本木昌造140回忌に寄せて ―120回忌から世界の印刷博物館調査― 国際印刷大学校学長・九州産業大学名誉教授 工学博士 木下堯博 来る本年の9月3日、日本の印刷産業の開祖である本木昌造140回忌が同造顕彰会会 長・長崎県印刷工業組合理事長岩永正人氏のもと長崎市の大光寺(写真1)で執り行われる。 著者は1995年の120回忌からの20年間、世界の印刷メディア系博物館に関する 調査し、その概要について、ほぼ年代別に概要をまとめた。いずれも主として世界の4大印 刷展(drupa, IPEX, print, IGAS)の視察に合わせて博物館などを訪問してきた。 日本の印刷技術の原点は九州からといわれるように、長崎では活字印刷の本木昌造、外海 (そとめ)町の石版印刷のマルコ・ドロ神父、熊本県天草では天正少年使節団がもたらした グーテンベルグの天草版の開版、鹿児島では活字製造の木村嘉平など印刷技術へのチャレ ンジなどがあげられる。このような印刷メディアへの挑戦は日本人の知識欲、学習欲取得の 挑戦でもあった。 20年前の1995年9月2日、本木昌造120回忌を記念して、長崎市の東亜閣で座談 会が開催され、そこで著者は本木昌造を中心とした博物館建設を提案した。 この座談会には長崎歴史文化協会理事長越中哲也氏、長崎市教育委員会竹下勝洋氏、諏訪 神社宮司上杉千郷氏、同杉本権禰宜、大光寺住職三浦達実氏、長崎市博物館館長原田博二氏、 長崎県印刷工業組合理事長岩永義人氏、同相談役岩永正三氏、同阿津坂実氏はじめ担当理事 らの参加があり、活発な議論が展開された。 本木昌造に関する博物館建設問題は1995年以前もしばしば討議されてきたことがわ かった。それらの経緯から著者は長崎新聞同年8月26日号に120回忌記念として、 「印 刷博物館建設を」のタイトルで文化欄に投稿した。(写真2) その後、世界各地の印刷メディア系博物館を訪問・調査し、長崎印刷組合史に「世界の印 刷博物館に関する研究(第1報)」 (1998年10月刊)を発表し、2003年5月23日、 長崎県印刷工業組合総会が佐世保シティホテルで開催された時、 「同(第2報)」を報告、同 年10月には長崎県印刷工業組合内田信康氏のもとで「日本の近代活字・本木昌造とその周 辺」が上梓された。 本木昌造130回忌が2005年9月3日、長崎県印刷工業組合理事長・本木昌造顕彰会 会長内田信康氏の挨拶により法要が大光寺で執り行われ、同時に長崎県印刷工業組合50 周年記念式典と記念懇親会が「花月」でもたれた。 同年9月9日からのシカゴで開催の print05 展(シカゴ市)ではスミソニアン国立博物館か らウイリアムモーリスの木版の挿絵などの展示もされ、アメリカでの印刷展では印刷史に 関する展示は初めてであった。 2006年、IPEX 展(バーミンガム市)の際、同年4月5日にケンブリッジ大学で書誌学 と印刷史の Meeting を行い、翌日、ノービッチ市のジェラルド印刷博物館で日・英の印刷 1 博物館に関する討論を実施した。この博物館は日常の実作業と同時に博物館の機能を果た している。drupa2000 展 (デュセルドルフ市)の時、訪問したライプツィヒ印刷博物館と類 似していた。 2008年5月29日から開催された drupa2008 展は国際印刷大学校が主催して研修団を 結成し、2グループ(ロンドン経由とフランクフルト経由)に分かれて、行動し、帰国後意 見など集約した。会期中2回(2008年6月3日、5日)にわたり、マインツのグーテン ベルグ博物館と同図書館に行き、調査してきた。 写真3は同博物館の東洋ブロックにある本木昌造の紹介展示である。また、写真4は地下1 階にあるグーテンベルグ印刷機械で活字印刷の実演をしている風景を小学生が見学し、社 会科の学習をしている。 drupa2012 展(5月4日∼14日)では前年の3月11日に発生した東日本大震災での支援 活動の一環として印刷情報誌(2011年6月号∼2012年12月号迄)20回にわたり、 小論を連載し、その中で本木昌造や印刷史に関連する報告は2011年8月号(第3報) 「東 日本大震災と印刷文化遺産」、2012年3月号(第11報) 「東日本大震災と drupa2012」 でまとめた。 