生命保険契約と共通の動機の錯誤等

文研慣検事例研究会レポート
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財団法人 生命保険文化研究所 く
目 次
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生命保険契約と共通の動機の錯誤等
大阪地判昭和62年2月27日
(判例時報1238号143頁)
[事実]
I.訴外Aは、昭和51年3月から昭和53年7月ま
での間に、Y保険会社との間で、自己を保険契約
者兼被保険者とする次の4件の生命保険契約を締
結したO
契 約
日
保 険 金受 取 人
死亡 保 険金 額
主張するとともに、抗弁として次の5点を主張し
たO
(1)保険契約者の同一性に関する錯誤-Y保
険会社はAが本件各保険契約の本件各保険契約者
であると考えていたが、実際には原告Xlが保険
契約者であり、従って本件各保険契約は錯誤によ
り無効であるO
(2)詐欺無効-本件各保険契約の約款には、
保険契約者の詐欺による
lく
保 険 料 月額
′
ロ
契約は無効である旨の規
3 ,0 0 0 万円
契約
(一)
昭 和 51. 3. 5
原告
X .
1,5 0 0 万 円
契約
(二)
昭 和 5 1 .1 0 .2 7
同
上
1,5 0 0 万 円
3 ,0 0 0 万円
2 5 ,0 0 0 円
6 ,0 0 0 万 円
3 7 ,3 0 0 円
6 ,0 0 0 万 円
3 7 ,30 0 円
契約
(三 )
昭 和 5 2 .12 . 1
原告
x 2
3 ,0 0 0 万円
契約
(囲)
昭 和 53 . 7. 1
原告
Ⅹ3
3 ,0 0 0 万円
保険契約者兼被保険者であるAは、昭和53年12
月26日午前3時頃、愛知県豊橋市某町所在の
バーNの居間で焼死したO
本件訴訟は、保険金受取人Xl、x2及びX3が、
Aの死亡は不慮の事故によるものであると主張し、
Y保険会社を被告として、災害死亡保険金、各6,
000万円及び遅延損害金の支払を求めたものであ
るO
II.Y保険会社は、請求原因に対する答弁として、
Aの死亡は不慮の事故の要件の一つである偶然性
を欠いており、不慮の事故によるものではないと
2 4 ,08 0 円
定があるところ、本件各
保険契約はその実際の保
険契約者であるⅩ1が、
被保険者Aを殺害して保
険金を詐取する目的で締結したものであるから、
無効であるO
(3)故殺免責-「本件各保険契約には、死亡
保険金受取人が故意に被保険者を死亡させたとき
は、被告は死亡保険金支払義務を免れる旨の規定
が……あるところ、原告Ⅹ1は、同原告の兄であ
るCを中心とする甲野グループという保険金詐欺
仲間によるAの殺害について、少なくともその殺
害を常助するなどの形態で故意をもって関与した
ものであるから、被告には死亡保険金支払義務は
ない。
(4)共通の錯誤-「仮に本件各保険契約の保
険契約者が訴外Aであり、また仮にXlが同訴外
人の殺害に対し故意による関与をしなかったとし
でも、契約当事者であるAと被告は、契約時、共
対しその申込がなされたもので、そのうち本件保
険契約(一)の申込みに際してAは、普通死亡の場
合における保険金が3,000万円の保険に加入する
通して、本件各保険契約の保険金受取人ないしそ
の法定代理人である原告Xlが、実はCを中心と
するいわゆる甲野グループという保険金詐欺仲間
ことを考えていたけれども、保険料が高かったた
めに他の借金の返済が終了するまで普通死亡の保
険金が1,500万円の保険にとりあえず加入し、本
件保険契約(二)にはその後右借金の返済が終了し
たということで普通死亡の保険金が合計3,000万
円になるように加入していることが認められるか
ら、Aが本件保険契約の申込みに際して主体的に
に関係している者であるにもかかわらず、この事
情を知らず、単にAの家族同然の友達に過ぎない
旨誤信していた。しかして、右甲野グループなる
ものは、第三者を被保険者としてその者が死亡し
