前尼崎市長 白井 文 「今“レジリエンス”を考える」

前尼崎市長
白井 文 「今“レジリエンス”を考える」
2015 年 5 月 16 日(土)
兵庫東支部
年次総会にて
白井文さんは 2002 年 12 月全国最年少女性市長に当選 2 期 8 年間尼崎市長
を務める。市長時代に感じたこと“地域を支える人が少ない”町内会の世話役の
なり手がいない、民生委員も同様、皆様のような会社勤めの方は勿論、世話役の
なり手がいないから、どうしても地域の自営業の方になる。
市長になって 3 年目 2005 年の 10 大ニュースに尼崎が三つも入った。
① 1 月 パナソニックプラズマ工場、尼崎に決定
(当初尼崎は優位ではなかったが交通の便で決定)
② 4 月 JR福知山脱線事故
③ アスベスト被害訴訟
本日のテーマ“Resilience”とは心理学用語で回復力、復元力という意味です。
これは東日本大震災で自分の命を顧みず他人を助け、自らの命を犠牲にした生
きざまの日本人を見た外国メディアから出てきた言葉でもあります。
レジリエンス向上のポイントとして四つあげられた。
① 自分の頭で考える癖をつけ、シュミレーションすること。
② 多様な価値観を認め、柔軟性を持つ。
③ 責めるより褒める。
④ コミュニケーション能力を高める。
(聞くこと、相手のボールを受け止めること)
これを念頭に福知山脱線事故を振り返ってみました。
4 月 25 日当時武庫之荘で会合を行っていたが、秘書から”至急退席を“とのメ
モが来た。何か大変なことが起きたのではと…市役所へすぐに戻りTVを見る
とマンションに列車が突っ込んだ映像。事故発生は 9 時 18 分。
いち早く救助にあたったのは、すぐ近くの工場(日本スピンドル製造(株))現
場の作業員が事の重大さを直感し、役員会議中の社長へ直訴、社長もそれにすぐ
さま応え小グループごとに救助にあたった。これはフェーズ 0 初期救助対応で
最も救命率が上がるレベルである。「日頃の備え」があったから出来た。
なおこの惨事を目の当たりにして近所の人々も負傷者の対応にあたった。そ
のため 107 人の死傷者で済んだのではないか。
事故後、日本スピンドル(株)に対し感謝状を贈呈、また近所の不特定多数の無
名の人々に対し「救助にかかわったすべての人々」宛の感謝状を作成して市役所
1
の1階に飾っています。
話は戻るが事故発生時「災害対策本部会議」を立ち上げたが、前代未聞のため
マニュアルがなく、私がお願いしたことは二つ。
① 家族がこの事故にあったと思い、心をこめて対応してください
② 会議で物事を決めるのではなく、現場に全ての権限を与えた。
消防署員は 40 時間近く、眠らず、食べずの状態で肉体的にも限界と思い「一
旦引け」と消防局長に指示をした。消防局長は「これが私たちの仕事、使命」と
言い指示を拒否された。
「気を付けて無理をしないように」としか言えなかった。
過去に例を見ない体育館が遺体安置所となった、私自らが遺族や負傷者の家族
に面会に当たった、激しい不平不満の声を予想したがそれは全く出なかった。逆
に「現場の皆さんにお世話になっています、ありがとうございます」と感謝の言
葉、ねぎらいの言葉をかけられた。何事も誠意が大切と思った。現場にはアバウ
トな指示しかしていないのに、優先順位を決め日常業務をしながら対応してい
た。その後、保健士からPTSD(後遺症で悩んでいる)の方々に「面会して話
をしたい。その方たちへお会いする口実に市長の手紙が欲しい」と言われたので、
手紙を書きお渡しした。
また今も問題となっている“クボタ“周辺の方々のアスベスト被害があった。
福知山脱線事故の経験を活かし、すぐにお会いし被害者に寄り添うことができ
ました。
最後に白井さんは「私たちは命を頂いている、生かされている。不平不満は日
常誰でもあるが“ガンバラ”なくてはいけない」と結ばれました。
レポーター
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岡田