YMN001507

解
説
祐田 善雄
豆
お
右衛門
袋
機作
せん
ぅい新
せ五
さ人
ん女
く
半紙本
本尾入兵衛 板
原 表紙︵ 真緋色、無地︶
音曲歌謡その他の寄せ 本
表紙
原題 条 ︵白紙、
佃地︶縦一七,二糖 X横五糎
X入
積梅
一五 糎
題条
実口書屋堀田氏 珍翫 ︵朱印︶
天理図書館
蔵
刊年については、貞享三年 閏 三月八日に没した鈴木平入追善のおどり歌念仏 があるこ と、
縦二 0.
印記
本書は貞享三年刊。
﹁心中あみだ ノはし女郎﹂二月の項に﹁とらとし ﹂とあるのは貞享三年に当ること、巻末附記の 謎々尽しの ﹁ロ
0年顔見世芝居﹂は三年末であること、以上に よって貞享三年刊は動かない。
本書は二三葉ずっの薄物 歌本を組み集めたため に、版式が次の六種類に区別される。
二、三月二日没の滝川市弥死出の道行
へ|ジ
穏 ? 騰。
Ⅱ ? 花 ぺ ージ
3、
/ ㎎。
へ1 ぃン
三 、 孟蘭盆名残のおどり、心中あみだ ノ はし 女 俺
宜
Ⅱ ? ㎎。
へ|ジ
一、おせん伊勢参宮、間三月八日没の鈴木平入道 善 のおどり歌念仏
日、正月五日没の太郎今橋心中 花 のいろは う た
ふし、お土ロノヘ
スノ日ハのム
たまご 麗 1(
托 ぺ ージ
折f 為。
へ|ジ
一一一
一五一
作本 尾入兵衛の編であろ 5 。 題簸に﹁新五人女﹂と 脇 書がある よう
五、おもと 源兵衛恋のほりあいた ムきといと
六、顔見世の謎々づくし
説
これら六種の薄物 歌 本を集めた寄せ本で、
解
解
説
一一ハ
一一一エ
あノ
みはし女郎﹂の絹川、
に、同年二月刊の井原西鶴 作 ﹁好色五人女b に習って、﹁伊勢参宮﹂のおせん、﹁心中だ
ノ
﹁たムぎし ﹁いと Ⅰふし﹂のおもとⅡ たムき﹂のお吉の五人女を集めたが、たまたま孟蘭盆に当っていたので、
鈴木平入追善のおどり歌念仏と滝川市弥 の道行を組み入れて出版する予定であったのが延びたためか、版式内容
の違 う ﹁謎々尽し﹂を付載したと思われる。あるい は ﹁謎々尽し﹂の一丁は初版になく、後に合綴したものかも
しれない。綴じ込みは﹁牡 かほみせやく しゃ00 い﹂と読める。
新五人女のうちで一番有名なのは、 歌祭文で世に知られたおせん 長右衛門である。 そ の道行伊勢参宮を巻頭に
掲げて、伊勢神宮神前の絵を挿入し、 草津を出て道行﹁ 下﹂に 当る 石部から山田までの 里程案内を記して、題名
﹁伊勢参宮口の体裁を整えた。この里程は貞享四年刊﹁好色旅日記 ヒと 大体同じだが、中 には小異が見られる。
ここに収めた歌謡は今まで知られなか ったものであるが、タタキの歌詞を教えてくれた のが有難い0 タタキは
現在も義太夫節の旋律として残っている が、近松 浄る りでは掛合になっていて現在と同 じではない。それが本書
で原歌の歌詞 と掛台形式を確かめること ができた0 お吉生月を素材にした歌謡はこれが 一番古いが、その実説は
寛延二年刊﹁新著聞集 L第十四 銭禍篇に 見え、浄 るり﹁桜町音名花円鶴屋南北の日解脱衣楓影 L に取られている。
その他、真覚追善のおどり 歌、附載の謎 々づくしをほじめ、すべての歌謡音曲 は資料として価値がある。
また嵌め込みの歌には、謡、舞の外に 加太夫、しの しやか節、さぅか節、あづま節、津村音頭、まご 節、いと
節、吉田 節、しょかいな 節、 くでん 節、伊勢踊、 此節、相の山師、清十郎 節、しな へ節、やりくり 節、かぞ
へ節、しんき 節、なげ 節、しのめる 節、 なき節、 よなや節、ありさ 節、よ さくなどを挙げることができて、貞享
三年ごろの流行歌謡がわかる。
おとり
・八種X横光糎
冊 小本綴葉装
女歌舞伎踊歌自国籍類書ロ のうち第百八十二
表紙 原表紙︵金銭の草花模様、地群
色
︶白
縦一
用紙鳥の子
題奴原題 笘 ︵肉色、無地縦
︶五・五種X積一 ・光糖
本文墨 附五十四枚白紙四枚 丁附なし
印記松平家蔵書印︵朱印︶
天理図書館
蔵
伎踊歌として翻刻して以来有名になり日
、本古典全集﹁歌謡
本書は藤田徳太郎氏が﹁近代歌集
謡ヒに友歌舞
そ
図巻口と同歌がある点、お国歌舞伎の演技の名 と
集ヒ中巻にも歌詞が転載された氏
。は、徳川黎閉会蔵 口歌舞伎
のものが多い点、
でいる点、歌詞が歌舞伎小舞の十六番と一同
やュこ﹂﹁小原木﹂を含ん
して知られている﹁
の他諸種の事情を勘案して
宰歌舞伎図巻ヒと金く同じ女歌舞伎の踊歌と決めている。
歌円
舞伎図巻目だけであって、その二番除
をいても二十九番の多
本書所収の歌詞三十一番のうち、同じ形式は
5 に第一首の
数首の歌が含まれて
とも歌詞が組歌形式になって一番のうにち
数が本書仁よって新しく知られたのである。つ
も
ヒ所収の﹁小舞
唱寄十六番 ﹂のよ
いるから
昌落葉集ヒ所収の﹁古来十六番舞
笥歌﹂や 口歌舞伎事始
あで
る。
口十
番の女歌舞伎踊歌が本書で知られるの
歌だけを挙げたもの五番を除いても、なお二
錦二セ
あ冊
る。﹁類書 ヒは 黒塗
で一
本書は﹁国籍類書
ヒ百三十二種二百六十八冊同
︵目録には二百九十二冊︶のうちの
解説
解
説
三二八
