重態 上げ 中 更衣の 更衣 の 曲折が 解程 し 宙 める。この 實暇定 桐壺の巻﹁いとかく思 う 給へ ましかば﹂ であらう。以後の解津は管見ではすべて誤解してゐるやう に思はれ 総角の巻に 名残いと慰 しf. て、 nいとかく思はましかば、月頃は今まで心の 慕ったこ がある。 問頭の一句はこの歌につづく詞であるが、気力の衰へた 得たであら, ヮか0 となるであらう。 四三 とであったら、このどろすつと、いままで心のどかに㍻しあり これは過去の反實仮定であって、口語誰すれば の 一句がある。文の構造が似てゐるから、 封臆する便宜 どかならましやはなど つて、従来の解 津と相嘗 異なってゐる。 注意して問題の句を解粒すれば、つぎのやう な現在の 反 、十分理解されてゐ なかつたり、誤解きれてゐたりし て 。そして、この歌と、それにつづく詞 との 連 開が 、従 来 んだ最後の歌は、前半と後半との間に、意味上の一つの 中途で切れる。 ま宮中から退出する桐壺更衣が、帝に最後の別れの歌 を く思う給へましかば ただし古註の中で、恐らく花鳥鎗情だけがこの意味に解してゐる 文法から 解樺へ ヒ呉 失元 望気 せに ず思ってをりますの 本営にこんな こ @に 目Ⅱ る。 の @Ⅰ 曲Ⅱ コ巨 の解 程について、新しく私案を呈出したく思ふ。 桐壺 といふ 六宮の一周忌も間もないころ、宇治を訪れた黄君が、心抑へ切れ すに、大君のもとに忍び入る。しかし喪中にかこつけて、大君は、 つひに、黄君の心に従はぅとせぬ。大君の心をかつはみとめながら 空しく一夜を明かしてその臥床にもど つた黛君は、眠られぬままに これまでになく強く大君に心惹かれて、悩み苦しみっっ過去の自己 :ましかば::まし﹂といふ反實恨定 の文 の態度をふり返り見る。その黄君の心がこの句に述べられてゐる。 総角の巻の例は、コ 構造に注意して解程すれば、誤解はほとんど生じないであらう。 これに反して、問題の桐壺の巻の句は、従来ほとんどすべての証 が誤解をしてゐるやうである。 いまここの二つ句について対照すれば︵桐壺の巻の例をA、総角 の巻の例をBとする︶ づ 部 分 く ェ、反實仮定の條件法 の前件句はほとんど同一てある。 2、Bは後件句が示されてゐるが、A はそれか扶 けてゐる。 る へ 反 は 實 現 仮 花 る 3、Aは、直前に歌かあって、それにつづく詞の部分であり、給 シ Ⅰ Ⅱ 過 れ か つ A の 同 ど よ 述 句 は 去 と とんど つ い に て ほ 中 に ん す 案 べ と 。私 る し 過 B あ ( る @ま lむ て ほ ふ あ B A@ は で " が の 敬 反 定 としてゐる。 四四 A は直前の歌の後半の内容を ﹁かく﹂ 5 、 B では﹁名残 繁 しりて﹂を ぅ けて、﹁かく﹂は現在 の農君の 、心 の状態を指示してゐる。 歌とのつづき具合にあまり注意してゐないやぅ てある。 とつけて指示してゐる。これも奮説は 、すでに述べた やうに、 6 、﹁思ふ﹂は 、 B においては、黛君が大君を思慕 し てゐること である。 A においては、歌によんだやう に、失望せず 一 万気に考 菖 説 では 。私案 豫恕 する﹂といふ やぅ な、ま へるといふ、そのやうな意識状態にあることである。 ﹁こんな悲しい思ひをすることを は りくどい意味になってゐる。 7 、﹁いと﹂は B においては |一 いとかく思ふ のやうに、はつきりした文節間の結ムロ関係をもつてゐる 暖昧 である 一% によれば、 A においても同様の関係を考へることができ る 。 奮 説 によれば、﹁いと﹂の下へのかかり万は、 ﹁本営に、ほんに﹂などと 詳 して、文全世を強めてゐる やうに 解 してゐるが、後にくはしく述べるやうに、文節間の結合 俺 係 る それではほつきりとらへることができない。 