アカデミー 「研修」 の現場を行く! 三重県 紀宝町 住民の「笑顔」にこだわった広報紙づくりで 全国広報コンクールの内閣総理大臣賞を受賞 平成26年6月、アカデミーは研修科目「広報・広聴の効果的実践」で三重県紀宝町の事例を紹介した。今号では 紀宝町の事例をあらためて取材した。 紀宝町は三重県の最南端にあり、東に熊野灘を望む位置にある。近年は全国広報コンクール(公益社団法人日本広 報協会主催)の入賞常連自治体として知られ、平成26年度の同コンクール広報紙部門(町村)では、ついに最優 秀賞となる内閣総理大臣賞に輝いた。全国から高い評価を受けているこの「広報きほう」は、実は企画から取材・ 執筆・デザイン・組版まで、すべてたった1人の職員がこなしている。広報紙の制作については全くの素人で、文 章を書くのは大の苦手だったという担当者を支えているのは、「住民の皆さんを笑顔にしたい」という熱い思いと 郷土愛である。 わらげている。子育て世代を意識した写真やイラストも 内閣総理大臣賞の対象となったのは、 「広報きほう」 なって一緒に考えようとしている紙面構成が評価でき の平成25年12月号である。全40ページのうち23ページ を、 「子育てはつらい?」と題した特集に費やしている。 効果的である。何よりも子育ての悩みについて親身に る」としている。 同年のコンクールでは、広報写真(1枚写真)部門 表紙は大粒の涙を流す赤ちゃんの写真をアップで掲載 でも2席に入った。対象となったのは平成25年2月号の し、特集の扉では、人格形成に大きな影響を及ぼす就 表紙で、1人の保育園児が満面の笑みを浮かべてイチ 学前までの子育て世帯にスポットを当てて、 「そんな大 ゴ狩りを楽しんでいる姿を捉えた写真である。審査員 切な時期を、できる限り充実して子育てに向き合えるよ 講評では、 「広角レンズで子供の表情に近づき畑の広 うにする」ため、みんなで考えようと呼びかける。 さやまわりの雰囲気を強調する撮り方は表現力がある」 特集の本文は、子育て世帯に対するアンケート調査 「遠近感のある撮影ポジションの設定、表紙写真として の結果と、そこから浮かび上がった子育てに関する悩 の使い方、コピーのレイアウトにも巧みな計算とキャリ みへの専門家によるアドバイス、子育て支援センター アを感じる」と高い評価を受けた。 やファミリーサポートセンターの案内、発達障害や児童 紀宝町の受賞歴はこれにとどまらない。平成22年は 虐待についての解説、相談窓口の紹介など、充実した 広報写真(1枚写真)部門で入選し、23年は広報紙 構成となっている。審査員講評は次のように授賞理由 部門(町村)で1席に入った。24年は広報紙部門(町 を述べている。 村)で特選(総務大臣賞)を受賞し、広報写真(組 「広報としての問題意識を感じる子育て特集である。 み写真)部門でも入選した。25年は広報紙部門(町 まず、アンケート調査を行い、地域の実情を把握・分 村)で1席(読売新聞社賞)に入り、26年を加えると、 析することから着手したことが、読者の共感を呼ぶ紙 実に5年連続の受賞ということになる。 面につながっている。発達障害や児童虐待の問題も丁 32 寧に取り上げ、 『ひとりで悩まないで』と親の不安をや 読者の共感を呼ぶ 特集が高く評価 vol.112 平成 年度全国広報コンクール広報紙部門で内閣総 理大臣賞を受賞した﹁広報きほう﹂平成 年 月号 26 25 12 雑誌を買い集めて レイアウトを勉強 にその場の空気を切り取ればいちばんいい表情になる かを考えるように努めている。 「撮る側からすれば何十 人も撮影するうちの1人だったとしても、撮られる側に 「広報きほう」の制作を担当するのは、企画調整課 してみればたった1枚の写真かも知れません。だからこ 広報広聴係長の竹鼻康さんである。平成13年4月に入 そ、本当にその人に喜んでもらえるような写真を撮りた 庁し、産業建設課、総務課を経て21年4月から現在の い」と竹鼻さんは語る。 仕事についている。自ら「広報の仕事がしたい」と希 「広報きほう」の人気コーナーの1つに、満3歳の誕 望しての異動であった。