バリアフリーの当事者性 東京大学大学院教育学研究科 附属バリアフリー教育開発研究センター専任講師 星加良司 本センターの中核的なミッションは、その名が示すとおり「バリアフリー教育」の「開発研究」を進め ることです。 「バリアフリー教育」という言葉には、誰もがアクセスできるように教育の内容や方法、環 境等を調整すること(教育のバリアフリー化)と、バリアフリーについての感受性や知見を持った人材 を育成するためのカリキュラムを構築すること(バリアフリーに関する教育)、という2つの含意があり ます。前者が、通常の教育システムから阻害されやすい人々(障害者や言語的マイノリティ等)を主に 念頭に置いたアプローチであるのに対して、後者は、この社会に生きるすべての人々を潜在的な対象と するアプローチです。 とりわけ、この後者の側面を重視していることは、本センターの特徴の1つだといえるでしょう。たと えば、東京大学の全学的なプログラムの一環である「学部横断型バリアフリー教育プログラム」の立案 と運営、初等・中等教育において共生の技法と作法を学ぶための実践的な授業の開発、社会の多様性に 開かれた企業文化の創出を狙いとする研修プログラムの開発。こうした活動はいずれも、社会のマジョ リティに対して、バリアフリー社会の実現に不可欠な学習の機会を提供しようとするものです。 では、社会のマジョリティ―通常こうした人々は「バリア」を経験していないものと考えられています ―がバリアフリーについて学ぶことに、どのような意味があるのでしょうか?一般によく言われるのは、 マイノリティの経験している「バリア」を他人事とせず、主体的にそれを解消するための取り組みを実 践できるようになること、といったところでしょうか。たしかに、そうした動機やそのために役に立つ 知識を得ることは重要です。しかし、マイノリティの経験を「他人事としない」―すなわちバリアフリ ーの問題に当事者性を持って関わる―こと、実はこれこそが大きなハードルであり、「バリアフリー教 育」が取り組むべき理論的・実践的な課題であるはずです。 この課題にアプローチする1つの鍵は、マジョリティ自身が自ら経験している(あるいはしていない) バリアについて、内省的に捉え返してみることです。自分が経験している困難はどのような外的・社会 的要因によって生まれているのか。自分が普段「バリア」を経験していないと感じるとしたら、それは なぜなのか。こうした問いを探究することを通じて、今自分が生きているこの社会が、誰にとって、ど のような意味で生きやすいものとして構築されているのかが見えてきます。そしてその「社会」は、自 分たちマジョリティが生きているものであると同時に、マイノリティと見なされる人々が生きているも のでもあるのです。このようにして、マイノリティの経験を自らの経験と文字通り地続きのものとして 捉えることができたとき、 「バリアフリー」は私たちすべてが共有する普遍的なテーマとして立ち現れる ことになるのだと思います。
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