の二箱に分納された携帯用の小本で、もと伊勢 亀山石川家の珍蔵であったが、明治二十年四月に 美作鶴田松平家
0所蔵になった。本書の松平家蔵書印はこの時 の捺印である。後に佐々木信綱氏の竹柏 園 に移り、現在は天理 図
書
書館の所
園
蔵蔵
書で
恵
稀
あ
三目
る
﹁録
︵
天﹂
﹁
理第
竹
図三
柏
書参
館照︶。
刀
に
ゆ
つ
かろ
ぅは
くい
笛たる
こを
ム
さ
ああ
ひ
げげすは
太
も
と
つに
ュた
はと
か
な
ふ
た
らと
つて
ま
も
ろ
あすはこ
ょケ
ん
ニ
月
なた
り
の
に
い
か
れ
ま
草つ
々
打
きせゃ
て
のおよれし
天理蔵
図書館
千尋美
竹本義太夫段物集小本袋織加水亭
表紙
標色
︵中央墨書︶
無地
題簸後 筆禍 写
目 ﹁
序 ︵各曲名の頭字︶下敷﹂
工数七十二丁
刺繍
Ⅹ
/
横
糎
各丁 の柱刻は複製本文 の肩見 出の括弧の中に記す
糎
ほ ついて﹁伊勢参宮ヒ附載の謎々づくしに
北野の不動と竹本義太夫とが似た
わせ読むと、初期義太夫の人気が知られて興味 がある。
天王寺屋五郎兵衛といふ名をかへ、竹本義太夫 と改め、やぐ
げに ぅげ がたき人のた
説
い を受 ながらと
能文
二段目待つ夜の恨
三段目道行
九
立子這子、 此 二所のふし高口まねせぬ 者 なし。 次のかはりあいそめ 川梅 の石ょせ、道行のすみ と す どりの 濃
さりとては恋はくせ 物皆人のと
。
つたへ止 まく 也 。 某頃は貞享三年、丑の年︵元年の誤か︶にて ぞありげ り 。 浄る りは 嘉 太夫致されし世継そが、
9幕、まりばさみの内に笹の丸のもん 所、今に
と見えるが、そのころ人気のあった道行景事が ほとんど本書に納 められていてよ仝昔操年代記 ヒ の次の記事を合
なぜにや流行り出たはさて
はやり
貞享三年霜月下旬刊。竹本義太夫が独立した 直俊二年ほどの間 に人気を集めた曲を収める。その当時の義太夫
印記繁農文庫︵朱印︶
柱
縦
定義太夫出世のはじまり、町中の見物化ふし 事 になづみね
解
解
説
、 、, ・。、
三三 O
中 をほやらし、続いて三のかはりいろはものが たりの獅子の乱 曲、道行のなつのの しかのまき筆にて手習さ
せ、 :::義太夫 寅 の年 ︵丑の年か ︶一一の替りは、 近松 に縁をもとめ、出世景清とい へるをこしらへ、是にて 月
・ 、、、 ・
を 重ね、 某後のかほり源氏 移 徒 枕、但し 頼朝七 騎落也。是も評判 よく町中口まね す 6 所に 、 佐々木大鑑 並 に
すみ
Ⅰ角々、北道行 け
よひしぐれ相の山の道行、思ひ 川は さぬ訣のかたり出し 珍教趣 興とほしふ
藤戸の先陣、松
義太夫節が確固たる地歩を固めるのに 役 立った曲である 0 なお 当
是 より義太夫ぶし ともてはやし ね 。
る りはすべて本書に収められていて、
いこせ ぬ といふものなく、
圏点の浄
時の段物集に故岡島真 蔵氏 旧蔵の日進 題貞享 四字義太夫節段物集しがあったが、戦災で 焼失した 0 司書は大本の
が宰 千尋美 L にある日佐
立派な本だし序文の芸論が有益だけれども、 正本から道行景事の部分を抄出した寄せ 本 に序肱 をつげた体裁で、
本書が懐中用に企画した形式とは違っている。 収載の曲目は両 書共通の段が大半である
が彼に欠けて、貞享四年上演の円主馬 判 官盛久 ロと 日今川了俊 L
天理図書館
蔵
両書 をくらべる時、義太夫が底上げして二三年しか経た ぬ間の人気上昇ぶりを 窺
々大大鑑 ヒの ﹁塩 くみのたん﹂と﹁あしうり﹂
が 加わっている点が相違する。
ぅ ことができる。
梓
原表紙︵濃練色、無地︶縦一二一・二糖
X積 一五・四種
半紙本一冊 袋綴 加州編 自序井筒屋庄兵衛 板
表紙
原題妓 ︵中央貼付肉色地に雲母・山藍・
紅莫莫散らし︶縦一五・五種X横三 ・
大和屋甚兵衛の追善俳話 集
題妓
七
糎
柱刻
和露文庫・蓼 蕃国文庫・遠藤氏 印 ・翁華蹊 ・わたや のほん
﹁あっさ下敷︵ 一@十五終︶﹂ 各丁 の柱刻は複製本文の肩見出し括弧の中に記す
工数十五丁
印記
を世に 宝大元
元禄十七︵宰番ま年春 刊。大和屋甚兵衛 は俳号 を虫垂と称し、﹁朝日さす梅の花さく梅も日も﹂辞
年 一月十日に没した。法名は高徳院宗玄同体。甚兵衛の死について一月十日 説 と一月十セ 口説とがあったが、本
言は まだ総 かりげるを春
書 と﹁役者舞扇子し京の巻で十日に確定。時に 五十余才0 その死を惜んで植本才麿は ﹁
の塵﹂と詠んだ。
セ年刊︶
至重は元禄上方歌舞伎の一流役者で、早くより 俳詣 をたしなみ、富永千兵衛の日道頓堀 花 みちヒ ︵延宝
題名 をつけた。最
にも入集している0 本書は婿の如 卿が編集した追悼俳諸集 で、﹁三味線を梓に打や呼子鳥﹂から
初に追悼の発句、次に百韻、二月の月忌に献詠 した役者たちの句、最後に生 重と抑抑が 元禄 セ年 に巻いた思い出
の両吟を載せる。献詠者には 椎本才麿、長井 伴自、斯波園女、菊合三 性、枕本 調竹、紀海音など、大阪俳壇に名
ある人々がいる。
甚兵衛は、京都の坂田藤十郎、大阪の嵐二君 衛門 と比肩する名優で、所名を鶴川辰之助、通称を 清 左衛門と称