た場合には高額を死亡保険金が支払われるという
内容の生命保険契約を締結し、その被保険者を殺
害して保険事故を発生させ、保険会社から保険金
を詐取することを企図していた一味の者であるか
ら、Aも被告も右の事情を知っておれば、本件各
保険契約を危険なものと判断して、その契約をし
なかったものと考えられるから、本件各保険契約
は、契約当事者双方の共通の錯誤により無効であ
る。」
(5)重過失免責−Aの死亡は重過失によるも
のであるので、被告は約款の規定により保険金支
払義務を負わない。
Ⅲ.裁判所は、Y保険会社の主張に関連して、詳細
な事実認定を行なっている。その概要を述べれば、
次のとおりである。
(1)「……Aは死亡当時55歳で、身寄がなく、
寂しがりやで、同居していたⅩ.の注意や同情を
引こうとして自殺の話をしたり、自殺を企てたり
したことがある……ので、本件の災害についても
Aが自ら引き起したものではないかと、一応は疑
われるけれども、[証拠略]によれば、Aは、昭
和51年11月にその経営していたパーをXlに譲
り、以後Xlから月額金30万円の給料をもらって
Nと改名した同店でマスターとして働き、その死
亡した前日である昭和53年2月25日には、午後
11時45分頓閉店した後、Ⅹ1や訴外Gら同店の
ホステスなど合計7・8人で近くのホストクラブ
で開かれた忘年会に参加し、酒を飲んだり踊った
りしてから、翌20日の午前2時頃、Xlに送って
もらい、歌を歌いながら、上機嫌でその頃住んで
いたNへ帰ったことが認められるから、その直後
に発生した本件災害はAの意思に基づくものでは
ないと認めることができる」。「従って、Aの死
亡は、不慮の事故によるものであると認めること
ができる。」
(2)「[証拠略]によれば、本件各保険契約は
いずれもAから被告会社の保険外務員であるHに
2
決定していることが窺われるし、[証拠略]によ
れば、本件各保険契約の締結後である昭和53年
10月頃、Aは本件各保険契約のことを知人に対
して話し、その忠告を受けて保険金受取人を変更
する旨述べていることが認められるから、Aは、
本件各保険契約のことを単なる名義人になったも
のに過ぎないと考えていたのではなく、保険契約
者として自覚的に行動していたものと認められる
から、本件各保険契約の保険契約者は、名実とも
′へ
にAであると認められる。」
(3)(む昭和52年から昭和53年にかけて、Xl
の兄であるCを中心人物とするいわゆる甲野グ
ループ事件という保険金詐欺事件が3件発生して
いる。その内容は、第三者を被保険者とする生命
保険契約を締結し、被保険者を殺害して保険金を
取得しようとするものであり、Cらは第1の事件
(粟屋事件)については被保険者殺害に失敗した
が、第2の事件(松浦事件)及び第3の事件につ
いては、実際に被保険者を殺害している。
② 甲野グループ事件の中心人物であるCは、
Xlと兄妹の関係にあるうえに、Xlが経営する
パーNの営業に深く関与し、Ⅹ1とCとは日常密
接な関係にあった。
③ のみならず、X.は甲野グループ事件のう
ちの第1及び第2事件に具体的に関与している。
⑥ XlはパーNの改装資金を金融機関から借
入れるなど相当額の債務があり、その経済状態は
不安のないものとは言い難い状況にあった。
(9 本件各保険契約締結につき納得できるAの
動機を考えることは困難である。
⑥ 本件各保険契約は外務員の積極的な勧誘が
もとになって締結されたものではなく、契約申込
の際にはXl又はその母親であるBが同席してお
り、また本件各契約の内容は外務員が申込をうけ
る以前に決定されていた。
(診 本件各契約の保険料については、Aがその
実質的な負担者ではなく、Xlがその負担者で
あったものと推認できる。
(
⑧ 本件契約の保険証券は、いずれもⅩ1方に
おいてXlの母親Bが管理しており、Xl及びB
は本件各保険契約の内容を知っていたものと認め
られる。
らは、右事件におけると同様の方法で保険金を槌取
しょうと企して、Aに本件保険契約(三)、(四)を締
