1999年春号 - 一般財団法人住総研

ISSN
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になっている。人びとは河沿いの水の県市な低地に住み、川川絡に沿って林作
ある。このいけ川皮になると問辺の山々では樹木が保育せいす、茶州附色の山肌が仮
地のは称が延びている。ここで紹介するのは、一フサのい泉北京一二C Mへよけのガン
河谷の一平山一な土地はすべて青線交の仰で、集落は小九日を叫上む綬斜凶に立地し
デ ン 守 に 向 か う 街 道 沿 い に あ る 戸 数 間 八 戸 、 二 六O人余りが住む小村である。
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ている。集溶を法川被すると一つの大きな塊に見、えるが、内部は保氏が隣家と
援を被しているために、いくつかのクラスターに分かれている。集洛を見守
m半ほどおく、脇に設けられた椅段で上る。一応耐
付の中を歩くとあちこちに屋外のトイレが自に付く。これは間的い石絞み
る佼置に小さなラマ教の守院炉二一一つの嗣がある。
の凶いで床而が池上より一
にん八が開いていて、床下には砂際が敷き詰められている。取り出し口がある
の で 、 肥 料 に す る の で あ ろ う0 2れ が 乾 燥 し て い る た め に ほ と ん ど 央 わ な い
が、低い目臨しを除いて全くの吹きさらしで、とても快速とはい、えない。
住印刷の一千稲は基本的に船形で、中一隆があり、これに商してベランダを持つ
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ものが多い。調交した住居は宕犬い仰のもので小さく、ベランタがなかったが、
中磁をコ字型に印刷出兼・む室、殺物席、物夜、尉一男、仏関が同んでいる。仏関
は援に沿って綴彩色に締られた仏壇が並ぴ、ラマ教の仏酌や泣彩が並んでい
てムある。
る。この部肢はお主としても利用しているらしく、ベッドのトしにむ災が夜ね
小除一の片開削に一初子が立て掛けてあり屋根に上がることができる。同仰予をトい
りきった所に詩作いを焚く炉があり、日常的に存が炎かれている。一段上は物干
間切で、殺物のほかに殺や燃料となる午やヤクの奨が干してある。雨や常に対
する備えとして、建物の外燃や塀の上郊のパラペット郎分に浅い版状の行を
入れや窓にも必ず庇があり、そこに訟教の文除怖を描いた色とりどりの布き
水平に挟み込み、その上に粘土を押さえとして絞せて小さな庇としている。
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恨の隅部は四品川く品川状に突き出ていて、ここ円二絞のや
せそ祈願する五色の布を結び付けた朕(タンチヨ)を蒸し込む。各一戸の夕、/
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化する族と住しの鯨
族から逃走することが報道された。現代では、子どもたちが家族へ帰属する
なっていった。戦後経済の繁栄期になると、蒸発ということで、男たちが家
何一つ考えられていなかった。その結果、家族はバラバラな偶人の集まりと
て働いた。しかし、安心と経済的な豊かさの目標以外に、家族のあり方は、
制度が崩壊していく時期に、自分の生活を守り、家族の安心と繁栄を模索し
人びとは、ともかく働いた。それは、生きがいのためでなく、身分制と家族
明治以降、現在までの近代化の道筋が、日本人の心を空洞化したという。
たちは親と分離することを求める。
いることの必然性がなくなってきている。夫婦は離婚の危機を迎え、子ども
互扶助の関係がくずれ、あたかも秘立する個人が集まる家族となり、一緒に
また、そうした家族が成長し子どもの年齢が高くなると、家族の集団的な相
活の知恵が伝搬されず、たとえば子育てに途方に暮れるという話が起こる。
メンバーの問に一二世代のような幅広い年齢の関係がないために、伝統的な生
子どもが多すぎるのは、核家族の増加に起因するといわれる。また、家族の
は一人っ子となり、溺愛がいびつな子どもをつくるとされる。社会性の無い
こうした傾向こそが、現代の家族の問題であり、私たちに、その行方につ
最近の家族関連の事件で、最もショッキングであったのは、神戸市宇件の家
を持っていないから、結婚しないのである。彼らの選択は、単身で、ある場
生の選択が増えていることが挙げられる。人ぴとは、家族という関係に期待
いて不安を与えるのである。その傾向が加速する兆候として、結婚しない人
族と、そこでの子どもの様子であった。個人の個室の集まりである住まいは、
合 は 男 女 の 向 楼 で 、 あ る 場 合 は 向 性 の ルl ムシェアで暮らすことである。
家族の解体は、新しい人間関係を生み出している。人間関係とはいえない
通じあわせる懐かしい家族がいて欲しい。しかし、現代の家族は、それぞれ
希望として、一般の家族というものがあって欲しい。そこに戻れば、心を
分却し、生理的・心理的な関係、経済的な関係を持たずに生きる暮らし方で
な時のみにお互いにコミュニケーションをするだけで、家族のように役割を
クして暮らす孤族といわれるものである。家族の形式はとっているが、必要
か も し れ な い が 、 そ れ は 、 日 常 的 な 直 接 の 関 係 を 避 け て 、 単 身 で ネ ッ ト ワi
に問題を抱えている。もっとも戦後に増加したとされる核家族では、子ども
反社会的な邪悪な夢を見る者がいて当然である。
き家族を演技しているのかもしれない。そうなると、家族の実態のなかには、
いわば開鎖した空間である。本当の家族はもうそこにはいなくて、個人が良
患家族の不安な行方
洞化する心という視点は、現代の家族の軌跡を、よく説明しているようだ。
のでなく、ドロップアウトして外泊するという。寄る辺ない家族の時代。空
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家族という共同体と、その不自由から逃れたい個入信の理想、か共存する家族像@生活像。未来が魅力的であるための住まいとは?
も
ある。
務通の家族は心配な方向に向かっているが、悲惨な阪神・淡路大一応災の後、
はやされる時代は去っていったが、一部の建築家たちの提案には、奇をてら
った様相を感じる。これは、住まいの虚像である。
たが、仲の良い相立扶助するコミュニティが作在した。被災した地縁のコミ
を感じることができた。被災者の仮設の住まいで、必ずしも十分ではなかっ
この立場なら、それはそれでいい。しかし、その延長線上の未来を、自分た
に、二つのリアリズムがある。その一つは、現実追認のリアリズムである。
激動のなかで分解していく家族の未米を、肯定できるだろうか。リアリズム
また、専門家たちは一体、どこへ向かうことを良しとしているのだろうか。
ュ ニ テ ィ が 新 し く 目 覚 め た 場 合 も あ る し 、 地 縁 の 人 ぴ と と ボ ラ ン タ リi の集
ちが生きていくことになることを党賠してもらいたい。たとえば孤族の住む
関係の人ぴとはその復興に苦悶し、改めてコミュニティ活動の社会的な意義
団がつくるものもあったが、ここには神戸の、現代社会へのもうひとつの教
のだろうか。そういうものもあるだろう。真面目かどうか分からないが、あ
集合住宅というものがある。これは、どのようなリアリズムなのだろうか。
り得る。勝手な推理なのだが、そういう住まいが、理想の住まいだというセ
訓iii一緒に暮らす幸せという夢があった。
一方、住まいをつくる専門家たちは、変化する家紋の姿に対して、新しい
ンスがあるのではないだろうか。理想だから、住まいをつくる少なからぬ費
い ろ い ろ 想 像 で き る 。 楽 し い 家 族 外 の ネ ッ ト ワ ー ク 関 係 に 生 き る イ メ i ジな
提案を行なっている。それらの多くは、かつて一一一O 年 ほ ど 前 に 、 黒 沢 隆 が 提
用が支払われるのだとしたら、孤族の住まいという、現代の理想が存在する
⑫新しい住まいは可能なのか
起した個室群住居ほどの斬新さがなく、奇妙にてらいを感じさせる。特にハ
ということになる。
あるいは、否定のリアリズムがある。これは、敵対する家族関係を、家族
ウスメーカーは、ライフスタイルを特定し、その生活演出を凶るものを提案
ハウスメーカーの平均的なコンセプトである。建築家たちは、象徴的な倒宗
と い う 制 度 を 肯 定 し つ つ 認 知 す る 絶 望 的 な イ メi ジ か も し れ な い 。 こ れ は あ
している。たと、えば、﹁だんらんの家﹂のようなキャッチコピi の住まいは、
表出型の住まいなど、家族とその生活保に対する、新しいリアリズムを探っ
り符ない。住まいは、そうした絶望的なものとしてつくられないからである。
つくろうとする人間がいないといってよい。つくることは、期待があり、望
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いくつかの提案を見通しているのであろうか、花田佳明が解説するように
時代の側位綴などの抽象的なシステム、暮らし方や人間関係などの現象的具
新規性というか、デザインのためのデザインというセンスというものがある
しかし、否定ではないが、また肯定でもない、もう一つの希少性というか
みがあるからつくるのである。だから、あり得ないと思う。
体的な生活のシステムによって、あり方が定まるというものである。当然の
かもしれない。これは、本当の住まいという観点では出てこないのだが、住
﹁拡大する住宅﹂の様相が見られる。花田の、主張は、要するに、住宅はその
論だと忠うが、変化期の現代の住まい像は、時代のシステムが大きく変化す
まいという虚の顔をして存在することは十分にあり得る。というのも、かつ
て の 設 か の ﹁ 反 住 器 ﹂ と か い う 住 ま い は 、 そ ん な も のi虚そのものーだった。
ることにもろに影響されている。
現夜ほど、暮らしに関する価値観が激動している時代はない。また、阪
次に、少し祝点が異なるが、本当に希望を照らし出すような、これまでの
工的な関係で暮らしをともにするという夢はありそうである。
ハウジングにおける共生の詑案である。確かに、血縁でも地縁でもない、人
家族でない新しい集団家政ともいう住み方が提案されている。コレクティブ
神・淡路大民災のような暮らしに関する悲劇的な体験が強いられた時代はな
い。激動と悲劇のなかで、住まいのあり方は、拡大している。
うがっていえば、激動期だから建築家は、破廉恥な空間構成ですら普通で
受け入れられるものとして主張できる。それが、先端的なものとして、
も
て
の家族像は、これまでの家族像の延長線上にあるのではなく、別のものであ
ても多くは幸せな家族があるのである。要するに、コレクティブハウジング
もあるが、だからといって崩壊するものもあるだけで、経済的に最低であっ
ものとして捉、えることには抵抗を感ずる。現在の家族は、崩壊しつつある屈
かし、この方向についても、集団家族を、これまでの家族に代わる中心的な
共生のためのコレクティブハウジングは、これからの一つの姿である。し
また、否定していき、頑固な開放化や伝統継承を図ることも一方的な考え方
たものは、むなしい焦りのような感じがする。要するに、虚の住まいになる。
正しい方向とするなら、孤族の住まいが提案されるべきであろうが、そうし
現状を肯定するのかどうか、子どもの現状を受け入れてしまうのか。現状を
を出そうとすることは、最高の解答には到達せず拙速になると思う。家族の
まい像の変化が予想されることは、確かである 6 しかし、それにあせって答
で、これも教条的な焦りが感じられる。ここにも、虚のイメージがある。
人びとの孤族へ向かうヱ、不ルギーは、全面的に正しいとは思えないが、ま
るのではないか。両者は、共にあっていいのである。となると、現在の家紋
の崩壊とは関連のないものともいうことができる。シビアな家族の解体現象
っているといえる。山本理の提案は、そのあたりの試みであるし、関連して、
の 実 態 を 考 え た と き に 、 も っ と も 一 般 的 な 間 取 り の 3LDKは 、 形 式 的 に な
を組み替えようという試みが行なわれている。確かに、安定した多数の家族
シ ョ ン の 定 型3LDKを、一平均的な家族構成やその住み方から、部屋の情成
真面目なものの例をいくつか出しておきたい。まず、マンネリ化したマン
住まいは、新しい偶人の自由を含みながら、同時にかつての家族の共同体の
族像、その生活像が、現代の私たちの夢ではないだろうか。米るべき実像の
家族という運命共同体、その不自由から逃れたい個人化の理想が共存する家
は、いわゆる家族に惹かれるにもかかわらず、我々が持つ反発を示している。
不自由にしてきたことへの反発である。気が付かれているであろうが、孤族
考えている。それは、従来の家族が、その構成員を全体のために従属させ、
た逆に全面的に間違っているともいえない。孤族は、孤族に理想性があると
住み方の傾向と居住者の意識から印刷間まわりに個室を開放的に連続する考え
実感が得られるような住まいであろう。人間は、過去は清算できないし、未
をくい止める子段ではなく、新規性という範時のものかもしれない。
方は、山九州小川?などから山山されており、 3LDKの 再 編 成 を ね ら っ て い る 。 足
米もまた魅力的なのである。そうした過去と未来をつなぐ目配りの住まいが
ひ
が地についた提案であるように思う。
鈴木成文たちは、リビングアクセスの住戸の再評価や住戸の内部の開放化を
いること、近隣関係が希薄になり、家族が孤立化してきたことに関連して、
シングル・ママからさぐるとともに、孤族の時代、現代を先取りした個室群
りとなるいくつかの試みを特集した。まず、家族論を、ネットワーク居住や
本口すは、現在の住まいの実態を捉え、これからの住まいへの挑戦の手がか
*
実在したら、それが住まいの実像となるものと思う。
主張している。この主張は、現代の孤族の集まりである家紋の関係を問題視
住居の黒沢隆に、過去の提案を振り返ってもらった。これらの家族論は、家
こうした試みに関連するが、日本人の生活が社会に対して閉鎖化してきで
するから、開放化しなければと言っているようにも考えられる。しかし、そ
族やその生活からの住まいへの注文が書かれていると期待する。さらに、活
躍する専門家の提案として、流行の単身者マンションのデザインやハウスメ
で、⋮般的に開放化するのが重要であるという考えのようである。伝統的な
住文化は、開放的なものであったので、現在の閉鎖的な住まいのつくり方を
ーカーのライフスタイル対応の商品づくりを紹介してもらっている。これら
うではなく、ともかく住まいの内部の空間構成から、住まいの内外の関係ま
開放しようというものである。
の記事に、これからの住まいの実像の秘密が隠されていることを期待する。
(はっとり・みねき/千葉大学工学部デザイン工学利教授、本誌編集委只長)
争住まいの実像は、バランスのよい解答
あまりにも大きな家族像の変化、それにともなう住み庁の変化があり、什肌
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家族、文化、生活・:・、住まいをめぐるさま
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族が出現し、家族の形が不定形でしっかりし
ろな課題がある。社会的な問題でいえば、住
ておらず、家族の生活を支えるうえでいろい
まいがなかなか入手しにくいという課題、ま
題等々。
た、いかに住まいを維持していくかという問
住まいの間取りに論点をしぼってみると、
定型約な形というものがつかまえきれない状
て提案しているし、一方、ハウスメーカーや
変がある。多くの建築家たちは、それぞれ個
野な、それぞれの考えるところをと頑張っ
デタッパーは、新しい付加盟がある住ま
いま NI
まいに本当の像と嘘の像があるのだ
いを開発しようと努力されている。
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ろう。一説的にいえば、建築家はフワフワし
いような、虚像の住まいをつくって
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6 ょっにみえ、デベロッパi は実像をしっ
かりとらえてやっているようにみえる。しか
ているものが﹁実像﹂であり、いま大多数を
し別の見方をすれば、われわれが本当に求め
対のこともいえる。
占めているものは﹁虚像﹂である、という反
このミニシンポジウムは、住まいは、いま
いて、﹁実像﹂﹁虚像﹂という観点から論じて
どこに向かっているのだろうかという点につ
デベロツパーを代表して長谷工総合研究所
みたいということである。
蔵所長の山本理点、ん、そして建築家であり評
論家である花田佳明さんのおこ人をお招きし、
言も交えて、議論した。(服部寄生)
講演いただくとともに、会場の方々からの発
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成長芥!..*
• i~Ú 研究 )i)í. ,~,'.jへ
﹁マンションは康保だ﹂ とか、 ﹁実態に人口っていないものを供給している﹂
といった批判を、
は業界の弁護も合め、 お話しさせていただこうと思います。
私はマンションの計州・供給や維持・管問、 あ る い は 建 て 称 え と い っ た 分
野で仕事をしております。 そういった領域から、 市 場 と か 流 通 を 合 め た 住 宅
のあり方、 建 築 計 耐 の 話 に も 言 及 で き る と 思 い ま す 。
これからの居住像への認識
前提として、 分譲マンションの供給の実態から、 お 話 し し な け れ ば い け な
いと思います。
マ ン シ ョ ン 供 給 は 年 間 十 数 万 戸 の オ ー ダi で 、 住 宅 着 工 の 八 分 の 一 ほ ど を
占 め て お り 、 こ れ ま で 三 五O 万 戸 ほ ど が 供 給 さ れ て い ま す 。 し か し 、 ス ト ッ
ク と し て 見 る と 、 住 宅 総 数 削000万 戸 の う ち 、 共 同 住 宅 は 一 向O O万 戸 し
かなく、分譲は一ニO O万 戸 脱 皮 と い う こ と で 、 ま だ ま だ 微 少 な 存 在 で す 。 分
譲マンションについては、いまのところ、フローが大きなな昧をもっていて、
いま民間事業者が供給しているマンションのフローは、近畿閤・首都国と
今後ストックの問題に転化していくことを先にご理解ください。
も 住 戸 タ イ プ は3LDK小 心 で 、 七O M強 。 側 格 に し て 三OOOi間000
万円ぐらいが平均像となっています。
良くも悪くも市場構造の管理下にある
住宅一中怖を大いに改汗した以刷、小山
分譲マンションは、例入の投資を社会資出に変換する仕組みとして機能し
これが大変重要な杭市づけで
場構造に合わない計両は淘汰されてき
ました。投資者は捌人ですから、倒人
の選択に沿ってフローが供給され、ス
トックとして蓄椋してきました。公共
住宅なら国や地方自治体の方針、賃貸
住宅なら地、主の志向が計画に反賊され
ますが、分譲マンションだけは、入居
者層の選択が計耐を支配してきたとい
えます。
市場構造は人口構成に左右されるこ
とにもご注意ください。人口には大き
な波があり、現衣までのところ、団塊
の世代が住宅取得期を通過し、これか
ら入る高齢化社会では高齢社代の中心
をなしていく。その段階では団塊ジュ
ニアが住宅取得期である一一一O代に入っ
てきます。
マンション供給における市場
選好の実態
地域によっては八割を占めています。
3LDKが七割ほどと非常に多く、
傾向を読むだけなら構わないでしょう。
す。句集団は別の集計ですが、大きな
入された方々の世帯人数を表していま
供給されたマンションのタイプ別と購
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3LDKばかりの市場
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3LDKは夫婦!?子ども二人という﹁標準吐告﹂のための住宅型式だと学ん
(fll、 2 人を:U.\~Ë した 3 フライベー
できたのですが、供給の現場では、計画とはまったく別の動きをしているこ
戸
く
とを考えておく必要があります。
本米はそれぞれの理由に合わせた住宅であればいいわけで、寝{主としては
るために住宅を選ぶのではなく、住宅を選んでからそれに生活を合わせてい
るのが実態ではなかろうか、と考えてしまうわけです。
選択設を増やす試行あるいは現象
3)。
これまで私どもも含めて多くの関係者が、 3LDKば か り で は な い 市 場 を
つくるにはどうしたらいいか模索してきました(図
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その昔、 2DKが 合 理 的 な 計 画 と し て 提 案 さ れ 、 昭 和 田0年 代 ま で は 賃 貸
供 給 の 主 力 で し た 。 そ の 後3DKとか 2LDKと い っ た 試 行 錯 誤 の 時 期 を 経
て、昭和五0年 代 前 半 頃 か ら 分 譲 で は3LDKが 普 通 に な り 、 そ れ 以 降 長 ら
く供給の山中心になっています。これが民間分譲マンションの普及と軍なって
います。
ただし、絶対珂積は、高度成長期に拡大してきた流れがオイルショックで
縮み、それ以降は、市場の好不況に伴って伸縮を繰り返しています。バブル
崩 壊 後 に は 、 五 六 凶 し か な く て も3LDKに 組 む な ど 、 面 積 で は な く 住 宅 形
式としての 3LDKが祉の中に定着してしまいました。
3LDKが 売 れ る 理 由 を 考 え る と 、 新 時 家 庭 で も 子 ど も を つ く る こ と を 想
定して一二寝室を希望する、世帯人数は少なくても、客間が欲しい、趣味室や
書斎が欲しいといった理由が考えられますが、邪推をすれば、中古で売りや
使わないことが前提なら、もっとよい書斎のプランもっくり得るし、ぎりぎ
すいように標準的なものを買っておくとか、よくわからないから皆と同じも
りの予算のなかで、まだ生まれでもいない子どもの勉強部屋を用意しておく
のを選んでいるといった事情もうかがえます。
のもいかがなものかと思ったりもします。現在は盟かに描いた生活を実現す
エ)l!・スイー卜
たとえば、 2DKでは廊下スペースはほとんど必要なかったのですが、 3
閉鎖型個室の否定・動線と空
間の童会・家族の紳の湾確認
山
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主戸
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図 ~3
図
LDKに な る と 必 然 的 に 廊 下 が で き ま
す。九O U、 九 五 が と い う 大 き い 商 積
で 組 む 分 に は 、 廊 下 ス ベ i スも維持で
od とか六OJ貯を割るよ
きますが、七
うな面積でこの廊下が残るのは、どう
でしょうか。寝室は独立させても、子
いうアイディアも浮かんできます。
どもの生活室は通路を兼ねてしまうと
また、区切るタイプの住まい方が子
どもの成長、家族の交流、さまざまな
悦みのために、来たしていいのかどう
か 。 側 室 の プ ラ イ バ シi を 重 視 す る あ
まり、子どもが夜中に出歩いても気が
つかないことになったり、イジメに遭
っている兆候を見逃したりすることも
あり得ます。家庭の会話が失われるこ
とが懸念されるわけです。先にそうい
う家族関係があってこのような住宅が
必要になるのか、このような住宅のた
めにそういった状態が起きがちなのか、
そのあたりも見過ごしてはならないと
忠われます。
長 谷 工 が ﹁ エ ル ・ ス ィl ト ﹂ と 名 付
けて一部供給を始めている住戸形式は、
閉鎖するタイプの倒室をつくらない、
動線と空間を重ね合わせて狭い稲棋を
有効に使うという趣旨のものです(図
14)。 六 六 が で も こ う い う 素 敵 な 住
宅になるというものを意凶しております。バルコニー側の寝室とリビングル
ームとは、﹁ウオールドア﹂と名付けた動く壁で仕切られていて、ドアはない。
開 け て お く こ と も 仕 切 っ て 使 う こ と も で き る 。 サ ニ タ リl は 、 ふ た つ の 個 室
からも、共用部分からも入ってこられる仕掛けです。狭い面積を有効に使う
ためキッチンのア泌が廊下を兼ねています。
こ の ﹁ エ ル ・ ス ィl ト ﹂ を 提 案 し た と こ ろ 、 供 給 主 体 で あ る デ ベ ロ ッ パ ー
には残念ながら懐疑的に受け止められて、実施例は大阪の一件だけに止まっ
ています。八一戸のみの販売ですが、単身の男性・女性、年配の女性ニ人の叶一
帯 、 都 市 部 で 働 くDINKSの 方 な ど に ﹁ こ う い う の を 待 っ て い た ﹂ と 評 価
さ れ 入 居 い た だ け ま し た 。 従 米 の 3LDKを 購 入 さ れ る 方 に も 、 必 ず し も 将
来子どもを生んで四人になるわけではない方も合まれているはずで、そうい
う方々への提案となっています。ただ、見慣れないうちは売るのに苦労する
商もあり、市場に左右される企画検討のなかで﹁熱ものに懲りて﹂しまう可
能性もあり得るのです。
﹁エル・スィi ト ﹂ で は 三 寝 室 塑 も 考 え て い ま す 。 通 り 抜 け の 部 屋 を つ く る
形で、。フライ・べ l トル i ム 二 つ の 前 室 と し て プ ラ イ ベ ー ト コ モ ン を つ く り 、
生活の気配がわかる、あまり孤在しないタイプの住宅形式にしています。
n
5は 続 き 間 の 和 室 を も っ 形 。 六 畳 和
6は ツ イ ン ベ ッ
主 フ ラ ン の 似J
こ
う〉化。立 の見える
ほかの提案を幾っか見ましょう。図
室は通り抜けで、例室のセオリーからは外れています。図
3LD
ドが霞ける寝室。六位や八社ではベッド二つはまともに置けませんから、一
二位ほどのスペ i スを⋮つの寝室にあてています。こういうものが、
K 一辺倒を打破する可能性として供給されることがあります。ただし、これ
らも版売の過程で、想定した生活型とは別の要素で入居者が決まったとも聞
いており、実際の供給での家族像との対応は難しいところです。
住む方の価値観、家族像、ライフスタイルを反映させ得る白山設計の例と
き
日1(
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して、コ i ポ ラ テ ィ ブ 住 宅 が あ り ま す 。 コ ー ポ ラ テ ィ ブ で も 、 必 ず し も 全 て
の 方 が 自 由 奔 放 な プ ラ ン に さ れ る わ け で は な い の で す が 、 。 プ ラ イ バ シi など
0
に気を泣いすぎるマンション屈には逆立ちしても山せない フランが山てさま
多 11 的に使える ~'IIし
7
以'1':プランと事 ~lrNli
図 5
和風格式の家
図 E
ツインベッドの家
における
自由設計例
特化した家族型・生活型に対応したレディメイド住宅
キャラク 7 フラン
7
間
コーポラティブ
す。対面設計のなかで、意図と割り切
り を 合 わ せ 、 ま さ に ユ ー ザ ー ニ l ズを
引 き 出 せ て い る と い え ま す ( 閏17)。
もう一つの自由設計の例として、リ
フォームがあります。長らく住んでい
るうちにプランの使いにくいところが
はっきりしてくるとか、家族構成が変
0
わって最初の フランを変えたくなると
かいった意向が繋ってくる。これもユ
ーザー一一 l ズ が き ち ん と 表 れ る 好 例 で
図18に示すリフォームの事例では、
はないか。
LDKを 大 き く し て 収 納 式 の ベ
高齢者の方が、お子さんが巣立ったあ
とに、
ッドを備えました。この方は一人住ま
LDKの
いで、収納ベッドは客用だったのです
が、実際に生活してみると、
ベッドを降ろしてご自分が使われてい
る。ワンルーム状態です。
0
このような フランは、出品として市
場に出してみてもほとんど売れないと
0
忠われます。ユーザーニーズと分譲市
場との山山会いが妹しい例になります
3LDK型に集中していく循環構造
分譲マンション供給市場では、こだ
わ ら な い 選 択 が 横 行 し て 3LDKに偏
った市場ができ、偏った市場がまたこ
だわらない選択を生むといった、悪循
n
u
i
環ともいえる構造ができていることをお話しします。
家を買おうと思う方には、まず住宅選定の情報源から情報が入ってきます。
マスコミや口コミに、経験者の助一一一一口といったものが加味されるわけですが、
情 報 そ の も の が3LDKに 寡 占 さ れ た 世 界 か ら 入 っ て く る 。 特 に 一 次 取 得 者
が尽にする市場は3LPKばかりということになります。そういうなかで、
3LDKを買えば安心だといった選択になりがちです。
どういう住宅を欲しいのか、どういう生活をしたいのかというイメージが
貧 国 な わ け で す が 、 結 果 と し て 3LDKが売れたという実結だけが残ります。
この実結が、売れ残りだけは閥避したいデベロッパ l の事情に投影されて、
次 の 供 給 も3LDKに す る と い う 形 に な る 。 業 者 側 の 流 れ 、 ユ ー ザi側 の 情
報 の 流 れ 、 ど ち ら も3LDKが 多 く な る こ と に よ っ て 、 次 の 3LDKを生む
と い っ た 構 造 を も た ら し て い ま す ( 図 │ 9 )。
この構造を打破できるのは何かと考えると、﹁一次取得者﹂でない方々、二
何日の家を買う方々の存在に思い至ります。従米の住まいではここが具合悪
かったという意識をお持ちの方、あるいは居住経験でいろいろな住まいへの
意識を育てられた方。そういう方々が二次取得者として参入してきたとき、
この構造が崩れる可能性があります。この方々には、﹁自分の住まいへのこだ
わり﹂が期待できる。この﹁こだわり﹂が重要なのです。
残念ながら、いまのところ市場が右下がりななかで、特に買い換えが難し
い而があり、もともと中古の流通が少ないことも合めて、供給市場では二次
取 得 者 の 顔 が 見 え に く い 状 態 が こ こ 数 年 続 い て お り ま す 。 八 八 i九O年ごろ
のバブル期、手持ちの住宅が高く売れるので、既取得者が一斉に住宅を買い
換えた時期があります。そのころの商品構成はかなり多彩でした。面積的に
も多彩さを許すものがあったわけです。
分譲マンションは、完売しないことには卒業が成り立たないという事情が
あり、提案的な計耐や誘導的な供給が難しい現状を申し上げました。
また、分譲マンションは、引き波しまでの卒業金利のコストを分譲価格に
反映せざるを得ません。それを少しでも圧縮するために、事前にあらかたの
リフォーム部
図-8
リフォーム
くl
こ集中していく循漂構造
9 3し口 i
国
における
自由設計例
一心一ツ
一中一口
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5
一弘一デ
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購入者を決めておくよう竣工前に販売
する荷慣習があり、それが吋安全な向
日間計画﹄を生み、一方でユーザーには
﹃堅実な選択﹄を普及させています。
その結果、できてくるものは不特定多
数の最大公約数的な計画で、それが 3
LDK 一辺倒の供給につながっている
ように忠えます。
設計計闘のコスト、生産のコストは、
一辺倒な計開なら安くなるという事情
もあるにはありますが、そういった生
産の面を超えて余りある安全性、堅実
性の追求みたいなものが世の中を支配
しているのではないかと忠われます。
市場における淘汰の意昧を考える
いまだマンションは﹁画一化﹂とい
う言われ方をされます。画一化の弊窓口
は認めるところですが、懸念されるの
は 、 昭 和 四0年 代 に あ っ た 画 一 化 と は
若干違うのではないかということです。
昭和田0年 代 、 ま だ 民 間 事 業 者 が 十
分に出てきていない段階で、公的住宅
が賃貸、分譲ともに多くを占めていた
時代。その時代の画一化は、たとえば
住宅公団がいろいろ研究して提案する、
そういった提案的な供給が受け入れら
れ、一般社会に定着していった闘一化
です。選択の余地がなかった感はあり
ますが、改善は進んだ。洋式便器の普及はそのいい例でしょう。
換が行なわれるわけですが、それに向けた維持管理の体制などを考えていく
り、転売を考え﹁普通のもの﹂を選んでいるうちに、選択そのものが問定化
将 米 の 利 用 に 耐 え 得 る 水 準 へ の 更 新 を 図 っ て い く 。 た と え ば ⋮ 0 0戸のマン
④ストックの累積を考えていきますと、分譲マンションの娃て替えを機会に、
必要があります。
してしまった同一化になります。いいものの方向への誘導的な尚一化ではな
シ ョ ン を 七O 戸 に 建 て 替 え る と い う こ と も 考 え な け れ ば い け な い 。
ところが、現在の白山選択の時代になると、入居者側がこだわらなかった
いということです。分譲市場において、商品選択が未熟であると必ずしもい
ストック、つまり中古住宅を活用するようになる。既にできているものを見
しかし、今後の可能性として、安定成長もしくは縮小均衡の時代に入ると、
しないで土地を返して、新しい市場原理のもとで適合する住宅を決給すると
等の問題もあるので、連続を一度断ち切って市場に返してやる。建て替えを
ぽ得られるかという計算ですが、これでは水準向上は望めない。既存不適格
マンション建て詳えで真っ先に発想するのは、最大延床を戸数で割って何
て 買 う こ と が で き た り 、 リ フ ォ ー ム を す る 過 程 で エ ン ド ユ ー ザl の意識が反
いう考え方が更新の際には必要なのではないか。そのときに発生する転出に
い提案が残るとは限らない、悪い方向に画一化が働くおそれがあります。
映される計画になる。エンドユーザーも考えざるを得なくなるという循環も
ついては、池域内循環定住で柔軟に受け入れられる社会でありたいといった
だくとともに、先のことを一緒に考えることができたらと考えています。
遇になっているか、また、どんな現象が進行しているかについてご理解いた
集合住宅を保有するシステムとしてのマンションがいま市場でどういう境
あたりが、二番日の項目にもつながってきます。
考えられなくはありません。
スクラップ・アンド・ビルドの時代から、中古をうまく使っていくストッ
ク活則の時代に移っていくなかで、一つの可能性が兄える気がします。
政策のあり方。関連産業の方向性
山本さんは﹁型﹂としての住まいに関心がある方だなという感想をもちまし
成文先生と広原盛明先生が対談され、山本さんがそのまとめをされたときに、
服部ありがとうございました。長谷工の﹃アネモス己という機関誌で鈴木
それらストックを活用しつつ生活規模を拡大するため、住宅二戸以上の保有
﹁エル・スィ lト ﹂ は 、 あ ま り 伺 案 に 区 切 ら ず 、 開 放 域 を 内 蔵 し て い て 、 親
た。住まいというものを、⋮つの﹁定型﹂というか、そういうものをつくり
②中古流通が重要であり、こだわりや個性ある価値観を育てていきます。そ
子関係がとてもうまくいくのではないかと高く評価しているのですが、山本
により円滑に解決する道をつくる。複数戸の組み合せは、住棟の中でやるか、
のためには定住から地域内館環定住へ。一同家を買ったらその家にずっと定
さんはもっと思いが深くて、﹁二人家旅、少人数にも対応できるし、決まりき
だそうという意欲が非常にあって、鈴木先生なり広原先生の話をそういう点
住するのではなく、同じコミュニティの中で別の家を使う﹁池域内何時定住﹂
った3LDKよ り 家 族 の 内 符 に 合 っ て い る ﹂ と 主 張 さ れ て い る よ う で す 。 新
近くでやるか、都心と郊外でやるかといったさまざまな組み合せができます
によって、そのときの生活のサイズに介わせた家を上手に利別していくとい
しい住宅計画をどう考えるかということの正論というか、オーソドックスな
でまとめようとされていたような感じを受けました。
った考え方が、ストック社会での水準向上の上予な方法だと考えます。
続けて花山さんからお話を伺います。花田さんの評論﹃拡践された住宅
道を歩んでおられて、その成果をきょうお話しいただいたと思います。
機能・水準に迎合させる。仕事室や子育て室など時代が要求する機能への転
③それと同時に、既存マンションの一部住戸を機能転換することで、今後の
ので、それがライフスタイルを多様なものにしていくことも期待できます。
①われわれはいま長期耐久性のある小さい住宅をたくさんつくっています。
今後何を考えていかなければいけないか。四つ挙げておきます。
3
切り口で﹁これからの住まい﹂について論じていただけると忠います。
はいけないのだと非常に強く思った次第なのですが、きょうあらためて鋭い
建築を聞くこと﹂を読んで非常に感激し、こういう見方で物は解釈しなくて
か も 、 白 分 の た め の 行 動 で は な く 、 家 族 な り 知 人 な り 、 他 者 の た め の 行 動i
くるにつれ、頭の小の環境マップがだんだん書き換えられていきました。し
う情報が入るたびに、撲はそこに行き、被災した街の様子が次第にわかって
つまり、利己的ではなく利他的な役割をもって動き回っていた。そして、そ
ういった僕'日身の行動の地図上の軌跡の集合として、僕の頭の山中に﹁家﹂と
不思議な感覚というのは、住み慣れた家が機能麻療状態にあるときに、そ
いうものが立ち現れていたような気がしたわけです。
ういう点と線のネットワークが逆に家らしさのようなものを感じさせてくれ
﹁これからの住まいの実像と虚像﹂というテl マですが、なかなか難しい問
