JAPAN HAPPY BIODIVERSITY 【PDF】

01
K Y USHU & CHUGOK U
Japan Civil Network for the United Nations Decade on Biodiversity
KYUSHU & C
JAPA N H A P P Y B I O DI V E R SI ST Y | KY USH U & C H UG O KU
CONTENTS
福岡県 糸島市
C AS E 1 糸島くらし × ここのき 野口智美さん . . . . . 02
CHUGOKU
C A S E 2 里浜つなぎ隊 渡辺美穂さん . . . . . 03
C A S E 3 龍国禅寺 . . . . . 04
C A S E 4 ミツル醤油 城慶典さん . . . . . 05
E S S AY 生物多様性を活かして生きる道 . . . . . 06
山口県 油谷半島
C A S E 5 百姓庵 井上義さん . . . . . 07
山口県 祝島
C A S E 6 こいわい食堂 芳川太佳子さん . . . . . 08
C A S E 7 一本釣漁師 岡本正昭さん . . . . . 09
島根県 柿木村
C AS E 8 柿木村有機農業研究会 福原圧史さん . . . . . 10
鳥取県 鳥取市
C A SE 9 ポール・スミザー監修・作庭 湖山池ナチュラルガーデン「とっとり晴れやか庭園」 . . . . . 11
12
あとがき . . . . . 2016 年 3 月 10 日 発行
編集 国連生物多様性の 10 年市民ネットワーク代表 坂田昌子 制作 してきなしごと(ウチダゴウ)
発行 国連生物多様性の 10 年市民ネットワーク(〒 450-0001 名古屋市中村区那古野 1-44-17 嶋田ビル 203)
この報告書は、平成 27 年度地球環境基金助成を受けて作成しました。
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福岡県糸島市
CASE 1
糸島くらし×ここのき / 野口智美さん
糸島モデル最前線
「筑前前原駅」から 10 分ほど歩くと唐津街道前原宿に出
る。現在は昔ながらのお店が残る前原商店街となってい
る。この一角におしゃれでナチュラルな雰囲気の雑貨屋
がある。最近、代官山 TSUTAYA での販売や、ナチュラ
ルライフをテーマにした雑誌でよく取り上げられている
「糸島くらし × ここのき」だ。店内には思わず手に取り
たくなるような木工品や陶器や食品、書籍など手作りに
こだわった商品が並んでいる。すべて糸島ブランド!
オーナーの野口智美さんは、実は森を守る仕事に関わ
りたかった。もともと雑貨屋をしていた経験があり、物
をコーディネートする力を生かして森を守ることにつな
げていこうとお店をオープン。「放置されている糸島の
山を元気にしたい。そのためには町の人に木を使っても
らわなきゃと思って。ふだん日常的に使う道具や家具が
木の製品だったら、暮らしの中に木をもっと取り入れた
ら、森への関心や愛着が増すのでは?と考えたんです」
今は、木工品だけではなく陶器や食品もあり、60 人余
りの作り手の作品をあつかっている。「木を使う価値観
と糸島の物を使う価値観は同じかなと思ってあつかうこ
とにしました」とのこと。野口さんは、糸島で完結して
できた物にこだわりがある。糸島の人が糸島の木や水や食べ物で作ったものを販売したい。「地元の人々が自然を
守ってきてくれた。それを受け継がなければならないという想いが商品へのこだわりになってるんです」。野菜の
ほんとうの美味しさを糸島から発信したくて糸島産野菜とフレンチのコラボでできた伊都島スタイルの「糸島ピク
ルス」、安政 2 年(1855 年)から 8 代も続いている白糸酒造のお酒で作った明太子…野口さんは、次々と品物とそ
の向こうに見える人の想いについて紹介してくれる。
「売る力は伝える力のことだと思っています。はやりやブームにも乗っかることもあるけど、根っこがないとい
けない。お客さんが何を良いと感じてくれているかがとても大事」野口さんと話している間にも、木工作家さんが
作品を納入しにきたり忙しそう。買う、使うという行為は「消費」と言われてしまうと味もそっけもないけれど、
ここのきにいると本当は人と人が物を通してつながることなんだなと感じることができる。人と人がつながり、山
と海と街がつながり、昔と今がつながるそんな場所にしたいと野口さんは考えている。
「社会的な成功は必要です。それが糸島の森を守っていくことにつながるから。環境を守るのは経済だと考えて
