本文 - J

(一
)
子
寛
哉
めを し た のが 、 ﹃群 疑 論 ﹄ だ っ た の で はな いか 、 と いう こと
の中 国 浄 土 教 で取 り あげ ら れ て来 た多 く の問題 の 一応 のま と
の係 わ り に つ い て論 じ た 折 に も述 べ た の であ る が、 曇 鸞 以 来
た っ て述 べ た も のと し て、名 畑 応 順 氏 の ﹃迦 父 浄 土 論 の研 究 ﹄
そ のよ う な 中 で少 し 以 前 の稿 で は あ る が 、 比 較 的 全 体 に わ
者 の係 わり を全 体 的 な 視野 に立 っ て述 べ た稿 は極 め て少 な い。
片 的 に論 じ た 稿 は これ ま でに も 幾 つか 見 ら れ る。 し か し、 両
迦 父 の ﹃浄 土 論 ﹄ と懐 感 の ﹃群 疑 論 ﹄ の係 わ り に つい て断
﹃浄 土 論 ﹄ と ﹃群 疑 論 ﹄
であ る 。 し た が っ て 、本 稿 で取 り あ げ る迦 父 の ﹃浄 土 論 ﹄ と
(
論 孜篇) が あ る 。 そ の稿 に よ る と 、 両 者 の係 わ り に つ いて、
(ニ)
べき 点 で はな いか と 考 え ら れ る か ら であ る 。
題 に比 べ て、 中 国 浄 土 教 を考 え る上 で は常 に 意 識 し 、 留 意 す
疑 論 ﹄ の三 書 が共 通 し て取 り あ げ て いる 問題 は 、 そ の他 の問
し て みた い と考 え て いる 。 つまり 、 ﹃安 楽 集 ﹄・﹃浄 土 論 ﹄・﹃群
金
迦 戈 の ﹃浄 土 論 ﹄ と ﹃群 疑 論 ﹄ に つ い て
は じ め に
筆 者 は 以前 ﹃安 楽 集 ﹄ と懐 感 の ﹃群 疑 論 ﹄ に つい て論 じ た
(1 )
こ と が あ る 。 ﹃群 疑 論 ﹄ は 言 う ま でも な く 、 西 暦 七 〇 〇 年前
後 に 玄 の新 訳 経 論 の影 響 下 に著 わ さ れ 、 浄 土 教 に 対 す る
﹃群 疑 論 ﹄ と の係 わ り も、 ﹃
群 疑 論 ﹄ に取 り あげ ら れ た 問 題 の
お よ そ次 の よう に述 べ て い る。
種 々 の 疑問 に 答 え た 釈 疑 の書 であ る 。 ﹃安 楽 集 ﹄ と ﹃群 疑 論 ﹄
の目的 であ る。
持 つ意 義 を 考 え る為 の 一つ の視 点 と し た い、 と いう のが 本 稿
善導 の弟 子懐感 の釈浄土 群疑論には、本論 から受け た影響 が鯨程
顕著 にみら れるよう である。
ま た 、 ﹃安 楽 集 ﹄ と ﹃群 疑 論 ﹄ で共 通 し て取 り 挙 げ て いる
同論巻第 四に西方 と兜卒 と の優劣 を論ず る下 にいふ、
四三
教 義 上 の問 題 が、本 稿 に お け る迦 父 の ﹃浄 土論 ﹄と ﹃群 疑論 ﹄
平成 十 一年 三 月
の共 通 問 題 と ど のよ う に係 わ る のか と いう 点 に つい ても 検 討
印 度學 佛 教 學 研 究第 四 十七 巻 第 二号
553
子)
四四
と ﹃群 疑 論 ﹄ と の関連 事 項 は こ の図 表 を見 る こと に よ って 一
迦 戈 の ﹃浄 土 論 ﹄ と ﹃
群 疑 論 ﹄ に つい て (
金
此庭 之 優 劣 。 其 事 顕 然 。 有 識 威 知 。 謹労 更 問 。 然前 徳 已 有 二浄 土
