ジェッダの旅行 「散歩でもして危険を冒せば、自信が付く」。西村颯真

ジェッダの旅行
「散歩でもして危険を冒せば、自信が付く」。西村颯真(にしむらそうま)はそう思
った。それでも、自宅に引き籠って何処へも行かなかった。
何処へも行かない理由は複雑であるが、簡単に言うと、颯真の軽い自閉症に因った。
颯真は、元々話上手で、暇な時間と余計なお金があっても、それが段々変わった。
かれこれ十年もの間の勉強のお蔭で、人と話す代わりに、昼となく夜となく、びし
びしアメリカの文献に耽った。その通り、颯真の読書の腕はぐんぐん上ったが、他方
から見ると、彼の口数は少なくなった。
そして、穴蔵生活をしたので、精神が変、考えが突飛に変わった。友人が一人しか
出来なく、古くからの方を失った。
さらに悪化させるのは、独りぼっちの生活はお金だけに頼るので、颯真の賭け意欲
が刺激された。颯真は、株と研究への関心を深め、毎日上場会社の株を取引した。
株の取引は、まともな仕事とも言えるが、しかし、日本の経済が相変わらず、下落
傾向を見せたから、低迷している株価で、事業が行き詰った。
颯真の損失と言うか、株の取引を通じて、お金持ちにあげた金額が高まった上に、
何の配当も受けなかったので、貧困者として故郷に戻った。
颯真は実家で、自分に対しては厳格で、せびることをしなく、爪に火を点した。
日ごと夜ごとに、「定職はより易しいだろう」、「長期雇用に落ち着いている同年
代達も、家族を支えているやり手も、どうやら、幸せを掴んだね」と、くよくよ考え
悩んた。
颯真は、「英語が出来れば、成功する」と仮説して、就職するために、英語の勉強
を大事にした。それは、論理的に聞こえたが、残念なことに、英語は就職するために、
何の役にも立たなかった。
皮肉なことに、英語の勉強で出世を黙殺している颯真は、現実が見られなかったの
で、「忠実な社会人になりたい。」、「もう自分勝手に生きたくない。」などと言う
理想で英語を勉強し続けた。
当然の結果、颯真は達成感が得られなかったので、もっと強い英語の勉強の激励を
探しはじめた。つまり、颯真のかつかつの生活はまるで正統的な宗教のようとなり、
彼は最終的に、思い惑って深い憂鬱に陥った。
***
颯真の憂鬱は大変な段階に達したら、家族の絆は何よりも大事になった。誰が助け
る者がいるとすれば、それは母だろう。
颯真がジェッダに旅行する着想は元は母の方から来た。ところで、颯真の両親は仕
事のために、サウジ・アラビアのジェッダ市に住んでいた。つまり、颯真が深い憂鬱
に陥ったら、サウジ・アラビアにいる両親への招待は英語か定職より、ずっと重んず
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べき物となった。それで、母と話している次回、旅行の予定を立てた。
颯真は母の招待に応じたら、母は「十二月中旬になるよ。」と答えた。
「十二月中旬」と、颯真は聞き返したら、「ええ、休みが余りないからね。」と、
母は解き分けた。
颯真は、何気なく「畜生」と呟き、「サウジ・アラビアの休日出願制度も厳しすぎ
るな」と思った。仕方がなく、邪魔になる行事を予定表から取り消さなければならな
かった。そのように、颯真のクリスマスまでの八ヶ月が綺麗に片付いた。
しかし、颯真は十二月前に就職したなら、初心者として、きっと休みが取れなかっ
た。待たなければならない八ヶ月で何をするかという問題に直面して、失業者の窮境
に陥った。彼は「就職しろ」と言われる、社会的な命令に服従したかったが、特別な
理由でそれが出来なかった。
と言っても、颯真は八ヶ月間が無駄にしたくなかったので、「一流の企業に応用で
きない修業に励めば、この一年の半分が無駄になる」と、その苦境を脱しようとした。
颯真も遠慮のある人として、一時的に流行っている熱狂にはちっとも目もくれなか
