生命の躍動が、まだ抑えられて んびりした風景よりは、もっと た、霞がかかった、中間色のの ないが、桃の花、菜の花といっ 月には、ちょっと早いかもしれ はない。洗礼志願者の準備の季 いイメージの季節であるだけで 字架の道行きを行うといった暗 トの十字架と苦難を黙想し、十 四旬節も、ただ単に、回心と 節制と善行を求められ、キリス ノートを書き始める。 感 じ で こ の 一 月 を 過 ご せ た ら、 そのために力を溜める。そんな 共 に 新 た に 福 音 宣 教 を 始 め る、 せるかもしれない。キリストと スタートダッシュのように過ご きたら、復活祭を新しい始まり、 が復活祭である。四旬節を、そ Seta no Oka おり、はじけるために力を溜め 節、キリストの四十日間の試み 四旬節も違った感じで過ごせる 月、少し意識を変えて四旬節を 過ごしたらどうであろうか。 「山茶花」は、「サザンカ」と 読むが、分解すると、 「山茶(サ ン チ ャ)」 の 花 で あ る。 「山茶」 の 花 が、 ど の よ う な も の か は、 分からないが、自然にある「ツ バキ科」の花のことであろう か。野山にある、自然の中にあ 「 木 片 に 春 と 書 く 」 か ら、 と い だ、 落ち葉たき」 とあり、「椿」 は、 花咲いた道、たき火だ、たき火 一月から三月に当たる。だとす たりが春のようである。旧暦の する。今の暦の三月から五月あ く前あたりから、春という感が 績を月末に出す。二月に入ると、 授業が終わり、試験があり、成 うな気がする。一月に神学院の ては、それだけではなかったよ し、考えてみると、私個人とし され、犠牲が勧められる。しか きる」へ向かった準備の季節で 礼志願者であれば、新たな「生 力を溜めていく季節であり、洗 れ ば、 福 音 宣 教 を す る た め に、 説がある。キリストにとってみ 準備の期間から生まれたという る。 ないが、素朴な感じが漂ってく 想させて、真偽の程は、分から 立たない素朴な「茶」の花を連 春 ういった意味で過ごすことがで ている、そんな感じがする。 を共にする季節である。四旬節 辞 苑、 広 辞 苑 」 と 言 い な が ら、 誰も席を立って、遠い図書館か ら借りて来ようとする者はな く、自分の部屋まで取りに行く 者もない。結局、山茶花は、年 末ころ咲くもので、椿は年を越 し て か ら 咲 く も の で は な い か、 ということになった。 「たき火」 うあたりが根拠である。実にい る と、 「 春 は 名 の み の ……」 と る「茶」の花。白くて小さく目 い加減なものである。夕食の会 いう歌がピンとくる。今が、春 ために、力いっぱい縮こまる状 話などというものは、だいたい としている。しかし、三月に入 態である。今年は、 その意味で、 ある。バネでいえば、はじける る と、 次 の 学 期 の 準 備 に 入 る。 四月五日、四月の最初の日曜日 卒業式である。とにかく、ホッ は、 陽 (日) の光を背景に、 「春」 「桑の芽が芽生える」というイ 本 を 読 み、 授 業 の 構 想 を 練 り、 である。 そこで、ふと「春」はいつな のだろうかと思った。正月のテ メージの漢字のようである。三 このようなものかもしれない。 と い う 童 謡 に、 「 山 茶 花、 山 茶 う字が見られる。 「初春の……」 三月は、毎年、四旬節の真っ ただ中。節制の季節。回心が求 主日のミサ という言葉も用いられる。しか 午前 7 時、午前 9 時半 日、 食 卓 で、 「山茶花と 東京都世田谷区瀬田 4-16-1 のではないだろうか。あとひと 創刊 1973 年 は、元々洗礼志願者の初聖体の 編集・発行 瀬田教会信徒会 められ、十字架の道行きが連想 カトリック瀬田教会広報 し、実感としては、桜の花が咲 瀬田教会 椿と、どう違うのだろう カトリック か 」 と い う こ と に な っ た。 