応 把握 し 得 る ので はな い か と思 う 。尚 図 表 の上 の部 分 に付 し
日
十 方 .西 方 両 往 生 信 仰 に つい て
接 継 承 し た 公算 の大 き いも の と いう こと に な る 。
そ の他 の項 目 は ﹃群 疑 論 ﹄ が ﹃安 楽 集 ﹄ と ﹃浄 土 論 ﹄ から 直
に取 り あげ ざ るを得 な い重 要項 目 であ った と いう こと であ る 。
共 通 し た 問題 と いう こと にな る 。 つまり 三者 それ ぞ れ の時 期
の整 理 番 号 を記 入 され た 八 項 目 は 道 練 ・迦 戈 ・懐 感 の三者 に
論 ﹄ の係 わ り を 述 べ た 拙 稿 の整 理番 号 であ る。今 の図 表 で そ
(5 )
た ﹃安 楽 集 ﹄ の項 の番 号 は 、 前 述 し た 、 ﹃安 楽 集 ﹄ と ﹃群 疑
之論 一
。具 言 二優 劣 一
。無 二労 此 釈 一
。然 前 徳 所 レ製 。猶 有 レ
未 レ喩 。
この ﹁
浄 土 之 論 ﹂ と は 道 忠 の 探 要 記 巻 第 八 に 天 台 の十 疑 論 に当 た
る と いふ け れ ども 、 これ は そ の名 目 か ら 考 え ても 、 所 論 の内 容 か
ら 察 し ても 、 恐 ら く 本 論 を 指 す も のと 見 る の が適 当 であ ろ う 。
重 要 な る教 義 と し て は 、 懐 感 が 弥 陀 の身 土 を 論 じ て い る が、 大
燈 に 於 て 迦 戈 の説 を 承 け 、 更 に これ を 発 展 せ し め た も のな る こ と
ヨ に 注 目 さ せ ら れ る 。 即 ち 同 論 巻 第 一に仏 の身 土 を法 性 、 受 用 、 変
こ れ に配 し て いる が 、 弥 陀 の浄 土 に唯 他 受 用 と唯 変 化 と 通 二土 と
化 の三身 土 と し 、 受 用 に 自 受 用 と他 受 用 と を分 ち、 弥 陀 の浄 土 を
の 三釈 を 設 け、 通 二 土 と は 浄 土 は同 一庭 であ っ ても 、 各 々 自 心 に
ると 指 摘 し て い る。 し か し 、 名 畑 氏 の著 で は他 の箇 処 に 於 て
地 の中 ﹁
中 三 品 の第 三 説 ﹂等 が 皆 迦 戈 の説 と係 わ る も の であ
五 家 の中 第 十 の ﹁
開 遮 二 門 ﹂ の説 、 ﹁
愚 法 不 愚 法 ﹂、 九 品 の位
と 言 い、更 に ﹁三 界 摂 不 摂 ﹂、 ﹁
庭 不 退 ﹂、 ﹁
逆 諦 除 取 ﹂ の十
意 義 に つい て考 え な け れば な ら な い のであ る が、 既 に 見 た よ
一検 討 し 、両 者 の係 わ り の正 確 な 理 解 と そ れ ら の問題 の持 つ
て の検 討 が必 要 であ ろう 。本 来 な ら ば 、 取 り あげ た 各 項 を 遂
る が、 そ の内 容 が如 何 な るも の で あ った のか と いう 点 に つい
表 によ っ て、 一応 把 握 し 得 た の で は な いか と 思 わ れ る の であ
さ て、 ﹃浄 土 論 ﹄ と ﹃群 疑 論 ﹄ の係 わ り に つい て は 右 の図
も 両 者 の係 わ り に つ い て述 べ て いる ので、今 示 し た点 のみ で