し、舞踊、拍子事、やつしに秀で、嵐三右衛門 は後は六方の第一人者でもあった。大阪芝居に名 代を持ち、京、
大阪の間を往来したが、元禄十五年冬に上京し て、子の藤吉に早雪座の座本を譲った時には、 功成り名遂げての
引退 と称された。彼が死んだの ほそれから間 なくのことであって、京都の佳所は川原町四条上 ル横 丁と言われる。
説
一一一一一一一
二月の月忌に献匂 した役者たちは、息子の生報︵藤吉︶が東大和やと冠するだけで、他は大阪の連中が中心であ
解
説
一一一一一一一一
るが、山下正勝
解
った。俳名は不明であるが、今仮に当ててみると 、松、
杢 八郎右衛門︵由香︶は甚兵衛の従兄弟であ
すべて甚兵衛 名
羅
大方新太郎氏
蔵
役 者の人間関係が強く結ばれていたことが推測され そうに思う。
は又 四郎、吉沢素文はあやめ、風雅木は三十郎、 秋田植 旦は彦 四郎、篠塚熊 角は次郎右衛門で、
代の岩井半四郎 座 に出演した連中であった。
原表紙
袋綴呑江序 穣穣 舎潜血 撰
波恵
なお本書には印刷不鮮明な箇所があるので、 校 助詞に示しておいた。
叙位賀集 橋
表紙
原題 競
下敷︵ 一?五十四︶﹂
俳話撰集半紙本
題簸
﹁か
工数五十四丁
柱刻
元文 元 ︵享保二十一︶年秋九月刊。紀海音が同年 五月に法橋に叙せられたのを祝った俳話 集。佳詞 の ﹁か ﹂ ほ叙
佐賀集の﹁ 賀﹂である。女婿の模 稜合百千堂 潜 山撰 。
翌二年九月に 貞柳の子 柳田が狂歌集
海音は俳号を貞 峨と 言った。 父山城大塚永田貞 囚は兄の貞 柳に 狂歌を 、弟の貞 峨に俳 詣の道を伝 えた︵ =
・狂歌
落
︶。そのちなみによって、叙位の年九月に潜 血 が俳諸の賀集を撰し、
薬嚢し
﹁戎の鯛口を出して祝意を表した0 豊橋波恵羅 L に献匂 する者には女婿の溝田とこれも女婿の俗 称忠セ こと真風、
貞 柳の子真竹、海音の号 鳥路観を襲いだ一馬 が あり、その他に竹田出雲の千前、安田桂女、二代 目芳沢あやめの
春水などの名が見える。
契四六十八才
法眼松伯門人
本b第六︶に詳しい。陽明文庫蔵日 御用雑記ヒ
叙位についてほ、安田富貴子氏の﹁近世受領 考﹂︵同古浄瑠璃正葉
法橋
0元文元年五月二日の条に、
申
奉願 ロ上覧
以上
法橋松伯
勅許 候様二宜 御沙汰奉願候
私門弟 京住 医師紀美国此度法橋拝叙文 儀奉願侯処
御憐惑蒙
享保古一辰年四月四日
広橋頭弁様御家
御雑掌中
波恵羅三の序文に
日月四日に法眼松 柏が願 出て五月二日に手続をしたらしい0 医師に ょる叙位であることは円橋
ようである。
も記されているが、賀集の詞書に ょれば、五月セ日に通知を受けて十 日に参内した
百子
右の記事で実情にあわぬ点がある。その 一は京住 としていることで、実際は大阪の高津に住んで法橋の願いに
説
折々・上り侍りて
舅貞峨庸美国法橋の御願上京し木屋町の座敷に 逗留の中
上京したのであった。
解
解
説
本や 町といへと前には川清みはしの望をかけて 往来︵﹁後撰夷曲集
抜書ヒ
︶
叙位申請のために宗佐として形式を整えたので あろう。
貞柳
三三四
その二は六十八才としていることで、享保十九 年 八月に没した冗員柳が鳥路観 海音に書き送った 狂歌では、貞
柳の生前すでに七十方 に達していた。
鳥路観 七十の賀に
十ばかり千世の余りの我にお ほき連なる枝は花も典あれ︵﹁由縁斎置みやげき
一般にセ十二才と考えられていたよ う である
国貞峨居士伝﹂に ょれば、海音は寛文五年生であ るから、叙位
海音の遠縁に当 る京都松尾寺の鳳 運和尚の﹁海上
の時は七十二才よ橋波恵 羅ヒ にも次の句があって
知草
法橋貞峨庵 七旬に丈二つにして 此夏の叙位をこ とふく
二十四に三たひあふ ちの花そよや
鳳浬が ﹁海音信﹂を書いたのは享保二十年十二月、叙位の前年暮であった。 燈市の手記に よれば 、京都の画家
を招いて海音像を描かせた時に乞 うた賛である。 その海音像が ﹁戎の鯛﹂所掲 のように、法橋衣 を着た像であっ
たとするならば・最初計画した 鳳漬の賛を掲載するのをやめて、海音の狂歌﹁ 費髭は墨に 染ねと若ノⅡと法橋 こ
ろもきそ はしめげり﹂に代えたのであろう。﹁ 海音信﹂と海音像は 一対であった。それが 一は叙位 祝賀狂歌集
﹁戎の鯛﹂に、他は海音の没後に追善の狂歌集﹁ 時雨の橋口と俳話 集 ﹁仙家文杖ヒに載って、別 々に別れた。も
しこれを最初の計画通り一対と考えるなら、 叙位祝賀の時の発想ではなかったか、それには俳話 集 ﹁橋波恵展 目
が 適していると思 うが、別の動機があったかも しれない0 それについて確証はな い。
説
一二一二五
﹂ろがある。それらの不明の個所については校勘記 に示すこと
なお、本書は虫 損 のため、各所に判読困難なと ナ
にした。
解
の
お
つ
@
と
と
し
お
なな
つ抹
け消
@
書き改
四
ガ
O
八 六
-一一
2
375
て
を
お
袖
エ
と,又
ま
み
あ
れ
り
を
ま
・
り
・
っ・れ
く
な
と
かせ
り
げ
と
ャこ
は
ん
こ
ひ
か
れ
ぬ
ま
れ
な
て
り
た
か
な
そ
は
の
を
の
の
返
喜
は
し
た
も
す
い
・
5
Ⅰ
引
を
っ
,, -.