問題の本文の解程 上の疑問鮎を明らかにするため、 以下 か 1 、﹁かく﹂は 具肌 的にどのやうな事態または文脈を 指示して ゐ るか 。 2 、﹁思ふ﹂はどのやうな意識状態をあらはしてゐる 3、どのや う な 反實 仮定 が篇 されてゐるか。 4 、﹁いと﹂ ほ 連用修飾語となって、どのやうに下へ かかつて 行 くか 。 5 、 其購 的に表現されずに、表面に趺 けてゐる後件 句 は 、一 % ど んな含意をもつてゐるであらうか。 ほ ついて、順次に考察を加へて見よう。 かといふ こ 奮 説は 反實候 定の表現を 問題の中心難は 、 ﹁かく﹂が指示してゐる事態はなに とにあるであらう。 ﹁かく﹂の指示の問題を誤解したために、 正しくとらへることができなかつた。そして、結局、帝 に謝する更 次 のこの地上での最後の詞の意味、大切なニュアンスが分らなくな ってしまうた。 解樺作業における最も大切な話し手の、 ある特定の 具僅的な場面における、表現意圓 、その背後の作者の考へたところ の藝術的効果を忠賞にとらへることに失敗してしまった のである。 かく﹂はなにを指示してゐるであらうか。 史上第二期の初めにあらはれ、第一期の河海抄などとば、その態 古く花鳥鈴情 ︵十五世紀後半の作であるこの 証樺は、源 反物語所 「 か異なり、文意、文脈のとらへ万に注意してゐる貼に 一進歩が認 究 られる︶は、問題の本文について 度 閲をこのやう にとらへてゐるものほ他にない。私案はこれによる 註樺史上、恐らくこれが唯一の正しい解程であらう。 歌と討との いつてゐる。 ぱの芯地 更衣の歌にいかまほしきは命なりけりとおもふやうな らましか め と のである。 連 ま @ この説が斥けられてゐる。細流砂︵いま闘文話樺全書本 約五十年おくれて為されてゐる三條西家の源氏物語所究 において も @ま ある。 也昨日今日とは思はざりしと云ふが如し 花鳥の説芳也かねて萬つ頼みし心の外になりぬることを思ふ詞 @乙 化成べしと云云 世上も皆如ノ まぅけて、 四五 きらにセ十年ばかり後にあらはれた眠注入楚 には、この説をその と ま による︶ とつけ加へてゐる。 回@ハ -. 北山氏・撃 のげられた類例から考へて、﹁思ふ﹂の意義は、佐伯 してゐる しかしながら佐伯博士も、北山氏も 、 ﹁かく﹂の指示 士らの新説の解澤が正しいであら,≦。 よんだ歌と詞のつづき具ムロ が考へられてゐない。そして反射 に、こ 態を誤解してゐるため、反貫俄定の表現を正しく理解することが 細流沙以後の解程では、花鳥鈴情 の説と異なって、更衣の直前に の場合、話し手である更衣の意圓しなかつたし、作者もあづかり知 ﹂と、﹁こ きず、結果として奮説と同じゃうに、﹁現在悲しく思ふ こでは歌の後半をぅけて、﹁こんなに失望せず、元気に思へるの ﹁かく思ふ﹂は 、﹁こんなに悲しく思ふ﹂ではなくて、 反射 に、 愛らない本文の解澤に到達してゐる。 やうな事態を豫想する﹂とを混同してしまってをり、奮説とあま らなかつた鉄分のもの、すなはち運命の縛愛を嘆く人主観照的なも のが、外部から解程の中へ割り込んで来たやぅ である。 数年来、つきに拳げるやう な新しい見解があらはれつ つあるが、 やはり奮説を全く脱却することに成功してゐないやぅ である。 つたら:・こといふ皮質仮定なのである。 の頭註に、本文を これまでこうも思わすに過していましたが、ほんにこんなに悲 佐伯梅友博士は、 。源氏物語新砂ぢ00 しく思ひますのでしたら 文を せられてゐ と議し、﹁かく﹂が歌の内容をぅけ・てゐることを注意 全くこのように悲しく存じたのでしたら 怪には 今泉忠義博士、石澤絆氏の、源氏物語の解程と文法 ぃゅい 最近﹁かく﹂が、更衣の歌の内容をぅけ てゐることに気注いた 補9-澤家が ニ、三あらはれた。 