異端候補躍進が示す米国の苦悩と変容

Apr 22, 2016
No.2016-018
伊藤忠経済研究所
上席研究員 鈴木裕明 03-3497-3656 [email protected]
Economic Monitor
米国大統領選 UPDATE:「異端」候補躍進が示す米国の苦悩と変容

大統領選挙戦において、
「異端」候補であるトランプ/サンダース旋風が止まない。その背景には、①
所得格差拡大と中間層以下の実質所得減少、②マイホーム取得の困難化、③大学進学の費用高騰など、
一般的な米国庶民が「拠り所」と「夢」を失い、希望を奪われつつある現状がある。

両「異端」候補は、そうした米国民の不満と不安の受け皿となり、大胆な政策を提示して人気を集め
ている。こうした政策を実際に進めるに当たっては、議会の承認も必要となるため実現性は乏しいが、
貿易投資の自由化に関しては、滞留する可能性もある。
トランプ/サンダース旋風止まず
候補者としては異端とみられていたトランプ、サンダース両候補の健闘が続いている。4 月 19 日のニ
ューヨーク州共和党予備選において、トランプ候補は得票率 60.4%で首位となり、95 人中 89 人の代議員
を獲得した。累計でも獲得代議員数は 845 人となり依然として首位を堅持、7 月の党大会までの過半数確
保の可能性を残している。
他方、サンダース候補も同日のニューヨーク州民主党予備選において、クリントン候補(58.0%)には
敗れたものの 42.0%の票を得て、291 人中 106 人の代議員を獲得した。累計でも、予備選挙結果に対応す
る一般代議員数では、クリントン 1,446 人に対してサンダース 1,200 人となっている(ニューヨークタイ
ムズ紙推計。日本時間 4 月 22 日時点)。サンダースが、そもそも民主党所属ですらない自称「民主社会主
義者」であることを考慮すれば、大健闘といえるだろう。
共和党候補者の獲得代議員数推移(累計)
民主党候補者の獲得代議員数推移(累計)
1500
900
トランプ
800
700
クリントン
クルーズ
1200
ケーシック
600
500
900
スーパーチューズデー
(3月1日)
400
サンダース
スーパーチューズデー
(3月1日)
600
ミニ・スーパー
チューズデー
(3月15日)
300
200
ミニ・スーパー
チューズデー
(3月15日)
300
(出所)ニューヨークタイムズ推計より作成
0
アイオワ
ニューハンプ…
ネバダ
サウスカロライナ
アラバマ
アーカンソー
コロラド
ジョージア
マサチューセッツ
ミネソタ
オクラホマ
ネテシー
テキサス
バーモント
バージニア
サモア
海外
カンサス
ルイジアナ
ネブラスカ
メイン
ミシガン
ミシシッピ
北マリアナ
フロリダ
イリノイ
ミズーリ
ノースカロライナ
オハイオ
アリゾナ
アイダホ
ユタ
アラスカ
ハワイ
ワシントン
ウィスコンシン
ワイオミング
ニューヨーク
0
アイオワ
ニューハンプ…
サウスカロライナ
ネバダ
アラバマ
アラスカ
アーカンソー
ジョージア
マサチューセッツ
ミネソタ
オクラホマ
テネシー
テキサス
バーモント
バージニア
カンサス
ケンタッキー
ルイジアナ
メイン
プエルトリコ
ハワイ
アイダホ
ミシガン
ミシシッピ
ワシントンDC
ワイオミング
フロリダ
イリノイ
ミズーリ
ノースカロライナ
北マリアナ
オハイオ
アリゾナ
ユタ
ウィスコンシン
コロラド
ニューヨーク
100
(出所)ニューヨークタイムズ推計より作成
この先の予備選挙を見通すと、サンダースについては、予備選の結果に拘束されない特別代議員の大多
数をクリントンが押さえているために、最終的に民主党候補となる見込みはほとんどないが、トランプに
ついては、共和党候補となる可能性を十分に残している。トランプが、党大会までに代議員数の過半数を
取れていなかったとしても、獲得数首位で大会に臨むことになるのは間違いない。民主・共和双方におい
て、アウトサイダー候補がここまで旋風を巻き起こすというのは、過去にはみられない現象であり、「ト
ランプのメディア利用の上手さ」といった俗人的・技術的な理由だけで説明できるものではない。今回の
状況は、まさに、米国民が抱える問題を一向に解決できない、既存のワシントン政治への不信を示すもの
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、伊藤忠経済研
究所が信頼できると判断した情報に基づき作成しておりますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告
なく変更されることがあります。記載内容は、伊藤忠商事ないしはその関連会社の投資方針と整合的であるとは限りません。
