Economic Indicators 定例経済指標レポート

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Asia Trends
マクロ経済分析レポート
トランプの「呪縛」に嵌りつつあるベトナム
~米中関係、TPP、保護主義の台頭は、自助努力の誘因低下に繋がる懸念~
発表日:2017年1月6日(金)
第一生命経済研究所 経済調査部
担当 主席エコノミスト 西濵
徹(03-5221-4522)
(要旨)
 足下の世界経済は米国の景気拡大や中国の減速懸念後退などで底入れが進むなか、輸出依存度が高いアジ
ア新興国も外需主導で景気が底打ちしている。ベトナムの昨年の経済成長率は前年比+6.21%に減速した
が、年末にかけて改善が進んでいる。他方、米大統領選でのトランプ氏勝利を受けた資金流出の動きは通
貨安や金利上昇を招き、内需の下押し圧力となる懸念がある。また、トランプ次期政権の対中政策の行方
如何ではアジア内で対中依存度が相対的に高いベトナムに玉突き的に悪影響が及ぶリスクもある。
 また、トランプ氏によるTPP脱退表明はその影響を最も享受するとみられたベトナムに打撃を与える可
能性もある。政府はTPP加盟をてこに様々な改革を前進させる姿勢をみせてきたが、この頓挫は改革の
誘因を失わせる可能性がある。国営企業改革も後ろ倒ししており、銀行の不良債権処理も前進しないな
か、景気減速が不良債権増大に繋がるリスクもくすぶる。新指導部は前政権に比べて改革への前向き度に
乏しいなか、構造問題が経済の足かせとなるリスクもあり、これまで以上に自助努力が不可欠である。
 世界経済を巡っては、米国をはじめとする先進国を中心に景気底入れの動きが続いている上、昨年半ば以降は
減速が懸念されてきた中国経済がインフラを中心とする公共投資の拡充などを背景に落ち着きを取り戻すなか、
緩やかな回復軌道を進む様子がうかがえる。こうした動きは輸出依存度が相対的に高い新興国経済にとって追
い風となることが期待されるなか、多くのアジア新興国では過去数ヶ月に亘って輸出の伸びが大きく加速する
といった動きに繋がっている。特に、アジアの新興国に
図 1 実質 GDP 成長率(前年同期比)の推移
ついてはここ数年、中国の高い経済成長を背景に中国経
済に対する依存度を高める傾向が強まってきたことから、
中国の景気減速懸念は各国景気の重石となるとともに新
興国を巡る「バブル」的な熱狂は大きく後退してきた。
近年、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)などの
材料も追い風に旺盛な対内直接投資の流入が続いてきた
ベトナムにおいても、その輸出依存度や中国経済との連
動性の大きさなどが足かせとなり、昨年の経済成長率は
+6.21%と一昨年(同+6.68%)から減速するなど勢い
(出所)CEIC より作成, 4-6月期以降の数字は当社試算
図 2 日経製造業 PMI の推移
が鈍化している。ただし、昨年の成長率が鈍化した背景
には中国の景気減速懸念に足を引っ張られる形で年前半
の成長率が下押しされたことが大きく影響したものの
(詳細は昨年7月 20 日付レポート「期待を集めるベト
ナムに「ブレーキ」のリスク」をご参照下さい)、その
後のベトナム景気には底打ちの動きがうかがえるなど状
況は改善している。事実、10-12 月期の実質GDP成長
(出所)Markit より第一生命経済研究所作成
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判
断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一
生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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率は前年同期比+6.83%に加速しており、年後半にかけて同国景気は当面の最悪期を抜け出すとともに、回復
感を増すなど状況は大きく好転している。その背景には、最大の輸出先である米国経済が堅調な拡大を続けて
いるほか、米国に次ぐ輸出先であるEUについても様々な不透明感は残るものの比較的底堅い景気拡大を続け
ていること、さらに、中国の景気減速懸念の後退に伴う輸入拡大の動きを追い風に、輸出依存度が極めて高い
ベトナム経済にとって輸出機会が拡大したことが大きいとみられる。こうした動きを反映して足下の鉱工業生
産の伸びは緩やかに加速して製造業を中心に景況感の改善基調が強まるなか、引き続き堅調な対内直接投資の
流入が続いていることも企業部門の設備投資需要の押し上げに繋がるなど景気の押し上げを促している。他方、
ベトナム経済は個人消費を中心とする内需への依存度もアジア新興国のなかでは比較的高いなか、ここ数年は
