駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ はじめに ︵1︶ 兼 岡 理 恵 駒澤大学図書館に、﹃松島風土記﹄と題された写本がある︵以下、駒澤本﹃松島風土記﹄と称す︶ 。﹃国書総目 録 ﹄ に は 同 名 の 書 と し て 、 寛 文 十 三 年 成 立 と さ れ る 高 木 利 太 氏 旧 蔵本 、 旧 彰 考 館 所 蔵 本 の 二 本 が 記 載 さ れ る が 、 ︵2︶ このうち彰考館本は戦火により焼失、また高木本は氏の死後、天理図書館が所蔵、その詳細については佐々木和 博氏の論考がある。本稿で紹介する駒澤本﹃松島風土記﹄は、この高木本とは別種と考えられるもので、結論か らいえば、安永年間に仙台藩領内の各村で作成された﹁風土記御用書出﹂をもとに寛政頃に編纂された書の、転 ︵3︶ 写本と推定される。﹁風土記御用書出﹂を利用した文献としては、例えば大島由起夫氏による﹁奥州仙台栗原郡 畑村縁記﹂の報告があるが、この駒澤本﹃松島風土記﹄に関する論考は、未だ為されていないようである。そこ で本稿では本書の翻刻を行うとともに、その概要、研究史上の価値などについて述べたい。 (1 7 7) 書誌 千葉大学 人文研究 第四十一号 1 . . 。 二/W ×横一六・六 / / / / ︱ 。 No :3.7 2 5 8 Vol :1 Date : 昭3 0.1 2.1 3 Rec. 楠林南陽堂 Cost :15 0﹂ 伝来・書写年代 丁ウ︶ 。表紙裏の印記﹁ 2 . みえる伊達邦宗について。伊達邦宗︵明治三∼大正十二 ︵4︶ 一八七〇∼一九二三︶は、伊達家十五代当主。十三代 写真1 写 本 一 冊。袋 綴。請 求 記 号﹁六 六 七 S﹂ 。 本文十五丁。縦二五・〇 オ、 書﹂ ︵以上、1丁オ︶ 、﹁駒澤大學図書館印﹂ ︵1丁 蔵 書 印﹁駒 澤 大 學 図 書 館 蔵 書 印﹂ ﹁伊 達 邦 宗 蔵 紙︵1丁十行、双行子持枠︶使用︵写真1︶ 。 内 題﹁松 島 風 土 記﹂ 。柱 に﹁伊 達﹂と あ る 青 色 罫 奥 書 な し。外 題 な し︵左 題 箋 剥 離 し た 跡 あ り︶ 。 Ú 当主・慶邦の七男で、明治三十二︵一八九九︶年、兄・宗基の養子となり名を邦宗とし、大正六︵一九一七︶年 伊達伯爵家の当主となっている。 (1 7 8) Ú 本書は、蔵書印および使用されている罫紙より、伊達家で書写、所蔵されていたことが窺える。まず蔵書印に 1 5 一方、本書使用の罫紙︱柱に﹁伊達﹂とある青 色罫紙︱について。これは宮城県図書館所蔵﹃伊 ︵5︶ 達 氏 史 料﹄ ﹃続 伊 達 氏 史 料﹄の 使 用 罫 紙 と 同 一 の も の で ある。﹃伊 達 氏 史 料﹄と は、仙 台 藩 の 藩 儒 ︵6︶ 一八四一∼一九一五︶が編 で、明 治 維 新 後 に 伊 達 家 家 扶 と な っ た 作 並 清 亮 ︵天保十二∼大正四 纂 し た 、 仙 台 藩 や 伊 達 家 関 連 の 史 料 集 成 で ある 。 (1 7 9) そして青色罫紙が用いられている宮城県図書館所 蔵 本﹃伊 達 氏 史 料﹄ ﹃続 伊 達 氏 史 料﹄は、邦 宗 の 命によって明治四十三︵一九〇〇︶年から大正五 ︵一九一六︶年頃に謄写されたものである。同館 所蔵﹃伊達氏史料﹄第一輯・目録にある邦宗自筆 の序文︵明治四十三年三月︶には、邦宗が清亮の 史料蒐集、編纂事業に感服し、その成果である当 該史料を﹁坐右ニ備んと欲し謄寫せしめ﹂たとあ る︵写 真2︶ 。ま た﹃続 伊 達 氏 史 料﹄は 邦 宗 自 身 も編纂に携わったものだが、同館所蔵﹃続伊達氏 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ 写真2 千葉大学 人文研究 第四十一号 史料﹄第一輯・二巻には、邦宗による大正五年の自筆識語がある。