う に、こ の項 目 の中 の幾 つか に つい て は名 畑 氏 の解 説 も あ り 、
随 っ て所 見 が異 な り 、 地 前 は 変 化 土 を見 、 地 上 は他 受 用 土 を 見 る
全 て尽 さ れ て い る訳 で は な い 。そ の意 味 でも 、今 の名 畑 氏 の
又① の通 報化 、 ⑥ の三 界 摂 不 摂 等 に つい ては 筆者 も他 の稿 に
と いふ 。 これ は 迦 戈 の通 報 化 の説 を 承 け て い るよ う に思 は れ る 。
指 示 も 含 め て、筆 者 の確 認 し得 た範 囲 で両 者 の係 わ り が あ る
お いて既 に論 じ た こと があ る の でそ れ に ゆず る。
れ る の で そ れら に ゆず る こ と と し 、 こ こ では 、道 紳 以来 各 師
ま た⑬ の別 時 意 、⑳ の西 方 兜 卒 に つ いて も種 々 の稿 が見 ら
(6)
ので は な いか と 思 わ れ る項 目 を 対 照表 に よ っ て図 示 す る な ら
ば 、 お よ そ次 のよ う にな る 。 (
次頁 の図表参 照)
こ の他 に も見 落 し た 事 項 が あ るか と 思 わ れ る が 、 ﹃浄 土 論 ﹄
554
迦戈 の ﹃
浄 土論 ﹄ と ﹃群 疑論 ﹄ に つい て (
金
子)
四五
555
迦 戈 の ﹃浄 土 論 ﹄ と ﹃
群 疑 論﹄ に つ い て (
金
子)
に よ っ て注 目 さ れ な が ら 名 畑 氏 の解 説 に も 取 り あ げ ら れ て い
な い⑲ の十 方 西 方 の問 題 に つい て検 討 し て み た いと 思う 。
迦 戈 の ﹃浄 土 論 ﹄ 巻 中 ﹁第 五 引 二聖 教 一
為 レ讃 ﹂ に次 のよ う
な文 が 見 ら れ る。
第 八 如 二往 生 経 云 一
普 広 菩 薩 摩 詞 薩 又 白 レ仏 言 、 世 尊、 十 方 仏 刹 浄 妙
と は 明 ら か で あ る。
四六
こ の十 方 浄 土 と 西 方浄 土 往 生 の問題 は前 述 し た 一覧 によ っ
ても解 る よ う に 、 既 に道 緯 の ﹃安 楽 集 ﹄ 巻 上 第 二 大 門 、 第 二
生
生
センヨリ
レ
二
一
十方浄土 不
スルニ西
ハ 方 二者 、問
中
上
西方 、 是 義 云何 .
如レ
帰
ト云 コトヲ
レ
十方浄国 不 願 帰
セ ント
二
破 異 見 邪 執 の第 八 番 問 答 に よ ると 次 のよ う に記 さ れ て いる 。
第 八 二校 下量 。トハ願
曰 、 或 ハ有 人 言 ク願
二
一
ルニ
ニ
二言 バク、世 尊 十 方 ,仏 土 皆 .レ為 厳 浄 ナリ、何
二有 レ三 、 何 。。者 、 一ニハ十 方 ノ仏 国 非 レ為
ント
二
ント
ニ
セ
レ
テ
レ中
ト
レ
テ
レ
二
一
答 曰 、 此 ,義 不 レ類 セ、 於
ジテ
レ
国土有 二
差別一
不 、仏 言 普 広 無 二差 別 一
也 、普 広 又 言 二
世尊一
何 故 経中 、
不 浄 一、 然 ルニ境 寛 ケ.ハ則 心 昧 ク、 境 狭 ケレハ則 意 専 ナリ、 是 故 二十 方 随 願 往
シテ
レ 仏
讃 下歎 阿弥 陀 刹 、七 宝 諸 樹 宮 殿 櫻 閣 、故 願 レ
生 者 皆 悉 随 二彼 心 中 所 亨
二
一
レ益 ヲ。
,ト、 是 ノ故 二讃
ト云コト獲
レ
ヲ
一
為
ヲ
一
ト
ヲ
一
別異 耳、若 能 依
