書評『民族の創出 まつろわぬ人々、隠された多様性』

書評『民族の創出──まつろわぬ人々、隠された多様性』
書評『民族の創出 ── まつろわぬ人々、隠された多様性』
岡本雅享著(岩波書店、2014年)
( )
神山睦美
大阪経済法科大学
アジア太平洋研究センター
『古事記』によれば、高天原から追放されたス
は、クマソ復権運動と南九州人のアイデンティ
サノオは出雲の国で八 岐大蛇を退治し、クシナ
ティー回復にもつながるとされる。しかし、こ
ダヒメを妻に迎えて、新たな国づくりをおこな
こまでくると、正史の闇に葬られた者たちの復
った。その祝儀において歌われた「八雲立つ出
権という視点が紛れ込んでこないとはかぎらな
雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」とい
い。それは結局、抑圧されてきた人々のルサン
う歌が、和歌の始まりとされている。古代史家
チマンの発露へと回収されないとはかぎらない
の室伏志畔によると、もともと出雲には八蜘蛛
のである。たとえば、そのような陥穽を意識し
族という名の蛇をトーテムとする民族が住んで
たうえで、征服民族は、被征服民族のエートス
いたのだが、そこに、スサノオは軍勢を引き連
を接木するようにして新たな国家形成を行うと
れてやってきて彼らを征服した。だが、征服さ
いう説を述べることもできる。そこには、被征
れた八蜘蛛族は、未開民族のようなものではな
服民族であろうと、幻想の共同性を形づくって
く、「出雲八重垣」という民族の掟をもっていた
いる時には、人々に見えない抑圧をもたらしう
ヤマタノオロチ
(『誰が古代史を殺したか』世界書院)。
るという視点が認められる。
そうであるとすれば、この歌は先住する民
岡本雅享が提示するのは、これとはまた異
族を征服したときの凱歌とも、征服された民
なった独自の視点である。民族概念というも
族の告発の歌とも取れる。出雲市出身の社会
のが、近代になってうみだされた「想像の共
学者である岡本雅享は、古代史学の視点からで
同体」にほかならず、そこにはネーションとし
はなく、歴史社会学的な視点から『出雲国風土
ての自立性がかかわっていると同時に、多様な
記』とそれに関連する文献・資料を綿密に読み
民族性を同質化する傾向があらわれざるをえな
込み、出雲には大和民族とは異なる先住民とし
い。そこから明らかにされるのは、マイノリテ
ての出雲民族が住んでいて、独自の文化をもっ
ィー問題にかぎらない社会的な閉塞ということ
ていたということを明らかにしていく。そこか
である。たとえば、上田紀行『日本型システ
ら、記紀神話の「国譲り」が、大国主命による
ムの終焉』で報告されていたことだとして、
出雲国献上などではなく、大和民族による征服
七三一部隊に関するNHK番組で「もしあなたが
と取るべきであるという考えを明らかにする。
七三一部隊に所属し、上司から生体解剖や生体
大和による先住民族の征服は、同じ記紀神話の
実験を命じられたら、それに従うか」という問
ヤマトタケルによる熊 襲、出 雲、蝦 夷といった
いに対して、問われた大多数の学生が「従う、
「まつろわぬ」人々の平定においても語られてい
なぜなら、周囲の期待にこたえ、みんなと同じ
るとして、もともと日本列島には、多様な民族
ことをしなければ、かならず排除され、いじめ
が独自の文化を築いていたにもかかわらず、記
られることを、これまでの学校教育で学んでき
紀神話を根拠にした単一民族国家観が形づくら
たから」と答えたという話を紹介しながら、日
れていったという考えを述べる。
本は単一民族、単一言語からなる同質社会を
ク マ ソ
イ ズ モ
エ ミ シ
このような視点は、坂上田村麻呂による蝦夷
本質とするという言説が、いかに現実の息苦し
征伐という史実が、大和朝廷軍に抵抗した蝦夷
さを隠蔽しているかを批判するのである。日本
の頭領アテルイを「悪路王」とみなす史観に
列島には、大和民族に限らない多様な民族がそ
よって歪められてきたことを明らかにする。と
れぞれ独自の文化を形づくっていたという視点
同時に、東北の地にアテルイ復権とエミシ意識
は、このような現実批判の根拠となってこそ意
の覚醒が起こりつつあることを指摘する。それ
味をもつといわなければならない。
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