と議してゐる。 北山鉾人民源氏物語の研究桐壺 篇ぢ まの説明も 、 ほとんど、 同説のやう に見える。なほ北山氏は、 ﹁かく思ふ﹂の類例をいくつ か雙げてゐるが、参考に資するところが多い。 佐伯博士や北山氏の新説では、﹁かく思ふ﹂は 、﹁こんなに悲しく が、本文の全肥の意味は奮説と愛るところがない。山岸徳平氏の 底物語一日本古典 文畢大系 ぢおも同様である。 思ふ﹂である。 菖説 の 一 , 万つ頼みし心の外になりぬることを思ふ﹂の ﹁思ふ﹂は 絆 の の氏 、源 石澤 の のは P﹁ gかく﹂が歌の前半、死別のことを指し てゐること 松尾聴博さ評註源氏物語新講 桐壺青空蝉 Pg 物語 ﹁現在その事を思ふ﹂のか、﹁過去におい豫 て恕しなか つた﹂といふ のか、反實仮定の文脈上、意義が礎昧 である。 情 の で 事 り こ だ 註 本 る 源 に 氏 特に注意されてゐる。しかしこれもやはり結果として全購の意味は つづき具合を考へず、別々に切りはなして、そこへ木女にない人生 つぎに、﹁思ふ﹂の意義と、用法を考へて見よう。 韓愛 に対する感慨をよみとってゐるところに、誤解がある。 が更衣の歌 菖説 と愛うない。 阿部秋生民 は、源氏物語評程 おおにおいて、﹁かく﹂ は ﹁こんな悲しい事態になることを、︵こんなに早く 死別の訪れる いてそのことを豫恕しなかつた﹂といふのか、酸味である。奮説で ﹁思ふ﹂の意義が、 菖説 では﹁現在悲しく思ふ﹂のか、﹁過去にお 全胆 の反實候定の意味を奮 説と全く異なるやうに解樺 してゐる。 し ことを︶豫恕してめたとしたら﹂といふやうな口語詳に落ちつく。 ると考へて 、 かし﹁かく﹂が歌の前半をづけると考へるのは誤りであり、皮質候 これは﹁現在こんな悲しい思ひをすることを豫恕する﹂ といふ二つ の前半を ぅけ、 ﹁かく思ふ﹂は﹁死別すると思ふ﹂であ は 後に述べよう。 定の場面文脈のとらへ万に問題があるやぅ である。 こ の事について の意義の混潰したものであらう。しかしシンタックスの構造として 阿部氏の場ムロ は﹁思ふ﹂は﹁ 暇足する﹂の意であり、﹁ 死別はない ﹁かく﹂には現場指示と文脈指示があり、いま問題の﹁ かく﹂は 更 総角の巻の﹁かく思ふ﹂も、すでに述べたやう に現在 の黄君の心 が、もし死別があるとしたら﹂といふ反寛仮定になる。 このやう な このやう な解種の成立が可能であらうか。 ﹁名残熟 しう 解澤が場面や文脈から考へて妥営 であるかどうかに問 題がある。 衣の歌の後半をうけてゐると考へられる。 の状態を @︶ Kして﹁かく﹂といつてゐるが、その直前の いO ノ の場合とがある。 れる場合と、﹁判断する、想像する﹂などほとんど陳に 述等しい意義 ふ﹂は、﹁人を愛する﹂といふやうな具腔的貫質的な意 義 に用ねら 時枝誠記博士の、古典解樺 のための日本文法 こ収 。によれば、﹁ 思 て ﹂と全然無関係につづいてゐるわけではないであら, 少女の巻の、内大臣の大宮に対する詞 恨めしと思ひ聞えきせつべき事のまうで来たるを、 かぅ も 思う給へ じとかつは思う給ふれど の ﹁かぅ ﹂は明らかに、その前の﹁恨めし::﹂をぅけ てゐるであ の意であり、﹁かく﹂は、その感じ万を直接限定して ゐ る。すなは 問題の本文の﹁思ふ﹂は、佐伯博士、北山氏の考へでは﹁感ずる﹂ 類例から考へて、問題の桐壺の巻の本文の﹁かく﹂も、直前の歌 ち ﹁こんなに悲しく感ずる﹂であり、﹁悲しく﹂は 現在の事態であ とり スノ 。 奮 説は 歌と詞 との の後半を ぅ けて、それを指示するものと考へる。 