邦宗はその後、大正十︵一九二一︶年に、自 ︵7︶ ら伊達家や仙台藩関連の歴史をまとめた﹃伊達家史叢談﹄十六巻を編修しているが、その折にこれら史料群を利 用したことが窺える。翻って今回紹介する駒澤本﹃松島風土記﹄も、こうした邦宗の史料蒐集時期、すなわち明 治末∼大正始め頃に、仙台藩領関連史料の一つとして邦宗のもとで謄写されたものと見なせるだろう。 和漢書増加目録﹄には、確かに﹁松島風土記 写本﹂と記 その後、本書が古書店・南陽堂書店を経て駒澤大学図書館に所蔵されたのは、印記によれば昭和三十︵一九五 五︶年十二月以降。昭和三十年度﹃駒澤大学図書館 十六代当主︶はその立場上、先祖伝来の刀剣類 = 載されている。ではなぜ本書は伊達家から市場に流出したのか。その詳細は不明だが、伊達家十七代当主・貞宗 の子女、伊達眞美氏は、戦後の伊達家について﹁祖父、興宗︵ ︵8︶ 等をGHQに差し出さなければ成らず、時代の変化に、ずいぶん苦しい日々を過ごしたようでした。その後、昭 和 二 十 七 年 ご ろ 、 大 井 邸 は 、 人 手 に 渡 り ま し た ﹂ と 述 べ て いる 。 本 書 は こ う し た 伊 達 家 混 乱 期 に そ の 手 を 離 れ 、 内容・成立年代 南陽堂書店、そして駒澤大学図書館に購入された可能性が考えられよう。 3 . 次に駒澤本﹃松島風土記﹄について、その内容にふれる前に、まず本書の元になったと見なされる﹁風土記御 用書出﹂について、その概略を述べたい。﹁風土記御用書出﹂は、安永年間、仙台藩が領内各郷村の状況を把握 するために作成した書上で、﹁風土記御用書出﹂の他、付属文書として﹁代数有之御百姓書出﹂ ﹁社寺院書出﹂な (1 8 0) 一 どがあり、これらを合わせて﹁安永風土記﹂と称している。作成された書上は各村肝入の必備書類として代々継 承された。現在は宮城県図書館の他、県各地の旧家などで所蔵、﹃宮城縣史﹄第二十三∼二十八巻︵宮城県 ︵9︶ 九五四∼一九六一︶をはじめ、各市町村史に活字化されている。しかし駒澤本﹃松島風土記﹄が依拠したと考え ︵ ︶ ら れ る 松 島 村 の ﹁ 風 土 記 御 用 書 出 ﹂ は 、 現 在 確 認 さ れ て い ない 。 で は 何 を 以 て 両 者 の 関 係 を 考 察 し う る の か 。 実 は ﹁ 風 土 記 御 用 書 出 ﹂ に は 、 安 永 三 ︵ 一 七 七 四 ︶ 年 頃 に 作 成 さ れ た と い う 雛 形 が ある 。 こ れ は ﹁ 村 名 ニ 付 由 来 ﹂ 以下、四十一条︵付帯四条、計四十五条︶を掲出、各条の体裁・書上作成時の留意点︵﹁案出﹂と称される︶な どを指示したものである。この雛形と駒澤本﹃松島風土記﹄ を比較すると、両者が同一書式であることがわかる。 た と え ば﹁風 土 記 御 用 書 出﹂雛 形 の﹁寺﹂条 と、駒 澤 本﹃松 島 風 土 記﹄ ﹁福聚山海無量寺﹂条︵4丁 オ∼ウ︶を 何山何寺 ﹁風土記御用書出﹂雛形・﹁寺﹂条 一 客殿︹竪八間半/横四間︺ 福聚山海無量寺 本尊如意輪観音木佛座像御長壱尺作者不知 レ 一 駒澤本﹃松島風土記﹄ ﹁福聚山海無量寺﹂条 掲げたものが︵表1︶である︵比較の便をはかり、各書の行間などは適宜改めた︶ 。 