⑨ 「以上認定の[(3)の①から⑧までの]
各事実によると、XlはCを中心とする甲野グ
ループ事件につき、遅くとも[その第2事件]に
つき警察官による聞込みをうけた昭和52年10月
13日当時、同訴外人らが生命保険の被保険者を
結させ、それ以前に締結されていた同(一)、(二)の
各保険契約と併せて合計4口の保険契約の保険料を
右事情を知っているⅩlに負担させていたことにつ
いては、前判示のとおりである。また、[証拠略]
によれば、甲野グループ事件が発覚して新聞等にと
りあげられたのは昭和54年3月頃からであり、本
件各保険契約の締結ないし維持、継続に当たっては、
殺害して保険金の騙取を企図していることを知り、
しかも同訴外人らの右犯行を隠蔽することに積極
的に関与していること、及びその後Aが大口の本
件保険契約(三)、(四)を締結し、それ以前に締結
された本件保険契約(一一)、(二)と併せて、右4口
Aも被告も共通して、右保険契約の保険金受取人な
いしその法定代理人であるⅩ1の実兄である訴外C
が前記各犯行を企図、実行していること及びこれに
Xlが前示の関与をしているという異常事態の存在
することを知らず、かかる事態が存在しないことを
の保険契約を維持、継続することによる多額の保
険料をⅩ1の負担によって支払っていたのは、甲
前提として、本件保険契約(三)、(四)につき契約を
締結し、右異常事態発生前に締結した本件保険契約
(一)、(二)につき当初の契約内容のまま保険金受取
人をXlとして、右各契約を維持、継続したもので
あることが認められる。
野グループ事件の各被保険者におけると同様、保
険金の騙取を企図する訴外Cらの策謀によるもの
であり、Xlはこの事情を知っていたものと推諾
されるとともに、さらに進んで、AはCらにより
保険金騙取の手段として、Aを被保険者とする本
件各保険契約につき保険事故を装って殺害行為の
対象にされたものであること及び右Cらの所為に
ついてはXlの故意に基づく関与があったのでは
ないかとの薄からぬ疑いが持たれるところであ
る。」
⑲ しかし、Aはその死因が一酸化炭素中毒で、
その生存中に火災にあったものであり、火災現場
の諸般の状況からは、「Aが殺害され、これにXl
が故意をもって関与したことについては、その疑
惑があるものの、これを認定するに足らない」。
Ⅳ.裁判所は、以上の事実認定にもとづき、被告保
険会社の他の主張は排斥したが、抗弁(4)を認め、
原告の請求を棄却する判決をした。
[判旨]
「五 抗弁4(共通の錯誤)について
1.本件各保険契約の契約当事者がAと被告であ
ること、Xlは本件各保険契約の保険金受取人ない
しその法定代理人であるところ、昭和52年6月頃
から発生した甲野グループ事件と呼ばれる前記のと
おりの兇悪な保険金詐欺事件の犯人らの中心的人物
であるCとは兄妹であるだけではなく、同訴外人は、
Ⅹ.の経営する[バー]Nの営業にも深く関与し、
日常密接な関係にあり、さらにXlは、甲野グルー
プ事件のうちの粟屋事件及び杉浦事件については、
訴外杉浦がCらに殺害されたものであることを知っ
てその証拠淳減を図るなどしたこと及びその後、C
2.ところで、契約の当事者双方が、その締結に
際して契約の前提ないし基礎として予定した事項に
ついて、共通して錯誤に陥っていた場合は、当事者
双方に共通の動機の錯誤が認められるところ、この
ような場合には、その錯誤が法律行為の要素即ち意
思表示の内容の重要な部分についてのものであると
認められるときに限り、通常の一方の動機の錯誤の
場合とは異なり、共通の錯誤として、動機の表示を
要することなく意思表示の無効を認めるのが相当で
ある。ただし、この場合には契約当事者双方が貴腰
痛してその錯誤がなかったならばその意思表示をし
なかったであろうと考えられるのであるから、通常
の場合とは異なって相手方の保護を図る必要はなく、
また、動機の表示を要件とするときは、錯誤が契約
の前提ないし基礎として予定した事項についてのも