った。今までもしている行動に思考を巡らした。
目に付くのは彼が十年間位アルバイトとした、株式取引の愛好であった。それで、
商学を調べて、今日と明日いつでも応用できる技能に範囲を絞った。
幸いなことに、颯真の元の大学も商学の修士を提供していた。商学の科目は通常の
管理会計と財務会計だけではなく、商学論理や経済学、統計学、会社の法律もあった
ので、颯真はそれぞれの散らしに目をやった。しかし、商学部の担当と面談する代わ
りに、校内にある、繁盛している中古本の店に入った。
颯真は商学の修士を対象にし、商学の修士の教科書を手に持って、レジに進んだが、
堕落した学生として、買う前に、面白く見えた「社会学研究方法」と言う教科書も取
った。
「社会学研究方法」と言う大冊は、社会学研究方法の入門であった。
社会学は颯真の特長であり、彼は専門的な語彙で書かれた外国の学術書に勝って、
西欧の著述者とアイデアの交換がしたくなった。従って、数年間ぐらい英語の読書能
力を伸ばそうとした。
しかし、颯真は自己疑念が満々あり、どうやら英語の速読に進められなかった。
颯真の遅れの裏に心配があった。例えば、日本では英語を応用させる場合の余りな
い外国語のために、颯真が自分の人生を使い尽きるリスクを怖がった。そのように、
英語は危険、商学は安全であり、目途がお互いに助け合わず、かち合った。
颯真は言うまでもなく、貧乏が凌ぎたかったので、慰みに外人っぽい読書を維持し
ている反対に、ジェッダの旅行までの半年で商学の能力を高めようとした。
***
商学は株に興味がある颯真にとって、そんなに詰まらなかった。その通り、彼は商
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学の知識を的にして、四ヶ月で大部分を身に付けた。
しかし、ある寒い十月の朝には、いよいよ超詰まらない復讐に当たって、ちょっと
休憩しなければならなかった。よかったことに、電子メールの受信箱を確認したら、
母からのメールがあった。
添付したのは旅行の肝要な物であった。特に、入国査証番号とジェッダの入国査証
の申し込み書と申し込み方の説明書があった。
それで、颯真のジェッダの旅行の不可欠の準備に取り掛かる時が来て、颯真は商学
を完全に飽きて、その勉強には一区切りをつけた。
母はその電子メールでは、
「12月は祝日一杯で、飛行機がより早く満席になるよ」
との警告を発した。それは颯真の心に残って、彼の最初にやるべき用事になった。
颯真は直ぐに、インターネットに接続してざっと札幌からジェッダまでの航空券を
比較した。どれでも三千ドルにも近い大金で、即ち颯真の貯金の残りを食う量であっ
た。
そのまま、颯真はけちん坊で、その感化を受け、三千ドルの価格を見たら、彼の財
布の紐が固くなり、割安席を突きに、インターネットをくまなく捜しはじめた。
その捜しは数時間掛かったが、颯真の忍耐がとうとう報いられた。颯真はエミレー
ツ航空会社の十分割引クーポンを見つけた。誰でもエミレーツの券を買ったら、入力
出来たが、エミレーツは某会員に利用する許可を限ったそうである。
通常の時ならば、颯真は、その危険性を蔑ろにするが、「万一、空港では割引に関
する問題があれば、自分のけち臭さが許せない」、と思った。
このジェッダに行くチャンスは一生の内にもう二度と来ないので、颯真は金対危険
のジレンマで立ち往生されてしまった。その通り、経路をもっと長く考え、老練家の
助言を検索した。
老練家達はシンガポール経由の方と「コード・シェア」便の方はより便利だとずけ
ずけ言っていた。
颯真の母も老練家の賛成した上に、「足を一杯に伸ばせる優先席を買え」と頻りに
念を押した。颯真は痩せていて背が高く、ちょっと大柄なので、結局、割引の航空券
を無視して、惜しげもなく消費関連選択権を振るった。
