Dec 1, 2016 No.2016-059 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 上席研究員 鈴木裕明 03-3497-3656 [email protected] 米国大統領選 UPDATE:トランプ新政権の優先政策を占う トランプ新政権において選挙公約から現実の政策へと落とし込まれるものは何かを占うために、公約の 「軸」を探すと、「白人低学歴層支援」が浮かび上がる。この軸がブレないことを前提とすれば、新政権 では、公約の 2,500 万人の新規雇用を包括的な目標として、①インフラ投資は、費用対効果のみならず、 雇用創出を意識して荒廃した都市を優先し、石炭関連の規制緩和なども積極展開、②保護主義策や移民規 制強化策については、労働者の今就いている仕事が奪われないことを最優先し、その目的に適うように推 進、といった政策展開となる可能性が高い。 今回選挙の真のテーマは「白人低学歴層支援」 大半の世論調査結果を覆してトランプ氏が大統領に当選し、注目はトランプ新政権がどのような政治を 行うかに移った。しかし、トランプ氏が選挙戦中に掲げていた公約は極端なものが多く、それをそのまま 政策として実現することは難しい。したがって、トランプ氏が新大統領に就任した後、どこまで「現実的」 な方向へと公約を修正して政策に落とし込んでいくかが焦点となっている。 当選後のトランプ氏の動きをみると、選挙戦終盤では事実上トランプ氏への支援を打ち切っていたライ アン下院議長、あるいは、トランプ氏と激しく対立して罵倒し合っていた共和党の重鎮・ロムニー氏と和 解するなど、共和党主流派の路線へと近づいていくのではないかといった期待を高めている。その一方で、 TPP 撤退については当選後に沈黙を守り、方針修正への布石という希望的観測が出ようかという 11 月 21 日になって撤退意思を示すなど、やはりトランプ氏の出方は読み切れない。 トランプ新政権の政策運営について、何か手掛かりはないか。そこで改めて考えてみたいのが、トラン プ氏の公約の軸は何かという点である。選挙戦においてトランプ氏は共和党候補となったために、民主党 に入れるぐらいならと言って「共和党候補」に投じられた多くの票を集めることができた。しかし、終始 一貫してトランプ氏の熱心な支持層となったのは、従来からの共和党支持層ではなく、白人低学歴層であ った。今回、トランプ氏がここにフォーカスした公約を掲げたために、この層に属する人々がこぞってト ランプ氏に投票した(ニューヨーク・タイムズ紙の出口調査によると、白人高卒以下の人々は 67%がト ランプに投票している)。共和党の持つ票に加えて、この「上積み」があったからこそ、トランプ氏はク リントン氏に勝つことが出来た。その意味で、トランプ氏の公約の軸はまさにこの点にあり、端的にいえ ば、「白人低学歴層支援」こそが今回選挙の真のテーマであった。 完全雇用下での「雇用増」の意味 実際、次ページの表に取り纏めた個別政策を良く見れば、政策目的の多くが白人低学歴層支援にあると 考えられる。もっとも包括的な政策目標である「2,500 万人の雇用創出」もまた、白人低学歴層を意識し ている。 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、伊藤忠経済研 究所が信頼できると判断した情報に基づき作成しておりますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告 なく変更されることがあります。記載内容は、伊藤忠商事ないしはその関連会社の投資方針と整合的であるとは限りません。 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 トランプ新大統領が掲げる主要政策 対内的には規制緩和等により企業活動活発化・供給サイド強化を目指す 全体スタンス 経済 減税とインフラ支出拡大を標榜 増加が続いているにも :大減税と財政出動により大幅な財政赤字見込み。共和党主流派との調整により赤字幅縮小へ かかわらず、失業率が 成長率加速により10年で2,500万人の雇用創出 :3.5~4.0%、2,500万人といった数値目標は過大であり、選挙用の高い数値 項目 海外留保利益の米国還流時の課税税率を1回限りで10%に 貿易 エネルギー 金融サービス 包括的に規制を見直して、雇用を拡大し、地域活性化を進める るのは、転職等による一 米国の雇用と賃金を増やし貿易赤字を減らすように、不正を正しフェアトレード実現 時的な理由による人が TPPは離脱、NAFTAは再交渉を求めて応じなければ撤退 中国を為替操作国に認定し、不正貿易に徹底対抗 ほとんどという、いわゆ :11/21の動画メッセージにてTPP離脱を改めて表明 る「完全雇用」の状態に インフラ投資にあたっては資材はバイアメリカンとし、建設・製造業等の雇用創出 した中で今後 10 年間で (OPECや敵対国からのエネルギー輸入を不要とする)独立性の確保 2,500 万人、厳密には、 伝統的および再生可能双方のエネルギー源を活用 米国のシェール、原油、天然ガス、石炭資源の活用。