YMN003310

K
うとするものである。動詞の形式的な整理といえば五十音図を土台
十
にした活用の型による整理︵四段活用、上 一段活用⋮⋮︶があり、
そこに含まれる各活用形を横文上の機能一覧 として見ない限り、
大廟
薫久
らの点で、学校文法の説明はあまりにも安易で、粗雑であった︶
問われるということであろう。
しかしながら、この稿は上述の活用の型について新たな整理を
ようとするものでも、活用形の機能や意味を論じようとするもの
つい
もなく、むしろこの活用の型以前の動詞という形式の横山迫は
のように整理され、また動詞の形式的な構造からいえば自他の対
考えようとするものであり、特に動詞の自他の対立が形式構造上
近年、この活用の型による整理が無益・無意味とする説が見受け
括ることが多くみられる。しかし動詞一般の形式的な把握を抜き
等 ︶など
﹁ぃ目﹂型 と﹁目屈﹂型の対立︵﹁受かる﹂と﹁受ける﹂
例えば現代語の場合、自動詞・他動詞の対立という現家 に関し
ある。
がどのように位置づけられるかという点を見てみようとするもの
の形態上の変容を同一の意味単位の異なる顕れとして見た場合、形
面的には目立ちもするが、この活用の型による整理に先行する動詞
いわゆる学校文法的な説明では、意味または機能と形式の卸鮪が表
られる。もちろん細かくみていけばさまざまな問題を内包 し 、また
分に包括的かつ有益なものである。
をどのように解釈し、どのように文法的に位置付けていくか ︵こ
自他の形式的な対立を通して
現代語動詞の形式に関する若干の整理
じ
この稿は現代語の動詞の持つ形式について、若干の整理を試みよ
め
態的には必要な整理ということができる。ただ、その形態的な事実
二 一一
し
で
て
ど
で 立
て
と
に
ルま
いう印象を免がれない。﹁ひさ﹂や﹁の
︵が動詞の形式 のいったい
仁﹂
してのこのような記述は単なる便白 でしかないし、恐竜的な整理と
柴を助く﹂︵﹁大旨﹂︶という とき﹁ 装﹂は明らかにシンタクティ
で﹁名をもて物をことわり、
クな見方をしていたと考えられる。富士谷成章が コあ のひ抄口 冒頭
三一一一
何にあたるのか。これらが終止形における語末に現われる単なる昔
ックな機能のもとで見られていた
装 をもて事を定め、挿頭脚結をもて言
的な現象にしか過ぎないとすれば、そのような現象が現われる動詞
方向は活用に向けられていたと いうべきかもしれない︶
従って、なまじ動詞を分解して説明することをしない︵分析的な
ぅと思われるし、また語尾だというならこれらの語尾は同じレヴェ
について、動詞の形式的な構造に対する関心の希薄きという評舌口は
の 一般的基本的な形式の把握が先
づ問題にされねばならないであろ
かて働く語尾なのかどうか、結局語尾ということの動詞 一般の語形
この場ムロ当たらないかもしれな い。ただ、西洋流の科学的︵ここで
ここでは﹁おのずから然る﹂、すなわち自然の成行を一
小すもの
小すもの
閻 、昭和 一一年、 但
がら、その分析きれた部分についての位置付けが必ずしも自覚的で
障め 、しかも現代語の研究においては、一往動詞を分析しておきな
は分析的という意味とはば 同義 で使う︶ な方法を身につけた明治以
春 庭の方法
式の中での位置付けが必要だろうと思われる。
現代語における自他対応形式の取り扱い
はなかったよ う に思える。
佐久間 鼎 ﹁現代日本語の表現と話法﹂︵厚生
に黙 せらる 卜﹂としてそれ以上の分析に及ばなかったよ
と、 ﹁みずから 黙 する﹂、すなかち自分でする動作を一
暫 定 的な
引用は昭和二六年の改訂版を用いる︶では、
ろ動詞を分析するというより述語の全体的な形式とその機能や意味
とを一 つにして自動詞としておきます。いま試みに、
黙 さする﹂﹁おのつから 黙 せ らる ち﹂﹁他
ほ ついて動詞単体もその中に含めて考える、いわばシン タクティッ
のある形式とともに﹁他に
がいわゆる使役ないしは受け身の助動詞として後に整理 されること
もっとも春雄やその時代にあっては、例えばちょうど ﹁詞通路﹂
薄き、あるいは音形式と語構成要素の無自覚な混在である。
これらの研究に共通してみられるのは動詞の構造に対する関心の希
動詞の自他形式については本居春庭以来数多くの研究があるが、
一
一
し 、 ね ? 巴 ﹂が必ず﹁ ニ または﹁ こ
る 。﹁扉 ﹂としての﹁ る ︵︵
﹁る Ⅰこ、れ
われるという事実を大切にすべきであろう 径芭 。
︵古代語 では﹁ 仁﹂︶ とい う 交替しうる母音とともにその直後に現
Ⅰ こ ﹂ だ けで独立した活用語尾ではないからであ
分類を試みたものを 担 げましょう。この際動詞をその妻
山尾の如
何によって形態上からわけてみます。三一八頁、圏点 は太 鹿 ︶
と述べ、以下﹁ ハウ V 対八 エル V 、 ハ ウ V 対ハァル V
八 アス V 、ハル V封入 ス V ⋮⋮﹂のように﹁語尾の如何によって﹂
語尾の対立と言っていいであろう。しかし、﹁ハウV 対八ァル V﹂
したがって、﹁ ハ ウ V 対 八ェ ルV﹂は青素単位で見た場合の活用
対八 エル V﹂の語例は﹁裂く C裂ける、折る C 折れる ﹂あるいは