何ケ寺 ︵表1︶ 一寺 何 一何宗 一小名 一佛殿 何向︿竪何間/横何間﹀ 一本尊 一本尊 ︿木/金﹀佛︿坐/立﹀像御長何尺誰作 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ (1 8 1) 1 0 一門 千葉大学 人文研究 第四十一号 何向 右作者不相知候ハゞ、但作者相知不申候事と相記可候事 一額° 但°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°° 佛殿之額門之額之品并何と申候文字竪額横額之譯共ニ書 分°°°°°°°°°°°°°°°°° ケ、筆者何郡何村誰と相記可申候事 一 一 一 門 東向 額°°° 弐ツ ノ横額福聚山三字客殿横額海無量 門°°°°°°°°°°°°°°°° 羅漢木 ト云佛木在り 瑪瑙石十六羅漢 唐佛在り 一 禅°°°°°°°°°°° 寺五字彫雲和尚 ノ御草 傍 線 部﹁本 尊﹂や 波 線 部﹁額﹂ 、また﹁門﹂の書式など、駒澤本﹃松島風土記﹄が﹁風土記御用書出﹂雛形 に ﹁寺﹂ 、 ﹁古歌﹂ ︵表中﹁▽﹂項目︶ 。さらに、 3 7 は、まさに駒澤本﹃松島風土記﹄が﹁風土記御用書出﹂に依拠したことを示していよう。 また掲出された記事︵﹁○﹂ ﹁▽﹂ ︶は、いわゆる松島の名所・旧跡が中心であり、本書が名所記的なものとし て編纂されたことを窺わせる。それは本書の成立年代にも繋がってくる。本書には本・書写奥書ともに存在しな い が、本 文 中 に﹁寛 政 二 年 ま で﹂ ︵8オ︶ ﹁當 寛 政 二 年 迄﹂ ︵8ウ︶とあり、寛政二︵一七九一︶年以降の成立、 (1 8 2) 倣ったものであることが窺える。 ﹁旧跡﹂ 、 さらに﹁風土記御用書出﹂四十五条と、駒澤本﹃松島風土記﹄掲出項目を比較したものが︵表2︶である。こ れによれば、項目名・内容ともに示されるものが1﹁村名ニ付由来﹂ 、5﹁家数﹂ 、8の附条﹁舟﹂ 、 1 0 ﹁山﹂下部項目﹁嶋﹂ ﹁浦﹂ ﹁崎﹂ ︵表中﹁○﹂項目︶ 。項目名は示されないものの、当該項目の記述から ﹁仏閣﹂ 、 1 3 および 抄出したと考えられるのが9﹁名所﹂ 、 ﹁神社﹂ 、 1 2 項目名のみで具 体 的 内 容 が 示 さ れ な い4﹁人 頭﹂で あ る︵表 中﹁▲﹂項 目︶ 。特にこの項目名のみの記述︵▲︶ 1 1 2 3 (表2)「風土記御用書出」と駒澤本『松島風土記』項目比較 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 1 0 1 1 1 2 1 3 1 4 1 5 1 6 1 7 1 8 1 9 2 0 2 1 2 2 2 3 2 4 2 5 2 6 2 7 2 8 2 9 3 0 3 1 3 2 3 3 3 4 3 5 3 6 3 7 3 8 3 9 4 0 4 1 「風土記御用書出」項目 村名ニ付由来 田代 何貫文 畑代 人頭 何人 家数 何軒 男女都合 何人 馬 何疋 牛 何疋 附 舟 名所 幾ツ 旧跡 幾ツ 神社 幾ツ 仏閣 幾ツ 寺 何ケ寺 修験 何ケ院 附 行派寺并虚無僧寺 孝子孝婦忠僕良民并百歳以上長壽之者 何人 古人 何人 代数有之御百姓 何人 品替御百姓 附 百姓之内御晝御寓ニ罷成御目見仕献上物 并拝領物仕候者 御蔵場 何ヶ所 御塩焼場 何ケ所 古館 幾ツ 古碑 幾ツ 古塚 幾ツ 山 幾ツ 森 嶋 浦 崎 御林 何ケ銘 川 幾ツ 瀧 幾ツ 橋 幾ツ 沼 幾ツ 堤 幾ツ 堰 幾ツ 坂 幾ツ 道 幾筋 名石 名水 幾ツ 附 温泉 名木 何本 産物 幾品 古歌 何首 端郷 幾ツ 小名 幾ツ 屋敷名 幾ツ 御村境 駒澤本『松島風土記』収載項目 ○ ▲ ○ ○ ▽ ○ ▽ ▽ ▽ ○ ○ ○ ▽ ○…項目名・内容とも記す ▲…項目名のみ ▽…内容のみ (1 8 3) 千葉大学 人文研究 第四十一号 すなわち安永風土記編纂の約十年後と推定される。松島は十八世紀半ば以降、﹃奥の細道﹄追体験はもとより、 ︵ ︶ いわゆる文人のみならず、物見遊山的な観光客が増加、また当地の名所記や紀行文、絵画などが盛んに作成され るようになる。