「広 先 瀬田の丘 レ ビ の 番 組 に も、 「新春」とい 1 ◀ Seta no Oka 湯澤民夫 神父 No 294 2015 年 3 月 No 294 2015 年 3 月 信者動静 ■ 帰天 安らかに パウロ 窪田 滋さん 2014年 12 月 マリア・クララ 森村 登代子さん 2015年2月 ■ 転入 ようこそ 久保川 順子さん 麹町教会から転入 2月 22 日の主日のミサの中で、内藤神父さまによる菅沢聡子さんと中 村小梅さんの「洗礼志願式」行われました。 ミサ・行事予定 【二月】 1日(日)四旬節第2主日 時 マリオ神父 ■ミサ司式 午前 午前 時半 湯澤神父 ■朗読担当 第一朗読 相澤満芳 第二朗読 豊田百合 8日(日)四旬節第3主日 ■ミサ司式 時 井之上神父 午前 午前 時半 南雲神父 ■朗読担当 第一朗読 谷裕文 第二朗読 吉田まどか ■行事 黙想会(南雲神父) 日(日)四旬節第4主日 ■ミサ司式 午前 時 マリオ神父 時半 湯澤神父 午前 ■朗読担当 第一朗読 菊池茂樹 第二朗読 石原晶世 ■行事 運営協議会 日(日)四旬節第5主日 Seta no Oka ▶ 2 Seta no Oka 維持費のデータ等の統合を図 り、教会運営に役立つインフラ て 運営協議会 を構築していきます。 二〇一五年一月の信徒総会で選 ・バザー委員会との協力につい 任された教会委員の担当役務が 次のとおりに決まりました。 吉村毅之(信徒会長) ■連絡網の整備について 方は、 教会委員の福喜多さんへ、 ・メールによる連絡を希望され お申し出ください。 中川裕子(福音宣教) る方は、 教会委員の児島さんへ、 お 申 し 出 く だ さ い。 ( 尚、 教 会 アドレスの着信拒否の解除もあ わせて行ってください。 ) ■パキスタン障害者施設「ラハ ト・ガ」献金について ります(昨年実績 六十四万円)。 毎年の瀬田教会からの献金 は、大きなウェイトを占めてお くようにします。 も平均月収は一万円程度とのこ パキスタンの大都市の勤労者で いて の年収に匹敵します。 とですから、ほぼ勤労者五人分 現在、吉田前信徒会長主催に よるプロジェクトチームが発足 ・信徒会情報のデータ整備につ ては都度運営協議会で図ってい 修 道 会 の 予 算 で 実 施 し ま す。 信徒会として出来ることについ について ・聖堂とアントニオ会館の修繕 ■報告・連絡事項 音宣教) フェルディナンド・アブネ(福 菊池茂樹(財務) 中里敏美(広報、総務) 福喜多みさ子(福音宣教・典礼) ・電話による連絡を希望される 児島達也 (会長代行、 典礼、 総務) 力を図っていきます。 四月二六日開催予定のバザー に向けて、バザー委員会への協 要旨 しております。今まで、個別に 9 7 9 7 9 7 2月 管理されていた信徒名簿、教会 15 22 2015 年 No 294 2015 年 3 月 へと変えてくださるために介入 日(日)受難の主日 を過ごすことが求められている 本当に意味のある仕方で四旬節 なく、一人ひとりが自分なりに 何もしなくてよいというのでは と聖金曜日だけですが、他には られているのはこの灰の水曜日 けています。大斎・小斎が定め り、節制、愛の行い」を呼びか も 教 会 は、 こ の 四 旬 節 に「 祈 の方向転換」なのです。現代で 心を神と隣人に向けていく「心 かけます。回心とは自己中心の にどこを向いているのかを問い 食、施しをするとき、心が本当 れましたが、イエスは祈り、断 らは回心のわざとして重んじら 教える箇所が読まれます。これ ありました。イスラエルの人々 神の人間を救うための介入でも から自由への移行でした。また 解放されたのです。それは奴隷 )によっ この主の過越( pascha てイスラエルの人々は奴隷から 越」 です (出エジプト記十二章)。 した。これが主の「通過」 、 「過 ルの人々の家は「通り過ぎ」ま の家を打ちながらも、イスラエ とき、主なる神は、エジプト人 プトで奴隷として苦しんでいた ます。イスラエルの人々がエジ 「通り越す」という意味が有り て み ま し ょ う。 