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2016 年度バリア・スタディーズ
各回授業の概要
第1回(4 月 8 日): オリエンテーション
第2回(4 月 15 日): 「バリア」の認識論(星加)
「バリアフリー」の手法や技術を探究する以前に、そこで解消の対象とされている「バリ
ア」というものについて、私たちはどれほどのことを理解しているだろうか?それは、障害
者や高齢者といった特定集団の人たちのみが経験するものではない。また、物理的な構造物
のような目に見えるものだけを指すものでもない。こうしたバリアの遍在性と多様性に気づ
くとき、バリアフリーはあるべき理想としての「答え」ではなく、その妥当性や適切性を論
じるべき「問い」の対象として見えてくる。
講義では、バリアを、「価値のある社会的活動への参加に当たって妨げとなる外的・社会
的要因」として暫定的に定義した上で、バリアをめぐる複雑な問いの様相を示すとともに、
異なる志向性を持つ 2 つのタイプのバリアフリー・アプローチの可能性について考える。
第3回(4 月 22 日): 社会現象としての障害(星加)
「障害/非障害」の線引きや、「障害」に対する特有の意味づけと位置づけは、なぜ、い
かにして生まれたのか?こうした「障害」をめぐる知の生産のありように迫ろうとするとき、
それが必要とされた社会的・文化的・制度的文脈と切り離して考えることはできない。
その意味で、障害を持って生きるという経験はもちろんのこと、障害概念そのものの構築も
また、すぐれて「社会的」な現象である。
講義では、近代社会の特質やその変遷と結びつける形で、近代的カテゴリーとしての障害
概念を輪郭づける。また、そうした新しい観点からの障害理解を促した「障害の社会モデル」
という認識枠組みを紹介し、その意義と可能性を考察する。
第4回(5 月 6 日): 障害をもつ人の〈語り〉(能智)
近年障害学において、
「障害」は実体というよりも社会的に構築されたものであるという、
社会構成主義的な考え方が主張されており、一定の広がりを見せつつある。しかしそれだけ
ではなく、障害をもつ人は社会的な構築に影響されながら、それぞれの経験のなかで自らの
「障害」を意味づけ続ける。本授業の全体のテーマである「バリア」に関しても同様である。
障害をもつ人の語りは、そういった「障害」や「バリア」についてその人のもつ意味を理解
するための手がかりであると同時に、語ることそれ自体が、その場で意味を生成する意味づ
けの行為でもある。
この講義では、事故や病気等で障害を持つようになった方々が、障害に対して、あるいは
障害をもつ自分に対してどのような意味を付与しているのかを考える機会を提供する。具体
的には、脳卒中などで脳に損傷を受け、その結果として失語症を中心とする高次機能障害を
呈するようになった個人の語りに注目する。授業のなかで、実際の語りを聴く場を設け、そ
の語りを検討しながら、失語症と失語症をもつ自己がどのように意味づけられているかを明
らかにしていきたい。そのなかで、彼らの内的視点からみた「バリア」について考察する。
第5回(5 月 20 日): 教育のバリアフリーと ICT 利用(近藤)
障害者の社会参加に関する権利保障の重要性が国際的な共通理解となりつつある現在,日本
でも 2012 年頃から,障害者の参加を前提としてこなかった教育制度を,多様なニーズのあ
る児童生徒・学生も適切な変更調整を受けた上で参加できる「インクルーシブ教育システム」
に拡張していく取り組みが行われてきている。障害のある児童生徒・学生では,読み書き計
算,聞くこと,話すこと,抽象的思考をまとめることなど,いくつかまたは特定の領域で
障害による機能制限が生じることがある。結果,例えば「全員が紙と鉛筆を使って参加する
こと」を前提とした環境には,そもそも障害児は参加できないというバリア(社会的障壁)
が生まれる。主に障害者差別解消法により,通常の学校場面でも,そうしたバリアを超えて
教育を通じた社会参加の機会を保障するために,「個別のニーズに基づいて,社会的障壁を
超えるため,特定の生徒に個別に異なる取り扱いを認める方策(≒合理的配慮)」を子ども
たちに提供することが求められている。他の生徒と同じ扱いという平等を目指すと,そもそ
