Title 経済政策の根本思想 Author(s) Wilbrandt, Robert - HERMES-IR

Title
Author(s)
Citation
Issue Date
Type
経済政策の根本思想
Wilbrandt, Robert; 中山, 伊知郎;訳; 福田, 徳三;記
商學研究, 4(1): 317-341
1924-05-30
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/7048
Right
Hitotsubashi University Repository
経済政策
根
本
JI
!
i
川
回
,
Jl
与、
相
明暗湾政策の根本思想
ヒ
ー
的なる評債であり、とれのみが共の時々に話すぺきとん}を決定するものである之云ふ意見を有つ人々がある。叉
封して巧に此の主張を説きつけたのである。同僚の専門家の中には、障する所は此の全然主観的にして旦、可愛
でるる。日記舎の姉妹は調り自分速のみが命令すべきものである主主張する。加之彼等ほ貰際屡々国民経済撃者に
H 等の雨者には命共の他に稿空調前一友る、庶柴的なる、墜落したる姉妹がちる、移り気長﹂習慣、出来心がそれ
疋
'M 経済之を願望を可能たらしめるものん﹂して示すとん﹂が出来るでるらう。
﹂
せしめんと之に努めるつ共にある有力なる意思と遍営なる可能性之の結婚mら生れる。五口々は之等の姉妹、技術
の目的に封して手段、又は前提保件、約言すれば可能性を確保するとん﹂に依って、出来得る限り一切の目的を建
技術はある一定の目的(或は諸目的の一定の混合)に隠じて之を達成し得る様にするととを努め、経済は鵡て
会の出接結は一識の姉妹である、技術、と経済と。
の
商摩研究
第関谷
第一一抹
。主ハ鹿に於て五口々の前に起れるものは一の探沌であったり何ものも確ではな︿在
E'ン合議に於て勃悲しも μ
之を維持せん之欲するこ之は、恰も人がl伎の慣用句を反覆すればl薄黒髪の女左、
b
'
の科串の此の争読を如何に底分するかに就いては 余は今設では全然放置すると b﹂Lしたい。単に争請の
日
五
完全たる記録材料を公平なる判断の前に置︿と左を敢てし符る鵠忙も、我々は非誌に軒献なる街越を必要ル﹂する
会長の女左位仰れが美Lきかを決定せん主欲する主同様に回収なると主に見えたのである口
際的性質は不可能・と合り
った。吾々の科阜の名に於ては、もはや、債値判断を下すベ昔何等の可能性もたいと主主在うた。民民粧掛堅の賓
のウイ
余が以上に比晩之して述べる所は最近十グ年間に於ける粧済患の争論である口それは一九C九年祉会政策息合
歩る所にのみ心を配ればいいのである。
的なる慎値判断の助手主-たり、下女たる﹁経済﹂は、何の云ふべき乙之も無︿、只管彼の虚柴なる姉妹が彼に AW
設に於て好命ル﹂移り気乏の自惚は強くなる。技術は直にとれかあれかを選揮す, Q、最も瞬間的なる、最も個人
黒髪の女主令髪の女 b﹂は何れが美しきかを決定せん b﹂欲する L
﹂一般・なり b
﹂やられる c
ないと主主なる。杢然経済科患のみから何が望ましきかを決定せん主欲するとん﹂はl 世に云ふ如くi恰も人が薄
奉仕する下女たるにすが弓在いかの如くである。従って必要が感ぜられ左い主き、経済なるものは存在する飴地が
議要を評慣せられる c これに反し、笹済はそれ自らん﹂しては何の云ふ所もないかに見え、何時ザ寸かの必要に封して
事買に於ても、時々一切。技術は、問題之される技術が達成するを得せしむるん﹂とろのものによってのみ、共の
J
I
o
.
-
であらう σ此問題は苦々の科与の将来.その更に民き設展が他日之を決定すると L乙左足ふ
U
とれである。尤も際史的唯物主義に於ては、 此の有数距
唯一つのと主のみが、人公忙ば確であるん﹂思ばれる。即+り人は願望を可能ならしめる伎の二つのもの!技術乏症
情l の重要並に布殻距離を軽視して居るん﹂云ふとん﹂、
離、此の重要が非常に隼官一一せられて居る、寧ろ一面的に山両揚せられて居る。マルクス及びヱンヂルスの唯物史観
d
野来の科串
段、此の、 一切の願望l特に存在、生、活の願望iを可能ならLめるものにか、て、人類の 担念、思想に封する根本
的僚件を認める、即ち﹁最後の瞬間に於て﹂展突の粧越を決定する刀を認めるのである G然し乍ら
は多少共、斯かる解程には縁が遠い、否それは自己の目的売る粧憤を以て、それ自らん﹂しでは何の云ふべき所を
も有ぜざる・全然従属的なる柿助力主してのみ考へん在するとん﹂に傾いて居る c
然し乍ら余は、斯くしc、佃有の封象の数果多きもの・なると之が全︿誤解されて屈るル﹂信やる。絞捕の畢聞は
L 主題する、最初の暫定的概論に於て示さんとした。それに
皐に理論 b﹂歴史 b﹂に止まる必要はたい、それは叉殻果ある軽慣の技術串を生むと之が出来るのである P余はとの
と之を﹁粧済i粧棋の哲忠一主に駐食事に釘する観念
就いては時誌に指示する忙止めるとと Lしたい臼今、之に院して余の到建し得たる所は弐の如くでるる。鰹滴は、
成 る 存 個 々 の 具 酷 的 の 場 合 に 於 て はl技術主同じく1共の時々に最終の臼的之して望まれる同のものに奉仕す
る。が、それにも杭はらや y、まは此に或は彼に向げられる、可饗的投る、側人的在る思ひ付きが決定を下すと之
