2009年(第25回)日本国際賞受賞者インタビュー 要約

2009年(第25回)日本国際賞受賞者インタビュー
要約
デニス・メドウズ博士
(2008 年 12 月 18 日 於:ニューハンプシャー州ダラム)
p. 1
デビット・クール博士
(2008 年 12 月 16 日 於:ミシンガン州アンアーバー)
p. 3
2009年日本国際賞インタビュー: デニス・メドウズ博士
- 2008 年 12 月 18 日 ニューハンプシャー州ダラム –
質問:
『成長の限界』とは?
メドウズ博士:
『成長の限界』は、私が 1970 年に MIT(マサチューセッツ工科大学)で指揮したプ
ロジェクトから生まれた本で、経済・社会の発展についての制約を指摘しました。最近では、一つの
言葉として、本には関係なく、さまざまな分野の人々が単に地球の環境収容能力を超えていること
を論ずる際に使っています。
質問:
環境収容能力の限界とはどういう意味でしょうか?
メドウズ博士:
地球には長期的には支えきれない程、これまでより高い生活水準で暮らす人々
が増えています。銀行口座からお金を引き出しているようなものです。短期的には、稼ぐより早くお
金を使うことができるかもしれませんが、結局はできなくなります。今、我々はそうした時期にあり、
地球上に数百万年かけて蓄積された豊かな富を使い尽くそうとしているのです。ですから、成長の
限界に直面しているのです。
質問:
終末論ですか?
メドウズ博士:
当初の我々の研究を終末論として描こうとする人たちが沢山います。地球の破
滅を予期したと。実際には、我々の役割はレーダーのオペレーターの方に近いものでした。スクリー
ンを見ているとします。もし、この船が同じ方向に進み続ければ、何かに当たってしまう。その時は、
船長に進路変更を指示するでしょう。ですから、それは終末論的プロジェクトではなく、希望に満ち
たプロジェクトです。我々の研究は、過去の政策がどういう結末を導くかを人々に示すことができれ
ば、政策を変える方向に動くという仮定に基づいています。ですから、我々は概して楽観的でした。
質問:
その仮定は、1972 年のことでした。何が変わりましたか?
メドウズ博士:
1972 年から 36 年が経ちました。成長は続きましたが、政策には基本的には何の
変化もありませんでした。1972 年には地球の人口は 36 億人でしたが、今では 60 億を超えています。
工業は 2 倍以上に成長しました。我々は、当時はまだ利用することができた資源の多くを使い尽くし
ました。1972 年には未だ成長の余地が残されていましたから、「スローダウンしろ」がメッセージでし
た。今は、地球のシステムは持続可能な水準をはるかに超えていますから、どうしたら元に戻れる
かを考える必要があります。
質問:
つまり、「だから言ったでしょう、どうするんですか?」ってことですね。
メドウズ博士:
「だから言っただろう」と言っても何の役にも立ちません。今、目指しているのは国
や地域、町、家族、そして個人個人が、消費や生活スタイルに新しい目標を再設定して、この地球
の巨大な人口をまともに支えられるようにする変化が始まるように、手助けすることです。
質問:
博士がおっしゃる持続可能な社会とは?
メドウズ博士:
持続可能な社会とは文化であり、消費への願望であり、生産の習慣であり、国民
に自由とまともな生活水準をほぼ無限に与えることができる統治基準です。世界を見渡してみると、
我々は持続が不可能な生活をしていて、不足や断絶状態が起きて、まともで自由な暮らしが難しく
なってきています。今、我々は持続可能な状態にあるとは断じて言えません。
質問:
修復は可能でしょうか?
メドウズ博士:
60 億、70 億もの人々がどのようにこの地球上に持続的に暮らせるか理論的に想
像することはできますが、実際に、政治・経済制度に、必要な変化を起こそうとする意志があるかど
うかはまだわかりません。
質問:
人口についてはわかりますが、どうして経済成長を懸念されるのですか?
