No294 発刊2015年3月

生命の躍動が、まだ抑えられて
んびりした風景よりは、もっと
た、霞がかかった、中間色のの
ないが、桃の花、菜の花といっ
月には、ちょっと早いかもしれ
はない。洗礼志願者の準備の季
いイメージの季節であるだけで
字架の道行きを行うといった暗
トの十字架と苦難を黙想し、十
四旬節も、ただ単に、回心と
節制と善行を求められ、キリス
ノートを書き始める。
感 じ で こ の 一 月 を 過 ご せ た ら、
そのために力を溜める。そんな
共 に 新 た に 福 音 宣 教 を 始 め る、
せるかもしれない。キリストと
スタートダッシュのように過ご
きたら、復活祭を新しい始まり、
が復活祭である。四旬節を、そ
Seta no Oka
おり、はじけるために力を溜め
節、キリストの四十日間の試み
四旬節も違った感じで過ごせる
月、少し意識を変えて四旬節を
過ごしたらどうであろうか。
「山茶花」は、「サザンカ」と
読むが、分解すると、
「山茶(サ
ン チ ャ)」 の 花 で あ る。
「山茶」
の 花 が、 ど の よ う な も の か は、
分からないが、自然にある「ツ
バキ科」の花のことであろう
か。野山にある、自然の中にあ
「 木 片 に 春 と 書 く 」 か ら、 と い
だ、
落ち葉たき」
とあり、「椿」
は、
花咲いた道、たき火だ、たき火
一月から三月に当たる。だとす
たりが春のようである。旧暦の
する。今の暦の三月から五月あ
く前あたりから、春という感が
績を月末に出す。二月に入ると、
授業が終わり、試験があり、成
うな気がする。一月に神学院の
ては、それだけではなかったよ
し、考えてみると、私個人とし
され、犠牲が勧められる。しか
きる」へ向かった準備の季節で
礼志願者であれば、新たな「生
力を溜めていく季節であり、洗
れ ば、 福 音 宣 教 を す る た め に、
説がある。キリストにとってみ
準備の期間から生まれたという
る。
ないが、素朴な感じが漂ってく
想させて、真偽の程は、分から
立たない素朴な「茶」の花を連
春
ういった意味で過ごすことがで
ている、そんな感じがする。
を共にする季節である。四旬節
辞 苑、 広 辞 苑 」 と 言 い な が ら、
誰も席を立って、遠い図書館か
ら借りて来ようとする者はな
く、自分の部屋まで取りに行く
者もない。結局、山茶花は、年
末ころ咲くもので、椿は年を越
し て か ら 咲 く も の で は な い か、
ということになった。
「たき火」
うあたりが根拠である。実にい
る と、
「 春 は 名 の み の ……」 と
る「茶」の花。白くて小さく目
い加減なものである。夕食の会
いう歌がピンとくる。今が、春
ために、力いっぱい縮こまる状
話などというものは、だいたい
としている。しかし、三月に入
態である。今年は、
その意味で、
ある。バネでいえば、はじける
る と、 次 の 学 期 の 準 備 に 入 る。
四月五日、四月の最初の日曜日
卒業式である。とにかく、ホッ
は、
陽
(日)
の光を背景に、
「春」
「桑の芽が芽生える」というイ
本 を 読 み、 授 業 の 構 想 を 練 り、
である。
そこで、ふと「春」はいつな
のだろうかと思った。正月のテ
メージの漢字のようである。三
このようなものかもしれない。
と い う 童 謡 に、
「 山 茶 花、 山 茶
う字が見られる。
「初春の……」
三月は、毎年、四旬節の真っ
ただ中。節制の季節。回心が求
主日のミサ
という言葉も用いられる。しか
午前 7 時、午前 9 時半
日、 食 卓 で、
「山茶花と
東京都世田谷区瀬田 4-16-1
のではないだろうか。あとひと
創刊 1973 年
は、元々洗礼志願者の初聖体の
編集・発行 瀬田教会信徒会
められ、十字架の道行きが連想
カトリック瀬田教会広報
し、実感としては、桜の花が咲
瀬田教会
椿と、どう違うのだろう
カトリック
か 」 と い う こ と に な っ た。
「広
先
瀬田の丘
レ ビ の 番 組 に も、
