(1) その成り立ちと三本の音叉

Yamaha Motor
Monthly Newsletter
March 16, 2015 (Issue No. 27) ヤマハ発動機の製品第 1 号「YA-1」(1955 年)に装着されている七宝焼の音叉エンブレム YAMAHA ブランド(1) その成り⽴立立ちと三本の⾳音叉 ヤマハ発動機は、1955 年年 7 ⽉月、⽇日本楽器製造株式会社(現・ヤマハ株式会社)からモーターサイクル事業
を分離離して創⽴立立。創業者・川上源⼀一のもと、⽇日本楽器製造で育まれた有形無形の財産を DNA として受け継
ぎながら、「感動創造企業」をめざして発展。2015 年年に 60 周年年を迎えました。 今回は、ヤマハ発動機の⺟母体である⽇日本楽器製造の時代を振り返り、YAMAHA ブランドの起源や成り⽴立立ち
についてご紹介します。 Yamaha Motor Monthly Newsletter
1 ⼭山葉葉寅楠、オルガンと出会う 300年年にわたる鎖国が終わり、⽇日本に⽂文明開化の気運が満ちあふれていた明治
20年年(1887年年)7⽉月、静岡県浜松市の⼩小学校で備え付けのオルガンが壊れるとい
う⼀一⼤大事がおきました。当時、オルガンはすべて外国製で、公務員の年年収を超え
る貴重品。困り果てた関係者は、たまたま医療療機器の修理理のため、浜松に来てい
た技術者に相談を持ちかけました。その⼈人物が⼭山葉葉寅楠、YAMAHAブランドの創
始者です。 1851年年、紀州藩(和歌⼭山県)で天⽂文係を務める武⼠士の家に⽣生まれた寅楠は、幼
い頃から天体観測⽤用の器具に馴染み⼿手先も器⽤用だったことから、明治維新の後、
時計や医療療機器を扱う技術を習得していました。 日本楽器製造(株)初代社長・山葉寅楠 さっそくオルガンを調べた寅楠は、破損したバネが故障の原因だと判断。幸い⼤大した⼿手間もなく修理理を済ませま
したが、初めて⾒見見る「⾳音を出す箱」の巧みなメカニズムに感動。ぜひとも⾃自分で作ってみたいと決⼼心したのです。 「調律律」〜~最難関への挑戦 とはいえ、仕事場も資⾦金金も無い⼀一介の技術者に過ぎない寅楠は、浜松病院の院
⻑⾧長の援助と、さらにこの町で知り合った⾦金金属加⼯工職⼈人の協⼒力力を得て、部品ひとつ
ひとつから⼿手作りするなど、オルガン製作に没頭。2ヵ⽉月を費やして最初の製品を
完成させました。 しかし、その評判はさんざん。思案の末、寅楠は、東京の権威ある⾳音楽学校に持
ち込んで、審査を受けようと思い⽴立立ちました。まだ鉄道も整っていない当時、寅楠
は仲間の職⼈人と⼆二⼈人でオルガンを担ぎ、険しく厳しい箱根の⼭山を越えて浜松から東
京まで250kmあまりを歩き通したのです。 それでも、⾳音楽学校で下された評価は「調律律が不不正確で、使⽤用に耐えない」。
調律律……未知の⼤大きな課題を突きつけられた寅楠は、授業の特別聴講を許され、1
ヵ⽉月間猛勉強。浜松に戻ると直ちに2台⽬目の製作に取りかかり、同年年の暮れ、再び
⾳音楽学校の⾨門を叩きました。そしてついに「外国製品に代わり得るオルガン」と
いう⾼高い評価を受けたのです。尋常⼩小学校で初めてオルガンと出会ってから、わ
ずか半年年⾜足らずのことでした。 天秤棒でオルガンを担いで東京まで
山越えした模様がレリーフとして残さ
れている
⼭山葉葉⾵風琴製造所、そして⽇日本楽器製造へ 寅楠が指物師(家具職⼈人)や⼤大⼯工、バネ職⼈人などを集めて本格的なオルガン製造に乗り出したのは、1888年年3
⽉月のこと。その翌年年、合資会社として「⼭山葉葉⾵風琴(ヤマハオルガン)製造所」を設⽴立立。やがて東南アジアへ輸出
するなど業績を伸ばし、1897年年、⽇日本楽器製造株式会社として新たにスタート。1900年年からはYAMAHAブラン
ドでピアノの製造も開始しました。その後1916年年、寅楠は64歳で死去。副社⻑⾧長が後を引き継いだものの、⼯工場
⽕火災や関東⼤大震災、⼤大規模な労働争議などの試練にみまわれた⽇日本楽器製造は存続の危機を迎えたのです。その
建て直しのため、ぜひと招聘されたのが地元・浜松出⾝身の川上嘉市でした。第3代社⻑⾧長として「綱紀粛正」「⼈人事
の公平と整理理」「作業合理理化」「営業の組織・系列列化」など7項⽬目に基づく改善策を実践。みごと難局を乗り切切っ