インフレ率の低下が個人消費の押し上げに繋がるなどの好循環に繋がってきたものの、昨年は徐々にインフレ
率が加速するなど物価上昇圧力が高まる動きが出ており、結果的に個人消費への下押しが懸念されている。ま
た、昨年 11 月の米大統領選でのトランプ氏の勝利を受け、金融市場ではトランプ次期政権による政策運営の
影響で米ドル高が進むなかで新興国からの資金流出が促された結果、ベトナム国内でも金利上昇圧力が強まる
などの動きが出ており、耐久消費財需要などに悪影響が及ぶ可能性も懸念される。米ドル高圧力に伴う通貨ド
ン安の進行は輸入インフレ圧力を通じて物価の押し上げに繋がる可能性もあるなか、昨年後半にかけて回復基
調を強めてきたベトナム経済の先行きについては世界経済の動向が左右する展開が予想される。なお、米国に
ついてはトランプ次期政権による巨額の減税やインフラ投資をはじめとする景気押し上げが期待されるほか、
中国でも引き続き公共投資や減税策などによる景気下支
図 3 アジア新興国の対中依存度の比較
えが続くと見込まれる一方、EUでは政治イベントが相
次ぐなかで実体経済にも悪影響が及ぶリスクがくすぶる。
また、トランプ次期政権では保護主義的な姿勢を前面に
押し出すことも懸念されており、アジア新興国のなかで
相対的に米国経済に対する依存度が高いベトナム経済に
とっては「向かい風」となる可能性はある。とはいえ、
ベトナムの米国向け輸出は衣類や靴をはじめとする軽工
業品が多くを占めていることを勘案すれば、米国がこれ
(出所)CEIC より第一生命経済研究所作成, 左から依存度大の順
らの輸入を抑制することで米国内での生産増大を図る可能性は高くないと見込まれる。他方、ベトナムにとっ
て危惧すべきはトランプ次期政権の対中戦略の影響で「玉突き」的に中国向け輸出に悪影響が及ぶことであり、
現時点においてはその蓋然性は低くないと見込まれる。その意味において、当面のベトナム経済の行方は米国、
つまりトランプ次期政権による政策運営に左右される状況にあると捉えることが出来よう。
 一方、トランプ次期政権の誕生によりベトナム経
図 4 アジア太平洋地域におけるメガ FTA の枠組
済が最も影響を受ける可能性が指摘されるのは、
同政権がTPPからの脱退を示唆していることで
あろう。TPPが頓挫することについては、現時
点において協定そのものが発効していないことか
ら、その影響は限定的との見方がある一方、ベト
ナムにおいては国内外からTPP加盟国のなかで
最もその利益を享受し得るとの指摘がなされてき
(出所)各種報道などより第一生命経済研究所作成
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判
断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一
生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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たこともあり、その結果として対内直接投資の受け入れに繋がってきた面は否めない。特に、ベトナムは一昨
年末に発足したASEAN経済共同体(AEC)とTPPの双方に加盟する国のうち、人口規模が最も多い一
方で1人当たりGDPが最も低いことから、域内における「生産拠点」としての魅力が高いと見做されてきた。
AECについては発足から1年が経つが、実態として何かが大きく変化したという訳ではないものの、様々な
分野で 2025 年を目標とする「統合」に向けた準備が緩やかながら前進しており、先行きについても域外から
期待するようなスピード感には乏しいものの漸進的に改革が進むと見込まれる。他方、TPPの発足はTPP
に加盟していないASEAN加盟国(タイやインドネシアなど)にとってTPP加盟国から「取り残される」
リスクを意識させることにより反ってAECに対する求心力に繋がっているとの見方もあったため、この頓挫
はAECの求心力の低下を招く可能性もある。ASEANそのものが瓦解する可能性は極めて低く、今後も
10 ヶ国が一体となって動く方向性は変わらないと見込まれるものの、少なくともAECが目標とする統合プ
ロセスの実現に向けた各国の改革意欲などは大幅な後退を余儀なくされるとみられる。また、ベトナム自身に
ついてもTPP加盟を契機に長年の課題となっている国有企業改革をはじめとする様々な構造改革にまい進す
るとみられており、同国政府もビールや保険、情報通信をはじめとする幅広い分野で株式上場を通じて外国資
本を導入し、実態としての改革を前進させる方針を示してきた。現時点において、先月に国営ビール会社の上
場が行われたほか、今月にも国営航空会社も上場するなど進捗はみられるものの、当初想定されていたスケジ