ルノミ
二
テ
レ願
一レ
一
フ
二修 行 ス.ハ莫
と い い、 更 に ⇔弥 陀 の浄 土 は浄 土 の初 門 であ り 、日 娑 婆 は
不
稼 土 の終 庭 で あ るか ら 、境 次 相 い接 す の で往 生 し や す い のだ
シ
レ
二歎 スルコト彼 ノ国
。故 ソ諸 経 ,中 二偏 二歎 ジ テ
ヤ 生 也 、 仏 告 バ普
ク 広菩
国 勧 下往
ニ 西 方 阿弥 陀 ,
ニ
二
ト 生専志 有
薩 、 一切 衆 生 濁 乱 ノ者 ハ多 正 念 ノ者 ハ少 . 欲 レ令 ニン衆
在 アル
生経 二云 ク、普 広 菩 薩 白
欲、応 レ
念 而 至 上、 仏 告 二普 広 菩 薩 摩 詞 薩 、 汝 不 レ
解 二我 意 一
、娑婆世
界人多 二
貧濁一
信 向 者 小、 習 邪 者 多 、不 レ
信二
正法 一
不レ
能 レ専 レ心 乱無 二
志意 一
、 十 方 世 界 実 無 二差 別 一
、 令 下諸 衆 生 専 レ心 有 上レ在 、 是 故 讃 二嘆
彼国土 一
耳、諸往生者悉随 二
彼願一
無 レ不 レ
獲 レ果 、 釈 曰 依 二此 経 二 向
ア 専 想 二西 方 一
即往生也 。
る 。 こ こに 引 か れ た 経 の趣 旨 か ら す れば 釈 尊 が普 広 菩 薩 に 伝
と し て い る。
こ の文 中 の ﹃
往 生 経 ﹄ と は ﹃十 方 随 願 往 生 経 ﹄ の こと であ
え た の は諸 の往 生 人 の願 いに 従 っ て、十 方 世 界 の何 処 へでも
へり 随二心所願 一
往 二生十方 一
此章句真実之言、在二所生庭 一
常 見二十方微妙
十 方 浄 土 往 生 の信 仰 は 道緯 已前 に既 に ﹃
随 願往生経﹄ の
の理 由 を あ げ て 西 方 往 生 を勧 め て い る。
(9)
道緯 は こ の外 にも第 六 大門 第 一に十 方 西 方 比 校 の所 で 三 つ
(8 )
往 生 出 来 ると す る点 にあ る 。 ただ し、 娑 婆 世 界 の衆 生 は 濁 乱
の者 、 正 法 を 信 じ な い者 が多 い の で 、広 寛 な 十方 浄 土 の何 処
でも 良 いと 言 わ れ ても 境 域 が 広 す ぎ て 意 識 が 専 注 出 来 な いだ
ろ う か ら 、特 に 阿弥 陀仏 の極 楽 浄 土 を 取 り あげ て讃 歎 し た の
であ る 、 と いう こと にな る。
等 の説 に基 づ い て広 く流 布 し て いた の で はな いか と 考 え ら
浄土 一
れ て いる 。道 緯 が十 方 と西 方 と の問 題 を 取 り あ げ た のは そ れ
し か し 、迦 戈 が こ こ で こ の経 文 を 射 用 し た のは 今 の文 の末
尾に ﹁
依 二此 経 二 向 専 想 二西 方 一
即 往 生 也 ﹂ と あ る よ う に、 極
(11 )
楽 浄 土 往 生 を 証 明 す る 為 の証 拠 の文 と し て引 用 さ れ て いる こ
556
ヲ
一
界 外 二有
妙浄土 一
、 名 テ曰
テ
ニ
ら の事 を 前提 に し て初 め て考 え ら れ る の であ る 。
異 ナルコト也 、如 来 捨
願
無勝
フ
二
ス
レ生
、
一ラ如
ニノミ
一
ノ
一
生
メ玉 ハ
レ
コト
レ
セヨト
ニ
ヲ
一
、若
シ
西方極楽世界 無 有
レ
ニシテ
二
勧
シテ
レ