速くのゴルフ場のクラブハウスがお風呂になり、それらのあいだに自分たち
にとっては、体育館や教室が寝室になり、公園や町角のテントが居間になり、
住宅を拡張する
花盟佳明
題です。﹁住まい﹂とは何か、そのなかで暮らす﹁家族﹂とは誰か、﹁厳と実﹂
ゃ近所の人たちの、あるいはボランティアの力による何らかの関係性をつく
たこと、と言い換えられるように思います。実際、山本を失った多くの人たち
というこ分法にはどんな意味があるのかといった側々の問題を考、えたうえ
りだすことで、山系が維持されていたわけです。つまり、家が環境の中にしみ
私は東灘区の山側に住んでおりますので、マンションそのものは無事。し
住宅ではないビルディングタイプも住宅になるんだ、ということは強く実感
えようとは思いません。ただ、家と家ではないものとの境界線は動くんだ、
だから、 J泳というのは環境の中に聞かれていくべきだ﹂と抑題目だけを唱
と、そんなネットワークは.瞬にして山えてしまったからです。
ネットワークは実に脆弱でした。‘二週間ぐらいしていガスが使えるようになる
Aし て い た と い う 感 じ で す 。 し か し 、 パ う ま で も な く 、 こ の
出 し 、 そ こ で 成U
で、それらを合算した﹁これから﹂を皆さんと議論できればと忠います。
阪神大震災のときの不思議な感覚
私は神戸に住んでいて、阪神・淡路大一応災を経験しました。 そ の と き の 忠
かし建物の小は家具がめちゃめちゃになり、食卓だけが唯一の居場所という
できたように思うのです。
い出話から始めたいと思います。
感 じ で し ば ら く 過 ご し ま し た 。 家 の 小 で で き た の は 食 べ てJ
Mることぐらい。
換する。近所の川で水を汲む。被災地の外へ買出しにいく。お風呂に入れる
を定める価値指標の集合として住宅という概念を再定義するというようなこ
たのですが(﹃j t﹄ 一 九 九 五 年 一 月 口 之 、 そ こ で は 、 住 宅 と 非 住 宅 と の 境 界
という一討論を、地震直前の一二月末に発表してい
実は﹃拡張された住宅
場所を探す。友だちに救援物資を巡ぷ。家路診断をする。カメラを持って街
とを考えたのですが、その筋書きと被災地での実感とが合致し、奇妙な感動
b
そのかわり家の外での行為の数と種矧が激増しました。隣人と情報や物を交
の小を歩きまわる。そんなことです。んゑの内部の機能が麻旅した分、家の外
を味わったりもしていました。
さ て 、 住 宅 と 住 宅 で は な い も の と の 境 界 は 動 く と い う イ メ i ジの背後には、
住宅をど‘っ定義するか
に補完物を求めていたと思います。家の小と外の総和によって、行為の穣類
と欲望の満足度の帳尻合わせをしていたというわけです。
このとき、僕はとても不思議な感覚を味わっていました。
あそこにいけば何かが干に人るとか、あの人に聞いたら何かがわかるとい
2
住宅を一意的に定義することはできないだろうという僕の小の思いも存在し
ます。 そこで、 住 宅 を 定 義 し よ う と す る と ど ん な こ と に な る か を ま ず は 考 え
てみたいと也います。
U 山内
4
最初は凶像的な定義です。 { l 住 宅 は 出 有 の 外 線 を も っ て い る と し て み
、
﹂
ます。 つまり、 俗に家川オと呼ばれるような、 切主民根のような、 建 て 売 り 住
γaJ
ぃ付
A-Ar}ム♂A
、J
、
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j 刃L1、1 ・
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- どれもこれももはや
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紅立刀
宅によくあるパターンです (
函 ││)0 ﹁お、っち﹂ と い う イ メ ー ジ を マ l ケテ
牛小が士
々た打
花殴さんの子どもの
描いた「家」
のはこっち
図 ~3
4 でも、最初に描いた
ィングして大抗生産するときには、 便 利 な 答 え な ん だ と 恕 像 し ま す 。 段 ボ │
ルハウスでもちゃんと山本明をしているものがあったりします(図 │2)0
こういう答えが多いです。 みんな、 屋 根 付 き 煙 突 ね き を 柿 く と 笑 わ れ
一年の撲の子どもが抗いたのがこの絵です(図 │ 3 )。 女 子 大 で 向 じ 質 問 を す
、
と
、
h
ヲv
るだろうなと思いながら、 でもやっぱり拙いてくる。
しかし、 住 宅 と い っ た っ て 枇 界 に は 九 い 同 根 も あ れ ば 平 ら な 屋 根 も 存 在 し
4)0 マン、ンヨ
ます。 特 定 の 凶 像 だ け で 住 宅 一 般 を 定 義 す る な ん て 、 出然加熱現なことでしょ
う。ちなみに、 うちの子が日以初に拙いたのはこの絵です(図
ン暮らしの悲しさでしょうか。
二番けは機能的な定義。 つまり、 住 宅 で な い と で き な い こ と が あ る と い う
考え五です。 た と え ば ﹁おうちはだんらんするところ﹂ という一百い方です。
やはり火子大で質問するとよく出てくる答えですが、 大 学 生 が 家 で だ ん ら ん
5)。
だんらんしていれは住宅かというと、 地震の時には、 仮 設 住 宅 の 共 削 ス ペ
しているなんでいう風誌は、 ち ょ っ と 気 味 悪 い 感 じ が し な く も な い 。
ースで皆さんが焼肉をしている風景があちこちにありました(図
そこを住宅と呼ぶのはいささか半いです。
そもそも何をすればだんらんなのか考えると、 途 方 に 暮 れ る よ う に も 思 い
ます。
だんらんはともかくとしても、 住 宅 の 小 で 行 な わ れ て い る 間 有 の 行 為 が 減
グゾ一正
JZ
﹂
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L、 ムH
︼
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いL、 i H玉 川 ト
っていることは確かです。 住宅の機能の外化、 住 宅 の ホ テ ル 化 な ど と 呼 ば れ
る引象です。
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七
の
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1より
ルの家 J より
写察/宮本隆司 rダンボ
図
震災時の避難生活での焼肉風景
図 ~5
J
乞
も
l いわゆる家裂をした住宅
国
一
E 家裂をしたダンボールハウス
図
小
で
住宅では行なわない。 みんな住宅の外に山中門の交け聞が山立されています。
Jil~
いまや住宅は食べて寝るだけの場所。いやそれさ、えしでいないかもしれませ
ん。住宅でないとできないことは、なかなか思い浮かばないのです。
三書日は﹁山家族が暮らす建物が住宅なんだ﹂という百い方です。これにつ
いては、﹁じゃあ家族って何だ﹂という反論がすぐできます。人工受精が行な
われたり、幼児虐待、事実縮、家庭内離婚、成問離婚、いろいろなことがい
われるなかで、家族というものの像が不安定になっているからです。
また、アリエス的認識によれば、子どもというのは近代の産物であり、子
どもと親が仲良く暮らす家族観は近代以降のものということになります。そ
うすると、その容器が住宅だといったところで、一般性のある定義にはなり
(j'j鈎内小学校)
ません。
品
記
,
4
:
;
六
人類学者の長烏信弘さんは、山本政とは通文化的比較のためには共通単伏の
寸~'f.λ
獄舎
(墜さ与際監獄特 ~Im主)
設定が必要だという研究者の思い込みのもとに担造された架空の概念であリ、
しかもこういった過ちは、観察から何らかの記述をひきだす社会科学会般に
潜む欠陥ということもでき、そういう志味で、家紋とは社会科学の隠除、あ
るいはパロ一、アィi に す ぎ な い と す ら 述 べ て い ま す 。 家 族 が 暮 ら す 場 が 住 宅 だ
川以後に、住宅には間有の一半面構成があるという考え方です。しかし、監獄、
という言い方の根拠が、かなり危うくなることがわかると忠います。
小学校、ホテル、そして典型的な建て売り住宅の平耐を比べてみます(図│
6)。もちろんスケールも別途も全然違う。しかし、玄関があって、ルルハ川スペ
ースがあって、脇に水郷り、食事の場、お風呂、そういうサービス部分がつ
いて、階段、廊下をたどっていった光に側室がある。構成として全然追うと
は弓いがたいように思います。
こんなゲ i ムをやってみると、 住宅を定義することの難しさがわかります。
評家もいるくらいです。
﹁結局、住宅ロ l ンがおりる建築物が住宅としかいいようがない﹂と一一沿った批
近代家族と住宅
すでにお話ししたように、家族という概念はかなり相対化してきでいます
3
図 -6 住宅包有の平鹿とは?一一濫獄、学校、ホテル、建て売り住宅を出較する
匿
亙
蓋
:
l
l
l
ています。①家族領域と公共領域の分隊、②家侠成立相瓦の強い情緒的関係、
忠美子さんが、その家族像を五つのポイントに整理し
家 族 社 会 学 者 の 洛 AH
わけです。
な く 、近﹁
代に
家生
族ま﹂
代近
以降
れが
た存 在 し て い る と い っ た ほ う が よ い
です。しかし、アリエス等が指摘するとおり、そこに家政一般があるのでは
③﹁引は外、
い﹂う 性 別 分 業 、 ④ 子 ど も 小 心 主 義 、 ⑤ 家 族 の 集 間 性
女と
は内
このうちいちばんのポイントは、最初の、家族の領域と公共の領域が分離
されたというところです。分離されたからこそ、家族が公共領域から家族の
中に引きこもり集団性が強化され(⑤)、家族が集同化すると、家族構成員の
情緒的つながりが強化され(②)、近代市場つまり位の中に有能な人間を送り
出 す た め に 子 ど も 小 心 に な り ( ④ て そ の た め に 必 要 な シ ャ ド ー ワ i クとして
性別分業が行なわれ、久性が家一胞を支えるようになる(③)。そういう意味で、
①がいちばん基礎にあるだろうというわけです。
そうすると、近代の社会を、﹁近代家族﹂と呼ばれる家族の単位とその外
側にある﹁近代市場﹂とを合詳したものと考、えることができるでしょう。つ
H が住宅、近代市場の谷川沿が住
まり、愛とお金です。さらに、近代家旅の山火 器
は、住宅の空間と住宅ではない笠間を合わせたものだろうということになる
宅以外のビルディングタイプに対応していると仮定すれば、近代社会の空間
ところで慨に述べたように、近代家族は一意的に定義できる概念ではなく、
(
図 │ 7 )。
その外側にある近代市場との補完関係のなかで成立しているわけですから、
その山九日器としての住宅も、それ以外のビルディングタイプとの補完関係のな
かでしか定義できないだろうということになる。
これが、先ほどお話しした地民のときの不思議な感覚や、住宅の定義の難
そこに境界
しさの背後にある原理ではないかと思います。他者との補完関係のなかでし
ι しないのだから、住宅と呼ばれる往物が指し示すものは、
J
lv
雄
東よ
古小
京レ
少々/
交ス
船り
川包寸
命
、
﹁
ン
武田先生の{邸玄群住居設計/黒沢隆
J t 一時
図仔
を引かせた価健観それ自体なのだろう
と芯うのです。
そうすると、たとえばこんな
ふうな解釈が
住居﹂は、夫同仰の寝室がない分、
さらに言えば、黒沢さんの﹁側室群
思うのです。
かという話の、よい例になっていると
非住宅の境界線の位置をどこで決める
住宅が成立すると考えている。住宅と
ときに、初めて﹁個室群住居﹂という
つまり非住宅がある条件を満たした
点です。
いといけないということを述べている
えば保育閣や託児所が完備されていな
にそれを支えるさまざまな施設、たと
う住宅が成立する条件として、世の中
興味深いのはそのときに彼が、そうい
夫婦の寝室がない家を提案しました。
早い時期に、家族全員が倒室を持ち、
18)。彼は、一九六六年という非常に
居﹂というアイディアがあります(函
黒沢隆さんが提示された﹁倒室群住
います。
能になるということを紹介したいと思
くつかの住宅についてこんな解釈も可
こんなふうに住宅をとらえると、
4
が、僕らの前に家族としか呼びょうのないものがあることもまた確かな事実
の強化。
2溜とは
7 近代社会とその2
か成
し
ミ
き
わ
図
B 個室群住居の例
図
近代社会=近代家族十近代市場
近代社会の空間口住居のg;g間十非住居の妥協
つでもふつうはロの小に夫婦の寝室が合まれていて、夫婦の寝 五十 (nil)
めて正確に nLDKを実現した住宅といえます。というのも、 nLDKとい
やか﹂を示す写真やら、一年間どうい
頁をめくると、﹁姑にかしづく嫁のしと
利一五年に出した花嫁講座の一冊です。
L
倒の子供部属、だからです。したがって、﹁側室群住居﹂というアイディアは、
う暮らしをしていくといいか、御年始
といえるでしょう。つまり、こういう考え方は危険な方向に行ってしまう可
の補完関係そのものを、一人の、あるいは一つのまなざしで設計した事例だ
コム l ナ ﹂ と 労 働 者 ク ラ ブ な ど が セ ッ ト で 計 耐 さ れ て い ま す 。 住 宅 と 非 住 宅
施設とペアにしてつくられています。ソビエトにおいては、共同住宅﹁ドム・
ナ チ ス ・ ド イ ツ が つ く っ た 回 闘 志 向 的 な ジlド ル ン グ は 、 必 ず コ ミ ュ ニ テ ィ
小していきながら、かつ全体性を獲得する。そういう方法として可能性があ
んでしまう発想だと解釈できるからです。つまり、影響範囲を可能な怒り縮
閉じた建物の中と外と考、えるのではなく、建物の中に非住宅の部分を取り込
からではなく、住宅と非住宅の境界線の設定という観点からすると、一つの
つの可能性を示すものかなと思ったりもします。高齢者対策云々という視点
それは本米的に、住宅と住宅ではないものとの境界線を動かす可能性をもっ
対象として﹁家庭﹂というものの定義を自ら規定できるという点において、
らしい。実現はしなかったのですが、そのアイディアに、僕はコレクティブ
階部分に、老人ケアの場所とか児童図書館や託児所を総み込もうとしていた
ンや中庭のことばかりが議論の対象になりますが、彼は中庭を囲む住棟の一
山本理顕さんの設計した﹁熊本県営保田窪第一団地﹂は、偶々の住一戸プラ
た領域ではないかと思います。しかしこんな本もあります。主婦之友社が昭
家政学という分野があります。その定義は知りませんが、少なくとも研究
るのではないかと忠われるからです。
いうことになるわけですが、たとえばコレクティブハウスみたいなものは一
非住宅の両方を一人でやろうとしてもだめとなると、﹁じゃあどうするの﹂と
さて、境界線を適当に動かして現実肯定的なことをやってもだめ、住宅と
います。
成立していることの傍証にはなると忠
いう制度が、ある相対的な関係の上に
そのものからはやや離れますが、家と
事例であることは確かでしょう。住宅
として、それが機能する可能性を示す
った世界像を末端まで浸透させる装置
あるかもしれません。しかし、ある偏
これを家政学と呼ぶことには異論が
っと出てきます(図!日)。
のときはこうですよといった教えがず
﹁
nLDKが成合一するような社会﹂を構恕する試みだったと位置づけること
さえできると思います。
パオ
伊 京 豊 雄 さ ん の ﹁ 来 京 遊 牧 少 女 の 包 ﹂ と い う 提 案 が あ り ま す ( 図 │ 9 )。 東
京のような都市で働く女性が一人暮らしをしていくには、仮設的なテントの
ようなものがあって、その小におしゃれする家具、朝食する家具、知識する
家具のようなものがあればいいのだ、というプレゼンテーションです。
これもまさに住宅と近代市場との組み合せ、経済的な繁栄を前提に成立す
る住宅です。したがって、一見新たな住まい方の提案とも思えますが、繁栄
する都市と向型の影、つまり現実の肯定的措写にすぎないともいえるでしょ
う。近代市場に完全に支えられているという意味で、近代家族のバリアント
(変呉体)のための文字どおり﹁偶案﹂群住居だというわけです。
ところで、﹁例案群住民﹂が成ーする世の中の条件はこうだといったところ
で、その建築家がすべての非住宅を設計するわけではありません。だから、
図-]0 家政学も住宅と非住宅の境界線を動かす
能性もあるということです。
そうすると、住宅と非住宅の部分を全部設計してみようという話になる。
それはある積のユートピア論にすぎないという批判も可能です。
主総之友社干Ij主婦之友花嫁講座家庭経営法 e 昭 和 1
5年
ハウスに対する解釈と同じようなものを見い出し、大変に興味を持ったわけ
でした。
リアリティ感覚について、あるいは虚実の二分法を超えるために
さて、 ずいぶんまわりくどい誌になっているかもしれませんが、 こ、つい、っ
住宅観を前提にして、﹁実像と慮像﹂について考えてみます。地区の話に戻し
て、二つのエピソードを紹介します。
以前教えていた女子大で、学生の一人が﹁自宅の照明について相談をした
い﹂といってきました。楽しい話かなと思ったら全然違いまして、同区の け
r
宅が全壊し、ご両親が新しい家を計画中。前面道路不足で壁面後込を余儀な
く さ れ て い て 、 六 m角 の 正 方 形 が 伎 火 の 家 が 使 え る 最 大 平 而 で す 。 設 計 依 頼
を受けた某住宅メーカーの答えはきわめて明快でした。ムハ m角 の 正 方 形 を 山
分割して、一つのユニットが玄関、もう一つが階段と便所、残り二つがダイ
ニングキッチンで一限ができ上がり。二階は階段と便所のユニットはそのま
まで、筏り一二ユニットを例室にして終わけです。
それで、学生の日から凡ても一階が暗いから、﹁照明はどうやって増やすん
ですか﹂と質問にきたのです。伐は﹁一階と二階をひっくり返すだけでいい
んじゃないの。すごく明るくなるよ﹂と答え、都市型住民という考え方を説
明し、雑誌のコピーもい岐しました。ところがメーカーからはそれをやると二
0 0万向上がるという返事だったとか。結局実現しませんでした。
しかありません。
この家ができたあと、一軒向こうの
お宅のお嬢さんが遊びにきて、﹁私は本
当はこんな家に住みたかった﹂とおっ
しゃったそうです。自惚れではなく、
僕は﹁そうだろうなあ﹂と思いました。
彼女の家は、お父さんが頑張ったんで
しょうか、このエリアで一番先に再建
さ れ ま し た 。 住 宅 メ i カl のプレフア
ブ で す 。 基 礎 が で き て か ら 一日ぐらい
で建ちました。
この二人のお嬢さんに共通するのは、
住宅というものを通して、どこか速く
が見えたという体験ではないかと忍い
ます。もちろんご両親にとっては、こ
れができたらやっと元の場所に戻れる、
家族というものを営めるという意味で、
その住宅はきわめてリアルな、つまり
﹁実像﹂だったのだろうと思います。
しかし、ある瞬間にその学生なり娘さ
んには別の空間同がリアルなものに見え
児てしまった。メーカーの住宅、つまり
がアンリアル、つまり﹁虚像﹂に、もっと言えば、住宅には見えなくなった
理屈が完全に理解できた、ということなのです。それによって住宅がどう変
もう一つは自慢話です。東灘の本山というエリアですが、七軒の建て売り
のではないかと思うのです。なぜそのようなことが起こるかといえば、きょ
1粁 は 全 部 追 う 住 宅 メ ー カi で 再 建 さ れ ま し た 。 僕 が 設 計 し た も の は 、 二 慌
机℃にけんえていたものが非住宅に、住宅に見えていなかったものが住宅に兄
のうえに成り立っていて、価値観さえ変えると両者の境界が動き、それまで
う繰り返しお話ししたように、住宅と非住宅というものが相互補完的な関係
がワンル i ムのリビングで、都市川 h住肘の定石です(図!日)。敷地はトじ坪
て建て庶しました。筏リムハ軒のうち一軒は結局建て庇しができずにそのまま
住宅が入会部倒壊し(図i け て 右 か ら 二 軒 目 の 方 か ら 相 談 が あ り 、 伐 が 設 計 し
国お父さんが頑張って建てた住宅のほう
ただそのとき非常に印象的だったのは、彼女には一階と二階を入れ替える
色
わるかが、十分に伝わったのです。
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村I
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写真/斎部功
設計/花隠佳明
1
1 7軒の建て売り住宅が倒壊した現場
図
策滋の H邸 8-1 リビングルーム
5
えてしまうからだというわけです。
ところでこのような、リアル、アンリアルといった言葉の使い方は少し奇
妙だと忠われるかもしれません。つまり、いわゆる﹁現実的な﹂というニュ
アンスと﹁リアル﹂という言葉を対応づけていないからです。
認知心理学者の佐伯仲けさんは、﹁リアリティ感党﹂という-一一一口業を、﹁真実性
を希求し続け、なおかつそれがたとえわずかであれ解明され符るという希望
が持続している状態﹂に存在している感覚、と説明しています。そしてその
感覚は、ものを学ぶときに非常に重要な感覚なんだというわけです。
伐はそういった﹁リアル﹂期解に心から共感します。なぜならそれは、二
人のお嬢さんとご両親とが感じたリアリティの違いを、単にい肢と実というこ
いずれにしても
佐川介の仕組みのうちのなるべく多くの相にかかわりなが
手がリンクした木造住宅とかいったイメージでしょうか。
住宅のありょうが批界
らつくられているということが重要なのだと思います。 そ の よ う な と き
の空間はそれまでの住宅・非住宅の境界線を動かし
の小に拡張していくのだろうと思います。
ありがとうございました。 ビ ジ ュ ア ル で わ か り や す い お 話 を い た だ き
ました。
長飢の去、あるいはそれぞれの空間体験をとおして開かれた批界の広さの去
服部(司会)まず山本さんから、花悶さんのお話のご感想をいただき、そこ
住宅メーカーがマーケティングの結果とらえている生活像が﹁山市六﹂であって、
、えて、現象を兄ながら、次にどういうものをつくっていくか議撃襲撃
意見をお持ちのように感じました。私どもは、外側から押さ総吋議滅門一
A勢噌語
建築家の提案する暮らしが﹁慮﹂だということでもなく、逆に、建築家から
考えている。そのアプローチが下手をすると﹁実﹂から離れ建
主要なことは、その住宅の空間が、住み予の小に生活に関わる間いをどれ
たり、環境についてある稿パワーを入れて規定していく、というあたりに大
かで浮かび上がってくるものが、住宅と非住宅の境界を見定める作業であっ
をもっているかということなのだと思います。住宅をとおして、叶一山介の山中の
事なポイントをご説問いただいたように思っています。
ただいたのは、マスプロダクトと例別設計の対比のなかで、日本の住宅供給
私が、最初に市場とか、住宅供給のボリュームといった話から入らせてい
具体的に一一一一口うといささか陳腐にはなるのですが、たとえば考え抜かれたソ
はマスプロダクトによらざるを得ない而がある。そのマスプロダクトをどう
ユーザー像がいまひとつ
ーラーシステムを搭載した住宅とか、廊下と側室という組み合せではなく一
そのなかで、恐怖めいた話まで出しましたのは、
﹁実﹂に近づけていくかという議論として触れた次第です。
ィフハウスやホスピスであるとか、林産地やプレカット工場と設計者や住み
体化された空間の小で場がデザインされたような住宅であるとか、コレクテ
ったとき、伐はその感じこそをリアリティと呼びたいと思うのです。
これまで兄えていなかった仕組みが見えてくる。そういう実感を住み予がも
るものがあったように思っています。建築家がユーザーと試にお話をするな
私も﹁マンションが虚像﹂ということを中し上げたのですが、そこに通じ
蝉懇麟伊哀門戸
住宅メーカーへの一必口、﹁あれはい版な一般解、つまり拙かれた生活でしかなく
て﹁鼠﹂になっているわけです。
山本どちらが﹁実﹂でどちらが﹁虚﹂かについて、明雄な恥安
から入っていきたいと思います。
ディスカッション
そ
ほど多く誘発し、住み子自身によるそれへの解答づくりへの希望を支える力
るものが突な側出解なんだ﹂ということでもない。
て、自分たちが側々のクライアントの生活と一対一に対応させてつくってい
あらかじめ取と実というこ分法が存在するわけではないのです。つまり、
として説明してくれると思うからです。
分法によるレッテル貼りとしてではなく、いわば、希望が持続される距離の
服
部
みえてこない、ユーザーの意図を反映する方法が市場に用意されていないこ
で標準化するとか、そういった事柄のほうが開題であって、佃々の住戸プラ
色をもう少しなんとかするとか、アルミの手摺をもっときれいなディテール
ンは実はあまり開題ではないような気がします。
とが反省点であると同時に、現実の問題でもあると思っているからです。
これは、価値観をどうつくっていくかの勝負だと思っています。内容を見
させていく、必程。すべての住まいをこれだけの真撃な態度でつくっていくこ
関係ないと忠、つんですね。
M以上一
秘めて子を動かしていく設計行動のなかでつくられる倒伯観と、それを普及
乱恭な言い方をすれば、 nLDKの ど こ が 惑 い ん だ と い う こ と で す 。 八O
nLDKだ ろ う が な ん だ ろ う が
とが事実上不可能であるとしたら、量的なものに置き換えていく作業との問
服部それはつまり、非常に実感的で美しいもののみが存在価値がある、そ
ood 近くの住戸面積さえあれば、
をどうつないでいくか。
花閉そういう意味ではありません。建築の細部には、住宅と非住宅の境界
ういうものが住まいである、と:::。
いった,議論から速く雌れたところで物をつくってしまう現状がなくはない、
を効果的に動かす可能性があるということです。
もちろん、いま憂うべき住宅の引状があり、注文する側も建てる側もこう
それは共通の敵になるかもしれないということを思っているところです。
を求めていくべきか、設計もなさる京場での主張が制えないかと思っている
ミュニケ│ションしています。公共住宅なり、民間住宅なり、
ディングタイプというものを、 nLDKと 言 い 合 い な が ら コ ヘ 、 心 グ ) 織 謬
it
のですが、そんな質問をしてよろしいでしょうか。
鼠部近代社会ですから、われわれは非市に言一乱開化したビル
服部マスプロダクトと倒別設計という対比を一一一日われました。山本さんはマ
PJ hJY
議禽
社会的な住宅供給ということになると。
一
八
﹁型﹂というものは近代社会にとって基本的に必要なボキャブラリーであ
今後、住宅の持つ機能とか、住宅の小に入る方々との関係にどういうもの
ス。プロダクトという立場でいろいろな新しい地平を切り開こうとしていて、
るし、生産を効率化しているし、私たちが社会の中で共感を覚えるものにな
鱗機約機初郎
反省もあるし、そういう、正張をしたつもりだ、とおっしゃいました。花田さ
っている概念だと忠、つんですね。
J
んは、例別設計の住まいづくリと位置づけられると思うのですが、まず、そ
が、撲に納得できるようなものがマスプロで生産されれば、それに越したこ
りません。それこそ、そういう境界線は動くでしょう。生意気な言い方です
花田マスプロと桐別設計という境界綿の引き方をしているつもりは全然あ
﹁型﹂がかなりかかわっているわけですね。花田さんは、﹁型﹂を否定してい
トといったとき、スケールメリットみたいなもの、生産の合理化を通して、
ろ動くんだ﹂と一一一一口っている。いっこうに﹁型﹂とは言わない。マスプロダク
けれども、花自さんは総論として、﹁社会があって、境界線があって、いろい
そういう意味で、山本さんは﹁型﹂というものが好きだと決めつけたんだ
とはないとしか言いようがありません。そのときのチェックポイントという
るのではないかと思うのだけれど、そこまでラジカルではないのですか。
のあたりで花出さんの反論があるのではないかと思うのですが。
か、指側怖を羅列しろといわれでも困ってしまうわけで、それは当然ケース・
山本私自身はそれほど﹁型﹂にこだわってはいません。ただ、出てくるも
のを評価するときに、﹁型﹂という用誌を使、つだけ。生産の場で﹁型﹂がすべ
パイ・ケl スです。そういうものではないかと思うのです。
正直言って、きょう山本さんが提示されたことは、ずいぶんラジカルだな
そ れ こ そ ﹁ ケi ス・パイ・ケl ス ﹂ と い う 説 に 問 感 で す 。 い ま の 生 産 の 工
てを支配するということはないだろうと思っています。
そんなことになるのかな、なる必要があるのかなと。むしろ、もっと単純な
程が、先に﹁型﹂をつくって、この﹁型﹂はたくさん売れた、この﹁型﹂は
と芯いました。﹁何軒も山本を持つようになる﹂といった話のことです。本当に
問 題 、 マ ン シ ョ ン の バ ル コ ニ ー の 奥 行 き を も う 三O m仲 ば す と か 、 タ イ ル の
q/﹄
ハ
U
とらざるを得ないがために、﹁型﹂に言及しているのです。その生長体制、つ
人気がなかった、という市場の反応で次の生産物を決めていくという子組を
分譲市場そのままに購入し、分譲臨口問として住み続けていることの社会人主体
き、その商留慣を共有していく必要があると思うのです。いまの形の供給で
完成型を凶両で売るという方法に頼らないで、よりよい住宅を模索してい
での問題に気がつかないといけないのではないか。
宅の発展を阻害しているのではないかと思うところもある。その構造に気づ
は、﹁﹃型﹄を理解して次の生産に乗せていかなくてはいけない﹂ということ
まりマンションを分譲で売るという行為そのものが、ひょっとしたら集合住
かないと、答を見つけられないということを小し上げたかったのです。
に、生産側も追い込まれているわけですから、そのパターンのなかでは、花
川さんがおっしゃっているような形での限必はまずできない。
匂
何をん守寸るべきル永共ん火(一通必如規胤範として採問するかという判断が、かな媛轟向仰
F
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弘
&
畿
愛
か、目的外伎町のなかで形成されるかもしれない意識を﹁廃境の中のあけぼ
ら れ な い わ け で す か ら 、 そ れ だ っ た ら む し ろ 、 既 存 スb ックの複数戸利用と
ここから先の新規供給を改帯するだけでは全体のストックを大きくは変え
りいい加減に行なわれているのではないかと閃忠ωいます。モノ
の﹂として期待する、という税論で説明させていただいたわけです。
J
3
ぐ
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服部それじゃ、対立していないのね。本当かな?花田さんのご意見を。
花田﹁型﹂という一一-写楽の定義がよくわからないので暖昧な、三、
答えになりますが、住宅を考えるう、えで何を﹁川ごにするか、畿饗警必祭織
をつくるのですから、当然なんらかの﹁型﹂が必要です。しかしそれが間取
がみつからないだろうか、という努力を披一控された。花田さんは、具体的な
顕 部 山 本 さ ん は 、 従 米 の 3LDKの よ う な つ く り 方 で は な い 新 し い 住 ま い
一
り な の か 外 観 な の か 、 デ ィ テi ル な の か 素 材 な の か 、 は た ま た 流 通 形 態 と か
のなかの扱いやすい要素にだけ議論が集中しすぎているような気がします。
会全体のなかでの住まいのあり方によって住まいが決まるという一つの考え
住宅設計について、やってみないとわからない、とおっしゃったけれど、社
J
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1
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:
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:
一、仇宵
お 統 な の か 、 い ろ い ろ な パ タi ン が あ る と 思 う の で す 。 し か し 現 実 に は 、 そ
2DKとか 3DKというところまで抽象的でなくても、生産の過程、
服部
ますね。それがフレキシブルであって、いろいろな関係があっていいだろう
が存在していることに花開さんは﹁出題がある﹂といっているように聞こえ
しゃったので、山本さんとはまた違うけれど、米米に向かうこれからの住ま
と言うかと思ったら、﹁希望が持続する感覚のある住まいがいいのだ﹂とおっ
﹁いろいろな住まいがあっていい二人一人の価値観から出てくればいい﹂
方を山された。
と。山本さんの場合は、﹁いいものはつくればいい﹂とおっしゃっているけれ
いのことを考えておられるなと思ったんですね。
あ る い は 人 と の コ ミ ュ ニ ケi シ ョ ン の 過 程 で も 、 概 念 的 な ﹁ 型 ﹂ と い う も の
ど、デベロッパ!として生産の過程に采せるときには、プランタイプのなか
mさんは、﹁川上﹂なんてあまり考えないとおっしゃったので、どうも﹁型﹂
花田何を﹁川ごと考えるのかによると忠います。住宅を構成するさまざま
は否定される時代になっているというふうに見ているのですが。
花
いうのがあるから、そのあたりに違いがある。一方は否定しようとしている
でコミュニケーションして、それをいろいろな共同作業でリファインしてと
し、一克はそれに頼らざるを符ないというふうに構掃としては見えますね。
山本私の問題指摘がまだうまく表引できていないのかもしれません。仕事
思うのですが、どうですか。
メ ー タ ー グ リ ッ ド の 単 位 祭 山 と そ の 組 み 合 わ せ 方 の 規 則 、 そ れ にO Mソーラ
オルクス・ハウスというのがありますが、平面プランを限定するのではなく、
も っ と 別 の も の が ﹁ 型 ﹂ に な ら な い の か な 。 た と え ばO Mソi ラi協会のフ
な要素のうち、プランタイプを型ととらえすぎているという気がするんです。
の立場を縦れて桜論で中しヒげると、このままのやり方で分譲マンションの
ーシステムを必ず搭絞するということが﹁型﹂となっている。また、
﹁いいものができれば、それでいいんだ﹂という単純なものではないと私は
供 給 を 統 け て い っ た の で は い い ス ト ッ ク を 蓄 積 で き ま せ ん よ と 。 ユーザーは
ニ
L
割りされたところは、川に向かって斜耐のまま買っておられますから、イギ
結果的に非常に自然な住宅地ができあがって、小川が流れている川側に敷地
だと思いますが、雛⋮均一にせず斜面のまま分﹂識している。三0 1四O年たつと、
和
一
一
一0年代に兵庫県が一 O O坪 単 位 で 分 譲 し た 。 お 金 も 技 術 も な か っ た か ら
ると思います。たとえば、僕が最近調べている東灘区の鴨子ケ原地区は、昭
並ぶわけですが、その宅地割りそのものは恨本的に見草してみる可能性があ
タ ウ ン と い う と 、 六O坪 内 外 の 雛 岐 造 成 さ れ た 長 方 形 の 土 地 と い う ﹁ 型 ﹂ が
れ ど 、 そ う い う の は ﹁ 型 ﹂ と 言 わ な い 。 四OOO万 の 形 は あ る の か も し れ な
ね 。 山 本 さ ん が ﹁ 間O O Q
刀の型がある﹂とおっしゃったけ議麟欝警
かし物事には必ず両面があり、逆の欠点が付きものですから覆畿墾向上私鐙
をものすごく進歩させたという感覚を私はもっています。し議饗
鈴木成文(神戸芸術工科大学)マスプロダクトが日本の住宅亀襲安
ないか。そういう意味での﹁型﹂は多数あり得るという意味です。
そうなれば、不特定向け設計を買って住むだけよりはよい状態になるのでは
いうことを申し上げました。使っていくなかで﹁型﹂を発見しやすくなる。
のはあり得ないわけです。マスプロダクトは、﹁型﹂によって成り立っている
いが、形を束ねたものを﹁型﹂というわけだから、﹁四000万の型﹂という
揚揚観議畿緩務鶴鯵慶一、豪遂
J
γ
i暴露
リスの同国みたいな小川になっている。
プロポi ションを変えるとか、各灰一画割りしたなかに絶対ここには建物を建
わけだから、それが進歩させた。ただ﹁型﹂から脱すればいいということで
そういうふうに、雛培一にしないということにこだわってみるとか、敷地の
ててはだめですよというところを約束事として決めて、ビスタが通るように
はなくて、どこをどう変えたらいいかという具体的なことを言わないと、﹁型﹂
0
す る と か 、 そ ん な ふ う に 、 平 面 フラン以外の﹁型﹂がアイディアとして幾っ
の批判にもなんにもならないと私は思っています。
いま﹁型﹂の何が問題になるかといえば、マスプロダクトは個別設計とは
か出せたら、少し変わっていくのではないかという感じはしています。
山本次の﹁型﹂を探すというのではなく、﹁型﹂はたぶんユーザーそれぞれ、
追 う わ け で 、 ど こ に で も 建 つ も の 、 あ る い は ユ i ザl の 一 般 的 な 希 望 と か 要
結局、そのためにマスプロダクトあるいは商品化住宅というものが、環境
人の数だけあると芯うのです。﹁多様化﹂という一言葉を使いましたが、同じ人
とか敷地というものが考えられないから、花田さんが言われたような、住宅
求を対象にしようとするわけです。ユーザーを層として捉えるということ。
とに平く気がついてくださいということです。その結果として、たとえば山
の境界が外にも広がっていっているということなしに、すべての生活がその
でも一年たつと前の﹁型﹂とは違うことを希望するようになる。そういうこ
るのかはわからないのですが。
000万此帯がこ0 0例 の ﹁ 型 ﹂ に 収 ま る の か 、 二 万 個 の ﹁ 型 ﹂ が 必 要 に な
なかで完結されて、そこでいい生活ができるようにという、非常にいい住宅
それはマンションだけでなく、農村にもどこにも日本じゅうにマスプロ的
服部それは荷売の気持ち、束ねようという気持ちがすごく入つてない?