紀宝町は、平成18年1月に旧 生日を迎えた子どもたちの写真とお母さんからのメッ 紀宝町と旧鵜殿村が合併して誕生した町で、竹鼻さん セージを毎号2∼3人ずつ掲載する「はしゃぎっ子」 は鵜殿村時代に「広報うどの」の最後の担当者であっ がある。たった1枚のベストショットを撮るために、500 た。 「学生時代は国語は大の苦手で、写真も一眼レフ 回以上シャッターを押し続けるのは当たり前のことに カメラを持ったこともなかったが、もともと何かを作った なっている。3歳にもなれば人見知りをしてお母さんの り表現したりすることが好きで、レイアウトにも興味が 陰に隠れてしまう子もいるので、その子らしい笑顔を見 あった」と、再び広報紙の仕事を希望した理由を語る。 せてもらうまでの苦労には並々ならぬものがある。その 係長とはいっても、広報紙の担当は竹鼻さん1人で 甲斐あってか、紙面に載る3歳児たちの表情は1人残 ある。取材や写真撮影、原稿執筆はもちろんのこと、 らず、生きる喜びと未来への希望に満ち溢れている。 DTPを使ってのレイアウト、画像処理、組版まで、さ DTPについては、解説書を何度も繰り返して読みな らにはイラスト描きまでも自分ですべてこなし、完全版 がらとにかく自分でいじって操作方法を覚え、どうして 下の形で印刷所に渡している。写真を撮るのも原稿を もわからないところがあったら印刷所のベテランオペ 書くのも久しぶりで、DTPを使うのは初めての経験で レーターに尋ねたりもした。 「操作を覚えれば覚えるほ あった。前任者からも、基本的な段取りを除いて特に ど自分の表現力も上がっていくと思い、ゲームに挑戦 これといった引き継ぎはなく、 「自分のカラーを出してや するような感覚で1つひとつ機能をマスターしていきま ればいい」と任された。最初の1年は「無我夢中でも した」と振り返る。 がきながら写真を撮ったり原稿を書いたりする毎日でし た」と振り返る。 写真やレイアウトについては、さまざまなジャンルの 子育てや自殺予防などを テーマに大特集を組む 雑誌を買い集め、アングル、写真と文章のバランス、 「広報きほう」の大きな特徴となっているのが、特集 空白の活かし方などを勉強した。 「これ、いいな」と思 記事である。前述の「子育てはつらい?」のように、平 うレイアウトなどがあれば、どんどん取り入れていった。 成22年から毎年12月号に紙面の半分以上を割いて特 写真はとりわけ人物を写す場合が多いので、どのよう 集を組んでいる。他のテーマとしては、22年が「認知 vol.112 33 平成 年9月に発生した台風 臨時号を発行した。 23 号災害の直後に災害 12 症∼ひとりで悩まないで∼」 、23年が「台風12号の教 殺率が三重県の中で高いほうであるという統計データ 訓を活かすため 後世へとつなぐ記録」 、24年が「命 がきっかけになった。 「自分も精神的につらい時期が をつなぐ 自殺を未然に防ぐために、私たちができる あったので、怠けているように見える人に対して『怠け こと」などである。 るな』と叱るのではなく、 『どうしたの』と言えるような 23年の台風12号による被害は、 「平成23年紀伊半島 大水害」として知られるものである。町内でも川原地 区と役場で100mmを超える1時間降水量を記録し、死 者1名、行方不明者1名、家屋被害991世帯(全世帯 の18.1%)のほか、土砂災害、河川護岸崩壊、道路の 中を語る。 関係団体の連携・協力で 充実した紙面づくり 崩落など甚大な被害が発生した。 「広報きほう」10月号 これらの大きな特集については、テーマが決まると1 は「災害臨時号」として、復興支援に関する情報など 年以上をかけて形にしていくのである。自殺予防特集 に特化した紙面を作成し、さらに12月号でも改めて特 の場合は特に繊細な配慮が求められるテーマであるこ 集を組んだ。特集タイトルにあるように、この災害の教 とから、1年半ほど前からさまざまな研修に参加するな 訓を忘れず語り継ぐことを主なねらいとしており、土 どして基本的な知識を得ていった。こうした、必要な 砂・浸水の被害区域を地図上に示すとともに、住民の 情報を収集・整理するのに、まず最低半年以上の時間 体験記、消防署・警察署・消防団からのコメントなど がかかる。