メドウズ博士:
経済成長を追求するために我々が選んだ道は、エネルギーや資源の継続的利
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用に依存しています。無論、GNP 成長を遂げた一方で、エネルギー消費は減速したと言う国もある
でしょう。しかし、それは、たとえば中国のような他の国々に、エネルギー集約型の生産プロセスを
押しつけているからです。スイスの科学者、マチス・ワッカナーゲルがエコロジカル・フットプリントと
いう面白い言葉を使っています。我々が使っているエネルギーや資源の量と地球の生産可能量と
を比較しています。それによると、(人間の活動に必要な資源の生産に要する面積を地球全体の面
積と比較し指標化すると)1972 年には、およそ 80~85%でしたが、現在のレベルは約 135%です。し
かも、成長の速度は増しています。実際、世界中で増しています。たとえば、気候変動。我々が大気
中に放出している二酸化炭素の量は増え続けています。
質問:
うか?
これまで世界的な報告などで警告が発せられていますが、耳を傾けている人はいるでしょ
メドウズ博士:
殆どの政治家は何も気にしていないというのが真実です。ただ、朝起きられれば
良い、面倒なことはしたくない。中には耳を傾けている人もいるでしょうが、そうでない人もいます。こ
のメッセージは、現代の経済の基本に挑むものです。
質問: この問題がもっと大きなニュースになっていないのはなぜでしょうか?ゴア元副大統領が
地球温暖化について述べていますが、やはり誰も耳を貸していないように思います。
メドウズ博士:
なぜもっと大きな反響がないのか、理解しようと努めました。たとえば、住宅問題
危機に警鐘が鳴らされたのに、なぜ、アメリカでは人々が反応しなかったのか?人類は地球上に数
十万年存在しますが、その間、ほとんど長期的考え方というのは価値がなかった。マンモスが突進
してきたら、3 年後のことを考えようとしたりしないで、逃げるでしょう。それから、物理的に見ても長
期的問題を考える能力に欠けていると思います。この 250 年間、石炭の利用が始まった 1750 年代
以降、先進工業国では驚異的な成長を遂げ、ほとんどの人が恩恵に浴しました。ですから、それを
変えるには時間がかかります。かつては、成長は良いことでした。我々の可能性を広げしましたが、
今はそうではありません。大きな船のようなもので、直ちに方向転換はできません。徐々に変えて行
く必要があります。
質問: 博士は、基本的に、そのうち人々は何をしなければならないか理解するようになるとおっし
ゃいましたが、今 135%の状態で、これでおしまい、という時期がいつ頃来ると思いますか?
メドウズ博士:
成長の限界は 1 つだけではありません。多くの異なる圧力が積み重なって行きま
す。気候、原油の枯渇、水不足、食料不足、農地の侵食などです。我々は、今、次の 20~60 年間に、
このような圧力が、成長を支えている圧力を相殺してしまうまで、容赦なく蓄積して行く、そういう時
代にいます。限りある地球で、際限なく工業成長を続けることは不可能です。究極的には、均衡状
態になります。この均衡状態は、成長を支える圧力がそれを妨げようとする圧力によってバランスが
とれたときに起こります。既に起こっています。中には、ピークを過ぎ、衰退し始めている国もありま
す。一方で、これから先まだ成長する国もあります。ですから、既に見え始めている時に、いつ起き
るかと問うてみても無駄だと思います。既に、起こり始めているのですから。しかし、これから 20 年
後でも、未だオプションは残っていると思います。
質問:
日本国際賞の受賞の通知を受けた時、どう思われましたか?