ュールに比べて全体的に後ろ倒しされており、今後の動向についても株式市場を取り巻く環境に大きく依存し
ている。同国金融市場は極めて閉鎖的な環境にあることから、国際金融市場の動向に左右されにくいとみられ
るものの、このところの新興国からの資金流出圧力の高まりに際しては国内金利に上昇圧力が掛かるなど無関
係ではいられない。したがって、先行きも米ドル高基調が続くことで資金流出懸念がくすぶる事態となれば、
結果的に株式市場を取り巻く環境が悪化することも懸念され、国有企業の上場そのものが頓挫してしまう可能
性も考えられる。今後の国有企業改革の行方については、政府の取り組み姿勢とともに株式市場をはじめとす
る環境も大きく左右することが予想される。また、ベトナムの経済成長の足かせとなってきた要因に国有銀行
による不良債権問題を挙げることが出来るが、当該問題については 2013 年に政府が立ち上げたベトナム資産
管理会社(VAMC)が業務開始とともに国有銀行から総額 211 兆ドンもの不良債権を簿外に外したことで、
表面上は不良債権比率が大幅に低下するなどの成果を挙げた。その後もVAMCは継続して不良債権の簿外処
理を行っている一方、当該債権に対する再編や売却といった処理はなかなか進んでおらず、回収率は依然とし
て 15%程度に留まっている。さらに、当該処理ではVAMC自身が当該債権を直接買い取る仕組みとはなっ
ておらず、不良債権に伴うリスクを国有銀行が背負う状況は変わっていない。また、年明けに改定された新民
法の下でも引き続き資産保有者が抵当資産に対する引き
図 5 対内直接投資流入額の推移
渡しを拒否した場合、銀行が資産を差し押さえることが
出来ないなど、法的手段に訴えざるを得ないなど最終的
な債権回収に時間を要する状況は変わっておらず、3年
半近く経ったにも拘らず事態が好転しているとは言いが
たい。なお、当局は昨年 11 月末時点における銀行セク
ターの不良債権比率が 2.46%に低下したと発表してい
るものの、この背景には不良債権が拡大する引き金とな
った不動産セクターの底打ちや景気底入れなどが影響し
(出所)CEIC より第一生命経済研究所作成, 2016 年は第3四半期迄
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判
断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一
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ているほか、銀行セクターによる融資拡大の動きが活発化したことで「分母」が拡大しただけとの見方もある。
結果、銀行セクター全体では潜在的に不良債権化する恐れのある貸し倒れ懸念が大きい債権が増加していると
みられており、見た目ほどに健全化が進んでいない可能性も考えられる。TPPへの加盟及びその発効は、否
でも不良債権処理をはじめとする銀行セクター改革を後押しするとみられていたことを勘案すれば、この「タ
ガ」が外れたことは相当の「痛み」を伴う改革の後退に繋がるとともに、問題解決の後ずれに繋がることは避
けられないと考えられる。金融市場においてはTPPの代わりにRCEP(東アジア地域包括的経済連携協定)
に対する求心力が高まるとの見方もある。現状におけるRCEPはASEANを軸にまとまるなかで今後は主
導権を中国が握る可能性も取り沙汰されているが、いずれにせよTPPが目指したルール作りを含めた高いレ
ベルでの合意に至ることはないとみられる上、TPPの頓挫がRCEPの推進力そのものを奪うことも危惧さ
れる。ベトナム政府を巡っては、今年1月の共産党大会を経て指導部人事が大幅に刷新され、ここ数年の改革
を主導してきたズン前首相が退任する代わりに「穏健派」が主流派を占める形となっている。この結果、国内
に様々な亀裂を招く恐れのある抜本的な改革が主導しにくくなっているとみられ、TPPの頓挫は改革が困難
になる「体のよい材料」とされる可能性も予想される。当面の景気については、世界経済の底入れが外需を通
じて景気を下支えする展開が続くと見込まれるものの、中長期的にみれば向こう数年のうちに人口動態の変化
による潜在成長率の低下も懸念されるなか、構造的な課題が経済成長の重石となることも考えられる。米国の
トランプ次期政権の動きが様々な形でベトナム経済に影響を与えることが予想される一方、その後を切り開く
ことが出来るか否かはベトナム自身の自助努力に掛かっていることは変わりないと言えよう。
以
上
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判
断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一
生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。