四セ る。 四八 るやうに, しいとしたら﹂といふ意味が、﹁ 豫恕する・しない﹂といふ万に電離 佐伯博士らの解樺は、恐らく﹁豫頼もしなかつたが、 こんなに悲 気に思ふとしたら﹂となる。 反實候定として嘗然きうな るのである。 かう なるであら う︶と判断す る﹂意にな がう つって、﹁豫想 に反して、こんなに悲しいとすると﹂、﹁もし 豫 ﹁思ふ﹂を﹁ 豫恕 する﹂の意にとる奮説 では、後に述べ る。しかしシンタックス構造がそのやう な 解程の成立 を許すかどう 恕してゐたら﹂といふ表現になってしまふであらう。佐 伯博士の解 空 かまほし 全膿 の解程では、それが﹁豫恕する﹂といふ意味になり、結果とし 程では、語の意義としては﹁思ふ﹂は﹁感する﹂の意あ でったのに、 ﹁ある事態がかうである︵ かに問題がある。 きは命なりけり﹂の希望表現に結びついて。﹁かう ︵歌 によんだや ては奮説 に掃着してしまうたやう に思はれる。 私案によれ ば、 ﹁かく思ふ﹂の﹁思ふ﹂は更衣の歌の﹁ ス。 ぅ巴 元気に希望をもつて考へてゐる﹂の意になるであえワプ 奮説や、佐伯博士の新説においては、どちらも、﹁思ふ ﹂ほ ﹁、心 、事 こんな 態 になると判断する﹂と、二つの意義が考へられてゐて、全籠 の文 に感ずる、現在悲しく思ふ﹂と、いま一つ、﹁豫恕する 全文の反貫 仮定はどんな意味であらうか。 更衣はさけられぬ自分の死をすでに豫感してゐる。もちろん現在 しかし、わたくしは、ここは反対に解すべきものと考 へる0 そんなことがあると仮定したら﹂と解してをられる。 阿部氏は、﹁死別などといふことはとても考へられない が、南一 る。 阿部氏の新説も、反實仮定としては、疑問に思はれるところがあ これはつぎの問題として残さう。 そのやうな表現上の構成をもつてゐるためであらうか。 章 の解澤 ではこの二つがまじり合ってゐる。これは原交 そのものが 反實 仮定 は 佐伯博士、北山氏の新説は、この貼で一番場鮎 をもつ てめ るので はなからり か 。 ﹁かく思ふ﹂を﹁こんなに悲しく思ふ﹂の意にとれば、 0 過去に闘するものでなく、現在の事態に璃保するであら ネノ 反貫暇定 にならない 。現在 悲し 現實の事態では、更衣はこの上もなく悲しく思ってゐ る 。それだ のに、﹁悲しく思ふとしたら﹂では には﹁もしもこんなに悲しい思ひをしないのだつ く 思ってゐる 場ムロ に、 ﹁失望せず元 たら﹂といふ 云ひ万であってこそ、初めて友貴仮定 に なる。私案は さきに述べた やう に﹁悲しく思ふとしたら﹂と反対 で間 あの る問 。題 した はまだ死別してゐない。しかし死別はもう時 その更衣が きりともえ行きやらむ といふ恨みのこめられたとも考へられる帝の詞に謝し、残りの気力 別の悲しみを がつて、 反實仮定は、﹁死別はきけられ萬 ぬ一 が ・ 死 、 せずにすむとしたら、生きて行く命の希望だ をつ もた てら る﹂ のと いふまでもなく限りなく 悲しい死別を述べた を 絞って 底答するかの如く 、や うやく口を開いて、この地上での最 ものである。 後の別れの歌をよむ。 いふことになる。 の希 、射 歌の前半の死別の絶望と、後半の命生きたく 思望 ふも 反 椴 む、 なしい 紙一重の表裏である。後半の、 希み 望せ はかけだけの 歌の前半には、さけられぬ死別を前提に悲痛な絶望感がのべられ る。後半には表現上一つの曲折があって、そこには命生きたく思ふ 想である。そして、そこに もし、これがわたくしの本営の思ひでしたら 幸ど 福ん でな せに 生かまほしきは命な 希望がのべられてゐる。 あるだらうか。わたくしはさぅ は考へない。 更衣の歌の後半に、﹁生く﹂に﹁行く﹂をかけて ぬ る。 