メドウズ博士:未だ覚えていますが、電話を受けたのは、先週、妻と居間でくつろいでいる時でした。
ボストン領事館の文化担当の若い女性から日本国際賞を受賞する意志があるかと聞かれました。
勿論、日本国際賞は世界的に知られていますから、思いがけず、光栄で、また、ビックリしました。
非常に大きな責任を感じています。幸い、私には未だ数十年残っていますから、賞に恥じないよう、
さらに努力をして行きます。
日本国際賞を受賞するということは、とてつもない名誉であり、責任でもあります。賞の創設以来今
回で 4 分の 1 世紀と聞いており、次の段階への節目の時期であり、特に光栄に感じています。
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2009年日本国際賞インタビュー: デビット・クール博士
- 2008 年 12 月 16 日 ミシガン州アンアーバー –
質問: 素晴らしい経歴をお持ちですが、ハイスクール時代には少し進んでいた少年で、化学セッ
トではなく放射性物質を遊び道具にされていたようですね。
クール博士:
高校時代にとても才能のある先生に巡り会いました。ルイ・ロング先生とおっしゃ
り、オートバイで学校に通っていらっしゃいました。その先生が、自分が興味を持っているものに従っ
て進むように励まして下さり、化学研究室を私に使わせて下さったのです。その研究室には窒化ウ
ランの入ったビンが置いてありました。その当時、雑誌で、ニューヨークで行われた放射性ヨードを
使った甲状腺がんの新しい治療法について読み、それで、色々な窒化ウラン化合物を作って研究を
しようと思い立ちましたが、自分でガイガーカウンターなどを作ろうとするような、自分の能力をはる
かに超えた大それたものでした。でも、このことから、私の経歴の中で最も重大なことですが、自分
が何に興味を持っているかがはっきりわかり、その後もずっと、私を引き付けてやみませんでした。
質問:
当時は、周囲からは冒険家に見られていたのではありませんか?
クール博士:
恐らくそうだと思います。ロング先生のように。でも、大事なことは、良い研究をす
るためには覚悟が必要であることや他の人々の技術や知識も頼りとしなければならないことなどを
学んだことです。大学では物理学を専攻しました。医学大学院に進んで、新たな分野である核医学
を専門分野にしようと思ったからです。大学院では、放射線学部の助手になることができ、地下室で
放射性ヨードを使った腫瘍の発見などの研究に携わることができました。1951 年のことで、この年、
カリフォルニア大学ではカッセン博士が直線走査スキャナーを発明しました。私の大学にはスキャナ
ーはありませんでしたが、当時としてはやはり新しかったシンチレーションカウンターがありました。
私は、甲状腺がん患者の転移を見つける仕事を与えられました。患者に放射性ヨードを与え、外側
にグラフが表示されるシートで患者を包み、私は探知機を丹念に動かして、体内で放射能が検出さ
れた場所の写真を撮影しました。ある時、私は大きな発見をしましたが、結局それは婦人用のラジ
ウム腕時計でシートの下に置かれていたもので、勿論腫瘍ではありませんでした。いずれにしても、
この仕事で、スキャナー用の写真記録装置に興味を持ち、ペンシルバニア大学でも私が大学院に
いる間に地下の研究室でスキャナーを組み立てました。この写真記録装置のデザインが、現在一
般的に市場に出回っているスキャナーに使われています。
医学大学院を卒業後海軍に勤め、ペンシルバニア大学放射線学部に研修医として戻りました。研
修医 1 年目の時に、スキャニングの研究を進め、これが最終的には放射性再構成断層画像になり
ました。研究室では、有能なディレクターであったロイ・エドワーズと一緒にスキャナーの第 1 号機を
作りました。ブリッジポート・ミリング・マシーンと呼ばれ、探知機を前後に動かし、回転させて複写す
るものです。私たちは、こうして得たデータを、逆に、フイルムに投影して小さなビンの中にある放射
能の横断面画像を得ました。その後数年がかりで、コンピューター再構成画像を含むさらに高度な
スキャナーを相次いで作りました。
この時、私は、オートラジオグラフィーを再現するために、横断スキャン技術をできる限り完璧にしよ
うと思い立ちました。オートラジオグラフィーには患者あるいは実験動物の組織片が必要でした。そ
れから、実験動物をナイフで切断することなく、放射性トレーサーを使って生体の横断画像の撮影
に成功することになります。それは、定量的オートラジオグラフィーを使ったもので、米国立衛生研
究所(NIH)でルイス・ソコロフ博士の下で行われていました。1958 年に発表された NIH の脳の横断
画像には、血流量が増えた小さな場所に放射能が集中していました。この画像を見て、スキャナー
で同じことをしてみよう、まず脳を中心に、生体の放射線写真を撮ろうと思いました。脳は、複雑で、
患者の体を傷つけずに研究するのに適していると考えたからです。
質問:
この革新的な技術に対する医学界の反応はどうでしたか?
