中国人との昼食

中国人との昼食
三十代の時、一成(かずしげ)の中国に対しての意見はまだぼんやりして、纏まっ
ていなかった。日本と中国が違うように、日本人と中国人が違うだけと思った。しか
し、この日、チェンと言う中国人に会ったら、鏡に映ったように、自分が見られた。
チェンも知識の深めを目当てにして、広い視野が特長で、一番才能の高い執筆者等
からも、大胆な影響を受けていた。彼女も面白い本を買い、その本を読んで、得た知
識を省略した形で友達に伝える習慣が付き、それは一成とチェンの国籍と二十年間の
年齢差を超える繋がりとなった。
一成がチェンの家に着いた後、チェンに自分の「図書館」に連れて行かれ、案内し
てもらい、一成はその通り、チェンの夥(おびただ)しい蔵書を見る機会があった。
チェンが集めている本は、一成が読めない中国語で書かれても、本棚に並べた本の中
では、日本語の題名がある数冊があった。
その中では一成に一番目立つのは、日本人が書いた、日本人と中国人の関係を説明
するための絵本であった。その本の背景は半世紀前の中国の田舎で、武器と兵士の描
きも多かった。一成がその本のページを捲ったら、写真帳は絨毯に落ちた。
写真帳の写真は、田畑で働き、自分の食べ物を栽培している、違うとも言える中国
人を映している。特に、白黒の写真なので、一成は中国人の五十年前の生活を理想的
に想像した。
「その写真を撮った人はその本を書いた人だよ」、「だけど、その人はもう亡くな
ったので、私の仕事はその本を中国語に翻訳することとなった。」と、チェンは言っ
た後、一成はその人の本と写真帳をもう一度見たら、より強く感動させた。
チェンは昼御飯のために、料理をしている時に、一成に「この頃、何を読んでいる
のか」と聞いた。一成は「エンサイクロペディアを読んでいるよ」と答えたが、面白
いことに、チェンはその言葉を聞いたことがなかった。そして、一成はエンサイクロ
ペディアを説明した後、チェンは箆(へら)を置いて、居間から太い本を持ってきて
くれた。
その本に入った新聞記事は、現代では出版している新聞記事とは違う。なぜなら、
別の先入観で現実を直視したからである。例えば、一成は米国に興味があって、1945
年のページに捲り、その時代の新聞記者の目付きで書いた原子爆弾に関する新聞記事
を読んだが、現代ではその新聞記者の目付きは差別主義的だと言われる。
ところで、チェンが持ってきた本は 1900 年から毎年の一番人気な新聞記事だけが
入ったので、一成はもう一つの情報の処理し方、編集し方を発見した。その上に、一
成は広島と長崎の原子爆弾に関する話を始めて、それを話題としたが、その話は昼ご
飯の時に切られた。一成は隣室のダイニング・ルームに歩いて、チェンの母を待った。
人生の段階の中では、もう自分一人で歩くことができなく、歩行器で歩いているチ
ェンの母は虚弱体質の典型的な例であった。一成はチェンの母の歩き方を見て、老年
と若い時代の浪費を考えだした。チェンの母がダイニングルームに入って、食卓に座
ったら、一成の体の大きさと丈夫さが明らかになった。というのは、老年が一般に自
分の弱さを示すのは八十代頃で、一成は丈夫な三十代の男の人なのである。
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チェンの母は 84 歳で、歩行器で歩いている不自由を通じて、一成は老年の生活を
想像して、考え悩んだが、それは続くことよりも、そんなに大変なことではなかった。
一成を悩ませたのはこれである。
長い間、特に、子供時代には両親と一緒にディナー・パーティーに行ったら、義務
は全くなかった。しかし、一成は三十代に入ったら、他人の注目の的になったしまっ
た。それで、今回はチェンを落胆させないように、チェンが料理してくれた食事の全
部を食べなければならない義務があった。一成が一人で食べきれない分量なのに。
チェンが大量の食べ物を作ってくれて、一成は自分のダイエットをつぶした。仕方
がなく、出来るだけ色々な中華料理を、アイス・クリームでも食べてしまったが、コ
ーラが提供してくれたら、絶対にそれを断らなければならなかった。一成は歯の問題
があったからである。糖尿病にかかっても、コーラを飲んでいる人はチェンの母だけ
であった。
面白いことに、チェンの母はコーラを飲みながら、無視できないほどのげっぷをし
ていた。一成の家では、御飯の時にもげっぷ等の音が無礼であった。それで、一成は
げっぷが悪いと思っていた。それに、胃癌は胃の所では腫瘍が膨らみ、詰まりとして