「新春」とい
1 ◀ Seta no Oka
湯澤民夫 神父
No 294 2015 年 3 月
No 294 2015 年 3 月
信者動静
■ 帰天 安らかに
パウロ 窪田 滋さん
2014年 12 月
マリア・クララ 森村 登代子さん
2015年2月
■ 転入 ようこそ
久保川 順子さん
麹町教会から転入
2月 22 日の主日のミサの中で、内藤神父さまによる菅沢聡子さんと中
村小梅さんの「洗礼志願式」行われました。
ミサ・行事予定
【二月】
1日(日)四旬節第2主日
時 マリオ神父
■ミサ司式
午前
午前 時半 湯澤神父
■朗読担当
第一朗読 相澤満芳
第二朗読 豊田百合
8日(日)四旬節第3主日
■ミサ司式 時 井之上神父
午前
午前 時半 南雲神父
■朗読担当
第一朗読 谷裕文
第二朗読
吉田まどか
■行事
黙想会(南雲神父)
日(日)四旬節第4主日
■ミサ司式
午前 時 マリオ神父
時半 湯澤神父
午前
■朗読担当
第一朗読
菊池茂樹
第二朗読
石原晶世
■行事
運営協議会
日(日)四旬節第5主日
Seta no Oka ▶ 2
Seta no Oka
維持費のデータ等の統合を図
り、教会運営に役立つインフラ
て
運営協議会
を構築していきます。
二〇一五年一月の信徒総会で選
・バザー委員会との協力につい
任された教会委員の担当役務が
次のとおりに決まりました。
吉村毅之(信徒会長)
■連絡網の整備について
方は、
教会委員の福喜多さんへ、
・メールによる連絡を希望され
お申し出ください。
中川裕子(福音宣教)
る方は、
教会委員の児島さんへ、
お 申 し 出 く だ さ い。
( 尚、 教 会
アドレスの着信拒否の解除もあ
わせて行ってください。
)
■パキスタン障害者施設「ラハ
ト・ガ」献金について
ります(昨年実績 六十四万円)。
毎年の瀬田教会からの献金
は、大きなウェイトを占めてお
くようにします。
も平均月収は一万円程度とのこ
パキスタンの大都市の勤労者で
いて
の年収に匹敵します。
とですから、ほぼ勤労者五人分
現在、吉田前信徒会長主催に
よるプロジェクトチームが発足
・信徒会情報のデータ整備につ
ては都度運営協議会で図ってい
修 道 会 の 予 算 で 実 施 し ま す。
信徒会として出来ることについ
について
・聖堂とアントニオ会館の修繕
■報告・連絡事項
音宣教)
フェルディナンド・アブネ(福
菊池茂樹(財務)
中里敏美(広報、総務)
福喜多みさ子(福音宣教・典礼) ・電話による連絡を希望される
児島達也
(会長代行、
典礼、
総務)
力を図っていきます。
四月二六日開催予定のバザー
に向けて、バザー委員会への協
要旨
しております。今まで、個別に
9 7
9 7
9 7
2月
管理されていた信徒名簿、教会
15
22
2015 年
No 294 2015 年 3 月
へと変えてくださるために介入
日(日)受難の主日
を過ごすことが求められている
本当に意味のある仕方で四旬節
なく、一人ひとりが自分なりに
何もしなくてよいというのでは
と聖金曜日だけですが、他には
られているのはこの灰の水曜日
けています。大斎・小斎が定め
り、節制、愛の行い」を呼びか
も 教 会 は、 こ の 四 旬 節 に「 祈
の方向転換」なのです。現代で
心を神と隣人に向けていく「心
かけます。回心とは自己中心の
にどこを向いているのかを問い
食、施しをするとき、心が本当
れましたが、イエスは祈り、断
らは回心のわざとして重んじら
教える箇所が読まれます。これ
ありました。イスラエルの人々
神の人間を救うための介入でも
から自由への移行でした。また
解放されたのです。それは奴隷
)によっ
この主の過越( pascha
てイスラエルの人々は奴隷から
越」
です
(出エジプト記十二章)。
した。これが主の「通過」
、
「過
ルの人々の家は「通り過ぎ」ま
の家を打ちながらも、イスラエ
とき、主なる神は、エジプト人
プトで奴隷として苦しんでいた
ます。イスラエルの人々がエジ
