ロストック大学

Universität Rostock
■所在地
Universiätsplatz 1, D-18051 Rostock, Germany
ホームページ: http://www.uni-rostock.de/
沿
革
特
色
宿
泊
生
活
条
件
留 学 時 期
ロストック大学[ドイツ]
ロストック大学[ドイツ]
ロストック大学
主な対象学部
外国語学部:語学留学(独)
1419 年に創立されたロストック大学は、バルト海沿岸のハンザ都市ロストックにあるドイツで最も古い
大学の一つ。大学本館の正面に刻まれた「多角的教育 - 普遍の真理」
(DOCTRINA MULTIPLEX VERITAS UNA)という理念のもとに、
「伝統と革新」
(TRADITIO et INNOVATIO)という指導方針に基
づく教育が行われている。北ドイツの森とバルト海という、自然に囲まれた美しい都市は学習と研究に理
想的な環境。
授業は基本的に他の外国人留学生との合同授業である。学期開始前にクラス分け試験が行われ、各自
の成績に応じた語学コースで学ぶこととなる。同大学では麗澤大学の概説科目の単位に相当する授業を
特別に委託していないので、選択科目や英語の授業に関してはチューターや担当教員に相談すること。留
学開始までにドイツの生活環境に慣れるため、9 月にドイツ各地で行われる語学研修に参加するこ
とを推奨する。10 月のロストック大学オリエンテーション・ゼミナール(無料)に参加することになってお
り、その期間中にクラス分け試験が行われる。
大学本館
ロストック大学の学生寮(個室)は市の中心と周辺に散在しており、それぞれ特色があるが、教室に徒
歩で通える寮を選べる。
街の中心にある大学本館と、それに続く複合棟の他に、多くの大学の建物が市中に散在し、学生は路面電
車を使用して各棟に移動する。学生食堂の他に、大学の近くにバルト海産の魚が食べられるレストランが多
く、食生活は日本人に理想的な環境。その他、生活に必要な物は近くですべて揃う。学生課や国際交流課に
あたる部局で授業と生活面、ともに充実した指導が受けられるが、麗澤大学の学生を担当する係員はドイツ
人なので、単独で留学する場合と同じ状況で生活することになる。しかし、ハンザ都市の伝統がある上に、外
国交流の歴史が長いこの観光都市には、外国人留学生も違和感を覚えない雰囲気があり、同地の独日協会
との交流も盛ん。
語学センター
大学前広場
留学前までにドイツ語基礎演習Ⅲを修了し、CEFR・B1 試験に合格または同等の能力を持つと判
断される者(ZD 試験合格者等)、かつ自立的に生活できると判断される者。なお、条件を満たしてい
る場合でも、単独留学と変わらない環境で勉強することになるので、留学先、留学期間等についてド
イツ語・ドイツ文化専攻で指導する場合がある。
2 年次第 2 学期から1 年間(定員2〜3名)。
(冬学期:10 月〜 2 月/夏学期:4 月〜 7 月)
大学内のマリーエン協会
ドイツでの成長と夢の一年
外国語学部ドイツ語・ドイツ文化専攻 2013年留学 新井 亮太
私は中学生の頃から留学を夢見て、やっと実現することが出来た。こんな
に充実し、たくさんのことを学べた1年間は初めてだった。出発前、先の見え
ない不安が生まれたが、それすら新鮮に感じ、自分の冒険心をくすぐらせた。
前期の授業のコマ数はさほど多くはなかった。しかし内容が政治、経済、
環境問題、教育制度など難しい上に、レベルもかなり高く、前期の間は常に
自分の思っていることを発言できなかったり、向上心を失ったりしていた。そ
んなときに支えてくれたのはクラスメイトだった。わからないことをよく教えて
もらって、次の授業で生かそうとお互いに励まし合い、高め合った。その甲斐
もあり、更に世界各国のクラスメイトと仲良くなる事が出来た。今思えば、前
期の自分は本当に情けない程弱かったと思う。
39
なんとか前期を乗り越え、3 月には 1 週間のドイツ語コースを経てプラクティ
クムというインターンシップを3 週間体験した。私は Waldorfschuleという、
学童でインターンシップを行った。子供たちの創造心や感性を育ませる学校
で、日本の生徒が常に苦しんでいる通知表、テスト、休暇中の宿題がない。ほ
とんどの子供たちが授業後、学童に来て学年別の部屋で一緒に宿題をしたり、
外でサッカーをしたり、遊んだりしている。未知の東洋の国から来た私に子供
たちは最初こそびっくりしていたが、すぐに打ち解けることができ、日本にとても
興味を持ってくれた。私は日本語のひらがな、早口言葉、日本の地理、料理、
遊びなどを通して、子供たちに日本を知ってもらおうと毎日違うことを教えてい
た。何にでも興味がある子供たちは、みるみる「日本通」になり、将来「日本に
来たい」と、言ってくれるようにもなった。保護者の方ともお迎えの際にコミュニ
ケーションをとって、子供が日本を知れば知る程、保護者が喜ぶ姿を観てとて
も微笑ましかった。しかし、日本を語る上で良いことばかりで終わらせてはいけ
ない、そう思い、
「原発」についても話をした。そして戦時中唯一の被爆国で
ある日本として、広島長崎の「原爆」は欠かせなかった。理解できる子供もい
るが、そうでない子もいた。私としては原子力、戦争により恐ろしいことが日
本で起こった。という事実を少しでもわかってくれれば充分だった。こうして3
週間はあっという間に終わってしまい、まだまだ日本を知ってもらいたいとい
う気持ちから、後期の授業が始まっても週に1回だけ続けることにし、結局 6
月まで勤めた。このプラクティクムでは前期に行ったドイツの Gesamtschule
(小中高一貫学校)へのインタビューや、教育制度について生かすことがで
き、尚且つドイツの子供たちとの貴重な時間を過ごすことが出来てとても満足
している。手紙で子供たちとは連絡をとるので、将来、何かの縁でまた成長し
た姿を見ることが出来ることを楽しみにしている。
私は更にドイツの皮鞄の企業で日本語の商品翻訳としてアルバイトをした。
ドイツ人との仕事の仕方や、生のドイツ語を聞いてドイツ語のスキルアップに
勤めることが出来た。そして2014 年のドイツと言えば、欠かせないのがワー
ルドカップ優勝である。いずれの試合もパブリックビューイングなどで観戦し、
日本ではなかなか体験できないサッカー大国ならではの経験が出来た。
留学の最後にTestDaFという、外国人がドイツの大学に入学するためのテ
ストがあり、自分のドイツ語能力の立ち位置を知りたかったので受けてみた。
合格通知が来た時には腰が抜ける程嬉しかった。何より、今回の留学で今ま
での人生の目標であった「留学」を実現させてしまい、留学後は何を目標にし
て行けば良いのかを悩んでいたが、留学中に新たな「夢」を見つけることが出
来、それが一番の達成感を得ることが出来た。将来はドイツで働き、生活した
いと考えている。最後に私に携わり、助けてくださった全ての人に感謝し、い
つか恩返しが出来ることを信じ、悔いのないように何事も全力で頑張りたい。
40