この掛詞の解 樺に 二つの説がある 0 佐伯博士は、﹁行くⅠについて 貧家へ録りたい 阿部氏 は と 説明されてゐる。 からだは少しも 行ぎたくほございませんという意を含む 道の縁語となって りけり﹂といつてゐる。しかしそれは本富に失望せず元気な希望で 帝の ﹁え行きやらじ﹂といふ詞をうけて、﹁ うのに といふ皮候 質定の表現が生れてくる。 度に 更衣の歌のよまれる前の場面や文脈を見ると 、つ 帝い のて 態 は、作者は 消え入りつつ と、繰り返してその謹言のないことを記し帝 て がゐ 一る 万。 的に登 書されるや ぅで、更衣は重態の衰弱で、ほ物 とい ん ふ気 ど力を失 な ってぬるのであ0 る 四九 五O をいつた言葉のうは べだけの掛詞にすぎないのである。 氏 のさきの反 問 題 鮎の lト つ物 か語 のノ これは、佐藤定義氏が 、い 源く氏 寛仮定の解 う種 な文 に脈 疑場 問面 をか 抱ら く考 のへ てて あ、 るわ 。た こく のし やは、阿部 の方が掛詞の 整理闘文 い り っ 華 屯 のに述べてをられるや う に 、 阿 部 氏 全文の反實仮定の意味は、佐伯博士、北山氏、阿部氏の解樺には 解津 とりて 妥は 営 であらう。 それぞれ問題難があるやぅ である。 しかし阿、 部 。氏 文は 脈の上謹 で で、 は口 、語 薔説はこの粘において一%無難である。﹁かく思ふ﹂の解程に、 實@ 家 いつて養生したいと存じます 大 きな 題は衣 ある が、﹁豫恕してゐなかつた﹂のが過去の事實であ といふ一句を敷桁してつけ加へ軟 たは 。、 こ死 れ別 でを は 、問更 の 。な ﹁い 死の 別で なりは 、な ﹁も し豫ら 恕し てめたとしたら﹂といふ皮質仮定は十分に成立す 潔癖しての最後の別れの歌となか ら か り 人し 生 故、 萬測 るからである。 どといふ人愛なこ うに とも はな あい り、 さし0 か 不 一 そんなことが窟 あ しる たと らニ 巌 : と・ いふ意實 味椴 の定 反は、 それならば奮説を批判し否定する私案は、どこにその理由がある あら だ 随と 分矛 そ盾 のし やでて 死別を豫感した切迫した更り 衣、 の ま 心 をうか。 裕勤 のし ある人の考へ方であるり ﹁かく思ふ﹂の意味と同時に、いま一つ、﹁いと﹂が、ど んなに、 うな悲しみ鉄 に であるた 連用修飾語となって、下へ、かかつて行くかといふ問題に開運させ 0あ 深刻 に しかし事態はもつとはる かま にり 刻 で あ る て、これを検討して見よう。 ともいまきら 問題でない﹂ やう とな い含 ふ意きへくみあ とる ら。 れるので 葉の表面の 貨、 家掃 へって養生したい﹂ 言 と い ふ の を 、 阿部氏は ﹁ ム﹂ 総角 巻の例 や、その他から考へて﹁いとかく﹂は直 接 ﹁思 , は、こう の。 言し 葉か 賞で 際 意味通りにつけ加へられたの あ ら しの、 のだ むけ なしい を修飾限定するものと解すべきやうに思はれる。 はさ うでは0 な すい でに述 やべ う な た 、みせかけ る 、 ﹁ 命生きてゐたい反 ﹂實 仮 と定 いの ふ希望の裏 側そ にれ 存と す 問題の本文を一膳菖説 にしたがつて、 逐語的に口語詩すれば 本営にか ぅ豫恕 してをりましたら::㈲ 態の 反封 同じゃうにはかな0 い そも れの はで 結あ 局る 頭 貫 のの 事事 といふことになる。 一底意味が通ずるが、幾分舌たら ずの表現のや うにも思はれる。 至上啄爾氏 の 評樺源氏物語 ぃ 9へ 5に とある。﹁こんなことと﹂と引用の﹁と﹂が入ってゐる。 このやうに ぢ乙の詳文を示すと 。 て) 少し手を入れて口語評する万が、丈の意味がスムース になる。 