適当に優先席を選んで、シンガポール航空会社に利益を与えた。
その気前よい購入は彼のせこさを試す試金石であった。颯真は成功したので、気分
が楽になり、彼の支出の速度がずんずん上がった。
***
所で、母が初の電子メールを送った時、颯真は商学の教科書を朗読し終わって、商
学に関する太い十二冊をエム・ピー・スリー・プレーヤーで復習していた。それを聞
いただけでは何でもないように聞こえるが、普通の学生は大学では商学の修士を一年
間半で完了する。
それに対して、颯真は寝室の中では神経を集中して、冬と春だけで学習を終えた。
そうではあるが、その時からはジェッダのプロジェクトで自己開発が出来たので、商
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学だけではなく、英語の勉強へ充当している僅かな時間を縮め、それに注いでいる精
力も調節した。
颯真の自己開発は「国際倶楽部」の「加入」に基づいた。と言うのは、颯真はもう、
航空券と入国査証とパスポートを取って国際倶楽部に加入する許可をとっくに得た
が、この旅行の前に、一人で日本と別れて独立したことがないので、国際倶楽部の中
での経験が乏しく、チェックインの過程でも通関の通り抜け方でも思い描けなかった
のである。
颯真は国際倶楽部の「仕方」がわかるために、白紙の上部に「12月14日にジェ
ッダの空港では両親に会った」と過去時制で彼の欲望を書いた。
そして、もう起こった歴史のように、家を出る時から両親に会う時までの要求事項
を経時的に並べた。最後に、頭でその道を辿りながら、よく想像できない所に突き当
たったら、念を入れて確かめた。
そのように、白紙ともう完成した学士の技能と最近、身に付けた社会学と商学の技
能を利用した上に、研究し続ければ続けるほど、颯真のジェッダへの道が明らかにな
り、先を越して、想像出来る問題を解決した。
***
颯真の想像は言うまでもなく、理想的であった。それでも、颯真は彼の出日する将
来がよく見られたので、焦点を荷造りに移した。先ずは押し入れから手帳を取り出し
た。そうしたら、メモの殴り書く時が頭に浮かんだ。
二年前に、徒歩の見物を目指して、ハワイに行く計画書をまとめた。自由に歩ける
ように、手荷物位小さい荷物を買った。
小さくても、手荷物として買ったのは猫の額ほど微小な肩掛け鞄であった。それで、
颯真は鞄が纏められるように、彼の日常製品をもっと合理化しなければならなかっ
た。
颯真は日課を守って何が使ったら、それを特別の部屋に置いて、欠かさない物が分
かってきた。もうじき売るテレビゲームを除けば、ベッドと台所の器具、歯ブラシ、
数年前に買った洋服、色々な本、文房具だけが集まった。
しかし、颯真の無自身のせいで日本から離れなかった。颯真はその結果を書き留め
た記事を手帳に同封して押入れに投げた。
米国への旅行はもう無理であるが、その記事は今のジェッダの旅行には役に立ち、
指針となった。
颯真は余裕がなく、保守的な人で、毎日使うのは一番重要であった。美的な喜びを
与えるのは反対側にあった。それで、ジェッダの旅行のに、前者の方がいいと判断し、
荷物に洋服、手荷物に歯ブラシを入れた。文房具や勉強に関連する物も詰め込んだが、
残りの空間は両親の頼みに割り当てた。颯真は鞄の纏めが安らかにでき、思いもやら
ぬうちに、亀のように自分の家を負っていた。
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しかし、その超合理化のお蔭で、ホームレスさんの苦境がわかってきた。
ホームレスさんの苦境は儚さではなかった。例えば、ホームレスさんは並外れない
人のように外観や人間関係と言った短命なことに注意を集中しているが、その短命な
ことの変わりが頻繁になると、ホームレスさんの集中は強すぎ、頭が固くなって融通