は許8れない。否、技術は共の時々に彼の要求を樹立せねばならぬ、それなしには最后迄首徹する賀行は不可能で
的世済政策の根本思想
丸
古川感研究
第四巻
第
一
一
旗
三ニO
日
h
w
入
v
あらう、又あらゆる願望を出来得る限 h
数多く建成せしめる震には、結局、経済が一切の願望に封ずる最も賀行
的なる総到建性l或は所誌、最も賀行的在る﹁合最格目的性﹂!の枠の中に於て、各仰の希望が如何程迄之
れられ得るかを決定ぜねばたらたいのでるる。即ち放縦たる無数の希望が決定するには非守して.共の一切に仕
へ、且つ、一切に奉仕するが故にこそ一切を﹂臨ん﹂1て出来得る限り多く浦見せしめる話には如何にすべきであ
るかを計霊ずる所の家稗、経済が決定するのである。
u
あらゆる意欲に封しでは共の手段を最も池宮に確保し、 あらゆる最高の努力に封しでは其の達成の前提保件
を、・ある程の欲望に釘しては共の充足の可能性を、用心深く賦興するとと、とれ経済の任秒設は仕事である
言を以てすれば、依乏防止が、共の努力の目椋である c市して正しく此の努力乙そ、経消よりして、或るものが
それに泊するか否か、或は共の殻果に反封的であるか苔かを測定すべき尺度を民ふるものでるる、経済的なると之
若︿は評済とれでちる。
故に五日々は、 他日i 吾々の比鳴に止まりで云︿ばl 理想主義之呼ばれる美Lき王子が盛装して現はれやう之
も、又との王子理想主義が、かの自惚れたる出来心や移り気之一広ふ虚柴の姉妹主結婚すると之友く、彼等を見拾
E
、事宜上君主に任命されて駈る下女、家梓たる経済を彼に麗ずる王座に導くと之ありん﹂も驚く必要はないの
て aA
である円
拾に於て、理想を樹て、且つ之に従はん左する人間精紳の能力が誤解されたる下女、るらゆる願望の震に心主
碍く経済之内一説果多き結婚に依うて、尽に客調的なる、或は普通安八日川なる目標を生むと之主なる。 一切の牒望主
一国として出来得る限り達成せしめ得る震に必要なる所のものは、 一切の個々に封して、従って杢鰹に封して菩
なるものん﹂理解するととが出来る。そは↓般的に認められたる理想'となり、そは﹁菩﹂'となる q
勿論それば欣態の如何に応じて鑓化ずる、共の欣態に封しては五しく是が俵かが必要とされるのである(上越
の意味に於ては、快乏防止の箆に)それはゴエーテル﹂共に可塑的たる﹁日日の要求﹂を一不し、又之に順臆して共
の時々に安立なる即一想、市も欣態が費化すれば共の後方に退く所の理想を示すものである。
之は云へ、それは又普通的にして且つ恒常的なる善を櫨鎖的に必然の理想として示して居る。吾々は之を簡阜
に略説して見ゃう。若し吾々が総て白人々に好都合なる、有益なる、或は善なるものを興ふるものは何である
J
か、即各人に封して.他の・るらゆる人々との 寛際的安協の共同基礎を捕ふる可能性を供するものは何であるか、を
尋ねるならば、共の答は、人が一切の願望の最も宣行的なる達成の迭を尋ねる場合に生十べき二つの保件に臆じ
て、一一様主ならねばならたい。締ての願望の中、出来得る限り多数を達成し得る様にする需には、それに就いて
彼を援助する所の上述の快乏防止が、第一には阻害せられ歩、第こには Eしく遁用せられて、共の目標たる(総
ての願望に就いてのノ﹁出来得る限り少泣き快乏﹂が達成し得られる様にせられねばならないのである。
第一は経済殻果が他の人々から、又人間社舎から妨害せられざるとん﹂を意味し、第二は経済就果が経済ずる人
白らに依って、或は悪き経済に依って誤って経済せられざるとん﹂を意味する。第一は経済する人自らに封し、そ
経済政策の根本思想
商事研究
第四谷
第一一扱
而も、それのみでは未だ、詮明し得ると之を認められたる、叉吾々の科串に於て要求する政策之は何であるか
賓際の行震を援助し得るかが明にされるのである。
値判断を下し得るか、叉如何にそれが、恰も工墜の技術家に於ける、又薬隣阜の醤者に於けるが如く、規短・とし之
a
々の科恩一 が
、 一定の制限の下に於ては、あらゆる克もなる批評にも拘はらや向、それ自ら、客観的に受賞なる債
斯くて国民経済墜が置際的科皐・として何を震し得るかが明にされる、少くとも暗示せられる。かくて如何に吾
表現を以てすれば、との第二のものは、経済的なるとん﹂の技術、或は経済的善として現はすととが出来る。
きであるかは、確定的なる若くは諜知せられたる欣態がとれを示すのである。以上を包括して形容的なる虞義。
法は科墜に依って系統的に一の根本原理より誘導すると之が出来る、個々。場合に於て抑もその何れを埴用ナペ
のより、共の時々に推論し得ぺき目的論的(目標を通じて輿へられたる)必然性である。此等の依乏防止の諸方
に営つては必然性在費歩ぺき明なる可能性である。即ち欣態がかかる扶乏防止方法を必要なり之するととるのも
なる欣態
法を包括する q そは、斯くて、車に存ナベかりし依乏が防止され得るん﹂云ふに過ぎないとしても、遁 同
AV・
第二のものは(既に一度引用したる余 O ﹁経済﹂に於て暫定的に概説したるが如く)有設なる昧乏防止の諸方
すと之が出来るであらう。
れは経済殻果を局限する一切の従属性、支配、並に酷使に反謝するも Oである。之を包括的に枇舎的善として一不
の震に必要なる経済的に正しき行震に封し、又経済技果に封してのるらゆる障害の除去或は防止を包括する。そ
一
一
一
一
一
一