ではそ う はならない。語例を挙げれば、﹁塞ぐ $塞がる、跨ぐ $跨
う ﹁語尾﹂とは何なの か 。﹁ハウ V
﹁付く<付
lv
ける、届く C届ける﹂などであるが、これら の語例から
がる、くるむ $ くるまる﹂ などであるが、 ハァル Vとして析出きれ
整理している。けれども、ここでい
いえば、ハウ V と八 エル V に限っていえば取りあえず活 用語 尼 であ
﹁ハルV 対 八ス V ﹂︵語例、余るⅠ余す 、
る部分はどう考えても活用語尾にはならない 0 これは ハアス V につ
ぇ られない。とすれば、
この場合は音節単位で分けた活 m 語尾とい
ど う いつものだろうか。
まう。以上から佐久間民 の舌ロ
ぅ ﹁語尾﹂はいわゆる活用語尾とは
老,
ぅ ことになり、ハウ V やハ エルV などの析出の方法とは異なってし
と 見ることができるが、
回る 2 回す 、 通る 3 通すな ど ︶のハル V 、ハス V はともに活用語尾
いても同じである。また、
るといえよう。
動詞を語幹と活用語尾とに分ける際、文節単位で分ける学校文法
ま
﹂であれば﹁きけ ㊧ ぃⅠの︶﹂
後 者は音節単位
る 貧し ﹂だけを活用語尾とする説 もある。
?牛耳 こ
的な方法と音素単位で分ける方法とがあり、また上下の 一段動詞に
ついては例えば﹁裂ける
でを語幹としておいて﹁
前者の万は今はきしあたって特にこだわらないが、
で い う なら﹁ける﹂、音素単位でい う なら﹁ 窯口﹂を 活用語尾とす
一般に語尾と言われる 場合 、上記活用語尾のほかに、ある語の語
宋音節または語末からの 二、 三の音節、あるいは語末音素︵日本垂
べきであり、﹁ る Ⅰ 巴 ﹂だけを活用語尾とすべきではない。なぜ
なら、この﹁ る ︵ru
︶﹂︵﹁れでこ﹂も︶は、四段動詞 ならばその
では語末の音素 は必ず母音 になる︶のこと ム
Ⅰ舌ノ
口場
舌
ムロ
釜 2-と拉欣尾
巾
断続が 母 首の交替で示されるところが、二段動詞、一段動詞ではそ
辞 のことを一ロ
・ラ場 ムロがある。これらの 内 、活用語尾と語末音節、
昔
の交 担が弱い、あるいは動詞としての活用に限ってい,
素の場合はいわ ぱ純粋に昔形式上の現象を言 う のであるが、接尾辞
んば @ 降しな
いため、活用の弱さを動詞の外から補う いわゆる﹁擁 ﹂であり、
一一一一一一
一二四
っ
さて、佐久間民の@
ロ@
,﹁
っ語尾﹂が接尾辞であると考えてみよ,0
あって、その意味・で﹁
串﹂という単に音素に過ぎぬものにつく八ハ
エ
なる。接尾辞は意味を持っ単位に後接するから接尾辞た 0つるので
が、そのとき﹁ 臣﹂が﹁出 ﹂という意味を担った単位ということに
限り子音一昔の君が存在し得ることになる。事実﹁出 る C出す﹂ な
そうするとハウ V や入エルV などを除いたものは﹁終討 ︵列ム
、︶0Ⅱ
の場合はなんらかの音一味や機能を担う語構造上の単位あ
でるという
︵
折 ︶、 オ ︵
付
d︶
E、 口0オi
︵
届
o︶、h
臣op 塞 ︶
㎎﹂
︵などになる。こ
ルV や入 ァスVは接尾辞とさえ言えぬであろう。結局これらを接尾
どの形式的対立を佐久間民は ﹁八二ルV対八ァス V﹂と捉えている
れをなんと呼ぶべきか分からないが、とにかくなんらかの意味単位
辞と考えるにはあまりにも説明が少なく、動詞という形式の中でこ
ことに注意が必要であろう。
とせざるをえない。しかし、ここですぐに問題になることがある。
れらをどのように考えていたのかがよく分からない。
ルV対八 ヤスV﹂という整理も見られるが、これも仮に ﹁裂ける﹂
﹁生えるC生やす、絶える $絶やす﹂などの対応について ﹁八ェ
つまり、このような形を想定すると意味を持つ単位の最綾音素が子
昔になるが、それが日本語の性格から許されるかどうかという問題
である。
とき語形が変化するが、その変化しない部分の昔形式をいう のであ
ているのではなく、語が他の形式と結合するとき、あるいはしない
単位で考えても音素単位で考えても意味を担う単位と して析出され
めるのであれば、ハヤスV に対応する八ェルV は﹁八ェ
てこない筈である。もし、どうしても八ヤスV という ﹁語尾﹂を
認
八 アスV ﹂になっている。つまり八 ヤスV などという ﹁語尾﹂は
出
ひ苦﹂とに分けるべきであって、 従って謂うところの
ぺ﹂と﹁の仁
Ⅱ
・
を ﹁終左﹂と﹁の
ぺ臣
﹂に分けたように分けるならば﹁ゴり
って、語基でも語根でもない。従って、音節単位で語幹を分析した
スV﹂のハェ ルⅤとは別のものであるという認識が必要であろうけ
単なる立日的な現象として動詞の活用を考え、語幹 これは音節
とき語幹のない詰が出てくるが、それはそれでなんら問題はない
単位の分け方をするのならばともかく、意味を持つ単拉が子音で終
象、しかも非常に外形的な捉え方をした場合の現象と考えぎるをえ
要するに、佐久間民の ﹁語尾﹂は単に語末に現われる
立
日韻的な現
れども、そのような配慮があるとも思われない。
わるという考え方を、仮に操作上とは言え、するのであれば、日本
ないのである。ハアルV や八 エルVを析出してみても、それが単な
を ﹁の叶
が
﹂活用語尾を﹁・
ザ ・
@.
