詳細はこちら - お墓のさんわ

仏教童話
赤い真珠
出
店
わたしもさんわで
建てました
日
別府市扇山
秦 雄二様
もたちは、長者の苦労も知
らずに、それをおもちゃの
ように扱いながら、「この
真珠はどこにあったんだろ
う」「僕の財布の中にあっ
たんだよ」「そうだね。こ
んなものは、台所のかめの
なかにだってあるよね」な
います。直接のお弟子であ
るアーナンダであっても、
すでにさとられた釈尊の穏
やかなお姿から、さとりに
至る道のりの凄まじい厳し
さを知るのは難しいことで
あったようです。この説話
を通して、釈尊がさとりを
私たちは、目の前にあるも
のや人が現在のすがたとなっ
た背景について、ついつい
見逃してしまいます。
仏法についても当たり前の
ように聞いてはいないでしょ
うか。「仏法聞き難し」と
いわれるように、仏法に出
が配膳してくれたから、私
がその焼き魚を食べること
が出来るわけです。
このようにいろいろな人が
走り回ったお陰によって食
べることが出来るので、
「ごちそうさま」と
言うわけです。「ごちそう
定、伝統芸能無形文化継承
団体)
熱心な社員の一人でもあり
上の写真の通り自ら舞い、
衣装、、道具、お面の修理
管理なども社員皆さんとと
もに行っています。お面に
ついては最初は修理だけで
120年以上続く岡倉神楽
社(浅草流神楽の流れをつ
ぐ神楽の団体)(大分市指
形状、魂抜きなどのお寺さ
んへの依頼などなど・・・
とても親切丁寧にアドバイ
スをしてくださり、不安無
くお墓の建て替えをするこ
とが出来、7月下旬に新し
いお墓が無事完成し、お盆
前にご先祖様をお迎えする
したが、今は自宅横にお面
製作工房まで建て、習いに
くる人も多くなりました。
工房の住所は、大分市光陽
台で、奥様と2人暮らし。
人
本
ん
さ
藤
内
は
の
う
舞
2016年4月に発生した
熊本・大分地震では、別府
市も震度6弱という大きな
事が出来ました。
このような立派なお墓を建
てていただき3年前に旅立っ
た父やご先祖様もきっと喜
んでくれている事と思いま
神楽の伝統芸能無形文化継
承者でもあり、お面の彫師
でもある内藤さんのご紹介
を
楽
神
揺れを観測しました。
我が家のお墓は昭和30年
代に建立された古いお墓と
いうこともあり、地震の揺
れで被害を受けていないか
と心配になり、早々に確認 す。日出店の広津さんや暑
に行ったところ、墓石は倒 い中でのお墓の工事をして
れ倒壊している状態でした。 いただいた方々など、本当
納骨堂には被害は無く、
にありがとうございました。
骨壷も破損しておらず、
骨壷が倒れ散らばった遺骨
森
町
店
も ご く 僅 か だ っ た の で す が、
お墓はほぼ全壊に近い状態
となっており建て替えが必
要となっていました。
数年前に母の実家のお墓を
建てた際にお世話になった、
さんわさんにお願いするこ
とになりました。
お墓の建て替えと言っても
分からない事が多かったの
ですが、お墓のプランや
持っていて、普通の白い真 どと会話をしています。そ 開かれるまでに、命がけの 遇えたことは、本当に希有 さまは、食事の由来に対す
珠はたくさん持っていたの んな無邪気な子どもたちを さまざまなご苦労があった なことです。釈尊が大きな る深い視点をもった言葉と
ですが、赤い真珠は持って 見た長者は、思わず微笑ん ことを知らされるとともに、ご苦労によって仏法を説き、いうことができます。
おらず、どうしても赤い真 だのでした。
「今だけのこと、表面だけのこ 先人のご苦労によって仏法 さらに深く「焼き魚」に思
珠が欲しくてたまりません このお話は、アーナンダが と、また一部分だけのこと」
か が今に伝わっている背景に いを馳せるならば、魚自身
でした。
釈尊に「釈尊は六年間の修 ら物事の背景を知ることの難 ついて、よくよく思いを馳 のいのち、また、その魚の
長者は、どうにかして赤い 行の後に悟られたというこ しさを教えられます。
せて味わわせていただきた 食べてきた多くのいのちに
真珠を手に入れようと考え とですが、ずいぶん簡単に 「南無阿弥陀仏」をただの
いものです。
気が付きます。
たのですが、それを手に入 さとりをひらかれたように 文字、ただの言葉にすぎな ・
れるまでには、命がけのさ 思えるのですが…」と問い いと受け止めることもある
「ごちそうさま」という
浄土真宗本願寺派
まざまな苦労がありました。 かけたことに対して、釈尊 かもしれません。しかし、 言葉があります。この「馳
総合研究所
赤い真珠貝を探すために雇 がアーナンダに説かれたお この六字の名号には、法蔵 走」という言葉には、「い
「法話の例題」より
われた漁師はサメと格闘し 話です。そしてこのお話を 菩薩が私たちを救おうとさ ろいろな人が走りまわって
たり、いったん赤い真珠を 説きおえたあとで釈尊はアー れるお心や修行の徳が全て できたもの」という意味が
手にした長者は、それをう ナンダにこうも語っておら ほどこされています。
あります。それに丁寧語の
らやむ友人たちに騙され、 れます。「今だけのこと、
名号のおいわれを聞くこと 「御」「様」が付いた言葉が
井戸に突き落とされて殺さ 表面だけのこと、また一部 によって、法蔵菩薩の五劫 「御馳走様」です。例えば
れそうになったりと。
分だけのことを見て、物事 の思惟や、兆載永劫の修行 「焼き魚」について考えて
やっとのことで長者は赤い を判断してはいけない」と。 などのご苦労を知り、「南
みますと、それは、漁師さ
真珠を自分のものにして、
無阿弥陀仏」は私たちを必 んが捕って、運送業者さん
家へ帰ることができました。 釈尊の開かれたさとりが ず救うという名のりであっ が運び、魚屋さんが売って、
赤い真珠を見た二人の子ど 「赤い真珠」に例えられて
たことに気付かされます。 調理人が調理し、店員さん
昔、あるところに大金持
ちの長者がいました。
長者は多くの宝物や宝石を
平成27年8月25日
さんわ便り
第152号
平成27年8月25日
さんわ便り
第152号