そのうえで特集の構成案を練り、このペー で構成されている。 ジは誰に取材するか、誰に寄稿してもらうか、どのよう 23年以外の12月号特集については、竹鼻さんが取 な情報を盛り込むかなど、少しずつイメージを具体化 材などで地域住民と接する中で見えてきた課題や、住 していく。そして、取材・写真撮影・原稿執筆・原稿 民から求められていると感じたテーマを取り上げている 整理・レイアウト・組版・校正、印刷・製本といった という。例えば25年の子育て特集は、次のような思い 実質的な作業に2∼3か月をかけている。 がきっかけとなった。 大きな特集以外でも、記事の内容を充実させるため 「保育所に行ってお母さん方と話す機会も多いので に欠かせないのが、地域のさまざまな関係団体・関係 すが、子育てに疲れ果てて我が子を怒鳴りつけている 者との連携・協力である。子育て特集の場合は、すで お母さんを見ることもあります。紀宝町は子育て支援に に関係団体の強固なネットワークができあがっており、 力を入れているので、まずどのような制度があるのか、 その全面的な協力のもとに紙面がつくられていったの どのような取組みがなされているのかを知ってもらって、 である。それは子育て支援センター、保健センター、 『1人だけで悩まなくても大丈夫ですよ』とお母さんた ちに伝えたかったのです」 また24年の自殺予防特集については、熊野地方の自 34 地域社会が必要と考えました」と編集に取り組んだ胸 vol.112 保育所、幼稚園、児童発達支援センター 「通園めだか」 という5機関によるネットワークである。例えば乳幼児 健診で何らかの問題が疑われる場合や保護者からの 紀宝町はウミガメの町としても有名。特集で取り上 げる際には、生まれてくる神秘の世界を壊さないよ うに、最小限の照明で撮影した。 烏止野神社(うどのじんじゃ)例大祭では、波しぶきを浴びな がらの撮影となった。 相談事があった場合、その内容に応じて速やかに適切 隊の派遣を要請し、同日午後4時には災害救助法が適 な機関につなぐといった連携が図られている。 用されたのである。そして洪水警報や大雨警報が解除 今回の特集を組むに当たっても、竹鼻さんはこれら されたのは5日で、7日に至って最後まで出されていた の機関の代表者たちに集まってもらい、 「不安や悩みを 高岡・鮒田・大里地区への避難勧告がようやく解除さ 抱えながら子育てに孤軍奮闘しているお母さんたちに れた。 対して、皆さんがどのような支援を行っているのかを 当然ながら庁内はすべての職員が災害対応に追わ 伝えてあげたい」といった思いを率直に打ち明けた。 れ、竹鼻さんもごみ処理や避難所運営に奔走した。か 「そうすると、 『そんなに一生懸命考えているのなら、な つてない非常時であり、広報紙の発行を見送ることも んでも協力する』と言ってもらえました。子育て世帯へ やむを得ないとの見方もあったが、 「住民の方たちは情 のアンケート調査を実施する際にも、忙しい中で時間 報がなかなか届かなくて、本当に困っていました。この を割いていただき、質問項目の設定など細部にわたっ ようなときこそ広報紙を出さなくてどうするんだという思 てアドバイスをいただきました」と振り返る。 いが強くなり、上司に相談して災害臨時号をつくらせて この特集号が発行されてから、 「通園めだか」への もらうことになりました」と振り返る。 問い合わせや見学者が増えた。 「記事をきっかけに一 通常なら2週間かかるところを4日間で制作したとい 歩踏み出そうとしてくれる人が増えたことがすごく嬉し う災害臨時号は、28ページのうち26ページを災害関連 い」と竹鼻さんは語る。 の記事や情報に割いた。 「ライフラインが途絶えて、新 情報は生ものであることを 痛感した「災害臨時号」 聞もテレビも見ることができない。ほかの地域がどんな 状況なのか、住民の皆さんにはまったくわからなかった ので、そうした情報をお知らせしようと思いました。そ 5年以上に及ぶ「広報きほう」の編集・制作の経験 してもう1つ、被害に遭った住居を直そうと思っても、 の中でも、特に印象深いと竹鼻さんが話すのが、前述 どのような支援制度があってどこの窓口に行ってどのよ の平成23年10月号「災害臨時号」である。