「通り越す」という意味が有り
て み ま し ょ う。 過 越( pascha
)
はもともと「飛び越える」とか
ここで少し過越について考え
ことを目指すのです。
に一層、密接に、深くあずかる
ご自分の肩の上に全人類を乗
きたように、こんどはイエスが、
ナイ山での神と一致へと運んで
かつて神が人々を抱き上げ、シ
ためです(十二章 )。
天の御父のもとへと引き上げる
移るときだった理解していま
の世界から、御父への世界へと
とあるように、十字架の死を闇
く 愛 し 抜 か れ た。」( 十 三 章 1)
る弟子たちを愛して、この上な
の時が来たことを悟り、世にい
の世から父のもとへ移る御自分
前のことである。イエスは、こ
イエス自身も「さて、過越祭の
十八章 、十九章 、十九章 )。
ています(十一章 、十三章1、
の人々の過越祭と関連して描い
の十字架の出来事はイスラエル
ました。
神 父 寄 稿 )」 か ら、 抜 粋 転 載 し
の 丘 四 旬 節 特 別 号( 小 西 広 志
本文は二〇一四年発刊の「瀬田
のです。
事を記念するために立ち続ける
十字架はまさにその過越の出来
はあるのです。
運んでくださる神の愛がそこに
死の世界からいのちの世界へと
す。闇の世界から光の世界へと、
する父の姿がそこにはありま
を抱き、接吻」
(ルカ十五章
て、憐れに思い、走り寄って首
く、そんな人間の姿を「見つけ
もなく、償いを要求することな
午後7時半 湯澤神父
4月5日(日)復活祭
■ミサ司式
負っているからです。すべての
存 在 そ の も の も、 こ の 秘 義 に
してきてきださった神の愛と神
です。
新約聖書では、ヨハネ福音書
が イ エ ス の 十 字 架 の 出 来 事 を、
間性に全人類が包まれ、イエス
■ミサ司式
が 地 上 か ら 上 げ ら れ る こ と が、
午前 時 静神父
そのまま全人類が御父のもとへ
午前 時半 内藤神父
と運ばれたことにつながるので
■朗読担当
す。
第一朗読
中川泰輔
罪を犯しても、そして無力で弱
第二朗読 西尾ヨシ子
り果てて、惨めになった人間を、 【聖週間】
越秘義」
( myserium paschalis
)
と呼びます。これこそが神の救
キリスト者の生き方、生活はこ
新しい過越と理解しようとして
怒ることもなく、復讐すること
の力を記念するものだったから
四 旬 節 と は、 復 活 節 ま え の
四十日という意味です。灰の水
の過越秘義にあずかることに
います。ヨハネ福音書はイエス
いのわざの中心であり、教会の
曜日はマタイ六章からイエスが
よって始まります。そしてさら
のです。
は 代 々、 こ の 過 越 祭 を 大 切 に
せ、御父の光と生命の世界へと
す。それによってすべての人を
42
20
第一朗読
■朗読担当
9 7
午前9時半 内藤神父 午前7時 庄司神父
■ミサ司式
■十字架の道行
午後3時
内藤神父
■聖金曜日
午後7時半 湯澤神父
4月4日(土)聖土曜日
■ミサ司式
午後7時半 内藤神父
4月3日(金)大斎・小斎
第二朗読 木嶋えつ子
4月2日(木)聖木曜日
酒井彰
■ミサ司式
午前 時 井之上神父
午前 時半 湯澤神父
四旬節はキリストの受難と十
字架を思い起こし、それに生き
祝ってきました。なぜなら過越
)
る期間です。教会は、受難と復
運んでゆくのです。イエスの人
主の過越し
「 祈 り、 断 食、 施 し 」 に つ い て
9 7
祭は、自分たちの苦しみを喜び
29
活 を 合 わ せ て「 キ リ ス ト の 過
14 55
32
Seta no Oka
3 ◀ Seta no Oka
28
No 294 2015 年 3 月
不従順と滅び、従順と永遠の命
第1朗読 創世記 3 章 16 〜 19
もとに来てひざまずき、こう願った、
「お望みなら、わた
しを清くすることがおできになります」
。
庄司篤神父
第一朗読は、原罪に対する神様
今 日 の 場 合 は ど う で し ょ う か。
主日の第一朗読と福音との間