が説明ぜられて居ない、それは経済墜者が仮令一切の政策化を嫌はうん﹂も、彼の職務を果すが震には動かさねば
ならぬ之とろのものである。誌に吾々。述べん主するは経済及拡舎政策に就いてどあるが、既に前者には﹁経済
的菩﹂主云ふ名稿、後者には﹁吐命日的善﹂主云ふ名稿の響がして居る。従って誌に﹁政策﹂とは経済的普及枇曾
的善之云ふ、彼の二つの客翻的理想の成就、又は合目的的促進に外たら歩主解すべきであらうか。経済及枇曾政
策を以て、それである之理解すべきであらうか。雨者の根本思想はかくして捕促せられるのでるらうか。
果して然らば吾々は、飛躍的に速に目標に到達して居たであらう、共の場合には吾々は賓際的園民経済躍の根
本思想を既に手にして居たとん﹂であらう、即吾々は結論を下し得た筈である。
一の偉大なる岩石が王口々に向って整えて居る、殆んど打越し難き一の異論が吾々の道に横って居るので
然し乍ら事賓は爾︿車純では無い。寧ろ今とそ創岨なる坂道が始まるのである。
然り、
ある。それは除去すべきものであらうか。或は吾々に取っては恐らくその上を飛び越すとん﹂を遁吉之ずるもので
あらうか口
Lな
共の異論は明に云ふ、詮は二割の園民経済政策││貰際的科墜としての 1 1に封して遮断されて居る、何 と
れば、それには統一的の目標が扶けて居るからである、或ものは全躍的利益より判断せられ、或ものは個人的利
益より判断せられる。人々はEに勝手に喋々するが故に、意思の疎通は不可能である在。
ポ1 レ教授は共の﹁濁逸園民経済塵の危機﹂に於て右の如く問題を提出した。伎にはそれが解き難きものであ
経済政策の根本思想
一
一
一
一
一
一
一
商拳研究
第四谷第一銭
三二回
るかに見える。伎は組てゆ賢際的問民経済躍の統一位、従って又科墜性を唯一回限りで共の上に坐礁せしめるの
である。
更に今一人の現代の著者シユパン教授は全く分離したるこつの科墜に就いて述べて居る。それに依れば吾々の
部十哩ほ事賢上別々になる、 一は普遍的の方向を左り、 一は個人的の方向を之るのである。シユパンは普遍的の方
向を代表する。それは司会附胞の利錠より出費して一位合性を高調し、個人の超佃的関係並に約束を顕出する所の方向
である。
ζとが出来る。その複数なるととが歴史的に経験せ
併し乍ら吾々は確に同様の確信力を以て伺人等の矯に、而も最後には濁り具瞳的に経済し、生活し、苦しみ‘
欲し、且つ共の模利を求めつ Lある各倒の個人の震に、争ふ
られて居る個人からのみ、み一臨は組成せられるのである。
扱吾々、即ち経済、共の前提保件並に共の殻果、より出費する吾々は、二つの間突に於て如何に自らを庭すぺ
きであるか口吾々は金剛胞の奴隷とたるととが出来るか、又個人の奴隷となるととが出来るであらうか口窓見とか
人生相叫ん﹂かに従って一方を先主し、他方を忽にするととを許さる Lであらうか。あらゆる個々の人聞が(寅際彼
L
及び各人に利益・なる有殻なる扶乏防止に依って﹀自ら共の目標の成戒に近づきつ Lあるととを見るのは、吾々に
﹂りて、宜に一切の個人から成り立つ全樫が出来得る限り多く達成し得るととん﹂同様に重要なるととではあるま
b
市町目。或は反封に、各個人が各自の需に意を用ふと之はよいとしても、それが魚花、ある会開(園民、人類之か
の)にん﹂りて、その時々に好都合なると左、必要たると之、必然なると主主して、共の欣態より推測し符ぺき所
のものが願みられないん﹂云ふとん﹂に封して吾々は無関心で居る事が出来るであらうか。
吾々は個人にも又全開にも興するとん﹂は出来たい。 一居正確には一方にも叉他方にも反封するととを得ない。
FF
何ーとなれば其の皮に、経済殻果 1従って一切の努力の殻果 1 は結少せられるからである。唯五口々は共の前提俵件
を専一ねる。而してとれを枇合的菩並に紅済的苦に見出したのである。今や五口々は第二の必然的区別に聞して居る。
吾々は経情的公疋が個人に封ずると金肥胞に封する主に依って同一ならざるとん﹂を見る、而も五口々は共の雨者を必
要 b﹂ずるのである口吾々はあらゆる個々の経済殻果に封して、共の会館欣態に相隠する底置に依って、包括的に
据えるとん﹂の出来る基礎を看過してはならないん﹂同時に、叉、各佃人を各仰の場合に最も趨首に成功させる錦に、
総ての個人の経済殻果を全く同様に増加する所のものをも犠牲に供してはならない。五口々は出愛知を形成する
問題を主題在して居るととを忘れてはならない、即ちそれが自己の活にも他人の魚にも有益なるとん﹂を各個の個
人が承認すべきが故に一切に?とって菩なる何物かが見出されなければたらないん﹂云ふ事を忘れてはならぬ。若し
吾々が各個人に在って利益なるものを問題とじ、税の目的を最も遁首に建成し得る様にするさとろのものを問題
ん﹂するものである主云ふ怠見を同執するとん﹂能は歩とするならば、五日々の金建築は瓦解するとん﹂之たる口
吾々は恰も自分の係蹄に陥れるかの翻がある口或は反封にとの外見上の迷路とそ五口々を自由たる高所に引上げ
る手段であるん﹂期待すべきであらうか。然らば吾々は共の上を飛び超へる需に岩角・として行手を塞ぐ所のものを
経済政策の根本思想
五
商患研究第四毎
第一銭
一
~・
一定の欣態に於けるある全躍に封ずる経済的利益、及び同時に
ハ既に五日々の視察したる如く﹀そは唯綜合の道に於てのみ考へ得ぺきとん﹂は明白である。共の最大を吾々が探究