また、韓国の伽耶山の中腹にある海印寺で八万大蔵経開版千年の世界文化祝典があり、 2011年10月26日に招待された。訪問は3回目となったが、海印寺を少し下った場 所に新しく大蔵経を一部保存した「聖宝博物館」が2002年に開館されていた。 日韓印刷文化シンポジュウムが IGAS2011 展(東京ビックサイト)を記念し、9月17日に 開催され、日本側から著者が百万塔陀羅尼経、天草版、本木昌造など、韓国側から大洋パッ ケージ㈱代表の鄭 国海氏が斗山東亜㈱の印刷博物館を中心として、直指、世界印刷年表な どが提案され、印刷文化の意義が確認された。 2014年、京都の㈱サンエムカラーとの「印刷企業へのインターンシップ導入」共同研 究を実施し、その成果を京都工芸繊維大学で行われた日本印刷学会研究発表会で報告した。 上洛の機会ごとに、京都初の印刷などについて調査してきた。明治3年(1871年)本木 昌造の弟子である古川種次郎氏が京都に初めて點林堂という印刷所を烏丸三条付近で開業 したという記録があり、記念碑(写真5)が地下鉄烏丸御池駅構内の南側改札口近くに京都 印刷発祥之地の石碑が2010年に建立された。 2014年6月4日、九州大学の博士論文(芸術工学)公聴会で大串誠寿氏が本木昌造の 活字利用に関し、筑紫新聞(西日本新聞の前身)で明治10年に用いられたことを科学的に 立証した。また、長崎の諏訪神社にある本木昌造の木彫文字はこの研究から筑紫新聞の印刷 に用いた種字であることが明らかになった。詳細は国際印刷大学校研究報告第15巻(20 15年)を参照して下さい。 長崎大学で本木昌造を中心とした「長崎印刷出版文化論」 (仮称)の共同研究の計画があ り、同年9月13日、予備調査として天草コレジョ館を24年ぶりで訪問し、宮下館長と打 ち合わせを行った。(写真6) なお、同年8月27日から開催された K-Print 展(会場; 2 韓国 KINTEX)の印刷メディア環境フォーラムに招待され、オフセット印刷の環境改善の 報告をしたが、同展示会印刷史のコーナーでは「直指」の印刷実演がされていた。 以上、印刷博物館に関し、単独で印刷メディアを展開している東京の印刷博物館やマイン ツのグーテンベルグ博物館、アーヘンや横浜の新聞博物館などの場合と総合博物館として の長崎歴史文化博物館のように本木昌造に関する資料を一角に常設展示されているケース があり、内外の印刷メディア博物館などをネットワークの構築も必要である。長崎県印刷工 業組合ではHP上で本木昌造のコーナーを設置し、また、印刷図書館には本木昌造に関する 書籍及び資料は20点収蔵されている。 日本女子大学の生涯学習センターVOD 講座で2014年12月11日、朗文堂(島屋政 一著;本木昌造伝の出版)の大石 薫氏が「タイポグラフィ―(活字印刷)に関わる仕事」 の講演をし、同内容のビデオが大学のHP上で公開されている。また、板倉雅宣氏は論文始 め著作(活版印刷発達史、かな活字の誕生など)によりタィポグラフィー学会の2009年 第2回本木昌造賞を受賞された。 本木昌造始め、同関連資料は広く各地に点在しているので、これらを収集し、印刷メデイ ア関連のビックデータとして処理・保存するシステム構築やデータベース化して、Web 上 で公開すべきであろう。長崎での本木昌造に関する博物館建設は当面、厳しいと予想される ので、本木昌造始め印刷メディアの啓蒙活動を行うために、データベース構築推進などのた め日本及び世界各地からの組織的な情報収集活動が必要であろう。 (2015年5月31日記) 写真1 長崎市大光寺 3 写真2 写真3 長崎新聞の文化欄(本木昌造120回忌) グーテンベルグ博物館での展示(本木昌造の紹介) 4 写真4 グーテンベルグ印刷機での実演(博物館内) 写真5 京都初の本木昌造系の印刷所記念碑(點林堂) 写真6 天草コレジョ館のグーテンベルグ印刷機(ドイツ製) 5
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