由﹂などとする、 前述の音素
語の中に原理的に子音一昔の意味単位が存在することになり、その
語の音形の一部でしかないのであれば、あまり意味が あることの
け れども、 こ
部分が音形の一部分でしかない、したがって佐久間民 のいわゆる
ずしも自覚的ではなかった﹂と述べた所以である。
う に思えない。前に﹁その分析きれた部分についての
る
よ
必
語尾﹂以外の部分もまた語の音形の一部分でしかないという自覚
の
久間民とまったく同じというわけではないにせよ、
の中で現代語の研究が進められてきた。
注
2
を活用の中に認めているが、本文にも述べたよう にこの
付加 式活用は動詞の活用の木質からいえば補助的な現家 に過
ぎず、それを同列におくことはできない。
ハ行伍呼の現象について語中、語尾のハ行昔の発昔が 漸次
ある
行昔の発音に変わっていくなどと説明する場合、 ま たは
ワ
﹁あの人の話は語尾が聞き取れない﹂などという場合、
いは日本語は語尾が必ず母音になる開音節言語であるなどと
説明する場合。
一|
一 一一
な立場を上代ないしは中古に置いて、統一のとれた活用衰を
0対立なども、論文の諭旨は異なるものの形式の扱いはほぼ同様で
る
第一節で触れた西尾寅熟瓜︵﹁助詞の派生11自他対 ユの型によ
考えるとすれば、一段動詞はやはり﹁る令し 、 ね ? 0︶﹂
あるといえるであろう。また佐久間氏の形式上の扱い ほ ついて
﹁る貧し﹂だけを活用語尾とするなら、四段動詞などの 活用
自助詞と他動詞を音韻的な要素で理解しょうとしたと ころな
︵四六0 頁、圏点は大理 -
ど、自動詞と他動詞の認識について、新たな展開をした ことも
瓜生、
と 、積極的な評価をする島田日日参 氏 ﹁国語における 自動詞と地動
芳 ㌍鞍瓦﹁日本文法教室三東一
として括ることになる。
漢字音訓 表 ﹂
詞 ﹂︵明治書院、昭和五四年︶は、同書第三草﹁﹁当用
一二五
昭和三 セ年 ︶は母音交替式活用と語尾付加式 活用とい,三一種
の添加だけによる活用との二種の質の異なるものを同じ
0
︶﹂
と、 語内部の音韻的な交替現象ではない﹁ る Ⅰこ、れ ︵Ⅱ
﹂同国語学 口一セ輯 、昭和二八年︶の﹁が︵ 仁﹂ 型 と﹁のⅡ
仁﹂ 型
たけを活用語尾とするわけにはいかないだろう。また、
けで考えるという共時 的な立場をとるにしても、その女
こる。現代 語 では二段動詞がないという理由で、一段動 詞だ
︵の。Ⅰ甲 ⋮:︶﹂となり、﹁ け ︵③﹂の部分から交替 がお
江工もし同じ語幹を下二段に活用させれば、﹁ け、け、{、
ほ
なく、またそれが何であるか一向にはっきりきせることもなく、
「
も
語尾
一二六
ノ
体からも問題がおこる。その中で象徴的なのは下二段動詞︵例えば
、文
それ
の付
た﹁ う どかす﹂﹁とまる﹂などは﹁ す ﹂ ﹁る ﹂を﹁ 活
の ﹁白
他﹂で、﹁コ派生口を生む同派生整
群理
口す
にはが
、
法
的いに
用語尾﹂として活用する。つまり、﹁ 笘 ﹂﹁ 代 ﹂のあ とに﹁ け﹂ を
ると、
明らかに次の三極がある﹂として、
つけて﹁接辞﹂の最終千首とともに﹁活用語尾﹂を形作ると憶測す
活用語尾︵学校文法で定義するもの︶
①
るが、ではその際の﹁ 岸 ︵の・
p,こ ﹂は何なのか。
接辞︵ここで定義するもの︶
②
の設定田
また
、①
と②
の一
混在頁
から起こる問題ではなく、﹁接辞﹂
接頭語・接尾語︵学校文法で定義するもの︶
︵
五
九
③
を認め
この﹁ 下抽目三の﹁ 巨 ﹂は本来下二段助詞の連体形
︵ド幅Ⅰ
屈二︶の
り払った
傍﹁
﹂﹁
0
の﹂り
︵
﹁﹂、さらに﹁含
尽ま
くれ
する
﹂に﹁上ぐ﹂︶が下一段動詞︵﹁上げる﹂︶に﹁活用型を変え ﹂︵同車目
刊を取
了一段動詞終止形に共通目
し﹂
てな
含ど
ま接
を
れ辞
﹁
る﹂
﹁ 五九九頁︶たのは﹁目 ﹂という﹁接辞﹂の添加による ﹁派生﹂と 考
﹁ロの
﹂、
られていることである。
。こ乙では
球﹁
﹂﹁
ぎ﹂などが単に音韻現は
象な
とく
してえで
とした
最終
い尾 って
二い
段店
の描
要素として捉えられている。と形
い式
う
点で動詞不と
う下一段 活
話構成
上ぐ上げる
よか
うし、前
する関心を見ることが出来るが、し
に
も
述
べ
た
造に対
︵回書五九九頁︶
卸 ㎎の
qE
ゅ口
﹂,
@
.
