第9回 し尿処理技術の変遷-(1)し尿消化槽

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「日本のし尿処理」―その歴史と技術―
第9回 し尿処理技術の変遷-(1)し尿消化槽
元 神奈川県衛生研究所
博士(学術) 田所 正晴
今回は、戦後日本のし尿処理技術がどのように開発され、し尿処理施設が発展してき
たかをし尿消化槽(嫌気性消化方式)を中心に、神奈川衛研の研究などを交えて解説す
る。
1.し尿処理技術の発展
戦後まもなく、主に寄生虫病対策の面から、し尿の衛生的処理の研究が取り上げられ
た。しかし、化学肥料の登場で農村還元は衰退し、急激な人口集中を受けた大・中都市
では、大量の屎尿を海洋投棄や山間部への投棄処分をせざるを得なくなり、不衛生処分
の急増が大きな社会問題となった。
こうした背景のもと、近畿、九州、中国および関東各圏の大学・研究所・行政担当者
による大阪湾、玄界灘、瀬戸内海、東京湾でのし尿処理問題の実態調査と対策が、学会
や当時発足したての「し尿処理対策全国協議会」(後の「汚物処理対策全国協議会」)
の主テーマとして幾度も取り上げられ、追究された1)。
これに先立ち、昭和 23 年(1948 年)8月に設置された「経済安定本部資源調査会」
は、昭和 25 年(1950 年)に国に対し「屎尿の資源科学的衛生処理勧告」を行い、し尿
収集の機械化および嫌気性消化処理の合理性と可能性を先見的に述べ、し尿処理の方向
を示した1)2)。同調査会の衛生部会では、西欧諸国の文献をレビューし、また戦前の
廣瀬孝六郎・岩戸武雄両博士や西原氏の実験的研究、京都市や東京都の事業が基礎とな
り、新発田市、神戸市の実験的研究等が追加され、し尿処理への嫌気性消化処理法の実
施を勧告するまでに至った3)。
これがきっかけで、し尿の衛生的な処理方法の研究が進められるようになった。その
主役は嫌気性消化処理技術で、将来下水道が整備された場合、下水道終末処理施設の一
部として転用可能であることからもその合理性が強調され、全国的に嫌気性消化処理方
式の施設が建設される動機になった1)。
昭和 27 年(1952 年)には、「日本衛生学会」が都市し尿問題の重要性を決議し、28
年にはし尿処理施設に対する国庫補助が事実上行われ、29 年(1954 年)には清掃法が
施行され、国庫補助の裏付けがなされた。昭和 30 年(1955 年)には「日本環境衛生協
会」(現在の「日本環境衛生センター」)が設立され、施設管理技術者の教育・訓練の
センターとしてスタートした。こうして、昭和 20 年代後半には、都市し尿問題に対す
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る対応が各方面から展開されていった2)。
昭和 30 年代に入ると、31 年(1956 年)10 月に国が5カ年計画の「屎尿処理基本対
策要綱」を発表し、海洋投棄の原則禁止や屎尿の陸上処理切り替えを呼びかけた。ただ
し、近代的な集約処理方式は「し尿消化槽」(現在の嫌気性消化処理)ということで、
前述したように実質的に国庫補助が行われていた。その後、下水道整備促進計画に並行
して、昭和 36 年(1961 年)度から清掃施設整備 10 カ年計画が実施され、さらには「し
尿処理施設整備緊急5カ年計画」が、下水道終末処理施設、ごみ処理施設、下水道管渠
の整備とともに、四大緊急5カ年計画として国の重大施策に取り上げられた。
この過程で、一大物議を醸した昭和 31 年(1956 年)末の「化学処理」の出現や、そ
の 1~2 年後に「酸化処理」等が現れ、これら新処理方式の判定に関わる当時の「清掃
調査会」(昭和 34 年発足の厚生大臣の諮問機関)には、神奈川衛研が児玉威所長陣頭
指揮のもと、全国調査に奔走した。そして、児玉所長と当時の戸川平塚市長の英断によ
り、し尿消化処理に2次処理として活性汚泥法の運転を開始し、これが全国の2次処理
の走りとなった。
2.し尿消化処理技術の開発
2.1 嫌気性消化処理によるし尿の衛生的処理技術(殺卵・殺菌)の研究
終戦直後の昭和 21 年(1946 年)、野辺地慶三氏や廣瀬孝六郎氏らはし尿の嫌気性消
化実験を行い、2相消化法における第2段階の嫌気性分解(アルカリ性発酵)は、回虫