の﹁型﹂をもっていてもかまわない。マンションの場合、耐久性のある躯体
な住宅、型的な住宅が蔓延し、山中へ中へと閉鎖的に家の中だけのことを考え
をつくろうとしている。
があって、快適な温度環境や通風環境が得られて、というシステムを提供で
て、非常に快適な生活をその中で営もうとしている、そこが問題なんだとい
山 本 束 ね る 意 図 は ま っ た く な い で す 。 四000万 世 帯 が 山000万タイプ
きる体制はあるわけですが、内側をどう使っていくかについて、ユーザーが
うことを指摘しないと、﹁型﹂の批判とかマスプロダクト批判、あるいは商品
いまの日本の住宅でいちばん大事なのは、住宅をもっと開くことです、家
自分の﹁型﹂に気づいてくれないと、供給者のほうは予を出せない事態にな
の中でも聞くことです。ほかにもいろいろ問題はあるけれども、その一点に
化住宅の批判にならないと思うのです。
私の話では、子を出せないままつくりためてしまったものを今後どう使う
っているということだと思います。
かについて、後数一戸使うとかリフォームとかも合め、こんな可能性もあると
する﹂と言っても、それはまるで無意味なこと。開いた﹁型﹂をつくりなさ
しかしその﹁型﹂のどこをどう変えればいいかということなしに、﹁型から脱
鈴木﹁型﹂がなければこれだけの住宅生産はできない。それは致し方ない。
服部﹁型﹂そのものの存在価値はお認めになるわけですね。
問題を集中して考えるべきだと思っています。
ことをおっしゃったのだと思う。
していて、自分のためにつくるという意識が非常に強くなっている、という
服部鈴木先生のお話は、家というのはいま、社会から離れて非常に偶人化
められると忠う。
ころは、あくまでもそれを手直ししながら執均にやっていくという姿勢が求
ったときに、﹁住まいが社会を組み立てる﹂というさっきの花田さんの話の解
しかし、家と社会の境、環境との境、群になっていったり、町になってい
花田もちろん、﹁型﹂を設計するということが非常に重要だろうと思いま
釈のなかでいくと、どうもプラスの部分あたりに﹁型﹂があるという話にな
い、と言っているわけです。
す。いいものが大量に供給されれば、それに越したことはないわけですから。
つくり込みすぎているということです。つくり込まないと完成商品として認
山本常々思っているのは、いまのマンションは、商品として売るがために
ってくるような感じもするね。
は、まずは各住一戸や住宅の中を開くこと。できるだけ大きなワンル l ムをつ
そのときに、﹁開かれた型﹂というイメージは重要だと思います。具体的に
くって、桜一で仕切るのではなく、場をつくっていくという感覚で設計する。
めていただけないような市場観が世の中にあります。これを閉避できれば、
合体ですから、北ハ間部分と専有部分との境界はしっかり決まっている必要が
したがって、何種類もの違うプランタイプを用意するというよりは、いくつ
それから各住宅と外部との関係を聞くこと。マンションでいえばリビング
ある。そういう部分に、マンションの集合システムとしての﹁型﹂、開かれた
価格を下げることは十分可能だと思います。ただそのとき、マンションは集
アクセスのようなこと。それに、社会との関係を開くこと。住宅のモノとし
﹁型﹂を導入することがイメージできます。
かのスタンダードを精鍛化することが必要だと思います。
ての側面とイメージとしての側面の両方を、生産や流通といった視点から論
片山和俊(東京芸大) 実は僕はコ iポ ラ テ ィ ブ 住 宅 の 設 計 を
宅をつくらされてしまうことです。ここだけは、市場構造にメスを入れない
ことが、分譲だと市場に負けてできなくなる点で、たとえば非常に開じた住
先ほどから﹁分譲方式の問題﹂を指摘しているのは、賃貸住宅ならできる
ちょうど終えたところなんです。その経験では、山中の住戸の
限り難しい。桜諭すれば、﹁これだけ開く﹂という法律でもあれば可能なこと
じることが重要です。
プランタイプを増やすことにあまり意味を感じない。やっぱ
なのですが、そういう意味で、﹁聞かれた住宅﹂を市場のなかでどう実現させ
撮部﹃すまいろん﹄の編集側の意閣としては、家族の姿がいろいろ変わる時
りある程度﹁型﹂が要るのではないかとずっと思い、設計し
そのときの印象では、住戸内ではなく、住一戸の内外の関係のなかで人間関
代ですから、それに対して住まいがどうなるのか、あるいは、マスプロダク
ていくかが課題として残っているかと忠います。
係を聞いていくとか、町へ開いていくとか、そこらへんで何か﹁型﹂が要る
ト的な意味の市場というだけでなく、住み予の意識が違った形になっている
ながら、それを提案するところまでいかなかった。
のではなかったかというのが反省点なんです。鈴木先生がね一日われた﹁聞いた
という問題も含めて、いろいろな議論をしなくてはいけなかったのですが、
ました。
(文責 H編集部)
時間が十分ありません。ここで終りにしたいと忠います。ありがとうござい
関係﹂というあたりにヒントがあるのかなと思っております。
郊外に量産住宅がたくさん建っています。あれはやっぱり﹁型﹂ですよね。
それが日本の風土を結構決めていたりするから、﹁型﹂をつくっておられると
広告エ i ジェンシl に マ ー ケ テ ィ ン グ ・ リ サ ー チ を 頼 む こ と が 、 そ も そ も
娘と一 一らしで包じている日本の住まいについて
lli単家族生活だからこそ、求め、楽しむ家庭の外からの刺激
コリiヌ@ブレ
あ る 広 行 ヱ l ジ ェ ン シ ー を 取 材 し た と き に 、 Sさ ん か ら こ の よ う な 話 が 出
おかしな話だ。﹁住まい﹂や﹁家族のコミュニケーション﹂など、並臼一過性を持
く、﹁人間の根本的なニ l ズ ﹂ を 考 え た う え で 、 落 ち 着 い て 、 白 信 を も っ て 住
っているテl マであるからこそ、﹁流行﹂のレベルで企画を検討するのではな
iチ を 行 な っ た が 、 そ の と き に 、 昨 年 神 戸 で 恐 ろ し い 殺 人 事 件 を 起 こ し た ︽ 酒
宅を創作することが大切ではないだろうか。大勢の人のために住宅をつくる
z社 の た め に マ ー ケ テ ィ ン グ ・ リ サ
鬼諮綴︾という名の少年の家が注日された。少年は、自分の部屋まで玄関に
会社がこれくらいのことができなければ、個人で自分の家を設計したほうが
このエ i ジ ェ ン シ ー は 、 住 宅 メ ー カ ー
ある階段から上っていったらしい。つまり、家の中心である広間を通らず、
このごろ住宅メーカーは、お客さんの要求を向きながら、お客さんのライ
ましだろう。
フスタイルにフィットした住宅を提供する、という動きがあるようだ。進歩
うがない。私だったら、どんな住まいがいいかは簡単に決まる。とにかく住
ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 阻 害 す る と 反 省 し 、 Z社 は ﹁ 家 族 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン
フランスで彼と会うと、彼の話の中から﹁人間﹂の﹁根
に見えるかもしれないが、常識に達するまでに時間がかかったとしか言いよ
0
まいのど真ん中に大きいサロンが欲しい。パーティをやるためだ。
子育ては共育だ
る住宅でト何年後かに新しい事件が起こったとしたら、そのときにまた反省
を考えていたのかと、まず思った。もし、反省に基づいてこれから設計され
人は社会﹂だといわれる。家政一一一人だと閉鎖的に暮らしてもいいだろう。さ
と、わが家では﹁外﹂に向かうか、﹁外﹂を家に入れるか、どちらかだ。﹁一一一
八歳になった娘と私だけだ。だから、コミュニケーションということになる
私の家は、シングル・マザ!とシングル・チャイルドの二人暮らしである。
して住宅の設討を兄此すのだろうか。
る 私 は 、 広 告 エ l ジ ェ ン シ ! の S さ ん の 話 を 開 い て 、 日 本 の Z社 は 今 ま で 何
アングルから﹁家族﹂を考えているはずだ。だから、建築家の弟を持ってい
天文学・神学などの学問をたしなみ、設計する住宅にそういったさまざまな
源﹂的な﹁要求﹂などという概念が浮かび上がる。建築家は、哲学・社会学・
私の弟は建築家
を大事にする﹂という宣伝コピーで新しい住宅づくりを目標としたそうだ。
わさずに、自分の附界に忍び込んだ・::。こういった住宅の設計は家族のコ
お母さんや他の誰かに会わないまま、学校から帰るとすぐ、誰とも会話を交
f
こ
覧 会 の オ ー プ ニ ン グ や ホi ムパーティなどに違う感性との交流を求め、また、
できるだけ外の空気をいっぱい吸いたい:::。というわけで、娘と一緒に展
もの自立心は育たない。だから﹁外の人﹂と接触せざるを得ない。そして、
息してしまう。(母)親と子の距離感がないと、親はノイローゼになり、子ど
きりだと社会性に欠けるし、母と子の関係が密若しすぎて、親も子どもも窒
らに子どもが増えれば、その家庭だけの股界で十分だろう。ところが、二人
りできたから。そのような﹁良い環境、しかし抑留陶しい﹂という家躍が今で
の晩餐会後のパーティはよかった。当時一閥、五歳の私は、好き放題踊った
った。その﹁外の風﹂に多少新鮮さを感じたものだった。なかでも、結婚式
の 友 だ ち の 家 の パ ー テ ィ や 、 私 の 家 に 友 だ ち が 米 る ホl ム パ ー テ ィ は 時 々 あ
するイメージは﹁面臼くない雰闘気﹂というものだった。幸いなことに、親
と考えていた。たまに父から而白い話はあっても、私が抱いていた家族に関
かもしれない。でも核家族の場合、親子はお五いに知り尽くしていて、京肢
も多いだろう。おじいさん、おばあさんがいる、いわゆる大家族だと楽しい
ニ0年 間 日 本 に 住 ん で い る 私 は 、 こ の 土 地 の 文 化 か ら も ら っ て い る 影 響 は
に無邪気にコミュニケーションはとれなくなる。﹁お勉強した?﹂﹁コ i トを
家に友だちを呼んだりすることになる。
大きい。私の子育て観も、影響を受けたというより、日本のいいところとヨ
両方の親と子どもが一緒に暮らす明るく楽しい家庭のほうが、もちろんい
着なさい/﹂::・という実用的で平凡な会話ばかりが目立つようになり、お
ι 分が歩
そく娘に着せてみると、不思議なことが起こった。自の前をまるで 討
い。でも、そうでない場合、うわべだけ家族を装った穆陶しい環境より、母
ーロッパのいいところを取り入れてミックスしようとしている。そういう費
いているみたいなのだ/記憶の扉が開いた。そしてそれ以降、娘と、自分
と予の二人暮らしのほうがいい。何よりもまず、自由であるのだ。二人だけ
笑い番組を一緒に見ることがまあまあ楽しい親子のコミュニケーション時間
の中のその年ごろになる予どもの自分と、コミュニケーションをとっている。
だと﹁社会﹂ではないからこそ、家庭内に社会性をもたせる三人目に合わせ
となって、倒人の問題やストレスなどが家にこもってしまう。そして時々、
三歳の娘の涙や反抗などは、母としての理解ではなく、記憶にある一一一歳の自
る必要はない。夫でありお父さんである三人目を﹁待つ﹂必要がない。待つ
沢な子育てをしている私は、教育のことを﹁共育﹂と呼んでいる。この考え
分に聞いてわかる。わかると適切な対応ができる。また、自分の中の子ども
こと、合わせること、これほど、五婦を受け身にさせていく行動はないかもし
家庭内に爆発する。
を掘り起こせば、マナども心の無邪気さも掘り起こされる。遊ぴたい、遊び心
れない。合わせるとか待つといった足伽をはめられていない娘と私は、外へ
ランスにいる私の母が、私がこ歳のときに着ていた服を送ってくれた。さっ
を持って他人とコミュニケーションしたい:::。人と会ったり、パーティを
向かって、外とのコミュニケーションをひたすら楽しめる。自然と外に向か
を発想するきっかけはあった。それは、娘が二歳になったころのことだ。フ
やったりするのが好きなもう一つの理由は、この遊びたい気持ちにあるにち
っている子どもの要求は、母親である私が外へ向かうための工夫を手助けし
っ て 傾 け る こ と が で き て 、 そ の 方 法 を 通 じ て 、 子 ど も と の コ ミ ュ ニ ケi シヨ
てくれる。また、一人だからこそ、耳を自分の記憶や自分の心の戸に思い切
がいない。
なぜ、 日 本 の 住 宅 に は パ ー テ ィ ルl ムがないの
退席だった。話が合わなかったせいか、とにかく、この鐙陶しい雰囲気から
現は、なぜか日本では難しい。在日外国人の不満の一つはここにある。﹁東京
自然であって、必要である﹁外﹂と交流したい私の気持ち。しかしその実
ンも高まっていく。
逃げたい、円十く自分の部屋に一民りたい、と焦っていた。外の股界が広いので、
では友だちとほとんど会えない﹂という。レストランとかパ!とか喫茶庄だ
私の家族は四人だった。父と母と弟と私。一緒にご飯を食べている時間は
なぜこの四人だけで暮らして、その暮らしを我捜しなければならないのか、
に 。 と こ ろ が 、 友 だ ち を 家 に 呼 ぶ た め の ス ペ ー ス は な い 。 気 持 ち 良 く ホl ム
けでは物足りなくて、家で一緒に楽しみたい。特に小さい子どもがいると、
した。
な外して、壁のない家になってしまうほどだ。私は、この家の寛大さに感激
と﹂を歓迎する能力を持っている。外の人を歓迎するために襖も障子もみん
これまで私は、マンションのような箱型住まいしか知らなかった。外はコ
親も友だちと一緒、子どもも友だちと一緒、別々の部屋で楽しめるというの
パーティできる環境は、外人用マンションか大金持ちの日本人の家ぐらいだ。
ンクリート、中の壁は裸。肌突、いほど﹁裸﹂であるその壁は動かない。友だ
二年前、大きなチャンスが娘と私に訪れた。米日して初めて﹁日本家屋﹂
マンの天井と控の間にはちょっとしたデコレーションがあったり、石ででき
魔物としてじっと残るただの﹁意志のない﹂壁である。パリの古いアパルト
ちが山本に来ても、その人たちを﹁歓迎﹂するために外すことはできない。邪
と呼ばれるような家に住むことになったのだ。大正時代の終わり、関東大震
ているために温もりを感じる。壁は外れないが、その多少の暖かみから、邪
初めて日本のお屋敷に住んだ
災の明くる年に建てられた、洋風と和風を而臼くミックスした木造の二階建
この大正時代の家には、フランスの石造りの家に感じる暖かみより、ずっと
魔 す る と い う イ メ ー ジ よ り 守 っ て く れ る と い う イ メi ジがある。でも私は、
大きな温もりを感じた。冬は寒さから守ってくれなくても、石より木造のほ
の家賃は古川いので、女性の友だちとその家を共同で借りたのだ。彼女が選ん
だ一指の洋風の部屋数は五つ。天井も床も板張り、シャンデリアは当時のも
うが暖かい雰同気を出している。なぜだろう?
て。中庭を入れて家の面積は一一一OOUぐ ら い あ っ た だ ろ う 。 そ ん な 大 き な 家
の。白い陵、ゴージャスな階段、慌もりが溢れる台所:::と、どこを見ても
自由なライフスタイルとその家の広さを利用して、季節によって、その日の
は独立した二踏にいる私たち親子は、﹁三人日に合わせる必要がない﹂という
それに、そんなに内装が素晴らしいと、余計な家具や飾りは要らない。日本
行く必要がないように、家の中に気持ち良く居られるように建築されている。
線、障子、壁の色など、みんなここに住む人のために優しく、美しい。外へ
この家と出会ってまず驚いたのは、家の丁寧な内装のことだった。床の問、
気分によって、寝る部屋を変えたりした。ただ、友だちが治まるときはメイ
ふうの家は実にエコロジー的である。余計なものが必要ないなら、余計なも
感激。娘と私がシェアした和風の二階も、一階と閉じく京敵で広い。一階と
ンの部屋を譲った。
昔の家がシンプルで心地よい場所でなければならない理由はあった。親戚や
のを買わないで済む。経済的だしゴミを出さないから環境には優しい::・。
なる。冬は襖を付けて、暖かい布団の小でぐっすりと寝られる。夏は、障子
それは、子どもの誕生、結婚を祝い、人の死を悼んで、冠婚葬祭をみんな家
友人を大勢、いつでも歓迎できるようにスタンパイしている必要があった。
立派な床の間や美しい附子のあるその日本聞は、襖を外すと二十数川区にも
も み ん な 外 し て し ま え ば 、 風 通 し が よ く 涼 し い 。 そ し て 、 五O 年 前 に 植 え ら
で行なったからだ。昔の家は、死を合めた生のために建築された。土日の職人
れ た 八 重 桜 が 、 こ の 二 階 の メ イ ン の 部 屋 を 合 み 、 全 フ ァ サlド に の び の び と
枚を広げている。四月末からあまり美しいので、みんなに見せたくて友だち
たちは﹁人間﹂の﹁根源﹂的な﹁要求﹂をよく知っていた。
今のマンションは、死はもちろん、子どもの誕生まで病院に任せているた
をどんどん呼んだ。お花見が一日だけではもったいないと思い、花が咲き始
めるころから葉っぱが出るころまで、ほとんど毎日パーティをやった。その
って、そこで祝えばよい。日常から非日常まで崎広く暮らしていた昔の家と
め、お祝いを家でやらなくてよい。親戚や友だちにホテルかレストランで会
そ ん な あ る け 、 一 階 と 二 階 を 使 っ て 一 五O人 ぐ ら い の 人 を 呼 ん だ 。 確 か に
違って、 AIの マ ン シ ョ ン は 狭 い 箱 型 で 十 分 だ 。 初 め か ら 自 分 の 家 で 冠 婚 葬 祭
ころ私たち親子は、友だちに閉まれ桜に揺すられ、楽しい毎日を過ごした。
賑やか。でも、窮屈ではなかった。そのぐらい家が広いというか、﹁外の人ぴ
もパ i テ ィ も や ろ う と 忠 わ な い の で 、 自 分 好 み の イ ン テ リ ア を 備 え て よ い 。
どれくらい上手く可愛く私は飾ったかを他人に見せたい気持ちがあっても、
存 在 す る イ ン ナi スベ i スによって、住まいを選ぶにちがいない。
そ の 意 味 で 、 娘 が 六 l七 歳 の 短 い 聞 で も 、 強 か な 空 間 と 出 会 っ た こ と は よ
に住んでいる人は、掃除が下手というよりも、母体のように暖かい雰間気を
をいっぱい買って、その数によって誌もりを求める。ごちゃごちゃした部屋
の冷たいコンクリートの慢だから、家具屋で﹁自分の個性﹂を象徴する家具
布団が欲しくなった。当時すでに私は、家の中で﹁死んだ空間﹂である昼間
なって布団を片付ける。﹁これだ/﹂と思い、そのときからベッドではなく、
ろ 私 は 、 フ ラ ン ス の テ レ ビ で 小 津 安 二 郎 の 映 闘 を 見 た 。 あ る シi ンで、朝に
レキシビリティを持?家と彼女は出会った。そういえば、一二歳ぐらいのこ
ている。外の人を歓迎するために中の空間を変えることができる、というフ
無意識に求めているのではないかと思うが::・。そこで、自分(たち)だけ
の寝室が嫌いだった。行本の北日の家の柔軟性にあこがれて日本に来たのかも
か っ た 。 彼 女 の 中 の イ ン ナi ス ペ ー ス が 盟 か に な れ ば 何 よ り の こ と だ と 考 え
しかしゴミを
の 部 屋 で 寝 て 、 食 べ て 、 若 替 え て と い う 日 常 生 活 を 平 凡 に 111
しれない。そして、米日してから、日本の家は﹁生きている﹂とさらに鷲き、
ここで他人が心地よく賠られるようにという克大さは浮かばなくてよい。あ
い っ ぱ い 出 す 生 活 を 1 1 過ごす。子どもの頃の私の退屈な暮らしのようにだ。
長い滞在になったのかもしれない。
くまでも白分が先で、そのマンションに自分の個性を生かしたい。で、箱型
そういえば、エコロジー的である大正時代の家に二年弱住んだ問、私は家兵
突然、友だちがフランスへ戻ったため、私一人ではとてもあの家の家賃を
のびのびと暮らした。あのとき、テレビはどこかの部屋にあったが、娘も私
が呼敬する﹂良さを味わったため、国い壁に慣れるまで少し時間はかかった。
払えず、去年十月に都内の小さなコンクリートの箱に移った。木造建築の﹁壁
一つ山貝わなかったし、すっきりした美しい何もない空間の中で、飽きずに、
もほとんど見ていない。
ところが、家ばかりでなく、人間にも素晴らしい柔軟性がある。今の五十何
づらい。家賃が高いので、狭い住居で我慢するしかない。友人の隣には、日
在日外国人からみて、日本の家やマンションはせせこましくてとても住み
えるのは、前の目家の厳かさを経験したから。それと、今の家の真ん中に広い
よいのかもしれない。大人である私が、箱担コンクリートでも平気だと今言
﹁前の家は怖かった﹂と一一一日うので、小さい子どもにとっては小さい家のほうが
ぽかのつつましい暮らしは平気だ。娘にとっても今の住まいは満足らしい。
当 た り が 非 常 に 悪 い 五O Mく ら い の 家 に 四 人 家 族 が 住 ん で い る 。 大 都 会 に 暮
空間があるから。家具を備えず、そのままにしてある。もちろん、近いうち
日本の住まいへのあこがれは子どものときから
らす日本人は、一生の問、我慢する。大変・::と私は東京の人たちを同情し
に友だちを呼んで、娘と一緒にパーティを楽しむためだ。
と仏火山げと小中館文仰、などがある。
コ リ ー ヌ ・ ブ レ/ncユロロ巾回吋旦
ジャーナリスト、作家。モロソコ生まれ。フラン
ス問符。パリ火山不法令郊卒業。一九七五年に初米
れし、日本認をやぷ。七八年パリに反り、八一年
パリ大学東洋一治学校卒業。八二年から九一年まで
仏紙﹁口出向w
m﹀寸円OXいの特約記者を経て、混在来
水花位。日本の新聞や綿誌で執筆活動を附開閉する。
著書に﹁山猟のようにゐ読売新開社、出白山への入
門
﹄WAVE出版(縦者)、ぷ附く??ンの﹁子育て
て、誰でも大きな住まいが欲しいのだろうと考えていた。そう願う人はもち
ろん大勢いる。しかし、狭い諮問で自分勝手な生活をのんびりと過ごしたい
人もたくさんいるとわかった。またそこで、二つのタイプがあるような気が
する。実は、あの日本家毘へ米てくれた日本人のなかには、家の広さに特に
びっくりしない人と、﹁気味悪い﹂と一一一一口う人がいた。広さをのびのびと楽しむ
人は田舎生まれで、大きな農家で育った人。そこできっと、小さいときから
冠婚葬祭の妙な賑やかさを見ているだろう。反対に、怖い、気味悪いなどと
一一一一口う人は都会生まれで、狭い空間で育った人。子どものときから自分の中に
家族のダイナ司、¥スム
││間居と同じ役割を持つ柔軟な﹁親族ネットワーク﹂
有介
水
個性を活かして人間としてどう成長していくかといった精神的な教育面での
かつてない大変革のなかで、人びとも、これまでの会社中心主義の画一的な
バブル経済の崩壊、金融ビッグパン、事業のリストラクチャリングなど、
性、柔軟性、情緒性などのうち何を強く求めるかは、個人のライフサイクル
ズムによる効率性だけでなく、柔軟性や情緒性が必要となる。公平性、効率
サボiト も 必 要 で あ る 。 そ の た め に は 、 公 的 制 度 に よ る 公 平 性 、 市 場 メ カ ニ
価値観に国執することなく、個人摘人の能力やライフスタイルに合った多様
ってくる。
いったいどのようなものであろうか。
1 家族形態を理解するための枠組み
家族の機能をみる場合、一つの捉え方として、
﹁拡大家族﹂とは、一一一世代にわたって親と子のタテの関係で結ぼれた複数
族﹂、﹁孤立的核家族﹂、﹁修正拡大家族﹂といった一二つの分類が有効である。
学者、 G ・P- マ ー ド ッ ク な ど の 文 化 人 類 学 者 に よ っ て 提 案 さ れ た ﹁ 拡 大 家
T ・パ l ソ ン ズ な ど の 社 会
や社会保障に関して、興味深いことがわかってくる。
以下では、家族の経済的な機能に焦点をあてて議論を進めよう。 貯蓄行動
家族の機能をみる一 つの考え方
家族に期待される役割とは
の各ステージによって異なるであろう。そのなかで家族への期待も大きくな
なる。年少者の養育においても、単に衣食住や勉学だけでなく、それぞれの
したうえで、身体的な介助サービスだけでなく、精神的な心のケアも重要に
高 齢 者 の 介 護 で は 、 そ の 人 が 長 年 経 験 し て き た 生 活 パ タi ン や 慣 習 を 現 解
ザ
令
。
財・サービス購入の制約条件になってしまうこと)によって不平等を拡大す
率という一白では援れているものの、価格メカニズム特有の排除性(所得が
にキメ細かく対応するにはなじまない。他方、市場を通じた生活保障は、効
るがゆえに、公平性はあっても画一性の強いもので、個人個人の多様な人生
に頼っていくことには限界がある。政府による生活保障は、公的な制度であ
今後の高齢者・年少者の生活保障(扶養)を考えた場合、政府と市場だけ
再び注目されだした。
望のなかでも﹁脱会社入院﹂が議論されている。そのなかで、家族の役割も
な考え方を模索しつつある。たとえば、政府が策定を急いでいる中期経済展
見直される家族の役割
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の家族が、居住と生計を同じにする
家族形態である。親と既婚予のニつ
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以上の家族が同じ職業をもち、家父
長的な権威の下に一体として行動す
るのが特徴である。この家族形態は、
農業・鉱業などの第一次産業や自営
業が経済の中心である社会に適して
いづ令。
一方、﹁孤立的核家族﹂とは、親
と未婚予だけで構成される家族であ
る。その特徴は、親子関で居住・生
あしかせ
計を同じくするという足出から解放
され、居住地や職業の選択について
自由度が高い。核家族は工業化と都
市化の進んだ経済社会に適している。
この対極的な家族形態の中間的な
特徴をもつものとして、﹁修正拡大
家族﹂が位置づけられる。これは、
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保険の機能を果たす﹁拡大家族﹂
これら三つの家族形態の関係を絵に描くと、 図ーーのようになる。
金融取引技術の革新がある。
な取引関係を形成する。この背景には、交通体系の整備、情報通信網の発達、
高齢者の介護サービスの提供・授受、金銭の仕送り・受け取りなどさまざま
同一の場所に居住しなくとも、いつでも、どこでも必要に応じて親族問で、
ら、必要に応じて、核家族連合ともいえる﹁親族ネットワーク﹂を形成する。
見た目には核家族の形態をとりなが
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介、護 な ど の リ ス ク を 拡 大 家 族 全 体 で カ バ ー す る 。 親 子
病気
の利他的な愛情などの強い血縁的砕を軸に、家族問あるいは家族メンバー間
相互で所得の移転や扶養サービスの供給が行なわれる。拡大家族は一種の保
険機構としての役割を果たす。この機能は、相続を軸に連続する世代に無限
に拡張することもできる。この場合、貯蓄行動は、子孫に遺産を残すために
貯蓄に励むという、利他的な遣い政動機に強く影響される。
拡大家族では、政府による社会保障政策の効果は、相殺されてしまう可能
a の社会保障政策によって衰年世代から高齢者世代
性がある。なぜなら、政 肘
への所得移転が行なわれると、拡大家族内では、その移転分に見合って、子
から親への所得移転が減少することが起こり得るからである。この場合、食
担も給付も単に政府を経由して行なわれるだけで、結局、拡大家族内での支
出・収入に過ぎないということになってしまう。
世代間対立を生む﹁核家族﹂
親 族 ネ ッ ト ワ ー ク を つ く る ﹁修正拡大家族﹂
ことがあるからである。
れぞれの核家族は、子ども世代と親欧代というように年齢的にも離れている
まり負担と受益をめぐる世代間紛争を生み出す可能性がある。なぜなら、そ
罰的とした社会保障の分野において、負担核家族と受益核家族との分裂、つ
蓄するというのが動機の中心となる。核家族の出現は、世代間の所得移転を
機がなくなり、自らのリスク、特に高齢期の収入減や病気に備、えるために貯
から解放された経済主体として行動する。この場合、貯蓄行動からは遺産動
もう一方の極である孤立的な核家族は、拡大家族にみられた強い主従関係
3
って柔軟な対時を要する生活保障(たとえば、介護サービス)は家族、とい
活保障(たとえば、基礎年金)は政府、日常的な生活情報や人情的行動によ
族と核家族の両方の特徴を兼ね備えている。基礎的で標準化を必要とする生
さて、中間形態である絡正拡大家族は、生活保障や貯蓄行動の商で拡大家
4
図-1 家族形態をみる枠組み
拡大家族では、 そのなかに含まれる核家族、あるいはその構成員である個
2
ービス供給など、家族問におけるさまざまな移転は、親からみれば、将来自
ただし、この場合、鋭から子への遺産・贈与、子から親への援助・介護サ
ってから今日まで、一貫して減少している。これに対して、雇用者世帯の比
帯の田O%を占めていたが、九五年は二一%と、日本の高度経済成長が始ま
まず、世帯構成の変化では、農家世帯と自営業世帯は、一九五五年に全世
経済成長とともに分解する拡大家族
分が年老いたときに面倒をみてもらうためであり、子どもからみれば、将来
率は、五五 i八O年の問、四O%台から六O%台へと上昇を続け、その後は
うように生活保障の分担が可能になってくる。
の困問をみる見返りに遺産をもらうため、ということになる。親族メンバ i
安定している。
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、 形態別にみた世帯構成である。
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雀アこ、 拡大家族
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加が、拡大家族の分解、核家族化を促し、家族規模の縮小をもたらした﹂と
こうした世帯構成の外形的な変化から、﹁経済成長に伴う雇用者世帯の増
世帯﹂が五五年のニO%から九五年の四六%へと二・一一一倍も増えている。
人以上世帯﹂が九五年には一六%と激減し、これとは対照的に、コー二人
一方、世帯規模では、一九五五年当時、全世帯の五一%を占めていた﹁五
聞で、暗黙の了解に従って利己的なリスク分散行動をとるのである。貯蓄行
動も利己主義に基づく戦略的な遺産動機が中心になる。そのため、修正拡大
家族は保険機構としても不完全である。
変容する家族の姿
90%
右に示した家族論の視点から、 日本の家族の実態をみてみると、 その変容
図
﹁一人暮らし﹂ 世帯が最
政府の社会保障や女性の労働力率にも影響を及ぼす
ライフサイクルに応じて変化する家族形態
一一一世一代世帯の縮小は
一四年後の二O
一人暮らしが急増していることに留意しておく必要があ
﹁夫婦と未婚子﹂ のぽ帯に代わって、
も多くなるとみられる。
一三年には、
る。なお、 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、
合、その背景には、
から八三%へと八ポイントちかく上昇している。 つまり、 核家族化をみる場
しかし、 核家族化を単独世帯を含めてみてみると、 こ の 二 七 年 間 に 七 五 %
全体としては安定している (じO年の五七%から九七年の五八%へ)。
出怖を合わせたもの) のウェイトは、 夫婦のみ批帯の割合が増えているものの、
の特徴を有する一二世代世帯のウェイトは、 一九%から一 一%へと低下してい
る。核家族世帯 (片親と未婚子の世帯、 夫婦と未婚子の世帯、 夫婦のみの世
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する姿が浮き彫りになってくる。
その他 jll: ,a~ は、年金、辺、給、;fIJ( ・配当、家 it 等で所仰を 1 ~トている JII
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であろう。たとえば、家族内の相互扶助機能が低下することによって、政府
による社会保障の充実を求めたり、また家族メンバーの商関をみる時間が少
なくなることによって、女性が外に働きに出るチャンスが増える。逆に、政
府の社会保障や女性の労働力準の動向が、一二世代位指の縮小に影響を与えて
いることも否定できない。
家族の質的な側面は、統計資料にはなかなか反映されない。転勤や長期海
外出張などは、﹁山単独世帯﹂や﹁核家族世帯﹂の増加として計測されるが、
これらは家族のライフサイクルにおける一時的な現象でもある。﹁夫婦のみ
泣替﹂の増加も、その夫婦が年をとるにしたがって、子ども夫婦と同居する
のだろうか。実は、世代間の経済的な相互依存関係を推測するうえで、
族ネットワーク﹂というものが重要な意味をもってくる。
﹁親族ネットワーク﹂ で蘇る相互扶助
親の枇帯と子どもの世帯が地理的に離れていても、双方向のネットワーク
をつくることによって、向居と同じ機能を果たすことが可能になる。
注 意 を 要 す る 統 計 上 の ﹁間居﹂概念
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子どものいる高齢者が子どもと同同居している割合は、最近では全国で六三
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加
など別の世帯形態に変化していく可能性がある。この意味で、単独世帯や核
沢)
0•
%程度、東京都民部に限ってみると五一二%と、この一 0 年 間 く ら い に 八 i九
4収)
家族世帯を三世代世帯と対立的にとらえる場合、ライフサイクルに応じて変
4ヌ)
ポイント低下している(表
4 高齢者のいる世帯のなかでも﹁三世代家族﹂は減少
る総 I!~ のよ也反。
核 家 族 化 で 心 配 さ れ る の が 、 高 齢 者 の 孤 立 化 と い う 問 題 で あ る 。 表i iに
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あ る よ う に 、 高 齢 者 泣 帯 ( 男 六 五 歳 以 上 、 女 六O歳 以 上 の 夫 婦 で 構 成 さ れ る
表
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化する家族の質的な側面に注意する必要があろう。
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託より作成
か 、 そ れ に 一 八 歳 未 満 の 未 婚 の 子 を 加 え た 世 帯 ) は 、 七0年代に人り急増し、
この二O年くらいの間に四・七倍にも増、えている(全世帯は一・四倍増)。
しかし、高齢者世帯の増加がそのまま高齢者の孤立化や自立化志向を反映し
ているとはいえない。男女の結路年齢の上昇(晩婚化)は、親子の年齢絡差
を広げるので、高齢者ぽ帯の増加要因となる。高齢者の健康状態の改善は、
﹁健康な聞は別居﹂ということで別居期間を長くし、これも高齢者世帯を増
やす要因である。
六五歳以上の高齢者のいる世帯も﹁夫婦のみ世帯と単独世帯の増加﹂とと
もにコ二世代位帯の減少﹂という特徴がみられる。なかでも、コ一世一代位待の
縮小スピードは、全叶一帯に比べ、高齢者のいる世帯の方が速い。高齢者のい
る枇帯で、拡大家族の崩壊が急速に進んでいるとみることもできる。
この外形的な変化をもって、﹁保険機構としての家族﹂の崩壊とみてよい
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歳以上高齢者の子どもとの同局・別居
表
全世帯と高齢者世帯の推移(I975:
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二
エ 100)
ここで留意しなければならないのは、別居として扱われる﹁準同居﹂とい
。
家族化だけにとらわれて、家族論を展開すると、実態認識を誤る可能性もあ
生計﹂を営んでいなければならない。また、近隣地区とは、同一の町内会が
別﹂というものである。したがって、同居といえるには﹁同一家屋で同一の
かし、その親族ネットワークも不安定で、ときには孤立した核家族、あるい
の役割は低下し、必要に応じて親族ネットワークが形成されるであろう。し
家族のあり方も多様化している。おそらく今後、単一家族による生活保障