ような意味を持つ単位が子音で終わ
るヰ
︵よ
これから
の﹁接辞
にこの
かりで
﹁
仁﹂
では
いの
かを
。不二段動詞が形としてもともと持 っていたも
えな
とは国詰の実際からいえばかけ離れ
た分析﹁と
い
わなざ
る
る︶こ
少な
くとも形の上では、二段動詞の一段化 という変化
であら
って
、ある単位が子音で終わることにも
つな
いい
てなのん
の、議
論
い。 否
のる
中での
連体
形が
終止
形。
に 津出していった、その結果とし て 下一段 動
で
あ
る
というところが、その関心の希薄さと私には思え
詞の終止形に残っ
たも
接活
辞用語
はともかく、①の音節単位で分ける
尾
と
こ
の
②
ののではないのか。とすれば、﹁の﹁﹂の添加と
それ
いう
こと
と歴
史な
的な事実とどのように結びつくのか。
て
構成の要素としてしまえば、不
全整
体とし
て
奇
妙
を混在きせ語
麓
Ⅱ﹂
﹂の﹁歴史的なことをいわないとしても︵それを含めて理払㎜化 あるいは
の
まは
でい
もなかろう。﹁
窩﹂
接﹁
辞
合が様々に起こるう
系化
さと
れなければあまり意味はない︶この処理はいかにも不都合
形式
末に母音を持たないから活用の
思わ
しれ
ょる
うが体な
い
などは
の型の逮いとして分析されている。この分析は正しい。
である。周書では﹁折る
つまり、 こ
などは 活 Ⅲ
窯 ﹂という接辞が﹁二の部分から活用し、未然形など ではそれが
﹁
形 、連用形に﹁﹁﹂がないのはどのように説明するの
また、﹁ 窯 ﹂の添加で下一段助詞が出来たとするなら、
か 。もし、
その未然
C 折れる﹂ 、
れらは語幹が同一であって、活用語尾だけが異なるタイ プ である。
消えるのだと説明するとすれば、もはやそれは活用とい う概念の破
壊 でしかない。なぜなら、活用というのは木質的にはある意味単位
いま仮に音素単位で活用を示す︵八 V内は下二段活用 ︶
0%形式におこる最終母音の交替現象のことなのだから。もちろん
一|
一 一一一
その意味単位の立日形式の異形態として処理し
ぅ るもので ある。
の ﹁る﹂などを外接きせることはあるが、それほ最終日土日と どリ。 40
ある意味単位の内部の最終母音の交替だけではおさまらずに﹁ 擁 ﹂
0Ⅱむ
・@
﹂はな0ん
qら意味のある単位ではなく、単に形が変わらない
・m
Ⅱ0V
パ・n-の・のⅡ
仁・ りⅠ
仁・ 0Ⅱの・㏄Ⅱハ0
・ 0"目"
O巴
AⅡ
ロ・ロⅠり
0
この﹁
この語にな
というだけのものであって、それに続く活用語尾込みで ﹁折る﹂ な
いしは﹁折れる﹂とい, ユ詰の語彙的な意味を実現する。
﹂︵不一段︶
んらかの形式が接するとき、ある特定の形態になる︵す なわち特定
の活用語尾を持ごが、その形態の交替の仕方が﹁折る
ハ
ト二段︶とでは異なるのであり、それが 活
鈴木重華氏﹁日本語文法・形態論﹂︵むぎ書房、昭和四七年︶、
と﹁折る﹂﹁折れる﹂
用の型の違いと呼ばれるべきものである。この交替の仕万の違いの
果的に両者ともに殆 んど変わらない、そしてかなり洗練きれた稚理
寺村秀夫氏日日本語のシンタクスと意味 I、 n ﹂︵くろしお出版、
にもかかわらず、下一段化する﹁接辞﹂の﹁目 ﹂を析出 した手続
が見られる。しかし基本的にはあまりにも外形重視主義的であり、
巾 にこそ例えばこの場合であるなら他動詞と自動詞と い う文法的な
きからいえば、これも四段動詞﹁折る﹂からの﹁浅 ﹂ 添 加 による派
その結果、最終音素が子音であるような単位を認める点 では、佐久
昭杣五七年、五九年︶には、自他対応のある動詞の形式は ついて結
つまり、同書