ます。ここのきのようなお店が儲かるとみんな救われるでしょ?」と野口さんは笑う。でもたまに「儲け度外視だ
からみんな応援して買ってくれるのかな?」と悩んだりもする。持続可能な社会のイメージが漠然としたものでは
なく、糸島で可視化したい。そのためには、「今できるものだけではなく、夢があるものをいっしょに作っていき
たい。地元では当たり前すぎて気づいていない宝物がまだまだあるんですよ」ローカルビジネスの本当のおもしろ
さとはその土地への愛であることを知っている人の言葉だ。
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里浜を守る、
落ち枝拾いに拾って
福 岡県糸島市芥 屋
け
や
渡辺美穂さん / 里山つなぎ隊 C A S E 2
玄界灘の外海に面している糸島半島の海は、潮が澄んでいて美しい。その中でもにぎ
の浜は、6km もの弓張形のきれいな砂浜で、玄界灘の彼方に壱岐・対馬を望み、青い
海と白い砂浜に感動させられる。また四季を通して人気のサーフィン・スポットでも
ある。しかし、2012 年からいっきに松枯れが始まり、日本の「白砂青松 100 選」に選
ばれた浜は悲惨な風景になってしまった。
当時 1 歳の子どもがいた渡辺美穂さんは、松枯れ対策にネオニコチノイド系の薬剤
を散布すると聞き不安になった。散布しないで欲しいと声をあげたが、地元は薬剤散
布に賛成で軋轢が生まれるだけ。そこで反対ではなく薬にたよらない解決方法を提案
したくて 2013 年に「里浜つなぎ隊」を発足させた。町づくり推進協議会の環境部会で
樹木医さんをよんで勉強会をしたり、九州大学の先生からも学び続けている。そして
感染源を排除するため、100 人ぐらいで松枯れの落ち枝拾いを 1 年半かけてやった。拾っ
た落ち枝は推計 25 万本だ。これは松葉小屋でたきつけの燃料にしている。「いやぁ~
大変でした。何しろ広いからね」渡辺さんはそんなパワフルなアクションをしたとは
思えない、いい感じで力が抜けている。
マツザイセンチュウは松の幹の中に入り込み、水の通り道をふさぎ枯らしてしまう。
北アメリカから入ってきた生物だが、北アメリカではマツザイセンチュウは弱った松
を少し枯らすだけで松と共生しており元気な松が枯れることはない。しかし日本の松
は抵抗力がないためどんどん枯れてしまう。マツザイセンチュウは、自分の力では他
の松に移動できないのでマツノマダラカミキリに運んでもらう。カミキリは枯れた木
に産卵するので、幼虫が潜まないように落ちた枯れ枝を拾うことが大事なのだ。「薬剤
を散布しても防げないことはあちこちで証明されています。ずっと散布し続けるしか
なくなるんです」渡辺さんは、「ここをもう一度気持ちの良い場所にしたい。里浜の良
さを次世代に伝えたい」と考えている。
彼女が取組み始めるまで、にぎの浜は松のブッシュで放置林だった。松枯れへの取
組みだけではなく、気持ちのいい場所にするため草取りも行っている。「みんな白砂青
万本!
25
松にしたがるけど、松じゃなきゃいけないって思ってないです。海に面した最前線は
松で、後ろは在来の樹木にするとかもっと多様性があっていいんだけどなぁ」そんな
試行錯誤をしつつ渡辺さんは、「人海戦術だから人を集めなきゃ」とがんばる。
2014 年 8 月から里浜つなぎ隊は、糸島市アダプト事業管理者になった。糸島市内の
市有、国有の海岸林を区画割して市民や企業などの登録団体がその区画の手入れを行
う松林の里親制度だ。里山・里海と同じように、人が気にかけ手を入れて、大切に子
どもたちに受け継いでいく自然としての里浜。薬剤散布のオルタナティブとして取り
組んだ彼女の行動は、いまや主流になりつつある。
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福岡県糸島市
CA S E 3
龍国禅寺
いのる・まなぶ・つどう
美しい田園風景が広がる糸島市二丈波呂。清冽な小川の
せせらぎを前にして曹洞宗龍国寺が静かに佇む。龍国寺
は 1202 年(建仁 3 年)平家一門の菩提を弔うために開
基された 800 年の歴史を持つ禅寺。裏には山がせまり、
泉がわき出ている。里山、小川、田んぼに囲まれた日本
の原風景に溶け込んでいるかのようなお寺だ。境内には、
イヌマキの巨木が木陰を作っている。
地蔵堂には「龍国寺文庫」とあり「ここにある本は誰
でも借りることができます」と書かれている。住職の建
仁さんは「誰でもいつでも来て、自由に本を借りていい
んです。もともとお寺はいつ誰がきてもいい場所なんで
す。お地蔵さまが見守ってくれるこの場所は、どんなこ
