大庭 純 6 段 <合気道について> 日本古来の尚武の精神的伝統を

大庭 純 6 段
<合気道について>
日本古来の尚武の精神的伝統をふまえた、
日本にあっては森羅万象のことごとく神
もっとも正統な流れに立つところの武道の
(生命)が宿っていると古来より考えられ
一つです。
てきました。
開祖は合気道を「不断の心身鍛錬をもっ
われわれは、そうした横溢する生命力の中
て人間求道の平常の行いとなす」ことを第
に「生かされている」ことと自覚すべきです。
一義とする武道であると言われております。
そのことに感謝し、和楽の生き方とするこ
真の武道とは、いたずらに力に頼り他人
とを常々心がけていかねばなりません。
と相対して強弱・勝敗を争うような見てく
れの格闘技などではなく、日ごろ同志と相
<青少年の指導について>
和して切磋琢磨をはかりつつ自己の人格的
完成を願う求道に他なりません。
合気道の究極は「和」と「愛」とをもって理
この相和(和合)の精神があればこそ、合
想とするところの求道的な「気」の武道であ
気道では勝敗を争う試合は不可能と考えて
り、心身、特に心の錬磨錬成を通じて人間的
きたわけです。
人格的完成へと導くことを目指す「行」の道
もちろん、合気道の技法は少し方向を変化
であるからです。
させたり、力の配分を変えたりすることに
したがって、非力な子供や気弱な子供に
よって、必殺の武術に一変してしまいます。
対しては、心身を地道に反復鍛錬すること
相手に大きなダメージを与えることもでき
によっておのずから身につく「気」の力、つ
るのですが、それをあえてせぬところに、合
まり気力や気迫の養成に重点をおき、気力
気道の目指した理想があったのです。
や気迫を体得することで自然に落ち着きや
大きな宇宙の中において、人の営みを闘
もの怖じしない自信、あるいは友達との協
争の世界と見ることなく、
「和合」と「生成」
調性などが心にしっかりと根付くよう指導
の世界として捉える合気道の理念は、天地
しなければなりません。
の気(呼吸)に合わせる道であり、
「合」は
拝
「愛」に通じる教えでもありました。