大らかに受けとめる心を

最 優 秀 賞
(中央大会奨励賞)
大らかに受けとめる心を
深谷市立深谷中学校
三年 高 田 愛
私の知り合いに、ある女性がいる。私の家とその女性の家は、歩いて五分もかからない。彼女は自宅
も兼ねた仕事場でマッサージの施術師をしているため、たいてい家にいる。一人暮らしなので、行く前に
連絡さえすれば、いつでも気軽に遊びに行ける。部活動が忙しかった一・二年の時も、塾がほとんど毎日
ある今も、私は気分転換がてらにちょくちょく訪ねている。隣の若いお母さんや、昔からお世話になっ
ているおじさん、近くの八百屋のおばさんたちと、何ら変わりはない。ただ一つ、
「中国人」だというこ
とを除けば。
私は曽祖父が中国人だし、祖父母の家が中華料理店だったので、中国が「外国」という感覚はない。
実際に中国に行ったことはないけれど、私にとって中国は身近な存在であり、それを変だとも、嫌だと
も思ったことはない。しかし、私みたいな境遇でないごく一般の人たちは、そうではないらしい。
日本に来たばかりの頃、勇気を出して道をきいたら無視されたこと。
レジにいる店員さんに、前に並んでいた人とは明らかに違う、そっけない対応をされたこと。
道を歩いていたら、知らない人から「中国人は中国に帰れよ」と怒鳴られたこと。
彼女は他人の悪口を言うような人ではないし、ポジティブで明るい性格だから、話が暗くなると「もう、
こんな話は嫌!暗いのヤダよー!明るい話にしよう!」と話題を変えることが多い。でも、
ふとした時に、
そういった出来事をつぶやいていることがある。最近知ったことだが、彼女が来日したのは、中国での反
日デモが激化していた時期だったらしい。心ない言葉をかけられ、開業したばかりなのにお客さんも少
なく、苦しかったのだろう。私は不思議でならなかった。どうして彼女が、そんな目に遭わなければな
らなかったのか。面白くて優しくて、素直で謙虚で、日本語の勉強を毎日欠かさず続けるほど努力家な
彼女が、なぜそんな嫌がらせを受けなければならないのか。
以前、父が言っていたことがある。
「反日デモをおこしている人たちは、ほんの一部だ。中国は広いのに、その一部の人たちだけで中国を
『こういう国だ』って言いきるのは良くない。それに、
反日デモをおこしている人たちは自分の意見を言っ
ているだけだ。個人の主張は自由だし、日本にアメリカが好きな人とそうじゃない人がいるのと一緒さ」
その通りだと思う。日本にもいろいろな人がいるように、中国にもいろいろな人がいる。そして、ど
ちらの国にも、文化や習慣、常識がある。それは違って当然だ。日本人が、中国の人がはっきりものを
言うのを「遠慮がない」というのも、
中国の人が、
日本人が笑ってごまかすのを「ひきょうだ」というのも、
結局同じだ。他の人の考え方を勝手に自分のものさしで測ったら、それこそ失礼だと思う。私だってそ
んなことされたら嫌だ。
グローバル化が進む今、
自分の考えを『持つ』だけでなく、『発信』する力が求められている。それに加え、
自分以外の他から発信された考えを『受信』することも必要だ。私は、
この『受信』が特に大切だと思う。
違う言語、違う文化の中でうまれた考えを理解するのは努力が要る。だからこそ相手の国の文化や習慣、
常識を知り、おおらかに受け入れることが今の私たちに必要なのではないだろうか。
最初に紹介した中国人の女性のように、私たちの周りに外国人は増えつつある。これからはもっと増
えていくだろう。彼らが、日本のどこにいようと、自分らしさを発信でき、私たちが拒否することなく
受信し、また私たちも発信する。お互いがお互いを尊重しあい、認めあうのが日常になり、やがて自然
になるといいな、と思っている。私も、自分の考えを持つだけでなく、学校でも日常生活でも、外国や
異文化のことを学び、受信するおおらかさと発信する自信をつけていきたい。
私は、彼女に「偏見」や「差別」といった日本語を知ってほしくない。でも、もし知ってしまったら、
こう言いたい。
「偏見や差別なんて、気にすることないよ」