も学びに参加するという機会の平等が得られないためである。
例えば,鉛筆で文字を書くことが極めて困難だが,キーボードを使った場合,流ちょうな
文章を書くことのできる生徒は,高校入試の学力試験を、キーボードを使って受験すること
ができるだろうか?印刷された教科書や試験問題を読むことが非常に難しいが,コンピュー
ターで音声読み上げすると内容を理解できる生徒は,同様にそれがセンター試験やその他の
入試,資格試験,採用試験で ICT 利用が認められるだろうか。
講義では,学生や生徒自身が ICT を用いて,小学校から大学まで,障害のある児童生徒・
学生の通常の教育場面への参加を保障する取り組み(DO-IT Japan)から得られた個別事例
を題材として,学校場面に存在するこれまでの教育システムとインクルーシブ教育システム
とのコンフリクトの実際と,今後の教育場面での支援や権利保証のあり方について議論する。
第6回(5 月 27 日): 脳の障害によって生じるバリア(野崎)
脳は、様々な感覚情報を処理・統合することによって外界を解釈する。ある脳部位が損傷・
障害を受けるということはその部位が担っている感覚情報が脳に届かなくなるというより
は、その情報処理そのものがごっそりと抜け落ちてしまうといった方が良い。例えば、アル
ツハイマー等により海馬の記憶機能が損なわれてしまった場合、記憶がなくなるのではなく、
記憶という概念そのものがなくなる、のである。そのため、脳の様々な部位が障害を受けた
場合、特異かつ一件不可解な症状が生じることがある。本講義では、こうした症例のいくつ
かを紹介するとともに、その理解を通じて明らかになった脳機能について解説する。
第7回(6 月 10 日): 障害のバリアを科学の力で克服する試み(野崎)
神経科学的な知見に基づいたリハビリテーション(ニューロリハビリテーション)により、
積極的に運動機能障害からの回復を目指していこうという機運が高まってきている。本講義
では、運動学習や機能回復過程で生じる脳の可塑的な変化について最新の知見を紹介する。
また、このような基礎的な知見に基づくリハビリテーションの実践的な取り組みを、脳から
の情報を読み取り機械やコンピューターを操作するブレインマシンインタフェイス(BMI)、
ブレインコンピュータインタフェイス(BCI)といった最新技術の話題も交えながら紹介す
る。
第8回(6 月 17 日): 3・11 の問題系と障害(仁平)
本授業の目的は、震災における被害のパターンを切り口として、日本社会における「バリア」
と「障害」の構造と背景を、社会学的に検討することである。災害は「平等」に人びとに襲
いかかるわけではなく、災害の被害は層によって濃淡が生まれる。一般に最もリスクが高い
のは、災害弱者(障害者、高齢者、外国人など)と呼ばれる人びとであるが、そこに重なり
つつ、経済的・社会的な障害=バリアによって、様々な層が「弱者」として構成されていく。
上記の知見が意味するのは、「弱者」や「障害者」は実体としてあるのではなく、社会構造
の相関物として構成されるということである。この視角に基づき、授業では、災害時に上記
の脆弱性を生み出す社会構造が、どのような経路で作られてきたのか概観する。
端的に言えば、これまでは「標準的な生」を狭く設定した上で、そこに入ったもののみが
分配と承認を得られるという非包摂的な社会であった。一方で非「標準」的とされる人は、
そこでは「障害者」「弱者」として例外的に処遇される。現在は「標準」の設定が困難にな
りつつあり、標準/非標準の境界が融解しつつある。それは様々な障害/非障害の境界の融
解(自閉症概念の変容、発達障害概念の登場、「解離」概念の希釈化、うつ概念の変容…)
とも共変関係にある。この中で、社会のユニバーサル化を勧めることは、規範論的にのみな
らず、合理性の観点からも意味があることである。当日は、以上の点について検討する。
第9回(6 月 24 日): 現代の暮らしを支える社会環境と心身の健康(東郷)
社会の24時間化により、生活の利便性が向上するとともに、人々の生活リズムは多様化し
てきている。一方で、心身の健康にとっては、そうした変化は望ましいとは限らない。
このことについて、現代社会で暮らす思春期の子どもと、24時間社会を支える交代制勤務