大災害をも うな手続きをしたらいいのかが、住民の皆さんにはわか たらした台風12号は極めて動きが遅く、日本列島は8月 らない。そこで、国、県などに連絡をとって復興支援 末から9月上旬まで長期間にわたって影響を受けた。 に関する制度の情報を集めました」と語る。 紀宝町でも、8月31日の夕方に波浪警報が発令された 表紙から5ページまでは、写真を多く掲載して豪雨 のを皮切りに、9月2日には大雨・暴風警報、洪水警 のすさまじさや各地域の被害の状況を伝えた。6∼7 報、土砂災害注意報(大里・浅里両地区)が相次い ページは台風12号の概要と町の対応をまとめた。 「編集 で発令された。3日には高岡・大里・鮒田・成川・鵜 時には、ほとんどの職員が現場に出ていて、なかなか 殿の各地区に避難指示が出され、翌4日の未明にかけ 情報が集まらず、台風の概要をまとめるのに苦労しま て豪雨はいよいよ激しさを増した。5日午前4時に自衛 した」と当時を振り返る。8∼9ページは、県内外から vol.112 35 平成 年9月に発生した台風 号災害では、海上保 安庁のヘリコプターに同乗させてもらい被害の様子 を撮影した。 23 12 「光の祭典 in 紀宝」は町の冬の風物詩である。イベントの様子 を山影とともに撮影した。 集まったボランティアの方たちの活動や、全国から寄 際に時間的な制約のためできなかった被災者へのイン せられた物心両面での支援に関する記事を掲載した。 タビューに重点を置いた。 「さまざまな立場、地域、年 そして10∼25ページには、被災者支援に関する各種 齢層の方たちから生々しい声を聞かせてもらいました。 の制度を詳しく掲載した。編集時間を短縮するためレ 災害当時の思いは時間が経つにつれて風化してしまう イアウトにはこだわらなかったというが、そうした中でも ので、広報に掲載することで後世への貴重なメッセー 再建の意向別にどのような支援制度を使えるか、何 ジを残そうと考えました」と当時の思いを語る。 ページを見ればいいのかをわかりやすく示したインデッ この号についても、 「災害の教訓を伝えるため学校に クスを設けるなど、見る側の視点に立った工夫がなさ 置いておきたい」 「警察学校のテキストとして使いた れている。例えば、 「住まいを建て替え・取得したい」 い」といった反響があった。 なら独立行政法人住宅金融支援機構の災害復興住宅 融資(14∼16ページ)と被災者生活再建支援制度 (13ページ) 、 「住まいを補修したい」なら生活福祉資金 制度による貸付(16ページ) 、母子寡婦福祉資金の住 竹鼻さんが特にこだわっているのは、できるだけ多く 宅資金(17ページ) 、災害援護資金(12ページ) 、と の住民が紙面に登場する「参加型の広報」である。 いった具合である。そして最終ページでは、西田健町 その典型が、毎年1月号の表紙である。平成26年1月 長が「復興・再生に全力で取り組みます」というメッ 号では、赤ちゃんや子どもたちを中心とする249人の町 セージを発信している。 民の笑顔の写真が表紙を彩った。笑顔の写メールを この災害臨時号はかつてない反響を巻き起こし、役 送ってもらい、それらの写真を残らず使ってレイアウト 場には「○○に住むおばちゃんのところにも持っていき するという試みは、 「お正月号だからおめでたい雰囲気 たいからあと5部ほしいとか、息子にも見せたいからあ にしたいけど、日の出の写真などでは平凡である。み と1部ほしいといった依頼がどんどん来た」という。当 んなの笑顔で表紙を飾ろう」との発想で23年1月号か 時を振り返って、竹鼻さんはこう述懐する。 ら始まった。1年目の応募は120名ほどであったが、 「毎 「住民の方がほしい情報を本当にほしいときに出すこ 年楽しみにしてるよ」と言ってくれる住民も徐々に増え との大切さを、身に染みて痛感したし、そうした当たり て、4年間で2倍以上になった。他市町村の広報担当 前のことを実践すればちゃんと読んでくれるということ 者から、 「このアイデアをうちでも使わせてほしい」と もわかりました。