が利かない。彼らは通常の社会人として始まり、知恵が回ると尊重される場合もある
が、現代社会は速ければ速く変わるほど、社会の習慣が速く変わり、無視しなければ
ならない。
もっとも例外はあるが、ホームレスさんが気違いではない。実は、その性格を代表
している颯真は、株価に異常なほど関心を抱き、服が古くなるまでに使い続き、いよ
いよ壊れたら、直ぐに置き換えなかった。
その通り、颯真はジェッダへの道を切り開くに連れ、彼の性格の長所と短所がもっ
とはっきり見えた。「みすぼらしく見え、他人にぎょろりと睨み付けられ、せせら笑
われても、問題ないけど、旅行中、重要なものが一つでも壊れれば、問題になる」と
思って、旅行では要る物の丈夫さを確認しなければ問題にぶつかる。彼には、財布と
ベルトの劣化が著しかった。
劣化した財布がポケットに入り、ベルトが締まったまま、颯真は札幌の中心部にあ
るデパートへ運転した。颯真がチャンスに恵まれ、財布とベルトは同じ包装箱にあり、
販売されていたので、颯真は果報に舌を巻いた。
颯真は財布とベルトで新しい車に戻った。そして、三回目位再生利用したベルトを
脱ぎ、穴が開いた財布から紙幣と貨幣を取りだした。いつ買ったのか覚えられなかっ
たが、いよいよベルトと財布を捨てなければならないと気づいたら、悲しくなった。
一方では、新しい装備は流行に合わせた。他方では、古いのは颯真の思い出を持っ
た。それでも、颯真は新しいベルトを締め、新しい財布をポッケに入れ、平気の平左
で過去の痕跡を捨てた。
***
十二月十三日の朝、出発実が来た。ジェッダの旅行の準備が完全に終った状態であ
り、颯真は家の鍵をかけ、戸口を潜った。
親切な隣人はよしみで車で待っていた。しかし、その女の人に颯真の荷物の足りな
さそうな有様が認められた。
颯真は「ええ、まあ」と答えて、隣人の車のトランクに、ホームレスさんに勝つ程、
超合理化した鞄を二袋入れた。
隣人は意見を述べ、説明をねだりながら、航空に運転した。良いことに、その意見
は雑談の話題となった。颯真は隣人の物語を通して、友人関係を深め、異なる習慣も
習った。
二人は空港まで語り合った。颯真は空港では、車を降りて、「さようなら」で別れ
を告げた。そして、たやすく空港のチェックイン・カウンターで搭乗の手続きをした。
その次、危険物検査のスキャナーの潜り方を確認した。無事に通過したので、待合室
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の席に腰を掛けた。何も食べずに飛行機の十時の出発を待った。
九時半になったら、颯真はせっかく持ってきた薬を肩掛け鞄から取り出した。吐き
気を抑止する効き目のある、乗り物酔い薬の使用法通り、二錠を飲んだ。効果を待っ
た。
颯真は、乗り物酔いする人として、動いている物に乗ったら、胃の調子がいつも可
笑しくなった。それで、札幌から成田空港の便では、薬を飲んでも、吐き気がした。
颯真はその病がむかつくほど嫌いで、悪魔の仕業であるに違いないと思った。仕方が
なく、憂き目を見ないように、頭を動けずに、ずうっと飛行機の席にじっと座った。
酷く詰まらなそうな顔付をして飛行機の接待を我慢した。
それはそんなに大変ではなかった。なぜなら、颯真はエム・ピー・スリー・プレー
ヤーを聞きながら、分析の仕方が応用出来たからある。それで、颯真は旅行の素人で
も、シンガポールに到着するまでには、飛行接客員の任務と行動がよくわかった。
と言っても、薬の効果は悪影響を及ばし、颯真はシンガポール空港に到着した後、
青息吐息であった。食欲もちっともなしに、しょっぱいハンバーガーしか食べられな
かった。そのファースト・フードは昨晩食べたピザを追って胃に凭れた。
颯真は成田とシンガポールとリヤードの空港では一つずつぶらぶら長く待ち、乗り
