機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 39 自由エネルギー 5 前章では,温度 T の熱浴に接している系のエネルギーが E となる確率 P (E) を求 めた.その結果は, Boltzmann 分布 P (E) = [ ] g(E) exp − kBET Z(T ) であった.ただし,g(E) は多重度,kB は Boltzmann 定数である.分母にあらわれ る規格化因子 Z(T ) ≡ ∑ E [ ] E g(E) exp − kB T は,分配関数 partition function と呼ばれるのであった. この章では,この Z(T ) が自由エネルギーと密接に関係していることを示すことか ら始める.さらに,類似の方法で,圧力が一定の系の確率分布などへも拡張できる ことを示す. 5.1 問題設定 分配関数 Z(T ) と Helmholtz 自由エネルギー F = E − T S の間の関係を調べる. 5.2 熱力学の復習:Legendre 変換と自由エネルギー 出発点は,エネルギー保存式(熱力学第1法則) dE = T dS − P dV (5–116) である.微分量同士を関係づけるこの式は,数学としては エネルギー E を,エントロピー S と体積 V の関数と考える ということを主張している.ここで, 「独立変数を S から温度 T に変える」ことを考 える.ここで登場するのが,微分式を経由して,変数変換を行う Legendre 変換 で ある.やや一般的,数学的に述べれば,次のようになる: なぜ,こんな変数変換を考えるの か? それはもちろん,T のほう が実際上は圧倒的に測りやすい= 制御しやすい からである Adrien Marie Legendre (1752– 1833) フランスの数学者. 「ルジャ ンドル」と読む. 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 40 Legendre 変換 *以下では記述を簡単にするために,1 変数関数について考えるが,多変数関数でも, 常微分を偏微分に読み替えれば,全く同じである. x の関数 F (x) に対して, dF dx y≡ (5–117) によって新しい変数 y を定義する.さらに G = xy − F (x) (5–118) によって新しい関数 G を定義し,G を y の関数 と考える.このとき G の微 分を考えると dG = ydx + xdy − dF = ydx + xdy − dF dx = xdy dx により dG =x dy (5–119) となるから,(x, F (x)) ↔ (y, G(y)) は対称的に取り扱える ことがわかる.こ の変数変換 (5–117) と (5–118) を Legendre 変換という.また,この場合に「x きょうやく と y は 共 役 conjugate な変数である」ということもある. 共役とは2つのものがセットになっ て結びついていること,また,同 様の働きをすること.元々は,共 軛と書いたが, 「軛」が常用漢字 表外であったため,音読みの同じ くびき (補足) Legendre 変換は,物理学のいろいろな場面で利用されているが,その有名な例と して,Lagrange 形式の力学から Hamilton 形式の力学への変換がある.以下,簡単な場合と して,1粒子の運動について示す. Lagrange 形式では,運動を記述する独立変数は 座標 ~ r と 速度 ~r˙ ≡ ~v であり,運動方程式 「役」の字で代用された. 「 軛 」は 人力車や馬車において2本の梶棒 を結びつけて同時に動かすように するための棒のことである.共役 は,数学や物理学においてはいろ いろな文脈で用いられる.複素共 役もその一例であるが,ここでの 意味とは異なるので注意. (Wikipedia より抜粋) は Lagrange 関数 L(~ r, ~v ) = T − U (T :運動エネルギー,U :ポテンシャルエネルギー) を使って d ∂ ∂ L= L dt ∂~v ∂~r (∗) ~ を独立変数 と表される(「工業力学」などで習ったはず).ここで,速度の代わりに 運動量 p にするために,Legendre 変換を利用する. p ~= ∂ L ∂~v ~v · p ~ = mv 2 = 2T であることに 注意. と定義する.また,新しい関数を H(~r, p ~) ≡ ~v · p ~−L=T +U と定義する.これは Legendre 変換であるから, d ∂ H = ~v = ~r ∂~ p dt このとき,(∗) 式は d ∂ p ~=− H dt ∂~r となる.