過 越( pascha ) はもともと「飛び越える」とか ここで少し過越について考え ことを目指すのです。 に一層、密接に、深くあずかる ご自分の肩の上に全人類を乗 きたように、こんどはイエスが、 ナイ山での神と一致へと運んで かつて神が人々を抱き上げ、シ ためです(十二章 )。 天の御父のもとへと引き上げる 移るときだった理解していま の世界から、御父への世界へと とあるように、十字架の死を闇 く 愛 し 抜 か れ た。」( 十 三 章 1) る弟子たちを愛して、この上な の時が来たことを悟り、世にい の世から父のもとへ移る御自分 前のことである。イエスは、こ イエス自身も「さて、過越祭の 十八章 、十九章 、十九章 )。 ています(十一章 、十三章1、 の人々の過越祭と関連して描い の十字架の出来事はイスラエル ました。 神 父 寄 稿 )」 か ら、 抜 粋 転 載 し の 丘 四 旬 節 特 別 号( 小 西 広 志 本文は二〇一四年発刊の「瀬田 のです。 事を記念するために立ち続ける 十字架はまさにその過越の出来 はあるのです。 運んでくださる神の愛がそこに 死の世界からいのちの世界へと す。闇の世界から光の世界へと、 する父の姿がそこにはありま を抱き、接吻」 (ルカ十五章 て、憐れに思い、走り寄って首 く、そんな人間の姿を「見つけ もなく、償いを要求することな 午後7時半 湯澤神父 4月5日(日)復活祭 ■ミサ司式 負っているからです。すべての 存 在 そ の も の も、 こ の 秘 義 に してきてきださった神の愛と神 です。 新約聖書では、ヨハネ福音書 が イ エ ス の 十 字 架 の 出 来 事 を、 間性に全人類が包まれ、イエス ■ミサ司式 が 地 上 か ら 上 げ ら れ る こ と が、 午前 時 静神父 そのまま全人類が御父のもとへ 午前 時半 内藤神父 と運ばれたことにつながるので ■朗読担当 す。 第一朗読 中川泰輔 罪を犯しても、そして無力で弱 第二朗読 西尾ヨシ子 り果てて、惨めになった人間を、 【聖週間】 越秘義」 ( myserium paschalis ) と呼びます。これこそが神の救 キリスト者の生き方、生活はこ 新しい過越と理解しようとして 怒ることもなく、復讐すること の力を記念するものだったから 四 旬 節 と は、 復 活 節 ま え の 四十日という意味です。灰の水 の過越秘義にあずかることに います。ヨハネ福音書はイエス いのわざの中心であり、教会の 曜日はマタイ六章からイエスが よって始まります。そしてさら のです。 は 代 々、 こ の 過 越 祭 を 大 切 に せ、御父の光と生命の世界へと す。それによってすべての人を 42 20 第一朗読 ■朗読担当 9 7 午前9時半 内藤神父 午前7時 庄司神父 ■ミサ司式 ■十字架の道行 午後3時 内藤神父 ■聖金曜日 午後7時半 湯澤神父 4月4日(土)聖土曜日 ■ミサ司式 午後7時半 内藤神父 4月3日(金)大斎・小斎 第二朗読 木嶋えつ子 4月2日(木)聖木曜日 酒井彰 ■ミサ司式 午前 時 井之上神父 午前 時半 湯澤神父 四旬節はキリストの受難と十 字架を思い起こし、それに生き 祝ってきました。なぜなら過越 ) る期間です。教会は、受難と復 運んでゆくのです。イエスの人 主の過越し 「 祈 り、 断 食、 施 し 」 に つ い て 9 7 祭は、自分たちの苦しみを喜び 29 活 を 合 わ せ て「 キ リ ス ト の 過 14 55 32 Seta no Oka 3 ◀ Seta no Oka 28 No 294 2015 年 3 月 不従順と滅び、従順と永遠の命 第1朗読 創世記 3 章 16 〜 19 もとに来てひざまずき、こう願った、 「お望みなら、わた しを清くすることがおできになります」 。 庄司篤神父 第一朗読は、原罪に対する神様 今 日 の 場 合 は ど う で し ょ う か。 主日の第一朗読と福音との間 に 必 ず 深 い 繋 が り が あ り ま す。 