た嘉市は、第2次世界⼤大戦というさらなる困難にも屈せず会社を守り抜き、息⼦子・川上源⼀一に第4代社⻑⾧長の座を引
き継いだのです。 Yamaha Motor Monthly Newsletter
2 三本の「⾳音叉」に込めた思い ⽇日本楽器製造を設⽴立立し、初代社⻑⾧長に就任した⼭山葉葉寅楠は、1898
年年に社章を「⾳音叉」、商標を「⾳音叉をくわえた鳳凰図※」と定めま
した。⾳音叉は最初のオルガンを改良良するために苦労して調律律を学ん
だ創業の象徴。その三本の⾳音叉を組み合わせることで「技術」「製
造」「販売」3部⾨門の強い協⼒力力体制を表現するとともに、⾳音・⾳音楽
を中⼼心に世界に伸びゆくたくましい⽣生命⼒力力を表しています。また、
⾳音楽の基本である「メロディー」「ハーモニー」「リズム」の調和
という意味も込められています。 ※鳳凰:聖徳をそなえた天⼦子の出現を兆す、中国の伝説上の霊⿃鳥 1898 年に商標として制定された「音叉をくわえた鳳凰図」。
オルガンの最高級品に使用されたものとされている。常に
世界水準を目指した創業者の思いがこめられている ⼈人を育む企業、⼈人が⽀支える企業 ⼀一⽅方、川上源⼀一のもとで⽇日本楽器製造からモーターサイクル事業
を分離離して創⽴立立された当社は、ブランド名「YAMAHA」を社名とし
てダイレクトに採り⼊入れ、同時にモーターサイクルのホイールをイ
メージさせる、外円で囲んだ三本の⾳音叉を社章としました。ヤマハ
発動機にとって⾳音叉マークは、⽇日本楽器製造と同じ「製造・販売・
技術の連携によってたくましく世界にはばたこう」という意志を表
現するとともに、今⽇日ではさらに「お客さまの期待を超える価値の
創造」「仕事をする⾃自分に誇りが持てる企業⾵風⼟土の実現」「社会的
な責任のグローバルな遂⾏行行」という三つの経営理理念念も表わしている
音叉の先が円内におさまり、YAMAHA の「M」の文字の
中央部分が下に付いていない、そしてロゴに使用されて
いる各アルファベットの形が、おのおの左右非対称なの
がヤマハ株式会社のロゴマーク(上)。ヤマハ発動機株
式会社のロゴの各文字は、左右対称。コーポレートカラ
ーは、ヤマハ(株)がバイオレット、ヤマハ発動機(株)が
赤を使用 のです。そのよりどころは⽇日本楽器製造・川上嘉市の経営理理念念です。嘉市は、社会と企業、企業と個⼈人のありよ
うを通じて⼈人間の⾃自⽴立立を説き、⼈人の育成こそ未来への指針であると考え、「社訓」に残しました。そして川上源
⼀一も、これをそのままヤマハ発動機での「社訓」として制定。両社への浸透をはかったのです。 寅楠のオルガン修理理から100年年後の1987年年に⽇日本楽器製造から名を変えたヤマハ株式会社。1955年年、⽇日本楽
器製造から独⽴立立したヤマハ発動機。それぞれの事業分野は「⾳音・⾳音楽」と「乗り物」と異異なりますが、YAMAHA
ブランドを共に掲げる両社のルーツはひとつ、感動をキーワードに、世界の⼈人々の⽣生活を豊かにするという思い
もひとつ。先⽇日発表した、ヤマハ株式会社がモビリティを、ヤマハ発動機が楽器をデザインするという「project AH A MAY(プロジェクト アーメイ)」のように、「挑戦」と「創造」から⽣生まれた両社は時には⼿手を携えて、
何か新しいYAMAHAを⽣生み出そう……。そんな試みが、今も動き続けているのです。 Yamaha Motor Monthly Newsletter
3 Message from the Editor
ヤマハとヤマハ発動機の関係、知っているようで知らない⾯面もありまし
たでしょうか?弊社同様、ヤマハ株式会社も創業者の類まれなチャレンジ
精神から誕⽣生したのですね。⾒見見慣れた⾳音叉マークを改めてじっくり眺める
機会になりました。 ところでヤマハとヤマハ発動機が共同でフランスのデザインイベントに
出展した「project AH A MAY」の作品はもうご覧になりましたか?とってもCOOLで斬新、まさに両社の精神の
美しきハーモニーですね! 太⽥田涼⼦子 「第 9 回サンテティエンヌ国際デザインビエンナーレ 2015」出展作品 Global PR Team, Corporate Communication Division, Yamaha Motor Co., Ltd.
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