などの寄生虫卵の死滅に効果があり、20~30 日で死滅することを実験的に明らかにし
た5)6)。寄生虫卵の外殻はタンパク質からなるため、アルカリ性で 30℃に保持されれ
ば、かなり容易に加水分解され、殻が破壊されて死滅した。翌年には和泉清一らによっ
て、単相消化法では投入し尿の短絡流によって寄生虫卵が排出することが確認され、加
温の殺卵効果が低下することから、2相消化法が推奨された7)。
また、岡本啓ら8)により、pH7.5~8.0 に上昇すると大腸菌群の死滅が著しくなり、7
~10 日で完全に死滅することが報告されていたことから、当時の内務省衛生局では、
病原菌の死滅は、タンパク質の分解で発生するアンモニアによってもたらされる高 pH
に伴って溶液中に増加する水酸イオン(OH-)、タール状物質および硫化物による殺菌
作用であり、さらに高温による効果の増加から、槽内温度を 30℃にすることを推奨し
た。
2.2 し尿消化槽の実用化
最初のし尿消化槽は、昭和 28 年(1953 年)に野中八郎氏らの設計で東京都砂町下水
処理場に建設された。し尿を内槽(消化ガスで 30℃に熱交換器加温)に 10 日間撹拌し、
外槽で 20 日間静置する 30 日消化で良好に処理されたが、下水汚泥 20%との併用のた
め一般の消化槽とは条件が異なったものであった。
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汲取し尿のみのし尿消化槽は、洞沢勇氏(元国立公衆衛生院)が設計した諏訪市、札
幌市、逗子市、焼津市等の施設であったといわれる。逗子市のし尿消化槽は、神奈川県
で初めて稼働(昭和 29 年 10 月 26 日開始)した施設で。2次処理に散水濾床を組み合
わせたものであった。処理能力は 13kl/日の小規模なもので、三機工業(株)が建設し
た。その消化槽は密閉式ではなく、鍋ぶた式のレトロな施設で昭和 50 年代前半まで残
っていた。
し尿消化処理の技術は、日本独特のもので基礎研究も不十分であったため、下水汚泥
の消化データが準用されたが、訂正部分も少なくなかった。当時、横浜市ではし尿の消
化処理を計画したが、そのときの委員である洞沢氏はその基礎実験を行い、以下のよう
な結果から、下水汚泥の消化とはかなり相違があり、下水汚泥の設計をそのまま適用す
ることは困難であることを明らかにした2)4)。
①汲取し尿は文献値より水分が高く有機物が少ないが、BOD は 13,500mg/L と高い。
②し尿消化では、ガス発生が二期に分かれ終息までかなりの日数を要するが、脱離液
と消化汚泥は分離しやすくなって、脱離液の BOD は 500~1,000mg/L と低くなり、大腸
菌群や寄生虫卵が著しく減少して安全化する
③し尿も下水汚泥同様 30~40℃程度での消化が経済的で、消化期間は長いほど分解
や衛生的安全性が増し、種汚泥として下水汚泥を添加すると消化が著しく進行する。
④消化でアンモニアが多量に生成されるため、pH が望ましくない値まで上昇する。
3.し尿消化槽の構造基準化と機能検査
し尿消化槽については、昭和 31 年(1956 年)に厚生省より構造基準と資材基準が出
ているほか、清掃法施行規則第9条で維持管理基準が規定された。また、その機能検査
は、厚生省が昭和 30 年 3 月と 31 年 4 月の2回、「し尿消化そう検査要領に基づき月 1
回の検査を行なうよう」通知し、それらの資料を集計して学識者により機能の検討が行
われた。
昭和 32 年(1957 年)には、「全国市長会」が研究権威者にし尿消化槽標準型の設定
を依頼し、全国の代表的消化槽について、機能調査による比較検討が行われた。調査は、
千葉大学医学部長の長谷川久治氏が中心になって、神奈川衛研の児玉威所長ほか、谷川
久治、洞沢勇、三浦運一、井上、堀の6氏が、6~8 月および 2~3 月に既設の 11 施設
について実施した。調査結果の概要は以下のとおりで、消化槽の効果はほぼ良好だが、
散水濾床の効果は低く、BOD の放流水質基準をオーバーする施設が多いため、設計上、
維持管理上の改善が要望された。
①嫌気性消化槽(1次処理)では夏と冬の著差はなく、除去率は BOD70~90%、COD50
~70%と比較的良好で、ほぼ予想どおりの消化率であった。