すなわち,Hamilton の運動方程式 d dt ~r = ∂ H ∂~ p d p~ = − ∂ H dt が得られる. ∂~r 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 41 5.3 Helmholtz 自由エネルギーと分配関数の関係 まず,関数 E に関して,温度 T がエントロピー S と共役 conjugate な変数である ことを確かめておこう: T = ∂E ∂S (5–120) であるから,確かに,T は S の共役変数である.Legendre 変換の方法によれば, 「S から共役な変数 T に変換する」ためには, ( E − TS = E − S ∂E ∂S ) (5–121) V を新たな関数とすればよい.これが,Helmholtz 自由エネルギー F (T, V ) の数学的 な正体である.もちろん,逆に,T から S に戻すには ( E(S, V ) = F + T S = F − T ∂F ∂T ) (5–122) V とすればよい. 上に述べた,数学的な Legendre 変換の定義からは,T S − E とす るほうが対称性がよい.E − T S とするのは,単に,熱力学の伝統 に従っただけである.おかげで, ( ) ∂E ∂S ( ) ∂F ∂T = T = −S というように,符号に非対称が残っ てしまったが,今さら熱力学の定 義を変えるわけにもいかない. さて,式 (5–122) は,次のように変形できる: E = −T 2 ∂ [F ] T (5–123) ∂T これを,前章で導出した分配関数の関係式 hEi = kB T 2 ∂ log Z ∂T (5–124) と比較すると, F (T ) = −kB T log Z(T ) (5–125) が成り立つことがわかる.これは熱力学と統計力学を結びつける式であり, Boltzmann の関係式 S(E) = kB log g(E) に匹敵する重要なものである.これによ り,分配関数が求まれば,Helmholtz 自由エネルギー,エントロピー,圧力などの熱 力学量が求められることになった. 以下に,解析的に扱える簡単な例をいくつか紹介しよう. 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 42 例1:自由電子ガス 前章で求めた分配関数,式 (4–106) から,ただちに, [ 3 F (T, V ) = −kB T log Z = −kB T log (kB T ) + log V + const. 2 ] (5–126) よって, S [ ] 3 3 ∂F = kB + kB log (kB T ) + log V + const. = − ∂T 2 2 P = − ∂F kB T = ∂V V (5–127) このエントロピーの式は,T → 0 で困った発散を引き起こす.これ は,前にも述べたように,分配関 数を計算するときの「和から積分 への置き換え」の近似に由来する. 詳しくは,後の章で述べる予定. (5–128) 例2:磁場中の孤立スピンの集団 同様に,前章の分配関数,式 (4–109) から, [ ( F (T ) = −N kB T log cosh µB kB T ) ] (5–129) + log 2 よって, S = −N µB tanh T ( µB kB T ) [ ( ) ] µB + N kB log cosh + log 2 kB T (5–130) Entropy [S/NµBkB] Free Energy [F/NµB] Energy [E/NµB] 図 5–9 にこれらの熱力学量をプロットした. このスピン集団モデルでは体積 V をあらわには考えていないので, 分配関数に V が含まれていない. このため,圧力 P も考える必要 がない. (問題) 高温極限,低温極限で何 が起きているかを,E や S を手 がかりに説明せよ. Independent Spins under Magnetic Field 0.0 -0.2 -0.4 -0.6 -0.8 -1.0 0 1 2 3 4 5 4 5 4 5 Temperature [kBT/µB] -1.0 -2.0 -3.0 -4.0 0 1 0 1 2 3 Temperature [kBT/µB] 0.8 0.6 0.4 0.2 0.0 2 3 Temperature [kBT/µB] 図 5–9: 磁場中の独立スピンのエネルギー,Helmholtz 自由エネルギー,およびエントロピーの温度依存性. 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 43 5.4 体積 V から圧力 P への変数変換 続いて,E のもう1つの独立変数であった 体積 V について考えよう. ( P =− ∂E ∂V ) ( =− S ∂F ∂V ) (5–131) T であるから,V と共役なのは もちろん 圧力 P である. V から P への Legendre 変換 を考えてみよう.