平成 27 年 6 月 8 日 農学教育と地域貢献における大学農場の役割に関する提言 酪農学園大学 学長 干場 信司 全国大学附属農場協議会 会長(筑波大学) 田島 淳史 1.農学教育の現状と附属農場の役割 (1)農学教育の現状と附属農場の重要性 近年の日本の農業は、後継者問題や国際化等の課題が山積している。今後、日本農業の体 質を強化し、地域の活性化を支える産業として持続的に発展させるためには、個別の専門知 識を深めるだけでは不十分であり、動植物の基本的な特徴や栽培あるいは飼育方法等に関す る基礎的ならびに応用的な知識と技術に加えて、食料の安全性や日本を巡る地政学的特徴、 気象等の自然現象ならびに流通システムや経済的側面等の様々な要素を含めた全体の状況を 俯瞰した上で総合的に判断する能力が必要である。大学農学部には、こうした素養を備えた 実践的高度専門職業人を育成する社会的責務があると言える。 しかしながら近年、大学農学系学部においては、各分野の専門性が強まり、細分化が進み、 講義室や実験室において総合的で実践的な知識や考察プロセスを学ぶことは難しい。こうし た現状を背景に、自然の中で日々農業生産を実践している現場である附属農場が、農学教育 の中で果たすべき役割は重要性を増している。農学専門教育における附属農場等のフィール ドにおける実践的な学修機会の重要性については、日本学術会議による農学分野の参照基準 中間報告の中でも強調されている。 (2)附属農場の教育的価値の多様化 また、近年、実生活においても修学環境においてもデジタル化やバーチャル化が進み、命 や自然に対して実感が持てない学生が多い。その結果、大学は、社会に上手く適応し、教室 で学んだ知識を活かして活躍することが困難な卒業生の輩出を繰り返している。科学的知識 に裏付けられた社会的活動(Science Based Activity)を実践し、世界の未来を切り拓くリー ダーシップを身に付けた学生をいかにして育成するかは、現代の大学に求められている喫緊 の課題である。こうした課題を解決するための手段として、附属農場のフィールドを活用し た実践的フィールド学習機会は、農学系の学生に留まらずに多くの幅広い分野の学生に対し て、自分たちの生活を支える生命や食や自然環境に関する基盤的な学びの場として、新たな 教育的価値が増している。 2.農業改良および普及における大学の役割 一般に、産業が成立するためには、土地、施設・設備および資金等から構成される「資産」 と知識、意欲および経験を有する「人材」の 2 つの要件を満たすことが必要である。農業生 産も例外ではなく、これまで日本における農業生産は個人が所有する土地資産を世襲するこ とにより、上記の 2 条件を満たしてきた。ところが、現在の農業生産は、この土地を資産と した個人経営の世襲制度が崩壊しつつあることから、遊休農地および耕作放棄地が増加しつ つある。従って、今後の日本における農業生産は、個人経営と企業が個人所有の土地資産を 借り受けて農場の管理運営を行う形態との2極化に徐々に移行していくことになると思われ る。その際には、農業共同組合が保有する地権に関する情報が極めて重要になると考えられ る。 一方、世界に目を向けると、世界人口は今後も増加しつづけるため、食料の需要は増加す ることが想定され、日本が今後食料を輸入するための環境は厳しさを増してくるとことが予 想される。従って、日本国内での食料自給体制を強化する必然性は高く、また産業としても 大きなチャンスであると考えられる。企業による農場の管理運営には、中長期的な視点を踏 まえた国内および国際的なマーケッティング戦略の策定が必要であるとともに、農業生産現 場から食卓に至るまでの、様々な知識、意欲および経験を総合的に有する高度技術者の養成 が必要である。ところが近年、大学農学部における研究課題は、農業現場の課題から乖離し、 先人が「農学栄えて農業滅びる」と警鐘を鳴らした状況が続いている。当然、教育面におい ても、技術の改良や普及を実践できるような高度技術者養成への寄与は限定的である。 そこで、大学(文部科学省) 、農林水産省および地方公共団体が共同して地域の農業発展に とりくむ、アメリカの州立大学(ランド・グラント大学)をモデルとして、既存の農業改良 普及制度を再構築することを提言する。