Q
フ
組織されていたり、回覧板などが回される範閤の地域を指している。本稿で
ィの形成、あるいは地域に根差した介護サービスの提供、さらには地域福祉
は権威的な拡大家族へと揺れ動く。多様に変容する家族が、地域コミュニテ
う概念である。準同居とは﹁問問一家屋または同一敷地に居住していて生計が
議論している家族の機能は、経済的な相互扶助、あるいは保険機構としての
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隠社主同居
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主生活基日控訴,l
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JJ!!-':t 芋i 各 {FI~i より作成
松永有介/まつなが・ゅうすけ
野村総合研究所、五任研究員。⋮九七
O年、京京経済大学経済学ー部卒業後、
経済同友会経済研究所を経て現在に
至る。専門は経済政策論。最近の、ァー
な論文に、﹁行本の優先課題川町一行
政改革i試行錯誤時代の行政スタイ
ル﹂(一九九七年、野村総合研究所)、
﹁ライフプラン新時代・家族から判明
族ネソトワiクへ﹂(一九九七年、
野村総合研究所)、﹁日本の非営利セ
クターの可能性﹂(﹃財界統制側﹄一九
九八年八月号)、﹁企業とNPOの協
働によるビジネスフロンティアの拡
大い(﹁知的資産相別逃﹄一九九九年新
脊口乏などがある。
会体のあり方にどう影響するのか、家扶分析のなかで興味ある研究課題の一
役割である。今日の道路繋備や自動車保有の状況、通信技術の発達、送金技
100弘
術の革新などを考慮すれば、近隣地区に住んでいる高齢者と子どもとの関係
n
つであろう。
図-3 年鈴別にみた高齢者の子どもとの同居・別居(l9
9
5i
も、同居と実質的に差はないといってよいであろう。
同居と同じ機能を果たす親族ネットワーク
高齢者と子どもとの実質的な相互扶助関係は、同居・準同居・近隣地区居
住 も 同 じ で あ る と 考 え て 、 そ れ ら を 合 計 し て み る と 、 こ の 一 0 年間傾向的に
低 下 し て い る も の の 、 九 五 年 で 全 国 七 五 % 、 都 区 部 七 四 % と 、 い ず れ も 七O
%を超えている。全国と都区部の格差もほとんどない。同居と同じ機能を持
ロ同一市区町村内に居住
50~
高齢者も七五歳以上の後期高齢期を迎えると、子どもとの同居が増える。
臼近隣地域内に居住
6
C込
つ家族形態は、想像以上に多いのではないだろうか。
た と え ば 、 同 一 敷 地 内 で の 居 住 も 合 め た 向 居 率 は 、 六 五 1七 四 歳 の 前 期 高 齢
者で六二%、七五歳以上の後期高齢者で七五%と一三ポイントも上昇する。
これと符合するように、後期高齢者は、前期高齢者に比べ、近隣地区に居住
で一・八%、同一市町村内に居住で一一了五%、その他の地区に居住で八・一二
%、それぞれ減少する。地理的に離れて暮らしていた高齢者も、年をとるに
3)。
7
5歳 以 上
65-74歳
つれて子どもとの同居を増やす傾向があるといえる(図
結語
このようにみていくと、﹁修正拡大家族﹂という考え方は、これからの家
族の役割を検討するうえで、かなり有効なのではないだろうか。外形的な核
,
1
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150
﹁個室群住居﹂論の今日
一藷2次
ベピ iブ一!ム
ム
0年代の後半、住宅という容器と、生活という中
というような用語しか使われていなかった一九六
いわゆる﹁個室群住居﹂論は、いまだ近代住宅
ともなって、この家侠形態もまた波及していく
固有の家族形態だったが、工業化社会の波及に
のであって、それは凶ヨーロッパの中位以後に
して、賃金労働とは相いれない。また、その賃金
が、第三次産業は請負制だったり料金制だったり
っていたのである。
﹁住居﹂という視点とは、 このようなものとも忠
うとする思考から出発したものだった。 そもそも
﹁、王婦﹂とする家族関係をもたらすところとな
型は L 十B+n印と表記し得るのであり、妻を
会全域を席巻するところとなって、その間取り
④こうした結果、二忍の住宅類型もまた工業化社
展開は必ず、この解放に向かわざるを得ないので
己実現の機会を絶たれることになる。歴史の次の
結婚してしまえば女性は﹁主婦﹂に封じられて自
こうした思考から明らかにできた、﹂とのあらま
あろうし、こうして、その機は熟してきたと観察
ませるところとなって﹁専用住宅﹂を生んだ。
立させ、必然的に職場から分雌して、住まいを常
事業所としての職場をゲゼルシャフトとして成
①工業化社会における社会関係(賃金労働制)は、
次産業(サiビス業)に帆足を移そうとしているの
としている。社会は、第二次産業(工業)から第三
た。時あたかも﹁脱工業化社会﹂が語られだそう
て一連の関連を説き出したのが六六年のことだっ
こう解析して、﹁近代住居﹂という用語によっ
住居の検討であった。そこからは﹁家族﹂がすで
個人を単位とした社会の展望であり、そのための
ように改組されていくのであろうか:::。
とすれば、人ぴとはどのように住み、社会はどの
人となる可能性も秘めているのである。こうなる
しは次のようだ。
②同時に起こった人口爆発は、既存の都市(市街
である。これに情報革命が加わってくるとすれば、
﹁個葉群住居﹂とは、そのような前提に立った、
地)の外周に広大な﹁住居地域﹂を生んで、﹁郊
される。そのとき、社会の構成単位はいっきに個
ヴ令。
ある。近位に入って天賦の人権を認められでも、
労働がっ主婦﹂の存在を不可欠のものとしたので
第二次産業は賃金労働のうえに成立して当然だ
時期を迎えていることに気付かざるを得ない。
近代住居に納まってきた社会関係は大きな変転の
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lii日本は﹁近代﹂の最後となり得るのだろうか
黒沢
外﹂を形成することになった。
19721
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まない。 98 1f~!ま J住 ;;1- 1JIlo
万人ベ第
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ことになる。
③一方、ここには父系一夫一婦制の核家族が住む
50
1 日本の戦後の人口動態の推移
図
身とを分雌してとらえ、その相立作用に注目しよ
社会単位としての個人
隆
一m×二・問 m×二・山 mと い う 空 閥 単 位 が 、 そ
ども担うコミュニティが実在したとすれば、八-
的 課 題 と 取 り 組 ん だ 。 熱 源 の 供 給 や ラ ン ド リiな
ての個人の住みおおせる住民とは何か、その建築
六八年からの一 0年 冊 、 私 た ち は 社 会 単 位 と し
ものとならざるを得ない、それだけは明らかだっ
どう営んでいくのか。結局はコミュニティの担う
する社会にあって、育児や幼少段階の教育などを
出すのは六八年からだったが、個人を成立単位と
に抜け落ちているのである。こういう思考を説き
確認される。つまり個体の進化は、社会進化と
は﹁積﹂ごとにこれを変えているという傾向が
え、相叶一回介猿は﹁科﹂ごとに、類人猿にあって
猿から新世界猿までは﹁属﹂ごとに社会型を変
﹁旧社界猿﹂﹁類人猿﹂と分類する。このうち原
東日いにまず分類し、後者をさらに﹁新世界猿﹂
①動物分類学では霊長類を﹁出猿班目﹂と﹁真猿
ている。
これもほぼ‘ O年 を か け て 、 次 の よ う な 結 論 を 得
って、家族とは何かを見極めようとしたのである。
つなぎ、つまり自然史と人類史をつなぐことによ
だした時期でもあった。サル学と文化人類学とを
も日本のサル学が霊長類の社会型の解明に成功し
か と い う 課 題 に も 取 り 組 ん だ 。 七0年代はあたか
その一方で、私個人は人間にとって家族とは何
して三層の社会構造を構築することになったのだ
だったのである。これがヒトの段階で家族に分化
パンジー(ボノボを含む)だけに認められる社会型
この四種をめぐる論議であった。 M M Uとはチン
妻 (MMU)に分けられてきた。動物社会学とは、
群 型 で あ っ て 、 群 型 は 一 夫 多 妻 (OMU)と多夫多
された社会型とは、ソリタリィ(独居)、つがい型、
ることにもなる。ちなみに、サル学において採用
いうことはあり得ないことではない、そう確信す
至って、ヒトは家族型を変、ぇ、住居型も変えると
この後に脱工業化段階がくるのである。ここに
とともに﹁近代住居﹂の形成に向かった。
複合家族型は排除され、一夫一婦型だけが残る
紋型であることは変わらないが、一夫多妻型や
⑤鉄器時代の最後に工業化段時があり、父系の家
3-
ハードとソフトの第二段踏
ナム
。
の板小倣だという結論に達する。つまり、三・間
連動しているのである。
年に全金属キュ l ピ ク ル の プ ロ ト タ イ プ の 試 作 が
う三層の社会構造を持つ動物はない。つまり﹁家
②とはいえ、家族 1 1 1コミュニティー l J
社会、とい
参照されたい。)
るを得なかった。これではならじ、スーパーワン
ての利潤追求だったのだから、社会問題とならざ
の混在、鉄器時代では二室住居に、それぞれ席
は一室住問、新石器時代は二重住居と二室住居
④これにともなって住居型も変転し、旧石器時代
して、ついに一・四三にまで達する。女性が一生
日本の﹁合計特殊出生率﹂はみるみる落ち込み出
﹁鍋底不況﹂期を抜け出した八0年代に入って、
この間に社会の事態は刻々と深化
私はわかった気にな
室群住居﹄(すまいの図童閉鎖出版局刊、星雲社発売)をまず
(ここまでの展開に興味をもたれた方は、どうか拙著﹃個
よ品。
対一というタテヨコ比をとったとき六坪弱という
カ
・
・
・
・
できて、七八年には現実の建築としての﹁ホシカ
族﹂を持続的に営むことはヒトのアイデンティ
ミニマムサイズになるということなのだが、七五
ワ・キュ l ピクルズ﹂をつくることになる。
③しかし人類の家族型は、旧石器時代(狩猟段階)、
事態の深刻さ
たが、これがワンル l ムマンションのブi ムに火
新石器時代(原始農耕段階)、鉄器時代(⋮叩削減農
していた。
れた。 しかし
ティといえる。
をつけた。すでに需要は社会に潜在していたとい
ついに紙畑成立単位となった。
耕段階)と変転を重ね、その役割も強化され、
ほとんど寸刻をおかずにというタイミングだっ
うことだろうが、共用施設もなく一二・四対一とい
ずいぶんの時間を要して
うタテヨコ比も無視して六坪弱だけがまかり通っ
ルi ムと命名して一 O坪型にいどみ(八三年)、最
。坪)に達している。
の慌に何人の子どもを産むかの統合平均値なのだが、
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巻される。
近では SORO型
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-1998
﹁近代﹂ の諸相
し、実は﹁個室群住居﹂論の新たな課題だと私は
考えるのである。
バブルと少子佑との同時性
私にはひとつの思いがあった。
はヨーロッパよりアメリカに濃く、 アメリカより
日本に濃いのではないか。六0年代の中期に既に
私はこう思っていた。そうでなければ﹁個室群住
居﹂論には至れなかったのではないか。
周知のように近代はヨーロッパに生い立ってい
る。それ故にヨーロッパの近代は近肢を脱しされ
ていないし、中佐の残浮さ、ぇ引きずる。それを断
絶してアメリカは建国されたのだが、しかしヨー
長寿社会になって、自分にガタがきた時には子ども
いまや老後を子どもにみてもらうことも望めない。
さん産んで家業の助けにする時代ははるかに去り、
になり出産児数は減少するのである。子どもをたく
そこを終了して一・五程度に落ち着くと説く(図
生率は四程度になり、重工業段階に入ると二・五、
すのであって、どこでも、軽工業段階に入ると出
あっては民族国家という闘いのなかでこれを果た
ティック山綿)を描いて拡大率は下がる。近代に
は、日本の方にないはずはない。
上げた。純粋の仕組み(つまり合埋)としての近代
(町人文化)の上に按ぎ木して観念的近代をつくり
代を輸入したのであって、自前で築いた消費社会
の文化は継承されている。日本は観念としての近
ロッパ人が移民して築いた問だ。キリスト教とそ
も定年になっているからだ。それにひきかえ、自
地球の頂点にしがみつ
あたかも八0年代の中菜、 ポ ー ル ・ ケ ネ デ ィ は
*40
くアメリカ入、 そこにたどりつこうとする日本人、
一方で、これは先進国の街命だと考える立場も
ぜ﹁飽和﹂があるのか、これは解けない謎だ。この
れが訪れたのか、除問介経済を掌引するさなかにな
しかし八0年 代 の 絶 頂 期 の 日 本 に 、 突 然 な ぜ こ
本経済は、このころソ連も抜き、アメリカは財政
されているのである。六八年にドイツを抜いた日
ま で の 大 国 の 興 亡 が 経 済 史 を べ i スに級密に検討
れた印象的な表紙の木だ。ヱハ叶⋮紀からこO世紀
とっくに降りて見守っている英国人がイラストさ
ある。十日間降彦によれば、すべての生物は生存個
時点で、世界の工業段階は新たな段常に入ろうと
赤字と貿易赤字に苦しんで対外資産の債務悶に転
*30
体の拡大を本能としてもっているが、同時にその
していたのである。これは文明史の新たな諜題だ
への願望もまた相対的になっていくのである:。
限 界 も 察 知 す る 。 か な ら ずS字型の曲線(ロジス
:・と。それに、家庭の規範性が薄れた。﹁結婚﹂
i2)。かつての﹁スウェーデン病﹂や﹁英国病﹂
1
.0
分が受けたと同じ高学歴を子弟に授けるには、自
,
これがこを割り込むと明らかな人口減少が将米に
待っていることになる。のみならず、日本の所倍
とし(独賠老人を含む)、子どものいる所帯は五四%
楠成もまた激変した。単身所帯は二六%になろう
にまで落ち込んだ。夫婦だけなどの二人所帯は二
O%にもなる?。ふたつは物ごとの表と表なので
ある。間半世紀前に私の言おうとしたことは、今
日の現実になろうとしている。﹁少子化﹂という
一言葉によって社会問題化しているのである。
﹁少子化﹂の論議では、この原因を①女性の高
学極化、②住居や経済情況の相対的悪化、③家庭
'
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年
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機能の社会化、に求めることで一致している。事
実、高校卒業後の進学率は女性の場合四九%に達
2
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殊
出
﹃大国の興亡﹂ を 書 く
生
率
とは要するに﹁飽和﹂なのであって、凝縮社会を
3
.
0
分が犠牲にならなければならないのであって、当
今
る
いかに築くか、これが先進国の課題なのだ:::と
4.0
然のこととして少子化は進行せざるを得ないのだ
する(男子は間七%、一九九七年度)。当然、晩婚
古
計
特
主要先進国の合計特殊出生率の推移
2
図
立
国もなく、外国は赤字分をアメリカとの貿易黒字
落した。計一界の工業国で日本に貿易黒字を挙げる
条件の相対的思化がいちばん利いたのかもしれな
土地(と株)だけが高騰していったのだから、居住
あったと見られるのである。
論じている。これは﹁飽和﹂ということの歴史で
英国は中世的な階級社会を解消できなかったこ
工生産方式を脱し得なかったことが飽和をもた為り
と が そ の 原 出 だ し 、 ド イ ツ は マ イ ス タl 制の熟練
した。さて、残るは、アメリカと日本における﹁飽
P に 1日める貿易収入は一一剖科度に過ぎない。一方
業は成立しなくなっていたのである。日本の G D
とつの工業材料や部品がなければ、昨山介の屯子工
を網羅して工業化を達成している。そのひとつひ
ーの読取り機械からディスプレイまで、関連企業
だった。シリコン精製から同路印刷まで、メモリ
い。民需を軸に、その工業化を果たしたのは日本
究用途が主導したために、タクト生広の域を山山な
切って落としたのはアメリカだ。ただし軍需や研
業段階に入っているが、出川知のように、その幕を
を図リ続けた。インドや中国はこのために極大な
強諸国は植民地経営を通じて、その﹁逆工業化﹂
ネディ自身は、経済史家ベアロックをひいて、列
わゆる南北格差の構造なのだと:・:・:。一方、ケ
るが、ロシアではこの順が逆転する。これが、い
ド イ ツ で は 問 。 年 、 日 本 で は 二O年 と つ ま っ て く
、
よそ一 O O年 の 猶 予 が あ り 、 フ ラ ン ス で は 七O年
た英間にあっては、政治革命から産業革命までお
のような解析をする。近代という時代を先導し
響を受けているのだが、その一入、今村仁司は次
九0年代の知性は P ・ケネディに少なからぬ影
をついている現実もある。
のアクロバットを利して欧州も日本もアジアも息
らできるアクロバットのようなものだ。一方でこ
外債務にほかならない。白国通貨が基軸通貨だか
経済成長は果たしたが、これを支えているのは国
に流出した結果だ。おかげで国内景気は過熱して
いのだから、消費と投資とに国民所得が滝のよう
化の一途をたどった。国民の貯蓄性向が極端に低
たものの、貿易赤字は拡大を統け、経常収支は悪
兆ドルにも肥大したのである。財政赤字は止まっ
既に述べている。その後二年間に純債務額は
和﹂とは何か、なのである。
で燃料や原料や食品を大幅に愉入に頼らざるを得
人口となったが、工業化ははるかに遅れ、人口抑
そのうえ、デリパティブやへッジファンドのよ
そもそも﹁飽和﹂とは何であろう。
各国にみる ﹁飽和﹂ の諸相
じ難い。何があったのであろうか。
い。しかし、それだけが﹁飽和﹂の原凶だとは信
AO依紀初頭にかけて
で哩め合わせる。これが構造となって久しかった。
ケネディは A九 世 紀 末 か ら
工業独占を果たした英国の地位(附界の工場)を想
起していたのである。
ないのだが、それでも貿易黒字はたまり続け、一
制の見通しも立たないのだとする。わずかに日本
うなシンボル経済に頼った現実があり、経済その
アメリカが八六年に対外債務国になったことは
方で円の価値は上がり続けた。短大な資金は国内
の植民地政策が本土並みを目標としたことが、後
ものが﹁虚﹂なのである。これは、いずれ総崩れ
J
に滞溜して土地と株に投資された。当然のように
のNIES諸 域 の 発 展 に つ な が っ た の か も し れ な
を党梧せざるを得ない。それは世界中を巻き込む
なぜ、 こ う な っ た か 。 附 界 の 工 業 段 階 は 電 子 工
バブル化し、当然の結果としてバブルははじける。
い(だからといって何も正当化されないて
工業段階を築いて重工業段階につなげ、こんどは
(一八六二年)以来大量の移民を受け入れ続けて
のであろうか。リンカーン大統領の自作農鴎法
これは、アメリカの体質の表れと考えるべきな
大嵐に発展せざるを得ないのである。
ドイツが重工業タクト生産段階を完成、次にアメ
こうした結果、まず英国が産業革命を達成、軽
同知の結果となったのである。日本の金融機関は
深刻なダメ i ジ を こ う む っ た 。 実 は 第 二 段 も 第 三
こうなってからの少f化なのではない。バブル
リカが重工業大量生産段階を担い電子工業段階を
経済成長の原動力としてきたのだが、しかし結果
*60
が始まったころから、少子化は顕著化しだした。
開いた。日本はその工業化に成功したことは既に
段もが続く
これを近悦眼的に見れば、物価が安定しながら、
円
HU
弓
ペd
これは一 つも解明されて
立場もある。中世と近代との間に近世があり、そ
3)。 こ れ は 、 か つ て の 中 進 国 リ ス ト で は な い か 。
らないのである。ドイツはいまさら大蔵省の権限
れは農業社会から工業社会への転換期にあたる商
としてモザイク状の国家が形成され、古川い進学率
を拡大しようとし、百の開庖時閉までを法律で縛
業 軸 の 過 渡 期 だ っ た の だ が 、 ト フ ラi た ち の 説 く
次のように解釈する
っている官主導国家だ。イタリアはマフィアがの
﹁情報化社会﹂もまた過渡期であって、﹁脱工業
﹁追いつけ追いこせ﹂を国是とした国々にはかな
となったのではないか。その一方、学術やソフト
さばってガパナビリティを問われ続けた。スペイ
化社会﹂の入口にすぎない:::と。村田は高分子
にもかかわらず相互信頼、を築けずにゼニゲパ国家
産業などでは明らかな優越を保つてはいるのだが
ンは七0年 代 に 入 っ て 、 い ま さ ら 王 制 を 押 し 付 け
﹁脱工業化社会﹂と日本
ではないか。こういう思いであろう。あたかも、
ように、次代は、結局はアメリカがからめとるの
兆ドル)の対外債務によって穴埋めされている:
アメリカの一兆ドルの債務は日本の二一四兆円(一
あって、 アメリカは明らかにソフトに長じている。
は既に始まっている。 日 本 の 得 意 芸 は 物 づ く り で
な改編を期するところまで機は熟してきでいよう。
が、一方では、国民の政治的選択を待って抜本的
はかれている。さらにこの先も期待するところだ
防衛庁にまでが司直の子にゆだねられて腐敗があ
方建設問を手始めに、厚生省、大蔵省、中央銀行、
場合、⋮ニ権分立が健全だったようだ。建設省の地
官尊民卑の弊害はすでに臨界点に達した。日本の
ひ る が え っ て 日 本 だ 。 明 治 維 新 以 来 一 O O年
、
(。ホリマ l)製 品 ば か り に 闘 ま れ た 日 々 の 生 活 が あ
言われて見渡せば、どこもかしこも高分子化学
挽回のチャンスはきた::::と。
べれば立ち遅れの目立つ日本の化学工業にとって、
にこそ古川次電算社会の活用がある。他分野にくら
として分子構造を解明して生産に結びつけるため
すぐ先に見ているのである。量子力学を基本学埋
それでは日本ではどうなのか。
これを裏付けるかのように将米人口の減少までが
出生率の述内題を政策的に対応しようとしても必ず
る。しかし、金属を基本材料とした機械工業が N
1
0
0 C
,
5
0
40
3
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20
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/デンアザ
1
。 】
1950198020002025205C年
¥
0
つの思いがある。
確実視されるのだと・・・・・・。
し も 成 功 は し な い 。 ス ウ ェ ー デ ン や デ ン マ i クの
T工作機群によって達成したような多品穂少最生
図
誰にでも
待ってほしい。重工業段階を終了すると出生率
例 に み る 通 り だ70 こ と に 日 本 の 場 合 、 重 し を と
単 位 1日日万人
1
2
0
0
1400
1000
2
(
)(
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出}
1
8
0
ポジティブな社会の個人也
は一・五に落ちると台間は指摘するのだが、それ
1950198020002025205C写
産の段階には、はるかに達していないことも事実
ン
タ
ー
ること、おそらくそれがことを打開するのではな
41 it'"'~1? 三ぶ一一……
では、将米人口の減少が見込まれるのであろうか。
フ"ラ刊
であろう。ここには明らかな次代の展開があり得
-・脱工業化社会
化学とバイオテクノロジーの結合した生産段階を、
問」
られたのである。
逗 fと
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仮にこのことの打開があったにしろ、 ま だ ﹁ 脱
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U界人口抑,l!-1
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国連の此界人口推計(九四年)によれば、それは日
1 A
]
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(
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本、ドイツ、イタリア、スペインにとどまる
毘 -3 各国人口の
長銀見通し
11750-1860 1
11850-1930
1920-1960
1950-1980
情報化大還送信段階
1975-1995
相互通信段階
統合通信段階
1990-2020
同寸了一
仁ご~
→生産主導殴
悶
キロシア革命ー 1916~手
①啓蒙思想、からベルエポックまで
②印象派からコルビユジエまで
③]1ーベルパークーからサルトルまで
④パリ革命力、ら構造主義まで
⑤ジェントルマンシッブからバーナードショウまで
:IDマルクスからノ Tウハウスまで
⑦プラグマテイズムから Americanway 0
1l
i
l
eまで
⑧モダンジャズからミュージカルまで
⑨ポップアートからジヤンクフードまで
⑬社会主義レア 1
)ズムからスブートニクまで
。小津安二郎から磯崎新まで,アニメ・カラオケから和食まで
?超電導/八イ才 7
7/0/
*イギリス革命 -1649年
*アメリカ独立宣言ー 1
7
7
8年
*フランス革命 1
7
8
9年
*シュクイン改革(ブロイセン)ー 1
8
0
7年
*自作星雲閣法(アメリカ) 1
8
6
2年
8
6
8年
*明治維新一 1
*台湾併合一 1
8
9
5年
*朝鮮併合一 1
9
1
0年
つ
ジーと結合した趨高分子化合物が実用化されるに
ある;。これが実現するにしろ、バイオテクノロ
の先に超電導コンピューターを夢見てもいるので
は限界が近いという見方もある。問中昭二は、そ
が、いずれシリコンを基本素材とする演算速度に
で、取り扱い情報量は飛躍的な拡大を続けている
ィ(地域住共同体)とは選択枝のないために生じる
ものとしなければならない。もともとコミュニテ
己形成をなした世代にとっては、選択枝に富んだ
インシャフトたらざるを得なくても、 いったん自
っていく子どもたちにとっては、選択枝のないゲマ
事柄なのだが、そのなかで自己を形成し次代を担
ミュニティの形成によって補完されざるを得ない
冒頭に述べているように、白川体的にはそれはコ
進行していくことになる。
しろ、従業基本資材と、王動力源とが分かちがたく
同時に、高次電算社会が形成されつつあるなか
結びついて一体化した依界だ。おそらく、これが
だったが、いったん自我を確立し広大な自由と流
動性とを予にした人類にとって、それはふさわし
抜けることのできない互助性のゲマインシャフト
くない。間違えれば新たな程措となって、次の飽
﹁近代﹂の技術的ゴ i ルなのではあるまいか。﹁情
てほとんど無人ともいえる操業が予想される。こ
次産業)のありようなのだが、生産の規模に対し
和の原悶ともなりかねないからである。つまり、
報化社会﹂の次に見通される、これは生産(第二
ういう生産を前提にして、第三次産業の人口比率
欠乏や貧困を背景としないコミュニティという意
1レ勺}﹄,、
はさらに増大して、経済比重を高めるのであろう
この次の重要な課題となろう。私としては、﹃集
味だが、この姿の提示もまた﹁個室群住居﹂論の
これらは、日本の出生率がおのずから回複する
合住宅原論の試み勺旧によってその日最初の布石と
。
4)
のではないか、そう考え得る根拠である。ただし、
したつもりなのだが、当然、これだけでは足りる
(
図
国民が政治的決断をなし得れば、という条件がつ
ことではない。
けるかが間われる。しかも、進行を重ねるにした
であって、﹁民あつての国家﹂にどう脱皮してい
という段階を日本はとっくに卒業してしまったの
もう少し踏み込んで言えば、﹁国家あつての民﹂
であるように思えるのである。いよいよ、その時
と思うことがある。どうも、これが世界史の通例
落ちるところまで落ちなければならないとも、ふ
ためには、平成大不況はさらに本格化し、日本は
明があってのことだと、もう一度一一一一口いたい。その
しかし、それもこれも、国民の政治的な意志表
いている。統に述べたように、アメリカにでさる
がって社会は個人化していく宿命を貰っている。
が米ょうとしている:::とも。
ことは限られているのだから:::。
ヨーロッパ型のように飽和の果ての近代家族解体
なのではなく、次代を画していくさなかに事態は
→基本資材
→主動力源
タク卜生産'治具を用いても流れ作業までにはいかない工業生産
(;台真とは定規十工具たとえば特定部品をプレスでぬく)
a
R
CCC年
九九七年問。ニソセイ基礎研 究所﹃日本の家族
* 5 出 典 一 八r村仁司川口近代性の構造﹄講談甘口選百メテエ、
d
O
LLUJ
二
一H
AH
住宅係論の試み﹄までにあっては、広く刊に一一一一日われるよ
てきた。つまり﹁情報化社会﹂の成立を見通しながら、
熟縫い併合一⋮ i 四 % ) と い う 段 階 を 踏 ん で 今 後 を 考 え よ う と し
の新緑 AH
体の形成、などによる川のドルとの心中のあり
文脊新市川島九九八年刊につきる。
うに高度成長(名日成長率一O%)、安定成長(同六%)、成
b
さ ま が 解 川 し つ く さ れ て い る の は 、 古 川 一 冗 忠 寸 マ ネi敗
戦
*7m生率向上政策・
それが来たせたころ、シンボル経済(へソジファンドな
社会の実相﹂だった。
しかし、技術的に情報化の皮合いを検討すれば、むしろ
日本の方が先行しているのであって(ゴア副大統領の﹁約
般には、その総をアメリカに求めていたのである。
淑ハイウェイ﹂椛恕は少なくとも日本に追いつこうとする
北叫川を中心に山山伝来向上政策が試みられているが、た
と え ば 悶 際 7 l ゲi ム に 襲 わ れ た ス ウ ェ ー デ ン が 同 席
不
、
泌迫してその予算を削減すると急激な出生率低下が見舞
もの)、おずおずとその吟味を試みようとしたのが﹁情報化
a
方 、 テ ン ?iクでは伶外子の一悩制を子以くしたた
い
、
γ 七%までが撚外子とな
めに結絡印刷が急減、山山生川んの 日
った。 E C全 体 の 郊 外 子 は 二 C % 科 度 に 迷 す る と さ れ る
ねて行政コストを安くする)などなど、日本も大きな課
公的給付を充実する(施設の伎の確保を競走原理にゆだ
産であっても出じことであろう。その範械でなら﹁情報化
なのであって、物の生成でも、側似の生産でも、情報の生
値はあたかもタマ、不ギのように、むいてもむいても人件切
7ル ク ス の 必 く ﹁ 労 働 側 似 ﹂ 説 を ひ く ま で も な く 、 物 の
どの資本投機)が馬脚をあらわし始めたのである。
題をかか、えていることは論を待たない。とはいえ、泌迫
社会﹂もまた経済行為として成立すると思っていたのであ
のとし、託児所や乳児院の許認可制を廃して親に対する
が、この科皮を九%惜のうえで、父税の産休を公然たるも
大きく効くというふうには恕乏しがたいのである。
則に根をもつのだから、この近凶は結局は住宅問題だとい
以上は少子化の遠山間であろうが、日本の少子化はパブル
ね合わせる検討が、本稿では告かれている。
ない時間迭ももつのではないか。これと、日本の現状とを武
る。つまり、近代の深化とともに少子化は遂行せざるを符
てな識し得ない﹁結果﹂をあえてしょい込むことを怠味す
きたのであって、一方、子どもをつくるということは、決し
ただし、近代の深化とともに人ぴとは白滋識を拡大して
て、本稿となった。
れば、末には、破防しかないことは開明らかだ。こう気付い
違いにしのぐのが﹁情報化社会﹂の絞済的側凶であるとす
る。しかし、まじめな経済(実体経済)をシンボル経済が桁
する凶仰のもとで充分な対策がたとえなったとしても、
*8山山県一村問先}詮﹃マクロ文明論﹄平原社、一九九五
司刊。松尾高土砂氏に教えていただいた。
*9山山県・問中昭二﹁第2情報化社会の考察﹂﹃日経エ
レクトロニクス﹄ゐ九九六年一月一五日号所以。大森信
二
﹀にこ骨子乙亡、こ、こ、こ。
斗ノール{孝弘yて
*刊山出血八・凶器沢除﹃集合住宅係論の試み﹄鹿島出版会、
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M
'
し:、ロド川リ。
1s4
ノ/ f l
︿追檎﹀
本稿の成なにあたっては、ここ数年にわたる以ドの方々
羽山取締役)、大森信土人(日立電線仙台支山副技師長)、山行
ハ
ロ
向
閉
山
(
い R&D
との討論が土台にある。吹川洋一(一応、叶O日
この思考は実は捌稿﹁情械化社会の一大相﹂ (JEZ何者
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川市⋮川削除問山九安代ぷ)
(くろさわ・たかし/往築, 示
L、
なければなるまい。覚情だけはいまからしているのだが・-町。
ずれにしても、これらの立体的な吟味の機会は別に来たさ
拙者﹃集合住宅係論の試みいではこれをとったのだが、い
う兄方もあり刑判る(ただただ土地と株価だけが恭臨附した)。
()ω
∞要。河口代表)、必間晩・般井淳仁(建築家)などの
間総英(税理卜し)、必尽向芯(軍事ジャーナリスト)、以沢州立
(
わ
閉
山
九九八年一バサ所以)から形をとることになった。﹃化水
方々であって、とくに記して謝したい。
に数多いが、間際経済のシンボル化、行本金融当局の続
a
年 の ﹁ 無 作 為 の 非 へ そ し て ア メ リ カ 財 務 行 と ウ ォ l ル総
いわゆるバブルの形成と崩壊とを説いた一一一口説はまこと
*6パブルの形成と崩壊・
,
ォ
ノ 41' 打
V ド外ぷ iでγl
市町佐甘口問、一九八八年初版、九一二年完全版刊。
*4A山山胞(・ポi ル・ケネディ﹃大同の向山(亡﹂鈴木、正税訳、
ブックス、一九九八年問。
* 3 出 品 呉 市 川 降 彦 ﹃ 凝 縮 村 会 を ど う 生 き る か ﹄ NHK
はどう変ったのか﹄ N H K出版、一九九凶作刊。
クス、
*2山山山県・大淵完﹃少子化時代の日本経済﹄ N H Kフッ
における股徒数(⋮九九一一一)にもとづく。
*1山山組(一川町生省人口問題研究所(旧)による
︿
設
﹀
図 -4 生産の段階と主導国(圏)の縫移
特集@これからの住まいの実像と虚像
進税制の緩和や融資金利の低減などが持ち家意識
の高揚につながることはあっても、それは単なる
きっかけであると思う。本来、住宅を建築する動
求に裏づけられたものであるはずだ。たとえば、
すまいのテクノロジ!
家の鮮ー
良い家族であるため、ライフワークにしている趣
﹁誰のために、何のために﹂家を建てるのかとい
アップの願望が内在されている。にもかかわらず、
そこには、家で暮らす家族それぞれのステージ
ため、人との交流を豊かなものにするため:::。
味に没頭するため、老後の充実した生活を楽しむ
子どもの健全な成長を促すため、これからも仲の
機とは、﹁ーしたい、 iあ り た い ﹂ と い う 生 活 欲
だんらんの
ある家は
可能か
う動機よりも、﹁どういう家を建てるのか﹂とい
う形式の検討が先行してしまっているのだ。
住 宅 公 団 が 昭 和 三O年 に 誕 生 し 、 経 済 成 長 期 の
住宅不足を補ってきた。東京オリンピック、﹁所
得倍増計画﹂、日本列島改造論などに代表される
高度経済成長の波に乗って、日本人の生活はアッ
プトレンドの一途をたどってきた。
都市型高級アパートに採り入れられた﹁リビン
先日、テレビのバラエティ番組にゲストとして
いと思いますか?﹂と問い度すというものだった。
えて、﹁それではあなたはどのような人生を送りた
建築家は、回惑しながらも、質問のやり方を変
プレハブ住宅が生まれたのもこの頃で、少なか
きた。
ず 民 間 も 一 緒 に な っ てLDK型の住宅を建設して
住居の基準(?)が生まれる。公団・公社に限ら
グルi ム ﹂ に 人 気 が 集 ま り 、 い わ ゆ るLDKなる
出演していたある建築家と可会者の問のやりとり
私が少なからず共感したのは建築家の立場でも
らず日本人の持ち家志向を煽り、収穫を刈り取っ
.
.
.
.
.﹂
ヵ.