とが起きてもここだけは平和な場所ですから」「かつて
お寺は、その土地と人々の心の中心にあり地域社会に開
かれていました。水争いが起きた時も、飢饉が起きた時
もみんなお寺に集まったんです。そんなお寺のあり方を
もう一度取り戻したいんです」と語ってくれた。龍国寺
は、現代もその役割を担い続けている。門前に広がる美
しい田んぼを壊して青汁工場を誘致する話が持ち上がっ
た時、お寺を中心にして域住民が力を合わせ、田んぼと
豊かな湧水を守り抜いた。
本堂に入るとびっくり。田んぼの生き物に目を向け、人と自然が対立しない農のあり方を問い続けている宇根豊
さんの「いきものもごはんも田んぼの恵み」ポスターが、ドンと張ってある。不思議なお寺だなぁ…と思いつつ、
なぜ?と建仁さん伺うと「仏教の基本は生物多様性なんですよ。生きとし生けるものすべてが、在るべくして在る
のが道理で、人間至上主義は仏の心に反します。若手の御坊さんたちで集まって生物多様性の勉強会もするんです
よ」とのこと。
龍国寺では、工場誘致を阻止して以降、美しい里山と水、田んぼを守り続けるため 2005 年から本堂で、
「田んぼ
コンサート」を開催している。無事、豊穣の季節を迎えられたことに感謝をこめ、毎年 10 月開催、素晴らしいミュー
ジシャンたちが音を奏で、無農薬野菜、手作り木工品、オーガニックコーヒーなどマルシェも開かれる。そしてい
ろんな人がお寺に集い、つながってゆく。「おとなの寺子屋」も開催される。「“ 寺子屋 ” という言葉どおり、お寺
は本来、教育の場でもあったんです。誰でもお寺にくれば学べた。お寺はそういう役割を担っていたんです」「い
のる、まなぶ、つどう、この三つがお寺の役割。お寺がこの役割を取り戻すとこの国は変わることができます」そ
して建仁さんは「全国でお寺がどれだけあるか知ってますか? 7 万件以上もあるそうです。コンビニよりずっと多
い。お寺が変わると日本は変わります!」と笑う。
帰り際、ふと門の脇にある張り紙に目を止めた。全国各地を旅し、自然と人の関わりのなかで歴史的に育まれて
きた暮らしの多様性を記述し続けた民俗学者宮本常一の言葉だった。「それぞれの地域に住む者が、その土地を真
に愛し、その土地で生きのびてゆこうとするとき、その環境もまた美しくゆたかになってゆくものではあるまいか」
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福 岡県糸島市
城慶典さん / ミツル醤油 C A S E 4
自社醸造で生まれる
「 味」の多様性
醬油は 1960 年頃に各県ごとに醸造組合ができ、仕込みは組合の協業工場で作られるようになった。今もこの状態
は続いており、自社醸造を行っている所はわずかだ。糸島市二丈にある小さな醸造元ミツル醤油も、1966 年に自
社醸造をやめ、協業工場から醬油を買い、味付けと火入れは自社で行うという方式に転換した。今、このミツル醤
油が自社醸造を復活させ醬油業界で話題になっている。
城慶典さんは、
「ぼくが後を継いだら仕込みを復活させたかった」と言う。
高校生の時に自社醸造を復活させると決め、東京農業大学醸造科に進んだ。
春休みのたびに全国各地の蔵元で修業をしたそうだ。2009 年に糸島にも
どり、2010 年から自分のところで仕込みを開始した。「自社醸造に戻した
いと言った時に、おやじが思うようにやれと言って理解してくれた。そも
そも設備はない、資金もいるわけですよ。しかも仕込んでから商品になっ
て代金を回収できるのは 1 年後とか 2 年後。それでも了解してくれたこと
は大きいです」非常に苦労はしたものの、資金もなんとか用意ができ、巨
大な桶を据え付け、物置をリフォームしてこうじ部屋にした。
「組合の工場に出すと脱脂加工大豆が使われていて薬剤をかけて油を取
ります。それに大豆の 9 割、小麦の 8 割が海外からの輸入です。糸島の物
だけを使って、地の物としての醤油を作りたかったんです」と慶典さん。
脱脂加工大豆とは、大豆から油を取り除いたもの。つまり大豆油を搾った
残滓なわけだが、一般的な醬油はこれで濃いものを作り、薄めて大量に作
られている。原料コストが安く、短時間でうまみ成分の高いものが作れる
ため、流通している醬油のほとんどが、脱脂加工大豆 8 割、丸大豆 2 割が
原料になっている。
糸島の米や麦で作った麹に糸島の大豆で作った醬油は、どんな味がするのだろう?「味比べをしててみてくださ
い」と 2011 年ものと 2012 年ものを味見させていただいた。まろやかさにびっくり!ちょっと言葉では説明できな