、安
二
一
二置 シテ此 ノ土
ス即 下 二言 ク、 妙 喜 世 界 於 二此 ノ
二
一
、 有 テ十 四 那 由 陀 ノ人 一
、発
二
シテ
二
妙喜世界
モ
耶 、乃至 諸 大 乗 経 二錐 説
浄
レ
セント者 、何 ヵ故 ソ釈 迦 如 来 不
ヲ
二
シ 生
彼 ノ浄 土 而
来 二生 シテ此 娑 婆 世 界 教
二
化 下衆
一
一
﹃
安 楽集 ﹄に お け る道 緯 の対 応 は 今示 し た 本文 に ゆず り 、今
但 是 レ浄 土ナルヲ以即 可
一
、
、 遠 ク接
ノ
一
往二
生 セヨト極 楽 世 界
セヨト文
玉 ンヤ
レ
こ こ で迦戈 と の係 わ り の上 で問 題 に な る のは 、道 緯 が 極 楽 往
二
自 ノ浄 土 唯
勧
一
ク ンハ
レ
生 を 勧 め る根 拠 と し て、 第 一の理 由 の中 に引 用 す る ﹃随 願 往
一
ム ル生
レ
シ
土 無 勧
ニ
ヲ
生 経 ﹄ の文 であ る 。既 に 指 =摘 さ れ て い る よう に、 道練 が 引 用
維摩詰
キ
ニ
當
ニ
生
レ
セ
生 彼
ニ 國
玉キ
レ
下ニ
レ
彼国 仏記
二
一
ヲ
一
二 二有 勧 機 少 トハ者 、 如
生
する ﹃
随 願 往 生 経 ﹄ の文 は 、 取 意 文 であ っ て、 西 方 阿 弥 陀仏
二
菩提心 願
一
セシカ バ
レ
二
一
テ
示 ニス諸 ノ大 衆 、仏 勧 大
二 衆 令
(12 )
ヲ
一
ント
二
国 への往 生 を 勧 め る文 と し て提 示 さ れ て い る の であ る。 ﹃随
願 往 生 経 ﹄ の本 来 の経 文 と し て は、多 少 文 字 の出 入 は あ る と
二
一
ス
一
セ
中
ルナリ勧
レ
玉ハ、
、
二
一
テ
レ舌
凡夫
シ
二
一切 衆
ンハ
二
ヲ
一
勧
、 故 二知 ヌ
ヲ
一
蝕 方 ノ浄 土
キ
三
、 三 ニハ彰
ヲ
一
シ
二造
依行
コト
二
コト
テ
之
レ
罪 一、 四 二
ス
一
ス
一
、 何 力
、諸 経 ハ既
本 ノ経 文 一同 シク讃 セリ、 依
シ
未
二 来
テ
二多
、 二 ニハ明
ヲ
一
ヲ謹 誠 シ、 五 ニハ有
一 ニハ顕
此 経 文 不 二周 悉 一
、 何 レヵ者 周 悉 ナル、 只 如 観 経 等 ,
中二
勧
シテ
ニ
妙 喜 ノ饒 益 詑 已 ヌ等 ノ言
二
一
ト 庭 、若 此 浄 土合
国土 所 レ応 キニ饒益 、其 事 詑 已 テ還 テ復 二ス本
メ
レ
玉 ハン
二
し ても 、 前述 し た 迦戈 の ﹃
浄 土 論 ﹄ の引 文 の方 が は る か に経
ヲ
一
未来衆生 令 生 妙喜
テ
二
カ
笹 機
縁一
故、所 以二
不
物 .往 生
西方
セヨト
ニ
ヲ
上而
三 二勧 文 不 具 ト者 、随 願 往 生 経 及 薬 師 経 等 二、錐 下標
﹁
二
而 モ言
テ
ヲ
生 悉 得 一レ生 コトヲ者 、 仏 何 故 ソ除 二
十 四 那 由 陀 ノ人 外
、如 来 童 二
不 下普 勧
一
迦 戈 が道 紳 の取 意 文 に依 ら ず に経 文 本 来 の文 を 用 い乍 ら 、
し か も 極楽 浄 土 往 生 の証 拠 と し てあ げ た のは、 ﹃随 願 往 生 経 ﹄
の本 文 を道 紳 の趣 意 文 のよ う に 読 み取 れ る と認 め、 そ れ に賛
意 を 示 し たも のと み る こ と が 出 来 よ う 。
生