物酔い薬の効き目がだんだん消えたので、12月14日、金曜日の夜、ジェッダに着
くまでに合計八錠を飲んだ。その結果、ジェッダの空港では嬉しく両親に会う背景に、
塩と薬の抗ヒスタミンのせいで、赭顔で、体の健康は苦杯をなめた。
颯真が両親のジェッダの家に着いた時、真夜中で、颯真の時差ぼけが酷く、寝る可
能性は全くなかった。実は、一日中飛んだ便を含めば、颯真のじっと座る時間が合計
三日間になったから、颯真は金曜日の夜中、患者さんのように苦しんでいた。
それで、両親はベッドに行った後、颯真は居間のソファーに横になり、真っ暗闇の
中でテレビのチャンネルを順番に探究し、極たまにうとうとと眠った。残りの閑暇で、
朦朧としていてテレビを見た。
颯真はサウジアラビア語が全く分からなかったが、臨機応変に対処した。つまり、
飛行機にじっと座って、エム・ピー・スリー・プレーヤーを聞いている時のように、
テレビを見て仮説から論理的に結論を導き出した。その状態では夜明けまで過ごせ、
分析の技も磨けた。特に、チャネルが数百あったので、颯真はテレビを通して、サウ
ジアラビアの社会組織に慣れた。
***
土曜日は、颯真のジェッダの旅行の最初のまる一日になった。
両親が起きたら、颯真も「行ってらっしゃい」と、声を掛ける目的で、同時に起き
た。起きたというより、両親が出たら、颯真が目覚めて、横になったまま、頭を軽く
傾いた。それにしても、それは親しげなしぐさであった。
そして、颯真はとうとう元気が付いたら、食欲がなくても、台所に行って、食事を
見つけようとした。口に合う食品はなく、何も食べずに昼御飯まで待った。
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颯真のだるさは居間に引き籠らせる言い訳になったので、彼はでたらめにチャネル
を変えながら、両親の帰宅を待った。
颯真の両親は午後四時ぐらい帰宅し、父は颯真に団地の案内をしてあげた。先ずは
プールの施設を紹介した。次に、団地は警備門に囲まれたので、内部警備門の通し方
と外部警備門の検査装置を示した。
颯真は日本から来たので、案内を貰わなかったなら、自分一人で困るであろうが、
お父さんの案内を通して、切れ切れに住宅の断片を組み合わせた。
最後に、父は先に住宅の外部警備門を通して、右に曲がった。二人は交通の流れに
反して、広い商店街、その区域の賑やかな横町の方向へ歩いた。
その商店街に向かって、道路を横断させる陸橋が建てられた。その陸橋は、通行人
の安全の望みに叶う、設置された物であったが、観覧所のようなので、二人は陸橋を
上って、無秩序そうな交通を分析した。
ジェッダの交通は目玉の飛び出るほど危険であり、颯真は信じられない顔で、二十
分間ぐらい過ごした。
父の次の目的地は想像しがたい程、贅沢な店であった。大理石が多く、シャンデリ
アと真鍮の標札で飾り立てた。しかし、妙なことに文房具屋であった。
その富裕はジェッダのゴミだらけの地べたと対照して、颯真はその歩きのお陰でそ
れが見られたが、颯真の注意はジェッダの交通に引かれたので、帰ったら、もう一度
その「見張り場」で、虎になるような、サウジアラビア人の運転し方を見た。
***
前日の散歩は、颯真の食欲をそそったので、彼は日曜日の朝に起きた後、空腹の感
じで台所に行った。土曜日のように、両親に挨拶をしたが、今朝はもっと強烈に食べ
物を探した。
颯真は土曜日に食べたカップ麺は不味いと思って、今日は、母の手作りのパンを選
んだ。それを食べながら、テレビを見た。
昼食になったら、颯真は前述した過程を繰り返して、彼の引き籠りっぽい行動が続
いた。
颯真の両親が帰宅したら、父はまた案内のために、団地から同じ経路で颯真と出か
けた。父の経路は、偶然とは言えないまでも、なにかしら理由で右の方向になった。
