患者さんの生命を尊び痛み和らげる ブロック注射は

い の ち
現在では週1回の鍼治療をす
した。地域コミュニティの再
ックコースではインスト
害救護・国際協力ベーシ
TMATが主催する災
が、ネパールでは難しい
時安静にする処置を行う
スでは、日本であれば常
れた骨折患者さんのケー
だろうか。
當麻部長は
「不
心境で現地に向かったの
(1面から続く)
とがで き る た め 外 来 に
生に、それを利用したら良い
ため最低限の固定を保つ
整形外科の各病棟の看護
「被災地では『患者さん
要性を実感できたという。
勤務歴が長く、一般外科、 れたことで、個別性の重
任して8年目を迎えました。
い所です。私は院長として赴
と近く、交通の便が非常に良
ク後の安静時 間 は 分 間 で 、
超を実施して い ま す 。 ブ ロ ッ
全にでき、年 間 約 1 0 0 0 例
が集まる部位 ) ブ ロ ッ ク が 安
星 状 神経節(頚部の交感神経
るからです。子どもをおばあ
コミュニティがしっかりとあ
さん育てられるのは、地域の
く見られます。子どもをたく
以上のお子さんがいる方が多
は地元出身。女性職員は3人
一人者はシーザーであると確
思っていましたが、読後、第
サンダー大王とナポレオンと
私は世界的な英雄をアレキ
巻読み、すっかり塩野氏に
か、孤立集落を目指し、
では日中の高い気温のな
役割も担った。巡回診療
理やカルテ集計の重要な
助や準備、さらに物品管
診療での外科的処置の介
かし、仮設診療所や巡回
ある。こうした経歴を生
ていただきました」
とても貴重な経験をさせ
スができると思います。
実体験に基づくアドバイ
う初心を思い出させてく
のためになりたい』とい
いた時に、病院のロビー
洲会総合病院に勤務して
し た。
「 以 前、 名 古 屋 徳
クコースで教える際にも、 医療関係の看護師を選択
れます。今後、ベーシッ
でTMATの活動の紹介
機会を得やすいことから
生かし、海外で貢献する
仕事を選ぶ際も、資格を
々をこれまで旅行で訪問。 初めてという有本看護師
国外の災害医療現場は
えました」と振り返る。
めたりしながら活動に備
り合い、現地の情報を集
MAT事務局と連絡を取
ほうが強かったです。T
るぞ』という意気込みの
安よりは『よし、やった
る程度にまで回復した同様の
ラクターも務める。国外
けいつい
力を入 れ て い ま す 。 1
のではと思います。
処置を実施。このように
症例もあります。また、頚 椎
の被災地に赴いたのはネ
日平均 の 外 来 患 者 さ ん
リーダーの条件は先を読み
現地の環境やニーズに合
症で手は動くものの握力がほ
とんどない方が来院、頚部硬
〜
戦場で先頭に立ちぶれない
パールが初めて。
人で、ペイ
は約
ンクリ ニ ッ ク と 鍼 治 療
膜外ブロックを有効と考える
作家・塩野七生氏の『ローマ
業務に就いていたことも
わせたサポートに、携わ
人の物語』を直言で紹介され
ER(救急外来)での
回復したケースもあります。
ていましたので、文庫本で全
現在、東京、大阪、福岡、
その間に鍼を 行 い ま す 。 ド イ
信しました。素晴らしい軍人
現地の案内人の先導のも
なな み
第1診療室 は ベ ッ ド が 5 つ
笠利病院で働く職員は12
以前、鈴木隆夫理事長が、
並び、私が施 行 し て い る ブ ロ
0人ほどですが、職員の多く
回数施行し、握力が ㎏まで
奄美大島本島北部の笠利病
ック注射は手 袋 を 使 わ ず に 行
沖縄などへの直行便があり、
ちゃんや隣のおばさんに預け
であるとともに政治家でもあ
と険しい山道に足を踏み
な
院は、人口約6000人の笠
う工夫をして い ま す 。 こ れ で
鹿児島へは1日7便。住民の
ツでは鍼治療 が 盛 ん で 、 ペ イ
ることができたり、地区全体
り、現在の世に彼の教えが生
目標でしたので、ネパー
ルに行けることは素直に
嬉しいと思いました。現
地に着くまで、空港や街
の様子を見ながら、これ
から行くところは、どん
な状況なのだろうかと、
あれこれ考えていまし
た」と振り返る。
なん
巡回診療で、ある患者
頃までかかることがありまし
以前は午前の外来が午後2時
の右完全麻 痺 の 女 性 が 「 麻 痺
鍼治療は好評 で す 。 脳 出 血 後
リハビリ後に 鍼 を す る 方 な ど 、
痛みの改善 で 鍼 を 続 け る 方 、
に住んでいます。子どもたち
私の家族は福岡県太宰府市
なかったと思います。
れば、ここまで少子化が進ま
ミュニティがしっかりしてい
すが、奄美のように地域のコ
体では少子化が進行していま
員参加で楽しみます。日本全
祖父母、町の多くの方々が全
よる多数のご支援があるから
コメディカル・事務職などに
グループ内外の医師・看護師・
考えています。当院は徳洲会
頭に立って診療に励みたいと
シーザーに習い、病院でも先
てぶれないことを学びました。
ち、素早い判断を行い、決し
に先を読み、戦いの先頭に立
記』に、リーダーたる者は常
と、第1陣後発隊のひと
當麻俊彦・整形外科部長