こうした時期に、﹁風土記御用書出﹂から、松島の由来、名所・旧跡、古歌という名所記的項目 のみ抽出して編纂されたのが、駒澤本﹃松島風土記﹄といえよう。 おわりに 以上をふまえ、駒澤本﹃松島風土記﹄の成立、研究史上の価値についてまとめたい。本書は、安永年間に仙台 藩で作成された﹁風土記御用書出﹂をもとに、寛政二年頃、瑞巌寺・御嶋など松島の名所・旧跡関連記事を中心 に抄出して編纂したものを、明治末∼大正初期頃、伊達邦宗周辺で謄写した写本と推定される。本書の価値とし ︵ ︶ て、現在確認されていない宮城郡松島村の﹁風土記御用書出﹂の一部である可能性が高いこと、寛政期作成の松 か月後の八月二十日、松島を訪れた。松島周遊観光船も運行し、観光客で予想以上に賑わう一方、御嶋に架かる 被害も少なく、大小無数の島々が津波を緩衝したとして﹁松島の奇跡﹂とも称されている。筆者は震災から約五 二〇一一年三月十一日、東日本大震災によって東北地方は甚大な被害を受けた。その中で松島は、比較的津波 追記 島 名 所 記 の 一 例 と 位 置 づ け ら れ る こ と 、 な ど が 指 摘 で き よう 。 1 2 (1 8 4) 1 1 渡月橋が津波によって流出、海岸沿いの店舗が軒並み閉店する等、震災の爪痕が至る所に見受けられた。また沿 岸の旧家に保存されていた古文書類のうち、津波で失われたものも少なくないという︵宮城県図書館資料奉仕部 調査班の方の談︶ 。そのような中、本稿が松島の姿、歴史を伝える一助になれば幸いである。 注 ︵1︶ 高木利太﹃家蔵日本地誌目録﹄ ︵高木利太 一九二七︶五五四頁にその概略が示されている。 ︵2︶﹁ ﹃松島風土記﹄所載の﹁坪碑文図﹂︱多賀城碑に関する新資料︱﹂ ︵ ﹃仙台市博物館調査研究報告﹄第十五号 一 九九五・三︶ ︵3︶ 大島由起夫﹁炭焼藤太伝承と在地縁起︱﹁奥州仙台栗原郡畑村縁記﹂の紹介と翻刻︱﹂ ︵ ﹃群馬高専レビュー﹄第 二十五号 二〇〇七・三︶ 美﹃伊達家の風景﹄ ︵三月書房 一九九六︶ 、伊達泰宗・白石宗靖﹃伊達家の秘話﹄ ︵PHP研究所 二〇 一 〇︶な ど ︵4︶ 邦宗については、菊田定郷﹃仙台人名大辞書﹄ ︵続仙台人名大辞書刊行会編 一九八一、初版一九三三︶ 、伊達眞 参照。 ︵5︶ 宮城県図書館資料奉仕部調査班のご教示による。 ︵6︶ 清亮については、菊田定郷﹃仙台人名大辞書﹄ ︵注4書︶ 、 ﹃国書人名辞典﹄ ︵岩波書店︶ 、萱場建之氏執 筆﹁伊 達 文庫解説﹂ ︵ ﹃仙台文庫目録﹄宮城県図書館 一九八七︶ 、宮城県図書館編﹃みやぎの叡智︱宮城県図書館 貴重書の 世界﹄ ︵宮城県図書館 二〇〇九︶ ﹁特殊文庫﹂の項、後掲﹃伊達家史叢談﹄など参照。 ︵7︶﹃伊達家史叢談﹄ ︵二〇〇一年に今野印刷より復刊︶巻之十四には﹁家扶作並清亮編纂家史関係書籍解題﹂として、 ﹃伊達氏史料﹄をはじめとする清亮編纂の各史料が紹介されている。 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ (1 8 5) 千葉大学 人文研究 第四十一号 ︵8︶ 伊達眞美﹃伊達家の風景﹄ ︵注4書︶二七五頁 ︵9︶﹃松島町史﹄資料編 ︵松島町史編集委員会 一九八九︶九八三頁によれば、松島村を含む現在の松島町で確認 ︵ ︶﹃宮城縣史﹄二十八巻︵宮城県 一九六一︶所収。 書出﹂のみである。 されているのは、根廻村・小泉村の﹁風土記書出﹂ 、および根廻村・幡谷村の﹁代数有之御百姓書出﹂ ﹁本 山 派 自 光 院 À ︵ ︶﹃松島町史﹄資料編 ︵注9書︶には松島関連の紀行文・日記等が収載されるが、宝暦頃よりその数が増加する。 ︵ ︶ 松島の名所に関しては、前掲・小林論文︵注 ︶をはじめ、五代当主・伊達吉村の﹃領内名所和歌集﹄編纂が名 ついて﹂﹃米沢史学﹄十三号、一九九七・六︶ 。これは文人から物見遊山的な旅人の増加という流れと合致するだろう。 地、景観のよい土地、さらには行楽地へと変化したと考察している︵同﹁仙台領﹁安永風土記﹂にみる名所・旧跡に は、現存﹁安永風土記﹂中の﹁名所﹂ ﹁旧跡﹂の分析によって、名所の概念が、 ﹁歌枕の地﹂からいわゆる風光明媚な 史﹂ ︵ ﹃塩竃・松島 その景観と信仰﹄瑞巌寺・塩竃神社・東北歴史博物館 二〇〇八︶なども参照。また小林文雄氏 ﹃仙台市史 通史篇5 近世3﹄ ︵仙台市史編さん委員会 二〇〇四︶第五章第一節、堀野宗俊﹁松島と瑞巌寺の歴 À 所・旧跡形成に関わったとする錦仁氏の論考︵ ﹁藩主の︽領内名所和歌集︾編纂と和歌観﹂ 、同﹃なぜ和歌を詠むのか 1 1 ︱菅江真澄の旅と地誌﹄笠間書院 二〇一一︶などがある。 (1 8 6) 1 11 0 1 2 ︻翻刻︼駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ ︻凡例︼ 一、基本的に本文の表記をそのまま翻刻した。 ︺内に記し、改行部分は﹁/﹂で示した。 一、読みやすさのため、本文に適宜句読点、濁点を付した。 一、双行割書は︹ 一、丁移りは﹂1オのように、丁末尾に示した。 ︵より︶ (1 8 7) 一、助詞は基本的に本文に倣い、小字で記した。 江︵え︶ 茂︵も︶ 而︵て︶ 一、仮名は原則として現行の字体に改めた。但し次の字が助詞として使用された際には、そのまま小文字で示し た。 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ の節、依勅願 ニ勅使大内蔵康光卿をして姫 鳥羽院御宇、長治年中見佛上人御住居 村名に付由来 ︻本文︼ 一 松島風土記 一、明らかな誤字・脱字等は、該当部右側に︵ママ︶ 、︵⋮カ︶等記載した。 ! 千葉大学 人文研究 第四十一号 并ニ 山林嶋々共 ニ御寄付被遊 大主義山様御代、雲居和尚御住職 松壱千本御植立被遊、夫より壱千松嶋と云名附り 寛文年中 之砌、瑞巌寺 江御寺領 松嶋は末世代々奥州之宮野と相称可申旨被仰付、 殺生禁断諸役御免 に被相定、瑞巌寺御寺領、余 人頭 川御座舩 村 ニ在之分 茂、田畑山林共々右御寺領之分、諸役御免 一 家数 なる 一 御水主町四拾七軒 一 御水主四拾四軒 鳳凰丸 一 一 小鷹丸 ﹂1ウ 御掃除人并 ニ家中共 ニ三軒 孔雀丸 御舟 一 小指羽丸 一 一 内 一 一 一 右五艘、國主御召舩なり ト ﹂1オ (1 8 8) 一 一 一 茶舩 御水酌舩壱艘 一 御嫁下舩壱艘 御嶋︹竪百五拾間/横弐拾四間︺ 人王十二代景行天皇御宇、日本武尊東夷御征 人王六十六代一條院御宇、源重之奥州 伐之砌、御休被遊故、其折より御嶋と申唱候よし 其後 之住 ニ御下向之節、詠哥あり 人王七拾四代鳥羽院御宇、見佛上人御住居之節、 天子より御衣等を下し給わる。以来御之字を以 称候よし、以前 ハ雄嶋又 ハ小しま共、相記候よし 申傳候。 辰巳向壱尺作り 年月共 ニ相知不申事 并ニ 碑︹高サ壱丈弐尺/幅三尺七寸︺ ﹂2ウ 性善院様御建立 骨堂 勧請人 稲荷之社 御嶋之内 一 同所 一 同所 一 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ ﹂2オ (1 8 9) 同所 一 同所 一 一 一 千葉大学 人文研究 第四十一号 相州鎌倉建長寺、御先住唐僧寧一山御碑文なり セウキンアン 庵南向︹竪五間/横三間︺ 本尊正観音木佛立像御長五寸作者不知 レ 本尊不動明王木佛座像御長三尺五寸作者不知 庵東向︹竪四間半/横三間︺ 松吟庵 一 一 見佛堂 