左に曲がる選択もあっても、同じ経路で進んだ。
従って、また商店街を通り過ぎて、前日のように、陸橋の視点から交通を対象化し
た。しかし、今回は、陸橋の向かい側に降りたら、立派な文房具屋を飛んで、一キロ
メートルぐらい離れた所へどんどん歩いた。
終わりには大きい環状交差点があった。その交差点も賑やかで、周りの商人達も景
気がよさそうであった。颯真は「金曜日の夜にも車からそれを見たね。」と、父に叫
び、差支えもなく、その所を楽しんだが、その見学は先駆けだけであった。
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今回の帰りは交通を見ることよりも、むしろ陸橋に近いスーパーを調べに行くこと
になった。
***
颯真は、月曜日に起きたら、体の消化管を刺激しなければならなかった。と言うの
は、水曜日からのピザにハンバーガーにパンに中華料理などのジャンク・フードは颯
真の腸に詰まっていて、それを乗り物酔いの薬の抗ヒスタミンに加わると、颯真の腸
の動きが途絶されたのである。颯真は暫くの間、不機嫌で、微笑なぞ決して受べなか
った。
颯真はチューインガムを一箱噛んだ。それは民間療法とは言えないが、颯真の胃の
調子が可笑しくなった。
簡単に言うと、颯真の手段が効いて、彼の不安が除け、ちょっと英語の勉強に戻し
た。
颯真は二階の寝室の窓を開け、ベッドに横になった。ヘミングウエーを楽しんだ。
颯真は、ちょっと疲れたら、窓から見えるプールを見下ろした。空はからっと晴れた
ので、理想という感じを人に強く与えるイメージであった。颯真は特に、プールの空
色に招かれ、其処に座りたかった。しかし、そのプールはぎっしり建て込んだ家並み
で挟んだので、躊躇して、両親の帰りを待った。
月曜の夜には、両親が帰ったら、三人は「チョップスティックス」と言うレストラ
ンに行った。チョップスティックスは大きい環状交差点の近かったので、颯真はもう
一度、それが見られた。その上に、食前に、回教の祈る時間の終わりまで待つ必要が
あったので、その大きい環状交差点に就いて話せた。
その時までには、颯真の時差ボケが鎮まって、チョップスティックスから帰った後、
ソファーから両親が用意してくれたベッドに移した。よく寝たが、輾転反側した。そ
の通り、月曜日は、颯真の旅行の分岐点でになった。
***
火曜日までには、颯真は引き籠りの生活を飽きていた。と言うか、また二階の寝室
の窓を開け、ヘミングウエーを楽しもうとしたが、理想的に見えるプールしか何も集
中できなかった。
一人で外に行くのは颯真にとって、とても難しいことなのに、プールのイメージが
颯真を外へ引いていた。結局は颯真はヘミングウエーを取り上げて階段を下した。そ
の上に、冷凍庫からアイスキャンディーを取り、プールの木造の広い傘の下に座った。
ジェッダは米国ではなかったが、颯真は何よりも米国に行きたかったので、「一人
で海外へ行って、アメリカの学生の暮らしが経験出来ないなら、この三週間のジェッ
ダの旅行では幾らかでも、その生活を想像しようとする」と、自分に言った。颯真は
漸く、彼の日本の生活が忘れることができて、久しぶりに気楽になった。
その時、ジェッダも、颯真の「住みたい国」、所謂アメリカの代表となった。颯真
の避難場所とも言える。颯真は日本では草の根を分けてその所を探さそうとしたが、
9
案外、ジェッダでは見つけてしまった。その気楽さで、火曜日の夜、両親と一緒に子
供時代のように食事をした。
***
颯真は、水曜日の朝に、習慣通り、起きて酷い日本訛りで「グッドモーニング」と
言った。お父さんは「おはよう」と返事をしたが、彼の声の調子が変わった。眉を曇
らせながら、
「お祖父さんは脳溢血を起こしたから、出来る限り早く日本に帰りたい」、
「昼御飯の時、旅行代理店に行って、航空券の問い合わせをするよ」とも付け加えた。