い複雑なこくがあり本当に美味しい!しかも仕込んだ年で微妙に味がことなる。慶典さんは「仕込んだ年で味が違
うことを楽しんでほしい」という。流通業界ではいつどこで食べても同じ味であることが求められる。そんな均一
化に慣れきってしまうと、わたしたちの舌は多様な味覚を忘れてしまうのではないだろうか。その年の温度、湿度、
米や麦の出来具合、菌の多様性で味が変わるということは、実は素晴らしいこと。わたしたちの食文化に豊かな多
様性を与えてくれる。
慶典さんは、友人の農家に頼んで無農薬の小麦を作ってもらっている。そして麹を作り、じっくり時間をかけて
熟成させてゆく。毎年、巨大な桶 2 本分を仕込み、しぼるのに 2 週間もかかる。しかし、もともとはどこの醤油も
こんなふうにして醸造していた。そろそろ、本来の姿に戻していく時代だ。「発酵している時、人が近付くと音が
大きくなるんです。不思議ですよね」と愛おしそうに笑う慶典さん。可愛がると美味しくなってくれる。食べ物は
生き物だ。
5
ES S AY
「自然は、使わなくなったとたんダメになる。みんな平気で川にゴミを捨てるようになる」
親しい川漁師さんの言葉です。
生物多様性とは、多様な生き物がかかわり合いながら存在していることですが、わたした
ち人間もその中の生き物のひとつです。現在、人の暮らしと他の生き物とのかかわり合いが
希薄になることによって、多様な命の連鎖にほころびが生じはじめています。ある生き物が
絶滅するということは、その生き物を食べる文化、使う文化が消えてしまうことを意味しま
す。文化の多様性が失われ、日本全国どこに行っても同じような食べ物、似たような風景…
そんなことになったら、わたしたちは人生から喜びや楽しみをどれほど失うことになるで
しょう。
生物多様性という言葉を聞くと「希少種の話ですか?」とよく言われます。もちろん希少
種の話や生き物の研究は非常に重要です。しかし生物多様性が、わたしたちの暮らしとどの
ようにかかわっているのかということが見えなければ、命の連鎖を実感することができませ
ん。生物多様性は生物学の分野だけのことだと多くの人が考えてしまっている現状は、生物
多様性の保全に取組む側が、社会学的な視点からのアプローチを怠ってきたことに原因があ
る気がします。
まわりから生き物が姿を消し、生物多様性が失われていくということは、わたしたちの生
活が足元から崩れていくことです。ミツバチが消えてしまえば、わたしたちは多くの作物を
得ることができなくなります。豊かな水源となる森を失えば、安全で美味しい水を失います。
日本の子どもたちは、ニホンカワウソが絶滅した今、もう二度と昔話によく登場するカワウ
ソがどんな動物なのかイメージすることはできません。山菜や野草を食べることがなくなっ
た若者は「えぐみ」という味を理解することができません。四季があり、世界でも有数の生
物多様性を持つ日本の自然の中で、長い歴史を通して伝えられてきた伝統的な知恵が、わた
したちの時代で大きな断絶を迎えつつあります。
この小冊子は、自然の恵みを上手に活用しながら生きていこうとする人々を紹介していま
す。大量生産、大量消費そんな欲望のあり方に疑問を持ち、自然から切り離された都市生活
に未来を見出せない人々が、充足した生き方やいごこちのよさを求めていったら、こんな暮
らし方なったという事例が掲載されています。ここには自然という足元にある宝物に気付き、
それを活用し、古くて新しい文化を紡ぎだしていこうとする力があります。
「生活」と言う字は、活かして生きると書きます。何を活かしていくのか?という問いが
時代に投げかけられているのではないでしょうか?生物多様性の重要性を多くの人に認知し
てもらうためには、生き物の観察会や保護活動だけでは不可能です。多様な自然を活用する
暮らしの復権がカギを握っています。
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山 口県長門市油谷湾
山陰地方の西のどん詰まり、山口県北部の油谷湾は、北側の向津
井上義さん / 百姓庵 C A S E 5
具(むかつく)半島が日本海の荒波をさえぎり穏やかな海だ。こ
塩は、
森の味。
の向津具半島に、百姓の塩づくりで話題の百姓庵がある。オーナー
の井上さんは、23 歳で食品関係の会社に勤め、食品のウラを見て
農業に関心を持ち自然農を学んだ。その後、この地に移住し、30
年以上空き家だった築 100 年の家を改築、荒れた農地を開墾し、
自然農に取り組んだ。農作物を作りながら、自給していくために
大事な食べ物はなんだろう?そうだ塩だ!と考えた。何でも自分
で作ってしまう井上さんは塩まで自分で作り始めてしまった。