改めて、情報は生ものであることを実 いう連絡が来ることもあるという。たしかに、無邪気な 感しました」 笑顔の1つひとつを眺めていると幸せな気持ちになれる この2か月後に発行したのが、前述の平成23年12月 号(特集「台風12号の教訓を活かすため 後世へと つなぐ記録」 )である。この特集では、災害臨時号の 36 住民がどんどん登場する 参加型の広報を目指す vol.112 し、 「こんなに笑顔のあふれている町なら未来も明るい はず」という希望を抱かせてくれる。 前述の「はしゃぎっ子」も住民参加によるコーナー 取材で訪れた際に保育園児から﹁カメラーメン﹂と 呼ばれたのをきっかけに、イラスト化して広報誌に も掲載し、親しまれている。 紀宝町企画調整課広報広聴係長・竹鼻 康さん。 の1つ。ほかにも、20代の若者が毎号1人ずつ仕事の カタカナ言葉は極力使わないようにしています」と竹鼻 内容や趣味、理想のタイプなどを語る「若い衆登場」 、 さんは語る。また、公共料金の改定のように住民に負 さまざまな分野で活躍する住民がエッセイをつないで 担をお願いする場合は、なぜそうしなければならない いく「ペンリレー」などがある。町の知られざる名所な のかをできる限り具体的に説明するよう努めている。住 どを紹介する「紀宝の珍百景」にも、地域のことを隅 民が納得できるような材料を提示するよう、担当課に から隅まで熟知する住民ならではのおもしろい情報が 要請することもある。 たくさん寄せられる。 さまざまな行事の写真撮影も1人でこなすため、土 住民に紙面づくりへ積極的に参加してもらうために 日に仕事が入ることは珍しくない。校了間際に原稿の は、編集者の側も意識的に住民の懐へ飛び込んでいく 追加や差し替えが入るケースも頻繁にある。精神的に ことが求められるのである。竹鼻さんは自分の名前 も肉体的にもハードな業務だが、モチベーションを維持 「康」にちなんで、特に子どもたちに向けては自分を するエネルギーとなっているのは、まず何といっても読 「やっちゃん」と呼んでもらうようお願いしているという。 者からの反響である。そしてもう1つは、全国の各自治 名前で呼ぶことがお互いの距離を縮めるきっかけにな 体で広報紙を制作している仲間たちとの交流である。 るからである。 全国広報コンクールの主催者・日本広報協会が毎年 ある保育所を取材で訪問し、いつものように「やっ 開いている全国大会やコンクールの表彰式などが、そ ちゃんだよ」と自己紹介したところ、1人の園児が天然 うした交流の場となるのである。 「情熱を持った職員が パーマの頭を見て「やっちゃんの髪の毛はくるくるして 集まるので、飲み会に行ってもずっと広報の話ばかりと てラーメンみたい。カメラマンじゃなくてカメラーメンや なる。それぞれに得意分野があり、お互いにノウハウ ね」と言った。竹鼻さんは早速、頭にラーメンを乗せ を教え合ったりしてとても参考になります。また、広報 たキャラクター 「カメラーメン」を創り上げ、今では毎号 担当ならではの苦労話を披露し合ったりして、ストレス 最終ページに掲載している編集後記「ひとりごと」の 発散にもなっています」と竹鼻さんは語る。 欄にもカメラーメンのイラストが添えられている。こん 今後の抱負については、次のように語ってくれた。 な遊び心も、笑顔があふれる親しみやすい広報紙づく 「女子高生など若い人たちが『広報きほう』を読ん りの秘訣かもしれない。 全国の広報担当者との 交流がエネルギー源 で、その記事をめぐって盛り上がれるような紙面を作り たいです。また、お父さんたちが家に帰って読むのを 楽しみにするような存在になることが目標です。一度読 み始めてくれたらずっと読んでくれると思うので、その 文章の面で心がけているのは、お年寄りや子どもに きっかけをつくるためにも、もっと親しみやすいレイアウ もわかりやすい表現である。 「自分が読んでわからない トを工夫したり、見て思わず笑顔になるような写真をど 言葉は、できるだけわかりやすい言葉に言い換えたり、 んどん撮っていきたいと思います」 vol.112 37
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