鴻に一一同一刊凶ヰ)更に抽出まねば左らない。吾々は尚進んで問ふべきのみである、如何にして最も多数の経済規果が可
;{ai!?f
、
能とせられ得るか、ーと。
J
亡必げられる事なしにへ諜者誌・
又従って上の問題にも解決が興へられるゆ吾々はこの道をスチラやカリプ アイスl
r
諸種。誘
貴行的・なる殻果を典ふべき前提保件、又は基礎を確保し得るか、 とれ買に吾々の研究しつ Lある所に外左らぬ。
而も、如何にして、目的達成の震に、人聞の粧情に封し従って惹いては人間の生活及び努力の一切に封して、最も
あらゆる個人に封ずる経済的利益の二つを有すぺき場合に比しては少左からざるを得・ないであらう。
致、或は可能とされる目的建一成の教は、吾々が、
は二つのものの中の一つであるに過ぎない。又何れの場合に於ても、可能的に達成し得る様にされる経済殺果の
て一切に之って善たるものん﹂一式ふ五日々の指導原理は犠牲に供せられて来たのである。故に何れの場合にも、それ
人生観、又は科皐の外在るものの千に臨するとん﹂'となる。その何れに於ても、各人に之って利益なるもの、従つ
他。多数の人々の如く個人主義の手に師ずるかの何れかである。何れの場合に於ても吾々は誰明し得ざるもの、
ら右に左に引き込まれんん﹂ずる危険にさらされて居る。吾々はシュパンの如く普遍主義の手中に落ちるか或は又
一瞬の問、設に止まるのは誘惑の多いと主である。吾々は非科曲学性の深淵に臨んで居る。吾々は深みの光景か
捉へねばならないのである。
一
一
、
,
しつ Lある所。経済規果は、個人の欣態を依存せしめて居る全樫扶態が︿例へば五口々各人の扶態が濁謹園民経済
の欣態に依存するが如く﹀共の扶態に相臆する方法を採らざる場合にも、又、困難を珠防し得るもの、従って賢際
に必要なるものが、恐らくは夫に依って被害を蒙るべき個人に封ずる遠慮から採用せられ・ない場合にも、害せら
れる。或る近代的の機械、例へば手織機(手織物機械)の如きは、機械の麿用に依って共の存在を危くされる恐
ありし職人等の震に、数世紀の長きに一日一って禁止せられ、剰へ必然燥梯ばれたのである。かくてそれはある技術
上の遅滞を粛し、又長きに及んでは競争の不能を惹起して、それが震に、人口調密にして、従って既に工業輪出に
依積しつ Lある園民を困窮に導き、斯くして人が顧慮ぜんととを欲したる個人をさへも一層甚だしく害するとと
があり得るのである。
叉杢躍的進歩が何等かの無分別に依って支配されるとん﹂はいい主しでも、共の震に数多の個人が破誠に導かれ
る様左場合に於ては経済殻果は同様に害せられる、賓際後に至って此等教千、数百寓主も云ふべき人間が、英濁
に於ては徐々に、叉印度に於ては与識に機械機の犠牲左なったのである。
それ故に経済技果は、唯会館朕態に臆じて、共の時々に必要なる経済の諸方法を使用するん﹂同時に、その震に
不利益を蒙る営事者を、それより生十る彼の経済の被害に封して保護するか或は何か他の方法1何等かの補償i
=一二七
に依って、共の損害より琵れしめる様に配慮するととに依つてのみ最もよく確保せられる。とれとそ綜合であり
旦っとれとそ経済政策の任務である。
総務政策の根本思想
商同感研究
第四谷
第一銃
一一一八
設を以て吾々は共の思考順序の中心に到達する。今とそ経済政策の根本思想が考察されてゐるのである。それ
1る試を見出すととも出来るであらう。然しながら、系統的経済政策
は既に屡々無意識の中に臆用されて居た。之に相官る綜合も五日々の教科書に全く快けて居るわけではない、フィリ
ツポヴィツチに於て、商業政策に閲するか
の此の根本思想l従って共の綱領iを徹底的に認識するととに就いては、吾々は先ヴ、 一見あらゆる科串的経済
政策を顛覆するかに見ゆるポ l レ教授の問題提出に、とれを負ふものである。伎は杢臨的立脚賄か伺人的立脚賠
かの窮境を示す、それを以て械は一切の経済政策の統一性従って又科率性は不可能なるととが誰明されると主張
するのである。が賞はそれを以て、吾々が解決するととを要する問題を無意識に提出したのである。共の任務と
は印ち、雨固に跨る粧消殻果一般の魚に、その依存するこつの前提僚件を雨方同時に成功せしむるととに外な
らぬ o朕態の如何に膝ヒて吾々は、或は会開の悶難に際して全憾の利益を先にせねばならぬとともあるべく、或
は又より普き杢関紙態の下に於ては、各個の利益の支配に任せてたくととも出来るであらう。然し乍ら常に雨者
が眼中にあり、常に一方に釘すると同様に地方にも注意せられて居るのでるる。勿論共底では、あらゆる倒人が如
何に甚し︿全樫欣態に依頼するものであるか、叉各例人の需には如何に金関駅態への注意が先にせられ・なければ
ζとをも忘れ
なら左いかが考慮せられる、而も各個人の幸一胴の魚と云ふととが吾々の山川護貼であり又抑もの問題でるったと云
ふととは、買に個々の人々の需に快乏防止を講歩る場合の北極星として、常に五日々の前に輝くべき
てはたらたいのである。
設に於て吾々は仮令否定に依って賞されたにもそよ、此の無意識。貢献に到して感謝するのである。斯くして
始めて、夫れは│不本意且つ不用意の中にj秩序的に結束せられ、統一的に考察せられたる経済政策の積極的意
義を吾々に暗示したのである o
共他に一躍如何なる意味を期待し得たであらうか。それ注しには一つの政策化(五日々の専門に於ける任意の政
