1 リレー・エッセイ 戦後 70 年,歴史と重要事件の風化をどう防ぐか 今年は,戦後 70 年に当たる.今夏,現政権の から始まったアメリカによるベトナム侵略戦争が 安倍首相は「戦後 70 年談話」を発表するようだ 40 年前,「サイゴン政権陥落」によって終結を迎 が,そこにどのような内容や表現が盛り込まれる えた日である.受講者たちは,20 歳前後ないし ことになるのか,国内外から注視されている.こ は 20 歳代前半の若い世代だ.彼らにとっては, の点で,安倍首相は,1995 年の「戦後 50 年談 いずれも生まれる前の出来事であり,何らかのき 話 (村山談話),2005 年の「戦後 60 年談話 (小 っかけで関心を抱かないかぎり,まったく知らな 泉談話)での「歴史認識の基本的考え方を引き継 い「歴史」の一コマなのである. ぐ」としつつも,上記の談話で明記された「植民 過去の歴史は,同時代における体験者ないし当 地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」 事者を別とすれば,時間の経過とともに忘れられ は「もう一度書く必要はない」と述べた(BS フジ 風化していく.わずか 4 年余り前に起こった東日 「プライムニュース」,2015 年 4 月 20 日放映). 本大震災と福島原発事故による大惨事でさえ,あ この発言には,日本による過去の「植民地支配と たかも遠い過去の出来事であったかのように風化 侵略」の歴史から目をそらそうとする意図を感じ させられつつある.ましてや,20 年前の 1 月 17 ざるを得ない.これでは,中国や韓国をはじめ, 日未明に起こった阪神・淡路大震災の経験や教訓 アジアの人々から大きな反発を受けるのは必至で は,いまやすっかり忘れ去られている. ある.ちなみに,「戦後 40 年」の 1985 年演説の 最近,書評を依頼された好著(濱田武士・小山 なかで,当時の西ドイツ大統領ワイツゼッカーが 良太・早尻正宏著『福島に農林漁業を取り戻す』 「過去に目を閉ざすものは,現在にも盲目となる」 みすず書房,2015 年 3 月刊)のなかに,心に響い と明言した.一国を代表する政治的リーダーの発 た一節がある.「時がたつにつれ,被災地への関 言としては,雲泥の差がある. 心が弱まっていった.(略)福島県の復興のプロセ いま,戦後 70 年を迎えて,われわれは,歴史 スは果てしなく続くというのに,次から次へと世 をどう学び継承していくか,改めて考えてみる必 間の関心事は新しいニュースによって塗り替えら 要がある.その際,まずは歴史的な事実そのもの れてしまっている」.「阪神・淡路大震災において を知らねばならない.実は,5 月連休前の 4 月 30 も,(略)2 ヶ月後に,地下鉄サリン事件(3 月 20 日(木),私が勤務する大学の講義で,受講者たち 日)が発生,一瞬にして大災害への関心を薄めた に次のような問いかけをしてみた.「①4 月 26 日, のだ.阪神・淡路大震災の記憶は,こうした新た ②4 月 28 日,③4 月 30 日,これらは歴史的に重 なニュースの上塗りのなかで風化していった」. 要な意味をもつ日だが,それぞれ何の日か,分か 私たちには,こうした「歴史の風化」や「重要 る人は手を挙げてほしい」と.私の予想どおり, 事件の風化」を防ぐための特別な努力が求められ その場で手を挙げた受講者は皆無であった. ているといえよう. 改めて述べるまでもなく,①は 29 年前の 1986 末尾になったが,本号から,長年本誌の編集代 年にチェルノブイリ原発事故が勃発した日,②は 表を務めてきた宮本憲一が顧問となり,また岡本 63 年前の 1952 年にサンフランシスコ講和条約が 雅美が退いて,淡路剛久を筆頭に寺西と原科幸彦 発効した日である.とくに沖縄にとっては,奄美 が新たな編集代表として名を連ねることになった. 諸島・小笠原諸島とともに日本から切り離され, 読者各位には,引き続き,本誌への絶大なご支援 アメリカの施政権下に置かれることになった「屈 を切にお願いする次第である. 辱の日」に他ならない.そして,③は 1960 年末 (寺西俊一)
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