思い出の詰まった長野駅 塚田 和美(長野市) 私の父は元国鉄職員で川中島駅に勤務しておりました。50数年前は北石堂町に暮ら しており汽車で通勤していましたが、川中島駅近くに畑を借りており、時折の休日には 幼い私を長野駅から汽車に乗せ作物の収穫に連れて行ってくれました。宿直勤務もあ り夜勤明けの日父は昼間眠っていたりと一緒に過ごす時間が少なかったものですから、 時折の大好きな汽車に乗って川中島駅に行くことが大きな楽しみでした。 長野駅での最大の思い出といえば、小さな胸がとてもわくわくしたことが思い出され ます。父は時折東京に行くことがありました。その父が東京へ行った時には必ず上野の アメ横でバナナを買ってきてくれました。当時のバナナといえば庶民が日常口にできるも のではなく、風邪を引いたり病気になった時に「バナナを食べて元気を出して」というく らい貴重な物だったと思います。 東京から父が帰ってくる汽車の時間に合わせて長野駅に母と迎えに出かける時は、 「バナナが食べられる」と最高の時間でした。 そしてまた、夏には長野県民の海と言われた谷浜海水浴場に連れて行ってもらった り、駅前広場で盆踊りが行われその輪に入って大人の真似をして踊ったりもしました。 時を経て社会に出てからは、転居し川中島駅から長野駅まで汽車・電車に乗り通勤 もしました。またメーデー・デモの始終点でもありいろいろなことが思い出されます。 歳を重ねる毎に幼かった頃の思い出が鮮明に蘇りますが、私にとっての長野駅は楽 しい思い出がいっぱい詰まった、他の場所に無い特別な場所であります。 現代は人の触れ合いが希薄になっていますが、子供たちにも多くの思い出が長野駅 に残り、ふるさと信州長野を愛する思い出の地となってほしいものです。
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