「塩は森の味がする」と井上さんは言う。「雨の影響だと思うけ
れど、油谷湾には 3 本の川が流入していて、ここは汽水域なので
真水が混じる。だから森の環境に塩の味は左右される」塩は春夏
秋冬、味がことなり、夏は濃くて冬は薄味になるそうだ。年によっ
ても味が違う。向津具半島一帯は、棚田が多く西日本最大級の大
棚田地帯。歴史的にも多くのため池が作られてきた。それだけ湧
水が多いということだ。森が作り出す水が、海に流れ込み塩の味
を決める。
1960 年代に、化学的に作られた精製塩化ナトリウムが「食塩」
として流通、定着し、1971 年には「塩業近代化措置法」により強
制的な塩田廃止が国策として推し進められた。山口県の場合、塩
田はすべて埋め立てられ、次々と工場などに変貌していった。海
水には 60 種類ものミネラルがあるが、精製塩化ナトリウムは、
塩化ナトリウムの純度が高くミネラルはほとんど排除されてしま
う。だからピリピリ辛く、自然塩のようなまろやかさはない。も
ちろん体にも悪い。塩が高血圧の原因ではなくて塩化ナトリウム
が原因なのだ。減塩ブームも塩と塩化ナトリウムが混同されてし
まった結果だ。
井上さんが作る塩は、海とできるだけ変わらない塩。なぜなら
「人間のからだは、太古の塩と同じミネラルバランスになってい
るから」だ。塩炊きでは、最初と最後では結晶してくるミネラル
分が違うので、「天地返し」といってひっくりかえしながら混ぜ
る作業がとても重要。混ぜることでミネラルが均一になり、海の
もつミネラルバランスに近づくそうだ。「塩づくりは伝統的な知
恵、塩田文化の再生が重要だ」と井上さんは断言する。
また海から直接汲み上げるということは、海水は澄んできれい
でなければならない。井上さんは、ビーチクリーンにも取り組ん
でおり、今や約 1000 人もが参加する大きな取組みになっている。
井上さんが目下励んでいるのは無農薬トマトづくり。「百姓庵
の塩とトマトでめちゃくちゃに美味しいトマトジュースを作りた
い!」からだ。棚田放牧で牧場もやりたいとのこと。もともと長
門市は棚田放牧の発祥の地、それを復活させたいと考えている。
近い将来、山陰地方の西端に、先駆的な地域モデルとして百姓
王国が誕生しそうだ。
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山口県熊毛郡上関町祝島
CA SE 6
練塀の露地が続く。練った土と石を交互に積み上げ漆喰で固めた
この地方独特のものだ。その一角に、タカちゃんこと芳川太佳子
さんが営む「こいわい食堂」がある。今日のメニューは?
こいわい食堂 / 芳川太佳子さん
食の来歴
まず出てくるびわ茶は、こいわい食堂の大家さんである氏本長一さんが経営する氏本農園の完全無農薬のびわの
葉っぱで、ごつごつした肉厚のものを選び、洗ってから切り、袋に入れて 2 ~ 3 日かけて発酵させて作ったものだ。
それをソーラークッカーで沸かしたお湯で入れてくれる。ナスのからし漬けは、林さんご夫婦で漬けたもの、キュ
ウリの糠漬けは、岩本もよさん、5 年ものの梅干しは、タカちゃんのお母さん作、ちなみに梅干しは 3 年以上漬け
ると薬になるそうだ。美味しそうなサザエは、女漁師のたみちゃんが獲ってきた。石豆腐は、この地方の名物でニ
ガリの代わりに海水を使う。これは浜本しんさんが、満潮の時に海水をとり、海水と真水を交互に足して丁寧に作
り上げたもの。味噌汁に使われている味噌は、林かよさんの手前味噌、祝島産のだし
じゃこと切り干し大根でだしを取る。オクラとフノリはたみちゃん、てんぷらになっ
ているアジは、タカちゃんのお兄さん、キクラゲは氏本さん、ピーナッツかぼちゃと
玉ねぎは自分の畑で採れたもの。すべてが地元で取れたものというだけでなく、すべ
て顔が見える関係だ。食器までそうだから驚く。竹箸は石井のぶさんの手作り、膳は
氏本さんの家に古くから眠っていたもの、椀はタコ漁師の村津さんから。
おくどさん(かまど)の前で、にこにこと食材の来歴を語るタカちゃんは、食べ物
の話をするのが楽しくてしようがない様子。おくどさんは氏本家で発見し、たみちゃ
んに炊き方を教えてもらった。習ったのは炊き方だけではない。おくどさんの角に塩
を盛り、火の神様である荒神様をまつることも教わった。おくどさんで使う薪は、ヒ
ジキを炊く仕事を手伝うとわけてもらえる。水は上水道を使わず、井戸の水を使う。
井戸にも神様はいる。年末には正月に備えて島中の井戸にしめ縄がしめられる。
「食材
も火も水も木も全部島からいただいています」すべて見える関係の物だから、すべて
に物語がある。すべてに来歴がある。しかもとっても美味しい!