颯真は退っ引きならないわけで両親と一緒に日本に帰らなければならなったので、
両親は某法人に勤めている間、颯真は財務損害を制限しようとした。
旅行の保険会社は最初の手段であったが、颯真は保険会社に連絡したら、顧客係員
は冷ややかに「お祖父さんは八十歳以上ですね」、「お見舞いに日本へ帰って計画を
変えれば、保険金が請求できません」と責任を転嫁した。
颯真は期待していた答えをもらわなかったが、いざこざを起こさないよう、「なる
ほど」しか答えられなかった。颯真はもう一度、保険の条件を熟読した。しかし、保
険条件がわかりにくかった。
颯真は「それなら、航空券の交換を追跡する」と決心した。颯真は、柔軟な航空券
を持っていて、「あるいは、他の便はあるのかな」と思っていたが、このいざと言う
時には、シンガポール空港会社のサイトに行ったら、ジェッダを発つシンガポール空
港会社の便は乏しかった。
以上通り、社会と会社は颯真を裏切った。彼は深いため息をつき、気を腐らせてい
て、両親の家のソファーに座った。人間の善良さを信じていて、心正しく、必要以上
に金銭を渡したが、かえって屑のように標準以下をもらった。
颯真は藁にもすがりたい気持ちで他の選択を想像しようとしたが、颯真の「財布に
損害を被らさないよう、どうやって日本に帰れるか」と言う質問の答えは彼が欲しく
ないことであった。
母は「一緒に帰れるように旅行代理店でエチハッドと言う航空会社の航空券を予約
した」、「明日の昼御飯の頃、タクシーが来る」と計画を解明した。
その決定で、颯真のジェッダの旅行は基本的に終わった。
颯真は、日本を出発してから一週間が経たなくても、三週間の旅行の残りは一日に
縮められた。脳溢血を起こしたお祖父さんの状態は悲しいが、颯真の恐れは、帰りの
早さであった。もし、日本に帰れば、元の散々な生活に戻らなければならない。
颯真の荷物を纏める用事は、明日の昼ご飯までにさえすれば、いつでもよかったが、
颯真は家では何もしていなかった。それで、颯真は陰気な顔をして、階段を上った。
部屋の片付けを始めた。
洋服と学習者の資料しかなかった。それ故に、五分間以内に終わる仕事となった。
家具を元の所に戻すことも簡単であった。
颯真はを済ませたら、滞在の初日、金曜日の夜に見た部屋がもう一度見られた。す
10
ると、初めて両親の準備の浪費が明らかになった。颯真だけではなく、両親も、財布
を痩せてしまった。
颯真は、荷物を手に持って一階に戻り、それを玄関に置いた。そして、ソファーに
戻って、荷物を見た。彼は感情が余り外に出さない人であったが、彼の感じが失望か
ら憂鬱に変えたから、色々な感情を再び覚えた。特に自己嫌悪。
颯真は一人で両親の住宅を出て、歩き回る勇気がなく、家では四日間ぐらい無駄に
した。つまり、彼の並外れの弱さを厳粛に見つめたら、どん床に落ちいた。なんとな
く泣きだした。
颯真の涙が出る沙汰は稀で、非常に限った。しかし、今回は自分を咎めるよりは社
会に憤慨した。
社会は颯真に対しては卑劣で、慈悲心を持たない野郎めであった。最近、始終いじ
めばかりなので、颯真はそれがたまらなかった。と突然、跳ね返してソファーから立
ち上がって、理由不明の不在、または失踪した、両親の疑いを無くすために、台所の
テーブルに「出かけた」というノートを残した。最後に、肩掛け鞄から証明書として
使っているパスポートを取り出した。
***
ジェッダ晴れであった。颯真は両親の家の扉の錠をかけた後、団地の私道を歩いた。
住宅の私道は内部警備門まで伸びた。颯真はその私道を歩いた。
内部警備門に達したら、勇気を振り絞った。しなかったなら、帰ったに違いない。
ただ偶然に、知らぬ人が向かい側から住宅に入った。
颯真は、ほっとして、その女の人と擦れ違って外部警備門へ続けた。
