「心にナイフをしのばせて」に思う 春の到来 3 月に入って暖かい日が続い

「心にナイフをしのばせて」に思う
春の到来
3 月に入って暖かい日が続いている。また、今年の冬は雨も多く、日替わりのような状況で空
模様が変わっている。2 月 20 日に松山空港から見た真っ青な空に浮かぶ雪を被った石鎚山は見事
であった。その後、暖かい日が続いているので、今年の春には、もう雪を被って神々しく輝く石
鎚の山容を眺めることはできない。そういえば、何となく忙しく城山の彼岸ザクラを眺めること
がないまま、春本番を迎えようとしている。時間は無理をしてでも作って彼岸ザクラを見ないと
美しい盛りはあっという間に過ぎ去ってしまう。沈丁花が咲き、モクレンも開く準備をしている。
春はそこまで来ている。
未成年者による未成年者の殺害事件
それにしても未成年者による未成年者の殺害事件がよく発生する。強烈な印象として残ってい
るのは、同級生女児による佐世保小 6 女子児童の殺害事件と神戸市須磨区の中学生による男児頭
部切断放置事件である。佐世保の事件は 2004 年 6 月、もう 11 年も前のことである。また、神戸
市須磨区の頭部切断事件は 1997 年 5 月であり、はや 18 年も経っている。これらは、何と小学 6
年生の女子児童が学習ルームで同級生の女子児童の首をカッターナイフで切り付けて殺害すると
か、14 歳の中学生が男児の頭部を切断した上に中学校正門前に放置し、切り裂かれた被害者の口
に「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る犯行声明文が挟まれるなど、常軌を逸した事件であった。子供たち
が病んでいる。
心にナイフをしのばせて
これらの事件の印象も強烈であるが、未成年の犯罪者が犯した罪の償いと被害者家族の置かれ
た状況という観点からは、今を遡ること 46 年前の 1969 年の 4 月、横浜のミッションスクールで
あるサレジオ高校 1 年生が同級生により首を切り落とされた事件が本当に衝撃的である。この事
件を取材したノンフィクション作家が「心にナイフをしのばせて」を 2006 年に出版して、一躍、
世間の注目を浴びた。被害者の母親は精神的ショックで廃人となり、家庭は崩壊した。一方、加
害者は何と弁護士になり、社会的成功をおさめた。そして、加害者は被害者家族に会うことにな
るが、被害者家族に対して何の謝罪の言葉も発しないどころか、逆に罵倒したというのである。
被害者の首を切り落とした上に、首を蹴って転がすことまでした加害者は少年法に守られて、
前科に問われることもないのである。一方、被害者側の苦痛は計り知れない。これが今の少年法
の実態であり、加害者側の少年は完全に守られている。世の中は何と不合理であろうか。しかし、
如何に不合理であろうと、法の前には、心にどれほどナイフをしのばせていようと、そのナイフ
が加害者を切り裂くことはなく、自らの心を切り裂いてしまって精神の変調をきたすのみである。
だからといって、少年法のすべてが悪いという意味ではない。どんな法律であれ、法は必要であ
る。
日韓中関係
日韓、日中の関係はいまだに良くない。近くにありながら、政治的には何とも遠い関係にある。
最も政治的に見れば中国や韓国のトップが、反日を叫ぶことにより、国民の政権への信頼を繋ぎ
とめておくという戦略であることは間違いない。それでも、日中同士で、また日韓同士で政治家
がお互いに罵りあうことにより、国民同士の感情もかなり険悪になっているのは残念なことであ
る。
日本から見れば、韓国や中国があまりに反日で動き過ぎるようにも思う。従軍慰安婦問題や南
京大虐殺など検証も十分になされないままに、一方的にプロパガンダがなされている。日本側か
らすれば、もういい加減にしたらという気になる。しかし、それは韓国と中国の政権維持策のた
めの反日運動ということを割り引いても、中国と韓国の国民の心の奥底に犠牲者としての恨みが
あるから、反日運動に火がつくのである。
言うまでもなく、日本は太平洋戦争において中国と韓国に対して加害者の国なのである。中国
や韓国からすれば、自国の国土が踏みにじられ、多くの国民が犠牲となった。加害国と被害国の
関係は、加害者家族と被害者家族の関係と同様であろう。子供の首を切られて殺された被害者家
族が、加害者や加害者家族を許せるはずがない。同様な感情が中国国民や韓国国民には厳然と残
っているのである。
横浜高校生首切り事件の加害者が弁護士になって成功したように、日本も戦後の焦土の中から
立ち上がって世界トップクラスの繁栄を謳歌する国になった。もちろん弁護士になるのに多くの
努力があったことは言うまでもない。日本も同様に敗戦の焦土の中から働きずくめに働いて、今
日の経済的繁栄を迎えた。日本は焼け野原の中から自分の力で頑張って今日の地位を築いてきた
のである。しかし何と言ってみても、戦争で中国と韓国を痛めつけたという事実は変えようがな
い。被害者家族の前に立った加害者である弁護士が私は努力して今日の地位を築いたのだと叫ん
でも、そのことに何の意味もない。恨みがますます増長するだけである。
川崎の中学 1 年生首切り殺害事件を見るにつけて、また、横浜サレジオ高校生の首切断事件の
その後の展開を見るにつけて、今日の日中韓のわだかまりに思いが行かざるを得ない。今一度、
中国と韓国の国民の心の痛みに思いを馳せることが必要であろう。両国民の中には、未だに心に
ナイフをしのばせて苦しんでいる人がいることは間違いない。その事実をしっかりと認識してお
きたい。
平成 27 年 3 月 5 日
矢田部龍一