間民以来と同じ扱いである。すなむち、単なる音形 の 一部でしかな
違いがある。それは単に﹁口﹂﹁の﹂の問題ではない のである。
0分析によれば活用の型の違いと﹁接辞﹂の添加による違いとが 区
いものと語構成要素とを細 い交ぜにしたまま整理をする。もっとも
生で下一段動詞﹁折れる﹂が出来たとも記述しうる。
別 できない、または同じものだということになる。
大分類はなく、また㈹の例を挙げていないが、他は同様
a@ 、c
る。いま、鈴木氏のものを抄出してみる釜ョ村 氏の場 ム口卜い
一二八
佐久間氏の場ムロ、子音で終わるものは単位というよ単
りなる音形の
a、どちらがもとになったかわからないもの
コ0ガ0の・
仁
%
%田
%
0・ぺ口
0Ⅱ。Ⅱ片
。・
仁
0年。Ⅰ。
岸いの・
仁
円㏄目オ目
・
吋の宙吋り
・Ⅱ
臣
コ岸ガ・仁
コロガ0,Ⅱ仁
%
1 m.
目
ガドアの・佳
Ⅱ
であるⅠ
極的に﹁接
一部としか解釈できなかったし、島田氏の場ムロそれ
積を
0.ロ
コ0オ0Ⅱ・Ⅰ
1
﹁・目
がⅡが毛曲㏄・
仁
Ⅲ他動詞
自動詞 |
の・口
﹁舶毛代の ・
目
1
㈲他動詞
自動詞1お・﹁ E
㈲他動詞1
自動詞1
㈲他動詞1
自動詞1
コ的の・臣
Ⅰ
臣的りの・
仁
1 の・︵
口
㈲他動詞1
自動詞
ゴロのり
仮・仁
Ⅲ他動詞1
0・ぺⅠ
自動詞1曲﹁ 自
㈲他動詞1
円仁の曲㎎の目
Ⅱ・
%
㈲他動詞1
c、他動詞がもとになったとおもわれるもの
自動詞
%田
b 、自動詞がもとになったとおもわれるもの
p
辞﹂あるいは﹁語根﹂という語構成要素としたために様々な内部矛
盾を抱え込んだ。この内部矛盾が表面的にはかなり忌避 きれている
のが、鈴木氏や寺村氏の整理であるが、この忌避は活用概念の改変
の上に成り立っている。
その主なものは次の通りである。
①語幹と活用語尾をそれぞれ語の構成要素としたこと
②そのため活用語尾はなんらかの意味・機能を持つものに限られ
ること
③従って、活用は語︵ある意味単位︶の最終母音の交替を本質と
するものではなく・別の形式の接続と考えられている こと
ガドガ仁
・
八重日
肛Ⅲ幹﹂は㈲子音で終わるもの︵
そしてこの結果、動詞の﹁
いわゆる変格
0日の目
・ 六%
せ0目白 八読むV など︶、㈹母音で終わるもの︵︵
めるV、コ口オ
の・︵三八抜け
Vるなど︶、㈹特殊なもの
活用の動詞語幹︶の三種類が析出きれる。
、①のよう
しかし、﹁語幹﹂が単なる語の音形式の一部分ではなく
に語の構成要素である以上、㈹のような﹁語幹﹂が出 てくるような
分析は少なくともわたしには認められない。子音で終わる語構成要
素 はこの﹁語幹﹂だけにとどまらず、﹁接尾辞﹂にも ﹁語根﹂にも
自動詞1
%由
ガ曲才
苗ハE
・
︵﹁日本語文法・形態論﹂
二セ二一|
四頁︶
らく
表 には詳しい説明が付けられていないのだが、﹁| ﹂は 恐,
こ
の形態な のであり、述語として﹁|た ﹂と対立して述語の意味 機
能が解釈 きれる。同様に﹁ | ない﹂と対立して別の意味・機能が解
いた﹂は 対立するが、﹁ ta
﹂と対立するのは﹁
秋 されも するであろう。従って確かに述語としての﹁書く﹂と ﹁重日
根 ﹂をあらわし、﹁1 ﹂の前のアルファベット表記の%分が接
﹂を ﹁活
おける﹁ 巨 ﹂の不在なのである。活用概念を改変して﹁dp
述 妾旧に
であると理解される。また﹁ 1﹂の前の部分全体で﹁伍拍幹﹂、
由 ﹂ではなく、
0部分は﹁語尾﹂︵寺村民 は ﹁活用語尾﹂という︶ とさ れる。
であろう 。けれどもその﹁審 ﹂と同じレヴェルで﹁ ヰ﹂は存在 しな
曲︶ 、 見る︵ 日 @.