のであるから、動機の表示がされる場合を殆ど想定
できず、実際上無効を認める事案が考えられないか
らである。
これを本件についてみるに、Aと被告の双方が本
件各保険契約のうち、(三)、(四)の各契約の締結に
際して前判示の事情が存在するのに、そのことを知
らず、これが存在しないものと考え、その認識を前
提ないし基礎として、右の各契約を締結したものと
認められるから、右契約締結の時点において、当事
者双方に共通の錯誤が認められる。しかして、右錯
誤の内容よりして、この錯誤がなければ、当事者双
方のみならず一般人も本件保険契約(三)、(四)を締
結することはなかったものと考えられるから、右錯
誤は、右の各契約締緒行為における要素の錯誤には
3
かならず、そうすると、本件保険契約(三)、(四)の
各締結行為は、いずれも無効であるといわなければ
ならない。
また、本件保険契約(一)、(二)については、契約
締結後に右錯誤が生じたものであるから、右の各保
険契約の成立につき畷庇を認めることはできないけ
れども、右錯誤を理由に、右各保険契約の無効を主
張する被告の抗弁は、右各契約締結後に発生した右
錯誤の内容となっている事実関係が右各契約の効力
滅却事由となることを主張するものと解されるとこ
ろ、前判示の各事実から、被告及びAは、契約締結
当時には前判示の錯誤の内容となる事情がその後に
発生するということは予想できなかったものであり、
またその発生は被告及びAの責によるものではない
と認められるところ、被告及びAは、前判示のとお
り、右各保険契約の保険金受取人であるXlの実兄
であるCが前記各犯行を企図、実行していること及
びこれにXlが前判示の関与をしているという異常
事態の存在しないことを前提として保険金受取人を
Xlとする右各保険契約を維持、継続しているので
あるから、右異常事態の発生した後にも、右各保険
契約につき保険金受取人をXlとする契約内容に当
初の約定どおりの拘束力を認めることは、著しく信
義に反して不当であり、これを承認できなし−ところ
である。ただし、保険契約においてはその射倖性か
ら、いわゆる悪危険を排除するため、保険金受取人
を含む保険契約関係者間に特に高度の信義則の支配
が要求されるところ、右判示の異常事態の発生は、
右各保険契約の契約関係者、すなわち保険契約者で
あるA及び保険者である被告と保険金受取人である
Ⅹlとの間の信頼関係を根底から破壊するものと考
えられ、右各保険契約を当初の約定に従ってその効
力を肯認することは、信義則に反し許されないもの
というべきであり、しかして、その効力が否定され
る当初の約定部分は、右判示の根拠に照らし、保険
金受取人をXlとする約定部分に限定される(また
右各保険契約における保険金受取人の指定が無効に
なったとしても、各契約当事者はその無効な部分を
除いても尚この契約を維持、継続したであろうと認
められる。)ものと解すべきだからである。結局、
右各保険契約においてAが保険金受取人をXlと指
定した部分のみにつきその契約内容どおりの拘束力
を認めることはできず、その指定は効力を喪失した
もの(その結果、右各保険契約における保険金受取
人は、保険契約者であるAとなる)。というべきで
ある。
従って、共通の錯誤をいう抗弁4は、本件保険契
約(三)、(四)については、右主張の錯誤により、右
4
各保険契約が無効となり、また、本件保険契約(一)、
(二)については、右主張の錯誤の内容として被告の
主張する事実関係により、右各契約の保険金受取人
をXlと認めることはできないのであるから、その
すべてにつき理由がある……。
六 そうすると、原告らの請求は、すべて理由が
ない。……」(棄却)
[研究]
l.総 説
判旨は、契約(三)及び(四)は共通の動機の錯誤に
より無効であり、契約(一)及び(二)は、事情の変更
によりⅩ1を受取人とする受取人指定が効力を失っ
たとして、原告の請求をすべて棄却している。
契約(三)及び(四)は共通の動機の錯誤により無効
/へ
であるとする判旨には、賛成すべきものと思う。契