策的目標を通じての子捗)を生ぜざる﹁政策﹂とは何を名づけて呼び得るものであったか。教訓、教育、模範以
上に出で L何が必要であったか若しくは、車に可能であったか.何が一歩を進めて経済政策の釘象を生んだので
あるか。余は狽り会惜の利益と特殊の利益とが五に反捜する所にのみ経済政策の問題を認める。唯その鮪に於て
のみ、 一方並に他方の賠護者は│共に経済的には同等の模利を以て又共に害ぜられたる経済に奉仕しつつ 1熱中
するのである。只共の貼に於てのみ各人は、棋が何かの経済的命令を代理するととを感じ、叉披が、経済的にE
しきととを感得するのである。只共の黙に於てのみ、科墜が此等の意見の衝突を公然調停し裁決する任務の前に
置かれるのである、而も一方の側の或る経情的快知を指摘するととに依ってでは無くl若し然らぱ科躍は不正な
るものと在る、査しそれは全く経済政策の問題には非守して経済墜の問題なるが故にl反って、ととの自然とし
て双方に共の相封的の樫利を認めるととに依って、又双方に公平在る解決手段を求めるととに依って。
此の解決手段は一の調和の外にはあり得ない。此の言葉は、全く均等在る注意に基いて経済殻果一般をl 何人
一
一
一
丸
に封しでも唯豆義且つ公平に│目標貼とするとと、部ち端的に、如何なる方法を以てすれば夫れが根本的に一一度
経済政策の根本思想
商事碗究
第四巻
第一説
三
=
一O
促進せられ、又は狭められるかを吟味するととに依って、設に其内容を得て来る。それが斯く考へられるのは濁
-PL
先にす
り経済が、斯るものとして考慮せられる場合に限られる。或る航乏又は他の快乏が快乏防止の共同的努力に封し
て如何なる殻果を有するかが明白なる場合と躍も、経済的により重要なるととは、 一方を時に或は他方
るととにある。此のととは何に就いても幾度か余の経済皐に於ける建築の完成を指示するであらう。それが組織
3
的なる且つ個々に亘って完成せる上唇建築に依って置き代へられる迄は、それを期待する所の右の暫定的概設を
﹁戟時補充﹂として用ひ・なければならない。
扱拾に於て余は経済政策の根本思想が如何に共の個々の領域に陪用せられるかを例示すべき場合に到達した
何よりも先づ吾々自らの全樫欣践に結びつけるととである。然り'出護鮪は常にある全開放態でなければならない。
或る特種の利益が会醐閥抗態の要求する所に矛盾する所、共底に問題は起るのである。
吾々の全開欣態は充分に知られて居る。唯それに順躍して生活せられないのみである。猫過の全開欣態は戦前
に於て既に人口調密なる困にが、ける欣態である。それは成る程優れたる農業地から尚護掘せられざる貫主期待し
ては居る、併し又既に工業に依る農業の完成を必要とするのである。農業は無制限に此の完成を必要とする、故
に無機界特に織と石決とを通じては、之に従って置換へ得べき一切のものを之に依って置換へ、有機界はその代
り得ざる仕事l 衣食l の外には、もはや何ごとをも待し得守、かくて農業的に使用し得べき土地は狭きに夫する
ととと丘る、然る花農業は(農業個有 φ任務花従って)又甑花、濁過の工業製品収交換される農産物を有する遠
き諸問。面積に依る濁逸面積の増大と云ふ意味に於てとの吉成を制限する必要があるのである。余は此の欣態に
閲する争論には立入ら泣い。而して戦後の欣態に就いては、唯、戦争及び戟時経済の矯めに悪化されたる農業の
産物、経済戦争の結果世界市場にが、て狭められたる工業の販路、生産に非やして破壊に仕へんが震の全国民経済
の極端なる節約の結果たる金轄の貧困、概端に之を崎若ずる通貨の膨張、閣内に於ける貨幣遇川-資格のふへ盤、通
貨膨張の結果として又清算が不可能となれる支梯残高の結果としての貨幣憤値の下落、が賓行し得べからざる賠
償支捕の上に重なって居るととのみを注意して置かう。
期る経済状態は自動的に一暦甚だしき貧窮に導いて行︿、通貨の困難はあらゆる轍入、並に原料を輸入にあふ
ぐあらゆる製地を高債ならしめる。加之それは再び生産し得ざる財貨を臨還し之、間内に於けるその財貨を、上
り高慣にん﹂云はんよりは寧ろ上り乏しからしめる。卸園民を一居貧困ならしめるのである。常に鞠々高慣に友り
行︿と之は右の・次第に貧困になり行くと之を諮るものである口
此の蹴態ば、貨幣慣備を携就する食糧輸入に基く根本的の騰貴を避けんが免に、又支椀銭高、従って貨幣債値
を改善ぜんが震に、輸入を最少限度に止め、自己生産、特に食糧の自己生産を必要注りん﹄ずる。即支配し得る土
地の上に最大の生産を興ふべき集約的農業を必要主ずるのである。此底に於て経済政策の問題は始まる q査し農
民は各自、閏民経済的にでは無︿、私経済的に考慮するとん﹂を要するが故である。無数の考慮が彼をして、国民
経済的に必要注る集約化を困難ならしめる。とれば、何を税に費さしめ何を彼に粛すか、更に又、それは幾何の
経済政策の根本思想
-
一
-
~-
第一旗
)
題は、今日倫問題の残り在して五口々の前に存するのであるが、是等の問題はカルテルに於て更に共の面白を新にし
に件ふ杢瞳利接去、それに依って害せられる程式生産者の特殊利益之が互に反捜する。手工業 4並
A に中産階般向
主業は五口々に別の問題を提出する口岐に吾々が技術的進歩の例(機械機)に於て見たるが如く、訟では、それ
共鳴に依つてのみ杢躍的技某及特殊的抜果が同時に、従って叉経済殻来一般が達成せられるのである。