ムト
中
ルカ
レ
ハ有 二
テ
十 方 ノ諸 仏 一
箭
ノミ
シ
難 可
依檬
レ
シ
レ
疑滞 一
故二
此 ノ西 方 浄 土 ノ
業 ハ
易 可
往 生 の立 場 か ら 主 張 さ れ た の であ るが 、 こ の問 題 も や はり 懐
有
コト
二
二
一
耶、
(13)
一句 爾 句 勧 生 ノ之 慮
テ
二
ヲ
広 多 ノ文 ﹁
句 而
就 ニン小 。経 文
一
テテ
二
件 ノ等 キ文 一、 唯 有
シ
レ
二修 学 スルニ無
十 方 西方 両 往 生 の信 仰 が道 紳 ・迦 戈 に よ って そ れぞ れ極 楽
二
、
上
文 に近 い の であ る 。
シテ
二
一 ト
四七
の経 文 の扱 い方 であ る。 最 初 の ﹃浬藥 経 ﹄ の説 は道 緯 ・迦 戈
いら れ た 、 ﹃浬 藥 経 ﹄、 ﹃維 摩 経 ﹄、 ﹃随 願 住 生 経 ﹄、 ﹃薬 師 経 ﹄
今 こ こ で留 意 す べき こと は西 方 極 楽 往 生 を主 張 す る 三釈 に 用
懐感 の十 方 浄 土 往生 に対 す る答 釈 は論 文 に ゆず る こと とし 、
故 ソ捨
シ
二前
感 の頃 に は、 道 紳 ・迦 戈 の時 期 と は少 し異 な る新 たな 要 素 が
諸 仏 .土 二一、 何 故 .今
シムル
二
二無
二一
Kド 、
二生 スルコト極 楽 世 界 耳
一
ムル,ト、 二 ニハ有 レ勧 機 少 シ三 ニハ
子)
55i
二ト
二リ
加 わ っ て論 じ ら れ て い る。 そ の説 を見 る と 次 のよう に な る 。
ヤ
レ往
一二有 レ説 無
シ
レ勧
問 曰 、十 方 浄 土 無 量 無 辺 ナリ、亦 有 勧 修 シテ生
者唯勧
繹 シ.
ア曰 、 此 二有 二三 釈 一、
迦 戈 の ﹃浄 土 論 ﹄ と ﹃
群 疑 論 ﹄ に つい て (
金
キ
テ
一二有 説 無 勧 トハ者 、 如 ニ
浬 藥経 二
云 ↓、 於 此 。リ西方 過 二
四 十 二恒 沙 ノ世
勧 文 不 レ具 ナ.
.、
三リ
迦 戈 の ﹃浄 土 論 ﹄ と ﹃
群 疑 論 ﹄ に つい て (
金
子)
の十 方往 生 の所 説 中 に は 見 ら れ な い初 め て の説 であ り 、ま た
第 二 釈 の ﹃維 摩 経 ﹄ の説 も第 一釈 と 同様 であ る。 し か し、 こ
の両 経 とも に要 点 の み で は あ る が 一応 経 文 を 提 示 し た 上 で論
シテ
二
ヲ 中
物 往 生 上ヲ而 此経 文 不 二周 悉 一
﹂ と言 っ
蝕 方 ノ浄 土 勧
一
を進 め て い る 。し か る に 第 三 釈 では ﹁
随願往生経及薬師経等
二、 錐
下標
て、 全 く 経 文 が提 示 さ れ て いな い ので あ る 。 これ は 一体 何 を
意味 す る の で あ ろう か 。
第 一釈 第 二釈 で ﹃浬 藥 経 ﹄と ﹃
維 摩 経 ﹄を取 り あげ た の は、
懐感 の頃 に は十 方 浄 土 と い っ ても 莫 然 と し た意 味 で用 い て い
た ので は な く 、十 方 浄 土 と は 具 体 的 に ど のよう な 浄 土 を 意 味
一一答 え る必 要 に迫 ら れ て来 た こと を 示 し て いる ので は な か
す る のか、 と いう 所 ま で立 ち 入 っ て議論 が 展開 さ れ 、 そ れ に