者を対象とした最近の研究結果とともに解説する。
第 10 回(7 月1日): 当事者研究の可能性(熊谷)
困難に直面したときに、人は「なぜ」と問う。この、なぜ、という問いは、困難に関する説
明や対処法を知ろうとする態度を表す。当事者研究とは、困難を抱えた障害者がその説明や
対処法を専門家に丸投げするのではなく、類似した困難をもつ他者とともに、みずから探求
しようとする実践である。2001 年に我が国で誕生した当事者研究は、はじめ、統合失調症
を持つ人々の自助の方法として注目を浴び、その後、薬物依存症、発達障害、脳性まひなど
へと広がりつつある。また近年は、障害や病気といった狭義の当事者だけでなく、家族、ホ
ームレス、支援者など、なんらかの困りごとを抱えた多様な人々が、みずから当事者研究を
はじめている。様々な学問領域との協働も進み、その学術的意義も注目されている。本授業
では、研究者と研究対象が一致する特異な質的研究ともいえる当事者研究を通じて、障害を
生きるということを深く理解することを目的とする。
第 11 回(7 月 8 日): LGBTQ とバリアフリーコンフリクト(石丸)
日本では 2003 年に性同一性障害者特例法が成立し,成人,独身で未成年の子がおらず,
性別適合手術を受けて生殖能力がなければ,戸籍の性別が変更できるようになった。現在ま
でに 6,000 人近くの人が戸籍性別を変更している。2015 年には文部科学省が「性同一性障
害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」という通知を出し,性別変更
のできない未成年者にもサポーティブに対応すべきとされた。
トランスジェンダーの人々にとって,実際はともかく理論上は,世間の理解と支持が進むと
ともにスムーズな生活が送れると考えられる。しかし,トイレ,更衣室,公衆浴場などにつ
いては,多数派との間に明確なコンフリクトが存在する。男性から女性への性同一性障害と
診断された経産省職員が,女子トイレ使用禁止などによる損害賠償を求める訴えを現在起こ
している。男性から女性への性同一性障害者が,女湯や女子トイレに入って通報・逮捕され
るケースもある。トイレ,更衣室,公衆浴場は,どのような理由で男女別になったのか。分
ける基準は,見た目なのか,戸籍なのか,性器なのか,性指向なのか。性犯罪の恐れが理由
であれば同性愛者についてはどう考えるべきか。このコンフリクトをどのように解決するこ
とができるか。以上のような問いについて授業で考えていきたい。
第 12 回(7 月 15 日): うつ病からの回復とバリアフリー(下山)
うつ病や自殺といった意欲低下の問題(=生きる力の喪失)が生じ、経済損失は 2.7兆円を
超える深刻な社会問題となっている。近年の急激な社会構造の変化により世代間で継承され
てきた価値が通用しなくなり、生きる意味を見失い、生きる力を育てられなくなっている。
いじめや犯罪等の社会的リスクを受けた結果、うつ病になる場合もある。うつ病通院患者は
100 万人を超えるが、治療を受けていない患者はその 4 倍以上とされる。
CBT の有効性は、うつ病の治療についても実証されているが、ここでも「心の問題を知ら
れるのは恥」との古い価値観が”心理社会的バリア”となり、専門家に助けを求めずに引き
こもってしまう例が後を絶たない。
心の問題を抱えながらも心理社会的バリアのために助けを求めず問題を悪化させる事態が
日本社会に内包された問題であり、その改善がメンタルケアの課題である。“生きる力”を
回復できない被災者や意欲低下の問題に悩む人々の多くは、援助要請をせずにインターネッ
トで情報を集めて個別に対処している。そこで本講義では、トラウマやうつ病の問題を抱え
た人々でもアクセスしやすいインターネットという媒体に着目し、治療効果が実証されてい
る CBT をコンピューター化し、インターネット上で自らのリスク体験に適切に対処できる
場を提供し、それを媒介として臨床心理士などの専門的サポートネットワークにつながるメ
ンタルケア・システムを構築し、生きる力の回復を幅広く支援する心理社会的サービスにつ
いて説明し、メンタルヘルス領域におけるバリアフリー活動を解説する。
第 13 回(7 月 22 日): 総括