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と言えるであろう。実際、米国民の議会支持率は低迷しており、世論調査(Gallup、4 月)ではわずか 17%
となっている。
「異端」候補躍進を可能にした米国民の不満と不安
それでは、現在、米国民が抱える問題とは何か。それは、将来への閉塞感、ややエモーショナルな言葉
を遣えば、
「拠り所」や「夢」の喪失がいよいよ明らかになってきたことではないかと考えられる。
具体的に言うと、まず、マイホームを持つことが、急
持家率の推移(%)
速に困難になってきている。直近 2015 年 10~12 月期
70
の持ち家率は 63.7%であり、これは過去 1960 年代まで
68
69
遡っても最低水準となる。サブプライムローンによって
67
2004 年に 69%を超えたのはバブルであったとしても、
65
66
64
2012 年の大統領選時に 65%まで下がった持ち家率は
63
その後も低下を続け、底打ちしたのはようやく 2015 年
62
になってからである。マイホームは、米国人を地域にし
60
っかりと繋ぎ留めて、生活の安定を印象付ける役割を果
61
1980
85
90
95
2000
05
10
15
(出所)米国商務省
たしてきた。しかし、今や、若年層を中心として多くの米国民が、こうした「拠り所」を持てなくなって
きている。
持家率低下の要因としては、①所得が伸びていないこと、②サブプライムローンの焦げ付きに懲りた金
融機関が融資態度をなかなか緩めようとしないこと、③学生ローン負担等の問題がある。
右図は 1999 年を 100 として実質世帯所得の推移を見
実質世帯所得の推移(1999年=100)
たものだが、20 世紀には格差が拡大はしても、所得上位
110
でも下位でも短期的にはアップダウンはありながらも、
100
長い目で見れば所得は皆、増加していた。ところが、21
90
世紀に入ってからはこの構図が崩れてくる。1999 年との
比較で、所得上位 5%ではほぼ横這いであるのに対して、
中間値
下位20%
80
中間値では 10%弱、下位 20%では 10%強、賃金が減少
70
している。つまり、格差拡大と中間層以下の実質所得下
60
落が同時に発生しているのである。この傾向は、リーマ
上位5%
1980
85
90
95
2000
05
10
(出所)米国商務省
ンショック以降、顕著になる。
米国は先進諸国の中ではもともと所得格差が大きく、しかも格差は拡大してきていたが、そうした中で
も、近年、
「Occupy Wall Street 運動」のように、格差問題が特に大きくクローズアップされるようにな
ってきている。格差拡大だけではなく、中間層以下の実質所得が減少しているという事実こそが、その大
きな要因ではないかと考えられる。
この問題は、そのまま都市間での所得格差にも当てはまる。ニューヨークのように所得が高い市民を多
く擁する都市では所得水準の回復が総じて早く、その一方で、荒廃して低所得者が多い地方都市では、所
得水準は停滞することになる。所得格差問題は、都市(地域)格差問題でもある。
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このように、所得が伸びずに今はマイホームが買えないとしても、将来に期待が持てれば希望はある。
しかし、米国では、この点も危うくなってきている。日本以上に学歴社会の面がある米国において、一代
で成り上がり「アメリカン・ドリーム」を実現する突破口となるはずの大学進学が、困難かつ割の合わな
いものになってきているのである。
学生ローン残高(10億ドル)・大学学費(2006/3=100)推移
大学の学費の上昇具合を消費者物価指数(大学費用)
の推移でみると過去 10 年で 1.6 倍に上昇しており、私
1400
175
学生ローン
立大では学費に 3 万ドル、寮費に 1 万ドルを用意する必
1200
要がある。これに対して、2014 年の世帯所得(中間値)
1000
125
は 54,000 ドル程度であり、この収入では高騰した学費
800
100
600
75
ーンに頼ることになり、その結果、学生ローン残高は 10
400
50
年で 2.7 倍、2014 年の卒業生の 7 割が学生ローンを抱
200
25
え、その平均残高は 29,000 ドルに達する。さらには、
0
を賄えるはずもない。したがって、多くの学生は学生ロ
これだけの負担を背負い大学を卒業しても、近年、雇用
150
学費(右軸)
0
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
(出所)FRB、米国労働省
が増加する主な職種は比較的低賃金の外食、小売、派遣などとなっている。これでは、就職しても学生ロ
