位音 の スペ ク トルの非線形位相特性をキ ャ ンセルす るための遅延器 を各 フ ィル タに接続 して それ
らの 出力を遅延合成す るものであ り、定 Qフ ィル タ群を構成す る個 々の フ ィル タの 出力位相が 一
致す る時刻 を標的 までの距離 の推定値 とし、その 時刻 での 出力位相 の平均値で標的 との相対速度
を推定可能である。数値実験 の結果、標的が高速運動 して いて も距離 の推定 になん らの影響 もな
い こと、低 S/N比
の下 で も標的検出が可能であ ること、距離 と速度の推定 精度が Cramer Raoの
下界 に近 く十分 な推定精度が得 られ ることなど、生体 ソナ ーの工 学的 モ デル と して有用であ るこ
とが確かめ られた。図 6, 7に 本方法 (Phase sensitive model)と他 の方法 とのパ ラメー タ推
定精度 を比較 して示す。
6.お わ りに
本研究で得 られ た成 果 は、 移動体 の運動 パ ラメー タ推定や環境 の空 間構造復元 へ の応用等 に適
し、多様 々な環境下で の作業 ロボ ッ トのセ ンサ システム と して有用であ ると考え る。
最後 に、 本研究 の遂行 に多大 な ご支援を頂 いた、故高柳先生をは じめ、団 高柳記念電子科学技
術振興財団および財団 の 関係者 の皆様 に深 く感謝 申 し上げます 。
参考文献
〔1 〕三 橋 渉 ,岡
和 彦,山 崎弘郎 :電 子的 に構成 した空 間 フ ィル タによる運 動計測,計 測 自動
制御学会論文集 2411,11111117(1988)
三 橋 渉 ,大 村和元 :眼 優位性 コラム構造を モ デル とす る視差抽 出法 による形状計測,計 測
自動制御学会論文 集 281,136144(1992)
三 橋 渉 ,望 月 仁 ,日 村正孝,山 崎弘郎 :線 形周期変調波 とセ ンサア レイを用 いた運動物
体群 の速度 ベ ク トル計測,計 測 自動制御学会論文集237,665670(1987)
〔4〕 三 橋 渉 ,望 月 仁 :生 体 ソナ ーの工 学的 モ デル ー FMコ ウモ リの定位音 の性質 と速度の知
覚 につ いて,計 測 自動制御学会論 文集 に投稿 中
〔5〕 三 橋 渉 ,望 月 仁 :聴 覚処理系を モ デル とす る定 Qフ ィル タ群を用 いた標的 パ ラメー タ推
定法,計 測 自動制御学会論 文集 に投稿 中
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