五三
- =- (
吾郎た
ひ
と
め
て
ろ
れ
・
L/
上
し
宕
事
て
・、
そ
分力
ね め
で
も・
・
た
え
も
。 を
ん
・
に
ト
翻
字
よ
と
・
し
記
5
と
記
の
を
校勘
ふ
ク
校勘
な
そ
ま
-@。
ヰハ
き ぬた
ガ
ガ
やムこ
カ
ツ
あこ水
葱づくし
ガ
ガ
雪のおとり
回心ハげ
こ ムろ かわり
かた
月光
なをさ
セ
セ
六
二
セ
四
二
0
0
人
5
5
3
1
6
6
5
5
め
る
は
こ
は
し
ろ
う
ょ
1
らに
と
あ
わ
せ,や き
影か
わて
いひ
ね
た
ょ
を
ゆ
か
ん
の・
す
り
と
・
げ
0
ひ
ね
す・の
も
おわ
こ
や
引
五
五
五
四
三
二
7
3
3
7
4
い
ろ
た
身
な・
つ
れた
か
ほ
そ
ち
お
は
き
ぅ
らは手
れ
草
に
へ
た・げ
共
ひ
も
し
も
・
か
さ
・
な
・
そ
といっ
な・
・
さ
げ
そ
ね
を
九
・
3
7
ま
…いと
くらと
四
四
/
/
卜
6
・
@
ト
5
もま
様をぬ
ま
袖
る
の
と
ュ
よ
若
の
し
人
よ
め
つ
ほ ・を
ね
ね
ふ
み
・
る
へ,
=
/
ヘ
の
ば
季
勘
み
ま
し
に
木
じ
て
を
ふ
ほ
し
ら
き
み
を
@
@ま
お
し
と
こ
@
@
@
く
ほ
ん
一
一口
己
0
一
九六五二
4
1
ち
も
児
な
せ
り
て
水
か
ま
1
1
3
十
と
かみ
に ・七
が
か
か
・
な
いふ
み
か
・
た
つ
八
は
6
1
4
1
3
4
6
の
や
こ
れ
5 , に
つ
・
げ
し
に
ほ
は
そ
う
よ
り
九九
4
・
て
さ
袖
も
よ
・
や
し・
ょ
や
た・山
,む 風
も
の
た 春
せ か
て せ
た 松
・
き
た
る
さ
し
や
ガ
5
6
4
4
うぎ
ぅぎ
なや
むく
ふ
7
9
7
ィサ
醜顔
)
行
ほ
恋
に
は
臭
か
は
さ
た
め
な
水
車
の
と
り
・
き
な
や
の
ふ
も
ち
く
かる
・
す
@
ほ
い
た
か
う
も
ち
八九
海震不知,つるモックマシラ
ヒッキ
猿
い
の
金貝)八五
八
一
O 一
O三
重日
@]
よ
複
製
と
く
り
た
@
一
五 一
O
居諸
哉。
5
3
と
裁
ほ
身
珂困
難
と
な
ナ,
@
文
字
を、
Ⅴ
セ
1
る
ん
8
ふ
な
ノ
//
なりとはて神や・
地水星・ い二はふ
に
か 塩
を・ か
に あ。
か る
8
@;>--
し
よ
@し
不
そ
な
の
あ
の
け
ほ
・
り
や
そ
・
//
四
八
3
1
今ょ
蘭こ
布
ひ
一
六九
-
O
/ヘ
8
(
作
若
1
一一
に
た
(
ぬ
あ
る
ひ
と
9
) 哉
O六
)
頁
8
奥
不
し
者 者 る 九 者 者
老 中 の 名 も
深作
(
一
口
O七
一
に
口
一
口
) 口 口 ロ ロ 柳 談
ロ ロ 口 竹 の ロ 口
京 葉
助
-p
原
掃
ナ,
@
一
一
己
羅
め
口
か
呈"
土
産
難
文
字
戸上本
エ
土
を口
小
"@。
キハ
三三八
説
(C
添
,え
て
いただき た い。また、書き流す順序も私の記憶 に徳ぅ こととて、本文と同じでないことを断って おく。
解説 仁添えて
三三九
私にとっては、こうした本を出版する機会はまずないから、ここで私なりの思い出や考えを述べ る気偲を許して
したがって、ここでは私の思い出につたがる 本ばかりを 撰 んだから、必ずしも筋の通った撰び方 ではないが、
それである。
ど脱 しいかと研究室で漏らしたら、すぐにその願いが容れられた。華甲記念会出版の還暦記念﹁ 近世藝文集 ヒが
本を見ても興味があった。先生や先輩たちにも 教えてもらった0 その思い出の木を複製できたら 私としてどれほ
た本にほ、それだげに愛着が深い。もちろん 研究 についてはまだ知識らしいものを持っていなか ったから、どの
したギリギリの線で生き続けた昔でも、比較的 病状が安定した時期があった。そんな時に読んだ り筆写したりし
えってくる。到底今まで生きられよ 5とは予想しなかったし、生きても何一つできそうにほ思え なかった。そう
く、回復困難な道を長い間耐えてきただげに、 息 をするのも苦しかったあの一日一日が一しお あざやかに ょみが
おかげで、今日ある私の姿だげしかご存じない方 には、想像もっかないほどの惨憎 たる状態であ った。病歴が古
還暦を迎えるに当っての感懐 は、よくここまで生き延びたということに尽きる。戦後医学の目 ざ ましい発達の
解
解説に添えて
三四O
学を出てもまだ病気でぶらぶらした昭和十二年九 月 のことであ
った:それ以来段物集に注意するようになったが 、まだ使いこなすだけの カがなくて、僅かに 円近松年表L に利
用 したに過ぎなかった。最近は道行景事の構成 に興味を持ちほじめたから、じっくり見直してみ たいと思うが、
﹁逸題貞享四年義太夫節段物集﹂が戦災で焼失し た現在、この本は貴重な存在である。
同叙位賀橋
集波上心羅L
一百
卒業論文に紀海音を選んだ時、浄るり作者の俳 諸 に私の目を開かせた思い出の論文は、頻尿退蔵 先生が﹁演ゃ
波恵羅ヒ と﹁踊
月刊L 昭和四年五月号に掲載された﹁海音の俳 き﹂︵未定稿︶であったが、決定稿とするには日橋
布袋 Lが必要であった 0 そのためか、先生にお 目 にかかるといつも両書の話が出たが、見つから ぬままに旧稿を
﹁江戸文芸論考大昭和十二年十一月刊︶に収められた。それ以来三十何年かずっと気にかかって いたが、木村三
口音氏 の街配慮で奈良県斑鳩町の大方新大邱 氏蔵日橋 波恵羅口を見ることができた。長年の責を 果した思 いがし
て、大方氏と木村氏に厚くお礼を言いたい。 しかも還暦出版を﹁賀集﹂で飾ることができたのほ文字通りめでた
いことと喜んでいる。
﹁梓ヒ
荻野清氏が天理におられたころというから昭和 十四年ごろであろうか、お住居が近所のこととて よく往来した。
俳詣の知識が豊富で話のおもしろい方だったの で、何かと教えてもらったが、その氏でも役者の俳名にほ困ると
よくこぼしておられた0 その一に﹁秤ロ の上童があった。旧川西和露文庫蔵本で、頻尿先生 偏の ﹁私露文庫俳書
目口に﹁浪華の俳優にして﹂とあるだけで実名を挙げていないと笑いながら言われた顔が今も記 憶 に残っ ている。
その後に、生重が大和屋甚兵衛であることを 氏に報告しておいたが、それ以来俳名に注意する ょう になっ ワ