熱力学としては,次の Legendre 変換 ( G(T, P ) = F (T, V ) − V ∂F ∂V ) 多くの実験は,圧力一定(たいて いは大気圧下)で行われるから,こ の変数変換も自然な発想である. (5–132) =F +VP によって,Gibbs 自由エネルギーが登場することになる.もちろん, dG = dF + d(V P ) = (−SdT − P dV ) + (V dP + P dV ) = −SdT + V dP (5–133) から ( ) ∂G ∂T P ( ) ∂G ∂P T = −S (5–134) = V (5–135) が導かれることを思い出しておこう. さて,これに対応する確率分布はどんな形になるだろうか? 温度 T の熱浴を考 だめ えたときと同様に,今度は圧力 P の「圧力浴」(普通は,圧力溜 pressure reservoir と呼ぶ)を考える. 第4章での議論と同様に,多重度を平衡状態のまわりで展開す ピストンが自由に動く注射器のよ うな箱を想像するとよい. る.今度は,エネルギー E だけでなく,体積 V も変化することに注意すると, T, P g1 (E1 , V1 ) exp [log g2 (E0 − E1eq , V0 − V1eq ) P (E1 , V1 ) ∝ Volume Exchange ∂ log g2 − (E1 − E1eq ) + o(E1 − E1eq ) ∂E2 ] ∂ log g2 eq eq − (V1 − V1 ) + o(V1 − V1 ) ∂V2 Energy Exchange ここで,Boltzmann の関係式 kB log g = S から ∂ log g ∂E ∂ log g ∂V ( = = ) 1 ∂S 1 = kB ∂E V kB T ( ) 1 ∂S P = (右の注を参照) kB ∂V E kB T (5–136) 本当は論理が逆で,第3章で述べ たように式 (5–136) から Boltzmann の関係式を導いたと考えるほうが 素直だが,一度導いてしまえば, あとはどちら向きに使ってもいい だろう. (5–137) dE = T dS − P dV より, よって, [ ∆E1 + P ∆V1 P (E1 , V1 ) ∝ g1 (E1 , V1 ) exp − kB T が得られる.以上をまとめると ] dS = (5–138) P 1 dE + dV T T となるので ( ∂S ∂V が得られる. ) = E P T 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 44 温度 T と圧力 P が一定に保たれているとき,考えている系がエネルギー E , 体積 V となる確率は [ E + PV P (E, V ) ∝ g(E, V ) exp − kB T ] となる.このときの規格化因子 [ ] ∫ ∑ E + PV Y (T, P ) = dV g(E, V ) exp − kB T (5–139) (5–140) E は,T -P 分配関数とよばれることがある.なお,分配関数 Z(V, T ) と次の関 係にあることは,定義から明らかである: [ ] ∫ PV Y (T, P ) = dV exp − Z(V, T ) kB T 5.5 (5–141) Gibbs 自由エネルギーと T -P 分配関数 では,Y (T, P ) と G(T, P ) の間にも,式 (5–125) のような関係があるだろうか? それを調べるために,Y (T, P ) を微分してみる. ∫ dV ∂ log Y ∂P E = Y (P, T ) = − hV i kB T ∫ dV ∂ log Y ∂T (5–142) ∑ (E + PV ) kB T 2 E = = [ ] ∑( V ) E + PV g(E, V ) exp − − kB T kB T [ ] E + PV g(E, V ) exp − kB T Y (P, T ) hEi + P hV i kB T 2 (5–143) よって, hEi = kB T 2 ∂ log Y ∂ log Y + P kB T ∂T ∂P (5–144) 一方,Gibbs 自由エネルギーでエネルギーを表すには, E = G + TS − PV ∂G ∂G −P ∂T ∂P G ∂G ∂ = −T 2 T − T P T ∂T ∂P = G−T 両者を比較すると (5–145) 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 45 G(T, P ) = −kB T log Y (T, P ) (5–146) とすればよいことがわかる.この場合もやはり,分配関数は自由エネルギーと関係 づけられるのである. 