乙類 岡山 裕

 卒業論文をめぐる誤解
きましょう。
政治学を意識した卒業論文執筆への助言
皆さんが本学を卒業する際に受け取るのは、高校までの
ような卒業証書ではなく、学士の学位記です。そして、卒
業論文の執筆は、皆さんがそれを受けるに値する能力を身
を設定し、②それに論理と証拠を駆使して皆が納得行くよ
と︶答えられていない、他の人にとっても意味のある問い
えて共通の性格を持っています。それは、①まだ︵きちん
す。とはいえ、およそ学術論文と呼ばれるものは分野を越
し て 想 定 し、 執 筆 の 段 階 毎 に ア ド ヴ ァ イ ス を 送 る も の で
学部で政治学の卒業論文を執筆する予定の方を主な読者と
であっても、それを整理して自分の言葉で議論を組み立
課せられますが、そこでは既に他の人が生み出した知識
①レポートとの違い⋮学部の勉強では、多くのレポートが
す。
いという問題です。これには、三つほどパターンがありま
の文章と﹁勘違い﹂してしまい、そもそも研究が始まらな
学生諸君が最初にしばしば陥るのが、論文を別のタイプ
岡山
裕
う 答 え る、 こ れ だ け で す。 し か し、 そ れ が い か に 大 変 か
てられれば評価が得られます。それに対して、論文は必
につけたことを示す、最もよい手段です。この文章は、法
は、研究を始めればすぐにわかります。以下、順にみてい
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ず独創性、つまりまだ誰も言ったことのないことを打ち
とどまらない、論理と証拠に支えられた説明を提供しなけ
受入れ可能である必要があり、そのためには単なる意見に
析する実証的な研究の場合は、なぜあることが起きたり起
出し、検証するのが求められる点で、本質的に性格が異
②百科事典との違い⋮上と重なりますが、論文とはある対
な 論 文 の ス タ イ ル に な っ て い ま す。 そ こ で 提 言 を 行 う 際
きなかったりするのかの因果関係を解明するのが、標準的
ればなりません。政治学でも、実際の政治現象を対象に分
象についてとにかく徹底的に調べてそれをまとめた、い
なっています。
わば百科事典の解説のようなものだと思う人がたまにい
も、その成果に基づいて主張を行うのが普通です。
テーマ・問いの設定
ます。しかし、論文は具体的な問いを設定してそれに答
えるものですから、ある対象について調べたことを全て
書けば論文になるわけではありませんし、書くべきでも
野でもありそうな勘違いですが、政治学をはじめとする
③政策提言との違い⋮上の二つのパターンはどんな学問分
テーマは、論文でいかなる問いに答えようとするのかと対
ころで、テーマ設定について考えてみましょう。ここでの
さて、論文がどういったもの︵でない︶かがわかったと
ありません。
社会科学の場合、論文とは社会にとって何が望ましいの
応しています。上記の条件を満たす論文にできるのであれ
くのは大変ですから、面白いと思えるテーマでなければな
か、どうすればよい社会を実現できるのかを提言するも
かなか書き通せるものではありません。とはいえ、研究を
味のあるものを選んでください。というよりも、論文を書
し、とくに研究者の執筆したものを読むと、それらの多
始めた段階で、いきなり答えられるべき問いが設定できる
ば、テーマ自体には相当な幅があり得ますから、自分の興
くはある事柄について単に自分の意見を述べているので
人はあまりいません。むしろ﹁何となくこの対象が面白そ
のだと考える人がいます。たしかに、例えば総合雑誌で
はなく、実はその前に社会の動きやあり方について独自
う﹂という程度のもやもやした関心にとどまる場合がほと
んどでしょう。
の新しい説明を施しており、それを元にどうすべきかを
それと同様に、論文では問いも答えも他の人にとって
主張しているのがわかります。
は、そうした提言を行う論文が掲載されています。しか
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すると思われる既存の研究︵先行研究︶をなるべく幅広く
そこで行ってほしいのが、自分と対象や問題関心を共有
﹃史学雑誌﹄が毎年各分野の﹁回顧と展望﹂に充てた号を
載 し て い ま す。 政 治 史 に つ い て は、 歴 史 学 の 雑 誌 で す が
の分野では﹃レヴァイアサン﹄が充実した論文と書評を掲
に、毎年各分野の﹁学界展望﹂が掲載されます。実証研究
出しています。政治思想であれば﹃政治思想研究﹄の諸論
ます。第一は、先行研究を読むことによって、扱おうとし
ている対象をとらえる方法の﹁引き出し﹂が増えることで