﹁
こ| 見た
い。﹁ 書 く ︵カリガ・由︶1 %百いた︵Ⅰ巴 ・︵
るならば 、それはあまりにも外形的な︵形骸的なとさえいっても
けになる ︵日 @審
. ︶﹂と並べてみて﹁互 ︵偉﹂と﹁ 審 ﹂が対立していると考
Ⅰ﹂
右表以外のタイプとして﹁ オ0千年C 巴 Ⅰ目 ﹂﹁ 已 ・︵
E?コ田・仁
い ︶見方 であろう。
﹂が﹁ ガ巴﹂になると説明しなければならないとす れ
こして﹁ ガエオ
叶い吋十︵斡
﹂であり、音韻変化を お
ぅか 、もし成立するというのならば日本語の音節組織が根本的
ば ︵同日本語のシンタク スと 意味Ⅱ口四一 | 四六頁︶、音便 が 趣 こ
剰 きえ ﹁書いた﹂という形が﹁
え 直されねばならないであろう。
ていると いうことになり、またもや日本語の音節構造が根木的に考
ロ﹂が挙げられている。﹁ ロ﹂そのものは、しかしなが ら、な
態 請口︶ なる概念を採るにしても、それが形容矛盾である点は措 @
え直きれ ねばならないであろう。﹁音便語幹﹂︵コ日本語文法
形
かの機能や意味を持っているのではなく、述語として機能する
ことであ る 0
として、 音便がおこらない形 は やはり﹁ 叶リガ﹂なのだろうから 同じ
しかない。それは動詞が他の形式を後接せずに述語になるとき
一二九
の、ということはとりもなおさず動詞として成立した 一つの形
﹁た ﹂︶
る際の音 部数︵拍数︶の増加を認め、かっ子音連続を原理的に認め
きれ、その一つに﹁︵ ひ﹂︵学校文法でいう完了の助動詞
た、 ②で﹁活用語尾﹂はなんらかの意味・機能をもった単位と
おいて子音一昔だけで意味・機能を担う 要素として 成 立しうる
が挙げられ、それぞれ﹁ オ﹂﹁ 口﹂が語根とされてい る 。日本
す
﹁出るC
用語尾﹂ とするのは一向にかまわないし、そのような考え方も可ム月目
﹂は㈲に属するから、語根が﹁ 印﹂という子音 一音だ
青の接尾辞まである。すでに ニー 一で挙げておいたが
で終わる 語構成要素はいたるところにみられるが、Ⅲ②では 子
ま考どに
にか 語 なし
ど、 出 青手後尾「
一昔 を辞詰め
変
ん
や
改
めら「
態 た
で
て、 次のように整理している。
一二 O
Ⅲ語幹を共通にし活用を異にするもの
① | ③ ほ ついて、 ム﹁はこれ以上 つっこんだ議論をする余裕がない
が、ただ次のことは指摘しておかねばならない。この活用概念の改
倒語幹を共通にし語尾を異にするもの
ここでい う ﹁語幹﹂は学校文法でいう語幹に等しく、﹁
㈹語根を共通にし一方に語尾を添加するもの︵四七一頁ね@
ぬⅢ︶
語尾﹂︵ないしは﹁語尾﹂︶ときれるものが、それが﹁由﹂であっ
尼辞に 等しい。従って、やはり音形式の一部分にしか過ぎない語幹
の整理とでもい う べきものになっ ているということである。﹁活用
ても﹁ ゴ ﹂と対立したものとして考えられている限り、他の形式を
を話構成要素と混在させての整理といわざるを得ないが、月華山や老
変の結果、活用は総じて動詞形態の整理ではなく、むしろ述語形態
後接しないか、 後 接しなくてもそ こで述語として成立するものばか
え万の違いを越えて、結果的には以下に示す私の整理に似たものに
託山尾︵右の望 月氏の﹁ 語
語尾﹂は 接
りであることがそれを物語っていよう。そのような改変の上で考え
なる。
亙 って次のようなものがある。
いる。 ア行の﹁ ぅ﹂がないのは当然として、他の行のほぼすべてに
尾 ﹂はこれに当たる︶ともいわれる 一音節の接尾辞が よく知られて
ところで、古代語の研究においては、動詞
られるⅢ | ㈹のような自他対応のある、述語ならぬ動詞の形式的な
整理が 、当を得たものとは考え ろれないのである。
二形式の整理
したような扱いばかりであったわけではない。けれども現代語に関
つ︵
づ︶︵いらう、はなっ八枚 V 、 ゆづ 六如 V 、わかっ
す
ふ たぐ ︶
する限り、上述のような扱いが主流であ ったように思う。古代 語 に
ぬ
く︵
ぐ︶︵うつく ハ虚 V 、うどく、つなぐ、なびく・
関していえばもう少し落ちついた分析があった。たとえば、望月世
ふ ︵ぶ︶︵うつくし ぶ、うる ほふ 、しな ふ、つたふ、ひ は ぶ︶
自他対応のある動詞の形式的な扱いとして、必ずしも前節に紹介