例:自由電子ガス T -P 分配関数は ∫ Y (T, P ) ∫ ∞ = dV e 0 ( = ( = ( = 2πm h2 2πm h2 2πm h2 − kP VT B 3 ∫ = dV V e 0 ) 32 3 (kB T ) 2 (kB T ) P2 ( − kP VT 0 ∞ (kB T ) 2 ) 32 dV V e Z(T, V ) ) 32 ∞ kB T P − kP VT B − kB T P kB T + P )2 B [ − kP VT Ve ∫ ]∞ B V =0 ∞ − kP VT dV e B 0 ∵部分積分 ( = 7 2 kB T P )2 (5–147) よって, G(T, P ) = = −kB T log Y (5–148) 7 2kB T log P − kB T log(kB T ) + kB T × const. 2 (5–149) となるので,体積やエネルギーの平均値を求めることができる: hV i hEi ∂G 2kB T = ∂P P G ∂ ∂G 3 = −T 2 T − T P T = kB T ∂T ∂P 2 = 困ったことに,ここで得られた P hV i = 2kB T (5–150) という結果は,Helmholtz 自由エ ネルギーを使った表現式 (5–128) (5–151) hP iV = kB T とは2倍異なっている.この矛盾 は粒子数が少ない(この例では1 電子系)ために生じるものであり, N 粒子系 (N → +∞) では解消 される.詳しくはやはり後の章で 取り上げる予定である. 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 46 5.6 (発展的話題) 一般的な積分変換 g(E, V ) から Z(T, V ) へ,また,Z(T, V ) から Y (T, P ) へは,数学的には次のよ うな 積分変換 を行ったのと同じことになる: ∫ Z(T, V ) おなじみの Laplace 変換と関連付 ∫ けるため,ここでは,積分 ∞ = g(E, V )e − k ET ∫0 ∞ Y (T, P ) Z(T, V )e = B − kP VT B dE (5–152) dV (5–153) の表式で記述しているが,和 dE ∑ E でもほぼ同じ議論ができる. 0 数学的に見ると,これらは,Laplace 変換 ∫ ∞ F (z) = f (x)e−xz dx (5–154) 0 の一種と考えることができる.次の一般的な計算規則が成り立つことは明らかで ある: ∂ log F ∂z 1 ∂F F ∂z ∫ ∞ [−x]f (x)e−xy dx 0∫ ∞ f (x)e−xy dx = = 0 −hxi = (5–155) この一般規則から,ただちに ∂ −hEi = ∂ log Z ∂ kB1T ∂ log Z = −kB T 2 ∂T ∂ k 1T = ∂ dT ∂T d (1/kB T ) = ∂ ∂T = ( ) ∂ × −kB T 2 ∂T B (5–156) 1 d(1/kB T ) dT これは,式 (4–101) である.同様に −hV i = ∂ log Y ∂ kBPT = kB T ∂ log Y ∂P (5–157) これは,式 (5–142) である. このように簡潔な関係式が得られたのは,Boltzmann 分布が単純な指数関数であ ることに由来する.また,Legendre 変換と Laplace 変換に密接な関係がある ことも わかる. 式 (5–157) の変形では,P を独立 変数とし T は定数として扱って いる. 機シ:統計熱力学 2016 (松本) :p. 47 5.7 この章のまとめ (1) 分配関数と Helmholtz 自由エネルギーの間には次の関係がある: F (T, V ) = −kB T log Z(T, V ) (2) 圧力溜に接している系がエネルギー E ,体積 V となる確率は [ E + PV exp − kB T ] に比例する.その規格化因子 Y (T, P ) = ∑∫ E [ E + PV dV g(E, V ) exp − kB T ] を T -P 分配関数という. (3) T -P 分配関数と Gibbs 自由エネルギーの間には次の関係がある: G(T, P ) = −kB T log Y (T, P ) 演習 第4章の章末問題で取り上げた,1次元調和振動子の量子力学的取扱いをもう一 度考える.エントロピーと Helmholtz 自由エネルギーを温度の関数として求め, グラフの概形を描き,考察せよ. 略解 結果は次のようになる: Quantum Harmonic Oscillator Entropy [S/kB] Free Energy [F/hω] 0.5 0.0 -0.5 -1.0 -1.5 -2.0 0 1 0 1 2 3 Temperature [2kBT/hω] 4 5 4 5 1.5 1.0 0.5 0.0 2 3 Temperature [2kBT/hω] 量子力学における1次元調和振動子の熱力学量
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