し
ハ
。
日伊勢参宮ヒ
大学を出た当座に野間北辰氏から筆写を頼まれ たのは、この本が天理図書館へ納まる直前のこと であっ た。 ま
た字が読めず、誤読も多かった と思 うが、これ以来歌謡音曲の端物に興味を持 った。この本は野間民 の ﹁西鶴年
譜 考証L に書かれて以来、新五八女で有名になったが、歌謡音曲として利用す る人は少ない。﹁歌舞伎年表 ヒ第
一巻一五八頁折損の平入追善の歌念仏﹁真覚青衿﹂が本書にあることすら余り知られてないのではなかろうか。
日おとりヒ
需要の多い本と言えば﹁おとり ヒがある。最近注目されている綾子舞の現存 曲に ﹁おとり日の歌詞があること
から、踊歌の寿命の長いのに感心した0 この水は ﹁近代歌謡集ヒに活字翻刻があるので、専らそ れで済まされて
いるし、又それで十分だと思 うが、判読の確か ならざる箇所があることを翻刻者藤田徳太郎氏が 注意しているの
で、原本校合に来る人が多い0 この本は戦後に天理図書館の所蔵になってから見たのだから、 他 の四本のような
思い出があるわけではないが、筆写本でもある し、女歌舞伎踊歌として代表的なものであるから 、特に懇望して
加えてもらった。
右の外に中村幸彦氏に教えてもらった本もあるが、今回は割愛した。
以上五冊の貴重な資料の複製を許していただい た天理図書館と大方新太郎氏 に厚くお礼を申します。
説
添
vプし
ノえ
て
四
この五冊は気庸に選んだつもりだが、歌謡音曲 とそれに関係ある俳書にしばられて視野の狭さが 思い知らされ
解
解説に添えて
三四二
目の
今ような総決算ではそれ
た。もっとも健康との戦いに終始して 意識的に研究範囲を狭めたには違いないが、
ほ計りし
んに大きかったか
が如実に現われている。それにしても よい師よい先輩よい同輩に恵まれた好運がどな
切の
に到来を告げている。
れないものがあるが、そのうち半数の方がこの世におられない。わが身の還暦が老
本い。恩頼の有難さをし
恩恵を被ったと言えば、ここに挙げ た諸氏以外の方が数の上でも多いし、知識も多
是館
に題字と序文を、中村幸
みじみ思う。思い出 は書物だけではな い。当時のことを御存じの富永牧人天理図書
好恵をいただいたことは
身
御た
首元天理大学教授に班女を、 埴谷元老 に巻頭写真をと、それぞれから心の籠もっ
濱、
嚴大
比古、鋒矢
宣朗、広濱
に余る光栄で、すべてが思い出に満ち たものとなった。取り分け研究室の中村忠行
内の
田諸
貞氏には、長期間にわたって
子 図書館の木村三四善、金子和正、大郎
文雄、植谷元、今西實、横山臥、鮫島綾、
御配慮肛よって還暦にふさわしい立派な本を作
大変お世話になった。これら多くの方 々の御芳情と華甲記念会の
私に
の生き続けることだろう。
っていただいたことを心からお礼を中したい。その御厚意はこの木とともに長く心
本。
書の前と後の見返しに
私が自分の部屋に掛けて楽しんでい る扇面図は富岡鉄斎が還暦に書いたものである
幽香﹂の賛をしているが、彼の業は
績むしろ還暦以後に輝き出
示したように、﹁華寿し
宴 鉄斎が菊花の図に ﹁晩節
三年
十、居ながらにして稲本
て芳香を放ったと言 うべきであろう。天理へ来て図書館と大学でお世話になって余
w口
圭
椎
めら
た、ここに長く住むつも
を見、教えてもらえる、こんな環境は 他にない。還暦以後も晩節理香の扇面を眺が
田
りである。
昭和四十五年八月
祐
一、略
日
歴
天理図書館司書
天理市に移 居
天理図書館嘱託
卒業
退職
就任
京都帝国大学大学院入学
同
卒業
京都帝国大学文学部文学科 国語学国文学専攻入学
同
第二二 等学校@
文g
科 乙類 人学
大阪府立今宮中学校卒業
大阪市東区北大宝寺町二丁 日 三十七番地に生る
神田善雄先生略歴及び研究業績 目録
明治四十二年八月十三
昭和三年三月
同三年四月
同六年三月
同六年四月
同 十一年三月
岡十一年四月・
同十三年六月
此頃
同十四年二月
略歴・研究業績目録
三四三
同二十三年二月
同二十二年九月
同二十二年六月
同十八年九月
同十八年三月
同十七年四月
昭和十六年三月
天理大学教授
同
同
休職
復職
天理外国語学校教授就任
天理中学校嘱託
就任
天理語学専門学校教授休職
天理中学校嘱託
復職
京都帝国大学大学院修了
略歴・研究業績目録
同二十四年四月
同
休職
退職
就任
同二十五年十一月
同三十二年四月
復職、現在に至
?三十九年三月大阪府立女子大学非常勤講師
同三十三年四月
同三十八年四月
大学非常勤講師
@
四十年三月京都
同三十九年四月
二男一女あり
?四十三年三月大阪府立 女子大学非常勤講師
同四十年四月 ?四十一年三月大阪府立女子大学非常勤講師
同四十二年四月
現住所奈良県天理市川原 城町 五百四十五番地
る
三四四
ん㌍
乞
口
二
、研究業績目録
同韻
紀海音の著作年代考証とその作品傾向上
江戸の竹田からくり
考
T
﹁古浄瑠璃の前研究﹂慶長篇、寛文篇の紹介
近松落穂
当流義太夫節の江戸進出
浄曲 衿 特の論究
竹本座と豊竹座
涼味の流れ
了海上人のことども
海音の時代
﹁絵 づくし 本孜﹂緒読 勘考
﹁紋下﹂について
操芝居の櫓について
櫓下の話
文楽鑑賞のために
録
目
﹁善光寺御堂供養﹂は近松の作なりや
績
漫評 噴談
研
究
業
目
発表機関口
朝日新聞
九十号
上方
日本文化第十四号
有位一号
上方
百廿八号
百廿九号
国語国文学研究第五韻
文楽座番付
セ号
浄瑠璃雑誌第四百
第四百九号
国語国文学研究第八旗
浄瑠璃雑誌第四百十号
ル
セ
円発表年月日し
一エ
ハ・
一
一一・八
昭和一一・
ソ
ガ一六・八
ガ
一六,
九
ガ一山 ハ ・ 八
一
二
二
・
ガ一山 ハ ・ 一0
セ ・
六
上ハ
・ 五
セ ・
グ一セ
ガ一
ガ一
ガ一セ
ガ一七・
ガ一 セ ・
二五
三四 五
研究業績目録
片手人形
碁盤人形
正本の包紙
豊竹肥前
像誌上
T
T
浄瑠璃封建道徳の変遷
紀海音論
浄瑠璃覚書︵一︶
︵二︶
﹁
ム
﹁
宮心中﹂雑考
三
立松顕彰の歴史
今
近松を演じた人々
近松追憶観の展開
近松と芸の世界上
T
*
あ
グ雲
やと
つ小
り出
芝
話雲
居の変遷
*
出
竹田出雲の襲名と作品
*
出雲について
学海
第四百十二号
第四百十四号
第四百十五号
坤一
矛一
万ロ
三四六
ガ一セ・一一
昭和一七・九
ガ一 セ ・一二
ガ一八・一
ガ一八・二
ガ二 0.