反石炭制度を見直し トランプ氏の政策によ :パリ協定等、温暖化対策の空洞化が懸念 って追加的に 1,800 万人 大量の規制を産み出したドッド・フランク法を解体して新制度に置き換え う公約は、的外れな大風 日本:米軍駐留費全額支払いを要求 呂敷にも聞こえる。 中国:関係改善は重要だが、不正貿易には断固対処 確かに、その数字の大 米国軍人の犠牲は、米国民及び同盟国の利益を守る任務に限定 きさが理に適っている 削減されていた軍事費を復活し、サイバー攻撃対策等にも長けた軍備構築 かについてはかなり疑 :米軍駐留費負担増は求めても、同盟国防護のための米国軍人の犠牲は許容 新規入国者を制御して既存の合法的移民を守る 職を失っている層の中 メキシコ国境に壁を作り、メキシコにその資金を負担させる には、求職する意思を無 オバマケアを廃止して、患者中心のより良いヘルスケアシステムを構築 くして労働市場から離 高額医療費を抱え、保険でカバーされていない患者にも保険のアクセスを保証 脱し、失業率にもカウン :当選後、一部、オバマケアを引き継ぐと発言 教育 育児支援 憲法上の権利 退役軍人対策 問がある。しかし、現在 テロリストが紛れ込むリスクを排除できない地域からの移民受入を一時停止 :当選後、11/21の動画メッセージでも言及 ヘルスケア の雇用を創出するとい 地域の同盟・友好国とともにISISを打破 イラン:核合意を酷評し制裁解除に反対 移民 近づいてきている。そう :官民パートナーシップや税優遇により民間資金等でのファイナンスを見込む ロシア:プーチンのリーダーシップ評価 国防 全ての人々は既に職に 就いており、失業してい 海外での国家建設や体制変革を止めて、難民対応は米国民の安全第一に 外交 なってきている。すなわ 規制緩和はトランプ政権の礎石 劣化したインフラを更新、経済成長と生産性向上に繋げる インフラ 5%程度から低下しなく ち、就業意思のあるほぼ 概要 所得税の簡素化と減税、法人税減税(35%⇒15%)、相続税は廃止 規制緩和 ほど、経済成長・雇用者 対外的には関与を減らす「内向き政策」 税・規制・通商等の改革により3.5%成長を実現し、4%成長も視野に 税 米国経済は過去 1 年 トされなくなっている 大学の学費削減と学生ローン債務軽減 米国民が知的労働に就業し易くなるように教育選択の自由拡大等を実施 人々が多く存在してい 税優遇等を通じた育児支援 る。そのため、これを含 言論の自由、信教の自由、武器の保持・携帯の自由等の基本的権利を守る 本来の意味で法解釈する最高裁判事を任命(銃保有の権利を守る保守系判事) めれば米国は完全雇用 退役軍人支援をより包括的に強化 に近いとは言い切れず、 この人々を労働市場に (出所)トランプ氏の選挙戦用および政策移行チームのホームページ等より作成 呼び戻すことを考えれば、雇用創出の余地がまだ十分にあることになる。 こうした人々が、人口の中にどれくらいの割合で含まれているかは、労働参加率(就業しているか、あ るいは就職活動を行っている失業者の人口に占める割合)から知ることができる。労働参加率が 90%で 2 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 労働参加率の推移(%) あれば、10%が求職する意思を無くした層になるが、米国 では、労働参加率が 2000 年頃の約 67%をピークとしてリ ーマンショック前には 66%程度に低下、それがリーマンシ ョック後には急低下して現在では 63%弱で停滞している。 労働参加率は高齢者の人口に占める割合が増加するにつれ 68.0 67.0 66.0 65.0 て低下していく傾向にあるものの、それでもリーマンショ ック後の下落ペースはあまりに急である。1%Pt の労働参 加率低下によって 250 万人程度の雇用が労働市場から零れ 落ちている計算になる。FRB のイエレン議長が利上げペー スを極めて緩やかなものとしてきた大きな要因も、この労 64.0 63.0 62.0 1985 90 95 2000 05 10 15 (出所)米国労働省 働参加率の低迷にある。FRB では、低金利を維持して景気を拡大していくことにより労働需要を増加さ せて賃金を上昇させ、この求職意思をなくした人々を再び労働市場へと復帰させようと考えてきたのであ る。選挙戦中にトランプ氏はイエレン議長の低金利政策を強く非難していたものの、実は、この雇用(労 働参加)の問題において彼らの問題意識は共通している。 