見つけだして読むことです。それには、二つの理由があり
す。自分の考えたいことがどんな問いを立て、どんな概念
や理論を使って議論されてきたのか、逆にどこが自分の関
文 や 書 評 が 参 考 に な り ま す。 国 立 情 報 学 研 究 所 の CiNii
や、 グ ー グ ル の 学 術 研 究 版 で あ る Google Scholar
といった
インターネットのサイトも役に立ちます。
先行研究を読むもう一つの理由は、自らの研究の独創性
研究の成果も積極的に活用すべきなのです。研究はしばし
それを検証するための議論を進めるうえでは、むしろ先行
る答えの形で新しいことを﹁一つ﹂言えればよいのです。
独創性という要求は、初めて論文を書こうとする皆さん
心とずれているのかを考えながら、先行研究を渉猟するこ
を生み出す、あるいはそれに気づくためです。当たり前の
とで﹁自分なり﹂に考えるよりも、対象について、そして
ことですが、ある研究に独創性があるといえるためには、
ば共同作業であると言われますが、それは研究者が個別に
にとってとても高いハードルに感じられることでしょう。
それまでの研究とどう違うかが説明されなくてはなりませ
研究していても、必ず先行研究を踏まえながら、それに何
何より自分が考えたいことについて理解が深まっていくと
ん。自らの関心と先行研究を付き合わせながら、先行研究
かを加えようという姿勢で論文を書いているからです。先
しかし、こう考えてみてください。論文では、問いに対す
で何が扱われていないか、そこで展開される理屈や提示さ
す。この段階での指導教員は、学生の持っているまだもや
行研究に﹁一矢報いる﹂こと、これが研究の基本的姿勢で
期待されるのです。
れる証拠に不足はないか等、疑問を提起しながら読むこと
助言を与えるのを役割としています。
もやした関心が、どんな研究とつながりうるかについて、
で、自分のやりたい分析、主張したい事柄が形をとってく
る可能性が高まります。
政治学分野の先行研究について、新しい代表的な研究を
知るには、日本語であれば日本政治学会の﹃年報政治学﹄
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あさることかもしれません。いずれにせよ、データの海に
飛び込んで、必死に泳いでみることが大事です。
データや分析方法があるのかについても調べ始めましょ
なってきたら、自分の研究対象を分析するのにどのような
こうした作業を通じて、研究上の関心が徐々に具体的に
析できる﹁生﹂の資料であるということです。今日では、
が、大事なのは先行研究を介さず、研究対象を﹁直接﹂分
想 家 の 論 文 等、 分 野 に よ っ て 様 々 な も の が 考 え ら れ ま す
限りません。新聞や雑誌の記事、政治家の残した文書、思
分析
う。いくら先行研究の限界や、それに代わる画期的なアイ
書籍の形をとる資料以外にも、様々な形でデータが入手で
ここで言うデータとは、各種の統計など数量的なものに
デアを思いついても、それを検証できなければ研究にはな
きます。例えば、日本の議会については、帝国議会時代か
問いへの答え方
―
らないからです。例えば、ある分野の先行研究が明らかな
ら今日まで議事録の全てをインターネット上で無料で検索
聞、雑誌、統計資料など、様々なデータを電子的に利用で
し、 読 む こ と が で き ま す。 ま た、 図 書 館 に よ っ て は、 新
や手法が存在しないとみられる場合が少なくありません。
き る よ う に な っ て い ま す。 そ の た め、 対 象 の 新 旧 を 問 わ
識されていないからでなく、実は乗り越えるためのデータ
多くの先行研究を読むことで、研究対象についての知識
ず、入手できないと思っていた資料が、思わぬ形で手に入
実は、実際に資料に当たってみて、その内容が当初の予
も深まりますが、そこでは先行研究によって描かれた対象
想通りということはあまりありません。むしろ、思ってい
ることもあります。大事なのは、欲しいデータが﹁存在す
囲では妥当でも、実際のデータ︵一次資料︶に当たるとそ
たのと違っていたり、正反対だったり、ということの方が
るはずだ﹂と信じて徹底的に調べる姿勢です。
うでないことは、十分にありえます。ですから、自分が何
普 通 で す。 そ こ で あ き ら め て 別 の 道 を 考 え る べ き か ど う
の 像 し か 得 ら れ な い、 と い う 点 に 注 意 す る 必 要 が あ り ま
を主張しようとするか、大まかな見通しがついた段階で、