レ 見佛上人御建立、法華経六万部御読誦 ノ道場也、本尊 阿弥陀如来作者不知 レ、額何 茂天嶺和尚 ノ御草なり レ 碑︹高サ九尺/幅弐尺六寸︺ 弐尺作者不知 洞水和尚 ノ御建立、年月不知 レ、本尊念佛座像御長 薬師堂 一 天嶺和尚之御碑文なり 経堂法輪庵 本尊不聖不見木佛座像、額何 も通玄和尚 ノ御草 ︹小名/荒浪濱︺ ﹂3オ (1 9 0) 一 一夢庵 五葉庵 ︹小名/桜岡﹀ 一 ﹂3ウ 本尊正観音木佛座像御長壱尺作者不知 福聚山海無量寺 ︹小名/大沢︺ 一 客殿︹竪八間半/横四間︺ レ 一 羅漢木 ト云佛木在り 瑪瑙石十六羅漢、唐佛在り 一 一 門東向 本尊如意輪観音木佛座像御長壱尺作者不知 一 額弐ツ、門 ノ横額福聚山三字客殿横額海無量 ﹂4オ 一 禅寺五字彫雲和尚 ノ御草 一 千佛堂 心月庵 ︹小名/内町︺ 一 雲居和尚 ノ御建立本尊釈迦如来千佛共 ニ作者不 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ レ (1 9 1) 千葉大学 人文研究 第四十一号 ﹂4ウ 知 レ、額彫雲和尚 ノ御草 花隠庵 ︹三軒庵之内︺ 一 月心庵 ︹三軒庵之内︺ 一 臨江庵 ︹三軒庵之内︺ 一 青龍山瑞岩圓福寺 ハ ハ 大門辰巳向 ﹂5オ 義山様 而殉死 ノ御方拾七人御位牌 右 貞山様に殉死 ノ御方弐拾人御位牌 左り レ 毘沙門天木佛立像御長三尺余慈覚大師御作 本尊正観音胡銅佛立像御長三尺作者不知 佛殿辰巳向︹竪弐拾壱間/横拾弐間︺ 一 一 一 横額葉海禅林四字天嶺和尚 ノ御草 (1 9 2) 一 一 一 中門 一 方丈 ノ横額五雲軒三字石髄和尚 ノ御草 方丈 ノ横額圓満二字獅山様御草 一 一 小玄関 ノ横額登龍二字天嶺和尚御草 横額瑞岩圓福寺五字洞水和尚 ノ御草 一 経堂 三間半四面 一 鐘 楼 ︹ 竪 三 間 半/ 横 弐 間 ︺ ﹂5ウ 一 院 ﹂6オ 往古慈覚大師獨鈷を以、ほり出シ給ふよし 獨鈷水 横額寶花殿三字右同草 御霊屋 横額万歳峯三字大嶺和尚御草 本尊釈迦如来木佛座像御長壱尺弐寸作者不知 客殿辰巳向︹竪七間/横四間半︺ 陽徳院 天 客殿辰向︹竪弐間/横七間︺ 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ レ (1 9 3) 胡桃ヶ浦 一 一 一 ! 一 千葉大学 人文研究 第四十一号 本尊釈迦如来木佛座像御長弐尺五寸作者不知 中門 額瑞雲峯三字曹源和尚御草 客殿辰巳向︹竪九間/横五間半︺ 圓通院 生姜浦 一 レ ﹂6ウ 本尊正観音木佛座像御長弐尺作者不知 横額圓通院三字洞水和尚御草 旧跡 法身窟︹竪四間弐尺/横四間壱尺五寸︺ ︵ママ︶ レ 右瑞岩寺内門之内 ニ在り、北條相模守時頼入道最明 ヲ 寺様此窟 ニ宿し、法身上人 ト改宗 ノ約速被遊、其後 山城國嵯峨天龍寺夢窓國師行脚之時、天台止観 化まで、年数七十九年 ニ 講候を聴聞在し候よし、法身上人文永拾年入滅より 夢窓國師観應二年 ニ なる。瑞岩寺先住天嶺和尚御住職之節、法身夢 窓窟 ノ五字横額御自草にて被相置候事 岩屋 ノ数、大小八拾 宇、天台宗 ノ節 在しよし (1 9 4) 一 一 一 ! 一 一 ﹂7オ 南向三間四面 相聞得申し候 五大堂 ニ而 ︵ ﹁天長五﹂ノ誤カ︶ 義経公奥州御下向之砌、藤原 ノ秀衡、五人 ノ 大同二年坂 ノ上田村麻呂御造営なり。