こいわい食堂は 2011 年 10 月にオープン。祝島の食材、祝島の食器や調理器具、か
まどや七輪、ソーラークッカーなどエネルギーも祝島産、調味料だけは購入するもの
もあるが伝統的な手法で作られた無添加なものを取り寄せている。合成洗剤は絶対に
使わない。水は直接海に流れるからだ。
「5 年たったけれど学びは終わらない」とタカ
ちゃんは言う。
「良いものを食べるだけでは限界かなって思って。一日のうちの多くの
時間を食を得るために使います。暮らしの中心に食がある暮らし方って、自然の一部
であることが感じられて楽しい。海と山が恵みをくれる、共にあるって感じられるん
ですよね」食を中心にした島の暮らしは連続している。都会で暮らしていると仕事と
食事は断絶してしまう。
タカちゃんは、生物多様性には文化や作物などすべてが含まれていることを実感しながら
生きていると言う。島の 70 代以上のお年寄りたちには、日々の暮らしについての伝統的な
知恵がすごい。祝島では女性パワーはおそるべき力。島の女性のリーダー的な存在は、女漁
師のたみちゃんだ。タカちゃんは、彼女から多くを学びこよなく尊敬している。
タカちゃんにとって、こいわい食堂は、お彼岸に団子を作ったり、台風の後片付けをした
り等 20 も 30 もあるたくさんの仕事のうちの一つ。「生物多様性とは、つきつめると居心地
の良さだと思う。食材の多様さは人の多様さ。全体と個が幸せになる食事を目指したい」
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山 口県熊毛郡上関町祝島
岡本正昭さん / 一本釣り漁師 C A S E 7
一本の糸で、
海と命をやりとりする。
山口県室津半島の東端に上関原発予定地がある。海を
隔てて西へ 4 キロ先に見えるのが祝島。このあたりの
海は、四季を通じてさまざまな魚が獲れる瀬戸内海で
も屈指の豊かな漁場だ。宝の海で、一本釣りを続ける
まぁちゃんこと岡本正昭さんは、漁師歴 50 年。3 代
続く漁師だ。15 歳の時、本当は島を出るはずだった。
その頃、島の人口は 3000 人近くおり(現在 500 人弱)
みんな半農半漁だったが、学校を卒業すると集団就職
で島を出る人が多かった。まぁちゃんは、結局親に引
きとめられて船に乗ることになった。27,8 歳でやっと
独り立ち。
「魚のいるところが自然にわかるようになる
んよ。潮をよむ力もこの頃ついた。二段潮の時によむ力
によって違いが出るな」二段潮とは、上層と下層で方
向がことなる潮が流れている状態。素人だと釣りにな
らない。まぁちゃんは、「20 年ぐらいの潮のデータを
身体が覚えている」と言う。まるで海はからだの延長
のようだ。一本釣りは、25 年ぐらい続けている。かつ
て 1960 年頃は、一本釣りのタイは「祝島鯛」として
高級料理店でその名をはせたほどだそうだ。
「一本釣り
は、1 人でできて魚にストレスもかからないところが
いい」食い気があるタイと漁師の一対一の勝負だ。取
りすぎることもなく、海の資源を枯渇させることもない。
「漁獲は、ここのところだいぶん落ちた。10 月頃でも水温が 28℃もあるしな。魚の種類もだいぶん変わってきた。
昔は魚種が多くてめずらしい魚もたくさんおったもんやが…」
まぁちゃんは、山の様子を気にかける。「山がだめになると海も必ずだめになる。浜がだめになり海岸線がすっか
り変わった。食物連鎖や生物多様性がいかに大事かってことやな」人のやることは、海にすぐ反映される。伊方原
発が止まってからエビがもどってきた。まぁちゃんは、エビや小魚に影響が大きいフジツボを取る薬をまかなく
なったせいではないかと思っている。
「漁師の仕事は、命を落とす仕事だ。覚悟がいる。やばい時は海の雰囲気でピリピリ伝わってくる」その言葉に、
海と命のやりとりをしている人なんだと改めて実感する。今日もまぁちゃんは、タイを中心に、メバル、エビ、ハ
ゲ(カワハギ)を獲るため海に出る。「中国電力は、田ノ浦は我々の土地だから入るなと言うが、海まで売ってない。
海は誰のものでもない」一本釣りという伝統的な漁法で、大きな網を使わず糸一本で魚を釣り上げる漁師にとって、
海は命のゆりかご。一本釣りを続けることが海を守ることにつながっていく。
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島根県吉賀町柿木村
柿木村有機農業研究会 / 福原圧史さん
島根県西部、津和野を過ぎ、あと少しで山口県に入る深い山中に柿木村はある。村のまん中を水
質日本一と言われる清流高津川がつらぬく。10 年ほど前に合併し、今は吉賀町だが、住民は「村」