すなわち、下の図の通り、文部科学省、大学(農学 部、特に農場) 、農林水産省、都道府県(普及指導員、農業大学校、農業高校)および農業協 同組合(営農指導員)が連携して現場の課題解決に取り組む体制の構築である(下図参照)。 大学 (農学部・農場) 文部 科学省 都道府県 (普及指導 センター等) 現場 農林水産省 生産者団体 (農協等) 図:農業の普及指導に向けた連携体制のイメージ 3.6次化モデルの実践による地域農業の活性化 農業の 6 次産業化による地域の活性化が叫ばれて久しい。そもそも日本の農業は地域特性 が極めて高く、古くから「地産地消」を前提とした地域経済圏を構築してきた。ところが、 近年、科学的普遍性を前提とした教育・研究が推進された結果、本来「地域」を前提とした 教育・研究を推進するべき農学分野において深刻な農業現場とのミスマッチが生じ、真の地 域活性化に繋がるような先進的取組が出来難くなっている。従って、今後、大学農場が生産 や加工にその研究成果を注入し、前述の都道府県や農協に加えて、地域の生産者やレストラ ン等も加わったネットワーク形成の核となって、地域特産物を活用した6次化を推進するこ とは、地域貢献的な側面はもちろん、実践的人材の育成面においても重要である。 4.実学を担う教員の業績評価のあり方 以上の通り、大学農学部、特に農学部附属農場(フィールド科学センター等)は、実践 的・総合的教育、現場における研究課題の抽出、改良普及指導ならびに地域活性化を目指し た6次化モデルの推進等、その役割は重要性を増している。初代文部大臣を務められた森有 禮は、日本の経済発展には職業教育、特に農業教育、工業教育および商業教育の推進が鍵で あることを提言し、学校教育制度に組み込み、自らも実践された。日本が現在置かれている 政治経済状況は当時とは全く異なるが、農業、工業、商業が国家の根幹であることには全く 変わりはない。しかしながら、現在、農学部は元より農場専任教員であっても、農業現場に 出て行くケースは極めて少なく、現場の問題に根ざした教育研究が著しく不足している。結 果として、現場のことを総合的に理解し、課題を抽出し、解決プロセスを実践できる人材が 育たない。 その背景には、大学を取り巻く環境の変化や教員個人の意識の変化もあるが、最も大きな 要因として、教員業績評価における原著論文至上主義が挙げられる。すなわち、現場におけ る研究は取りまとめるのに長い時間を要するうえ、内容的にも個別事例・問題対応型の研究 が中心となることから、科学的新規性が求められる原著論文の執筆にはなじまないことが多 い。もちろん、現場における技術指導や普及改良は業績にならない。農学部附属農場等の教 員の能力を現場の課題解決や地域活性化に活かし、現場で活躍できる人事を輩出するために は、インパクトファクターや論文数では評価できない、現場における生産、普及あるいは改 良等の多様で重層的な農学部あるいは農場教員の業績を客観的に評価する基準を策定する必 要がある。 下記に例として案を示す。 (1)評価項目と指標(例): ⅰ)現地における新しい技術(栽培方法、飼養管理方法、新品種育種などを含む)の開発: 1件で原著論文1本相当 ⅱ)技術指導や普及活動のコーディネート(地域における普及・指導の拠点形成) :内容によ り2~3事例で原著論文1本相当 ⅲ)現地における講演会や講習会における講演・講習:内容により3~5件で原著論文1本 相当 ⅳ)現地向けの普及や技術指導の資料の作成:内容により5~7件で原著論文1本相当 ⅴ)現地での技術指導:内容により5~7件で原著論文1本相当 ⅵ)現地での普及活動:内容により5~7件で原著論文1本相当 ⅶ)普及誌や商業誌への執筆:内容により5~7本で原著論文1本相当 ⅷ)現地からの問い合わせに対する対応:内容により8~10件で原著論文1本相当 ⅸ)その他 (2)評価方法(例): ⅰ)活動実施のエビデンス ⅱ)活動成果 ⅲ)普及活動がどのように評価されているかに関する、現場の人間(自治体・普及所・農協・ 他の団体・農家のグループ・個人農家など)からの直接評価(外部評価) 以上
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