に興味深いものがあった。その建築家が建築主と
建築主の立場でもなく、生活者が家を建てたいと
てきたのだ。生活者は生活水準の向上とともにこ
ぷ仙のための家・何のための家﹄
の初めての打ち合わせに交わす一一一一口葉だ。
思い始める﹁動機﹂が意外と希薄であることだ。
ぞって郊外の分譲住宅を購入し、誰もがそれぞれ
あお
建築家﹁どんな家に住みたいと忠いますか?﹂
住宅は国の政策で保護を受けてきた。住宅取得促
尊
建築主﹁先生、 4LDKの家にしてほしいのです
高
斗
・
n
u
d
販売された首都盟国川辺の約一 000戸をピックア
ったことがある。当時の新聞広告により公募され
のように建て替えられているかの標本採集を行な
昭和四0年 代 半 ば に 開 発 さ れ 分 譲 さ れ た 団 地 が ど
私は四年ほど前に、住宅商品の企画のために、
ようになった。
では市総地化が進み、再建築されたものも目立つ
時間前後のエリアに大規模な団地が形成され、 A7
電鉄系デベロッパ i の仕掛けもあり、都心から一
を﹁中流﹂の生活を享受していると感じていた。
ほしいと、出過ぎたことながら、思いを巡らして
ついて出た建築主に、せめて幸福な家族になって
持って建てるのかよりも先に﹁部屋割り﹂が口を
誰のために、何のために、そしてどのような夢を
すると人の人生の大半を過ごすであろう住宅を、
KL で 表 現 さ れ 、 打 ち 合 わ せ さ れ て い る 。 も し か
へ ﹂ と 転 換 し た 。 そ れ で も 今 な お 住 宅 は ﹁OLD
五0年 代 に 入 っ て 、 日 本 の 住 宅 政 策 は ﹁ 量 か ら 質
屋も部屋の一つとしてカウントされていた。昭和
い﹁部屋割り﹂であって、時には三畳程度の小部
のように使いこなしてきたのだろうか。
れ る こ と に な る 。 そ ん な 家 族 がLDK型住宅をど
なり、また、共働き家庭では﹁カギっ子﹂が生ま
家庭では、あたかも﹁母子家庭﹂のごとき家族に
オーバーな表現かもしれないが、専業主婦のいる
て、﹁父﹂の存在が極めて希薄であったといえる。
に し た 世 帯 で は 、 そ の 家 族 の 形 成 1成長期におい
いわゆる団塊の世代およびその前の世代を中心
れたりしてきたのだ。
ても、多くはその時聞がゴルフ場との柱復に費さ
家と職場を忙しく往復する父親は﹁宮仕え﹂が
しま、つ。
主となり、家(門家族のいる所・生活の基般瓜)はい
つしか従の関係になって、﹁寝るために帰る所﹂
急ぎ家族会員で現地に行き、内容を詳しく確認す
と、売り出しの前日または当日に広告を見て取り
もわかるものの、当時の購入者の行動を想像する
ある。物件概要を注意深く見ると、床面積や構造
ほとんどが、﹁OLDK ・駅からO 分﹂なので
のかを採ろうという担いだった。
ものが建築主のどのような怠志で建て替、えられた
後年数とほぼ一致するケース)、建て替えられた
また翌朝刊十くに、家族と多くの会話もなく出勤し
済成長の過程。夫は家族が寝静まった頃に帰宅し、
の一助にと働きに出たかもしれない。時は高度経
たことだろう。場合によっては妻も、ローン返済
も変化し、会社への帰属意識もいっそう強くなっ
た住宅ロ l ン を 背 宣 う こ と に よ っ て 仕 事 へ の 意 識
て取得したと仮定すると、通勤時前は増加し、ま
ン家族が都心を離れ、郊外のマイホームを苦心し
としても一一一O代 か ら 四O代にかけてのサラリーマ
に変化していったのであろうか。年齢に差はある
LDK型 の 住 ま い を 子 に 入 れ た 家 族 は ど の よ う
は、父親がいる時は父親の占有空間になったり夫
つ れ て 、 空 間 は 偶 人 化 し て く る 。 リ ビ ン グ ルi ム
家族の分業化が進み、協働の場面が減少するに
になってしまったのだと思う。
分業化が生じ、家事・教育は妻の仕事ということ
い母親に相談することが増える。いつしか家庭内
れして話しかけることを路践してしまい、ついつ
レビを観ながらゴロゴロしている。併となく気遅
あってリビングル l ムに下りていくと、父親はテ
まう。子どもがちょっと父親に相談したいことが
の部下や同僚のように叱ったり議論したりしてし
ない人は、時として白分の妻や子を、まるで職場
﹁生活の素顔:::家族の変化と予兆﹂
ップし、観察に行ったものだ。当時は、確か年間
の住宅着工件数が戦後最大を記録した頃だったと
思 う 。 当 初 に 建 築 さ れ た 家 が 二 五 l三O年経過し
る間もなく(あるいは未完成のまま)購入申し込
ていく。休日はウィークデーの疲れをいやすこと
婦の会話の場になり、日常生活では主婦の寛ぎの
と 化 し て し ま う 。 帰 途 に 生 活 モiド の 転 換 が で き
みをした人が多かったろうと思う。
で消費してしまう(当時はまだ週休二日は定着し
場に使用され、子どもだけの時は孤食のための空
(住宅金融公庫利用者の建て替えで既存住宅の築
OLDKは、そもそも住宅の本質をどう表して
ていない)。バブル期に近づき休日が増えたとし
いのは、その当時の募集広告の内災円である。
その結果報告は別の機会として、ここで述べた
いたのだろうか。間取りでも機能でも広さでもな
3
0
.
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50歳以上
東錦由み
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有終主掲
29歳以下
3
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議
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先均十干供
3世 代
その他
15歳以上
4
1
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1
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2
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有際主錦
もが家族の誰にも気付かれることなく自室に間じ
一つの共通点があった。外出から帰ってきた子ど
築された3LDKl4LDKの住宅であったが、
間取り闘を子に入れた。いずれも一定の時期に建
犯罪を引き起こした少年たちの暮らしていた家の
私は﹁生業﹂からの欲求に駆られ、それぞれの
件、栃木の担任教師刺殺事件:::等々。
コンクリート詰め殺人事件、神戸の小学生殺人事
ったことがあったて都内で起きた女子高生暴行
が実家のごく近隣であったため、その家を見に行
少女連続誘拐殺人事件(私はこの事件の犯人の家
場しない日はない。東京の多摩西部を舞台にした
最近、子どもを主役とした犯罪が新聞紙面に登
な家族のシ!ンを学習してしまうだろう。
の場から追いやっているとしたら、子どもはそん
ろうか。夫婦が克ぎたいから、子どもをだんらん
へ行きなさい﹂・::そんな駿をしてこなかっただ
この問答は、子どもが自室を要求しはじめる年
新築した住宅に入居して満一年を経、民制した家族
(
表iia、 b)
開に用途変換していた様子が目に浮かんでくる。
齢に合致している。つまり、思春期を迎えプライ
¥0299
に新しい住まいにおける生活行動を尋ねる調査を、
0
1
8
9
リビングル l ムは家族それぞれの居間(居る間)
¥
0 50
バシー欲求が高まる年齢に合わせて子ども部屋を
二
ミサワホl ム総合研究所で毎年実施している。そ
.
,38
であって、だんらんの場としては機能していなか
.
¥
0
2
5
0
与えることが、適切な(殺の)判断といえる。
5 8
9
のなかで、子どもとパブリックスペースについて
.
1
0
0
の項目がある。﹁子どもは子ども部屋より居間で
1
Nニ 5
ったのではないだろうか。時代を重ね合わせると、
N
=5
7
45-49議
経済成長の渦中に生まれたLDKというスタイル
.
1
4
その年齢未満では、子どもにとって自分の行動
二
遊ぶ﹂という家庭が四八・九%であった。これを
お.
.
]
3
8
の部屋割りでは家紋だんらんは促進されなかった。
80%
100~i
や学業を見守り、また評価してほしいという心理
表 -1b 子どもがダイニングやリビングで勉強
年齢で分けると、末子年齢一四歳以下の泣借は七
3
8
むしろ促進されたのは住空間の相室化(孤室化)
.
1自9
が見えてくる。ところが、来たして親はそんな子
8
9
一一・五%と、一五歳以上のニ0・0%を大きく上
0
'
0
'
であった。
29歳以下
5
1
どもの心が見えているだろうか。子どむの信号に
.
1
0
0
回る。同様に﹁子どもはダイニングやリビングで
ご
私がここで述べたいのは、個室傾向に向かった
N 5
7
ども部屋が出来たのだから、さっさと自分の部原
之
気付かずに、﹁せっかくマイホームを建てて、子
om
勉強﹂は総数がニ九・O%となったが、米子年齢
5ζ].]
住宅のことではなく、そういう住空間をうまく学
羽
6mi
40~;
2
0
%
。
%
80%
60%
40%
2
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¥
.
1
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1
4
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.
1
専業主絡
塁審の機重量
.
1
3
5
いる
60
歳以上
ーム
いない
の家族
,
,
14歳以下
来子年齢
4
0
.
.
.
.
.
4
4議
50歳以上
家族檎成
x
-50
いる
の家族
0
'
総数
総 数
総主年齢
,
,
専案主熔
霊きの躍器禁
15歳以上
60
歳以上
,
14歳以下
末子年齢
,
,
去妨+子供
家族綴成
1
OO~.
一四歳以下では五0・一二%と半数を超えている。
ト
E
4
0
.
.
.
.
.
.
.
4
4設
主
総数
総 数
施主年齢
「而瓦工扇l.'l.'ぇ白該当せず、その他 1
習できなかった家族のことなのである。
表 -1a 子どもは子ども部屋より居間で遊ぶ
果だと思う。
気付かなかったと話しているが、それは当然の結
れぞれの事件の渦中で、家族は少年の犯行に全く
こもることができる楠造になっていることだ。そ
ても影響力を及ぼすことができるのだ。
私たちは住まい(生活環境)については、少なく
って引き起こされた結果だと忠うからだ。しかし、
境・生活習慣・外部からの刺激などが掛け算とな
とを述べるつもりはない。少年犯罪は、生活環
をすることにした!﹂の場面にあった、﹁何を今
父 さ ん は 今 日 か ら お 前 た ち (子ども) ともっと話
ビC Fで 、 父 親 ( 長 塚 京 三 が 演 じ て い た ) の ﹁ お
ムや家庭の鍋料理ブームがある。政府広報のテレ
増 し つ つ あ る 。 そ の 延 長 線 上 に 自 動 車 のR Vブー
L
を机にして勉強していた。両親のケンカも子ども
門家族が食事をし寝む部屋の片すみに置かれた茶箱
小さな家だった。もちろん自分の部屋など無く、
減るのに反比例して可処分時間が増加してきた。
ちが家に帰ってくるようになった。可処分所得が
残業もなく、社費で飲むこともなくなった父親た
ことがある。バブルの崩壊後、リストラが進展し、
家の構造は、人を幸福にも、また不幸にもする
か ら 、 も う 慨 に ﹁LDKL で 育 っ て き た 人 へ 移 行
思い始めた生活者が、﹁茶の間﹂で育ってきた人
られるわけがない。その理由は、家を建てたいと
うな家をつくっていたのでは、生活者の共感は得
さ ら ﹂ と い う 家 族 の 冷 め た シl ンが連想されるよ
私 が 少 年 時 代 を 過 ご し た 米は一 O坪に満たない
の泣き声も一緒になった生活があたりま、えで、必
やす
然的に家庭内では隠し事などなかった。友だちの
しつつあるからだ。 LDKを 学 習 し 、 次 の ス テl
家(
族会
と話
の
・
シ食
ン﹀
ク
ロ
今さらのように、﹁本気で家族する﹃家族﹄﹂が急
なごみ・くつろぎ
誰もが采っていた一 O段 変 速 の 自 転 車 を 買 っ て も
らいたくても、家の経済状態がよく見えるだけに
口にも出せず我捜した。いわゆる﹁茶の間﹂の生
活は、家族に強い一体感があったのだ。物質的に
豊かな社会では、必ずといってよいほど精神面の
豊かさが欠乏してくる。
自然によりいやされる
以前、東京大田区で小学校の教師をしながら教
自分磨き
(没頭・集中〕
育技術の改革を進めている先生たちと議論したこ
とがある。学校には、イジメる子、イジメられる
子、それを鍔観する子、仲裁に入る子がいる。仲
裁に人る子は父親との併が強く、父親と一緒に遊
ぶ機会が多いそうだ。かつてどこでも見受けられ
た 父 子 の キ ャ ッ チ ボ ー ル シi ンは、 Aーでは見つけ
ることが照難になってしまった。東京の児童公園
の九二%がキャッチボール禁止になっているそう
だから、父親たちは他の方法で子どもとの﹁無言
﹁昔は良かった﹂型の懐古的なこ
E プラスソーニングによる家族の新しい関係
図
のコミュニケi ション﹂を取るしかなさそうだ。
私は決して、
図… 1 これからの家族のための空間パラダイム
なくてはならない時代がやって来たのだ。
ジを模索する生活者に新しい価値を提供していか
の意識を先限りして、 い く つ か の モ デ ル を 示 し て
に、八つのライフステージ分類・一一八のライフバ
人
J
J-
。
リューに分けて住宅商品を開発していこうという
1土 、
いくことが大切である。
二 年 ほ ど 前 に 、 広 告 代 理 応 の 優 秀 な マ l ケッタ
行なったことがある。新聞山や雑誌、インタビュー
たちが集まり、共同で生活者の生活価値観分析を
イ フ ス テ ー ジ ( た と え ば 三O歳 代 ) を 分 解 し て み
とが困難であるということだった。仮に一つのラ
従米の住宅では生活者の欲求をバランスさせるこ
その過程で改めて思い知らされたことは、もう
相似し
な ど を 含 め 約 一 六 万 点 に 及 ぶ コ ピi や ビ ジ ュ ア ル
て も 、 家 族 の イ メi ジ は 数 多 く の パ リ エ i ション
ーを中心に各種業界で荷品企画を担当している人
マーケティングをしながら住宅を販売し、販売
を抽出し、一 O代 か ら 五O代にわたって世代別・
﹁だんらんレイアウトの手法
:::未だ見ぬ欲求 L
をしながらマ i ケ テ ィ ン グ を す る 。 常 に ﹁ 家 族 の
性別にそれを分類し、分析してみた。それをさら
が 表 れ て く る 。 仲 良 く 密 着 感 の あ る 家 族 、 縛 り A口
モデルを一示しながら共感を確かめる﹂ことが私の
仕事だと思っている。生活者(住宅の購入予定者)
は、建築計闘を打ち合わせる際に﹁だんらん﹂と
いう言葉を使わない。だんらんというのはそれほ
│階
どまでに漠然としたものだ。だからこそ、生活者
函 -3 家族だんらんモデル住宅
別々のスケジュールで生活しながら休日はいつも
りながらも各々のライフワークを重視する家族、
わない適度な関係を望む家族、密着した関係にあ
だと思う。また、だんらんの場面では必ずしも会
い::というパタ!ンを防止していく工犬が必要
もと会話をしていないから父親は二階へは行かな
う。これからは、妻として、母として、
がうまく共存していることが基本だと思
と、一人で充実した時間を過ごせる場と
閲O代 一 快 適 に 生 活 す る た め に は 、 背 で 楽 し む 場
居間では父親が新開を広げ、子どもはテレビ番
が見たい﹂だった。バブル後の不況期を経験し、
話が鉱山くても、家族の意志や感情が自然に伝達さ
も私はいくつかの家族だんらんモデルを企画開発
組に夢中になり、母親はパソコンで趣味仲間とE
日本人は見える生活財に対しては消費欲求を無く
一緒の DEWKS家族:::。彼らが求める家族の
するにあたり、一つの概念を提案している(ね頁
メl ル を 交 換 す る 。 言 葉 は 交 わ さ れ て い な く て も
してしまったのかもしれない。先行き不安感があ
女性として、イキイキとしていたい。
、2)。家族の関係性とだんらんの場を印刷み立
自然と家族が集まってくる。﹁お互いの生き方を
れることが大切だと思う。
図
認め合えるから一緒にいられる﹂::ベタベタし
るから﹁その先﹂の生活を見せてほしいというこ
一体感とだんらんのシ i ン は 全 て 異 な る 。 そ れ で
て て い く 際 に ﹁ 三 つ のC﹂ を バ ラ ン ス さ せ る 考 え
な い 、 縛 り 合 わ な い 大 人 な 関 係 ( コ ラ ボ レ l シヨ
とだろう。家族の﹁その先﹂を見せてくれたモノ
三つの Cとは
コラボレ l ションの頭文字を指す。
m
小 説 ﹃ リ ン グ ﹄ ﹃ ら せ ん ﹄﹁ル lプ ﹄ の 三 部 作
九八年の消費のキーワードは、﹁見えないもの
方だ。
ンのだんらんイメージ)をつくる空間が欠かせな
に価値を認め、購買意欲を感じるという意味か。
j│
トレ l ション、
い要件だと思う。そしてこの一二つのCを 家 族 ス タ
コンセン
コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン は 家 族 の 関 係 性 ( リ レi シヨ
イル(仮想の)に応じてバランスさせるのだ。
コミュニケーション、
ン)を、主として会話を通じ促進させる考、ぇ方。
の作者・鈴木光可氏の自著のなかに、三部作のテ
ある。主人公の再生復活、家族を救うために父親
昨春、そんな考え方に基づいて開発された住宅
商品(図
が自分の生命を犠牲にするというストーリーを通
コンセントレi シ ョ ン と は 、 家 族 が そ れ ぞ れ 一 人
全国の主要都市から五つの市を選ぴ、居住者(住
じ て 、 家 族 の 鮮 と は 古 く て 新 し い テi マであると
ーマは、実は﹁川家族の幹﹂であったという記述が
に一民り没頭したいことに専念するシi ンを表す。
宅の滞在需要者)に調査を行なった。その結果、
事。刑判荘、営業金副部木賀会同課長。
式会松入社。住宅版先の日校時山を引かし、マー
ケティング・住宅向日山ふ北川・山肌 1U力 開 発 に 従
明治大学政治経済伝部卒業。ミサワホ!ム株
小出尊/こたか・たかし
グ﹂へ移っても、﹁茶の間﹂に一民ることはない。
んらんのイメージは、﹁茶の間﹂から﹁リビン
はスパイラル(らせん)状に進化するものだ。だ
時代の動きは決して元の所へは戻らない。それ
いう思いを強く感じた。
O代 一 母 親 が 常 に 子 ど も と 殺 し て い ら れ る 環 境
な工夫がある家がよい。
ニO代一いつでも目家族を実感していられる、そん
とがわかり、生活者の共感を予感できた。
3) の 市 場 ポ テ ン シ ャ ル を 探 る た め 、
コラボレ i シ ョ ン と は 非 言 語 を 前 提 に し た 協 働 の
年代別に次のような生活イメージを持っているこ
か つ て 、 ﹁L D K﹂ 以 前 の 住 宅 で は 、 家 の 核 に
場面を表している。
なっていたのは﹁茶の出﹂であり、共有空間が優
先 さ れ プ ラ イ バ シi は 完 全 に は 保 証 さ れ て い な か
った。また、 L D K型 住 宅 で は 、 個 室 の 関 数 が 優
先 さ れ 、 家 族 の プ ラ イ バ シi の充実が求められた。
これから大切なことは、居心地のよさ(快適であ
リビングの役割もただ広いことではなく、
は、子どもの教育上絶対に必要。だから
ないこと。たとえば、リビングにはうるさいオヤ
家族が白然に交流できる構造を持つよう
一
ジがソファでふんぞり返っているから子どもたち
設計されているとよい。
ること)が居間、子ども部屋というように九寄ら
は自室に閉じ込もってしまったり、 し ば ら く 子 ど
特集⑧これからの住まいの実像と虚像
私のすまいろん
コミュニティに
らす
,
九
W
4
れ出した。同時に、時代は少子高齢化、情報化、
新しい枇紀を自の前にして、多様な諜題が露呈
量的なものを追いかけてきた人びとは、今、次の
足元は大きく揺れている。お金、モノ、時間、と
成熟化の進展が凄まじく、一人ひとりの暮らしの
し始めた。国や企業などに依存してきた価値観が、
生活者が、 こ れ か ら 新 し く 求 め て い き た い
目標を設定し直そうとしている。
主体的に生きる、などの一言葉が頗繁に使わ
もはや通用しないことに気付かされ、自立、自己
ヨードト/ム十 L
A
4
3
1、戸いし、
ン [)
住人たちの暮らしをサポートする共用スペースのイメージ(サンセ
と
l l個人と共有空間を繋ぐ
信子
登
プロローグ
j
翠
考える生活イメージのキーワードは、楽しい、美
しい、面白い、親しい、自由、龍康、人との繋が
り、参加(ネットワーク)、実感、こだわり、行
動、等身大、土、水、光、風、植物:::と多種多
いことに留意したい。
様であるが、どれも、量的な価値観を求めていな
人びとの意識が変われば、当然、暮らしの器で
ある住まいの内容も変わってくる。
個人を単位とする成熟社会
核家族が、標準家庭の単位であった時代は終わ
りつつある。長寿と少子化の社会趨勢にともない、
子育てが終わった後に夫婦だけで過ごす時聞が長
くなり、単身者で過ごす人も含めて、核家族より
もさらに少ない少人数家庭が増加している。住宅
内部では、部屋割りも個室化しただけでなく、携
帯電話やパソコンといった個人生活に重点が置か
れた生活道具が増えて、個の文化が都市生活の
隅々にまで浸透しはじめた。
家族が多い家庭でも、食事なども別々にと割り
切り、各自のライフスタイルを尊重した、という
よりも各自バラバラに、と表現したくなる生活形
の女性たちは、子にした自分時間を有効に使うた
態が多くなっている。とりわけ、子育て後の都市
めにどん欲である。さまざまな習い事、ボランテ
ィアやビジネスへの参加、と家族離れを楽しんで
いる。彼女たちの意識のなかでは、夫は生活共同
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家族構成の多様化
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~従来の標準家族
(犬中高年シングんう
恒干三b
年齢
三和総合研究所資料をもとに作成
1:子が巣、1ったあとの:と布!iJ
t告
*2:W賠 l
;ilJーの二と品。とそれぞれの子どもによって椛成
ぉ3 夫、来、 fどもがそれぞれのけ がjのために )
]
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i~~もある)
(rコミュ - y - 7リ ソ ジ J という I'
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曲1
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:I!';PJ の大きさは 1\I~,:g: 数を JX:II央したものではない
に安心感をもたらしていて、 そ の こ と が 最 も 重 要
省吾コ G主主B 也目当J~豆コ
なのだ。
G盃証コ
られては日常生活が送れない。しかし、ほんの少
何亘三~
包
まな板どころか、食器類さ、ぇ子元になくて
I
¥¥_........-....._-....ーィイ
家庭に必要なのは、機能ではなく、家族の存在
5
0
て
4口
一人暮らしの若者たちさえも、病気の折や、多
一一一一一一一一一つ
閃\............-ー\_.........ー---~
響は与、えないものである。問題は、人の孤立化で
70
1'一一一一一一一一一一一一一
忙の時には、知恵や子を貸してくれる人が近くに
〆目知
(%)
ある。家庭では、他の人の存在そのものが、互い
n
表
老後を子どもに殺るか
者としての位龍村けでしかなく、家を継いでいく
]
[.
1
6
も不自由しない。昼夜オープンしているコンビニ
最回答
意志はきわめて弱い。今、家庭の求心力は急速に
0
5
.
山里でも、都会でも、孤立化してひっそりと暮
日1
2
エンスストアは、我が家のキッチンの一部とさえ
その他
弱まっている。
0
4
.1
らす人が増えてきて、問題である。高齢者、障害
抵下しているい
酬もない仁]7.
8
いってもいい。現代都市には、驚くほど多様な機
家
庭l
こ封しては
向時的い
時代の変化は女性に止まらず、サラリーマンの
3
,
1
者、子育て中の母親、外国人、そして、幼い子ど
3
,
0U j抑制吉信用が寄られる社会的現面仁J
4
,
9
能が商業施設のなかに整えられ、今日の暮らしを
二
二
コ1
.
1
9
支えている。
1
5,
6
し一一一---J翠計が安定するというまE
清的自面
4
,
8
家庭そのものをも変化させ、家族形態は多様な進
B常生活上世喪主ことをする軍事E
化を見せている。
,
もたち:・:。この人たちは、他人と関係が断ち切
1
4
.
5仁二二二コ
2
65
しの手助けや、折に触れて気にかけてくれる人が
5
3
2
L
一一一一一一一」心の安らぎを悟るという情緒茜
なのであるから、家庭機能の外在化そのものは、
]2
6,5
孤立化する人びと
1
,
5
U親の世話をするという介護面
いることで、元気に暮らせる人たちである。
1
4,9
本質的に、家族のあり方には思いのほか大きな影
最も低下
8
,
0
し一一」子を生み育てるという出産・嘉曹面
個人を単位とする暮らし方は、家庭の生活機能
最も期待
をなおいっそう外在化するようになった。今や、
1 家庭に対して最も求める役割・最も低下している役割
表
いて欲しいと思うに違いない。高齢期の課題は、健
F
また、子育てがピi ク だ っ た り 、 介 護 を 任 さ れ
康 と 孤 独 か ら の 脱 却 で あ る 、 と 高 齢 者 自 一身が語る。
ている女性たちは、血縁より地縁を大事に考え始
めて、各々が自分たちのネットワークを形成する
ようになった。
自然との踊離
自然の一部である私たちには欠かせない土、水、
植物、太陽は、都市生活者にとっては、お金を払
に入居が始まってから、もう丸一年になる。
その試みは、①質の高い個人生活の確保、②各
種のサポート機能を持つ共有空間の充実、③互い
の助け合いによる生活支援システムの設営、の三
つである。
このマンショの住民は、元気なお年寄り、ひと
まち・すまい! 1
9
9
7
'1
'
討
。5
8
l
J必
H
!
.典 /Wt.長J
i
r
l
i終備公卜J
t 手f
り暮らしの若者、共働きしながら子育て中の夫婦、
外国人たち、と多彩である。このコミュニティに
は、多世代にわたる人びとが、緩やかに繋がって、
少しだけ互いに気配りし合えるための仕組 Wけが用
意されている。私はアドバイザーとして、マスタ
ープランと住戸プランが出来上がった頃から、企
画に関わってきた。
このプロジェクトの思想は、施工会社、建築家、
管理会社、そして、地主たちの、団塊佐代の男性
たちの反省から生まれた、と開く。彼らは子ども
時代に、空地で思いきり遊ぶことができた、とい
子どもたちは:::?の何気ない諮らいがきっかけ
う子ども社会の楽しい思い出があるけれど、今の
となったらしい。
住環境が子どもたちに与える影響は・・・・・・?
私が、その会議で気になったことは、運営規則
鳴して、参加させていただいた。
ったけれど、自的の正しさと、前向きの姿勢に共
ようとしていた時期だった。いくつかの不満はあ
あり、入居者の募集や、運営システムを組み立て
私に戸がかかったのは、建築が始まった時期で
った。当然、余分な費用もかさむことになった。
にも時間がかかったりして、試行錯誤の連続であ
ェクトは、国内外の動向を学習したり、社内説得
よしとして消化されてきた。しかし、このプロジ
管理まで、会ての工程はシステム化され、迅速を
通常の集合住宅の場合は、企画から紋売、入居、
ったのである。
い る 、 と い う 認 識 が 、 プ ロ ジ ェ ク ト の チi ムにあ
の問題は、住宅を供給する側のあり方が関われて
、
って手に入れなければならない賀沢品になってし
まった。暮らしの便利さだけを追求して、自然の
盟かさをないがしろにしたために、住環境は急速
に悪化してきた。
身の回りを見渡しても、住建材や衣瓶、それに
食べ物さえも、体に有害な化学物質で満たされて
58%
ら れ た 賃 貸 マ ン シ ョ ン ( ハ lト フ ル ハ ウ ス ・ サ ン
何かがあると感じる
あるので、人工物に囲まれていてはストレスをた
その他 4%
セゾン I) が 話 題 を 呼 ん で い る 。 一 九 九 八 年 一 月
これからの時代、我々が求めるのは、便利さと
自然のどちらかではなく、両方をバランスよく味
わうことなのであるが:::。
ハートフルハウス・サンセゾンI
コミュニティの暮らし
事例l
東京の北区・赤羽に、一二つの新しい試みで建て
」
ー
ー
隣近所の人と支え合って暮らしていると
感じたことはありますか
支え合っていると感じるのは
どんな時ですか
めやすいのである。
いるのが実情である。我らの肉体は自然の産物で
A
表
図-1 住人たちの暮らしをサポートするコミュニティスペースを有する共同住宅(サンセソンI)
地階コミュニティースペース
スペース
-子供向士、大人と子供のコミュニケーショ
・7リーン&エチケットにより、家族や隣人
ンの場b
-共同保育、学重量スペース 0
.託児コーナー。
ス、リフレッシュを毘師こ幸四する。
・島幸妻、将棋、茶道、薬道等の{云細甘な藤滋
娯楽に。
・3
主を中心とした多目的な交流スペース。
.コミュニティーディナーの供給。
0
食堂・集会室・厨房
和室
・
5
長翻寺のJ;t
4
釘
望
号
、
'
i
I
i
D
白
室
・3
薬会室、シネマルーム。
ンドリ一等の多罰的ルーム。
報誌の共同所有。
・家族みんなで入れる大きいお風呂。
とのコミュニケーション、心身のリラック
ーショシスペース。
-入居者により企商、運営される工作さ室、ラ
・百科泰典やiI!I
i
司
j
誌、憐
ど
。
・警斎やワーキングスペ
・パーティー、ホビー、談話等のコミュニケ
フリースペース
ースに。
-智瀧冥を使つての共同諒里、料怒教室な
・慶弔害事。
図言書室E
キッズルーム
浴室
1階コミュニティ
・子供の水遊び。
玄濁ホール
・居住者同士や来訪者と
の歓談の場。
・インフォメーションコ
ーナー。
が厳しくて、女性たちの日常生市が窮屈になりす
ぎたり、負担が大きくなりそうなことであった。
その時、まさに、家庭と地域社会のことを女性に
任せっきりの男性たちの姿が垣間見られた。
サンセゾン I の 共 有 施 設 の う ち 、 最 も 利 用 さ れ
ているのは、浴室である。男女別々の大きな浴槽
にサウナも用意されている。有料(一人一 O O円)
であるが、朝六時から夜一二時まで利用できるの
で、毎日、温泉気分に浸れるので好評である。男
性たちは、裸の付き合いから、食堂に移動して一
杯となる。主婦にとっては、自宅の浴室を掃除す
る手間が省け、さらにガス代の倹約にもなる。お
年寄りは、昼間川から賛沢気分に浸ることができる。
若者は、友達を誘って:::、とコミュニティの中
心になりつつある。自宅の浴室は、倉庫化してい
づ
令
。
共 有 の 食 堂 も あ る 。 朝 食 三 五O 円 、 夕 食 六 五O
円から用意されていて、多目的に利用できるよう
に、テレビやソファなども用意されている。厨一房
は業務用の設備がなされ、一 O O食 ま で 賄 う こ と
ができる。両親が共働きの子どもも、顔見知りの
隣人たちに掴まれながら、お殺のすいた時にいつ
でも食べられるので喜んでいる。働く母親も、夕
食の心配が軽減されるので、安心して働けるよう
になった。この食堂はお年寄りに人気があるだけ
でなく、単身赴任の中年男性も﹁食生活に気を配
る必要がなく、しかも安上がりです﹂と好意をも
って語ってくれた。
υ
3
4
・
吋
ハ
図書室兼学習室では、週刊誌や雑誌が定期的に
購入されているが、住人の協力があって、本の寄
まえに挨拶が交わされて、建物内から、柔らかな
イフは山村と都会の両方で暮らすことを、提案し
教え合っている。住民の知り合いが上京の折には、
は、無料になっていて、囲碁、将棋や習字などを
和室も用意されている。住民同士が利用する際
子どもたちが夜遅くまで勉強している。
料であることもあって、試験シーズンには学生や
人たちがほとんどで、時間が経つにつれて、この
動機は、今までの共同住宅に物足りなさを感じた
変わってくると思われる。サンセゾンーへの入印刷
止まっているけれど、この割合は、数年のうちに
残りの人たちは、従来の賃貸住宅の利用の仕方に
ている人ぴとは、今のところ約半数くらいである。
に使える空間が確保できれば、次の新たな人生を
を持てない人が多い。もし、彼らが、自分の自由
としてしか把擦できないので、その関わり方の術
性たちは、家庭やコミュニティは閉ざされた空間
いと聞く。産業社会のみで過ごしてきた多くの男
傍然として、街を目的もなくさまよい歩く人が多
かに自分の身の置きどころが無いことに気付いて、
