「出合い」(長野駅よ有難う) 堀江 茂登子(長野市) 思い出は、いつも懐かしく我が胸に香りぬ昭和31年7月20日のこと、高校卒業4年 目、そろそろ私もお年頃、お見合いの話があって上京することになる。暑い日だった。ふ とH先生を思い出す。会社へ電話をしたらまだ出社していないとの事、ついてないなと 思いながら受話器を持つ手が迷っていると「すぐ行くよ」とのこと良かった。おめにかか れる。待つ身は5分でも長い。汗をかきかき、にこにこしながら「やあ!しばらく」と相変 らないお元気な先生。挨拶もそこそこに、 「実はお見合いに上京するんです。」と云い終 るや涙が止めどなく流れ、こらえられなかった。列車の中、大勢の人の中、我を忘れて 泣くあたし。学生時代から密に憧れていた先生とは同じ道をゆけない、別れ道、云い知 れぬ寂しさ―。とその時、 「返事はしないでくれ。」と。え!どう云うこと?先生の目をみた ら、やさしさの中に真剣な目差しで私を見つめていらっしゃる。 「気をつけて行っておい で待っているから。」と、考えてもみなかった先生の言葉―。急に目の前が明るくなる。 とにかく上京して、相手がどんな話をするか聞いて来よう。先生の言葉も信じたい。ゆ れ動く乙女の気持ちは信州に帰ってから整理するとして。いや本音は上京せずこのまま 先生の胸にとびこみたい衝動に駆られた。後日、先生の日記に他人がいなければ、抱 きしめたかったと告白してあったっけ―。29日の日曜日までヤキモキしていたとか、私が 何も連絡しなかったので―、10日近く逢えなかつたのでお互い面映い気持だった。東 京の人は断りましたと告げると良かった、良かったと嬉しそうだった。君と結びつけて考 えてもいいんだねと。あれから50数年振り返えれば何と短かいことか。愛する大好きな 夫も、もうこの世にいない。しかし、私の胸の内には貴方はずっと生きている。新駅舎を じっと見つめていると仏閣型の古い駅舎の幻が浮ぶ。そしてあの時の出合いも。
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