この労働市場から零れ落ちた人々の中には、もちろん、白人低学歴層も含まれる。大統領経済諮問委員 会(CEA)の報告書によると、25~54 歳の米国人男性の労働参加率を人種別にみると、1990 年頃までは 白人約 95%、ヒスパニック約 90%、黒人約 85%という順であった。それが、2000 年代に入ると黒人が 8 割前後に低迷する一方で、白人とヒスパニックについては白人が低下していきヒスパニックとほぼ同一水 準となり、ついにここ数年は白人が 90%を割り込んで、ヒスパニックに逆転を許している。また CEA の 報告書では学歴別の分析も行っており、高学歴層の労働参加率が 90%台半ばの高水準を維持しているの に対して、高卒以下では、1960 年代には 9 割超であったものが現在では 80%台前半にまで大きく下げて いる。このように、白人および低学歴層はその地位の転落が著しく、この面からみても、それだけ自分の 現状、さらには政治への不満が蓄積されていたと考えられる。トランプ氏の過大ともいえる 2,500 万人雇 用計画は、個別の具体的な雇用創出策と併せて、こうした層に対して職を保証することをアピールするも のであったと考えられる。 インフラ投資に二重の意味 では、個別具体的な雇用創出策とは何か。トランプ氏の具体的な公約は、国内に向けては減税、規制緩 和、インフラ投資等によって企業活動を活発化させ、経済成長を加速させようとするものである。対外関 係では「内向き志向」をとり、海外での米軍駐留費用などを減らしてその資金を国内の雇用創出に振り向 ける。また、保護貿易によって国内の産業と雇用を守り、移民制限を強化して不法移民を労働市場から締 め出すことにより、トランプ氏のコアな支持者である白人低学歴層を守ろうとするものである。 このうち、国内の企業活動活発化策については、経済成長が加速すれば雇用もまた拡大することになる が、中でもインフラ投資については、老朽化して効率の落ちた運輸・交通インフラを更新・改善すれば経 済の生産性が高まるというサプライサイドの効果があるとともに、土木・建設工事を通じて需要と雇用の 創出効果も生じる。トランプ氏の選挙戦中の演説内容を見ると、荒廃した都市にはまともな職も少なく、 インフラは老朽化、住環境・教育環境の悪化がスラム化を引き起こすといった主旨の問題提起をしている。 こうした都市の荒廃は、ラスト・ベルト(米国五大湖南側から大西洋岸にかけての、かつて製造業で栄え 3 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 た諸州)、あるいは環境対策等により縮小・閉鎖を余儀なくされてきた石炭産業地域などに多く存在する。 そして、これらの地域には複数の接戦州が含まれており、ここで勝利できたことがトランプ当選に結びつ いている。トランプ氏のインフラ投資は、もちろん、費用対効果の高い案件から実施されることにはなろ うが、これらの荒廃地域については特に優先して、白人低学歴層の雇用を拡大するように展開されるもの と考えられる。インフラ投資を地方の雇用対策に使うという発想は、近年、米国においてはあまり前面に 出てくることはなかったが、日本においては馴染みのものであろう。トランプ氏は、エネルギー開発に関 しては、石炭産業の規制撤廃/緩和などを唱えているが、これもまた、国内エネルギー資源活用の裏に自身 の支持層に対する雇用対策があるという意味で、インフラ投資と類似した構図であると考えられる。 インフラ投資のファイナンスについては、トランプ氏が想定するように、官民パートナーシップや税優 遇措置による民間資金でカバーできるかどうか明確ではない。しかし、議会も共和党・民主党ともに一定 以上の支持は見込める政策であると考えられ、実現可能性の高い公約であるとみられる。 目的達成のため、保護貿易や移民規制強化は当面継続か このように国内政策では雇用を創り出すことに注力する一方で、対外政策では国内の雇用を守ることが 主眼となる。保護貿易をすれば経済の成長力が低下することが理解できないトランプ氏ではないと思われ ....................... るが、彼は、それよりも、米国の雇用者が今就いている仕事を奪われないことを優先したと考えられる。 そもそも貿易のメリットは、各々の国がそれぞれに得意な製品の製造に特化して、それを交換すること によって生じる。したがって、①雇用者がその国が苦手とする産業から離職して、得意とする産業へと転 職していかないと、メリットをフルに享受することはできない。また、仮に転職がうまくいったとしても、 ②貿易の結果として国内の所得格差が縮まる保証は全くない。 米国の現状をみれば、上記①および②の双方について問題がある。