約(一)及び(二)に関する判旨は、請求棄却という結
論の点では正当であるが、受取人指定のみが効力を
失うとする判旨には疑問があり、この点はむしろ契
約自体が効力を失ったとみるのが適当ではないかと
思う。
以下順次検討する。
Il.契約(三)及び(四)に関する判旨について
(1)総説
この部分の判旨は、上記のとおり、契約(三)及び
(四)は共通の動機の錯誤により無効になると判示し
ている。
共通の動機の錯誤による意思表示ないし契約の無
効の理論は、民法学説上は比較的最近になって認め
られるようになったものである。例えば、我妻栄・
新訂民法総則(昭和40年)、川島武宜・民法総則
(昭和40年)には、共通の動機の錯誤に関する説
明はない。注釈民法(3)初版(昭和48年)にも、 (
これに関する説明はない。これに対して、四宮和夫
・民法総則新版(昭和51年)187頁は、「双方の
錯誤」について説明している。四宮和夫・民法総則
第4版(昭和61年)181頁には、「共通の錯誤」
に関する説明がある。
従来の判例では、保険契約以外の場合についても、
共通の動機の錯誤の理論を正面から認めたものはな
いようである(同趣旨、小林一便・判例時報1256
号209東、久保宏之・法律時報60巻5号99頁)。
従って、本判決は、学説上比較的新しいこの理論
を判例としてはじめて承認し、かつこれを適用した
ものであって、注目に催いする。’
(2)共通の動機の錯誤による無効の理論
共通の動機の錯誤による無効の理論とはどのよう
な内容のものか。判旨はこれを理由の五の2の第一
(
の段落で次のように説明している。「①契約当事者
記の判旨中のその他の部分については、なお検討を
双方がその締結に際して契約の前提ないし基礎とし
て予定した事項について、共通して錯誤に陥ってい
た場合には、②当事者双方に共通の動機の錯誤が認
められるところ、③このような場合には、その錯誤
が法律行為の要素即ち意思表示の内容の重要な部分
についてのものであると認められるときに限り、④
通常の一方の動機の錯誤の場合とは異なり、共通の
錯誤として、動機の表示を要することなく、意思表
要するところがある。とくに上記の判旨①と③との
関係が問題である。判旨の①にある「契約当事者双
方がその締結に際して契約の前提ないし基礎として
予定した事項」という文言は、どういう意味か。こ
の文言は、錯誤が保険契約の種類、被保険者の同一
示の無効を認めるのが相当である」(①②③⑥の番
号は筆者がつけたものである)。
この判旨はやや複雑であるが、基本的な内容とし
ては、次のような意味であると思う。すなわち、共
通の動機の錯誤による無効が認められるためには、
第一に動機の錯誤が当事者双方に存在し、それが同
一内容のもので、従って当事者双方に共通のもので
なければならない。第二に、錯誤の内容が重要なも
のでなければならない。すなわち、その錯誤がな
かったとすればどちらの当事者もその意思表示をし
なかったであろうと認められるものでなければなら
ない。この2つの要件が存在する場合には、その動
機が意思表示の当時当事者によって表示されたこと
を要せず、意思表示の無効を認めることができる。
判旨がいう共通の動機の錯誤による無効の理論は、
基本的には以上のような内容のものであると解釈さ
れる。そうであるとすれば、これは動機の錯誤の場
合における民法95条の通用に関して、共通の動機
の錯誤の場合につき通常の場合(すなわち、動機の
錯誤が当事者の一方にのみ存在する場合)とやや異
なる取扱いをしようとするものであり、−内容の
錯誤と動機の錯誤とを区別する考え方(いわゆる二
元説)をとる従来の判例の立場を前提として考える
かぎり−私見としても承認してよいものであると
思う。この場合には動機の表示は必要でないという
命題は、通常の動機の錯誤の場合には、意思表示の
当時その動機が表示され、これが法律行為の内容と
された場合にかぎり意思表示の無効を認めることが
できるという判例理論(大判大正3・12・15民録