か、一概には言えませんが、なぜ予想と違っていたのかを
粘って考えるのがとても大事です。それによって、道が開
があります。それは、統計資料を計量的に分析することか
もしれないし、研究対象時期の外国語の新聞や雑誌を読み
それが妥当性を持つのかをデータに当たって確かめる必要
す。自分の主張したいことが、先行研究で描かれている範
限界を共通に抱えているというとき、それはその限界が意
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いは何をしたらそのための突破口が開けるかについてアイ
のです。そこでの指導教員の役割は、どう考えたら、ある
きちんと検証できる、面白いことに一つたどりつけばよい
く感じられると思います。しかし、上でも述べたように、
まらないこの段階は、論文の完成に向けて最も厳しく、長
る場合も少なくありません。主張できることがなかなか定
けるばかりか、新たな着想が生まれてより面白い研究にな
くいものです。指導教員は最初の読み手として、草稿のど
れないうちは自分の文章のどこに不備があるのかわかりに
書いてそのまま完成になるとは思わないように。また、慣
ても、書き直しや繰り返しの推敲は不可欠ですから、一度
検証が必要な所が出てくるものです。プロの研究者であっ
も、実際に書いてみるとうまく筋が通らない所、さらなる
の構造を予め確定してから執筆を始めることです。それで
てみたりと、人によってやり方は異なりますが、必ず全体
体的に助言します。いくら書き直してもきりがない、と焦
こが問題なのか、どうすればより読みやすくなるのかを具
デアを提供することにあります。
議論の確定と論文の執筆
ることもあるかもしれませんが、これも論文の完成に向け
て不可欠な作業ですから、じっくり取り組んでください。
究テーマについてさほど関心も予備知識もないであろう読
は何よりも他人を説得するための文書ですから、自分の研
いていって論文にしようとする人がいます。しかし、論文
たまに、自分の思いついた、そして調べたことを端から書
も登ったことのない山です。そこで教員は、学生を背負っ
いかと思います。皆さんが登る山は、指導教員も含めて誰
頂までの道のりのどこにいるのかがわからないことではな
る人にとって最も辛いのは、自分が論文の完成、つまり山
研究は、よく山登りに喩えられますが、初めて研究をす
おわりに
み手でも、論文の主張の妥当性と独創性を理解できるよう
がら、自分の経験を頼りに、どちらに向けて歩けば頂上に
て代わりに登ってあげることはできませんが、共に歩きな
あらすじをメモで書いてみたり、フローチャートを書い
に組み立てる必要があります。
にするのが、それ自体大きな試練であることも事実です。
完成していると言えます。ただし、それを筋の通った議論
にたどりつき、証拠の目処が立った段階で、研究は八割方
試行錯誤を経て﹁これでいける﹂と確信できるアイデア
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たどりつきやすくなるかを助言するのを役割としていま
す。この二人三脚を通じて、是非胸を張って学位記を受け
取れるよう、充実した卒業論文を執筆してください。
最後に、いくつか参考書を紹介します。①と②は、それ
や、論文の執筆を通じて知的に得られるものを解説したも
ぞれ政治学と政治史の研究者が論文の具体的な執筆の手順
のです。③は、あるテレビ番組のプロデューサーが、ひょ
んなことから始めることになった方言の分布の研究につい
て語っているものですが、語り口が面白いばかりでなく、
論
︵岩波
―文トレーニング﹄
験談として参考になると思います。
研究の楽しみや苦しみが具体的に描かれていて、研究の経
①岩崎美紀子﹃﹁知﹂の方法論
書店、二〇〇八年︶
②斉藤孝・西岡達裕﹃学術論文の技法﹄新訂版︵日本エデ
はるかなる言葉の旅
―
ィタースクール出版部、二〇〇五年︶
③松 本 修﹃ 全 国 ア ホ・ バ カ 分 布 考
路﹄︵新潮文庫、一九九六年︶
︹おかやま
ひろし
慶 應 義 塾 大 学 法 学 部 准 教 授、 ア メ リ カ 政
﹃
―アメリカ二大政党制の確立
再建期における戦後体
―
治・政治史専攻。博士︵法学︶
︹東京大学︵二〇〇四年︶︺
。主
要業績
制の形成と共和党﹄東京大学出版会、二〇〇五年。﹁政党﹂久
保文明編﹃アメリカの政治﹄弘文堂、二〇〇五年。﹁二大政党
争点志向の政治への適応﹂久保文明・有賀夏紀編著﹃個人と
―
国家のあいだ﹄︵分担執筆︶ミネルヴァ書房、二〇〇七年。︺
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