②散水濾床(2次処理)の効果は下水に比べて低く、COD 除去率 20~30%。脱離液の
希釈度は 10 倍以下が3施設もあった。
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③放流水質は COD60mg/L 前後で、BOD は基準超過した施設が多い。一般細菌と大腸菌
群は、脱離液、放流水とも顕著に減少し、回虫卵も消化作用により約 80%除去された。
4.し尿処理施設の発展
上述のようにし尿消化槽の調査研究が進められ、いわゆる「消化処理方式」の施設が
増加し、昭和 33 年(1956 年)には全国で 73 施設に達した9)。その一方で昭和 31 年(1956
年)頃から開発された、し尿に薬剤を添加して凝集沈殿を行い短時間で固液分離する「化
学処理方式」や、し尿に空気を吹き込んで酸化促進する「酸化処理方式」も実証実験を
終え、実規模施設の建設段階に達したため、昭和 34 年(1959 年)に清掃調査会(厚生
大臣の諮問機関)に審議を依頼した。その答申の結果、昭和 36 年(1961 年)度より、
これらの新処理方式に対しても国庫補助対象とすることが認められた。
昭和 35 年(1960 年)には、公害審議会下水清掃部会第二分科会(分科会長楠本正康
博士)および厚生省環境衛生局が討議し、翌 36 年(1961 年)にこれら3方式を含む「し
尿処理の施設基準ならびに維持管理基準」を発表した。その後、下水道整備促進計画に
並行して、昭和 36 年(1961 年)度から、汲み取りし尿はすべてし尿処理施設で処理さ
れる方針が示された「清掃施設整備 10 カ年計画」が実施された。しかし、全国のし尿
処理問題は予想以上に急速に悪化し、清掃事業が行き詰まったことから、この計画は改
定を余儀なくされた。
昭和 38 年(1963 年)には「生活環境施設整備緊急5カ年計画」が国会を通過し、下
水道終末処理施設、ごみ処理施設、下水道管渠の整備とともに、「し尿処理施設整備緊
急5カ年計画」が四大緊急5カ年計画として国の重大施策に取り上げられた。この計画
は、昭和 42 年(1967 年)における日本の推定人口約1億人のうち、8千万人のし尿を
すべて衛生的に処理するよう、し尿処理施設の整備促進を図ろうというものであった。
この計画が完了年次に近づいた頃、下水道行政の一元化が実施され、下水道建設と清
掃事業が分離されたことにより、清掃関係では昭和 42 年(1967 年)に「清掃施設整備
5カ年計画」が閣議決定された。この計画におけるし尿処理施設整備の目標は、特別清
掃地域のし尿衛生処理率を昭和 46 年(1971 年)度末までに 100%にしようとするもの
で、これにより、汲取し尿の河川、山林、海洋の投棄等の不衛生処分は同年度末までに
解消する見込みとなった。
5.し尿の嫌気性消化処理技術の高率化
5.1 高率消化処理2)4)
し尿消化槽の施設数の増加にしたがい、消化処理の高率化が進められるようになった
が、これに伴い、構造や設備も能率化して、消化槽の維持管理も衛生工学的な高度の知
識と技術を必要とするようになってきた。
野中氏らは、37℃、20 日間でも消化が十分行われ、35℃や 33℃法でも消化期間の短
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縮が図れることを報告した。
これによって 37±2℃が標準の消化温度として適用された。
消化槽の加温は、温水を循環させる熱交換加温方式に代わり、蒸気を槽内に吹き込む直
接加温方式が一般的になった。また、槽内撹拌は、下水汚泥消化で注目されていたガス
撹拌方式がし尿消化でも研究され、機械撹拌方式に代わって各地で採用されるようにな
った。
岩井重久氏と本多淳裕氏は、消化槽内で多量の汚泥と接触させることで、消化促進を
図った。し尿の消化は、前段階で有機物質の可溶化と低分子化が行われ、次に可溶化し
た有機物質がメタンガス化するが、本多氏らは消化を可溶化段階で停止し、その脱離液
を活性汚泥処理する方法を報告した。
5.2 消化脱離液の活性汚泥処理1)2)
し尿消化槽は、昭和 33 年(1958 年)頃まで2次処理として散水濾床方式を採用する