教氏 ﹁国語動詞に於ける対立自他の語形について﹂︵ 司橋本博士 還
む
︵き こ の、 こ の 六趣 V 、しな ゆ八萎 V 、みゆ 八見 V ︶
︵いたむ、しづむ 、たわむ 、つ ま む 、などむ︶
︵たばぬ八束 V 、つかぬ八束 V、つらぬ八列 V ︶
︵き こす、しろす 八領 V 、の ばす、ほす、や どす︶
暦記念国語学論集﹂昭和一九年、所載 ︶を挙げることが出来る。
ここでは﹁動詞自他形式の相互関係﹂︵四六八頁︶を大きくまとめ
でしかなく、語根そのものは最終母音が@替しぅ るもの
たのである。とすれば、﹁はな﹂もまた語根そのものの 一つの形態
討 として成立・実現しており、いまその終止形を以て ﹁つむ﹂とし
この接尾辞を除いたものが、取りみえずこの場合、その語の語根と
は、交替は最終母音に限られないし、頭子音でさえ交替しぅるが、
V 、はしる、まがる︶
いうことになる。しかし、本来語根はこのように消極的に規定きれ
︵うつる、くもる、にがる八苦
るべきものではなく、ある語の語彙的意味の中核として例えば﹁は
その抽象を
ム﹁そのことに触れる必要はない︶依然抽象なのである。
実
として︵
な﹂は﹁はなり、はなる、はなす﹂という動詞形式にその意味が実
根
﹁巨ョセ﹂の最終母音﹁
せ﹂が動詞活用としての交替を以て伍何な
以下、例えば﹁日日セ﹂﹁ゴの毛﹂と表記しよう。
らぬ語に実現しているときと、接尾辞を必要として事実上 ﹁く﹂ が
現 きれていく単位、逆にいえばこれらの動詞がなんらかの意味的 関
そ の意味的な
﹁曲﹂でしかありえないとき︵﹁つまむ﹂︶とでは、そこに成立
速 があるものとして私たちに直感されるのであれば、
まとまりの宿る単位として規定される。従って実際に見られる語形
実現した語の意味はおのづから異なる。同じように同 一語根の最終
母音が別の活用系列の交替を以て動詞になっているときも、そこに
態からいえば語根は抽象であるし、語根からいえば語形態は一つの
成立するそれぞれの動詞の意味は異なる。例えば、﹁毛ぃ︵セ ︵
割 ︶﹂
。
具体であろ ,フ
さて、この語根は﹁はな︵放 ︶﹂の場合は、そのままの形態で動
n
仁・
.由︵仁
Ⅱ
︶・。
ヒ・
ハ
の︶
Ⅰ﹂として
動
つく、つまさ
詞の中にみられたが、﹁つまむ﹂の﹁つま﹂は﹁つま。
詞 になっているとき、四段の﹁割る﹂と下二段の﹁割 る﹂とは、お
ル﹁p。デロ・0﹂ンⅠ﹁
︵﹁万代に の ﹁せ﹂火
のづとその意味を異にする。つまり、一つの語根が二つの活用系列
き ﹂はもちろん﹁つめ︵ 爪 ︶﹂にも、また﹁つむ︵ 捕 ︶﹂
かはとけてわが背子が都美し手品っつ﹂﹁萬葉集L 巻一 セー三九四
をもって、それぞれが自動詞、他動詞に分属するのである。
夏芋﹂﹁新撰字鏡﹂享和本︶にも見られる。
0 、﹁拮以爪取也
これはニー二で﹁活用の型の違い﹂と呼び例示したものである
どの形態
語と
が、それは現代語であってもまったく事情は同じである ︵古代
このように同一語根の異形態として母音の交替がある。
がもとであるかは問題ではなく、同一とされる語根の例えば自立す
まったく同じ動詞が属しているという意味ではない︶。ただ、その
6名詞としての形態が﹁つめ﹂であり、いわゆる被覆形 としての形
ぅる 最終電昔の交替が
終止形の形態で表記すると﹁わる﹂と﹁われる﹂になって、そこか
態が ﹁つま﹂であり、またその語根の交替し
動詞としての活用系列として見出きれるとき、その語 根 はすでに 動
一一一一一
ら同一語根が感じにくいというだけのことである。これが、自他村
立 の一つの型である。
二つ目は語根が接尾辞を必要として動詞に成ったものと同一の韮山
根の最終母音がそのまま動詞の活用系列の交替によって動詞になっ
その接尾辞はさきに例示
たものという対立であって、現代語の場ムロ
した動詞語尾﹁る﹂または﹁す﹂の現代語形、並びに数は少ないが
﹁ゆ﹂のそれに限られているよう であり、しかもこの 対立の中で
﹁る﹂と﹁ゆ﹂は必ず自動詞に、﹁す﹂は必ず他動詞に属している。
﹁る﹂と﹁す﹂は上述の例示ではともに四段に活用するものしか出
見 ︶﹂
きなかったが、﹁かくる︵
隠︶、はなる﹂﹁のす︵
乗︶、 みす ︵
ガ@せ
.り仁