外部警備門は内部の方から百メートルぐらい離れた。颯真は遠くから警備員が見ら
れた。もう過程に慣れた振りをして歩調を速めた。
そして、外部警備門に達したら、その厳つい顔をした男と目を合わせた。「何が言
う方がいいかな」と考えたが、警備員は「こら待て」と叫ばなく、目線をほかの所に
移した。颯真は黙って足早に住宅を出た。
颯真は習慣通り、右に曲がった。車に轢かれないよう、道路からちょっと離れた道
を辿った。
今回は颯真の目的は交通の分析ではなかった。それで、颯真は右側の町並みに着い
たら、陸橋を上った後、交通を見下ろさずに、下りて、歩き続けた。
彼は土曜日に見た豪奢な文房具屋でも通り過ぎて、大きい環状交差点へ進んだ。そ
の大きい環状交差点は颯真の元の目的地であった。
颯真はそこに着いたら、選択は三つあった。
左と右と真っ直ぐ。左方は「覚えたより、詰らなさそう」。右方は「渋滞のせいで
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歩けない」。真っ直ぐへの選択しかなかった。
幸運なことに、真向かい側には「エクストラー」と言う電気製品販売会社があった。
颯真はエクストラー店が見たかった。それでも、また躊躇した。
エクストラーと颯真の間に、道路の車線が六つあった。颯真はそれまでに陸橋で道
路を横断していた。ジェッダの運転者はスピードを出しすぎたのである。今回は道路
の真ん中に仕切りの部分がだけあった。そうではあるが、歩行者のために築かれなか
った。颯真は車に轢かれないように道路の辺で待った。
横断する機会は絶対ない気持ちになってきた。
ようやく車が隊列を崩した。颯真はばたばた走って行き、三線を超えて道路の真中
にある仕切りの部分に着いた。四方八方からジェッダの交通の轟音が聞こえた。
そして、颯真は、もう一度、横断させる隊列の崩しを待った。
疑いもなくその機会が来た。駆け足で一生懸命に走った。びっしょり汗が出るくら
いであった。
その向かい側は異質で、颯真は大けがを見込んだ。不心得に、伸るか反るかの大博
打を打って、本能的な直感で真っ直ぐの方向へ歩いた。と言っても、そういう芸当は
颯真にとっては何でもないことであった。颯真はその時、先例のない確信を抱き、前
に驚嘆していた楽天家の気持ちが改めて分かったのである。
***
|西村颯真の思い出|
俺は大きい環状交差点を超えた時、その前に感じたことのない自由を楽しんだ。しか
し、目当てもなく真っ直ぐに歩いている時にも自分の弱さが残っていた。つまり、エ
クストラのモールにもう二つのモールがあり、入りたい欲望が湧いても、そのモール
に入るための勇気が乏しすぎた。私はまだ弱虫だったね。
三キロメートルぐらい歩いた後、その真っ直ぐに伸ばす道路は永遠に真っ直ぐに伸
ばしているらしかった。なので、俺はトヨタの販売店を見た時、「家に帰る方がいい」
と言う前兆となり、道路を横断して道路の向かい側で両親の住宅へ帰った。
自分が歩いた道を道路の向かい側、と言うか歩き通したモールをもう一度見たら、
自分の鬼とも言える弱点を覚えた。それで、団地に帰る前に、道路の側に座って、「自
分の弱虫が潰せるようにどうしょう」と考え悩んだ。その時に、父と一緒に入ったこ
とがあるスーパーを考え出した。
私はそのスーパーに行って、サウジ・アラビア類のお菓子を探しはじめた。見えな
かったので、チョコレート・バーと飲み物を二本選んだが、しかし、それは重要では
なかった。
重要なのは数年ぶりに知らない人との交流だった。その訳で、レジーを通して、店
員たちと擦れ違ったら、自分の世界が変わって、数千ドルかかった旅行が取り戻せた。
自開(じかい)は最高だよ。
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ルーク・エリス作
2013 年
2016 年 8 月 4 日編集