グ二 0,
五・二四
五・二五
ガ 二九・一0
-. 六
ガ 三一・五
ガ 二九・一 0
ソ二
国語国文第十五巻第九号
文楽
第二巻第八号
ガ 第九号
国語国文第十 セ巻第九号
近世文学会︵講演︶
天理大学国文学会︵講|
演天理大学︶
天理大学学報第九 %
第十二巻第一号
演劇界
天理大学学報第十三韓
第十四韻
寺︶
コ
蓮台寺雅談合︵講演1車ム
近世文学会︵研究発表︶
諸国操り人形文楽屋︵大阪城︶
二・一・
0
二九・五・八
ガ 二九・六・一九
ガ
ガ 二九・三
グ 二九・二
ガ 二九
ガ ニセ・一二
グニセ ・九・二 0
グニセ ・ 一0. ニセ
ガ 二四・一
イ 一一一一・一一一
げ二
ガ 三一・一0
近世文芸創刊号
ガ 二九・一一・一八
義太夫節よもやま
日本演劇学会︵ゼミナールー毎
ムム
日館︶
日本演劇学会関西支部︵毎日会館︶
*日本演劇の遺産︵その二︶歌舞伎・文楽
山辺道
創刊号
竹田近江・出雲の代々
近松浄瑠璃本書目︵第一︶近松浄瑠璃本全書 目 一%見
近
松学会報告第一揖
まサ
・
生そ証 ︵共同製作︶
人形浄瑠璃因協会会報
元祖出雲と親方出雲
フリア第五号
ビ
日本演劇学会︵講演| 朝日新聞本社講堂︶
近松研究会︵講演| 大阪女子学院短期大学︶
浄瑠璃本の版・ 不
*竹田出雲について
五
昭和二九・一一・一八
エハ0 .
0.
ガ一一一
0. 一一・二0
0. 一0. 三 0
0. 一0
0.
セ
ガ三
ガ三
げ三
ガ三
ガ三
ガ三 0. 一一・二一
大阪朝日新聞
大阪北 ロータリークラブ︵講演| 阪急百貨店︶ ぴ 一一一一・一・一一
さ竹田出雲と小出雲
ガ 三一・一・三 0
ガ 三一・一・一九
﹁寺 小屋﹂の作者
,文楽座の新築に因んで﹁芸と劇場﹂
ほうぎ座 ︵講演
| 天理図書館︶
二O
三和文楽座所感
第二号
山辺 道
げ
三四・三
三四セ
三四・八
ガ三四一一一
ガ
々三四二九
Ⅴ 亡二
二・一一
ガ一二一二・五
Ⅰ一一一一一一
Ⅴ一一一一一・一一一
Ⅴ一二一一
げ三一
大阪北 ロータリークラブ
﹁竹田近江・出雲の代々﹂追考
新文楽座雑感
義太夫年表刊行会ョ義太夫年表大明治篇︶
文楽座 フオトシリーズ
解釈と鑑賞正月号
︶放送
日本近世文学会︵研究発表1天理大学︶
人形浄瑠璃芝居の変遷
*浄瑠璃 史研究の二三の問題
人間近松・近松年表
近松年表
西鶴研究第十集
﹁凱陣八島﹂は西鶴の作なりに関して
中小一万
近松作の歌舞伎狂言本五種その他 附上方狂 一一一一口ビ
フリア第十号
禄宝永書目
演劇研究会
未刊浄瑠璃 芸 論集︵共同製作︶
日本古典文学大系月報十九
近松の趣向
BK
山辺 道
第五号
NHK ラジオ︵
竹本筑後家の後継者問題について
天理時報
日本古典文学大系月報二十八
*風の発生とその意味
近松と浄瑠璃︵天理図書館貴重本講座 あ︶
近松の初作のころ
研究業績目録
研究業績目録
三四八
昭和三四・九
ネ ﹁曽根崎心中﹂と辰松八郎兵衛
グ
ガ
三五・三
三五・三
三五・四・五
ガ 三四・一一
ガ 三四・一一・二 一
近松門左衛門と片聾 記
日本演劇学会︵研究発表1大阪府立図書館︶
若越郷土研究四の五
古典文庫第百四十八冊
ガ
ガ 三四・一二
上方狂言本㈱︵鳥越文蔵共編︶
島田退蔵教授古稀記念国文学論集
演劇研究会
第六号
曽根崎心中の歌舞伎的基盤
山辺 道
浄瑠璃評判記集成上︵共同製作︶
﹁曽根崎心中﹂と辰松の手妻人形
ソ一一一五・上ハ
大阪朝日新聞
ビブリア第十六号
形 竹西
遣浪三評
人夫豊東
・
る
」
衛
の
冊
六六六六五五
五
O
グ 三五・一 0
/
ア
アノ
アノ
アノ
アノ
Ⅰノ
セ号
十八
学会
沢
と 劇
所
近道
月号
百六十
要
記号
第四巻
劇ァ
鑑究庫
学
貫合
会
第 第五
男
ブ木積リ
演劇百科大事典
い祐光林
其斎
近松その他歌舞伎狂言・浄瑠璃二十数篇について