ーンの返済はままならず、まして、さらに借金を重ねてマイホームを購入することなど、到底不可能とい
うことになる。
リーマンショック後、
米国経済はマクロでみれば概ね 2%台の経済成長が続き、失業率も 2012 年の約 8%
が足下では 5%程度にまで低下した。しかし、その一方で、学生ローン負担に喘ぎ、マイホームの夢も遠
のきという不満と不安で一杯になった自らの状況を振り返れば、現状の延長線上にある政権が出来たとし
ても、自分の状況が改善されることなどないと考えるようになったとしても不思議ではない
そこに、サンダースが現れ、公立大学の学費無償化という大胆な公約をする。また、トランプは、海外
に駐留している米軍の経費をもっと同盟国に出させる、あるいは撤収して、国の資金は不振に陥った地方
都市に回すと主張する。こうした「異端」候補の大胆な施策は、多くの米国民には魅力的に映る。
もちろん、事態はそんなに簡単ではない。学費無償化などサンダースの約束する大盤振る舞いには、そ
の財源として大増税が必要となり、経済を下押しすることになる。より一般的に言えば、格差縮小のため
には所得再分配の調整を進めつつ、経済成長への悪影響を防ぎ、むしろ成長を加速して全体のパイを増や
していくことが必要となるが、実現するのは極めて難しい。また、トランプの言うように米軍が世界から
撤収した場合には、安全保障に関する直接的なマイナス以外にも、自由経済と民主主義、法治主義、さら
には、海上輸送上の安全確保といった世界経済の暗黙のインフラを危うくするリスクを冒すことになる。
しかし、米国民一人一人にとっては、そうした自分からは「遠い」世界の出来事よりも、身近な「明日」
を良くしてくれる候補の方がありがたい。こうしてみると、両「異端」候補の躍進は、自然な流れである
とすら思えてくる。
しかも、技術進歩などが進むと高度な知識や技術を持つ一部の人材への需要が高まるために、そうした
人材の賃金が中間層以下と比べて上昇、所得格差はますます拡大する可能性が高い。また、相対的に成長
率の高い新興国経済が伸びていけば、世界全体に占める米国の経済・政治面でのプレゼンスは低下が不可
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避となり、海外に米軍を駐留させる費用など出したくないという論調が強まることが考えられる。こうし
た不可逆的な変化は、政権がよほど上手く対応しない限りは、今後も米国民の不満と不安を蓄積させ、米
国を内向きにする要因であり続ける。
トランプの政策は実現可能性が鍵、クリントンはオバマ現政権の延長
それでは、もしトランプが大統領になった場合、新政権ではどのような政策が予想されるのか。既存の
やり方を否定して打ち出す大胆な諸政策は、いずれも、その実現可能性が鍵となる。米国では当然ながら、
重要な施策を進めるためには予算措置・立法措置が必要となるため、トランプ新大統領は議会の承認を得
なくてはならない。大統領選挙と同時に、連邦上院(改選は3分の1)・下院(全議席改選)選挙が実施
されるが、上院では多数派が共和党から民主党に逆転する可能性があるものの、下院は引き続き共和党が
多数を占めることがほぼ確実とみられる。つまり、新大統領は、重要施策推進にあたっては、必ず共和党
を納得させる必要がある。
トランプの経済政策は、富裕層にも貧困層にも企業にも、万遍なく優しい大減税が中心である。富裕層
の最高税率は現行の 39.6%から 25.0%に引き下げられ、減税によって所得税を支払う必要のない家計の
割合は 50%に達し、法人税は 35%から 15%に下がり、相続税は廃止される。減税規模は 10 年で 10 兆ド
ルとの試算もあり、仮に歳出削減や景気拡大等による税収の自然増などがなければ、財政赤字はリーマン
ショック時と匹敵する GDP 比 8~9%程度にまで拡大する恐れがある。
これに対して、歳出面では、教育省などいくつかの政府機関の廃止など削減策も唱えるが、他方におい
て、荒廃した地方都市へのインフラ整備、雇用創出に注力するとしている。また、医療に関しても、オバ
マケア方式は否定するものの、全国民が必要な医療に手が届くようにすると述べる。国家がこれだけ経済
に関与する「大きな政府」系の政策は、共和党よりはむしろ民主党に近く、その結果、大幅な赤字予算と
なれば、共和党が多数を占める議会は到底通らない。このままでは、トランプの政策が実現する可能性は
ない。
外交政策も同様である。トランプは、大統領になれば、米軍を駐留させている同盟国に対して経費負担
増額を強く求めると述べているが、米軍撤収を辞さないというラジカルな内向き主義に対しては、共和党
の中道からネオコン、保守まで、多くの識者・キーパーソンが強い反対意見を表明している。そうした中
で、トランプの基地再編案が連邦議会を通ることは不可能であろう。また、メキシコとの国境にメキシコ
