太宰治の『斜陽』を精読する レジュメ 預金封鎖・財産税(貯蓄税)について

2015.6.6
太宰治の『斜陽』を精読する
レジュメ
◯なぜ、直治は自殺したのか?
◯なぜ、かず子は、上原の妻に、生まれてきた自分の子どもを抱かせて
「これは、直治が、或る女のひとに内緒で生ませた子どもです」と言わせたいのか?
預金封鎖・財産税(貯蓄税)について
日本では 1946 年第二次世界大戦後のインフレの中、幣原内閣において新円切替が施行されると
同時に実施された。この封鎖は封鎖預金と呼ばれ、第一封鎖預金と第二封鎖預金に分けられ、引
き出しが完全にできなくなるのではなく、預金者による引き出し通貨量の制限や給与の一部が強
制的に預金させられるなど、利用条件が設けられた。封鎖預金からの新円での引き出し可能な月
額は、世帯主で 300 円、世帯員は 1 人各 100 円であった。1946 年の国家公務員大卒初任給が
540 円であり、それを元に現在の貨幣価値に換算すると、世帯主が約 12 万〜15 万、世帯員が 1
人各 4 万弱まで引き出せる。学校の授業料は旧円での支払いが認められていたが、生活費には
新円を使うこととなった。最終的に第二封鎖預金は切り捨てられる形となった。
これを踏まえて、2002 年 10 月 13 日付『Yomiuri Weekly』では新型決済性預金が預金封鎖の布
石ではないかとの記事が掲載された。同じく 2002 年 12 月発売の『文藝春秋』にて、1997 年に
当時の大蔵省内部で預金封鎖の検討が行われた旨の記事が掲載された。
2015 年 2 月 16 日、NHK の報道番組「ニュースウオッチ 9」にて「『預金封鎖』もうひとつの
ねらい」という特集が組まれ、預金封鎖が実施された当時の大蔵大臣である渋沢敬三による「国
の負担を、国民に転嫁する意図」について報道された。
華族
日本と米英両国との間に起きた太平洋戦争にて敗戦すると、進駐軍の GHQ の統治の下で民主化
が進められた結果、華族は解散へと向かい 1947 年(昭和 22 年)5 月 3 日、日本国憲法施行に
伴い、華族制度と共に日本の爵位は廃止されることとなった(法の下の平等を定め貴族の存在を
認めない第 14 条に基づく)。以降、日本国内において爵位が国の制度や社会に果たす役割は完
全に消滅したといえる。しかし、戦後も国内外で功績ある日本国民に対して諸外国から爵位に叙
せられる例がある。
(以上ウィキペディアより)
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