通じ℃之を保護するとん﹂に至る迄、是等は全睦利益主特殊利益之の調停に封ずるこ三の例である、濁りとれ柑一寸の
h 集約的に経済しつ Lある進歩の率先者に封しては、使用面積に件ふ課税を
る其の債格の引下げに至る迄、又土 叩
除去するとん﹂に至る迄、供給例へば入建肥料の供給を容易ならしむる震の農業組合の施設工り、根本的に重要な
調停まり、農業信用の機闘に至る迄、又買買に際L ℃慢性の債務不履行を常に新しく匙りつ Lある粧過を合激に
閣の困難が之を必要左する行震以外に於ては見出し得ざる様に。まり菩き教育上り、又経済合議並に労動争議の
例である。経済政策は、北ハの m
m態を各個の黙に就いて弐の如く構成すべき問題に面接するのである、印私益は杢
る場合に、彼は何を苦んでその上の苦弊をし注げればならないか1 1此等は多数の私経済的不利益中の二三の
之が矯めに令を借らねば・ならぬん﹂しでも向引合ふものなりや否や、又最後に、殺が然らやノル﹂も私経済的に繁柴す
所有者に封ずる借金の利子主して不簡に彼から搾取せられるのである、即ち利率の問題、進んで、その改良は、
の好んで避けん在する所でるる、必要なる資本の調達にほ如何たる困難が伴ふか、此の資本は共同相続人並に前
改良を必要左するか、その改良ば彼の力を超越する所である、附労働力には幾何の苦痛が加はるか、との苦痛は彼
商事研究酬第四谷
一
一
一
一
ー
一
た、印ち設でも最も近代的にして最も時を得たる少敢の経営に具瞳佑されたる進歩がそれに依って害せられた多
ト4 hり下4
教の倍綾なる競争者、 而も共の生存の闘争を闘ひっ Lある競争者主共に反捜する。私経済的の解決はカルテルに
依りて可能にせられたる猫占債格であり、それは最小限度生しでも向最も不良なる経管の生産費を護ひ、
きものに封しではそれ相営の差別的地代を粛すものである。が最善の方法の図民経済的に必要なる遁川はそうは
ならない、杢惜に主りて快くべからざる所のもの、支配し得る可能性を最も完全に利用するん﹂云ふ意味に於ての
工業は、斯くは途行しないのである。トラストは(最善の経替に集中するとーとに依って)此の賠に一歩を進める、
而も又共の私径を促進すると主以上に出づるものでは無い。拾に問題之されるのは、ある一般に有用なる競争、
無拘束に全膿吠態を通じ℃経済的に命ぜられる所を途行しつ Lある競争、-よりの解放である、然し乍ら之に依つ
。
て害せられる個人に注意するとん﹂は又、他の即ち、全瞳欣態の作の中に於て代表ぜらるべき方面の問題でb る
他の方面は郎会館欣態の枠の中に於足代表せらるべき方面である。それ故に良心ある国民経済皐者が、或大ト一な
る利盆開。樫の支配人之して解決せねばならぬ問題は直に明白にされる。他日彼がその代りに大臣となり、又は北ハ
の事情に通じたる顧問さなるん﹂しても、彼は経済政策に封しでは同一の原理を供せねばならぬ、只此の場合には
彼自らが﹁杢陣欣態の枠﹂を構成して、此の枠の中に於℃顧慮せらるべき特殊利益に封する許へは、 とれを彼の
召集する代表者より聞くのである。真理の精霊に封し又自己の困民経済的良心に封ずる罪は、利益。代表者が、
彼に托せられたる私益を現貰に、会開欣態に相臆する全憧利益の中に排列せざる場合、或は彼が饗心して、私益
経済政策の根本思想
荷風早併究
億四巻
第一一鉱
一二三凶
に園民経済的外套を被ぜるに至れる場合札於て始まるのである。とのと之は以上に論じ来った農業及工業政策に
受賞する主同時に、交通及商業政策にも、適用せられる、後者に就いては誌に一居念いで燭れるととが出来るでる
らう。
一般に云へば、交通及商業政策は、農業及工業政策に封して前提僚件を提供する関係にある。農業の集約化及
産業 D工業化には、 一面に於て安倍、なる大量輸送、又地面に於て利益ある、主同時に到達し得べき債格を必要之
ずる。安債なる大量職活に就いては交通政策が意を用ふぺ︿、かかる債格に封しでは商業政策が留意せねばなら
ない。
交通政策が職場に呼び出す所の特殊利益との衝突は弐の如きものである。即ち個人は殆んど皆.より安債なる
大量輸送が可能にせられると主に最大の利益を有す忍、而もそれが震に起さるべき交通機関は決して個人から利
用せらるべきものに非歩して、只一固としての金曜からのみ利用せらるべきと之とれである。それは唯、共同的に
のみ満足ぜしめられ得ペき公然の私的欲望である。か お
t る杢瞳利益の充足に就いては私益がとれを決定し℃はな
ら・ない、市も私益が杢健利益に奉仕せねばならぬ場合には、前者は後者に閥係を有せねば・ならぬ、然らざれば、
それは自らに奉仕するものにして、杢煙利益に仕ふるものに非ざるが故である。とのとん﹂を﹁調遁国有鍛道問題﹂
主云ふ燃るが如き今日の問題を以て、而もそれが今猫逸工業同盟の判決に於て曝露せられたる際に、例示すると
ル﹂は煽動的であらう。
刊訂合ふ債格にして而も封建し得る債格てふ要求も之に劣ら十井向的なるもむである。それはあらゆる企業者に
主りての前提要件である。
而も設にも杢睦利益主私益之の衝突が群る。私益は、その倍、格が確に引合ひさへすれば、只自己の企業、自己の
産業部門に就てのみ配臆するのでるる。杢瞳利益は之に封して反封ずる、即ち、石茨やバンの如き、叉原料や牛
製品の如き基本的たる債格は、それが震に高慣にされた完成品に就いて、僅に販路を求め得る債格さへも、利益