には、自由時間を子に入れたものの、住まいのな
定年などで、仕事からリタイアした男性のなか
ている。
宿泊施設としても、一泊千円で利用可能である。
建物のコンセプトの個室と共有の関係が理解され
しかし、このような共有施設を積極的に利用し
雰悶気が自然に醸し出されている。
また、個人で、趣味の教室など聞くことができる
るであろう。
贈は半年間で千冊になったそうである。利用は無
が、その場合は有料となる。
業スペ i ス と し て 用 意 さ れ た の だ が 、 今 の と こ ろ
から解放され、非常に元気であり、人ぴとに見守
も高く、同世代だけの施設で感じる孤立化の悩み
たとえば、入居している老人の場合は、自立度
はずである。都市に暮らす中高年男性の悩みは深
時間を自分用に使うためにも、自分空間が欲しい
ない。家族の稼ぎ頭から解放された時こそ、自分
送る力を発酵させるために大きな力となるに違い
フリi ス ペ ー ス は 、 日 曜 大 工 な ど の ハ ー ド な 作
使用頻度は少ないようだ。
られた暮らしが実現できた彼らには、終の住処と
キッズル i ム と は 有 料 の 保 育 室 で あ る 。 専 門 の
しむことができる。そして、これらがきっかけと
れ て い る 。 土 、 日 の キ ッ ズ ルl ム で は 、 卓 球 を 楽
労もなく、効率的に時間が使える、と親には喜ば
る。住戸と同じ建物内にあるので送り迎えの気苦
生活のさまざまな問題が持ち込まれるなかで、上
存在も大きいと忠われる。その管現入には、日常
呼ばれている管理人と、受け皿である管現会社の
いる理由の一つに、ライフ・コーディネータ!と
サンセゾン I が 快 適 な コ ミ ュ ニ テ ィ を 形 成 し て
つ山村では、いわゆるよそものを受け入れる体制
る仲間を欲している。しかし、保守的な考えを持
会の形成のために、ルム(に考え、共に行動してくれ
農林業を復興させることも含めて、自主型地域社
の道は、検しい状況にある。今、山村の人たちは、
一方、若者が去ってしまった山村社会の活性化
ILV
なり、卓球クラブとテニスクラブが誕生している。
手な人間関係を組み立てられる知恵と、分け隔で
が、今まで備わっていなかったことも現実なので
考えている人が多い。
現在は、住民が自主的に、コミュニティをつく
なく誰とも接することのできる円満な性絡が求め
ふめづ心。
保母さんが朝七時から夜十時まで託児を受けてい
り 始 め た 。 ビ デ オ テ ー プ の コ レ ク タi で あ る お 年
られている。
そこでこのネットワークでは、セカンドライフ
寄 り が テ jプ の レ ン タ ル を 申 し 出 た り 、 昔 、 華 道
を教えていた八四歳のおばあさんは、毎週、共有
くれないだろうか、と考えている。都会でリタイ
を送ろうとしている男性たちの舞台を、山村につ
山村と都会の新しい関係を考、える︿MORI-
アした人たちには、永年にわたって培われたさま
事例2 等身大の自分空間を確保する
その玄関ホールの伝言板には絶えずインフォメー
MORIネットワi ク ﹀ で は 、 熟 年 の セ カ ン ド ラ
の食堂や玄関ホl ルに、花を自発的に活けている。
エレベーターの中でも、あたり
ションがなされ、
くってもらうのだ。
で、セカンドライフの基地としての自分空間をつ
垢の間伐材などの地元の木材を使って、子づくり
元の人とのコミュニケーションが図れたり、経済
しなくてはならないが、かえってそのことで、地
ない。したがって、そのほかの生活機能は外在化
この空間は、住むための最小限の広さと機能しか
一人ひとりが自分の生き方、暮らし方を考えなく
人残した親を心配している仲間などが多くなり、
む友人や、老後寂しく暮らす先輩の姿、田舎に一
で は な か っ た 。 思 わ ぬ 不 況 に な っ て ロ l ンに苦し
ていれば老後は安心と思っていたが、実際はそう
らずいぶんと久しい。資産として不動産を所有し
山村には、白然盟かで余剰の土地が多く残され
活動に寄与できるきっかけになるのでは、と考え
てはならなくなった。同時に住まい方もさまざま
山市姉、別 壮
H 、隠れ家などとして最適である。
ている。都会の人は、その土地を安く借りて、そ
ている。
ざまな専門技術がある。その彼らに、小型の、無
の地域の多様なワi ク ス タ イ ル を 発 揮 で き る コ ミ
大のノウハウなど、実務的な専門知識が地方で活
たとえば、商品の開発や研究、販売の技術や拡
は、自然の小と、都会のなかと、双方に棲む賀沢
会では家族との暮らしに力を入れる。男性たちに
合う。山村の暮らしでは自分のみにこだわり、都
たれ、自然と地域社会には自分のスタンスでつき
釣や農業に熱中してもいい。組織人間から解き放
を組み立てていけるような弾力性が、これからの
多種多様な生活資源の中から、選ぴ、自分の空間
私は考える。住まい方を決定する際も、各自が、
主体的につくることのできる社会のことであると
な選択肢のなかから、白分のサイズに合った答を
成熟社会とは、我々が何か決定する時に、多様
な解答が必要になる。
かされる。
を味わって欲しい。この住まいは、自然素材を活
自然豊かな土地で、自分時間を自ら支配して、
現在計幽中の自分空間は、六回目の広さしかない
社会に期待されている。
ュニティワi ヵ ー と し て 、 働 く 場 を 築 き 上 げ て い
が、三畳程度の屋根裏部屋と、ミニキッチン、ト
用しながら安価(二百万円以下の予定)に抑えら
ノ¥
イレ・シャワー室だけの、住むためのシンプルな
産業のなかの住まいの供給側は、企業の論理に
れ、すでに、設計段階を終、えて、モデル事業とし
の発想により、行動を起こし、それ以後は、自分
このプロジェクトのポイントは、最初は等身大
体的に自身の住まい方に提案する気持ちを持つこ
ると同時に、生活者自身も、受け身ではなく、主
る。その提供側に、もっと豊かな多様性を期待す
従って、専門の情報やモノを提供しているのであ
で確認しながら、自分空間の発展を⋮可能にしたこ
と KMH
な ど : 。 汗 tHにぷ品、えてきた安心行
会 L ゲイン刊、ほか。立教大山'
絞液中郎卒業。
f
鞠ライフカルチャーセンター代衣取締役、川削
アi パンハウジング興事。
相会、仙山川名と技術者、住民とれ治体、間力川口
の剣山を目指す。都市と浜村、パー活者と 版
-J業
を組み立てす仰し、区いにシェアし八日える社会
生活折の悦点で、企業活動、行政との関わリ
AH
い庁をブロデュ leス す る 。 分 断 さ れ た 関 係
叩体液伝T /さ わ の ぼ り ・ の ぶ こ
ソl シャル 7 ケテインク・プロデューサー。
とが大事だと思う。
のである。
住まいが
生活財というより経済則的になってか
ぞれが開放的でゆるやかな関係を重要視している
て、各々が持っている知的資源を持ち寄り、それ
り、小型であるために、人との繋がりを大事にし
ていることである。従来の別荘のあり方とは異な
らの要求をも柔軟に受け入れていく関係を想定し
とである。さらに、もう一つのポイントは、他か
て、スタートしている。
空間である。個人の好みにより、工一版、書斎、茶
写真一 1 山村の自分雲閣の模型写真
賃貸集合住宅によるパラドックス
住宅供給の画一化への反動として、 新しい住スタイルが爆発的に発生する可能性がある。 賃貸住宅にいまそのきざしが。
者は瞬く間に決まっていった。同時に建築雑誌に掲載され、そののち、 T V
海が見えるなど、話題になる要素があったため、問い合わせが相次ぎ、入府
メゾネット、中庭、収納致、風通しの良さ、トッ。フライト、五 mの天井市、
タイミングよく、完成時に住宅情報誌に記事として紹介された。屋上底閥、
小 さ な 不 動 産 管 理 会 社 の パ iト ナ ! と し て 協 力 し な が ら 進 め て き た 。 順 次 、
画、資金計両、設計監理、募集計断、入居後まで、個人のオーナーに対して、
最近、小さな賃貸集合住宅を設計する機会が重なった。余画から、収支計
居 住 者 の セ グ メ ン テi シ ョ ン 、 プ ラ ン ニ ン グ 、 材 料 、 設 備 の 選 択 ま で 、 賃 貸
としての建築のあり方を徹底して追求したことである。公的資金の選択から、
れており、それをひたすら研究した記憶がある。そのときゃったのは、商品
は、別組織名称でつくっていた。そのなかに意外とモダニズムの粋が込めら
しかし、建築家の位界からは見捨てられた領域であった。ある高名な建築家
ベロッパ i の目にとまり、賃貸集合住宅の仕事をやり始めるようになった。
からは一線を耐し、合理的な空間性を住宅に求めた。そのへんが小さなディ
セ。フチュアルなものを求め、当時話題を集めつつあったポストモダンの風潮
谷内田 章夫
や新問、雑誌など一般的なマスメディアからもかなりの杵数の取材を受けた。
し、和室をなくしたり、今では分譲の一般的な高品となっているものである。
玄関から各住戸への導入のしかた、生活'呉を消すため内外装とも白色に統一
取材の過程で、居住者とのコミュニケーションも生まれ、取材者との対話に
当時、それなりに練ってつくられたものだから、一五年以上たった今でも、
集合住宅のマ i ケ テ ィ ン グ と し て 硲 品 の プ ロ グ ラ ム を つ く っ て い っ た 。 集 合
よって、自分なりに状況に対しての見解がまとまってきた。そこで言、えるの
商品性が損なわれることなく、現在も傾調に張倒している。集合住宅は少し
予測を越える反応があった。建築として特別なことをやったわけではないが、
は、今まで一般的に考えられてきたこととは異なった方向性があることであ
ずつやったが、それほど設計の機会は増えなかった。その後、飲食応など商
建築家の設計した投資集合住宅は、関心が集まっている領域のようである。
る。ある種の期待感がまざったものかもしれないが。
業施設も設計した。この領域も建築家の世界からは不可侵の提があるような
領域であった。これも商品のあり方を、自分たちの視点によるマーケティン
かれ
‘
これまでに小規模な集合住宅はいくつか設計してきた。子ども時代の長屋
グで見庶した。これもある程度読みが当たり、商業ビルの仕事も並行して行
なった。
(社宅)暮らしから、自身の建築に対するリアリティは集合住宅にあった。
大学院を出てすぐに、仲間と設計事務所をやり始め、住宅を中心としてコン
である。賃貸住宅の卒業としての環境はよくなってきた。そこで、それまで
も若干見られたが、土地価格やオフィス卒業などから比べれば横ばいの状態
建設コストが下がり、公的資金の枠が広がり、金利が下がった。家賃の低下
な事業となっていった。しかし、バブルが崩壊してから風向きが変わった。
としては成立しにくい環境となり、首都圏では、税金対策でしかない不健全
そうしたなかで、賃貸集八日住宅は建設コストの上外と金利の関係からお業
は居住者と直にコミュニケートでさることもあり、その後の設計にフィード
わ り ゃ す い 。 一 種 の モ ニ タi に よ る 社 会 調 査 の 機 能 が 内 蔵 さ れ て い る 。 時 に
なる分譲とは異なり、管理者側を通じて、居住後の反応がヴィヴィッドに伝
るときはもうすでにきている。また、賃貸住宅は、入居後、不可侵の領域に
あり、幅広いニ l ズ に 応 え る 競 争 力 の あ る も の で な け れ ば 、 貸 り 子 が な く な
くればよいという時代は、もうとっくに終わり、間住者も多様化し、魅力が
日を見つけ、何らかの働きかけができる領域となるのではないか。何でもつ
バックができるメディアとなりうる。また、建て替え期を迎える小規模な土
やってきた賃貸集合住宅を見直し、供給側からの論理は基盤に入れながら、
より居住者側に立った視点でとらえ、集合住宅の本質を考え直そうと思った。
地は、大都市周辺では、裾野が広く、変化を生むポテンシャルが高い。
分譲はどうかというと、卒業目的が販売による短期的な譲渡誌であるため、
してきている。一部ではあるが、居住者にとって、空間の質そのものを重視
タイプ化されたものである。しかし、若い居住者を中心として、様相が変化
な く つ く ら れ た り 、 デ ベ ロ ッ パ l主 導 で 主 に 設 計 施 工 で つ く ら れ た ス テ レ オ
いう人も増えている。しかし、そのほとんどが、街の不動産屋の意見で何と
マンションが徐々に増え、震災や土地の値段の下落以降、賃貸でいきたいと
では、木賃アパートなどの小世帯向けの仮(借り)住まいが主体だが、賃貸
住宅などと違い、市場原理がそのまま鋤くシビアな競争の場である。いまま
東京近辺の賃貸集合住宅は、震貸でも補助金や助成などで加護された公営
アルで背伸ぴをしない南口聞はこの業界ではなかなか実現しない。むしろ数少
イをつけたような建前で固めた高品ばかりとなり、ジーンズのようなカジュ
を重んじ、高く見、えるものを欲しがる。その心理にへつらい、背広にネクタ
るが、購入者は、高額であるために、購入決定の際は、規範に則った一般性
た、景気対策の一環としての第一次取得者向け住宅の供給が中心となってい
やすさを優先するのはよしとして、売り抜けるための方策で国められる。ま
て、目先のところに神経を集中させ、すべてを売りつくす。最大限のわかり
の同一的な供給に走り、モデルルームにより一種の仮想現実の世界をつくっ
版売が可能になる)が常奉子段となる。効率的につくられた売れ筋商品だけ
なぜ賃貸か
していく傾向が強くなっていることである。デザインされた空間が街の商業
ないコ lポ ラ テ ィ ブ や フ ィ ル イ ン 方 式 の 未 来 に 期 待 す る こ と に な る か も し れ
販売方法において、金利負担軽減でいわゆる青田売り(確認申請取得時から
施設や公共施設で増えていく一方で、自分の住まいの環境には距離感があっ
。
、
c
JιdL
体 験 が で き 、 自 由 に 選 べ る 。 次 の 段 階 で 、 戸 建 て 住 宅 や コ iポ ラ テ ィ ブ な ど
既成集合住宅に対するパラドックスとして
た。ところが賃貸でデザインされたものがあれは、気楽に生活を通して空間
に夢を馳す前に体験していく場としても利用されることもある。賃貸オーナ
ットのなかでは特異な存在かもしれない。しかし、そうした人のなかでこそ、
に興味を持っている人が増えてきている。ただ、そういった人はマスマーケ
ある。そこでどのような点において、スタイルが生じ、なにが逆説になるの
ルが爆発的に発生する可能性がある。現在の状況に対する逆説となるもので
マスマーケットの同一化の反動により、これからたくさんの新しいスタイ
ーも世代交代もあってか、雑誌等により情報を収集し、事業収支以外に空間
現在の都市周辺のい生活者の実体が分析でき、今後どうしたらよいかの糸
地のスケ i ル に 合 わ せ て 、 タ イ プ
を組み合わせることにより、無限
類型のないプランタイプ
の型が生まれてくる。
2
同様に﹁上高田の集合住宅﹂で
は三五討を主なユニットとした。
通常ならば、狭い 2 D Kないしは
IDKの大きさであるが、広いワ
ンル i ム と し て 、 収 納 や 設 備 を 充
分にとったものにし、寝る領域と
過ごす領域を目線の高さの可動家
具で変え、空間を一体化させなが
ら分節した。一人ないし二人の居
住タイプは類型がなく、隙間的領
ているかのようにいわれるが、小さな規模のものでは、まだ手法は無限に存
階段{奈川止などの集合形式や2 D K、3LDKな ど の プ ラ ン タ イ プ は 出 つ く し
類型化の一途をたどっている。供給側からの論理によると、片廊下、中廊下、
き込み、大きなスタジオの小に住む形式を確立した。ぽ住者像としては一二O
を提案した。高速道路側はガラスブロックを、海側はガラスで景観を中に引
がある程度であったが、戸あたり⋮
の正方形の中庭広場をつくり、四つの外部指段をつけ、住戸それぞれが面し
がおい。それをサポートし、手助けするのが建築家の役割であると思う。マ
活空間が生まれた。特に若い計一代では情報を得たり、感覚的なキャパシティ
e
ぎやかなパーティ が
行なえ、仕事場を兼ねる住まいは周辺にもない新しい生
て向かい合う。居住者は必ず中庭を通り抜けるような設定とした。山中庭型、
i ケットからプランタイプを選ぶのではなく、 フ ラ ン タ イ プ に よ っ て マ ー ケ
積み上げる方式。半分が二層分の天井高を持つフラット住居をつくる。住一戸
空間の広さは、而棋で表わすのが
3
般的だが、誰でも体積ではかるべきだ
0
外部開放の階段室型の組み合わせである。﹁海岸の集合住宅﹂では、中央部
ットをつくるのである。
の重ね合わせ方法は独自型だが、外部開放の階段室型である。小規模だと敷
ヴォリュiムの評髄
分が一層分、付属する一一層分スペースを左右反転させながら、ーーから交互に
可 能 性 が あ る ) 。 私 が 手 掛 け た ﹁ 上 高 田 の 集 合 住 宅 ﹂ で は 、 中 央 に 約 八 m角
歳代が中心で 討
r 常業やデザイン関係が多く、想像以上に現代的に暮らす。に
ood のうち半分が天井高五 mある空間
あり、首都高速高架が目の前で、駅から遠く、倉庫、工場、スタジオの利用
するようになった。﹁海岸の集合住宅﹂では海岸通りに面した埋め立て地に
域の存夜であった。反響が大きく、そのスタイルを基準として、他でも展開
スタジオタイプ弓のインテリア
在している(特に長屋形式のものは、未開拓で法規上の規制も緩やかなので、
不動産広告のチラシを見ると以前にもまして、マンションのプランはより
集合形式の多様化
簿上高田の集合住宅
か
ような雰囲気になり、関口部からの掠光が増えるので通常の住空間とは異な
て の 効 果 が 徐 々 に 高 ま る 。 特 に 五 mぐ ら い の 高 さ に な る と ス タ ジ オ や 倉 庫 の
m程 度 の 天 井 高 が あ れ ば 光 分 だ が 、 高 さ が 増 す に し た が っ て 、 音 響 効 果 と し
桔のみである。一口川さを付け加えた評価は現実には行なわない。通市はニ・問
と号、えている。
山し
火、什杭来、融資の恭叩午、仁市山中川など主体としては耐
しか
可欠である。
貸の分譲化もあり得る。活性化させるためには、分譲、貫代田円相互の作用が不
けの分譲も多くし、分譲の賃貸化などで利用を流動化させる。相続による賃
悩または対の単位で独ム止した充分な環境を得るため、制度を改め、小此帯向
題である。側室群で構成するような概念的提案は現実味を帯びてきている。
ペてが不充分である。ファミリー単位での公的資金の制度や供給の方式が問
由工気の流れをつくる装置
品層の集合住宅は古川さによる風のメリットから
涼しいといわれて
った開放感が得られる。住宅を超えて空間で可能性の広がりを感じさせる。
実際、気積があると多人数が集まっても息苦しさを感じない。天井出による
評価は、おさに単純に正比例した関係であり、人局者の評価に如実に現われ
る。しかもほかの項目よりもインパクトが大きい。暖房時内空説効果が課題
マルティブルな概念
だが、床暖房を併用できれば快適性、経済性ともに問題がないといえる。
4
専用住宅の概念そのものが意味を持たなくなりつつある。﹁松が丘の集合
断蕗図
住宅﹂では、一二四戸のうち、五戸が単独に道路に而して、直接入れる形式を
とっている。いずれも住宅の一部がミュージシャンの練習室兼事務所、アト
リエ、骨董品の私的ギャラリー、英語塾、仲間の溜まり場などとして使われ、
スモールオフィス以上に都市的住まいの多様化の様相を表している。それに
は、人を呼びやすい環境であり、倉庫のように広く、刑途を限定せず、ギャ
ラリーやお宿にも使える雰囲気を持つ空間が付属することが望まれている。
﹁海岸の集合住宅﹂では天井市が五 mあ り 、 五O人が深夜パーティを開いて、
楽 し む こ と も で き る 大 き な 空 間 が 中 心 に あ る 。 夜 な 夜 な パ l笠 間 に 変 身 す る
ような賃貸住宅が呪実化している。基本は人が住めることとすれば、府途に
よって機能を規定するのではなく、別途を限定しない空間タイプ、集合形式
供給単恨の個人化
が存在したほうがよい。
5
{主戸プラン
結 果 と し て 今 の 七O U前 後 の ス テ レ オ タ イ プ 化 さ れ た3LDKを 少 し 開 放
化し、一人暮らし、または二人暮らしにシフトしていくならば、それはそれ
でよいと思うが、一人暮らしはないがしろにされすぎてはいないだろうか。
右齢化やライフスタイルの変化で、分譲・賃貸に限らず小社帯の住民の訓り
1
1
1
J
B
、
目
移海岸の集合住宅
どアノ家としての利用
室3
室1
室2
メゾネットタイプ
;
J
嫌う向きもあるが、これほど唄にかなった、日本的合理子段はない。それが、
高層タイプに生かされていない。定気の流れないプランだからである。空気
が惑く騒音のひどいところは別として、サッシなどの機筏性はあり余るとこ
ろがあり、ベアガラスにしても、換気が充分になされなくて結露を生じてい
る現象をよく見かける。機械仕掛けにしても、居住者が機能を選択する段階
で、性能があらぬ規定を受けてしまうのが現実だ。かといって、すべてをセ
ン サ ー 付 き の 自 動 制 御 に し て し ま う の は 病 院 のICUの な か で 暮 ら す よ う な
もので、人聞の身体の適合性を退化させる。春夏秋冬を通し、自然を取り入
れた過ごしゃすさを加えるべきである。温度温度の指標だけにとらわれず、
風の抜けやすい空間で精神的開放惑も同時につくる。﹁上高田の集合住宅﹂
では中庭側、外部側ともに大きな関口部を設け、自然光、通気性とともに、
プライバシーや精神的開放感を建呉の開問、備え付けのブラインドの操作で
選択できるようにした。空気の流れを生み出し、機械化にすべてを頼らずに
暮らしていく仕組みをつくるべきだ。
r
丹│笠 3
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一吋ノ
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百フ
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一
戸
イ
プ
、王
f
タ
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y
出白
川甘
メ
上箔
主役は生活者であることを明確にしたい。日本の気候・精神風土に合う居
断面図
に関わっていくことになるであろう。
,
、
点以火/ワl クシヨソブ設立。京ふけ小理科大中間叩
E-1-1f2
bit川
H
O
トi
I FJ
I
1
立n iヅ叫﹃吊よ2
ド
和
米京火山子大学院修士課臨終了。一九七八年、
ワ i クショップを設立、一九九五年、谷内問
建築家。横浜悶立火山一千工学部山地築学科卒業、
谷内出清夫/やちだ・あきお
なかたちで展開すれば、状況が変わり、建築がより身近な存在として、社会
家たちから、新しい提案が漸次生まれている。そういったしのぎを削るよう
ι 身の身の回りでも、同附一代や一二O 歳 代 の 若 い 建 築
生まれ変わるだろう。私 討
るものでもない。これから新しいタイプの居住空間は賃貸住宅を媒介とし、
作家性に吸収されるものでもない。かといって、位相の成りゆきでつくられ
勘性を保つ商品として、計画者のイデオロギーでつくるものでも、建築家の
住スタイルを建築家の主導でつくるべきである。長期にわたって、良好な穣
J
フラ y
1 ]…
いた。引き戸と網戸の組み合わせは、ア叫には日本的風景の元凶として忌み
@松が丘の集合住宅
スウェーデンの水準すべての施設で住宅と同じ豊かな生活の香りを感じる
久性の社会進出など、先進同の小でも
-hH川齢化対策、
ス ウ ェ ー デ ン は 、 少f
いである。
想が、小れの﹁機械﹂と﹁住まい﹂の迷
ができた。その旅行におけるネ此な感
岸本達也
以も進んだ凶の‘つである。縦断キの
畿
そのまましつら、えられることが多い。
日 本 の 施 設;l病院・山γ校・市引務所
山 さ 、 川f家庭山学・父f山本低率の山川さ
パ当々では、いわゆる﹁業務川﹂の 糸
ρ口
一;一
せよ、スウェ i デンからハfぶ べ き 以 は
M 川竹下一げの仕様があり、それらのん糸口パが
な ど 批 刊 さ れJる 点 も 多 い が 、 い ず れ に
すタい。
地域施設についていえば、制皮ある
い人けって必然とならぷ談話主や、蛍光
ライトが立っている。人の集まる大き
な肘主には住宅と同様なキチネットが
あり、各自白山間に経食がとれる。しか
も椅子・札・棚・階段やバルコニーの
るん糸口一ハはほとんど木製である(内装制
子すり等々、人びとが実際に予を触れ
限の法規的な遠いにもよるのであろう
が、天井でさえ木製の場合が多い)。大
学の研究室ですら、木製の(糸口一(で、照
明にはペンダントランプが川いられ、
には、住宅あるいは美術館のギャラリ
まるで住宅の川聞のようである。一郎ド
ーのように絵耐が飾られ、間抜照明で
優しく彩られている。 山に間として必ず
しも広びろとしているわけではないか、
灯で均質に照明され、業務川の机と約
合まれているという。つまり僚に飾る
テ レ ビ を 傍 ら に 業 務 川 の 長 約f が山か
千が終然と怯んだ事務ん末、教京等々。
絵州まで設計で検討されていることに
いは一池山口い
r 耐での相述などが指摘されて
施設の大きな泣いは、似端な一一日いト刀を
性能的には十分なのかもしれないが、
スウェーデンの施設の優れた点は、
なる。計耐の慌皮は、日本と比較にな
い る が 、 日 本 の 施 設 と ス ウ ェ i デンの
すれば、日本のいわゆる施設が明作な
生活する空間としては無丸一位で物足リ
:
、
‘ O
JLdsv
悩祉施設・病院・小山下校から大学まで、
スウェーデンの施設では、部保や一郎
い計聞が生み出されている。
ドに掛ける絵同の皆川まで建設費用に
ることは如しいが、比較的大山市間は少
@
﹁第二・第三の住まい﹂ともいえる優し
機能と日的を引った﹁機械﹂しこして計
ト分な設俄、川快な動的紙、均一民な照
あらゆるスベ i ス で 、 住 宅 と 川 じ 生 活
ることを恕定した大きな胞設において、
らないだろう。多紋の人びとが利川す
さまざまな人間的なアイテムによって
州されているのに対して、スウェーデ
明、ハコ(且以上)の効率的な配託、これ
の芥りが感じられる点にある。山王配出
そのな昧では
ンの施設は、ある機能とハ的が加わっ
らは、工場の生広ラインの設討には必
や動的似計州でその泣いを端的に指摘す
美しいかもしれない。
た﹁住まい﹂として川州されていると
におけるや校の一七配択と動的似計同は、
要不吋欠な条件でもある。私は、日本
一
﹁機械としては優れているが、住まい
な く 、 住 宅 の 川 山 の よ う な ス ペ i スが
ソファースペースを川なするという条
施設で、住宅と同じ家共や照明が使わ
一つの方向を示しているのではないか
はその設計の水車は、今後の進むべき
れているスウェーデンの施設・あるい
ケールできめ制かく設計することは大
仁川切の機械配訟と生一段ラインの計州に
であろうが、それが桜単として実現さ
変なことである。設計版酬も山地(なるの
巡併方法の計同まで合めて、住宅のス
似めて類似していると品川々思ってきた。
泌皮に散りばめられている。白石内郎の
φ
作本の機能をト分とし、さまさまな機
いる。スウェ l テ ン で は 、 ほ と ん ど の
m然 と し て
し つ ら い で は 、 そ の 述 い がM
歩﹂とパい換えられるの
一九九八年秋、千葉大半の宇佐とと
に配出するという子法では、たと、ぇパ
能を持った主を助一線が混乱しないよう
辺の住宅、川一十枚、大半、病院、山川的行
れている。人がくつろぐスペースでは、
と忠われる。
赤や立のカラフルなソファーが故ぴ、
へきしもと・たつや / J
F千
葉大山下仁川γ郎デザイン仁学科助T
﹂
件を付加したところで、仁坊の生必ラ
ペンダントランプがドがり、スタンド
インの設計手法と変わらない。むしろ
辿川ほどの知期間ではあるが、-路大な
紋の什立℃地と件続施設を見学すること
献しい合川町化が強いられる仁川婦のN が
施設相引を見小する機会に山崎まれた。二
かもしれない。
定内で、ストックホルムおよびその川
も に 、 引 地 の 建 築 家P ・アドラi 氏の
としては今
いう点にあるのではないかと思われる。
﹁川、けましつがりしてパるが付点土一、,十
J(2
taJ15l
分﹂と批判される日本別施設の欠点は、
ぃM
H
皮に構築されていて、
TをI'
J
1
!
1Lる'示 l
!
.は(まとんど木製。
人びとが
研究MB701
フィリピンの住民主体型住環境整備
における専門家中間セクターの役割
lit白、主的な住環境改訴を合めた事業
後の評価
山山年度の当財団の助成研究・会ね一繍の要旨を掲毅しています。
州をし比て、また資公を訓迷するといったことが
を対象として、イエメン・イスラ l ムの伝統的
このような背泣から本州叫んは、サナア川川市衡
あらゆる人びとが認織することから保全的開発
千はサナア住民であることを保全計附に関わる
みんけって惚純化している。しかし、保全の机い
詳しい内容をお読みになりたい方は、ー研究年報らお口守をご覧下さい。
H市
できるよう、住民円川上の 川
川の山山川地を支閉山する
州・山叫叶品荒川下・文化人類山下・社会や・仰印刷出川竹山町)
郡山防法と加山
研究臨9783
は始まり、問題解決の糸口もそこにある。
といった間抜的な支何日を行なっていたことが昨
判州伐を渇してその朕史的凶作環境の実態を明ら
nM に関する学際的(抑山市司川
泌された。什山氏、正体の什比例同段終的%引のために
かにし、今後その池山判の伝統的れ会開川辺及び文
保護活用
家として支閉山する組織とは別に、オリジ、千 iト
結論として、住民の渋川仰を待作門分野の咋門
-住民参加のシステム椛築一一時史的以況の保
おいて大がかりなイベント引の都市殺備や純設
れていた初約通じ伎は、その山吋浴池や通過地に
円けド叫川代を泌して十字氏刺鮮から日本に派泣さ
明したことから、ハ lラを川口氏参加の付体、
能であり、これからのまちづくりや文化振興に
交施設﹂は製作する泣怖や史料によって料引叶
処伐を促した。御馳走所といわれる一法の﹁外
判例川通信伎を合めたさまざまな外交的案件を折
oける対応淡の M
出向川地であり、
に加えて、利併に h
本山間究は、我が山山における判鮮通ぶ伎のル施設
おける核となりうる。
2 w山市川刑山一の仰山令一川市街の約問分の⋮は日制
JU
欣抗日制地は別加する傾向にあ
れ同漆の外港であった山口県上関と部品山の倭館
姿を復元することを引け的としている。とりわけ
m山史的中心人態を解明し、建築と筑間の災体的な
衝した早川取の倭飴を対象として、その建築的-
る。モスクに単独浄化情をぷ山し羽水の川利
を比較検討することによって、れれ判共同の建築
備も、以一川内・辺叫刊の悼ん畑問、上ぶの終的、コミュ
hA
をねて保全事業が進んでいる。
Mh
住門崎山川山総備が巡れている。
川市仇の保全と問先はさまざまな同組が給
山一閃され、今後
川をはかることで紋池への水の供給を縦保し、
的法ぷのな川町を明らかにする。
次行ない、また地以一を山小作一としたインフラの撚
山街は凶際的協
総地の円引を試みる。上地利川のん後山は阿山山
で
、
一九八六年に険界中品広に改札附されたサナア川
ニティホ l ルの佐川はといったことが行なわれた。
M
m
uの保全として有効である。
住門川崎絞備において住民組織がれ、ピ的に終術汁
上山内においては江〆時代初版から迎休明施設と
しかし保全引業は住民不従で尖施されてきた。
伝統的エコシステムの分断により、仇比一溌・欣
地であった。紋地は近代化に伴う、中小不足と
耐に参同させるシステムをつくる。
アiキルをその代ぷとして伐山づけ、保全汁
い泌をねてまとめ役として作主することが判
jf1nut⋮
が作山門城山也悼ん帥削を行なうために、非山一引い判的な文般
人ーには住民のぷ忠と協力が不可欠である。川
veJ4UH
紅
行株山内調の刷版史的悶際交流拠点の
111
は、山河門的な支援をどのように受けるのかを住
先の次官を従策することをけ的とする。
化を仰昨日刊・州制水することを前従とした保全的問
保全的問品川の法本は作山氏の生出環境の改浪けで
にすることが取裂である。またけ本との兆九似を
行ない、今後日本においても、非門川相判的に住民
あり向上である。そして析しく同住段境を創造
民白身が選択できるよう、力をつけられるよう
の住深山抗的技術印刷凹を支 m
叫することのできる引業
楽袋奈美子
什山以域的役悩では、物別的環境を改汗するばか
制度の体制が殺、子りれる必要がある、)と引 3
を指
1Jパi
りでなく、仙川神的環境や社会的環境を合めて検
朝鮮通信使施設の復元的研究とその
保存修復プログラムの策定
λされることで、住民にとって快泌な討伐段境
捕した。
を行なう山中門家の十又閉山のありかたを考 対する。
組織と呼べるような、住民が主体的に活動を縦
市街の伝統的社会システムは変作しつつある
a
フィリピンにおけるコミュニティ侭刀いや業では、
続するための、川相織化を合めた川川般的な位以山川
泌りである。
していくことである。間叫山 M4
の、ドいな内山芥は以トの
が形成されるものと考える。本研究では、ハ
n
M山
,
、
と
"
"
"
'
j
.
