豊岡のコウノトリの野生復帰事業の 取り組みについての一考察

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(要旨)
豊岡のコウノトリの野生復帰事業の
取り組みについての一考察
千葉有紀子
はじめに
豊岡のコウノトリ調査に至ったきっかけ
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年に、前年の台風による床上浸水で危ぶまれていたコウノトリの放鳥は、予定通り行われた。
翌年の 2
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6年にコウノトリ郷公園に主任研究員の池田啓氏を訪ねた際に、「コウノトリ野生復帰は単
なる野生復帰ではない、官や民の様々なセクターの協働の取り組みによる政策なのだ j と、これから
は生態学的な研究以上に政策的な分析が必要となり「ヨーロッパのコウノトリのことを日本でもっと
紹介しないかJと、ヨーロッパのコウノトリの保護政策を日本で紹介する課題を頂いた形になった。
ヨーロッパの先行事例の研究を進めていた過程で明らかになったことは、ヨーロッパのコウノトリ
の保護政策が豊岡の参考にされながら、コウノトリ未来会議のなどの記録や、新聞記事は存在するが、
邦語研究論文としてまとまった文献はみあたらないことであった。
そこで本論文では、豊岡地域のコウノトリ保護政策の有効性や課題について考察する際に、ヨー
ロッパのコウノトリ保護政策の中からフランスのアルザス地方の事例を選ぴ、同地域を中心にヨー
ロッパの保護の歴史を豊岡地域と対比参照することとした。
第 I章
コウノトリとは
コウノトリ目コウノトリ科のコウノトリ (
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c
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n
i
ab
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y
c
i
a
n
a
) は大型の肉食性鳥類で、日本・ロシ
ア・韓国・中固などに生息している。身長が1
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0センチメートル、翼の長さは2メートル近く、羽を広
げて飛ぶと畳一枚くらいの大きさの白い烏である。体重は 4から 5キログラム o 大きさの割には軽い
と感じられる彼らは体重の 1割にあたる 5
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0グラムの餌を必要とする。 湿地生態系の食物連鎖の頂点
に位置する頂点捕食者である。江戸時代には全国にいたとされるコウノトリが1
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1年に絶滅に至った
のは、1.乱獲 2
. 営巣する松の木の減少 3
. 農薬
が大きな原因とされている。
同じくヨーロッパとアフリカに生息するコウノトリは、大型の肉食性鳥類で、湿地生態系の食物連
鎖の頂点に位置する頂点捕食者であることは同じであるが、より乾燥した地域でも生育が可能である
ことと、何よりも数が以前よりは減っているとはいえ、今のところ十分な生息数が存在していること
が日本のコウノトリの現状との違いである o ヨーロッパのコウノトリとアジアのコウノトリは、生息
域が全く異なるために、それぞれの地でコウノトリと呼ばれている。日本では便宜上、日本・ロシ
ア・韓国・中固などに生息するコウノトリ (
C
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c
o
n
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ab
o
y
c
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a
n
a
) をコウノトリ、ヨーロッパとアフリ
カに生息するコウノトリをシュパシコウ (
C
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c
o
n
i
ac
i
a
n
a
) として区別している。
コウノトリが最後まで生息していた地である兵庫県豊岡市は、コウノトリの飼育増殖と野生復帰を
∞
年に第一回の放鳥を開始した。巣立ちは自
目指し、「コウノトリ野生復帰事業計画Jに基づき、 2 5
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年ぶりで、人里での動物の野生復帰は世界的にも例がなく、現在は飛来個体含め8
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羽が豊
然界では4
岡近郊で暮らしている。先行しているヨーロッパの事例は日本と同様に、コウノトリの保護増殖活動
は、人々の暮らし方とコウノトリの生育環境とが緊密に重なり合っていることに特徴がある。ここが
他の絶滅危倶種鳥類の保護増殖活動と大きく異なる点である。既存の研究は、保護増殖にもっぱら関
心を向けるか、コウノトリの野生復帰がもたらした地域の経済社会への影響に関心を向けるか、その
どちらかに偏った切り口のものが多い。本論文においては、豊岡市の「コウノトリ野生復帰事業計
画」について時期区分しながら、保護増殖活動だけでなく、そのまわりで展開した協働の取り組みを
編年的に分析する。また、先行していたヨーロッパのコウノトリの保護増殖についても紹介する。
豊岡のコウノトリの野生復帰事業の取り組みについての一考察
第 E章
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アルザスでの取り組みに焦点を当てて
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0年から以前は、ヨーロッパには多くの烏がいたが、コウノトリは少なかった o 1
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0年から 1
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年代、ゆるやかな農業地域の開発はコウノトリの数を増やすことになった。しかし、 1
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∞年代にコウ
ノトリの数が激減することによって、多くの西ヨーロッパの闘が動き出した。多くの凶で、野生個体
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5年世
の保護や繁殖環境確保のプロジェクトが始まった。またコウノトリの国勢調査も進められ、 1
界で 1
3万5
.