に 必 ず 深 い 繋 が り が あ り ま す。
こ と を 厭 わ ず に 触 れ 、「
) 私は
望む、清くなれ」と言われまし
差し伸べてその人に触れ つ
(ま
り、罪という汚れを引き受ける
願うと、主は深く憐れみ、手を
ることがお出来になります」と
て、「 御 心 な ら ば、 私 を 清 く す
す。
みを信仰によって受け取りなさ
を救い、神の子として永遠に生
げ、神の命を与えて、全ての人
の死によって罪の贖いを成し遂
シレジウス
しみと悲しみが、この世に入っ
共に、あらゆる種類の悲惨と苦
らなくなりました。そして死と
霊魂は滅び、肉体は死なねばな
うことでした。つまり、人間の
ぎないお前は、塵に返る」とい
す 」 と 願 い さ え す れ ば、 主 は
清くすることがお出来になりま
「御心ならば、私の罪を赦して、
い ま す。 私 た ち が 誰 で も 主 に、
な救いの根本原則 が語られて
この出来事の中に、非常に重要
り、その人は清くなりました。
の不従順によって全地に注がれ
り子を遣わした。そして、人祖
から除き去ろうとして、私の独
ムの不従順のもたらした死を人
タ リ ナ に 語 ら れ ま し た。「 ア ダ
いて、天の御父はシエナの聖カ
遠の命がもたらされたことにつ
アダムの不従順によって死
が、キリストの従順によって永
と、と私は言おう。
とって何の役にも立たない
復 活 し た こ と は、 あ な た に
に い る か ぎ り、 キ リ ス ト が
あなたが罪と死の束縛の中
瞑想詩集
て来ました。しかし神様は、原
大 喜 び で、「 私 は 望 む。 清 く な
た毒から人を救うため、独り子
第二章
自分で復活せよ
第一章
罪 に 対 す る 判 決 を 下 す 直 前 に、
れ」と言って、私の罪を完全に
に完全な従順を命じた。だから
い」と招き続けておられるので
き さ せ た い と 望 ん で、「 そ の 恵
で、
「霊魂の死」です。
)原罪に
た。すると、たちまち病気は去
救いの約束をお与えになってい
清めて、神の子として下さいま
の 判 決 で す。
( 注 原 罪 は あ ら
ゆる時代のすべての人に及ぶ罪
対 す る 判 決 の 一 つ が、
「塵にす
ました。悪魔にこう言われまし
人よ、本質的なものとなれ。
偶然と本質
やかに至聖な死・十字架の恥辱
な ぜ な ら ば、 世 界 が 消 滅 す
私 の 子 は、 愛 の と り こ と し て、
に 満 ち た 死 に 赴 い た。 そ し て、
る と き 偶 然 は 滅 び、 本 質 的
す。信じる人を誰でも救うこと
な っ た ほ ど に、 世 を 愛 さ れ た。
その至聖な死を通じて、私の子
なものだけが生き続けるか
た。
「 お 前 と 女、 お 前 の 子 孫 と
独り子を信じる者が一人も滅び
はあなたがたに命を与えたので
らだ。
また、真に従順な者として、速
ないで、永遠の命を得るためで
ある。」
が、天の御父の御心だからです。
は聖母マリア、女の子孫とは救
ある」 ヨ
( ハネ三章
天の父よ、キリストと福音を
信じる者は皆、キリストのよう
女の子孫の間に私は敵意を置
い主キリストです。救いの約束
ですから、第一朗読と福音と
の関連は次のとおりです。私た
に御旨に従順でなければならな
三章
)
。ここで言われる女と
【「神は、その独り子をお与えに
はどのようにして実現されるの
ちは大罪と原罪の赦しを受けず
いことを悟らせてください。
は彼のかかとを砕く」
(創世記
でしょうか。福音に眼を向けま
に死ねば、永遠に滅んでしまい
。】
)
しょう。
ますが、主キリストは十字架上
く。彼はお前の頭を砕き、お前
63
30
今日の福音で、重い皮膚病を
患っている人が、主の前に跪い
Seta no Oka
16
15
第2朗読 1 コリント 10 章 3 1〜 11 章 1
主日の福音 マルコ 1 章 40 〜 45
主日の御言葉
さて、一人の重い皮膚病を患っている人が、イエスの
4 ◀ Seta no Oka