胸焼けの典型的な症状を与えるので、一成はチェンの母が胃癌にかかったかなとも疑
問してしまった。
三人が昼食を済ませた後、まだ食卓で座っている時に、前ドアの方からどんどんと
の音が聞こえた。実は、一成はそれを聞いたら、非常に心配してきた。つまり、自分
にとっては一番難しいのは知らない人に会うことなので、社会的に見られることは彼
の中心で、訪ねてきた家主と話さなければならない怖さに覆われた。
家主は庭造りのために、来たそうである。その邪魔は食事の終わりを象徴して、チ
ェンの母は寝に行き、一成とチェンは、チェンのスカイプの言語学のチュートリアル
について話し続けた。そして、どうやら、話の話題は車のことに移した。
一成がチェンに車のことを教えている時に、電話が鳴き、チェンは電話に出てしま
った。その結果、チェンはカナダに住んでいる友人と長く話している間、一成は待た
なければならなかった。「ディナー・パーティーは二人以上の人と時間を過ごす機会
なのに、電話に出るなんて」と思ってきた。
一成の場合には歴史の時代の違いが重大になった時は、大学を卒業してからであろ
う。一成はもう歴史を読んでいないので、現代社会の初め、文芸復興・ルネサンスの
意味がまだ分からなかった。しかし、世界の歴史の本と中国の歴史の本がチェンの本
棚に並び、一成はその本を見て、二冊を抜き出し、一人の時間を利用した。
一成が読んでいる現代社会の歴史の本は時間の連続の発明・開発の「発見」を説明
していた。一成は歴史に関する本を読んで、現代社会の初めとルネサンスについて習
っている時、外では家主は妻と子供と一緒に庭の仕事をしていた。
家主が雑草に噴霧剤を吹きかけている間、彼の子供が庭を探検していた。一成は歴
史の本を読みながら、その家族を見て、子供のいる生活を想像した。結局、チェンが
電話で話している時間で、知識を広げたり、別人の生活を見たりした。
幸いなことに、家主が庭造りを済ませた後、ドアをノックした時、チェンはもう電
話を済ませた。彼女は家主と話して、そして、一成に戻った。しかし、車の話題に戻
る機会がなく、チェンは電話相手のカナダ人と自分の子供時代の歴史を説明し始め
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た。中国に生まれた本当の中国人なので、日本の市民ではなく、チェンの話は一成に
面白かった。
中国の文化改革を体験したチェンは、その時に自分の家族からお金を盗んだ人にす
ごく影響されたようである。一成はチェンの説明によって、断片で作られている知識
が固まり、チェンの履歴と中国の文化改革の重要さがもっとはっきりわかってきた。
チェンは中国の文化改革を説明して、一成は中国の歴史を習った。その後、チェン
は最近、ミスター・マックスと言う店で買ったプロジェクターを持って来て、箱から
取り出した。一成はそのプロジェクターの質を疑った。それを理論的に言えば、食べ
物から電気製品にかけて、顧客の意見が異なり、一成の頭とチェンの頭では、品質の
定義が異なった。
しかし、その定義の違いのせいで、一成は「それはいいね」や「すごい」などで、
チェンの買ったものは、自分の好きなものではなくても、礼儀正しい評価を与える優
しさが友人の義務なので、幸せに重点を置いて、軽い嘘をついた。と言うか、チェン
が「これはいいの」と聞いたら、一成ははっきりした答えをあげなかったとも言える。
チェンはそのプロジェクターを点けたら、一成の予想通り、小さい換気扇は騒がし
かったが、完全に評価出来る前に、チェンの母は居間に入って、チェンはプロジェク
ターを片づけなければならなかった。
三人は午後六時のニュースを見た。一成の方から見ると、テレビは超つまらないの
で、後三十分、「僕は家に帰るよ」とチェンに言った。
ちなみに、一成のために、茶箪笥においてあった中国のお菓子は一成の着きから出
発にかけて残った。一成はお菓子が好きな人でも、礼儀の考えではそれをとり、チェ
ンに「美味しそう。」と言って、お別れの挨拶をした。その中国のお菓子の材料をラ
イス・バブルに見立てれば、その中国のお菓子は日本のライス・バブル・バーに例え
られる。
要するに、似ている所に集中すれば、似ている所、違う所に集中すれば、違う所を
見つける。それで、一成が気付いたのは、中国と日本のお菓子でも違いはない。しか
し、その中国のお菓子も健康にいい食べ物ではないので、一成は車に乗った後、もう
一度、自分のダイエットを潰した。
ルーク・エリス作
2014 年
2016 年 8 月 2 日編集