稲 吉 佑 紀 さ さ い な こ と で も感謝 で き る そ れ は 山 で し か

さまざまな分野で活躍する豊川市
出身のトップランナーを紹介します
ささいなことでも感謝できる
さん
それは山でしか味わえないこと
吉 佑紀
平 成 年、 日 本 人 女 性
番目となるエベレストの登
頂 を 果 た し、 昨 年、 世 界 で
2 番 目 の 標 高 を 誇 る「K2」
踏破に挑んだ稲吉佑紀さん
にお話を伺いました。
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子 ど も の 頃 か ら、 キ ャ ン
プや山登りに親しんでいた
い た 稲 吉 さ ん。 ア ル ピ ニ ス
ト と し て、 本 格 的 に 活 動 を
始 め た の は、 歳 の と き。
剣 岳、 穂 高 岳 な ど 標 高 3 千
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㍍ 級 の 山 々 を 踏 破 す る 中、
さらに高い山へ登りたいと
い う 思 い か ら、 豊 橋 山 岳 会
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に入会。
夢であったエベレストへ
の 挑 戦 は、 歳 の と き だ っ
た。「 登 っ て い る 時 は、 苦
し さ よ り も、 チ ャ レ ン ジ で
きているということが何よ
り も う れ し か っ た 」 と 話 す。
そ れ で も、 世 界 最 高 峰 の 登
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〈アルピニスト〉
稲
2015 年夏に登頂を目指した「K2」標高 5,500 m地点
頂 は 過 酷 を 極 め た。 標 高
6 千 ㍍ か ら 7 千 ㍍ に か け て、
徐々に高度を上げながら体
を 慣 ら す 作 業 を 繰 り 返 す。
こうした作業に体が順応せ
ず、 頭 痛 や 倦 怠 感 に 襲 わ れ、
寝ているときでさえ心拍数
は100を超える状態が続
い た。 し か し、 こ の 状 況 下
で 登 頂 を 果 た す も、 想 像 す
るほどの達成感を得ること
は な か っ た。 そ れ は「 日 常
で経験する緊張感をはるか
がらせる緊迫した局面が続
いた」
結 果 は、 登 頂 断 念。 天 候
不 順 に 加 え、 感 染 症 に よ る
体調不良を起こしたことが
原 因 だ っ た。 同 行 す る ド ク
タ ー か ら、 下 山 す る よ う に
指 示 を う け た 時 は、 悔 し く
て 涙 が 止 ま ら な か っ た。 そ
れ で も、「 で き れ ば 来 年、 も
う 一 度 挑 戦 を し た い。 そ れ
ま で に、 体 づ く り に 力 を 入
れていきたい」と気持ちを
切り替えている。
K2 登 山 を 経 て、 常 に 危
険と対峙する高所登山の魅
力 を「 極 限 の 環 境 下 で は、
ささいなことも感謝の気持
ち が 生 ま れ る。 苦 し い と い
う感情でさえ楽しいと思う
ことができる」と語る。
視 線 の 先 に は、 挑 戦 を 待
つ、 名 だ た る 世 界 の 山 々 が
広がっている。
御津南部小学校、御津中学校、
御 津 高 校、 愛 知 大 学を卒業。
2013 年、日本人女性 14 番
目となるエベレスト登頂を果た
す。現在、豊橋山岳会に在籍
に 超 え る 環 境 に い た た め、
感情さえも停止した状態に
なっていた」と振り返る。
そ し て、 昨 年 6 月、 さ ら
な る 高 み を 目 指 す。 山 頂 へ
のルートはエベレストより
も 険 し く、 多 く の ア ル ピ ニ
ストが命を削り踏破を目指
す「 非 情 の 山 」K2。「 同 行
者が落石により骨折するな
ど、 雪 崩 や 落 氷 に 神 経 を と
稲吉 佑紀(いなよし ゆき)
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