王土氏の源氏物語余程桐壺青本 となってゐる。 五七氏の口語詳を利用きせていただくのは他意はない。 至上氏の ㈲の毒が原文の内容を、そのまま過不足なしに、譲文 にうつすこと 用の﹁と﹂でぅけ てゐる。 3、﹁と﹂の上の﹁かくなるだらり﹂といふ叙述には、 営然、素材 間の論理的主述窩係 か考へられる。すなはち、主語の 位置に立 つものは、更衣が帝の特別の愛をぅけだ結果生じた現在 の事態 であり、﹁かくなるだら ぅ﹂といふ述語の中の﹁かく﹂は あまり にも早く死別が追って来たことである。 従来の解樺 では、ほとんどすべて、原文をこのやう に 解樺 してゐ 80 原文にほ、﹁と﹂は入って㌃ない。しかしその口語 詳で は、﹁かく﹂ と﹁思ふ﹂とが直接つづかず、このやうに引用の﹁と ﹂が入って、 それを﹁思ふ﹂がづけるのである。 わたくしは、このやう な﹁と﹂の有無は解樺上大きな 問題になる と思ってゐる。 に努め、徐計 な説明をできるだけ避けてあるからである。そして㈲ と封臆するため㈲をあはせ載せた。㈲の万は、説明の ために挿入き ﹁と﹂のない本文と、﹁と﹂のある口 詳語 とは同じシンタ ツクス構造 あやふく思ふ A) 時枝博士の、古典解澤 のための日本文法によれば、 つの間には、意味上のギヤップがあるやうに思ふ。 あまりに煩頂 にすぎる詮索のやぅ であるが、わたくし は、この 二 であらうか。 の文といへるであらうか。本文は口語詩と 同じ事態を 表現してゐる れたと思はれる部分を、便宜上、二行割りにして示しヰ ・ い 。 @ さて、奮説 による㈲㈲㈲の詳文の繁簡を、相互に、比 駁すると、 原文と㈲との間には、つぎのやう な相違がある。 エ、﹁かく﹂ ほ、﹁思ふ﹂に直接つづかず、その間に切れ 目がある。 2、﹁かく﹂だけては叙述 か完結しない。﹁かく﹂は 連 用修飾語で あって、その下に限定される叙述か必要である。した がつて、 ﹁かく ヒ の下に、﹁なるだらり﹂といふ述語を補なひ 、 それを引 五一 る の場合は、一、 億 ㈹㈹ が同じゃうな素 蹄材 係 を 的あらし はてゐと 考へられることもある。 しかしながら かくあり︵あるべし︶と思ふ。かくなり ㊤と思ふ。 @ (A ,) なるだ 思 ふ 力 くらうと, は等憤 といふことになる。 かくい ふ ㊤ ( しかし かくなりといふ の間には相違がある。 Ⅳ , 窩係 で結びついてゐるといへるであらう。 五二 北山氏は 、﹁かく思ふ﹂㈲の顛倒をあげて、﹁かく﹂ 正しい 解程 であらう。 意義の﹁思ふ﹂を修飾することを明らかにせられた。 恐らくこれが とか 棲 しいとかい ふ現貫の事態を指示して・直接﹁感ずる﹂と ぃふ が 悲しい は、大鐙直 ︶﹂㌣の﹁と﹂の入った万は、その直上の句﹁かくなり や、あるいは 接話法であり、原則として話し手の詞をそのままうけ てゐるであら かくい ふ A かくあり︵あるべし︶といふ。かくな( りB といふ ぅ 。Ⅳの﹁と﹂の入らない万は、話し手の詞そのままでなく、書き いて、それぞ 手が内容をまとめて記してゐる。ある場 ムロには﹁かく﹂は詞の内容 などにおいて 0卸 、 、あるいは はぼは、 ︶表 ㎝ 蕗 現係にお でなく、話す態度を指示してゐることもあらう。 れ等慣 であらうか。 に ㈹ ㈱ の ﹁ い ふ ﹂ の 場 合 と 、 ㈲ ㈹ の ﹁ 思 ふ ﹂ の 場 ふ と は 、 必ずしも ㈹の場 ムの ロ﹁あやふく﹂といふ連用形は、立 述つ 語故 の、 資 格 に つた場合 は、 ㈲の﹁あやふしと償 ﹂値 と に等 なる。 A Ⅰの﹁かく﹂は連用修飾語の資格であるの が﹁ 、あ ㈹や のふ 場合 判断し 、感じたことの内容を、﹁と﹂がつけてを り、 Ⅸ の ﹁と﹂の入 の資格に立た うない 場ムロは 、 ﹁かく﹂と﹁思ふ﹂との関係は直接に修 飾 、被修飾の 思 ない。 