グ
ガ
近松本の発見
演劇百科大事典第二巻
即 狂 問
入壇
演劇百科大事典第三巻
異文
ビ山 解法 古
日
在庁)
編
)
太
要ロ
塙君像形
( 町
英知
同日ホ
製共
理行歩人
立 成案
ぐ
三五・六
三五・七
義太夫評判記・佐川藤夫
・
演劇研究会
波双豊訓
土砂行書
善本家英 ︵天理図書館刊︶
竹氏像
難筑 教
浄瑠璃評判記集成中︵共同製作︶
葉豊竹後
近松の浄瑠璃本
・
庄家越
一指
刊坦
・
高萱砂書 松磨
下棚
(
前豊璃 長言 題
・
豊筑
・
末
山二回付・烏
子 ・臭木竹亭
雲
・
実方寺
田田・吉山子
秘蔵三田烏
容田 郎小馬
陽文豊長山
黛耕作衛書紀
・
竹二・川田部
射平木錦松膏
君子・・専
衛柳近什助
ガ一三八・ 杭ハ
グご 一ハ
山・ 上ハ
・一一十七曲
二八・五・二八
日本近世文学会︵研究発表1日本大学三崎分校︶昭和二
日本古典文学大系 ョ
風来山人集b
東洋音楽学会︵講座| 相愛女子短期大学︶
ガ
三六・九
演劇百科大事典第五巻
々一一一
ハ山
,一0
グ
・ 三
・ 五
・ 六
・ 五
・一0
・ 八
,一0
・一二
・一二
三四九
三八・四
ル 三八・二
ガ 三八・二
グ三セ
ガ三セ
ガ一二七し・一一
グ三セ
ガ三セ
ガ三セ
ガ三セ
グ三セ
ガ三セ
ガ三セ
ィ 一一
ハ一
・山
一一一
ビフリア第二十号
ふるさとを訪ねて
四
・第八号
解釈と鑑賞五月号
Ⅰ八月
甘白
つ
少年少女文学風土記 B
古典文庫第百八十 セ冊
文楽座番付
セ
山辺 道
八
八月号
︵三オ
一︶︵二︶
十月号
︵四ガ
︶ ︵一一一︶
フリ
ア第二十三号
天理図書館厳浄瑠埴
璃
谷元
板・
木今
目西
録夷
︵共ビ編
︶
笛木立宗親
第九号
元禄
期における
浜大
の
市
分
芝居について 山辺道
解釈
と四
鑑賞
十二月号
心中天の網島注釈︵五︶河庄の段
︵
︶
二月号
︵
エ︶
ハⅤ ︵五︶
﹁山の段﹂の構想
研究業績目録
巻
古典文庫第百 セ十六冊
第
演劇百科大事典第六巻
世
界
名
著
大
事
亜
,.
,浄瑠璃研究の方法︵読み方について︶
*義太夫節のテキスト
﹁神霊矢口渡﹂の節電解説
山松三叉田楽
・半田竹一
人間近松
門 ・松田
書評 近百表秋 ﹁操浄瑠璃の研究﹂
近松浄瑠璃
セ竹本の研究
・
元禄歌舞伎 集続 ︵柳町知弥共編︶
平我筒 泉啓
セ八弁竹
心中天の網島注釈︵一︶
・八束子付
浅
八識南前田田
民草・軒和司
(八)
|
ネ冥途の飛脚| 新口村|
庄
庄協
の
の会
段
段」
)
セ
じの
ヱ
発
足
?@
@
せ
て
釈良釈楽
と県 と座
鑑高鑑
*剣文学としての近松浄瑠璃
近松年譜
﹁文楽浄瑠璃集し
﹁西鶴大野間光長その他共編︶
賞校賞番
国
行
人語国
近松劇の特色Ⅲ
|2
1
曽根崎心中山観音廻り・道行
㈲天満屋
会
文化
(
演
吐帝
第十号
二月号
日本古典文学大系
解釈と鑑賞三月号
天理図書館
)
寺
7 レット
︵シンポジウム︶
長
谷
東大国文学会︵講演 | 京都毎日ホール︶
テレビ︵教育︶放送
古典文庫第二百五冊
ビフリア第二十八号
NHK テレビ古典芸能鑑賞
日本古典文学大系パン
図書
山辺 道
NHK ラジ才学校放送
全国国語教育研究協議会奈良大会
解薬解文
* ﹁堀川波の鼓﹂放送劇の監修並びに対談︵山本修二︶NHK
暦の﹁富士の十二月﹂
上方狂言本日︵景山正隆・土田 衛共編︶
ホ人形浄る りの構成と技巧
文楽浄瑠璃
文楽のことども
﹁曽根崎心中ヒ道行の構成
*国語教育の内容をど う考えるか
何 楽
*日本の文学﹁近松浄瑠璃﹂近松の世
広界
末︵
保対
大談
西︶
重孝
読・
売テレビ放送
申 Ⅴ
ネ Ⅴ
ネソ
氷 Ⅴ
グ 三九
和
ガ四
ガ四
ガ四
ガ四
ガ四
ガ四
0. 一0.
0. 一0.
0. 一0.
0. 一0.
0. 一0,
0. 一0.