を残したくて地名は吉賀町柿木村。
「昔は “ 村 ” であることが恥ずかしいと思っている人が多かっ
たけれど、今はばあちゃんたちが胸を張って “ うちは有機の里柿木村だ ” と言うようになった。
こうなるまでに 40 年かかったよ」と柿木村有機農業研究会会長をつとめる福原圧史さんは笑う。
1961 年に農業基本法ができ、それまで自給自足的な農業だったのが、農作物は商品に変わった。
小さな山村は、他の地域との競争の渦に放り込まれた。1970 年には減反政策が始まり、柿木村
は農地を山に戻そうと植林をするが、いつでも水田に戻せる形で減反しなければならないと言わ
れ断念。農薬がどんどん使われるようになると、田んぼから生き物が消え、高津川が変わり始め
た。除草剤を使い始めてから、アユやウナギの姿形がおかしくなり、まがった奇形のものが現れ
出した。不便だからと川と田んぼを切り離すとドジョウが消え、雇用を作り出すため川の護岸を
進めるとスッポンも見なくなった。スッポンは川から畑に上り産卵するが、護岸がスッポンたち
にとっては大きな障壁になってしまった。小さな谷まで治山工事してしまい、川はちょっとした
雨で泥川になり、とうとうアユも産卵しなくなった。
減反が 4 割になり、田んぼには雑草が生え放題、耕作放棄地がどんどん増加し始めた時、「も
う競争はやめよう!商品ではなく食べ物を作ろう!」と福原さんは決めた。1960 年代後半だった。
同じ頃都市では公害問題や食の安全性が問われ始めた。企業城下町だった山口県の徳山や岩国の
山村の生き方
CASE 8
主婦たちが、食べ物の安全性に目を向け、豊かな山と水に恵まれた柿木村に注目をし始めた。村
の外の人たちとの交流が生まれ、都市と山村が柿木村の豊かな自然を通してお互いに学び合った。
30 年後、農薬=毒ということが村の共通認識になった。「山に合わせた世代交代をしなければな
らない」「本当の公共投資は、山の手入れ。山と川をちゃんとすることが農業の復活につながる」
と福原さんは語る。
少し前まで、村はご多分に漏れず人口減に悩む山村だったが、今は 30 歳前後の若者の移住が増加し空き家がな
い状況。移住してくる若者は、みんな水源に近いところに住みたがる。それが地元住民には「なぜ、こんな所に?」
と不思議だったそうだ。美味しくて安全な水が当たりまえすぎて、それがどれほどありがたい自然の恵みなのか気
づかずにいるからだ。「“ うちの子どもは東京 ” と自慢する人たちは、子どもたちが U ターンで帰ってくる準備を
しない。村の自然や伝統的な文化を未来へつなごうとしない」と福原さんは、意識改革はまだまだだという。「伝
統食を取り戻し、食の意識改革を山村から発信しなくてはならない。身土不二という考え方を消費者に訴えるのは
これからの山村の役割」と語る福原さんは、柿木村を高津川流域の良いモデルにしていきたいと考えている。「み
んな公私混同でいいんだ。人のためではなく、地域のためが自分のためと同義になることが大事」という言葉が胸
に残る。
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KYUSH U & C H UG OK U | JAPAN HAPPY BIOD IVERSI ST Y
鳥 取県鳥取市
ポールスミザー監修・作庭 湖山池ナチュラルガーデン「とっとり晴れやか庭園」 CA SE 9
いのちめぐる庭
「なんで日本人は、ススキを庭に植えないのかな」とポール・ス
ミザーさんは言う。イギリス出身のガーデン・デザイナーであ
るポールさんは、世界有数の植物大国である日本人が、まわり
の草花に目を向けないことが不思議そう。イギリスの植物種の
総数は、約 1600 種。日本では、東京都高尾山周辺だけで同数の
植物が存在する。それなのに、どこの駅も花壇にはお決まりの
パンジーを植え、毎年春になると業者が来て植え替える。カフェ
の道に面した小さなスペースに巨木になるコニファーを植えて
しまうなどトンチンカンなものが目に付く。「日本人は足元に大
事なものがあることに気付いてないよね」。
これまで見向きもされなかった日本の草花に目を向けたポー
ル・スミザーさんの庭作りは、ガーデンニング界に旋風を起こ
した。そんな彼が構想に 3 年かけて取り組んだのが、鳥取市の
湖山池ナチュラルガーデンだ。世界でも例のない日本の野草が
9 割以上をしめる「地元の素材にこだわった山野草を中心にし
た庭園」で、地産地消の庭バージョン。ポールさんがつけた愛
称は、
「とっとり晴れやか庭園」だが、その名前に込めた思いは、
「青い空と水のひろびろと広がる場所。植物がのびのびと美しく、