23輯284頁等)を前提としたものであることは、
いうまでもない。そして、共通の動機の錯誤の場合
には動機の表示を要しない理由としては、判旨は、
通常の場合について動機の表示を要求するのは意思
表示の相手方が意思表示の効力の維持について有す
る利益を保護するためであるが、共通の動機の錯誤
の場合には、意思表示の無効を認めることがかえっ
て相手方の利益ともなるからであると考えているも
のとみられる。私見はこの点にも賛成である。
共通の動機の錯誤による無効の理論を説明した上
性、保険金額、保険料の額、配当金の支払方法とい
うような意思表示の内容に関するものではなく、契
約締結の動機に関する点にあること、及びその錯誤
が当事者双方にとって同一内容のもので、その意味
で当事者双方に共通のものであることのみを示す趣
旨か。それとも、錯誤が重要なもので、その錯誤が
なかったとすれば当事者は意思表示をしなかったで
あろうと考えられるようなものであることをふくめ
て示す趣旨か。明瞭でない。「契約の前提」及び
「契約の基礎」という文書からは後者のようにもみ
えるが、明瞭でない。そして、もし後者の意味であ
るとするならば、−判旨の③は錯誤の重要性を述
べていると思われるので、判旨の(彰は判旨の(諺と部
分的に重複することになる。
(3)錯誤の内容
判旨は、錯誤の具体的内容としてほ、当事者が何
を知らなかったことを問題としているのか。
判旨の理由の五の部分に ト…・Aも被告も共通し
て、右保険契約の保険金受取人ないしその法定代理
人であるXlの実見であるCが前記各犯行を企図、
実行していること及びこれにⅩlが前判示の関与を
しているという異常事態の存在することを知らず、
かかる事態が存在しないことを前提として、本件保
険契約(三)(四)につき契約を締結し、……」との文
章がある。この点からみれば、判旨は、「受取人の
法定代理人の実兄が他の生命保険契約において保険
金詐取を目的とする被保険者殺害行為を行なってい
ること及び受取人の法定代理人がこれに関与してい
ること」を知らなかったという錯誤を問題にしてい
るようにみえる。
そうであるとすれば、これは保険金受取人の法定
代理人の属性に関する錯誤であるから、この錯誤の
みでは、この錯誤がなかったとすれば当事者は契約
を締結しなかったであろうとは必ずしもいえない
一一一一保険金受取人を他の者にかえれば問題が解決す
る−という意見も生じうるであろう。
しかし、判旨は、他の箇所では、「この保険契約
はAが保険契釣者となっているが、この保険契約が
締結され、その保険料をⅩlが負担しているのは、
Aを殺害して保険金を詐取しようとするCらの策謀
によるものであり、Xlもこれを知っていた」とい
う事実認定を行なっており、しかも判旨の全体の趣
5
旨からみれば、A及び保険者は契約締結当時この事
実を知らなかったということが前提となっている。
本件の場合にはこの状況もあるので、判旨は、本件
契約(三)(四)に関する錯誤の内容としては、実質上
はこの点もふくめて考えていることになると思われ
る。この点をふくめて考える場合には、当事者は錯
誤がなければ契約を締結しなかったであろうとみる
ことは容易である。保険契約の締結がCのかかる意
図によるものである場合には、保険者は、保険金を
詐取される危険性が大きいので、保険契約を締結し
なかったはずであるし、保険契約者Aも、自分が殺
害される危険性があるので、保険契約を締結しな
かったはずであると考えられる。
(4)民法90条との関係
判旨認定によれば、本件保険契約(三)及び(四)は、
被保険者も殺害して保険金を詐取しようとするCら
の策謀によるものである。そうであるとすれば、本
件保険契約(三)及び(四)は被保険者殺害による保険
金詐取の策謀の手段になっているわけであるが、こ
のような保険契約については−共通の動機の錯誤
による無効の問題と別に−民法90条による無効
の間者も検討しておく必要があると思われる。この
ような保険契約は法律によってその効力を承認され
る適法な契約といえるかどうか、むしろ不法を事項