Ⅱ つ
ガせ
一一一一一一
小
十寸 0・の
E% 凋 ︶
現代語のいわゆる目地対応のある形式についての、
そ の形式上の型
は以上の三つに尽きる。もちろん、以上の型に同一諾 根 の二つの 動
C ﹁含める﹂﹁漏る﹂ C ﹁漏れる﹂ な
詞形式が当てはまっているからといって、必ずしも 自 他 に分属して
いるわけではない︵﹁含む﹂
ま た 、汎時的
C ﹁起きる﹂﹁転がる﹂ $ ﹁転げる﹂ は
$ ﹁越す﹂などは第三の型︶。
どは第一の型、﹁起こる﹂
どは第二・﹁越える﹂
は、第一の型
にみれば、自他に分属しない例は飛躍的に増える︵﹁一
父ふ ﹂ 不 二段
T ﹁替ふ﹂四段、﹁交ふ﹂ 干 ﹁還 へる﹂等々︶。それ
から第三の型を含めて、語根の動詞への実現それ自体が、現実とし
ての具体的な形を得るということであり、意味の面からい ⋮@
ば 土木刀
ム
化の抽象からの意味分化であるからである。そしてそれは造語︵ 話
など下二段に活用するものもあり、その接尾辞を現代語形に直せば
﹁れる﹂﹁せる﹂となる。なお、﹁
ゆ﹂も現代語形では ﹁える﹂と
形の増加︶と相即する。その中で、以上の型だけに自他の形式が分
属する。その理由について十分に論じる用意はまだない
以上の第一から第三の型までの具体的な例示を掲げる。
但し 、便
なる。
三︶
官士、第一型に関してのみ、動詞の連用形で示す。また、傍線部は
帯 の巨
紹ョp.
紐 3 組 ヨ何 $ 留目白⑪遠
セ千
三つ目の型は、同一の語根が上記﹁る﹂または﹁ゆ﹂と ﹁す﹂を
接尾辞、語根はいつまでもなく最終母音が﹁く ﹂であ るが、これも
$ 笘
必要として動詞に実現したものどうしの対立であって、 これも活用
便宜上その動詞の終止形に現われた形で示す︵仮に語根形と称す︶。
がの
p.
目
に拘らず﹁ る﹂または﹁ゆ﹂の方は必ず自動詞、﹁す﹂ の方は他動
それぞれの型はなお細かく分けられるが、ここでは一行で 示される
対立は同種とし、改行してあればこの細かい種別が異 なる
詞 として、属している。
叶曲
0・Ⅱ仁介十オドく干ノガ 簿の・
宙㏄
︵
還︶
第一型
@け
y 焼き $焼け
折り︵他 ︶$折れ︵自︶抜き <抜
空き︵自 ︶ $空け︵他︶付き干付け届き T届け
第二型
語根形$語根 干す
ま|
す
合︶
わす
他
動︵
く $動かす済む <済
.Y
11
ムロぅ︵
自 ︶<.Y
及ぶ︵自 ︶T, |及他
ぼす
︶︵
11
す
荒れる︵自︶A荒
@ら
vす︵他︶出る $出す逃げる $逃が|
閉ざす延びる11
生きる︵自 ︶$生かす︵他 ︶閉じる<lv
す
おきる︵自 ︶ $趣 こ判︵他 ︶落ちるT落と引降りる $降ろ|
尽きる︵自︶ $尽くす
|︵他 ︶
語根形T語根 干せる︵す︶
合,っ︵
日 ︶C合わせる︵他 ︶
浴びる︵自 ︶<浴
@び
"せる︵他︶着る <着
.せ
v る見る ⑨見せる
語根形①語根 干る
刺す︵他︶$刺さ|
る︵自 ︶
当たる埋める11
上げる︵他 ︶<上
.が
"る︵自︶当てるC
積む︵他 ︶$積もる
|︵自 ︶
語根形$語根 干れる︵る︶
生む︵他 ︶⑨生まれる︵自︶
分ける︵ 他︶⑥分かれる︵自 ︶
語根形 T語根 十 える︵ ゆ︶
煮る︵ 他 ︶①煮える︵ 自︶見る C 見える
聞く︵他 ︶ $聞こえる︵ 日 ︶
第三型
語根 干 る $ 語根 干す
移引 ︵自 ︶ $移引 ︵他 ︶返初 $近刊 通引<通
.判
@
語根 干 れる︵ る︶ C語根 干 す
回
隠す汚れる1111
現われる︵ 自 ︶ 3 場わす︵ 他︶隠れる <.v
語根 十 える︵ ゆ︶ $ 語根 干す
消える︵ 自︶ $ 消す︵ 他
$
燃す11︶1
燃え1
る
乗利 ︵自︶ C乗せる︵他︶奇利 $ 寄引引
華
根干せる︵ す︶
妻巾根十
8千中伯
語根 十 える︵ ゆ︶ C語根 干 せる︵ す︶
見える︵自 ︶ T見せる︵他 ︶
<l
v
汚|
す
言い訳めくが、述べ残したこと、説明を端折ったところが多い。
すでに紙数も尽きているので、取り敢えずの摘筆 とせ ねばならない
諸賢の批正を
が、 にもかかわらず、第二節が相対的に膨れているのは 、現代語の
研究への一つの疑義を申し立てたかったからである。
請 う 次第である。
一一一一一一一