五
O
四
O 一
O
一
二五
ハ 三エ
八
セ
六
五
一
「
|
興行男と近松
四
文
何
三
五
一九 八五四四
O
せ
日本の文学﹁近松浄瑠璃﹂国性爺合戦Ⅲ楼門
申 Ⅴ
*
一
三九
三九
三九
三九
三九
三九
0 四
O O
四
三
四 三
一
四姉一八八八五姉二
八八八入
八 八
昭
ソ
三九
0@
四 四
同号
同号
網島注
秋口訳
刊
ul )
セ
(
網島
ソ
ソ
ノア
アア
注 脚
古典物目録
新
読売テレビ放送
ガ 四一・一
ガ四
昭和四 0. 一0. 二七
0. 一一
ビクターレコード解説
グ 四一・二
紅 流し
義経千本桜二段目
日本古典文学大系第二期月報二十二
を 日本の文学﹁・近松浄瑠璃﹂ 国佳節 合戦㈲
歌説経と歌祭文
揖
ビクターレコード解説
上ハ
天理大学学報第五十一
義経千本桜三段目
近世浄瑠璃の形成
エハ
・一一
四一・五
ガ 四一,
ガ
心中天の網島注釈︵九︶河庄の段 ︵八︶
解釈と鑑賞五月号
ビクターレコード解説
義経千本桜の狐
セ
エハ
セ ・一五
ガ 四一・
ガ 四一・
セ ・一セ
げ 四一・
ガ 四一・
ガ 四一・
*国語国文学研究資料センター 仁関 するシンポジウム 日本学術会議︵講演| 京都大学︶
心中天の網島注釈︵十︶河庄の投 ︵九︶
解釈と鑑賞六月号
︵七口永孝雄共編︶
セ同号
︵十︶ ガ
︵十一︶ げ
三重大学教育学部︵講演| 三重大学︶
ガ 四一・九・一一
四一・八
四一・九
京都女子大学︵夏期講座 | 京都女子大学︶
ガ
ガ
*国文学の方法| 文献学的方法|
︵公
㍼ゅ
︶ 解釈と鑑賞八月号
心中天の網島注釈︵十二︶河庄の 投 ︵十一︶せ
立
こ 松雑感
九月号
ガ 四一・一一
︵十二︶ グ
東洋音楽学会︵講演| 相愛女子大学︶
︵十三︶ ガ
国立劇場番付
1
竹本・豊竹の襲名︵文楽講座
ホ墨譜の歴史的変 還
グ 四一・一二
ガ 四一・一二
︵
十 ムハ︶ガ
三月ロ万
国立劇場番付
四二・三
四二・三
三五一
ガ 四一一・ 山ハ
ガ 四一一・ムハ
ガ
グ
グ 四二・二
ガ 四二
心中天の網島注釈︵十四︶河庄の 段 ︵十三︶︵共編︶解釈と鑑賞十二月号
山辺 道
第十三号
堀川波鼓私見
ガ
︵文楽講座 3
楽 ︵文楽講座 2
︵十セ ︶
心中天の網島注釈︵十五︶河庄の 段 ︵十四︶︵共編︶解釈と鑑賞一月号
二月号
︵十五︶ ガ
︵十六︶ ガ
文
世話 浄るり
心中天の網島注釈︵十八︶紙屋内 0段︵一︶︵共編︶解釈と鑑賞六月号
研究業績目録
研究業績目録
︵二十︶
ガ
八月号
ガ
昭和四二・
ガ 四二・一一
グ 四三・一
一0 0.
三五二
セ
四二・八
四二・九
四二・九
ガ 四二・一 0
グ
ガ
セ同号
九月号
国立劇場番付
︵一一一︶Ⅰ ソ
心中天の網島注釈︵十九︶紙屋内の段︵二︶︵共編︶ 解釈と鑑賞
︵二十一︶ グ
竹本義太夫︵文楽講座 4︶
近松の生涯
ガ 四二・一二
ガ 四二・一 0
十一月号
解釈と鑑賞十月号
ソイ
︵上へ︶
心中天の網島注釈︵二十二︶紙屋内の段︵五︶︵共編︶
︵二十三︶ ガ
ガ 四三
十二月号
ガ 四三
史
日本文学小辞典︵新潮社刊︶
古典文庫第二百四十六冊
﹁仮名手本忠臣蔵﹂成立
浄瑠璃・竹田出雲,近松半二
ガ 四三・二
上方狂言本㈲︵鳥越文蔵共編︶
グ
ガ 四三・二
国立劇場番付
ガ
心中天の網島注釈︵二十四︶紙屋内の段︵セ ︶︵共編︶解釈と鑑賞二月号
竹本播磨 少橡と 切場語り︵文楽講座 5 ︶
解釈と鑑賞四月号
ガ 四三・
四三・三
四三・四
四三・五
四三・六
国文学三月号
ガ
ガ
ガ
セ九号
国立劇場番付
五月号
心中天の網島注釈︵二十五︶紙屋内の段︵八︶︵共編︶
ガ
近松、人と美学
︵一一十
ハ︶
よ
第十四号
﹁曽根崎心中﹂と中入り︵文楽講座6 ︶
山辺 道
解釈と鑑賞
ガ
東洋音楽学会︵講演| 相愛女子大学︶
セ
心中天の網島注釈︵二十
ガ
セ ︶紙屋内の段︵十︶︵共編︶
丹波 国 血汐の水風呂︵翻刻︶︵鮫島綾子共編︶
解釈と鑑賞八月号
グ 四三・一 0
︵十三︶
四三・七
四三・八
四三・九
九月号
︵二十九︶ ガ
ル
︵十一ガ
一︶ガ
ガガ
心中天の網島注釈三十八︶紙屋内の段︵十一︶︵共編︶
十月号
︵三十︶
義太夫節の伝承と風の問題
竹本と豊竹の紋︵文楽講座 7︶
国立劇場番付
釈と鑑賞十一月
心中天の網島注釈︵三十一︶紙屋内の投︵十四︶︵共解
編︶
近松保存会・近松研究会︵講演1本攻守︶
近
こ 松雑感
ソソ
昭和四三・一 0
げ 四三・一一・一 セ
ガ 四三・一一
グ 四三・一二
解︵
釈十
と五
鑑︶
賞︵
十共
二編
月︶
号
心中天の網島注釈︵三十二︶紙屋内の段
ガ 四四・一
一月
ロ百
文学
浄る りの系譜
ガ 四四・二
浄るり作りと七て︵文
8︶
楽講座
国立劇場番付
ガ 四四・五
古浄るりと義太夫節︵文
9︶
楽講座
ガ 四四・六
解釈と鑑賞六月号
心中天の網島注釈︵三十三︶紙
宰屋
六内
︶の
︵段
共
編
︶
ガ 四四・ セ
セ月号
ガ 四四・八
八月号
︵二︶︵
︵三十五グ
︶
げ 四四・九
国立劇場番付
芸の伝承︵文楽講座騰︶
ガ 四四・一 0
大序のこと︵文楽講u
座
︶
ガ 四四・一 0
解︵
釈三
と︶
鑑︵
賞共
十編
月︶
号
心中天の網島注釈︵三十六︶大和屋の段
ガ 四四・一一
十一月号
︵四︶
ガ︵
︶ガ
︵三セ
十
︶ガ
ガ 四四・一一
近世文芸叢刊第五巻
給人狂言口木葉上︵共同製作︶
ガ 四四・一二
解︵
釈五
と︶
鑑︵
賞共
十編
二︶
月号
心中天の網島注釈︵三十八︶大和屋の段
文楽協会﹁義太夫年表し︵大正篇︶ ガ 四五・一
人形
浄るり芝居の変遷
げ 四五・二
国立劇場番付
研究業績目録
五