たきに至らしむる程、高くてはならないのである。然り人は、生産者圏酷の斯かる特殊利益に封しては、杢臨の
それとしての、 一般消費者利益を封立せしめ得るもの之信十るとさを得、而して人は、各人が最も安債なる所で
買ふ時に、その利益は最もよく確保せられるものん﹂信じて居たのである。然るにフリードリツヒ・リストは、杢園
民の将来の杢鰐利益の震には、ある高度の全鰹利益之雌も拾てられ得るとん﹂を示して居る。査し、恐らくは閣外
の最も安き源泉よりの購買は、之に依って、園内に於て止り高き生産費を以てのみ可能とされるものを牧支償は
Lなるであらう。かも
A
る杢鰹利益に劃しては、 一般に泊費者利益主目せられるものも、場合に
ざるに至らしむる恐があり、斯くては又他日成長して共の子孫に訣くべからざる果置を結ぶ樹木となるべき萌芽
の息を止めるとん﹄
依つては今日の時代の特殊利径とたる。図民経済主云ふ宿命的閤躍の中に結合さる L人々にん﹂つては、此の将来
の会酷利益の鴬に捧げる教育関税より一歩を進めて、将来に於ても引き積いて外国より高き費用を以てのみ生産
三
一
一
一
五
さる Lものを圏内に於て生産すると之が金曜の利接たりん﹂せられる場合さへもある。先づ何よりも集約的農業の
経済政策の根本思想
第四巻 第
一
一
旗
占
L夫れに伴ふ農産物の慣格は低くしてヱ業輪出に使なるべきととを要
なるが故である。貰際、杢臆利益の機関としての努力、命令、制度、に封する信認は、それ等が私益を規
tA-
支配に封ずる信認も迷を解かれ℃居る。故に経済政策は骨の折れる手探りに依って臨機肱鑓に彼の道を求めて居
に十八世紀の、叉 A7
や再び共の方法を新にしたる戦時の l偉大なる経験である、然し乍ら夫れと同様に又私益の
定して、それ自ら杢鰹利益の要求する所を行ふ様に矯し得ざる場合には常に共の妄を開かれると云ふととはl師
とと
ねばたらない、否それは斯くすべき義務がある、査し若し然らざれば、杢惜利益に封する一切の努力を担否する
れは特殊利益に封しては最も小なる活動範囲よれ血パへ・ない、ん﹂は一五へ北ハの特殊利益は出来る限り注意ずぺく努め
破壊せられるとん﹂なくして節約し得る限りのl之を要求する。それは一切に於て、極端なるととを要求する。そ
求ずるのである。あらゆるものに於て又斯くの如く、それは最高の産出ど極端なる節約l人が共の最高の産出を
農業の集約化を必要とする、ん﹂は云ふもの
斯くて五口々は、さう簡単には片付け得ない今日の朕態に封し℃結論に達すると之が出来よう。それは極端なる
ぺき輸出に封して、二重の侶封的力をかして居るのである口
の前誌に依存する。現在に於ては貨幣慣値が、あらゆる避け得ぺき輸入に封し、又あらゆる圏内の交通に耐へ得
なる農業的自給に依るか、その何れに依って、よりよく確保せられるかが問題となる。共の答はl就中l輪出入
ざるを得泣いのである口拾に於て杢鴨利錠は、工業輪出並に安慣なる生活者料の輸入に依るか、或は叉より高慣
産物が夫れである。それは圏内に於て生産されはする、唯共の生産費は外国の粗放農業に於けるよりは高債なら
商胤中碗究
一
一
、
ノ
Lありや否や、又如何なる程度に於て成功しつ
h
おありやは猫りそ
るのである。それは敬ふべきものでは左い、それは賀行である。それが共の時々に疋しく行動しつ Lありや否や、
即共の努力が杢樫及特殊利益の調停に成功しつ
の目標に依つてのみ測定し得られる。
此のとん﹂は丁度現在、最も大なる形に於て叉より高き階段に於て繰返されて居る。即ち恰も国民経済に於ける園
民会瞳 '﹂
Y 私人之の如く、世界経済に於ては世界民族の金贈利益主各国民経済の特殊利益上とが相封持するのである。
設にも亦雨者の調和が必要である。その成功する所にのみ経済技果は促進せられる。従ってとれば世界経済政策
の任務である。それを行ふものはグヌアに於て首相ヴイルト博士が適切にも述ぺたるが如く、自己の園民経済及
び他の諸国民経済の特殊利益並にそれ等一切の全陣利益を同時に眠中にたかねば・ならない。期かる世界経済的建
築は唯除々にのみ成就し得られる。何主・なれば、それが同時に一閤民経済の特殊利益並に世界の会樫利益に E鵠
を得るに及んで始めて設迄成功するが故である。今は昔、ピスマルクの如き偉大なる組織者・ならば、それは貫に易
易たる仕事であるに相遣ない。然らざる限り、それは恰もずエルサイユに於けるが如く、 一切の震に摘を創越し
脅威主査力とを以て強塵すると之 Lなるであらう、而も強塵せられたる特殊利益は必歩互に分裂すべきが故に、或
は叉、杢樫利益が共の正路一を見出さざるべきが故に斯くの如きは到底永きに亘って保たるべくも友いのである J
設から成功やる粧持政策の組織的意義を生守る白それは、各人に在って主要なるが故に決定的なる鮪に於て、
一一一三右
経済に釘してカントの機制の原理を具憧化ずる、日︿祉舎に於ける諸物は、各の特殊が同時に全聞に封ずる手段
経済政策の根本思想
出向感研究
第四谷
第一一抗
主して又同時に自己目的として脊在ずる棋に整頓せらるベし、
L乙G
二
一
ウA
それを可能ならLむる震には吾々は、より高き望棲から事物を眺めたければ在らない?只共場合にも借入は
d
経済殻果をのみ眠中にたいて居るのである。吾々は既に此の高さ︿の高朔を余誌なくされた、そと には非科皐的