ろう か 。 そ し て第 三 釈 の ﹃随 願 往 生 経 ﹄ と ﹃
薬 師 経 ﹄ の経 文
が提 示 さ れ て いな い の は、 こ の経 が 当時 単 に広 く流 布 し て い
て提 示 す る 必要 が な か っ た と いう のみ でな く 、 迦 戈 の ﹃浄 土
論 ﹄ に お け る 両 経 の引 用 文 が 前 提 にさ れ て論 が 進 め ら れ て い
るのではなかろうか。
﹃随 願 往 生 経 ﹄ の文 は前 述 し た 通 り であり 、 ﹃薬 師 経 ﹄ も迦
戈 の ﹃浄 土 論 ﹄ で は ﹃随 願 往 生 経 ﹄ の次 に第 九 番 目 の 西 方往
生 を証 す る文 と し て引 用 さ れ て いる か ら であ る 。 た だ し 、懐
﹁
鯨 方 の浄 土 を 標 し て物 の往 生 を 勧 め る経 ﹂ と し て扱 わ れ て
ひと
感 の場 合 、 前 述 し た 文 に 見 る よ う に 、 こ の両 経 は 明 ら か に
いる の であ っ て、道 緯 ・
迦 戈 の見 方 と は少 し異 な る よう で あ る 。
四八
﹃
浄 全 ﹄ 六、 三 六 三 頁 。 拙稿 ﹃
群 疑 論 ﹄と ﹃
安楽 集﹄(
﹃
仏 教 論叢 ﹄三 九 号 、平 成 七 年 尾
﹃
浄全﹄六、六頁。
1
﹃
浄 全 ﹄ 六 、 六 五 〇 頁 。 月 刊 )。 註 1 の稿 。
8
﹃正 蔵 ﹄二 一、五 三 一頁 C。
﹃浄 全 ﹄ 一、 六 八 四 頁 下 ∼ 五
(22)無 上 功 徳 、 (23)念 仏 三昧 、
拙稿 ﹁
懐 感 の浄 土 観 ﹂ (﹃
浄土宗学 研究﹄四号、昭和四五年 三
白 業 、 (1
8) 菩薩 衆 生 救 済 、 (19
)溺 者 救 船 、 (20)弥 陀 父母 、 (21)弥 陀 入 滅 、
有 所 得 無 所得 、 (1
4) 十 方 四 方 、15
(余 方 往 生 少 、 (1
)
6)涅 槃 経 、 (1
7)黒 業
年 、 (9) 経 道 滅 尽 、 (10) 兜 卒 西 方、 (11) 大 願 業 力 、 (12
)愛 仏 愛 菩 提 、 13
)
(
浄 該 通 相 土 、 (5
)偽 作 法 句 経 、 (6
)別時意、(
7)発 菩 提 心 、 (8
)五五百
註 (1
) の拙 稿 に お け る 関 連 事 項 の内 容 と 番 号 を 示 す と 次 のよ う
に な る 。 (1
)浄 土 三 界 摂 不 、 (2) 道 安 の ﹁
浄 土論 ﹂、 (3
)有 相 無 相 、 (4)
昭和 三 〇年 三 月 刊 。
名 畑応 順 著 ﹃迦 戈 浄 土 論 の研 究 ﹄論 攷篇 、 一七 一∼ 四 頁 参 照 。
3
2
4
5
6
7
10
山本 仏 骨 著 ﹃道 綽 教 学 の研 究 ﹄ 三 一二頁 参 照。
﹃
浄 全 ﹄ 一、七 〇 二頁 参 照 。 頁上 。
﹃
正 蔵 ﹄ 二 一、 五 二 九 頁 C。
9
12
11
の こと と す る。 ﹃
正 蔵 ﹄ 二 一、 五 三 三 頁 b。
13 ﹃浄 全 ﹄六 、六 四頁 下 ∼ 五 頁 上 。 尚 引 文 中 の ﹃
薬師経﹄は名畑
氏 の説 に よ る と ﹃
潅 頂 経 ﹄巻 第 十 二 ﹃
潅頂抜除過罪生死得度経﹄
(
大正大学助教授)
<
キ ー ワー ド > 迦 戈 の浄 土 論 、群 疑 論 、 十方 浄 土 、 安 楽集 、道 綽 、
懐感
558