テクノえっせい - 中国経済産業局

テクノえっせい 348
経済を支えたそろばん
広島工業大学名誉教授
中山勝矢
電卓やパソコンのおかげで、いまではそろばんの影が薄
くなりました。 でも「読み書きそろばん」といわれるように、
かつては子ども教育の必須科目だったのです。
そろばんは単なる道具ではなく、算数、つまり演算そのも
のです。江戸末期、わが国では識字率が高かった上、驚く
ことにかなりの人がそろばんを扱えたのです。(写真1)
考えてみると、和数字の一、二、三・・・あるいは壱、弐、
参・・・と縦書きで記帳され、しかも 0 がない数値の合計や
歩合を求めることは、難儀な仕事だったと想像されます。
(写真1)そろばんを手に商売に励む昔の商人)
●道具は先人の知恵
非常に古い時代から、ものの数を記す文字はありました。
例えば古代ローマの人たちは1837はMDCCCXXXVIIと書
いていました。これでは読めても計算は難しい。
事情は、ギリシャ語もヘブライ語も、そして中国語も同じで
した。例えば八百三十七から五十八を引いて4人にわけろ
と言われたとしたら、どうしていたのでしょうか。
そろばんの出番はそこです。初めは平らにした砂地に小
石を置いて数えていたようですが、次第に板に彫った溝に
タマ(球、珠)を並べて動かすような工夫が生まれました。
そしてさらに串に挿したタマを上下する形に整えられてい
きました。(写真2)ただ世界には、串を横に並べて、下から
上に、1、10、100と桁を取る方式もあったようです。
今日ロシアでシチョーティと呼ばれているそろばんは、横
串にタマが10個あり、このタイプだと思われます。東から西
に伝わったのか、あるいはその逆だったのか分っていませ
ん。
(写真2)今や貴重品になった5ダマそろばん
(古くは上段2個、下段5個のタマがついた
そろばんがあった。写真は変遷の過渡期に
あたる大正・昭和初期のもの。その後には、
下の段4個の4ダマそろばんが普通になる)
いずれにせよ串にあるタマから数を読み取り、文字に戻し
ていきますが、そのとき数のない桁がでますから、そこには
0と書きました。これがインド発の算用数字の始まりです。
わが国には16世紀中ごろ、足利時代末期には中国商人
によって九州に伝えられたとありますから、たぶん戦国時
代の動乱ではそろばんが大きな役割を担ったことでしょう。
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●帳簿管理で繁栄を築く
考えてみると数値を管理することは社会の発展に確実な
基盤を提供します。最近、 南カリフォルニア大学のJ.ソール
教授が「帳簿の世界史」という本を出しました。(写真3)
歴史学と統計が専門の著者は、既にハンムラビ法典で会
計原則が定められ、アテネでも記帳がなされ、ローマ帝国
では歴代の皇帝が帳簿を公開していたといった話から始め
ます。
ただローマ帝国には計算に便利な算用数字がなかったた
め管理が進まず、会計と密接な関係のある官僚機構が存
在し得なかったという野口悠紀雄氏の指摘も、興味を引き
ます。
14世紀には金貸し業者は金貸しを非とする教会法との間
で罪の意識に苦しみます。それが公明正大を目指す複式
帳簿方式を生み、明解な会計を発展させたと説明していま
す。
ルネッサンス時代のメディチ家の繁栄は、コジモという人
の熱心な会計管理によるのですが、引き継がれなかったた
めメディチ家とフィレンツェは衰亡してしまいます。
スペインは赤字続きの植民地経営を前に会計改革に乗り
出したが成功せず、オランダの反乱、無敵艦隊の敗北など
が続いて経済破綻に陥ったと述べています。
オランダ繁栄の秘密は複式帳簿にあり、政権運営にも取
り入れていましたが、フランス・ブルボン朝の場合は会計改
革のあと、財政を公開したことが革命の引き金になりました。
(写真3)紹介したジェイコブ・ソール著
「帳簿の世界史」の外観
英国は秘密主義で国家財政を救う一方、企業経営には
会計管理を強いて繁栄を手にしました。米国建国の父ハミ
ルトンは「権力とは財布を握っていることだ」と喝破していま
す。
こうした事例から分ることは、会計は近代社会を支える柱
の一つだということです。 もちろんこれからは、そろばんに
代わってコンピュータが活躍するでしょうが同じです。
経済だけでなく、政治も行政も、医療・福祉も生産もあら
ゆるデータが計算の対象になるはずです。実態と違う作為
的な数値が混ざれば、たちまち破綻を招くこと必定です。
20世紀初頭の大恐慌も最近のリーマンショックも矛盾した
会計から生じたといわれます。いかに計算のシステムが進
んでも、不正が行われるのなら未来はありません。
*資料:ジェイコブ・ソール著、村居章子訳「帳簿の歴史」
(文芸春秋社 第1刷2015.4.10 1950+税)
経済産業省 中国経済産業局 広報誌
旬レポ中国地域 2015年10月号
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