こ と を 厭 わ ず に 触 れ 、「 ) 私は 望む、清くなれ」と言われまし 差し伸べてその人に触れ つ (ま り、罪という汚れを引き受ける 願うと、主は深く憐れみ、手を ることがお出来になります」と て、「 御 心 な ら ば、 私 を 清 く す す。 みを信仰によって受け取りなさ を救い、神の子として永遠に生 げ、神の命を与えて、全ての人 の死によって罪の贖いを成し遂 シレジウス しみと悲しみが、この世に入っ 共に、あらゆる種類の悲惨と苦 らなくなりました。そして死と 霊魂は滅び、肉体は死なねばな うことでした。つまり、人間の ぎないお前は、塵に返る」とい す 」 と 願 い さ え す れ ば、 主 は 清くすることがお出来になりま 「御心ならば、私の罪を赦して、 い ま す。 私 た ち が 誰 で も 主 に、 な救いの根本原則 が語られて この出来事の中に、非常に重要 り、その人は清くなりました。 の不従順によって全地に注がれ り子を遣わした。そして、人祖 から除き去ろうとして、私の独 ムの不従順のもたらした死を人 タ リ ナ に 語 ら れ ま し た。「 ア ダ いて、天の御父はシエナの聖カ 遠の命がもたらされたことにつ アダムの不従順によって死 が、キリストの従順によって永 と、と私は言おう。 とって何の役にも立たない 復 活 し た こ と は、 あ な た に に い る か ぎ り、 キ リ ス ト が あなたが罪と死の束縛の中 瞑想詩集 て来ました。しかし神様は、原 大 喜 び で、「 私 は 望 む。 清 く な た毒から人を救うため、独り子 第二章 自分で復活せよ 第一章 罪 に 対 す る 判 決 を 下 す 直 前 に、 れ」と言って、私の罪を完全に に完全な従順を命じた。だから い」と招き続けておられるので き さ せ た い と 望 ん で、「 そ の 恵 で、 「霊魂の死」です。 )原罪に た。すると、たちまち病気は去 救いの約束をお与えになってい 清めて、神の子として下さいま の 判 決 で す。 ( 注 原 罪 は あ ら ゆる時代のすべての人に及ぶ罪 対 す る 判 決 の 一 つ が、 「塵にす ました。悪魔にこう言われまし 人よ、本質的なものとなれ。 偶然と本質 やかに至聖な死・十字架の恥辱 な ぜ な ら ば、 世 界 が 消 滅 す 私 の 子 は、 愛 の と り こ と し て、 に 満 ち た 死 に 赴 い た。 そ し て、 る と き 偶 然 は 滅 び、 本 質 的 す。信じる人を誰でも救うこと な っ た ほ ど に、 世 を 愛 さ れ た。 その至聖な死を通じて、私の子 なものだけが生き続けるか た。 「 お 前 と 女、 お 前 の 子 孫 と 独り子を信じる者が一人も滅び はあなたがたに命を与えたので らだ。 また、真に従順な者として、速 ないで、永遠の命を得るためで ある。」 が、天の御父の御心だからです。 は聖母マリア、女の子孫とは救 ある」 ヨ ( ハネ三章 天の父よ、キリストと福音を 信じる者は皆、キリストのよう 女の子孫の間に私は敵意を置 い主キリストです。救いの約束 ですから、第一朗読と福音と の関連は次のとおりです。私た に御旨に従順でなければならな 三章 ) 。ここで言われる女と 【「神は、その独り子をお与えに はどのようにして実現されるの ちは大罪と原罪の赦しを受けず いことを悟らせてください。 は彼のかかとを砕く」 (創世記 でしょうか。福音に眼を向けま に死ねば、永遠に滅んでしまい 。】 ) しょう。 ますが、主キリストは十字架上 く。彼はお前の頭を砕き、お前 63 30 今日の福音で、重い皮膚病を 患っている人が、主の前に跪い Seta no Oka 16 15 第2朗読 1 コリント 10 章 3 1〜 11 章 1 主日の福音 マルコ 1 章 40 〜 45 主日の御言葉 さて、一人の重い皮膚病を患っている人が、イエスの 4 ◀ Seta no Oka
© Copyright 2024 ExpyDoc