北は善光寺木口 静代(長野市)

北は善光寺
木口 静代(長野市)
私の生れ育った家は長野駅から歩いて10分程の所にあった。40余年を経て再びこ
の地に戻って来たが、幼い当時の仏閣型長野駅舎は心の奥に生きている。正面から見
上げると善光寺にも匹敵する大屋根が聳え、真中に丸い大時計があった。私の親戚は
郊外にあり、東京近郊に働きに出る者が多かったが、帰省の折毎長野駅を利用し、そ
の行き来に私の家に立ち寄った。東京みやげが届き、又故郷の心づくしの荷を持って
出発して行った。迎え、送りに幼かった私も駅まで出向いた。何度も大きな時計を見つ
めたものだ。噴水の中に穏やかな笑みをたたえ佇む如是姫像、飛び立つ鳩の群れ、長
野電鉄の倉庫のような駅舎、ガタゴト走る路面電車。そうそうあの角に良く来ていた
サーカス……。
「悪い事をするとサーカスに連れて行かれる」と親に言われた。カーキ色
のシートの下から見える象の足や時折聞こえるライオンの息使い、首から上だけ見える
キリン。珍らしい物見たさに、叱られても叱られても覗きに行ったっけ。彼等の糞尿の匂
いと共に思い出が甦る。駅前から表参道の基点である末広町まで、旅館、みやげ店な
ど立ち並び、中でも中島会館は都会風な店構えで、駅弁や様々なみやげが売られて観
光客で大層賑っていた。当時めずらしいマッチ箱風のパッケージのアイスクリームがお
いしかった。左角に石造りの小さな交番があった。ここから右手に善光寺まで一直線。
物覚えがついてから
〝北は善光寺〟
と教えられ、北の方角を覚えた。この界隈に住む者
たちにとって善光寺と長野駅とを結ぶここ一帯は聖地であり、その空気を吸っているだ
けでプライドを持てた。私は現在善光寺とは少々西にずれて住んでいるが、生きている
限り私にとって
〝北、北、北は善光寺〟
は思い出と共に息づいていくに違いない。