すに
るお
研け
究る
麗
またが業は限山九的処造物の修復・川内利川川が小心
に市i
関街
コミュニティを爪伐とした臼民的な改汗が促さ
o
ものの、ハ lラの長であるア lキルは住民の
o
、-
JJh
環・ II
境サi
2i
のナ
I
係 ァ I:
全 I
BI
終的支認を行なう組織が必裂であることをぷし
門家組織を制皮上に佼前づけたことで、改説けが
コミュニティ奴中ぺが業は、不法十日拠コミュニ
促進された。
ティに対して、コミュニティが組織化され、将
住 ン jヲj
1
1
1
l
E
米の改汗引州が・ぶされた場合に、土地を購入す
ること等を日的に低利の融資を行なうものであ
的エ I~I
るNGOでは、一爪綾川知総を中的込干したのではなく、
る。この融資を経て、会険制 Vは住宅の改停を漸
史イ│研│
f
t
これらの終備において、オリジ、一不lタl にあた
居 メ 1)
'
u
1
'
れ、オリジネ lタ!と呼ばれる役刈を来たす咋
シ
寸
、
9
7
習
通ぶ伎の一行に柳川導役の対潟市川トしや銭円 N役の山口
を作成した。三O O人からUOO人に及ぶ判的川
通信伎の米航にその
れ、川内に一定の外交ゾーンを設けるかたちで、
しての御茶 um(本御入品川町と新御茶阿)が終的さ一
則的日石川共があるにもかかわらず、仕(一泊するとこ
と都心川辺仰の川住様式には、約今 (UO年の川
以されたのである。その山村山本としての部山形成
紀初郎からの人口娠中は公民や町一時によって版
ス)によって吸収され、日本の大阪では一一O 刊
ス(パヴクツウパソケあるいはパイロウハウ
その別状を託制に訓汽し、祭礼叫叫に別家および
は祭礼吋の肝門家を山中心とした山市川泌山山に行日し、
特の筑間的判微を生かした例が多い。本研究で
よび街路に刑する建物が川併出され、その都市独
のシンボルかその小心となるが、同時に仏路お
伝統的出山内小礼においては、山-山や御山川ハなど
m
E反応じるような配次計州
同市消七を加えた一 000人以上の人間がこの川
研究胤E70B
組織形態と所管施策の推移にみる自
治体住宅行政の確立と展開に関する
研究
東京都二三氏の住宅マスタープラ
111
ン策定前後を小心に
本
山
川 先の目的は、京京都二三阪における住宅
E
本内望
礼時の利川とい凶山が、川家や街路山荒川の形態に
街路がどのように泌出されているか、また、祭
このような尚一的皮川住による術生問題をh と
ろが多いことが明らかになった。
染の倭館は一じ肌紀後半に入って一
HHE
に集まり、これらの施設を利川した。
他点、
行政組織の確立と旧民間の過税を、組織形態と所
訓水口対象としたのは、凶行本件地の都市祭礼
ヲ白。
とのような彩特を与えているのかを明らかにす
である。まず、任地をできるかぎり郎先し、演
スではリパブl ルをはじめとする条例制定や、
それを文隠する小央政,附の公衆衛什法の制定に
出の実態を泌
の設立や区独自の住宅施策の尖羽、住宅マスタ
以降の地川川口川騰を北日公におこった住宅山ぷ一口組織
する住宅川川町出・部山計州問題に対して、イギリ
よって改汗が進められた。しかし、日本では一
礼で、宗教的なシンボルである曳山のほか、通
洲市大庁などを擁し貿易をい引う水鉛と、日本側
ていた。さらにその川りに存合や安大げなど判
外交使節の 訪
H 問する州航とにゾ l ンが分けられ
九O O年頃までの上水辺将放の進民もあって、
りに耐したフアサiドを似“私や提灯で飾り、ま
一助とするものである。
た街路に凶したんポの前川を問欣し、
いうのが通説であるが、少なくとも住宅市江一口組
﹁自治体住宅政策の雌凸一﹂が実岐に向かったと
ープラン策定による、﹂れらの体系化等により、
Mm
においては、一九八
ことが明らかになった。また、この研究会で利
飾って街路と一一体となった演出を行なっている
織に関する波りそれがどのような過税を絞て尖
一米京都二三
0年代下ば
符施策の而から検縦し、自治体、住宅政策研究の
的側の桜付施設が配されている。俊郎の佐川栄は
ている。
連築・部心計川内法制からは術作心問題が炊け洛ち
AH
した。その結果、多くの部山祭
け本の武家一回数を純とする往築と判鮮の中立けを
本側先では日英比絞による都心住宅地形成と兇
引に向かい、引在どの税皮の尖刑判状況にあり、
WM肌なとを
新・保
点日したい以出紙凶祭における泌山との仏大泌点が多
大阪、リパブi ル、パ i ミンカムを、七とする
復元してみると、それらが地域民税や川故みに
自治体の主体性の強弱、山防火山叫坑木材料などの
く、山以山山口を交けていた。
i ミンガム
パ
またそれが他の隣核政策分野とどのような関係
の実態を訓十九日することは、 t
H治体住宅政策研究
この附川公刈象の小から、特徴的と考、えられた
州四一駄などの街路山内し川の一山山安ぷの分布など仰山
にとって況裂な観点であると考、えた。
のような総点から二三阪の住宅行政組織の変化
ー叫し川レベルの初公のほか、均一本や会所のお飾り
の読み込みにより進め、その結川市二三区におけ
にあるかは、米だ検詰されていない。従ってこ
この結果を北日以に、これからの都心問辺部川
の実測など往物のレベルの測点刊を行なった。そ
る住宅関連組織の推移の様﹁を把おし、系統的
いて、さらに詳しく判例交を進めた。山叫物秘別、
住地児釈においては、川朴比恥引の近隣関係を夜間仇
の村山本、祭礼のための伝統的共川施設が紡鋭的
に終辺・表現することができた。
ど川地以(危州、絞め、大沖、日貯、減山崎)につ
した参加と文閉山による計同・事業制日以の終的と
に維持されている例(白川)、建物辺新が祭礼
などにあることを仮説として明らかにした。
位進が沢川氏と与えている。
時の出出に彩特を与えている例(松山ねて曳山
(火山、日付野)、祭礼でのい加山山のために川家を
住宅山小作組織の成丘をみており、それからニー
結米として、①始どの阪で一九九一年前後に
研究は、自治体へのヒアリングと行政資料と
研究組日705
鍛伐を法識した独特の形態が川家にみられた例
析の総八日性、附近隣閃係市川悦の凶作肌地辺新政策、
川地峡住宅政札止の行成、同住宅改汗 -M住地必
ι の制皮化の品会問(の川氏附として、山都市
与える彩特が限併できる。今後そうした版史的
社会的八日古川山形成の河川州、同時怯築夜祭の近代化、
L K ﹁13j
jJVFtu
町家および街路空間における祭礼時
の空間演出に関する調査研究
ていること、②都心以と外間以一のように住宅事
前の迷いにより住宅山中叩一口組織の成虻形態に淡い
三年後に往宅マスタープランの策定に結びつい
ことが明らかになった。
大統校に改造する例(城端)など、祭礼時のん山
m
井正哉
揃
る仁染地域と尚一的皮川住地域の形成をもたらし
の人ハ甘み小は郎心川辺部でのい日川市皮テラスハウ
山山か町家や街路山沢山に大きな彩特をひ、えている
務をh とする初心部の成 げ
z と、その川辺におけ
おいても、二O附紀の日本においても、尚築業
近代以来初山の発以は、一九附紀イギリスに
、
iA3
別むする川内ぃ仰や絵川内を恭にして上記の施設を
プロセスを生かした地峡桜興が大いに担まれる。
川川をぶしていた。
純とするけ叫築が泌ざりあい、日川刊川以九日の往築計
O 万坪を必、える脳的地として往設され、館山守家、
二
ヨ
f
L
た。イギリスでは一九附紀の初めからの郡山へ
7
1
⋮般向け家行助成、部川川住宅地元募集、の問つ
℃(以一氏住宅や移爪行部九円住宅)の建設・作成、
に共通するのは、住宅マスタープラン、公九円休
があること、③役一twtH組織の所作引務でお以
寺山内町ではなく、むしろ近附に附叫し比されたとい
山内向研究では終形術以を形成する問形態は小附
する討同性に結びつくわけではない。近年の守
られるような悠形の川閣で背訓りの鈎阪を形成
は、必ずしもすべての集終が代表的守内町に H
ん
もに、発見された彪大な資料の絵四分析と保必
什肌名のな識、住まい方の変巡m
sを考察するとと
考え方と実際のコミュニティの形成と巡九円、
にも受け絞がれるべき裂ぷを求めて、礼則的時の
小平問先では、一一一株紀の都心定伎の集合住宅
形成に寄ワしてきたと考えられる。
川地所にみられるに火が、充実したコミュニティ
本研究は、住宅の話盗についての﹁落ち治引
jii
個人の予期図式による潔境評価モ
住宅の室内空間の落ち着きに関する
研究
研究恥9709
川悦終的などに所叩げをい拡大していること、⑤近年
則に寺法が移転してきた地域(大ル・光一泌十 J)
ため制約があることが考えられる。また、近附
く、先行する問弁の集決・守山地がぶ夜している
とつとしては定地から川開発された守内町ではな
の徹氏的追求、広沢・プロポーションの弔問悦
]犬、限られた空間のふ付効利川など、
AH
明性
び住戸引川川川では、利・洋の長所を係リ入れる
った一九洲、法びに資料分析符により、住棟及
-典型的な利式及び洋式の什比一戸について行な
は﹁間関とはこんな空間だ﹂といった、我々が
することを日的としている。ここで予刈防式と
務ち行いて詳倒されることを山先験的に明らかに
して行なわれ、子同間関式により近い対象空間が
き﹂に関する評価が得点の持つ子則限式と照介
大野路造
デルの健一本
であること、④住宅山河川口組織の事務分学の成立
う比方が従削附されておリ、本一糾においても同様
を検討した。その成果は以下の如くである。
の行政改不正力の下、一郊のばで組織の縮小が
に﹁守内﹂としての計耐性がうかがえることも
仙
丸山吋との比較では、約半数は変化がないが、山明
に考えられる。計耐性の浅川(が生じる烈山のひ
の知けんがねられた。
みられるが大勢にはなってはいないこと、など
近限的郷市計附子法のや仔伐を泳唆している。パ
研究院9707
がみられた。
中世末の畿内における寺内町の成立
と変遷に関する研究
日向進
た共同受信式ラジオ、 M
m内所山下山その他小央式
2 設備的には、緊急時の述給放込にも佼われ
知識をもとにした筑間から的仰慨を受察する際の
‘
ガイドとして働くものである。また、それは凶
り、例人ごとに述、つ過小山の経験や文化的背米、
総立された計附性のある郡山へと移行する段附
U 土本の段山川から近併に
は必ずしも合致せず、・巾 e仇
て常に変化していくものと考えられる。我々は、
定的なものではなく、作自の新しい経験によっ
で、問形成に対しなんらかの都市化のぷ闘が働
蒸気綬 M 2
M動逆転式エレベータ!などの共
、
川
川施設がコミュニティを文、える裂ぶとなって
13
t i[;)iirjh
くことが想定され、地域の差以(が発生するので
空間のしつらえを変延したりして、より自分の
新釘なものに対して、自分の日間式を修正したり、
小泌の樹木へ配慮した風の導入・印刷鴻し等を
関式に近づけることで、空間に馴染んでいくと
久什
U 比一ドにおける反則の通風や換気の京倒、
考出品した関口部や佐川川、ガラス泌総や換気ガ
本研究では、人びとに馴染みが深く、﹁一治ち
考えられる。
亡れき﹂が求められる住宅の一治家、寝室、和室、
食堂、間的関を対象とした。関内外の伎宅の室内
彩・テクスチャ l ・光の状態など、空間を構成
災を線同化して色
γJ
た。また、社ぃ父小 T、共同浴場、食賞、
し、さらに、コンピュータに取り込んだ孝行︿岡
する耐についての的抑制を除いた級品開刺激を作製
写兆三万枚を選定し、ケ仔
小山地生干の引(川小笠間がコミュニティの時間成に大
mq
防
災
印
刷
、
きく寄与した。
家族同刑成の変化に対応した定住が汚能となっ
h 奈のね以則的市川、仙波数伎一戸の佼川等により、
吋
4 多様な伎一ドプランに合わせた住みいりえ、山小
利川し、自然と共生する努力がみられる。
ラリルマを印刷、えた附段別(郎等の i火に、自然を
3
いた。
判刊山代次点MMH
か州問かなか
った地域は、小附の廿沼山政をもとに近附において
、︾ず
:なh
は
レか‘
と川
心木れる
それぞれの地域の特質 111
地形・'川巡・化問滋な
本一糾では、従米対象とされなかった川町初的十 j
からお山本初守を小心とする、不ッ
天文日記
研究胤S708
ど111に彩将されながら反問するとい、えよう。
内川の特伎を明らかにすることを口約とする。
L
トワlク奇形成していた有力寺院・門徒の地械
に恭づいて、それぞれの地域の小附米から返附
都心定住集合住宅の更新に関する
研究
を抽出し、川切地調交を行ない収集した袋一礎史料
にかけての成す と変巡の過仰と町剣形態に開削す
a
る考仇討を行なった。本願寺の支配体制のもとで
111
江戸川アパートメン卜再建に関す
ことで、相万一の比絞、都市的﹁十ゴ内川﹂との比
f打口i
--掛川脚治則戸間引
間M
m成や川途についての約械を除いたイメ i ジ
市凶を、分刻しランダムに放べかえて、部門肢の空
企命令、
人間の住探境にとって、必別式な姿ド引をけん械め
1
寸
コJ
A
L
る制資研究
州々に淀川出した地域を広く全体的に対象とする
っけを行なった。いずれの地域も本願寺の
絞を尚一して集決・郡山としての発泌段附の佼 T
引
ることは銚しく、広い川悦点に交って長期にわた
江戸川アパートメントは、都心定住烈集合住
この三閉山相川一一一瓦枚、合計一 O瓦枚の刺激を川
パレソト刺激を作製した。
宅のあるべき淡を追求し、佐役されたもので、
今後ら調先分析を加える必突がある。
その法本にある斬新な考え方は、実際の生活体
w
側めて山川く評価されている。また
川州切に先行するなんらかの休明淡が形成されてい
験を通して、
経済恭繋が昨陣式しており、小計一米には近叶一的な
たとけんられる。しかし、その後の民間において
る生活体験を記録分析することが不吋欠であり、
﹁以﹂役を務めるなど経済的に小弔問問守を支え、
ある設問に対してあらかじめ抱くイメ i ジであ
文州知の有力門出陣地域と近刊的発日慌をした守内向
M
り
市 γ数では一品約符r
Mけ住宅の山叫ん以・m
v
mや住深
:
1ミ
一
叫
工
:
f
:
i
T
Y
ρhu
ハ
U
MM川
M実
験、
いて、住築紋山川を交けていない一一八れの被験抗
に対して、筑間全体の﹁務ち生引き﹂の
および自分のイメージする部日間に近いかどうか
川凡打、ぇ今一川内地(公川の併設される体制浜市山内卜口市
ない川ド出におけるん以京選択一人態より、検証さ⋮ きた。ト小川山九九では、新たに始められた仙阻ん日処て
れた一いん予選択姿闘の低光州州以刊を明らかにする。
階で、﹁和主﹂﹁市川川﹂﹁
r
刊H刊以州引の問題、ミックスドコミュニティの方 川
象に、
M
山住継続と入間階貯の越正化の状汎、一ぶ
場凶地、市営の併設される公同日土口凶地)を対
LDKと依抜つながる就寝室及びLDK自体か
悦について検討分析を行なっている。
O域(オーブン城
結果を銅山小に述べると、家族成長の三つの段
らなる⋮述のだ間)﹂﹁隣抜(机子の山本を隣
という﹁らしさ﹂の評定を求めた。
抜する)﹂﹁雌す(税f の続京を馴す)﹂﹁ k 域
対して公凶賃貸は苛しく低く、将米の住居費負
NM
川
の総合として行なわれているのではなく、山仁川
は、材料や色彩などの物別的要素の似々のN側
(附'州域一 LPKとは郎ドで述結され、 LDK
JM地は自治会活
制がその安川となっている。中
ュニティが形成されるガF
Mにあるとい、えよう。
町一円・公川ともにより泌切な人以山mMに よ る コ ミ -
研究臨E712
応急仮設住宅の団地管理・居住関連
サービスに関する研究
大塚毅彦
本研究は、阪神・淡路大災災での一般仮設住
これらの実験から、笠間の﹁終ちゃ引き﹂
の﹁らしさ﹂、すなわち、子出制川川式に近いヤ間
と政抜つながらない筑間)﹂の六市古川の山中の三
宅(米加市川仮設住宅、明石市)及び地成型仮
日古川山地では、定住院は例設公九円がおいのに
ほど洛ち行いたと一昨側されること、さらに、部
動が娘んで、処て枚、ぇ期間中も自治会小心に処
設住宅(尼崎・聞広・芦応・神戸市)を制究対
1問姿凶がそれぞれ疋裂祝されることを明らか
象とし、仮設住宅における時間的経過をふまえ
民の川途によって附式が共有されている場合と、
から支持されている。自治会を小心にミソクス
凶・市川刊の単一自治会として巡則され、居住者
てい灯、ぇ山起に対処し、参加率もおく、削叫す代も公
二つ口の研究目的は、﹁終日会選択の変化モテ
にした。
ル﹂と寝室系諸宗の同航との関係を考祭するこ
った。
た出地位汀明・巡品 川
V 肘住山川述サービス・ケア体
サービス・ケアの実態と支援のあり方について
妥望・姿求の犯採、支援省側からみた対住関述
制のあり方について検討した。日出住将側からの
設の減伺開始前が泌じられてきたが、資栴条件の
ドコミュニティが形成される万向がみえる。住
限定から利川対象となる欧州 Wが少なく、今後の
民枝問題では、日出住継続のために公凶独自に家
結果を街中に記すと、子供の山家は籾の寝室
怨て替え事業では段際的に上がる傾斜家賃が支
とにより、﹁一以一主系諸宗の脱税引川川山正法﹂を提案
の位院に規定され、両日制との関係は明らかにな
することにある。
らなかったが、殺の山家は、八削げは決定的姿凶
払えなくなり、服役紋絞が燃しい枇般の出現が
の未加続的削に起凶する姿梨、設備凶や小山気製品
M 什氏名の姿裂は、住宅性能の低さ・住環境
山
往て AM
えを機に移転を繰り返すといった、出拍住
ハード耐や、家事絞助、外出支媛、書類の代
等の修川村、部品の取りいほえ、住宅改治などの
た
。
本調木氏・ m
m究から、以下の十日⋮が明らかになっ
検討した。
ではなく、八引を趨える(潤州十食事例では九 l ⋮
研究臨9710
笠嶋泰
子相心される。処てい川口え事業の全体の枠総みの小
いる。
支援策の枠からもれた附様ゆえの機関ができて
での取り組みが必裂である。また、移転附では
研究臨2711
附にわたってい
h-PJHN
を対応する支援リ只が必姿である。
る。建設後のメンテナンス、修線、改やかなど
市川なとのソフト川少など、
とである。
十日市場同地は、従前日山住殺の 川齢化率は非
JH
れた空間川的要凶どうしの優先順序を分析するこ
この研究目的を達成するための手順は、以下
ィ形成というぶからは、公凶住宅の併設が有効
大きく変動する。災市 u
救助法には、仮設佐宅
2 仮設住宅は、入出者同問成、コミュニティが
の時間的絞過をふまえた川地作郎一・一地位十山、
の深川悦が大きな梨凶となっている。また、住川仙
波自引がについては、応能応説家賃制皮の総一川一で
紛対応
である。定住性・満込いはともに一日川く、い HM
公共住宅の往て比日、えは良質な住宅ストソクの
明記されていない。似設問住者の利汀一扶助は
肘住山内述サービス・ケアのありかは共体的に
加藤山利子
クスと公共住宅のあり方
常におく、年齢刈からのミックスドコミュニテ
の通りとした。
①円以大就収率が八訂以下である剥穴住戸を対象
に、アンケ iトでれられた山主選択閉山を分
析し、家族成長の三つの段仲間における坑茨祝
されるお本選択現市川を明らかにする。
多様な家賃が災現することにより、公川家賃ま
に持続的に支寂するシステムが必裂である。
依保、しし地のいぬい波利用、川辺住環境終的を什的
②泌京選択時山mより割り出された尻市古祝される
山内戸絞が
不安定で同地の肉、五mHmは川内側州であり、公的
よりね坊に公同に移ることが可能となり、公
でつながる家賃分布となる。したがって伐設公
その家賃負机と日出住縦続の点から問題とされて
v 円附阿川、公ゃいに住む収人趨泌殺の問題は、
む公 一
にこれまで別似に行なわれてきたが、公山間に住
a
h選択 仰を、山恒主選択の尖態で検証し、
引
日
三段階、﹂との三火山以(予選択梨凶を考然する。
m
-
③一一つの梨凶のうちどちらか一庁しか選択でき
m加すれば、これらの防Mはこれまで
f
f
に関する筑間的嬰凶を明らかにし、この抽出さ
-rnれ)規模が山本選択に大きく彩⋮仰けするこ
川
山
とがわかった。
寝室選択からみた寝室系諸室の規模
算定法の提案
人によって災なる場八日があることが明らかにな
主t
公共賃貸住宅複合建替における入居
者の生活構造変化
ーーー控替岡地におけるソ l シャルミッ
家紋成長の代表的三つの段附における自主選択
本研究には、二つの研究口約がある。一つは、
ノ
+
、
二
仙住おの削克明を込山必に察知し支援を行なうケ
た住まいづくり、住文化づくりが求められてい
政﹂としての住民交流や利五扶助などを生かし
を飛び越して関与・介入)と、分権化(地域で
よって、・中央集権化(小央政府が地方公共同体
の役叫仰を来たす﹁可能ならしめるもの (
g
m
E
i
桜供給するのではなく、政策合的・滅的投・推進
的﹂の根拠をおいており、各m
mのサービスを爪
M
アネソト・システムが有効である。
本研究の什的は、阪神・淡路大以災の被災地
下のとおりである。
レソト・ハウジングアクショントラスト (TH
往築・教育・医療によるサポート
野村みどb
シス一アム
ii
障害を持つ児童生徒の倍別教育計商
とハウスアダブテi シ ョ ン に 関 す る
研究
研究臨9715
o
g
)﹂としての伎絡を強く持っている。
自作的なマネジメントとサービス従供の探求)
z
ることが共通の認織になりつつある。
SA)、サービスコーナー職日以)は、従米の
において復旧・復興の泌総で一ぶされた以災復興
として、ハウジングアクショントラスト (HA
pE g Z G口)した公山内住宅同地の一円伎が急務と
︼
一
なった。こうしたことを背対に、モデル事業体
3 似設支彼氏(ケア連絡氏、然治援助日只 (L
シルパ i ハウジングでの LSAの枠を起、えて、
烈一日川齢者住宅でのグループリビングのシステム
が同時に進行した。また、栄一m
(的必化(おE一
新たな支絞飯山明を生み出し、ぽ住者に一日川いが
システムにおいて、山齢者住宅の新たなタイ
山一以災復興計同における山総名対応住宅ならび
HA) を対象にケl ススタディを行なった。
T 一円向戸Z=拘﹀円昨日。口、門戸出門)が設立された。
化に行日して、引時点での実態とぷ起を明らか
プを捻案している。似人のプライバシー会昨
に地山崎ケアシステムの概要とその特徴について
住民代表がHATm引事会のメンバーになり、
にすることである。災体的な内何日としては、以
側を似ている。
夜し、外側人が,Mなした生活を込ることを恭
検討、間以災復典型コレクティブ住宅の人的行
設計プロセスや職業訓練を合むコミュニティ市川
4地滅型仮設住宅は、その物的な沼山と巡九円
本としながら、一向齢者が自分の心身状況に応
像と住み万についての実態調先を行ない、同シ
本研究では、ロンドン米郊にあるタワ i ハム
じて、選択的に生活援助サービスが交けられ
ている。特に、気絞に集まれる北(川川スペース
るというハード、ソフトのシステムを実引し
る今後の役割について一分析し、山シルバーハウ
ポート・アドバイザー)業務の実態と則出社され
ルバーハウジンクにおけるLSA(ライフ・サ
れたれ会的性仙怖を持つ家主 (RSLご の ⋮ 形
している災慾を明らかにした。また、﹁校録さ
生事業など川地のマネジメントに、
A) のあり方を問機化し、それを達成できるサ
教宵計同におけるハウスアタブテi シヨン (H
本研究のM的は、獄中ぱを持つ川ん主生徒の倒別
のか什在と生活援助日以が常駐していることによ
このため、まず、アメリカの例別教奇計的 (I
ポートシステムのあり方を求めることである。
行計的 (ITP) を参考に、 IEPにおける H
RP)、例別一本政支媛計画 (IFSP)、例別移
民間資会を導入していくプロセス、及びド山什業終
ハウジングアソシエ i ションを選んでいく過怠
また、今後の検討課題として、コレクティブ
建て伴えれ業において、ぼ住者参加を先進的に
以トの分析結川本を、日本における公的同地の
問耐桜判中市川山村山本からは、 H Aニlズは、常時必
する一二一一一名を対象に実施した保州政省への自宅訪
川子校における実態調査を尖施した。五校に夜給
も分析した。
住宅では入凶設が成山羽化した場合の対応、 L S
%引しているし下山間と比較し、既存住宅日開地のマ
より明らかにした。
A の専門性、物的なまちづくリポ業とも述勤し
て考祭した。
ネジメントに公的セクターが川市たす役釧につい
立校体不釘・間後設学校全五校を対象に、家庭と
の論点として求められることがわかった。
た﹁地域コミュニティ﹂づくりの必裂伎が、そ
あることが明らかになったことがある。山実際に、
研究胤B714
自作性向上、②日山住都引の参両とれ助労力の促進、
リティを向卜いさせるためには、①M地問十枚での
本となる特定の一泊祉問け一(の治則と専用コーナー
低体出傾向など特定の環境設定、側別使用が基
日一(収録調究結果から、所内柳町的ケア、うつ熱傾向、
名の児泣生徒と机当教師の行動観察、教家の校
入浴時の介助等にみられた。⋮一一校における一六
地域烈仮設役宅(いわゆるケア付き仮設住セ)
③各続、正体とのパ iトナi シッブの桃策、④地
い教室は床燃や床以佼姿勢による一斉活動や給
既存匡地のマネジメントにおける公
的セクターの役割に関する自芙比較
では、山川町悼を結えた共同生活の有効性が確認さ
食にら使われるため、これは問問郊である。紋室
総保の必渡性のおさが認められた。しかし、狭
HEI-
ト
・HU
剖エ LHJE
:E FL記
二
、
ー
ゴ
ォi
一九八O年以降の英同における政策の交化に
なお、 HATは、公的資金から仰れるというこ
域の一内治性化を、公的セクターが来たすべきで
れ、共同生部のありかたについても投危な絞殺
が議日制されてきた。川桝々の附慌が近隣関係や地
被関係を欠いつつあるん rけの的況の小であるか
らこそ、一肘インフォーマルな﹁池山叫ん凸み資
とよりも、非公利段、公益性、山中な悦に﹁公
あるという仮説的鍛冶を似た。
その結川市、同地の初会的・経済的サステナピ
姿な医療的ケアと安全性の般係、移動・排決・
A支援の佼間づけを明昨開化した。次に、横浜市
了後、所有権・作現陥引を移符する利子として、
、 ppIの判例皮を利川し、
態としての HATが
にけ[
関る i
すグ[
るJ
レi
の生活にとって、地域コミュニティが不可欠で
旧民(市川山における住川改務システム小でも住宅
ジングを合む災市川復興公常住宅同地におけるコ
テ宅i
iλl
こi
イヒお i
シ者i
ス住i
阪神・淡路大浜災での教訓の⋮つに、日川品川殺
ョ
待
、
之
改造資会給付制度の災純一た態をアンケート凋伐
ミュニティつくリの状汎を光送事例から検討し、
A
H
M
皮に参加
2
t
る安心感、きめ納かなサービス提供を人版行
ン型I
i
グ高 1
3
の齢[
がいリ川く汗悩している。
1
)復
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ピ奥1
7
上野勝代
研 i露 i
研
究プ災符
上L
円/H
nhu
w
e
Mは刊州点けからは、湖町の常利としてはまず
生一状川および刊以内川の山知的条刊の検川川に際し、一一閣贋袖川河川口
我が同とスウェーデンのサリドマイドー引を対象食事サービス環境に関する研究その叩
一の川川
まずであるが、全児市生徒の川訓泌は体出災前
者として羽交を実施した。
一向同における調六の結決、羽従の身体状況は、る研究
い
P
ーな人一Jl
J
剛志十 b
五J ふ叫S げ
は
ij会 食 サ ー ビ ス の 実 態 と 効 果 に 関 す
を有するため、例別環境設定は不吋欠である。
一般的な抱っこ移動による牧師の介助氏飢の収
TL
ォJ
、
一
り紺みにとどまっている。
ービスが人と入、快代と社代を給ぶのに効果
2 M引いず側に抗日した引例制州北川より、会食サ
的であると同時に、ハードやソフトの問題点
だけでなく、抗い子の精神的な奴抗があるこ
とが明らかにされた。
的・生活の質の川州市川において一定の効果を来
3 利用者に対しては、身体的・精神的・社会
、
51
齢者等が迎数出、食事を⋮絡に食べる会食
HM
たしていることが明らかにされた。村に、生
いるのに対し、スウェーデンでは六名人仁川孔が
行・背小・絞などの焔みを訴、える一方、山出数の
サービスは、食の援助と社会的媛助を附時に提
活のハリの向上、友人におけるソi シヤルサ
口本の対象行八名が後放の身体の痛みを抱えて
γ則的な
から、汁同出の符旅伏活動への転換など八 i
悩みを日刊つぢは一名のみであった。また、生活
果があるといわれている。しかし、我が悶では、
供でき、
必契性はおく、このためには、和風の比両活動
けんばしも必要である。ム大介両川走行リフターを一
の⋮加み、②肢の泌み、③子や折の一納みやしびれ、
行為の処理に伴う焔み・負初に開削しては、①込
減、小釘九七性の叫叩保のためには、リブタi導入の
校の室内出水ブl ルに設注し評側一ん験した結果、
長一波町一千校には、川川山川教庁一計川川に基づくH Aのデ
すためには引になる似別化が必変である。総じて、
点的使川にとどまっており、山川制的川川的佐川を促
姿勢保持袋山一れやリフターなどい悩仰山口一八出川は、
悩みもほとんど見受けられなかったが、げおよ
見・肢に悩みの発生制皮は低く、また子や指の
る政皮が向かったのに対し、スウェーデンでは、
の悩みに併せて、子や指の悩みやしびれを訴、え
生している状況が判明した。日本では、込・般
④げおよび行の後ろ側の悩み、などの爪状が発
めに、︿上凶の人口五万人以上の市町村へアンケ
︿仁川でどのように取り組まれているかを知るた
行日し、判辺⋮川川以上行なわれる会食サービスが
そこで、本研究は頻度の山川い会食サービスに
ほとんど行什付されてこなかったのが実態である。
おらず、刊現数削の川山数の多い会食サービスは、
一般的に年数同や月数凶程度しか取り組まれて
と住情報
A ・の住宅賊入前検査
│ │ 豪 州 とU ・ ・
戸建中古住宅の質確保に関する研究
工
一
ニ
。
j
j
ポートの拡大については顕著な効果が認めら
ん
γ し一丸に老いるためのサービスとして効
教附の分業体制が進み、指導形態も改汚できた。
ータベースとコ l ディネiト機能をル松山削しつつ、
び首の後ろ側の泌みを訴える場而が似繁にけ見受
s
研 究 臨g718
いく必研究性が向いことを明らかにできた。
教育内山九日・十刀法についても総合的に刊検討して
t
f手出話
品、
時相
{
ありながら、少数の自治体でしか実施されてい
建て住宅の伎の確保を目指している。中古住宅
目的本研究は住宅の長寿化を兎視し、既存一戸
ート剖州市川を行なった。次に、このアンケートの
じて環境整備が進んでいた一方、日本では住宅
ない地域施設の治川事例に校日し、自治体と治
H 現状
に普及している住宅の購入前検究の内山氏 と
市場の活発な楽州とU
.S.A.において、近年急激
けられた。住縦波のル位協に山附しては、スウェー
改造はあまり行なわれず、改泣している符の場
効にヒアリング誠交を行ない、羽山明からみた会
結果から、他地域でも今後展開できる可能性が
者の住宅における生活行為に関する
サリドマイド拍芽病による上肢障害﹁
合も、改造内容の考案および白川気判は自己で
デンではテクニカルエイドサービスの利則を,辿
研究
食サービスの効来と問題点を検討している。以
、
先対象とし、下肢でし弘ち上肢で作業することを
上昨日院小存者(以ドサリドマイド行とする)を問
一
一
本研究は、サリドマイド胎牙州による光日八性
供給システムの検討を'行なっていきたい。
ながら、中 Jいや者にとって利川しやすい住んも改治
ーデンをはじめとしたぷ外凶の事例を参考とし
山川条けの只体化に努め、それと川吋に、スウェ
幼ぎ、快適に生活行為が処開できる住環境の山知
いる身体の悩み・内リハ和一が一一次防山台となることを
後は、本研究で得た知けんを生かし、川叫寸代生じて
を明らかにすることであり、得られた、王な知けん
以皮の向い会食サービスの実態と効川市と問題点
本研究のリ的は、これらの部資をとおして、
縦断訓汽を行なった。
的・生活の買の側同について六カ月間にわたる
した一日川齢者に対して、身体的・精神的・相会
らかにするために、初めて会食サービスを利川
後に、利刑務からみた会食サービスの効果を明
的である。
宅ストックの明加に有効な指針を得ることが日付
を支媛する社会的条件を採り、良質な戸建て住
所有者が社会的に来たすべき役割と弐任、それ
引状を把川町する。これらを通して、一戸時叫て住宅
に対する口い手の関心と、前研究者向き伎情報の
向を明献にする。また、中山、住宅の伎と安全性
を捉え、その実効性総立のための条件強備の動
fu
l
へ -3h
、
コt
へ
ー
し
ミ HJiL
ヲし
カ
c
ト
非同
w
K L l t d立。カド
町 J
前提として計附されている蹴布の住環境の小で、
上肢附冗を配ほした住環境の終協条件を検討す
み・久抗が生じているか、といったぶにおけし、
約一初しか取り紺んでおらず、まだ一郊の取
ー会食サービスは人口五万人以上の自治体の
は以下のとおりである。
訳づけ、ロい予の関心などを多倒的に分析する。
入前検先について、仕組み、初い子、初会的佼
研究内容と方法・本研究内特は、第一に住宅購
h
H2
Fa}
{一日五 S
小川行為の処刑叫に際し、身体にどのような泌
ハ引を小心に
行なっていた。
:
r
:
bに よ る ふ 一 次 昨 主 発 生 状
- 環 境 不 通J
研 究 胤971B
→一会
土F
るものである。そして、身体の悩み・れ仰の発
資
d
ρ
n
υ
ヘ
勾
第二に引内山究者向き住約織に関する災い予の利問
走法的に把川町することを目的として、まずその
同的、建築設備的、都市計断的訪安凶の彩終を
説側子法として建築i都市i土嬢述成系モデル
状況と、ロい千を支援する徐州川織の引状を従え
ヲ但。
岐に選ぴ、両市で一九九七年八 i ⋮二月に次の
述成系として取り吸っている点に加え、川九米飾
公州はクイーンズランド州ブリスベン市、 U
. を収論仲間成した。従一部モデルでは都市大気と建
A-はカリフォルニア州フレズノ市を付象地
S・
築物、さらに上機および芝生悩殺を全体として
的取り扱いがなされてきた土撲およぴ芝生爪抜
比の影特もい川⋮川悦し併ないことがわかった
研究胤日720
空気循環式ブリックソーラーハウス
の開発
学の室内空気沿皮が外公沿い没より約一 O浅
い
け
川
入による排熱効川市が線認できた。
く、夜間の家出低下も少ない。訂弘治子は外気持
ヌ日川市川政式ブリソクソーラーハウスは準内熱
4 モデル住心℃の数似シミュレーションにより、
波境の改渋に大きく寄与し、木造住宅に比べ
工
、
こ
。
て期間収冷房円以仰を削減できる兄滋しがねら
5 州時五造住宅は冬 Afの後山内然環況改官げには有
六初矧の淵六を災施し、比絞した。①不動従業
本研究では、市内川術深式ブリックソーラーハ
せてけ小の通風と夜間の換気を促進する必裂
川初であるが、夏予は行川別法被や州制執⋮を徹底さ
jj
いる作サブモデルを適用し、その上様九凸水状態
ウスの開発をけ的とする。研究の方法としては、
がある。また、試験家山胞は乾式松山制問刑法であ
渡辺俊行
六事務所と金融機関への屯活潟水H、③お M
究者へ
が考慮されているぷが最大の特徴である。本一仰
まず、'任米州開瓦治住宅の問題点を犯保するため、
るため、制時瓦目地郊に際問川を生じやすい。通
からの蒸発川市の淀川川について、山打者が従来して
のアンケート訓六(八ふ州は有効二九⋮件の訪問
ではまずモデルの概裂を述べるとともに、山県川よ
二気モデルの子一回住宅を恕定し、放似シミュレ
愉入住宅の瓦 ArAm
⋮深山批判州交を尖施する。次に、
者と州・市の関述機関へのい向仲間洲市川、②住宅検
U.S・A・は行効一 0 0件の訪問配
タを入力とする基本削併を示し、本モデルのふ付加
的大都市として呪況の京京を恕川正した条件デi
国間抜羽市川、
(七件)、⑤一市姿弱肉け住附銀総陀への参加・
指摘し、災い子に購入決定のための判断的抑制を
抑止日持では不良川川所や改好・補修すべき似所を
ついて術単な治一兵を使別して視覚的に行なう。
い
山
川fを仙引出した。次に、政炎配列に法づく実
ディによる子倣災験を行ない、まず山砂川悦皮の強
体的な一二川則子を必定し、バリエーションスタ
て、畑山市一品川肌化別立凶として引況で必起しうるけパ
また、処築!郷市[土峻述成系モデルを川い
このシステムを保川した試験家磁の家内然環況
に総づいて、八全内然環境制御システムを泌安し、
ふ仕米の木造や煉一九近と比絞する。これらの汗悩
さらに、パソシブシステムを保川した煉瓦泣を
μ
柏市路のふ付加燃や川仙山下川の危険性についてもバ及ずる。
ほと段冷ぽ久術に及ぽす彩将を検討する。また、
ーションにより木造と制時五迭の迷いが策内然環
lii地 球 環 境 保 全 と 地 域 住 宅 政 策 の 基
住 宅 関 連 C 0 2排 出 構 造 か ら み た 地
域特性の分析に関する研究
e であり、施仁上の対策が却問
の気俗化が 小川 欠
公M
川内の均しれの流れを制御するには、州胤瓦僚
波山市技術を係り入れたモデル住宅を従案し、欲
τAA
ιH
二浦秀
気候変動枠総み条約第一一一削締約山内会滋
1JJ
パ
を
、i
AE-JJほ1Uし
が
山
肌
ルH判判ゲゴ
研究胤9721
γ
提供し、契約解消権と川間続や補修の交渉権に似
験計附法による本数航実験を行ない、附子間の
観常
w 利究、⑥検京日報告書事例と伎山川抑制資料収集。
拠を与える。また、住宅の光氏契約トラブルを
について実験的に検討する。円以後に、これらの
を測定するとともに、このシステムの史ぷ技術
似シミュレーションにより主内抗一環境の快適性
結果一住宅購入前倹交は、敷地・処物・設備に
避け、災い子に住宅金体の現況を知ることの屯
て統計的に有なな結論を導いた。すなわち、郷
交万一作山川を考ほしてその影響皮を評側し、もっ
市内気出、街路交小品川上山⋮小心MRT(平均放射泌
と翁エネルギー性について明らかにする。これ
題となる。
姿伎を市川認識させ、帥納入後にロい乎が補修や改
径の日パ体的計川聞を史てやすくするなど、既十仔住
皮)およびSET*(新総冷有効滋皮)の日平
O P 3 一、
20U三ω
2
38
一 3門
戸
日
d
o
n
g
h
q
g
B
取引川似、日 HK
低似のな汁特性似に対する
均鋭、 H H
らの研究により幻られた結決は以下のとおりで
G同志向井町
では変州より住宅購入前検公という祈業慌の発
市立凶効山本依浴衣を従一不することで、 父万一作例を
ある。
宅の間以降保に有総だとい、える。なお、 U・
S・A艇を促す条件緩協が進んでいる。
合めた谷川川 ナ
γのv
w特皮の定法的比絞が可能とな
な段境となるが、山内装材市再出での給路はみら
-愉人的開瓦法住宅は、一見不の午後に砕く不快
六%削減することが決まった。このような背対
0 0八年から二0 ⋮二年まで五年間の治安効
⋮
⋮
果ガスの州山山川市を一九九O年に比べて、日本は
(しい
ユ
、
2M︿gdtGZG口QH口出gnuE長。)においてハ
間半告話芸C
った。また、郷市尚治化合都市内気川畑そのもの
え
の (}ZECHdω
2 ぢ門 7 0 5
と都市キャノビ l内の混然快適性の観点から分
J
研究組971B
附附して考えると、想定した斐川間効栄の様態は大
川をぷけないこと
政保し、内装材災耐に防波 M
(以下C02とする)の排出日明について、その
実態と近年の動向を地域別に明らかにし、什比宅
のもと、本研究では松宅に山川述する二般化炭ぷ
3 空気慨深式ブリソクソーラーハウスは、冬
が況裂である。
2 断熱 MW
瓦恨の初出指針としては、通気附を
れなかった。
建 築l 都 市l 土 壌 連 成 系 モ デ ル に よ
る都市高温化の構造解析に関する研
築設備的要凶、特に笠洲市崎熱の川州効⋮・渋川知加忠則叩
エネルギー消波宮皮の彩科が大きく、加、えて建
従米的認識のとおり、地中式市川改変効果と郷市内
きく山比一なることがわかった。的品刊に山附しては、
C
伎を明らかにした。
付郵送附収利点日)、③住宅検究実施事例初任
'
"
守
、
二
向
九
谷本総
