【震災当日】 ●低層ビルのマンションで被災 全国でも珍しい 11 階建ての高層ビルと 2~3 階の低層ビルからなる複合マンションに住ん でいます。私は低層マンションのほうに住んでいるのですが、当時から 160 人ほどで構成 する団地の防災隊長を務めています。 地震に見舞われたのは、外出先から帰り、ちょうどくつろごうとしているときでした。ド ンと大きな揺れがきて、まずは妻にドアを開けるように指示。私はお風呂場へ飛んでいっ て水で浴槽を満杯にしました。 ●マンションの防災隊長として出動 あまりにも揺れが大きかったので、しばらくしてから管理組合の集会所へ自治会長に会い に行きました。というのも、震度 5 以上の地震があった場合は、ただちに対策本部を立ち 上げることが防災規定で決まっていたからです。当日は夜の 10 時頃まで、翌日も朝早くか ら夜遅くまでといったように、震災以後 3 日間は対応に追われ、寝る時間もないほどでし た。 ほとんどの住民は都内へ通勤していて、日中マンション内にいるのは高齢者か子供ばかり です。人的被害があってはまずいと思い、まずは手分けをして住民の安否確認を行いまし た。当時マンションには 789 世帯が住んでいたのですが、電話も通じないため、民生委員 なども動員したのですが、全員の安否確認までに夜 10 時までかかりました。 たまたま外出中で、地震のあとに戻ってきた住民のなかには、怖くて家には戻りたくない という人たちもいました。そういう方たちには備蓄してあった古毛布などを貸出し、少し 落ち着くまで近くの公園に避難させました。 ●夜遅くまでさまざまな対応に追われる マンションの建物自体に異常はなかったのですが、余震が来た時に地面に段差ができ、瞬 く間に液状化の黒い水が湧き出してきました。あとになって低層階に比べ、6 階以上の揺れ がかなり激しかったことがわかりました。我が家はほとんど被害もなかったので、妻を家 の中に残したまま、ずっと対応に追われていましたね。 自治会、管理組合、防災隊の役員のなかにはいろいろな職業の人がいて、彼らの専門知識 や技術が本当に役に立ちました。震災時には、改めて人脈の広さがいかに重要であること かを感じました。 断水していましたが排水管に問題がなければトイレは使えるので、中学生や高校生を動員 して、庭の池の水を高齢者宅に運んでもらったりもしました。駐車場のスロープにひび割 れができてしまったのですが、その応急処置にも追われました。
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