文治 人皇五十代桓武天皇 ノ御宇、天應三年慈覚大師 御開基 年中 子息 ニ仰せて、義経公 江二 タ心在之間敷 ノ誓文 ヲ書 貞山様御代、刈田御陣 ノ節、御夢想 ニ ノ ﹂7ウ しめ、此堂 ノ寶殿 江相納 メ水田 ヲ寄附せられ候由申傳候 又慶長五年 に而 、御寄附 、翌年十二月 肯山様御願文成就 ニよつて元禄 御代之御祈願所之霊場 事在り、同九年六月大工紀伊國鶴右衛門 に被 替 仰付御造覚之以後 相奉存候、其後 に而 毎月廿一日御祈祷 、高城機崎村 九年十一月廿三日御供田貳貫 廿一日亦以壱貫 取合三貫、又此御供田 在り 本尊五智如来木佛座像御長何 も壱尺余、二童 子壹尺七寸、以上何 も慈覚大師之御作 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ (1 9 5) 一 一 一 千葉大学 人文研究 第四十一号 獅山様御草 額弐つ、堂 ノ竪額五大堂三字天嶺和尚 ノ御草 内殿横額明王二字 鰐口壱つ 銘乾元二年閏四月十日と在之寛政二年まで 四百八拾八年 ニなる 鐘楼九尺四面 鐘 ノ銘寛永十九年壬午孟春十九日前妙心現住 雲居和尚誌大明学士林恒一居士書 ト在り當 寛政二年迄百四十九年 ニなる 宮千代塚︹高サ弐尺五寸/廻り九尺︺ ﹂8オ ﹂8ウ 本尊十一面観音木佛立像御長壱尺春日 ノ御作 客殿南向︹竪七間/横四間︺ 天童庵 ︹五大堂境内/竪五拾間/横拾間︺之内 一 一 一 右五大堂之内天童庵境内 ニ在り、往古此庵の側 ︵ママ︶ 宮千代と申童子あり、容貌秀麗心柔和にして常 ならぬ生賢たり。故に天より降臨する所の児 なりやとて、時人此 ヲ天童と称し、此庵に住て久 (1 9 6) し。其頃、見佛上人、御嶋念佛堂にして日夜法 華経 ヲ御読誦あり、心身をすまし給へける。宮 千代も上人の誦経 ヲ聴聞し、暫時も怠る事 ︵ママ︶ なし、日を経て童子も法華経 ヲ読誦せしが 化の後、彼 ノ童子も相果 其声清らかにして正しく、聞人、寄意の思ひを なしけり。其後、上人 天嶺和尚 ノ御建立 天嶺和尚 ノ碑文なり 本尊不動明王、弁慶御所持被成候御佛 ノよし 碑 ﹂9ウ たり。山王の化身なりやとて、庵の側 ニ葬り、 五重 塔 一 月見ヶ崎御仮屋 貞山様御代慶長四年八月御建立なり 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ ﹂9オ (1 9 7) 塚を築。夫より天童庵と申傳へり 五大堂に古哥あり ふミわけて渡りもやらずむらさきの 花さきかゝる松しまのはし 一 毒竜庵 一 ︹小名/福浦嶋︺ 一 ︹小名/経ヶ嶋︺ ノ 高サ壱丈弐尺 ! 一 一 千葉大学 人文研究 第四十一号 一 観瀾亭 雨寄晴好 江戸表書家佐々木万次郎様御草 獅山様御草 御額 一 亀ヶ崎古哥あり ︵ママ、 ﹁にはなるゝ﹂カ︶ 明わたるおしまの松の木の間より オ なみをみなるゝ横雲のそら ﹂ 所より都へ帰りしとなり 西行 西行法師と哥問答有し ニ、西行かけまけ此 往古此所東海道の節、山王権現、童子と現し 西行戻り坂 哥に 月にそふかつら男のかよいきて ︵ママ︶ 童子 はらむすゝきハたか子なるらん 童子答ていやとよ我よまバ 雨もふり霞もかゝり霧もふり はらむすゝきはたか子なるらん ﹂ ウ (1 9 8) 1 0 山王権現 ノ社拝殿辰巳向︹竪壱丈六尺/横壱間︺本社同向弐間作り 1 0 ! ! ! 一 人王五十三代淳和天皇の御宇、天長五年慈覚大師 於延福寺 ニ御建立江州坂本山王 ヲ五大堂境内天童 ︵ ﹁拾九 庵 ノ側 ニ御勧請被成、一村鎮守と称し奉存候なり 年﹂ノ誤カ︶ 瑞岩寺中興雲居和尚御住職之節、寛永拾年 一 一 鐘楼 御供所未向︹竪壱丈/横六尺五寸︺ 社地︹竪三拾間/横拾五間︺ 九月春、唯今 ノ地 江移し奉り ト云り 一 長床東向︹竪五間半/横弐間半︺ ニ (1 9 9) 壱間四面 一 オ 鳥井東向 丑寅向五尺作り 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ 八幡崎と申所 ニ御在ありしを、寛永拾七年 有し千年以上之古社 ト申傳へり。