を巨的とするものとして、民法90条により無効と
みるべきではないかの問題である。これについては、
誰を保険契約者とみるかの問題も関連する。しかし、
この点は、本稿では問題の所在も指摘するのにとど
めることとする。
日.契約(一)及び(二)に関する判旨について
(1)総説 この部分の判旨は、契約締結後に特
別の事情が生じたことにより、受取人指定が効力を
失うとしている。
(2)根拠となる法原則
この部分の判旨はいかなる法原則を基礎としたも
のかがまず問題となる。
判旨は、契約(一)(二)については、「契約締結後
に右錯誤が生じたのであるから、右各保険契約の成
立につき暇庇を認めることはできない……」と述べ
ている。従って、判旨は契約(一)(二)については、
共通の動機の錯誤の理論は適用できないとする考え
方をとるものと解釈される。契約(一)(二)の場合に
は、いわゆる異常事態が契約締結後に生じた点に特
色があり、またこの部分の判旨は、契約の一部失効
という結果を認めている点に特色があるが、従来の
錯誤の理論によれば、錯誤は過去の事実及び現在の
事実に関するものにかぎる−将来の事実に関する
6
錯誤は意思表示を無効にする錯誤ではない−と考
えられているものとみられる。また、錯誤の効果と
して認めうることは、意思表示がそれがなされた時
に過って無効となることである−意思表示又は契
約がある時点から将来に向ってのみ効力を失うこと
や、契約の改訂は認められない−と考えているも
のとみられる。これらの点からみれば、契約(一)
(二)については共通の動機の錯誤の理論は適用でき
ないとした判旨は、理解しうるところである。
この部分の判旨は、事情変更の原則を基礎とする
ものであろう(同趣旨、山下友信・生命保険判例百
遺増補版228頁、小林一俊・判例時報1259号211
頁。これに対して、久保宏之・法律時報60巻5号
99頁は、反対の見解のようである)。すなわち、
判旨は、(》「被告及びAは、契約締結当事には前判
示の錯誤の内容となる事情がその後に発生するとい
うことは予想できなかったものであり」、また②
「その発生は被告及びAの責によるものではないと
′1
認められ」、③「右異常事態の発生した後にも、右
各保険契約につき……当初の約定どおりの拘束力を
認めることは、著しく信義に反して不当であり、こ
れを承認できない……」と述べているが、この判旨
は、民法学説の説く事情変更の原則の適用のための
3つの要件一一(彰当事者の予見せず、また予見しえ
ない著しい事情の変更も生じたこと、②その変更が
当事者の責に帰すべからざる事由によって生じたも
のであること、③契約の文言通りの拘束力を認めて
は信義則に反した結果となること(我妻栄・債権各
論上巻26頁)−を碓認した形となっている。
事情変更の原則自体は、民法学説上、多数の学説
が承認するところであり、判例でもとくに下級審判
例ではこの原則を適用したものが少なくないといわ
れる(稲本=中井=水辺=土井=田山=能見=伊藤/「
・民法講義5契約11頁)。そのことからいえば、
本判決が事情変更の原則を適用したのは、とくに目
新しいことではない。しかし、事情変更の原則は、
貨幣価値の著しい低下など経済社会の大変動の場合
にその通用が問題とされることが多いが、本判決で
間蔦される事情の変更は、保険契約関係者の個人的
状況の変化であり、この点は本判決の一つの特色で
ある。
本件の事案の状況からみて、事情変更の原則を適
用した判旨には賛成すべきものと思う。ただし、危
険の変更(商法656粂・657条)などの保険法上の
個別的な法原則との関係については、なお検討が必
要であろう。
(3)契約成立後に生じた特別事情
契約成立後に生じた特別の事情としては、判旨は、
理由の五の部分では、受取人の実兄が他の生命保険
契約に関して被保険者殺害行為を行なっており、受
取人がこれに関与しているという事実を中心に考え
することになる可能性が大きいと思われるからであ
ているようにみえる。しかし、本件では、これと別