都市一品川同化の構造解析を明らかにし、建築計
オミ
⋮分的にむける川川阿川化防H対 策 合 、 検 什 す る た め 研 究 地B7EE
に叩完治アプローチによって MM
定できるので、
川叫ハ係料以の川附を
定した。験から、
日以後に、一例として、汚点杯以弘前市を対象と
研 究 臨9723
木造住宅の倒壊モ
性能評価法の確立
槌本敬大
本一川以梢造物の破段、倒附悼の川能性を判定する
iドの解明と耐震
lMm
凶剛性は
織の段級に追従して変形するが、二仲間床泌総
r 時には山一従せず、小一服組の水川
何
4 加力方向に爪交する耐力慨も、建物の剛性、
γ11
こ
WM
までの水子力に対して、筋迷いや柱が引
O
、司
ム
ド比の迷いに起洲する筋迷いの角度は破淡
肘ι
の発生阪を栄一配している川能性がある。
ことがわかった。
ない令一同似壊が釘や木、不ジに起、﹂る。
9 動的紋十何時には飾的紋何時になかなか生じ
8
抜けるとは限らない。
7 位、筋迷いともに頂部より郎郊が先に引き
した。
側より小さく、いずれの仕様も引張側で般淡
は、川肋迷いが内服しているにも関わらず引張
に圧縮応力が作川する側の水平せん断変形九円
6 本山夫叫械の仕様の耐力岐においては、筋迷い
J
被守の特徴を考⋮ぶした。き抜けて破壊こそすれ、倒淡にはでらなかっ
したい回桜被山五日予測シミュレーションを行ない、
5 本実験に供した筋違い怪は、約一・
九一⋮九日 V時の風速記鉢と実際の被ん背中小より指ことが判明し、筋違い恨の振動台卜での破液中火
規分布でおされると仮定し、その平均似を台風耐力への寄与は然倒しねない。
ル﹂では、外装材耐力の線中山川ぃ民間伎が刈紋正
ることによって、外装材に作川するど iク 胤 川 小 さ く 、 山 側 性 化 に は 州 出 火 純 工 方 法 等 か ら の
J
3 水平梢耐の七引い燃は変形対分布の均等化に大
M 川 力 は い 点 似 的 一 か な り 低 い 。 一
山
一の浪路資料を作成することを汀的としている。台嵐による住宅の強風被害予測モデ
トし記台風シミュレーションの結果と総み八日わせきく山杉山 けするが、球耐材料の校別化の寄勺は
、えた。ヒ iク
lj
一ねに我が凶の往築物の耐川年絞は欧米諸一同に比一ルの開発と防災対策に関する研究
の悦ぶから話を行なって山内崎明
力の総本分布が指定される。﹁耐風正強皮モデ抜本的な改汚が必変である。
一
一いる。一本研究のけ的は、京北地小々を対象とし、台風
fli--
一べてい川く、このことによって往設過税で訓山さ一
一れる川川絞化ガスも川河川あることから、 LCC02 一
(523)
H f測する路上半モテルを
一 川 住 過 科 で の C02折山山口弘は家計訓ボ HMX
をも一による住宅の強風被け Eを
1
川
測
川
、
シ
ン
Y 仁統一作成し、それを川いた仙彼悦山宍f
一とに、山姶ル耐過れでの C02州山内川は、山比七 引
け
汁
什i什低減に小訂付効な刈川策点を
一
計
叶
等
川
冷Jをもとに、それぞれ九全l凶
の
州
州
訓
山
山
山 以H一ポ叩を仙地岨川凶収別一ンを系統的に行ない、被山守
M
⋮に 幻UM山
山した。さらに、 COP3で決定された欽一検討することにある。
I山
一までの問分の⋮である行年経過の⋮九九訂作水一の尖態を把似することが肝裂である。そこで、
一日削ハ仰いの汁沼市年である一九九O年 か ら 、 け 収 作 一 よ り 途 切 な モ テ ル を 作 成 す る た め に は 、 彼 バ ユ
一準(⋮九九三年から一九九じ年平均)の状汎に一本側究では、先ず、京北地方に大きな強風彼小川口
一ついても考察を行なった。一をもた‘りした一九九↑年台風一九日ザ(台風九一
一本研究の紡川市以ドのようなことが川らかにな一一九日三による住家彼宍利点けを行なった。
一った。 LCC02訓山祉の明加は玲しく、刈過一次に、被守のほとんどが外装杉(ねに一時抑制引け
一科ともその地峡去が大きい。特に、川悦逃引で一材)に内北小心していることに抗日し、﹁ム川風モデ
一の C02州出社のトリめる訓八日は大きく、ハバ絞と一ル﹂﹁川部以正モデル﹂および外装材の﹁耐印刷
一の関述が強い。また、八上川的には別加安川内とし一以強ー没モテル﹂からなる外装材の被計f洲モデ
水質跡的泣抗体の術品川の流れ、動的被収機構の尖
べく非線形動的応終解析を導入するにあたって、
一きい。人 i川の建設過程での C02抗出対は、判一 l 一九九六年の川三年間に京北地方に米裟した
験的保ボを口約として、紋十何試験、解析
o J U M 肌モデル﹂とは、一九百問
一木造からの初出が近年下分を必え、住て作、えに一六八似の台風についてわ品川場の解析を行ない、
なった。その結川市川 Nられたことを抜粋すると以
川和山刑法一λ大住宅的活物の静的水平紋術試験
MU
J 行
を
一よる初出が新規住楽による排出をト川る地肢が一古川仙の判性を去すパラメータの総本分ぬや時間
ドのようになった。
から、
的には依存するものの、同一一制心ギでも変形
ー作山伏線変形泣の糸川正(は制心ギの大小にじい悦
は分布に大きな去が生まれる劫九日もあり、一細
一 山 試 を 減 少 さ せ て い る も の の 、 そ の こ と が 作 宅 一 レ i ション)により、強風の統計的特性を川LM
m
心不では桁維に評似しねない。
一ない。その他各地域において住んも分貯における一測された風速前に必っき、い同所地形が胤速の
μ川討を検什し、風速明滅 4rに対して
一今後の出暖化効 aH対策を検什する上で、必史と一九州に及川凶す
一一﹁川部風正モデル﹂では、住宅の凶州出向附状を切
一一支嵐山悩と寄棟一段似の二抑制叫に大別し、それぞれ
一に刈して、統伐の胤川実験川知県に必っき、 Mvd
2 二附小村一梁紋術時に下日間部分はその爪近内
一なる汁沼健 M
制限がル校制された。一地形笈川を説明変数とする取川州式を求めた。
⋮の LCCOP-んし体を減少させるにはポってい一できる。さらに、白胤九一⋮九日げ吋に外地で飢
一あり、このことがれん亡の位以逃糾での C01州 一 た コ ン ピ ュ ー タ シ ミ ュ レ ー シ ョ ン ( 台 風 シ ミ ユ
一多くなっている。引花、行℃市場は低迷状汎に一的変化をモデル化したものである。これを山い
一て照明コンセント等の屯力山山山口による彩特が大一ルを梢築した
f
F
のと同級に、間性に関する悲本的な本は﹁お齢者間
いい住宅や住宅地にお紛者の視点が合まれている
を説いた。まさに附界的にみて、老年学の先駆けに
社会権である﹂と、山齢者への社会的対応のありト々
*・松山似隙近﹁隠居論
小山一*印を付した川内比けは住総研凶洋気に所蔵しています。
︿一通鈴者居住の本﹀基本詔書リスト
の後の研究成川市が集大成されたぺ新老年刊
点を批判して、全国の総賠償行をとりあげ、それを
くれる。隠印刷が家族と深く関わった社会保附の姿で
弘文没、⋮九七問年
0
)L
7
。
出版会、一九九O年
夜以礼子﹁老人・家族・住まいiiiやわらかな住宅
40
一
-折茂情、他編寸新考年学同東京大学出版会、一九九
平(一九九⋮年)。
る生活空間づくりの指針と手法い杉凶社、一九九五
のための環境デザイン││症状緩和と介護をたすけ
*-U・コ!へン& G・P- ワイズマン卓也人性痴条痕
)
。
ね出版会、一九九六年(原符一九九O年
s ・ティベイ制位打吋スウェーデンの住環境計画関知鹿
ネ
*・社会保開山川究所編吋住宅政策と社会保障出来京大学
。
高齢者ケア﹂ドメス山山版、一九九O年
*・外山閉そクリッパンの老人たち││スウヱ iデンの
料﹂杉悶校、一九八六年。
*・日本山也統米中会制﹁ハンディキャップ者配慮の設計変
画﹄杉同社、一九八同年。
1
531-、ゅ一
Lj
J 一今
小
川
コワ﹂宗十訂正t
*・け本山叫什品川山下会制﹁ハンディキャップ者配慮の住宅計
‘
:
・リ本建築学会制﹁ハンディキャップ者配慮の設計手
酷陣 L
*・北口山滋犬、他一樹吋議座・家族7 家族問題と社会保
社、⋮九八一年(係諸一九六六i七三年)。
*・イギリス政府縦吋老人のための居住空間﹄学芸出版
m年(係者一九六七年)。
設計﹂人間と技術校、一九七 m
*
・ S ・ゴールドスミスコ身体障害者のための生活環境
社、一九六間作。
A 吋{民俗慣行としての穏居に関する研究﹂米米
-竹山 H
出版、九七問年(以北利一九六三年)。
-P・タウンゼント﹁農宅老人の生活と綴族網﹂刻一内
七八年復刻(一九⋮凡年)。
ah(
第二以)日本一給済持論社、
して十日典である。その初版からは一川町紀を経て、そ
的に挙げておく。医学分野に平成点を山古川き、お齢者間
を対比
住の本﹂でもあるはずだが、ここではそれは広すぎ
るとらえ方だろう。高齢者肘住に閲する基本問書、
什はにかかわる一郎広い関述分野の基本視点を伝えるが、
4
と問われて、改めて﹁基本問主﹂のな味を考える。
久口論ごとの知識であって、近代化とともに細分化さ
p
ナ
﹁一日川齢者氏住iiiJHM齢者が住む、﹂とや住む場ーーに
れた苧間の引況も教、えてくれる。
Mh
論いはしかし、期待に反して、山性慣行とし
ついて考える恭本的税点を与えてくれる凶沢どとし
吋
隠
桜役戎つ解答や円以新の情総は得られなくとも、でき
.の吋川氏俗慣行としての隠伐に関する矧
論じた竹川⋮n
ての間的にはほとんど一パ及してくれていない。その
れば、時代を経ても変わらないこと、がとらえられ
究いは、日山住のありょうが、いかに生治の諸側耐と
まだ、高齢化社会という概念はおろか、老人問題
あったとすれば、引代の家族生治の諸側而と社会保
b
防との関係について論じたのが、市川山道小人他縦﹁訪
zb出 論
p ・タウンゼント出宅老人の生活と'波紋
れの住まいの様子から捕き始められている。
えられていることだが、それらは老人が住むそれぞ
印象深いのは一人ひとりの若人の生活と内而がとら
して花宅係初、主義の似拠を示した本である。とくに
が術核に関わりながら生活していることを明らかに
制いは、引代間欧社会においてもなお、老人と家政
また、
論じた希少の本である。
究所⋮制日住宅政策と社会保障いは両訴を結び付けて
訳づけられていないことがあげられる。社会保時間川
問題の根本に、住宅政策が社会保障として充分に佼
家族問題と社会保障いで、松宅につい
てもわずかに行及されている。け本における間住の
高盟主者の人体寸法(女性)
5 ・ゴー jレドスミスマ身体障害者のための生活環境設計
山町一・家政7
在塚礼子
について、十 HA1
東西を視肝に入れて論じ、﹁老人権は
一一住について考えるための草本図書
ける高齢者の存荻について、また人生における老い
陳平市一によって
は市川口かれた。人類社会にお
かかわりながら地域ごとに多総であったかを伝えて
?Qト品、70
選ぶことにしよう。必ずしも現花の計州や設計に夜
高齢封印住について広くとらえることのできる本を
よう。お齢者施設や高齢者住宅についてではなく、
より
という訴さ、えなかった時代に、時の大法学名、穂積
@
居住の
一
回
開
12
0
の一つは老化への対応││これには山菜的対応
さてこの辺で、よりお齢者民性に悦点を絞ろう
住総研圏書室だよ
日本での山的行に関する佐川栄バ州閉山んかぷ初の段
附を終え、その成果がまとめられたのが、日本位築
ンディキャップ者促成の設計予引い﹃ハンディキャッ
学会ハンディキヤソプト小委員会による三部作﹁ハ
プ者配慮の住宅計州ト﹁ハンディキャップ者配慮の設
計 資 料 ι で、出始者はまず、防凡汚名とともにハンデ
ィキャップを持つ人としてとら、えられたことがわかる。
h
は、一人ひとりの老人
これに対して、外山義吋クリッパンの老人たち
スウェーデンのお齢者ケア
計函
L
れまいの川内山館山山版川、一九九⋮一年。
スアダブテlシヨン﹄住宅総合研究対問、一九九三年。
*・高齢朽のすまいつくりシステム研究会吋日本のハウ
九妥
*・延藤安弘﹁ハウジングは鈴もののように││集住体
デザインい丸帯株式会社、一九九六年。
まいiiiや わ ら か な 住 宅 計 画 ﹄ を と り あ げ る 。 高 齢
L
名と家族の時間的変化への対応を計両課題とし、自
株式会社、一九九七年。
*・小谷部行子 J4レクティブハウジングの勧め
同スウェーデンにおける住まいとケアサービスの多
ら﹁住む﹂ためのやわらかな住宅計両について論じ
の生活に住まいとケアが深く関わる姿を抗き、先進
様なあり方の全体抽出を明示した。
s ・ティベ千縦士行
﹃スウェ i テ ン の 住 環 境 計 同 ι は、この背景として、
最後に、﹁エコロジi /建 築 ・ 都 市 ﹂ と い う 名 の シ
ている。
のなかに高齢者が合まれて、四にかなった進展をと
住環境の研究と計的と政策がいかに結びつき、一般
環 境 デ ザ イ ン lli
杭状緩和と介護をたすける生活宅
ン& G ・P- ワ イ ズ マ ン の 吋 老 人 役 時 呆 肢 の た め の
U ・コ l へ
点を読み取ることができる。高齢者居住を考えるこ
でなく、近隣の人びととともに住む高齢者出伎の祝
的に関わって集まって住む住み方の小に、家族だけ
ティブハウジングの勧めいからは、住むことに主体
ように││住市朴氏体デザイン﹄と小谷部育子吋コレク
リーズから二問。延藤安弘﹃ハウジングは釧ものの
は、老人性痴川木政に対象を
新たな課題に関する本として、まず、
ーや、高齢者間住と開くと、多くの人がバリアフ
A
問づくりの指針と子法
と と エ コ ロ ジi を 考 え る こ と は 、 と も に 住 む と い う
げてきたかを伝、える基本問主円である。
リ!の訴を思い浮かべる時代となった。その以点は、
ii施 設 と 住 宅 を 合 む │ │ の 立 味 と 関 わ
びととともにいかに住むか、ということであろう。
S ・ゴールドスミスの口身体障 存者のための生活環
の盟主環境
絞りながら、内容的には、より広くお齢者にとって
をけんる思いがするのだが、実は一世紀前の吋隠居論﹄
ことを通してひとつながりで、そこに将米の可能性
h
子利川者が中心的に抜われたことも、引在のいわゆ
りについての基本的視点を与えてくれる。次に、ぃ
H
川
齢名のすまいづくりシステム研究会﹃日本のハウス
ア ダ ブ テl シヨン
﹃老人のための民住計間
に い う 老 人 権 も ま た 、 広 い 意 味 の コ lポ ラ テ ィ ブ の
ての⋮問。住まいのバリアフリーはこのような似別
UEHH?と
川中l
財同一閃丸山
付記/日本建築ゃんム建築計州委久会に一九九六年、 H
川紛村山什川小委 Hl
会が充足した。これを百くにあたり、そのメンパ紋人より参考立見
をいただいた。記して感謝します。
へありづか・れいこ/
F五
時
大山下叫刊行中部孜同一日、
明念に基づいていたことがあらためて恕起される。
は、近年盛んな住宅改造につい
刊行物をまとめて翻訳されたもの。老人の特性とそ
の対応のシステムなしには成立しない。
L
れを踏まえた住宅設計についてポすだけでなく、そ
畿
れたものが少ないので、在塚礼子叶老人・家族・住
大変あつかましいが、家族との関わりを悦野に入
i ドハウジングの
れらが適用された以初のシェルタ
唆的である。
できたものを検証して次の計叫に活かすありト々が示
事例仰抑止けもあり、イキリスのか住み方部ボ I Uぶりや、
は、五川のイギリス政府
ι
る バ リ ア フ リi に紋示されている。
境設計﹄であり、この小の凶も、また、ここで市中尚
つめのことと別のことではないが、山本校や近隣の人
とケアサービスによる対応がある、もう一つは、一
2
種
参
nhU
7'
第刊日回住総研シンポジウム
﹁木造住宅の未来毎展望する﹂
つい三O年ほど前までは、日本の戸建て住宅は、大ai--仁務山のつくる木造住宅だけであったといってよい。しかしその後、帥刑
法的には、プレハブ住宅の詳及とツi パイフオ│の導入などがあり、また、生皮に関しては、住宅メiカ!と呼ばれる大羽織が吸
われてきた。その結果、呪夜では、一般のユーザー(施、五)が自宅を建てるのにあたって、どの構法を選ぶかということのほかに、
大仁・仁務的に頼むか、メーカーものを民うかという選択が丞姿になってきた。このような状況のもとで、池山切のト八仁・工務山は、
このシンポジウムでは、大仁-仁務的のつくる、仕 宅
a と住宅メーカーのつくる住宅とを対比的に姉き出すことによって、ユ i ザー
住宅メiカiと競争せざるを得なくなっており、どんな住宅をつくるべきかを宍剣に考える必要に迫られている。
巾川口氏(山本山川長山叫築設計事務所所長)
功(京京大学教授)
パネリストリ符本
J
博信(絞水ハウス株式会れ常任一粉、問)
(京京大"ヂ助教同日)
(木洋大学助教佼)
F庁守札、﹁芝浦工業大学教授、
二
一一・11'HU、Hifアルセッド建築研究所所長﹂
太日
司会日坂本
討議
にとってだけでなく、日本の什リ一乞の将米にとって、さらには、け本のお会や文化にとって、どんな住宅を、そしてどんな住宅づく
一
一
一Tool 一七・。。
りを目指すべきかを民望する。
日時七月九日(金)
山本忠長建築設計事務所所長)﹁演題未定﹂
HX(
太別博信(絞水ハウス株式会社常任阪間)﹁山内組未定﹂
山内木忠
j誠
j
iがi
辺
一泌
会 場 ・ 建 築 会 館 ホl ル ( 東 京 都 港 区 芝 五 丁 目 何 番 目 号 )
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・
ht -A曲川
附叫
11A
第2 部 パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン
講演(委託論文机策お)
秋山有一(米洋大学助教授)
﹁住宅メiカーによる泌品の開発と生ぷ
松村秀一(点京大学助教授)
﹁ 地 域 の 住 宅 生 産 シ ス テ ム そ の 独 け性と派閥﹂
F
﹁地域に根ざした住宅ーその辺論と実践﹂
-三井一所治典(芝浦工業大宇教授、アルセッド往築研究所所長)
2
3
その成リ史ちと社会的な味﹂
ji
参加費一絞一一一000内・学生一 000円
申 し 込 み 郵 便 版 込 ( 米 京o o - - 0 3 6 6 3 9 川初日川法人住宅総合研究財凶)
振 込 締 切 尽 六 月 二 五 日 ( 金 ) 先 者 阪 に て 、 友 久 一 五O名になり次第締切
ヲ吉村
町山東京都凶川谷区船続問j
umfh 市8MV 小也話 031348415381﹁シンポジウム﹂初当まで
li--
川
山
講演の演題、パネリスト等
に変更が生じる場合もごぎいます。
一
T
お問い合わせは、財団法人住宅総合研究財団
松秋
、
卒JI
L
J
2
次号予告
別年一足号
一九九九年六月一五日発行
特集討すまいの資源循環
︿
仲
間
山
市
⋮
﹀
住まいの資源循環
也(京京大学)
野城 MM
︿ミニシンポジウム﹀
循環を間臨むもの進めるもの
大塚庶(山一子 wmn
院大学法学部)
野沢正光(野沢正光往築工房)
片桐知己(⋮一一芸?テワアル環境リサイクル
卒業センター)
叫ん五日野城智也(求京大学)
︿
如
抑
止
日
﹀
ポスト大盤生産時代の住まい
刀(来火人工物工学研究センター)
日
川
山
祝
日m
住まいのまわりの物質循環
下問中川之(以大先端科や技術共同研究センター)
リサイクルを阻害するもの
)
菊池殺史(明治大山γ
資源循環欧州率矯
小林均(エックス都市研究所)
︿すまいのテクノロジー﹀
持続可能な建築構法
地川一同山川((滑川建築総泣いや務所)
︿私のすまいろん﹀
環境教育とライフスタイル
小山秀樹(武蔵仁大)
︿ひろば﹀
汚即時枚也(武川滅工大)
︿すまい川発見﹀
オートノマスハウス
一一一井所治史(岩村アトリエ)
︿州在家だより﹀
加藤紘久(京京滋科大ハチ)
タイ}ルは市川辺、仙川市民は交わることがあります。
住総研
刊行物のご案内
⑧研究仙 9 4 0 8
研究論文
5 、
へ版
お事
近刊
2丸
1替
)出
oま
(
呼び、その計同手法について検討を試みて
う し た ネ ッ ト ワi クを﹁稲川川築住笠間﹂と
九
州
抑
m山
一九九七年ぃ肢の研究助成二一一一刊の﹁ M
鳳噛住総研﹁研究年報札川お﹂近刊
のこれまでの活動総指として行なった第お
山川船朽のすまいづくりシステム矧究委討会
。高齢者のすまいづくり通信刊号発行
﹁すまいろん﹂のご壁祝について
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10uirnvLEY-EtE527JノEY
止口﹂を収録しています。わが国の住研究の
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一し て 、 送 付 開
。月一日です。したがいま
@発刊日は原則として、冬日 V 二月一六日、
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川フォーラムの記録です。委円只'
、
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電話 (03)32211338
品回中川洋依存応千代防医神間神保川lin
電話 (03)3456205i
@ 建 築 学 会 資 料 頒 布 所 港 以 芝5 1 % m
購読の受け付げばしておりません)。
﹁すまいろん﹂は次の山頭でも販売しており
ますので、ご利川ください(応頭での予約
はいたしません。
行いたしません。
晶留帥朗読期間中の購読小止による購読料以一令一
えさせていただき、財刊からは改めて発
お支払い方法
@領収書は、郵便局の払込票兼受領一社で代
字。年間五000円(送料共)
今年間一一CCC円(送料品ん()
購読料は次のとおりです。
在庫の有無、送料を左記財同まで、ご係
剖一山下さい。
舎バックナンバーのお求めにもおこたえし
ております。ご希望の方は、あらかじめ
申し上げます。
@購読満了時にご通知いたしますので、引
き続きこ総読いただきますよう、お願い
迎閃かかりますので、お合みおきドさい。
令
、
往築・医療・保健・福祉の立場からのハウ
ただきます。なお、購読子続きには約一
始は、購読料受領後の故新日ηとさせてい
坂本功
(東京大学工学部建築学科教授)
3
vυハドー、
ソ
一
月
コ
(千葉大学工学部デザイン学科教授)
川川みAH
i
A 4判制べ l ジ ・ 本 体 予 定 価 総 4 5 0 0内
水準を示すものとして好訴です。
スアダブテl ション普及のための提案と、
在塚礼子
(羽音順、*印は委員長、**印は新任)
た。引切衣は次の方々にお願いしています。
ります研究巡営委員二名が交政 Hになりまし
中]則的問の助成治動に力添えをいただいてお
研究運堂委員の焚替について
B 5判ロベ i ジ 無料
おります。
として、防害者こ自身にご被告いただいて
タブテl シ ョ ン を め ざ す シ リ ー ズ の 第 山 部
ています。また、ユーザー主体のハウスア
参加者とのなけん交換で今後の方向性を採っ
臼
つ
究
出版助成一九九八年二月新刊
当財団の出版助成を受けた書籍が発刊され
ました。
。賃貸住宅政策と借地借家法
本市川は、この五年間にわたり、都市住宅学
会を主な錦ム口として、﹁現夜の伯地借家法
ているかどうか﹂という論点をめぐる実訟
は規般の大きな賃貸谷川宅供給を強く制限し
論争の成果を、論点ごとにとりまとめたも
のです。内容は以下の通りです。
(埼玉大学教育学部教授)
内問抑制造
近刊
借地借家法による強い供給制限効来は
実一札されたのか
-継続投料問題
波多野純;
(B本工業大学工学部建築学科教授)
1
2wfJ
M1
J:
Yj
文民間川辺
i-3 都心に立地する大規似賃貸住宅問題
4 附定質問題と法人限定問題
5 戦後持家率問題
︺
p
L
q
η リ自
にりす、寺、、iRt
3にU2
壬♂
点e
ILHHfZ1r
'
i h刊μド日日
8 集合住宅の所有形態
(東洋大学工学部建築学科教授)
って、住一戸だけでなく都山内に広がるさま
本当日では都市川上集八日住宅を計附するにあた
7 原側 まはと山場 奈川
H
います。とりわけ、﹁し凡体街路﹂と呼ばれ
ざ ま な 生 活 空 間 ネ ッ ト ワi ク、ここではこ
ている子法にやふれU し 、 既 存 事 例 の 新 た な 方
お閃光雄(京都大学)
積層空間同の計画手法に関する研究川山
⑧研究ぬ 9 4 1 4・5 5 1 5
A 4判引けべ│ジ・本体予定側務 2 1 0 0円
拘引されています。
究した論文です。川川上衣・写真が一 O 六点仰向
近代以降の印刷住地形成史と居住史を調査研
た、﹂の地域を調査対象地として取り上げで、
郊の間総にありながら近代まで炭村であっ
抜けて大きく湾曲しています。本主日は抑山市
と呼ばれた地区です。附川川が千住大橋を
東京都荒川区南千住八下目は、かつて汐人
稲垣栄一二(環境文化研究所)
史 ・ 計 菌 学 的 研 究l 汐入りの﹁まち﹂の記録
東京馬縁の居住地形成と変容に関する歴
入
向性を示しています。この研究は設計者参
(元京都府立大学学長)
広原娘川
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露
9 M民間賃貸住宅政策と借地伯山本法
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2希
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方
加型の実践的研究で、現実の集合住宅計附
己的博*
~メ財
2粕 団
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需
官
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印公共投資住宅政策と街地借家法
発行日ドメス出版
(東北大学大学鋭工学系建築学専攻教授)
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[嬰
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の改善を体系的に凶っていくための布効な
A 5問問ベ i ジ・本体側怖 2 8 0 0川
j訴
事
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r定 倒 的 3 3 0 0川
A 4判開べ!ジ・本体,
i主
主
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方法であると述べています。
三室千財
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働く女たちの都市型住宅
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開会大塚女子アパートメントハウス
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}lì~-;~' にご Jt~3 となります。
ちょい慰安所、新設の独身婦人専用問潤会ア
せ拘放されている。起して﹁職業婦人の気も
室と和室のモダンで清潔な印象の写真とあわ
子アパートメントハウスに閲する記事が、洋
一九三O年発行の﹃婦人耐wmbに、大塚女
者の職業は火教師、会社丘、火学生の阪であ
申し込み状汎は人口氏超過の盛況で、山中し込み
純 資 二 川 、 収 入 法 涼 五O 川程度。新築中 J 川
Mの
さらに記事を追うと、家賃八円から一三円、
女たちのアパートメントハウス完成といえる。
Xを 日 指 し 働 く
を火性とお一一円い改めている。山口L
ている。女性記者かもしれない。人ーは﹁婦人﹂
h山川に沈泌均があり、物﹁しと佼があ
便所。 -
応抜主で、新聞を出位できる。芥附に沈削所、
r
江川川玄関を人って突き出たりが大ホ│ル兼
よう。そこには建築と刊誌らしが見える。北北(別
ている。記事を概観し建築中ぺ時を河川%してみ
者の増加、家庭生活の単純化、経済負担の隠
当時の初会状況に触れ、アパート伎活を望む
元からの自立を促すほ住の坊として大きな期
そらく気苦労の多い貸間生活からの脱出や税
地下 l階
寂れる。
i13
h
仏日山本主に
Ar
の都市もさほどの変化はないのだから川一を
である。一時逃れ的なものとはなかなか鋭い
のと呉なった建築である﹂としているくだり
のは、よれ利的貸別のように一時逃れ的なも
ると防犯妨災同も汗側し、さらにおもしろい
ら、心配なしに白山に外出でき安心安全であ
締りに安心で、地長火事にも耐える山地築だか
山口かな﹄火山空間は実に人間的だ。また、戸
の民住所としては明恕的であると好一がだ。
ることができ、忙しい仕心不をもった職業婦人
いて生活の能ネを上げることができ慰安を得
こうした設備は現恕的で、無駄な予欽をはぶ
物が同じアパートの小で筒使に川が込せる。
化粧品、食料品、そのほか日川鋭化け(日間の買い
も あ る 。 表 近 路 に 剥 し た 一 O主は山総併川で、
山す川の浴場があり、外出川に通じるエレべ i タ
ート印刷住者以外の人にも公開している。制入
備もあるが、地開川に大きな食堂もあり、アパ
く好い慰安所である。存体問に炊事ができる設
でき、一日の勤務を終わった峨業対人には全
しい時間を過こす、}とも談話を交わす、}とも
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栄主。
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山 mmかさと伽ペ
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同誌は、共用担問・川川町一主についても初介し
パート﹂。この記事は、当時の様子を生き生
る。以上しにはサンルーム、
豊かな共用空間と偲室群
き 伝 え て い る と 同 時 に 、 七O 年 の 時 代 表 が あ
ったと記されている。続況な応募状況から祭
は双山音機、ラジオの設協があリ、ここでは栄
している。記事にはワクワクした総子が漂っ
っても未だにこの防法築思想が超えられないの
するに、火性の社会進出の光駅げたちは、お
働く女たちのアパートメントハウス完成
かと、いささか然りさえ感じさせる。記事は
滅、独身おの明加などをあげ、﹁近代都山の
たちの r
U立 性 は お い 。 共 に 住 む 、 ほ ど よ い 関
待を持ったに遠いない。そしてムーもなお住人
し火子アパートメントハウスはない﹂と記
係も心得る。高齢別に入った住人たちはプラ
がする。同判例会が伐した不命的建築は、火た
イバシーを保ちつつ街かに万一いを見守ってい
独身婦人専用アパートを建築。これは近代的
て工費三二郎円を投じて小石川区大塚窪町に
技術をほどこした鉄筋コンクリート五限、総
つ紛かに建つ。
ちの安心住空間として今もその右後を支えつ
している。そこで同部会は時代の要請に応じ
坪数一九七坪の堂々としたものであると紹介
て、近代火性のなんたるかを教、子りれる思い
特徴としてアパートが州市、えてきている。しか
屋上階
o
個室は、一五三室の半分が洋室、半分が和
りる。収入と家賃の関係もほどほどで、個と
っとした生活まわりの用は一階の庖舗にて足
団繁や日光浴を楽しみ、音楽を楽しみ、ちょ
コミュニティもほどよい距離で顔が見える。
リ ー ム 色 に 塗 ら れ て い る 。 洋 室 は 三 坪三勺と
六坪。ベッド、机、いす、洋服ダンスが設え
これはまさに、いま求められる都市型住宅の
室。日当たり通風が良く、壁はやわらかいク
られ、ベッドは長いす兼用にもなり下部は十
きた。最小限個室群に対して多様な共用空間
共用空間の豊かさが個室の不充分さを補って
良い。だが住居というには不充分だ。しかし
家具付洋室も出窓付き和室も個室としては
市型住宅の思想を、いまだに超えられないま
会アパートメントハウスが実現してみせた都
けられた差し迫った課題である。かつて同潤
しさを助長したこの見直しは、われわれに向
活空間の豊かさを切り捨てた。生活空間の貧
えに大量生産のなかで標準化・画一化し、生
高度成長を支えた住宅供給は、経済政策ゆ
一つの型である。
一間の押し入れがついて、衛生上畳は廃して
分な収納になっている。和室は四畳半と六畳。
ござ
を配置し共存させることで、働く女性たちの
ま二一世紀に入ってしまうのだろうか。
コルク床に亙(産が敷き込んである。
孤立しやすい生活やほどよい交流をサポート
由あるいは再開発という提案のもとで保存再
スは岐路に立たされている。設備・構造的理
一九 九 九 年 、 大 塚 女 子 ア パ ー ト メ ン ト ハ ウ
それらが今、全て活かされていれば、高齢
生は現状の方針にない。都市が思慮なく記憶
する、この空間づくりは巧みであった。
れたはずだと思う。地域開放型の食堂・エレ
期の住人を支え、高齢社会の要求にも応じら
はならない。まちの構成要素あるいは同潤会
の歴史的保存という視点はどうか。住人たち
や蓄積を失うことは都市の成熟を促すヲ﹂とに
の自立性は﹁再生力﹂に繋がるか。多世代居
コの字型で固まれた中庭は、春日通り拡幅の
おり曳き家されているにもかかわらず、良い
ベータ・浴室は現在閉鎖されている。しかし、
雰 囲 気 で あ る 。 ホl ル 兼 応 接 間 も そ の 役 目 を
住はどうか。
再生案を見せにくる若者もいる。若者の案
果たしていて、置かれた丸テーブルには清潔
なレースのクロスが掛けてあり、住人たちの
む地域に開かれた施設となって、中庭を囲む
スをとり、一階、地階は高齢者サービスも合
共用空間は高齢者メニューもあるレストラン
は明るい。中庭へは通りから聞かれたアクセ
共用空間と個室群の共存が成立しなければ
ルームから屋上の気持ち良い広がりも健在だ。
だという。居住室階にも工夫があってうれし
風手摺も磨かれて、花壇も手入れされ、サン
廃屋に近いこの建築は、工夫を凝らせば楽し
い。サンルームも楽しく描かれている。なん
凄とした風情が伝わってくる。アール・デコ
く再生させられると密かに思う。
だか再生力を感じる。
(わたなべ・きよみ/東京都住宅局)
今求められる都市型住宅の一つの型
豊かな共用室を持ち、屋上に花壇を設え、
編集復記
家族の解体を早い時期に指摘した小此
ない家族と言いつつ、カ ッコイイ別居結
4
婚の夫績を例にして 書 き始めるのだが、
r こ-﹄には悲独感 や悲 観があまり 感 じられ
住 宅 総 合 研 究 財 団 ( 略 称 H住総研 )は
清水建設社 長 ・清 水
昭和 二三 年
、 当 時の 一
500円
ω年春号
発 行 H財 団法 人 住宅 総合 研究財 団
発行人 H峰 政 克 義 /
康雄により、戦後の窮迫した住宅問題を、
〒 山山附東京都世田谷区船橋四TEnr
8
ラシ・ジレンマとか、ホ
7u
実践 、 普 及 に よ って解決することを民的
木啓吾は、山
が、未来を考えると不安になる 。 次に ハ
として設立された財団法人であります。
住宅の総 会 的研究、および成果の公開、
バブル経済の時期に進展した偶人化の傾
C かし、現在の 家 族 問 題 は 、 現 象 一
ないo
家 族 で あ る の は 事 実なのだ 孟
的にはホテル'
幻想家族、さらにネ ットワー
テル 家 族、・
の家族を言いあてる名
ク家族などの現代!
ためて旧の家族を大切にする価値観が戻
L
コ研究論文 ﹂を発刊、
現 在 は 住 宅 に 関 す る 研究助成 事 業 を 中
心とし、﹁研究年報
ま た 住 に 関 す る 専 門 図書 室、セミナー室
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等 を整備、公開、社会のお役に立つよう、
公益 事業につ とめております
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究者の皆様に、より広く、より手軽にご
理解いただくとともに、その意見交流の
場 に な る こ と を 願 っ て 刊 行 ( 季 刊) され
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C 刃﹁ 一五時円以一 、
︿︿︿︿︿︿﹂
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一
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片山和俊(東京 芸術大 学建築科助教筏)
編 集 委員H
*l 委 員 長
千 葉次吟 デザ千ン工 学科教授)*
服部本 生 (
野城智也(東京六学大学院 工学系研究科助教授)-
中谷礼仁(大阪市立大学建築 学科専任講師)
.
して、成果の 一端を、市民、 実務者、研、 小林秀樹(建 設省建築 研究所 室長 )
立松久 昌 (月刊﹁住宅建築﹂顧問)
この﹁ すまいろん﹂ は、活動の 一環 と
L (03)3484I5381
T EFAX(03)3484 5794J
向は、バブル経済の終了とともに べ あら
ってくるような予感がする 。 本 当 に 正 し
句をほどんどすべてつくってわ る。 一九
、八0年代の半ばである 伊精 神 分 析〆
学の専
これほど明快ではな、
いけれども、登校拒
い予想か、間違った予一
想か分からないの
必要だというム
家 族 の 幸 せ が 再 度、
だが
あ ら た め て 特 集 を組んだ 。 新しい住まい
. づ ( り の 挑 戦 が い く つ か 出 て き て 、 本格
この確かめてみたいこつの関心から 、
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否児問題を住まいの問題として捉えた社
会学・建築学も担当に早か った。 一九六
ードが出ているように思う 。
定番になった家族と住まいの問題を 、
は、ニれは非常に早 熟 の予言であ フた。
0年代の終わりでの黒沢隆の個室群住居
門家の先見性という点で敬意を表するが、
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印刷附 ・製 本 H慶 昌堂印刷株式会社
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制 作 H建築思潮研究所
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く お 願 い 申 し 上 げ ま す。
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的に家族と住まいの関係を聞い直す 奪 門
家 の主張から、家族の解体がは っきりと
、 ,
あらためて扱うには、ニつの 動機 があっ
色うした時代が来る
た。 過去の予言は、 一
としても、私だけかもしれないがいささ
、 ,
か軽 ふ受け止めていたようム芯感じがした
こ と を 思 い 出 す か ら で あ る 。 しいて言え
(本号責 任編集 H服部容生)
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四 、
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て家族を大
進んだこと、しか土あらため、
切にする生活を視野に入れて、住まいを
再構築する必要があるニとが分か ったよ
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て 受 け 止 め て い た よ う な 記 憶 があるから
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ある 。 小此木の著作の 最 初も 、家庭の
〆