奮説のや うに、現在の事態を主語としを 、そ ﹁の か叙 く述 ﹂ に を鴬 すものとすれ嘗 ば黙 、 すでに述べ やた う に、﹁ かく﹂の下、 ﹁なるだらり﹂ うな の述 や語を補なはなければならない このや うな菖説の解津の手順を認めれば、一ム 億ロ そは の場 か 場指 しかし、さきに述べたやうに﹁かく﹂の指示に 現は 、示と、 文脈指示とが一鷹匠別して考へられる。 さきに奉げた少女の巻の例は後者と考へられる網 し角 、の巻の のの ﹁巻 かく﹂も ﹁かく﹂もなほ後者とも考へられる。問題の桐壺 同様に文脈指示と考へるべきであらう。 下な にはれ このやうに、文の構成を考へると、﹁かく﹂はその補 た ﹁なるだらり﹂など ふが 述語を修飾するとい奮 ふ説は、文法的に 考へて、なにか無理がある うや に思はれる。 きらに﹁いと﹂の下へのかかり万を考へるべきである。 、あ 直接結 奮説のやうに﹁かく﹂と﹁思ふ﹂との間に切れ目り が びっかないとすると、﹁いと﹂の下へのかかり万に がな 問る 題。 って の文 源氏物語の多くの類例から考へると、最初に総角 の節 例俺係 めやうに結びついてゐると思はれる。 い、 はあ 、解 薔説では、﹁いと﹂が、直接﹁思ふ﹂にかかるか る樺 のため挿入された,﹁事態が うか なるだら ぅ﹂といふ叙述を限定す るかが蛭昧である。菖説にょれば、い ﹁と﹂が全籠の意味から少し 浮いて離れて来るやうに思はれる。そして ﹁いと﹂はこの場合、全 睡の叙述を強めてゐるなど説明きれてゐる。私案によれば、﹁いと﹂ は全韓の叙述ではなく直接には﹁かく思ふ﹂の﹁かく﹂を限定して めるのである。 いとかく思う給へましかは は反實仮定であるから、裏からい へぽ いとかくほ思う給へねば となって、﹁いと﹂は 打消の ﹁ ず﹂と封血し て部分否定になり、口語 詳すれば、﹁あまりは﹂に 柑営する。 反賓服定 め ﹁::ましかば:・﹂の表現されてゐ ない後件何 は、 どんな含意をもつてゐると考へられるであらうか。 前件何を、 奮説 のやうに、﹁もしこんなことになると 豫想 して ゐ たら:・こといふ過去の反實仮定とすれば Ⅰ、御寵愛をづけるのではなかつた 2, もつと市上げておきたいことが津山あった 3、もっと御恩にむくいる筈であった などいろいろ考へられる。この場合には、つぎの 息も絶えつつ、聞えまほしげなることはありげなれど 五三 の文脈から考へて、比較的、ュが無難であらう。 私案によれば、最初に述べたやうに、現在の反實仮定 となり、 wl る。 五四 らはすといふ風に古くから考へられてゐる。一% は辻 袴はムロって ゐ しかしながらこのやう な 菖説は ﹁かく思ふ﹂の 解樺に いろいろ 疑 をづけるのではなかつたと切なく思ってるるのと同様 に、 やほ もしこんな悲しみを前に一度して ぬ たら、その時はい ま郷寵愛 實恨定とするならば もし﹁かく思ふ﹂を私案のやう に解して、 なほ 、全文 を過去の反 うは考へられず、さけを ら思 れふ ぬと死 、別のこと 問の鮎があることは、この小論で述べて来たところである。 ︵もしこれが本営の思ひでしたら︶どんなに幸福でどざいませ うのに、 あまりに悲しくつらくて となって、奮説とは大いに異なってくる。 桐壺の巻の更衣も、総角の巻の薫君も、どちらも現在 の心の中の 思ひの苦しくつらい貼は一致してゐる。 り後悔の念にうたれてゐたことで せう といふことになる。