往古 ハ當村 松嶋八幡奉勅使早良連惟保と古 キ書物 そうらむらじ 人皇三十五代舒明天皇三年陸奥國宮城郡 八幡社 社 ノ横額日吉山王四字右同筆 竪額松嶋鎮守四字天嶺和尚 ノ筆 ﹂ 一 一 1 1 義山様御造営 ノ節、唯今の地 千葉大学 人文研究 第四十一号 十一月廿四日 ﹂ 被相移、其 後國主御修覆令奉候也。 法性院 ︹小名/竹ノ浦︺ 一 一茶庵 ︹小名/梅ヶ浦︺ 一 ウ に ヨリ 入/左 ノ六︺ 聯芳庵︹大門 同 一 瑞岩寺塔頭拾三ヶ寺 圓通院西詰 法雲庵 瑞岩寺中 ヨリ 一 圓同庵︹大門 入/左 ノ二︺ ﹂ 入/左 ノ四︺ 一 同 同 入/左 リ五︺ ヨリ 大光庵︹大門 ヨリ 入/右 ノ六︺ 得住庵︹大門 ヨリ 一 同 入/左 ノ一︺ ヨリ 傳曲庵︹大門 入/右 ノ四︺ 同 ウ 寺 江月庵︹大門 入/右 ノ二︺ 瑞岩寺 オ (2 0 0) 同 一 寶珠庵︹大門 同 ヨリ 一 龍月庵︹大門 同 一 同 入/右 ノ五︺ より 松嶋一山之内 ﹂ 万松庵︹大門入口/右 ノ一︺ 以上拾三ヶ寺瑞岩中 ニ在り 一 ! ! 同 護國院︹大門 一 紹隆庵︹大門 同 一 一 青松庵︹大門 入/右 ノ三︺ 入/左 ノ三︺ 一 同 一 右 都合寺数三拾壱ヶ寺 此内御寄附在之分左 ニ記 御寄附 高弐拾五貫四百八拾五 1 2 1 2 ! 1 1 ! 同 同 同 同 同 方丈御扶持方 陽徳院 玄米五拾石 高拾五貫 天 院 高拾三貫 海無量寺 圓通院 高五貫 天童庵 高七貫 高三貫 法性院 ﹂ ウ 瑞岩寺塔頭 一茶庵 高弐貫 御扶持方五人分 同 一 以上 同 三人分 一 ニ 御寄附五貫四百九拾 外 一 薬師祭田領三百六拾 大澤山 ﹂ 拾三ヶ寺 大仰寺 當山別當 オ 伊勢山 鞍懸山 醫王寺 宮戸里濱真言宗 長谷山 雷神山 小普賢堂山 真坂峯 姉取山 山 ノ名 鴈金山 松嶋 ノ内 一 一 小梨屋山 天上山 石田山 ︵カ︶ 五郎櫃山 同所浦 ノ名 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ (2 0 1) 1 3 ! 1 3 一 桃ヶ浦 霞ヶ浦 小松ヶ浦 ﹂ 以上七浦也 須崎 惣名 ハ片 ノ浦 ト云 亀ヶ崎 月見ヶ崎 櫃ヶ浦 ︵ ﹁胡桃﹂ノ誤カ︶ 梅ヶ浦 千葉大学 人文研究 第四十一号 竹 ノ浦 生姜浦 小松ヶ崎 津ヶ崎 同所崎 ノ名 象鼻ヶ崎 蛇ヶ崎 二子嶋 屏風嶋 以上八崎也 法師崎 福浦嶋 御嶋 オ ウ (2 0 2) 同所嶋 ノ名 経ヶ嶋 千貫嶋 ﹂ 1 4 一 一 朝日嶋 1 4 合葉山まで八百八嶋なれハ 翁嶋 以上八ヶ嶋外塩釜 ス 藤咲かゝる松かうらしま 香 あるあまや植けん春ことに ︵ママ︶ 松ヶ浦 ニ古哥在り 外 記 スにいとまあらず畧 ! まかきかしまに古哥在り ! 夕やみにあまのいさり火見へつるハ まかきかしまのほたるなりける 塩釜に古哥在り しほかまの浦ふく風に霧はれて ︵ ﹁哥﹂欠カ︶ 八十しまかけてまハる月かげ ︵ママ︶ 見へし千代かな 松しまの磯にむれいるあしたちハ おのかさま 掲載をご快諾下さった駒澤大学図書館、 ﹂ オ 書の閲覧・ご助言を賜った宮城県図書館、同館資料奉仕部調査班、内 二三七二〇一〇〇︶の成果の一部である。 駒澤大学図書館所蔵﹃松島風土記﹄ 究﹂ ︵課題番号 本稿は、平成二十三∼二十六年 度 科 学 研 究 費・若 手 研 究︵B︶ ﹁近世における風土記の学問・受容の多角的研 馬場みち子氏、また翻刻に際しご助言を賜った菅原憲二氏に、この場を借りて御礼申し上げます。 ª (2 0 3) 松しまに古在り ︻謝辞︼ ! " 本稿執筆にあたり、本書の存在を報告して下さった駒澤大学国文学科学生・岩間志津子氏、河野未佳氏、翻刻 1 5 ! ! !
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