クール博士:
すぐには受け入れられませんでしたが、真似をする人たちが現れ、また、我々の
成果に勇気づけられた人たちがこの分野を前進させて、独自のマシンを作りました。その後、私たち
は、ヒトの生体の脳の生理学的特徴を初めて絶対測定し、再構成することに成功しました。1972 年
のことで、局所血流量を測定しました。
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しかし、もっと重要なことは、皆が協力して、ソコロフ博士が実験動物で行った測定法をヒトに広げた
ことです。ソコロフ博士と博士の研究室、ブルックヘイヴン国立研究所のアル・ウルフ博士、それに
マーチン・リビッチ博士らペンシルバニア大学の我々のグループが一つの研究グループとしてまとま
って協力したのです。その時、ブルックヘイヴン国立研究所が合成した「放射性フッ素」と書かれた
ラベルを貼ったフルオロデオキシグルコース(FDG)をフィラデルフィアに空輸しました。半減期が 2
時間しかなかったからです。それを患者に注射し、我々の手製のスキャナーで脳の横断スキャンを
し、初めて、ヒトの生体の局所脳代謝の測定に成功しました。
今、その FDG が PET スキャンの放射性薬剤として一番良く使われるようになっています。同じ 1976
年頃、サイクロトロンを用いた半減期の短い陽電子放出核を使った陽電子放出横断撮影(PET)も
開発されましたが、この FDG は PET スキャナーに最適でした。最初の頃は、PET は主に脳、痴呆症
の検査に用いられ、それから心臓、そしてガンに用いられるようになりました。現在では、PET は
FDG を使って主としてガンの発見や進行度の検査に使われています。脳からガンへと広がったこの
技術の発展は興味深いと思います。
質問: この初期の開発が、我々が当然のように考えている、現在のさまざまな機器の発展につな
がったのですね。
クール博士:
CT スキャンはハウンスフィールド氏がその頃発明しましたが、CT スキャンの原
理は陽電子横断画像と同じです。今では、核医学画像法は形状を見極める CT スキャンと合わせて
1 度に同時に行われるようになり、腫瘍の発見が可能なデータとさまざまな脳障害の見極めが可能
なデータとが1枚の画像に組み合わせられます。そうなると、別の種類の情報が得られることになり、
これは医療にとても役立ちます。
質問:
すか。
こんな素晴らしい発明に関わられたことを、博士ご自身はどのように感じていらっしゃいま
クール博士:
本当に恵まれていたと思います。私は、本当に、丁度良い時に丁度良い場所に
いて、優秀な人たちと一緒に仕事をして、目の前で起きている最高にわくわくするようなことから恩
恵を受けることができました。
質問:
日本国際賞を受賞されたことについてのご感想は?
クール博士:
びっくりしましたが、嬉しかったです。選ばれたことに感謝しているだけでなく、急
速に進歩している分子画像分野を国際科学技術財団が今回の授賞対象分野として認めて下さった
ことを非常に嬉しく思っています。とても素晴らしいことで、私を推薦して下さった方々、審査委員会、
財団の理事の皆様に感謝しています。
質問:
この先はどのような方向に進むのでしょうか?
クール博士:
分子画像は、患者の体を傷つけることなく体内での作用を見極められる方法とし
て、新薬の開発や個々の体質に合った治療を開発するカギとなり、また、多様な情報を提供するこ
とで、医療に対して今よりはるかに大きなインパクトを与えるようになると期待されています。
質問: 博士は、献身と情熱、研究とで計り知れない影響を多くの人に与えて来ましたが、どのよう
に感じていらっしゃいますか?
クール博士:
これは、私一人で為し得たことではありません。大勢の中の一人だと感じていま
す。一緒に道を歩んで、この大勢で、現在の医療の発展を支えたと考えています。ですから、皆が
称えられるべきであり、この大勢の一人であることを誇りに思っています。
質問: 世界中の病院で、PET スキャン、CT スキャンなどの文字を目にされると思いますが、ご自
身が関わられたものですね。
クール博士:
こうした表示を病院で見る度に、医療分野でこれほどまでに重要になったものの
誕生に一役を担うことができたと、心温まるものを感じます。
最後に、国際技術財団の理事の皆様に、日本国際賞を授与下さったことに対し私から、また、分子
画像界の一員としてこの分野に栄誉を与えて下さったことにお礼を申し上げたいと思います。
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