たる専横の深淵、即個人を犠性・として全憶の幸耐の潟に一方的の立場をとるてふ深淵ゃ、或は全酷の障害を顧み
るらゆる経済殻果の最も漣営たる促進を悲ふでるらう、或時はその献態より導き縛ベき全憶の幸幅の促
や個人の震に一方的立場を之るてふ深淵が右に左にみ日々を脅して居たのである。右んの一歩、左への一歩は、吾
々から
進を叉或は時'として似人の幸幅のそれを。綜合を手段として道左き、所に詣を興ふるととに依りてのみ、吾々は経
清政策の観念に到達したのであるが、それは全賠利益之特殊利益企の衝突より起る財の不経済を除去するもの之
LK
の持導者でるった、各人を助けて共の欲する所を出来持る限り多数に成就せしめる献乏防止が
して自足的に定義せられ得るものである。
一の理想が吾
とれでるる。之より推論し得るが如く、時には、ある全懐紙態にのみ相耐服する扶乏防止の可能性が貰際的必然性
3
hy
、是等は
各人に利益なるものは、各人に依って承認せられねばたらぬ口然し乍ら共 O
在して生守ると之ーとたる。それに謝しては各個。粧掛が共の成功せんが震には、前者に劣ら守必然的に歓せざる
べからざる所のものが封立する。
共の理想は普遍的に安官である
成就は‘ある金剛植の困難を救ふものル﹂個々の経済の利益を増進するもの之の二つの要素に結ぼれて居
ブラ
郎
ノ
レ
知
日諜
ン
ト
タイプライター書きの原稿の詮附を受けたは震災に先つ数ヶ月以前のと主であったが-他事に忙殺せられて
、居た私は、早速共事を賀行ずる暇を有せざる内に昨年の震災に遭った a傍倖にも此原稿は猛火の巷にるって
経済政策
m
m
根本思想
LC
=
一
一
一
一
丸
バ 1ト・リ 1 フマシ教授(教授が軽からざる病試の床に積りつι股稿
之に E反封たる宥カたる聞牢者は、 ロ
所である。(例ば、近刊﹃我等﹄五月続六O頁以下掲載新明E諮氏﹃シユバンの枇合早説﹄参考)
ー近来タツトマ 1・シユバ 1 ン穀授が駐曾科串の普遍的考察
v
品 a
ヴエゐ歩前拶えチツ hva4トラフト
るを得た次第であるつ中山君には深︿御躍を出やさねばたら在い。
・
ν
r
あると之は、人の知る
一広ふと之を力説しつ h-
猶ほ能く焼失を菟れた。釣って私は中山串士に懇請して、此の那詩文を作って貰って、裁に漸く教授に酬ゆ
見
必十しも常に共鳴するものではたいのである@
等三つの要素を出来得る限り共同の目的に釘して協力せしむると之は、とれぞ経済政策の技術である σ
HE
山
ート・ず
伊
ヰ
和排斥するこつの理想を、それ自ら完全せるもの之して結合するとん﹂は、 とれぞ其の根本思想である。
や
ノ、
円チユ 1ピンダン大串の僚友ヴヰルプラント敬授から此論文を日本文を以って公表して呉れ之の依頼を以て、
中 ロ
商拳研究
﹁
o
-官当日﹃仲間。E EmrBHC訟 を 見 よ c既刊大冊
第四谷!第一一滋
e
sa
ヨ
ソ
司
ど]ぬ巾
。吋=白血巾似合町一冊
四
u
は勿論であ
私も明治-二十丸
(共要領は営時たしかで助手の山鯨繁三君が
(図民経済雑誌五月抗措
咽君の主題は無論右の賠には存したい。モツト(或意味にで)高い庵をねらって居るのであるが、然し坂西君
載﹀中に、側面的ではあるが、偶れであると之を見て、私は趣味深いと乏に莞へざるを得在いのである。坂
叉た・共れは、不忠議にも、今日接手した坂西教授の論文﹃枇合運動之枇合進化﹄
て、ヴヰルプラジト君主時を同くし同じ様な問題に焦臨しつ Lあったとん﹂を知って面白いと感、ずる。而して
。
のであると忠ふっ私も過去二ヶ年墜校に於りる経済政策の講義に於いて、此問題を取扶つ℃見たっ此黙に於
本観念の立脚黙が、此の問題の考察の上に置かれねばならぬととを主張した黙に於いて、甚だ注目す可きも
然主して.成功したる融合の試みが認められ得るか否か疑なきにしもあらやであるが、兎に角、経済政策根
立の企ては、此の二つの傾向の融合の試みの上に打立てられたものであって、私の見る所では、論旨柳か浪
容れない所である。(描別文駒井皐士の資本皐設研究参照せられたし)。今ヴキルプラント教授の経済政策の樹
筆記せられたと之があったか主莞へて居る)。併し此雨三年殊に此の隔傾向の艶立が頴著になったこ・とは争を
O
N王宮山口弘勺から詑き始めて見たと主がある。
から.他方を ω
き
、 二々を E21E伊
一
宮
山
口
同
一
勺
年産臆義塾で、 政治科長﹂法律科 ξで別々に経済原論を講守可く命ぜられた b﹂
︼
r 4・ωONE宮町田丘町︼を屡々緯設したのである・
いりヂ1ルなEも共土日し E24包ロ巳百一口N
る)である。吐合諸島ナ殊に我経済撃に、此二つの大なる思想の流れのるると之は、決して新しいとん﹂では在
し た 近 刊 口 広52F
O
主昏 ξする鹿島﹂、ヴヰルプラント君の本篇に於いて取扱った耐乏の聞には、根底に於いて一の共品勘九 U流を
九V
有つものでは左いか b﹂思ふョ私は日本に於ける一親友之、欧測に於いて有する一曲学友之が、共れ/¥に臭っ
た乍併共の痛ましさに於いて相比し特可き困難之闘ひっ L、斯くも深い思想(哲事者の口異似に浮身をやっす
とけをどかしでた︿)を錬りつ Lあるとん﹂を殻見して、置に舎心を禁じ能はないものである口而して、共れ
ρ
稲田徳三記す
は、何れも、今后の私の経済政策の研究に刺戟を興ふるも 在ると之を感謝せ守して巳む能はざるものであ
る口︹十三、五、十、︺
結済政策の根本思想
1
理
干