第54回中学生作文コンクール (公財) 生命保険文化センター

第54回中学生作文コンクール
優秀賞
東京都
創価中学校
目には見えない生活の支え
三学年
平野 絵理
私たちには、目には見えない生活の支えがあります。私は、生命保険という
ものに対して、一切興味を持っていませんでした。ですが五年前、生命保険の
大切さを知ることになったのです。
いつも通りに過ごしていたある日の夜、一緒に暮らしていた祖母が体調を
崩してしまい、急遽入院することになりました。あまりにも突然すぎることだった
た め、 動 揺 を 隠 さ ず に は い ら れ ま せ ん で し た。 そ の 後、 私 は 連 日 に わ た っ て 入 院
手続きなど様々な作業をしている両親を見ていました。両親の会話の中には、
「 お ば あ ち ゃ ん は、 介 護 保 険 と、 …… 保 険 に 入 っ て い る か ら、 こ ん な に お 金 が
か か る こ と は な い ね 。」
な ど と、 当 時 の 私 に は さ っ ぱ り わ か ら な い、 理 解 で き な い 会 話 が あ り ま し た。
今になって、その意味がわかるようになってきました。母から保険についての
話を聞いてみたり、社会の授業で学んでみたり、保険についてよく調べるよう
になりました。今の私たちの生活と保険の関係性や種類などを調べていくうち
に、自分自身にも深いつながりがあると知りました。そして母は、
「 あ の 時、 お ば あ ち ゃ ん が 保 険 に 入 っ て く れ て な か っ た ら、 私 た ち は い つ も の
生活はできていなかったんだよ。入ってくれていたから、私たちの生活は守ら
れ た 。」
と、話してくれました。祖母が入院したとき、目には見えないものではあった
け れ ど、 も し も の 備 え が あ っ た か ら、 生 活 の 支 え が あ っ た か ら、 私 も 母 も、
快 適 な 毎 日 を 送 る こ と が で き た の だ と 思 い ま し た。 こ の 体 験 を 通 し て、 私 は、
生 命 保 険 の〝 見 え な い 支 え 〟 が あ る か ら、 今 を 思 う 存 分 生 き る こ と が で き て い る
のだと気付きました。
私たちは今何も不自由なく、家族と、友人と毎日を過ごし、学ぶことができ
る 環 境 に い ま す 。 ど ん な 当 た り 前 の こ と で も 、そ れ は も の す ご く 尊 い こ と で す 。
私の安全と健康を思って私を保険に入れてくれた両親、生徒に安心して学校生
活 を 送 っ て ほ し い と の 思 い で 保 険 の 準 備 を し て く れ た 学 校。 こ の よ う に、 私 た ち
はたくさんの人に支えられて生きています。自分のためだけの自分ではありま
せ ん 。 私 た ち は 人 の 支 え に な る た め 、人 の 思 い に 応 え る た め の 一 人 ひ と り で す 。
こうして生きていることへの感謝を絶対に忘れてはいけないと私は思います。
東日本大震災のときも、家や家族、全ての物を失い、一つひとつ取り戻して
(公財) 生命保険文化センター
第54回中学生作文コンクール
きた人もたくさんいます。これも様々な保険があったから、今を生きている人
が多いのかもしれません。生命保険とは、生きることへの保険です。生きる
こ とへの切実な願いであり、精一杯生きている証です。
今 は 亡 き 祖 母 は、 最 後 の 最 後 ま で 生 き て く れ ま し た。 私 の 入 学 式 が 終 わ る の を
懸命に待っていてくれました。生命保険というものが、
私たち家族という
〝生命 〟を 、
〝 心 〟 を つ な い で く れ ま し た。 私 は、 今 で も 思 う こ と が あ り ま す。 目 に は 見 え
ない生活の支えがあるからこそ、私たちはたくさんの人とつながって生きて
い るんだと。
(公財) 生命保険文化センター