たくましく、仲良く育っている場所。野鳥や蝶々が自由に飛び
まわり、魚たちが水面ではね、生命の輝きを感じられる場所」。
実際に訪れてみると、その多様性にびっくりする。200 種 3 万
株が植えられているとのこと。ススキ、ギボウシ、キキョウ、
ウツギ、ハマナス、ミヤコグサ、ノガリヤス…それぞれが、人
にとってではなく、植物にとってお気に入りの場所にある。ポール・スミザーさんが提唱するナチュ
ラルガーデンは、里山の発想にとても近い。庭とは人が理想的な自然を身近に楽しむために作るもの
だから、ちゃんと手を入れてあげなくてはいけない。そして、①植物の住環境を見極める、②農薬や
肥料の助けはいらない、③季節の変化を楽しむ、この 3 つがポイント。
「もっと多年草に注目して欲し
い。芽が出て、葉が出て、花が咲いて、実がなり、地上部は枯れちゃうけど、根は越冬する。いつも
庭は花が咲いてなきゃ嫌だとか、同じ種類のものだけの庭というのは変なんだよね」
ポールさんの庭には生き物が集まってくる。様々な昆虫、クモにカエルにトカゲたち、鳥たち。多
様な命がかかわり合いながら、庭の風景をかもしだしていく。希少種になってしまった植物の再生に
も取り組む。それぞれの庭やあちこちの公園が、季節の移ろいや命の循環を感じさせてくれたなら、
街を歩くことも楽しくなりそうだ。今、鳥取市は、市内の都市公園や公共空き地を「まちなかスポッ
ト」としてミニナチュナルガーデンを作っている。出来上がった時が完成形ではなく、何年もたつうちに植物たち
が育ち、木陰を作ったり、地面をカバーしていくことで、人にとっても心地良い場所になっていく。だから、湖山
池ナチュラルガーデンは、一度訪れたらそれっきりではなく、1 年後にはどうなっているだろう? 5 年後は? 10
年後は? 30 年たつとどんなに素晴らしくなっていることだろうかとワクワクさせる場所だ。
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あとがき
「2050 年までに半分の自治体が消失」という日本創成会議・人
口減少問題検討分科会の発表は、世の中に大変な衝撃を与え
ました。国交省国土計画課によるシミュレーションによれば、
日本の人口は 2050 年には 9515 万人、2100 年には低位推計で
3770 万人と明治時代後半の水準に戻っていくことになってい
ます。この試算についてはさまざまな意見があるようですが、
歴史上かつてない高スピードな人口減少、多くの基礎自治体が
成立基盤を失っていく未来がわたしたちを待ち受けていること
は間違いありません。2050 年とはそれほど遠い未来ではあり
ません。現在 20 歳の人はまだ 54 歳。10 代や 20 代の若者は非
常に強い危機感を持たざるをえません。また、子どもや孫の世
代に何を残していくべきか真剣に考えている年配の方も強い危
機感を持っています。
そんな未来を前にして、生き生きと人々が暮らせるような地
域モデルが必要とされる時代になりました。ここに紹介されて
いる事例は、持続可能な社会の構築に向けた暮らしや経済のモ
デルを作ろうと地域で取り組まれているたくさんの方々の営み
のうち、ほんのわずか紹介しているにすぎません。東日本大震
災や福島原発事故は、このような地域の動きを加速させました。
近代社会が発展させた科学技術や経済発展が、確固たる安全や
幸せを保証するものではないことに直面せざるをえなかったか
らです。自然には勝てない、自然なくしては生きていけない、
そんな実感を持った人々が動きだしています。
一方で、ある村を訪ねた時、子どもの頃、勉強をさぼると「そ
んなことじゃ農家になるしかないぞ」と叱られたという話を聞
きました。また、豊かな森や海に取り囲まれているにもかかわ
らず「こんな何もない所によく来たね」という言葉を何度耳に
したことでしょう。自然にかかわる第一次産業に価値を感じる
ことができず、東京のような大都市が唯一の発展モデルという
価値観には根深いものがあります。
この冊子でとりあげた人々は、環境保全と経済の二項対立を
実践的に越えて行く取組みを通じ、新たな価値観「持続可能性」
を広めることに意識的あるいは無意識に貢献しています。そし
て、いつでもどこでもその鍵となっているのは、その土地特有
の風土、つまり歴史と生物多様性にほかなりません。
ホームページでは、ここで取り上げきれなかった地域の取組
みも掲載していますので、ぜひご覧ください。このような事例
がモデルとなり、各地域に飛び火することを願っています。
国連生物多様性の 10 年市民ネットワーク
h ttp: //jcnund b. o rg
TO BE CONTINUED