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0ペア、 1
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4年から 9
5年には 1
6万ペア、 2
0
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5年の時点で 1
9以上の国で数が増えているこ
とが確認されている。
1歳のコウノトリは 1
3万羽が渡りをし、その 59%が死亡し、 90%が怪我をするという。コウノトリ
の増殖にとっての現在の脅威は、人間との関係で言えば、電線、繁殖地の巣の減少、餌の減少、迫
害・密猟、擾乱(意図的・非意図的)である。自然との関係で言えば、コウノトリの渡りの途中で影
響を与える水、山、砂漠などの環境状態である。
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5年以降、ヨーロッパの各地で、減ってきたコウノトリを復活させるプロジェクトが進行してい
く。最初のうちは、日本の初期の保護政策と同じように、生息地の保全によりコウノトリを保護する
政策が中心であった。そしてそこでは個体数が綿密に調べられた。しかし、それで、も中々数は閥復し
なかった。個体数が回復するのには、人工飼育と放鳥というプログラムが進行していく必要があった。
第皿章
コウノ卜リ野生復帰事業の取り組みの歴史
この章においては、コウノトリ野生復帰事業の取り組みを 1955~1963 年、 1964-1983 年、
1984~2005年、 2005年からの 4 つの期に分けて時期区分し、その時期においての特徴を分析している。
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5年 -1963年までは、専門家が感じていたコウノトリ絶滅への危機感が、坂本勝兵庫県知事(肩
書きは当時)を通して政治の表面に取り上げられたことによって、市民がコウノトリに関心を持つこ
とになった時期であり、兵庫県と豊岡市がコウノトリの保護噌殖に取り組みを開始する時期でもある。
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5年設立)であり、コウノトリの人
そのメルクマールとなる出来事は、「コウノトリ保護協賛会 J(
工飼育および人工勝化の方針決定(19
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3年)である o これより以前には、まだ一般的にコウノトリの
絶滅への危機感は、多くの人に知られることはなかった。数を減らしていたコウノトリに対して具体
的な試みを始めるきっかけを作ったのは、今もコウノトリ郷公園内に石碑が残る阪本勝兵庫県知事で
あった。
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4年から 1
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4年には、いままで、そっと見守っていたコウノトリに人が介入し始めた時期であり、
わからないことが多く失敗の連続であった時期である o そのメルクマールとなる出来事-は、前節で設
19
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5年設立)が発展的解消し、 1
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4年に「コウノトリ保存会j と
立した「コウノトリ保護協賛会 J(
なり、現在の副知事に相当する助役が代表となったが、 1
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1年には人工飼育の事業は草岡市に移り、
保護団体となったことである。この時期から豊岡市がより深くコウノトリの保護へ向けてかかわり始
める。また、コウノトリの絶滅の原凶がはっきりしたことにより、人の生活との関連についても考え
られ始めるようになった。後にコウノトリの野生復帰事業に大きな影響を与える松島興治郎氏がこの
時期に飼育員になっている。
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5年から 2
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4年は、大きくコウノトリ野生復帰が動いた時期となった。この期においては、一度
失ったコウノトリとの暮らしを取り戻す為にどうしたらいいのか考えた末に、行政から条例等が定め
られた。メルクマールとなる出来事は「コウノトリ郷公岡」の関岡 (
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年)である o コウノトリに
興味のある人が仕事として関われる環境を作り、さらには、より研究的にコウノトリと関わる体制が
作られ、専門家達の研究の見える化がなされ、今どんな研究が行われているのかを興味のある人は知
ることができるようになった。この時期により放鳥の準備が整ったのである o 佐竹節夫氏や池田啓氏
など、多くの立場の人が関わっていた時期である。
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年からはコウノトリ野生復帰が大きく動いた。メルクマールとなる出来事は「放鳥 J(
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5年)
であるが、それ以前から試みられてきた「コウノトリ育む農法 Jや「湿地の再生Jなども、放鳥を
きっかけとして本格化していく
D
さらには、「兵庫県立大学大学院jの開校 (
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1
4年)もある o これ
からはますます人とコウノトリの関係が緊密になる。これからのことが考えられていく時期である。
上回尚志氏や菊地直樹氏、両村いっき氏など、実際にコウノトリが里に戻ったことにより、関わる人
も増えてきた時期である。
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むすび アジアで支えるコウノ卜リへ
アルザス地方の事例研究から明らかになったように、コウノトリの保護増殖と野生復帰が進んでい
けば、コウノトリが全国に広がり、さらに渡り鳥として再び蘇えることが想定される。コウノトリの
保護増殖を進め、野生復帰を定着させようとするならば、多くの餌と餌場となる土地が必要となって
くる。アルザス地方でもそうであったように、複数の拠点がまずは必要であり、その際には将来のコ
ウノトリの渡りへ意識をしっかり持つことが大切である。
コウノトリの渡りにつながるような取り組みが日本各地、そして韓国で始まっている。 2
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年 3月
には、日本で~2012年に巣立つたメスのコウノトリが韓国まで移動したことが確認されている。こうし
てアジアで支えるコウノトリの展望が現実のものになろうとしている o しかしながら現状では、親鳥
をケージで飼育し、その子どもを放鳥する放鳥方法が中心であり、完全な野生復帰の定着までには
至っていないともいえる。ヨーロッパで展開したような状況がアジアでも展開していくことを願って
やまない。