政府の負担で壁を作るなどといった主張も現実的ではない。
トランプが自身の政策をごり押ししようとすれば、議会とは深刻な対立に陥る。トランプの政策が大胆
かつ非現実的である分、議会との対立は、オバマ政権時をはるかに上回るものとなろう。そうなれば、ト
ランプはメディアを利用して議会を悪者にしようとするだろうが、それで議会を通せるだろうか。トラン
プ色は残しながらも、落としどころは常識の通用する範囲内になるとみるのが妥当であろう。その範囲で、
財政は拡張的、外交は内向きを強めることが予想される。
これに対して民主党候補についてはサンダースとなる見込みが小さいため、クリントンが大統領になっ
た場合を考えてみると、原則として、オバマ政権の政策の継承となる。経済政策では、選挙公約として、
「バフェット・ルール(富裕層に最低実効税率を設定)」導入など富裕層に対する増税、法人に対しては
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国際的な租税回避の阻止、歳出については、インフラ投資や科学技術投資を拡大し、オバマケアも強化拡
大するとしている。
これらの政策の多くは、オバマも実施したいと考えてはいたものの、共和党議会の反対があって実現し
なかったものである。したがって、クリントン政権になったとしても、議会が共和党であれば、引き続き
議会の反対を受け、実現に苦労することは容易に予想される。ただし、議会との交渉に関しては、オバマ
よりもクリントンの方が熱心かつ巧みではないかと指摘する声は多い。また、議会側も下院のポール・ラ
イアン議長は前任のベイナー議長よりも共和党内の取り纏めをスムーズにこなしていることから、オバマ
時代ほどには「決められない議会」にはならないのではないか、と期待される。
クリントン大統領でも貿易投資自由化は滞留の可能性
そうした中で、トランプ、クリントン、さらには、議会の民主党、共和党が、比較的合意しやすい分野
が、通商政策であろう。その合意内容とは、残念ながら、反・自由貿易主義である。最も激しい政策を唱
えるのはトランプであり、NAFTA を「災厄(disaster)」と表現し、TPP も極めて激しく批判。為替操作
を通じて米国経済を壊し、雇用を奪う中国や日本に責任を取らせる法案を通すべきであるとして、WTO
規定などお構いなしに、中国に 45%の報復関税を課するとも発言している。
国務長官時代には TPP を推進していたクリントンも、今回の選挙戦では、TPP の為替操作防止に関す
る内容が不足であり、また、原産地規則も甘すぎるとして、TPP は水準には達しないものと反対。また、
NAFTA は再交渉が必要であり、その他既存の FTA を再検証するとしている。さらには、日本や中国は為
替操作国であり、米国の雇用を奪うと非難し、報復関税等の対抗措置を主張する。保護貿易を主張するト
ランプやサンダースの人気に流されるように、クリントンもまた保護主義に傾いている。
議会についても、民主党では、保護主義を唱える左派議員が増えて来ており、TPA 法案においても大半
の民主党議員が反対して、TPP 交渉の足を引っ張った。また、共和党でも、主流派は自由貿易推進派では
あるが、右派の一部には、保護主義に共鳴する議員を抱える。大統領が保護主義に走った時、議会がそれ
を押し止める役割を果たせるかどうかは、かなり危うい。
ただし、大統領選挙戦時の発言が、そのまま就任後の実際の政策に直結するわけではない。2008 年の
大統領選挙予備選においては、オバマとクリントンが激しく争ったが、その際にも、両候補は自分がいか
に海外の不公正な貿易に対して厳しく対処するかを競い、ともに NAFTA 見直しを訴えた。だが、就任後
のオバマが NAFTA を改悪することはなく、逆に、任期後半においては、自らの大統領としてのレガシー
とするべく TPP 交渉に注力した。賢明な各候補者は、選挙戦での発言と、就任後の実際の政策を使い分
けてきたのである。
その意味において、少なくともクリントンが、現在発言しているほどに保護主義色を強めるとは思えな
い。その一方で、国務長官時代ほどに、自由貿易派に戻るとも限らない。上述してきたような鬱憤を抱え
た米国民は、「為替操作」を行い「不公正な貿易」によって「米国民から仕事を奪う中国や日本」という
捌け口を得て反・自由貿易主義に靡いており、新大統領としても、そうした国民の意思を無視することは
出来ない。こうして考えてみると、
「トランプ大統領」の場合はもちろん、
「クリントン大統領」の場合で
も、米国の貿易投資自由化の流れは、ある程度は滞留を余儀なくされることも想定されよう。
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