第1陣副隊長を務めた
は振り返る。
た」と浅野・看護副主任
の大切さを実感できまし
じて「個別性のある看護
ネパールでの経験を通
害医療に対して特別な関
當麻部長はもともと災
取り残されていましたの
で街まで下りて来られず、 「現地に合った方法が大
魅了されてしまいました。
関心をもつようになりま
した」
。
は「海外の被災地支援は
念願であった航空・船舶運賃
ンクリニック を し て い る 医 師
で 子 ど も を 守 っ て い く 習 慣・
きていることを学びました。
けい ぶ
が離島割引制度により、通常
の7割は鍼を 併 用 し て い る と 、
風土があったりするおかげで
入れることを繰り返した。
せ い じょう
運賃の約半額で島の方たちは
東北大学病院 の 漢 方 内 科 の 教
シーザーが書いた『ガリア戦
展示を見て、災害医療に
鹿児島と奄美各島を行き来で
す。小学校の運動会は父母、
たが、現在では 時半には終
側の手足の痺れ、痛みがいつ
が小学生の時、通学班があっ
りである有本菜実子看護
心はもっていなかった。
で、そうした患者さんへ
先生が常勤医として赴任され、
はり
ま
ひ
しび
巡回診療は重要な取り組み
災地の医療支援活動に従
設診療所と巡回診療の両
方に携わった。ネパール
語が公用語のため、患者
さんへの問診を行う際に
は、岩村記念病院の学生
が通訳を担当、英語を介
して患者さんへの問診を
包帯を巻くという処置を
膏を塗布しガーゼを当て
実施。必要量を渡して数
日間継続するよう指導す
る場面があった。ガーゼ
をとめるテープは現地に
ないものだったため、使
い切った後のことを考慮
行うことができたという。 し、包帯の先を切って固
定する方法を教えた。
組みでした。仮設診療所
「山間部の被災者は自力
事であることを改めて確
整形外科医の招集がかか
では骨折など外傷、風邪、 題はもっと早く被災現場
認する機会となりました」
り、當麻部長に白羽の矢
胃腸炎、下痢など内科系
こと。急性期の外傷医療
に入り、診療を開始する
當麻部長は「今後の課
ンドネシア・ジャワ島中
が立ってジャワ島で診療
疾患の患者さんを診療し
事した経験がある。
こう
わるようになりました。外来
もあり泣いて い ま す 」 と 訴 え 、
師のふたりは八尾徳洲会
ところが、
インドネシア・
の巡回診療は重要な取り (有本看護師)
さんを手当てした際、軟
患者さんの待ち時間が減少す
ブロック注射 を 頼 ま れ ま し た 。
こそ現在があると考えます。
総合病院(大阪府)に勤
ジャワ島中部地震の時に
ふたりは5月1日午後
る一方、患者さんが増加し良
て、年長の子が班長となり近
今後も離島・へき地医療の
年のイ
にバラビセに到着し、仮
い循環が生まれています。仲
この症例で治 療 を し た と の 報
くの子どもたちを連れて登校
充実を目指し、ご協力いただ
務。當麻部長は
子どもたちに明るい未来を
田先生が鍼やブロック注射を
告はありませ ん が 「 や っ て み
していました。この時、親た
ければ幸いです。この場を借
が、4月から外科の仲田一男
習得し、交代で訪問診療や他
ましょう」と 、 星 状 神 経 節 ブ
ちは集合場所を決めて集まっ
たとえば巡回診療で訪
の業務を行えるようになり私
ロックを麻痺 側 に 有 効 と 考 え
りて深く御礼申し上げます。
だ ざい ふ
の負担は軽くなりました。
て見送りをするなど、小学校
年のハイチ地
に取り組んでいるうちに
会から離れていた時期が
が強く、東南アジアやオ
ともと海外に対する関心
一方、有本看護師はも
くれました」
(當麻部長) 携わっていきたい」とそ
次々に患者さんが訪れて
年の東日本大震災
あり、その間に東日本大
セアニア地域の多数の国
はスピードが勝負ですか
震災が発生。TMAT隊
日本を出発後、どんな
れぞれ抱負を語っている。
後も継続的に災害医療に
ることが口コミで伝わり、 ら 」
、 有 本 看 護 師 は「 今
員としてではないが、被
震、
部地震、
でTMATとして活動。
興味をもつようになった。 ました。診療を行ってい
06
有本看護師は一時、徳洲
10
当院は 床ですが、外来は
すすむ
お か
11
12
一般病院と同じように行うこ
患者さんの生命を尊び痛み和らげる
ブロック注射は年間約1000例超
笠利病院院長
岡 進
皆で頑張りましょう。
を核にコミュニティがありま
地域コミュニティ充実させ
43
る回数施行し 、 鍼 治 療 も 併 用
巡回診療の様子(左は先遣隊の村上楽・徳之島
徳洲会病院内科部長)
15
したところ痛 み や 痺 れ が 消 失 。
7年間は常勤医1人でした
授にうかがい ま し た 。
巡回診療先で患者さんに外科処置を施す
きるようになりました。
あか き
ます。奄美空港から車で5分
30
に特色 を 出 し て い ま す 。
80
利町赤木名地区に立地してい
かさ り
70
頚椎症で握力 ㎏まで回復した症例も
30
89
平成 27 年 9 月 7 日 月曜日│No.996 ❷
聞
新
洲
徳
生 命だけは平等だ