4 実体験から見た介護~家族目線を忘れずに

南多摩保健医療圏 地域保健医療福祉フォーラム
『実体験から見た介護~家族目線を忘れずに~』
演者:小林 真穂(丘の上倶楽部職員)
【要旨】
16 年間にわたる祖母の介護を家族として経験したことを契機に介護職員となった私が、仕事として『認知症高
齢者』、そして『同居家族』と向き合い、それぞれの持つ戸惑い、不安、悩みを和らげるために何が出来るのかを
紐解きます。
【はじめに】
私の祖母がアルツハイマー型認知症を患ったのは今から 22 年前、71 歳の時です。当時、自身は小学 5 年生
でした。
おばあちゃん子であった私は、幼ながらに「認知症」という病気と立ち向かい、悩み、その後祖母が亡くなるまでの
16 年間を共に過ごしました。長い介護生活において、祖母自身が最も苦しい思いをしたに違いありませんが、私
を含めた家族にとっても先の見えない、終わりの見えない闘いの日々をもたらしました。それはまるで暗い渦の中に
引き込まれたかのように、想像を絶するほどのものでした。幼い頃、私を大切に愛してくれた祖母に対する愛情と
感謝の思いは今も決して忘れることはありません。振り返ってみると、こうした気持ちと認知症介護の苦しい現実
の間に揺れ動かされていたのでしょう。
認知症高齢者の周囲には、多くの場合、このような同居家族の葛藤や苦しみが存在しています。今、私たち介
護職員には何ができるのでしょうか。家族と共に『認知症介護』に携わっていくには、一体どうしたら良いのでしょう
か。
【認知症と家族】
私の祖母は、自分に厳しく、人に優しい性格で、いつでも元気はつらつとしていました。しかし、認知症発症とと
もに、まるで別人になったかのように感情の起伏が激しくなりました。新聞紙や広告を集めはじめ、金を隣人に盗ら
れたと訴え、外へ出かけては道に迷うようになりました。実娘の名前や顔も忘れてしまいました。さらには、火を点け
たままにして鍋を焦がし、得意だったはずのうどんや漬物作りですらも、手順を間違え、糠を腐らせるようになりまし
た。孫の私にとっても、その異変は強く印象に残っています。今でも鮮明に思い出される数々の出来事に、胸が締
め付けられる思いです。当時、最も懇親的に介護を続けていた母は、絶望の淵に立たされ、憔悴しきっていたよう
に見えました。
その祖母が亡くなり、思うことは、「私は祖母に何かしてあげられたのか」、「ほんの少しでも認知症を正しく理解し
ていれば」という後悔です。これらは、認知症と闘い続けた日々には見えなかったことです。介護をしていると、日々
の生活や対応に追われ、認知症の勉強はおろか、その実態すらよくわからないままに毎日が過ぎ去っていきます。
そんなとき、生活のプランや祖母への適切な接し方について、「こうしてみたら」、「ああしてみたら」という冷静で客
観的な助言がもしあったなら、目の前が少しでも開けたのではないかと思います。認知症高齢者をケアする家族
は、自覚のあるなしにかかわらず、いつでもそのような手助けを必要としているのではないでしょうか。介護職員=
現在の私は、こうした状況に置かれている同居家族にとって、信頼できる“道しるべ”となり、真摯に耳を傾け、客
観的に助言し続けることこそがの使命の一つであると実感しています。
【家族の認識における問題】
昨今、介護者目線だけでなく、認知症高齢者の目線が重んじられるようになったことは、認知症介護の現場に
とって大きな進展です。しかし、必ずしも、同居家族の目線まで熟慮されているとは言い難い現状があります。
(※ここで言う家族目線とは、「家族主体」で考えるべき、という意味ではなく、あくまでも、家族の状況や捉え方
に対する積極的な理解、そして適切な助言と情報共有のあり方を指しています。)それでは、一般的に、家庭
での介護に携わる同居家族は「認知症」をどのように受け止めているのでしょうか。
四大認知症として大別される認知症ですが、実際にはその性質は多様を極めています。一人一人について、
症状が異なっており、個々の症例に対して適切な対応が必要となります。このことは、例えば、保育園で保育士
が園児一人ひとりの個性に合わせて個別に接している様子とよく似ています。また、認知症特定の行動を示す
「徘徊」、「帰宅願望」、「物取られ妄想」、「収集癖」、「問題行動」といった言葉 があります。ただしこれらは、認
知症症状に限ったことではなく、程度に差はあるとしても、私たちを含め、誰もが保有する「個性」や「感情」である
との見方から、今や死語になりつつあります。常に何人もの認知症高齢者と接している介護職員にとって、これら
の認識はごく当たり前のことであるかもしれません。
しかしながら、多くの場合、家族の認識には“ずれ”があります。少ない情報量と、日々の対応への忙しさに追わ
れる中で、とかく、認知症症状をパターン化、単純化して捉えがちなのです。こうした捉え方が落とし穴になってい
るケースは多く見受けられます。家族にとって過度の期待、あるいは想定外の行動への動揺や誤解を招き、それ
らは当人も自覚しないうちに憔悴、絶望の闇へと陥れる危険性を持っています。施設と家庭での認識の差が広
がるほど、そのような負のスパイラルはますます加速していきます。言うまでもなく、認知症高齢者本人が全うすべき
人生も迷走してしまうことになるのです。
【介護職員と家族】
ここで、私の勤務先である小規模多機能型居宅介護施設での実例から、介護職員と家族の関係を見てみま
しょう。
(K・C さん)
(S・H さん)
いずれの事例も、介護現場と家庭との『認識や方向性の共有』がポイントとなっています。介護職員は常に、認
知症高齢者当人とその家族という両側面に立ってケアに従事しなければ、適切な対応ができないのです。
【考察】
2015 年には高齢化率が 26%を超え、世界一の超高齢社会を歩み続ける我が国において、これに伴って急
増の一途をたどる認知症高齢者のケアについても、今や誰もが真剣に向き合い、取り組むべき社会的課題となっ
ています。認知症高齢者を取り巻く環境には、大きく分けて、施設、家庭、地域社会などがありますが、一般的
に、認知症は当人の日常生活全てに影響し、影響されるものであり、これらの環境因子は一体のものでなくては
なりません。その中で、介護職員は、認知症高齢者の家族の負担を軽減することが求められますが、同居家族
に時間的余裕を提供することにとどまらず、家庭でのケアに関する頼れる相談役として、家族の抱える精神的な
不安や負担を取り除くという重要な役割を担っていることを再認識していただければと思います。繰り返しになりま
すが、介護の現場と家庭とが互いに情報共有を図り、可能な限り共通の認識と方向性を持ってケアに取り組む
ことが不可欠です。家族目線を常に忘れることなく、声なき声を伝え続けることで、本当の意味での地域包括ケ
アを推進することが、今、私たちには求められているのではないでしょうか。
以上