にこの契約が保険金受取人X.の負担による保険料
[質疑応答要旨]
(1)本件判例は従来の錯誤に関する判例理論に拠り
ながら契約当事者間に共通の動機の錯誤が認めら
支払により効力が維持されているという事実、及び
この受取人による保険料の負担が、契約締結後のあ
る時期から、被保険者を殺害して保険金を詐取しよ
うとするCの策謀に組込まれたものとなり、受取人
Xlもこれを知っているという事実があり、判旨は
実質的にはこれらの事実もふくめて考えているもの
と解することができる(Xlは、契約(三)(四)につ
いては保険金受取人の法定代理人であるが、契約
(
(一)(二)については保険金受取人である)。
なお、判旨が本件の場合に契約当初の内容のまま
で契約の効力が存続することを肯認しえないことの
理由として保険契約の射倖性、及び倍額関係の維持
の必要性を指摘している点については、私見もこれ
に賛成である。ただし、保険契約における信頼関係
の維持が指摘される場合には、通常は一方に保険契
約者・被保険者・保険金受取人をおき、他方に保険
者をおいて、この両者の間における信頼関係の維持
が考えられているが、本件では、保険契約者(兼被
保険者)及び保険者を一方におき、他方に保険金受
取人をおいて、この両者の間での信頼関係の維持が
問題とされており、この点は本件の事案の著しい特
色である。本件の場合は、保険契約の効力がそのま
ま維持されると、−判旨認定事実を前提として考
えるかぎり一一保険者は保険金を詐取される危険性
が大きく、保険契約者(兼被保険者)は保険金受取
人によって殺害される危険性が大きいわけである。
(4)受取人指定のみの失効
判旨は、上記の特別の事情が発生したことにより
受取人指定のみが失効するとしている。事情変更の
原則では、その効果として契約の解除又は契約内容
の修正を認めうると解されているから(我妻栄・債
権各論上巻27頁、稲本ほか・前掲書10頁)、受取
人指定のみの失効を認める判旨の考え方は、理論上
は承認しうるものであると思う。
しかし、本件の場合には、−とくに上記(3)の
第二の事情をふくめて考えると−実質的には、保
険契約の失効を認めるのが適当ではないとの疑いが
る。
れる場合には動機が表示されなくとも民法95条
が適用されると正面から判示した点で画期的であ
る。
なお、共通の錯誤理論は我国においては比較的
新しい学説であり我妻教授、川島教授の民法総則
のテキストには記載されていない。四宮教授のテ
キストには説明がある。
(2)判旨の理論構成は大別して二つの部分から成る。
一は前述の共通動機の錯誤理論を基礎としたもの
であり二は事情変更の原則を基礎とした部分であ
る。後者の部分が事情変更の原則を基礎としたも
のとし評うるか否かについては異説もあるが判旨
の構成からは事情変更の原則を適用したと解しう
る;
そして、事実認定からは、理論上は妥当な結論
と承認しうる。
(3)しかし、本事案の如く、不法な事項を目的とす
る契約と判断しえ、かつ保険料の支払はXlが負
担していたと認定しうる場合は民法90条の適用
をも同時に検討すべきであると思われる。蓋し受
取人による殺害実行の危険性をも掛酌すれば同条
の適用には充合な意義が認められるからである。
(4)本判例に関する注釈資料としては下記のものが
ある。
生命保険判例百選(増補版)p228山下友信
法律時報60−5p96久保宏之
判例時報1256号p208(判例評論348号
p62)
小林一俊
(大阪S63.6.24)
報告:大阪大学 中西正明氏
指導:古瀬村教授 坂本弁護士
ある。何故なら、保険契約(一)(二)では、Xlがは
じめから保険料の実質的負担者であったところ、契
約締結後のある段階から保険契約が保険金詐取の目
的で維持されるようになったものであり、またXl
を受取人とする指定が効力を失えば、Ⅹ1は保険料
の負担を中止し、保険契約は保険料不払により失効
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