のが一般的であった。しかし、その BOD 除去率は 20~30%と低く、沈殿池での効果を
加えても 30~35%で、下水処理に比べ効果が劣っていた。そこで、既にし尿の好気性
消化を研究していた神奈川衛研の武藤暢夫と遠矢泰典らは、嫌気性消化脱離液の2次処
理として活性汚泥法の適用を考え、基礎研究を行った10)11)。
この結果に基づき、昭和 34 年(1959 年)、平塚市大神清掃作業所のし尿消化槽(嫌
気性消化処理)の2次処理に活性汚泥法による処理施設が初めて用いられた。これが2
次処理に活性汚泥法が使われた第1号で、全国に普及した。そのときの神奈川衛研の児
玉所長によれば、現場での予備実験では、脱離液で生成した活性汚泥は、下水のそれに
比べ吸着作用などがやや劣ったが、処理効果はみはるべきものがあったという。実運転
では、適正に管理すれば、8時間曝気で BOD 除去率 90%が期待できた。こうしたこと
から、厚生省の「汚水、汚物処理施設の施設基準」には、高級処理を前提としたし尿処
理では、2次処理として活性汚泥処理法を適用すべきであるとされた。
神奈川衛研の大野茂は、この活性汚泥法を散水濾床法と比較し、(ⅰ)散水濾床より浄
化率が高く放流水質が優れている、(ⅱ)所要面積・水頭が少なくてすむ、(ⅲ)施設周辺
に臭気・ハエなどによる公害の恐れがない、などの利点がある反面、(ⅳ)運転費が高く
維持管理に技術と熟練を要する、(ⅴ)流入水の水量・水質変動に対し順応性が乏しい、
(ⅵ)汚泥発生量が多い、などの欠点があることを明らかにした2)12)。
しかし、その後良質な放流水を必要とする施設で、活性汚泥法が広く普及したことは
言うまでもない。
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(写真1 昭和 40 年代に建設された嫌気性消化処理方式の施設例(神奈川県 K 組合))
<参考文献>
1)児玉威先生記念出版グループ:私たちの記録-児玉威先生とともに 20 年-、p.55-56、
67-68(1970)
2)児玉威:日本におけるし尿処理の歴史、用水と廃水、23(12)、pp.3-13(1981)
3)井上雄三:わが国のし尿処理技術の歴史(第6回)-第4章
戦後わが国の公衆衛生
を支えた嫌気性消化技術、月刊浄化槽、No.394、pp.28-35(2009)
4)児玉威:し尿処理技術の歴史的展望、用水と廃水、10(4)、pp.54-60(1968)
5)井上雄三:わが国のし尿処理技術の歴史(第4回)-第2章
し尿の寄生虫卵・殺菌
技術、月刊浄化槽、No.392、pp.39-46(2008)
6)野辺地慶三、廣瀬孝六郎、岡本啓、岩戸武雄ほか:屎尿の消化実験、水道協会誌、No.48、
pp.30-36(1946)
7)和泉清一、中村智、沢田敬一:下水汚泥中の寄生虫卵の問題(第 1,2,3 報)、水道協会
誌、No.215,216,223、pp.38-44、45-50、27-30(1952、1952、1953)
8)岡本啓:日本医学会誌 3370 号
9)三浦大助:建設と管理の面からみたし尿消化槽、全国市町会編-都市におけるし尿消
化槽の研究、pp.84~89(1959)
10)武藤暢夫:し尿好気性消化の研究、神奈川県公衆衛生学会誌、3(8)、(1955)
11)遠矢泰典:し尿の好気性消化処理に関する一考察、用水と廃水、9(4)、pp.51~61(1967)
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12)大野茂:し尿酸化処理施設の動向、日本都市センター編-し尿処理の現状とこれから
の方向、pp.12~34(1965)
メルマガ講座「日本のし尿処理」―その歴史と技術―バックナンバー
70号 第1回 し尿処理のはじまりと目的
71号 第2回 便所の歴史と便器
72号 第3回 し尿処理の体系-収集・運搬・搬入
73号 第4回 し尿の性状と量-(1)排泄し尿について
74号 第5回 し尿の性状と量-(2)収集し尿について
75号 第6回 浄化槽汚泥-(1)浄化槽の基礎知識
76号 第7回 浄化槽汚泥-(2)性状と量
77号 第8回 し尿処理に関する余談と逸話
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