しかしこのやう なまはりくどい 過 去 の反實根定 総角の巻の場合 これまで、これ程、深く思ひ機 んだことはないが、もし@う iた は、更衣が帝に、この世で最後に車上げる別れの討 と しては、ナン り情動的な、より藝術的なものとして感得されるであろうか 。 菖説 と私案とを比較する時、更衣の詞は、どちらの解樺の万がよ 難 に誤解があるや う に思はれる。 いくつかの文法上の間頭貼を含むとともに、この作品解 程上の根木 菖説は ﹁かく﹂の指示、﹁::ましかば:この皮質 暇 定、その他 本文に即してどこまで忠賞にとらへるかにある。 にこのや,≦な楽書を鳥さしめた作者のねら ってゐる藝術的効果を 、 問題の根木鶏 は、 話し手である更衣の謹言の意国や 、作 中の人物 センスであらう。 つたら といふ意味であり、全く未経験の新しい現在の心の動きを基にした ぬ去の反實嵌定 である。 桐壺の巻の本文は、わたくしは現在の死別の悲しみを基にして、 それを否定するところ、生きて行きたいといふ現在の反實根定と考 へてゐる。 菖説は﹁かく思ふ﹂の﹁思ふ﹂を﹁豫恕する﹂の意に解して、過 去 の反實服疋としてゐる。さぅして 御寵愛をづけるのでなかつた といふのは、後悔の心でなく、むしろ帝を思慕する心 の切なるをあ 桐壺の巻の主題は長恨歌的なものである。 のは、どうい ふ謹であらうか。 た 。もし 豫恕 して ぬたら::﹂といふ やうな考へが 依 然 として 入 しかもな 更衣は詞もいはれぬ衰弱した身で、最後の気力を絞 って、 別れ 問題の木女の更衣の詞と・その直前の歌とを一つづき にして、 そ の前後の場面や文脈の中へ正しく位置づけて、意味をとらへよう バ 敵をよんで、帝のため命 生きてゐたく思ふ由を述べた。 避けられぬ死を豫期したために 帝と更衣とのこの世の最後の別れ、その直後の更衣のあわただし い死 、薄命の更衣への帝の思慕といふいくつかの場面の申の 、更衣 いとかⅩ思へ給へましかぱ トのの 0 と。 文連接の上から考へて、更衣の歌の前半㈲、後 平㈲ 、そ ただしいづれも﹁かく﹂が歌の前半を承けると考へる と れが 本 の思ひだつたら:・﹂と逆碑を典 へるところに、 反實 仮定 が ある。﹁かく﹂が前半でなく、後半を承けて、﹁もしこ 現實の心であり、後半購の生への願ひは 、端的にい へ ばう そ ろに問題がある。歌の前半㈲のさけられれ死の豫感は、 更衣 補2 けである。 立し、結局㈲の死別の悲しきが肯定される㏄㈲は否定 される を承ける問題の本文の更衣の詞㈲の間に、逆接の俺係 が 二度 補エ ちはもつと直裁にくみとるべきである。︵ といつた。かく半ばまでいつて詞を閉ぢたその心情を、 わたくし 奮説 のや う な過去への回想 でなく、 す のこの地上での最後の詞は、 ぐ 目の前にある自己の死とつながつてゐる。 菖説 の解程 のやうに 自己の死の避けられれを意識した更衣が、帝への思慕 を最後に述 べた詞が、 このやうな悲しい目にあふのだつたら、もともと御寵 愛 をうけ るのでほ ぼ かつた といふ やう な迂回した表現で窟 きれたとはわたくしは思はないり 眠 江天 禁め 、さきに 嬰 げた 世上も皆 如 。化成べしと云云 め やう な見解は、現代の註樺家によって全く飲計 なもの として 佛拭 されてゐるであらう。あるいは細流砂以来の 昨日主日とは思はぎりし:・ 立 する。 事實とい ひ、反事實といふも 、い づれも物語と いふ 虚構の 界の出来事であることは、あらためてい ふ までもない の ほ /" @ 成 れ わ こ の で 営 成 世 といふ感慨的なものも、それと同じゃうに捨てられて ぬるかも知れ ない。 しかも問題の本文の解程に﹁こんな事態になるとは豫 想 しなかつ 五 五
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