①については、以前想定されていた ほどに米国内での労働者の産業間移動がスムーズではないことが、米国の経済論壇で話題になっている。 具体的には、輸入品の増加によって衰退した産業の労働者が、競争力のある他の産業へと移れずに失業し ている状況が、学術的に示されたのである。さらには、対中輸入増によって悪影響を受けた地域が具体的 かつ詳細に示されたことから、これが反・自由貿易の証拠として摘まみ食いされるといった混乱も招いた。 この問題に対する正しい処方箋は、貿易を規制することではなく雇用の移動をスムーズにするための雇 用対策を取ることである。しかし、先進国・米国で雇用ニーズがより知的かつ複雑なスキルへとシフトす る中で、こうしたスキルを身に着けるのは容易ではなく、雇用対策は思うように進んでいない。進まない 政策を待つよりも、「貿易や移民を規制して労働者が今就いている仕事を守る」とした方が、国民には分 かりやすい。選挙戦の只中であれば、なおさらであろう。 もちろん、このやり方には無理がある。そもそも雇用ニーズ変化の背景には、貿易だけではなく、IT 化・オートメーション化・サービス経済化までを含めた大きな構造変化がある。上記②の格差問題につい ても、貿易よりもむしろこうした構造変化や、税制・所得再分配といった政策によるところが大きいもの とみられる。 しかし、無理を承知で、選挙戦では保護主義が競い合われた。では、選挙終了後はどうするのか。トラ ンプ氏が公約した保護主義化や移民規制強化は、成長を犠牲にして、白人低学歴層をはじめとする米国の 4 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 比較的脆弱な労働者層の職を守るための「手段」である。したがって、これらの人々に代替できる雇用政 策や生活改善策が講じられれば、保護主義を継続する必要性はなくなる。たとえば、インフラ投資により 荒廃都市にも雇用が生まれ、そこに住む低学歴層の生活が改善してくれば、保護貿易や移民規制を声高に 叫ぶ必要性はそれだけ薄れることになる。また、雇用者の再教育、あるいは、貧困地域の教育改善が進め ば、人々は付加価値の高い職に就きやすくなり、労働者の産業間移動が進んで、貿易からのメリットが高 まる。実際、トランプ氏は、米国民が知的労働に就業し易くなるように、教育選択の自由拡大等を実施す るといった教育改革を重点施策の1つとして掲げている。 ただし、これらの施策が講じられて、かつその効果が表れてくるまでには、かなりの時間を要する。そ の点を考慮すると、保護主義的傾向と移民規制強化については、当面は新政権の方針として堅持される可 能性が高い。 具体的には、これらの政策の目的に立ち返って考えれば、全面的に貿易や移民を止めようとするのでは なく、新しい雇用ニーズにうまく適応できない地域や労働者(特にトランプ支持層)の現在の仕事を守る ために、競合する品目あるいは移民(ビザ発給)の流入を規制する形をとることが考えられる。トランプ 氏は選挙戦中には対中輸入に 45%課税するといった主張をしていたが、このような政策目的から逸脱し て、かつ WTO 上も考えられないような策ではなく、的を絞ってのアンチダンピングなど、既存貿易救済 措置を多用してくると考えられる。そうすれば、政策運営上も問題が少ない。 経済連携についても、この文脈に沿って対応されていくことになるのではないか。具体的にいえば、 NAFTA については、脱退すれば既存サプライチェーンが大きく崩れて混乱が生じ、現在ある職が失われ る恐れがあるため、そこまで踏み切る可能性は低いと考えられる。他方、TPP や TTIP は、発効すれば現 在ある職が一定数失われる。失われた以上の数の新しい雇用が生まれることが考えられるが、労働移動が スムーズでなければ、失職した人々、言い換えれば脆弱性を抱えた労働者層にしわ寄せが行く。トランプ 新政権はこうした流れは嫌うことになろう。 以上、「白人低学歴層支援」という政策の軸がブレないことを大前提として、推論してきた。もしこの 大前提が崩れてしまえば、ここでの推論もまた妥当性を失うが、幸い、今までは軸は変えていないようで ある。今後は、閣僚など幹部人事の内定が進み、その顔ぶれをヒントにして新政権での具体的な政策につ いて様々な憶測が展開されることになる。また、トランプ氏自身もメディアを通じて、あるいはネットで 直接に、新政権の政策についてのメッセージを発信し始めている。その内容のみならず、レトリックやワ ーディングから、新政権の政策を占っての一喜一憂が繰り返されることが予想される。ただし、新政権の 政策を見通す上で重要なのは「軸」がブレるか否かであり、ブレていなければ、上記のような推論には一 定の妥当性が維持されるものと考えられよう。 5
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