小 論 文 ( 90分)

平成二十七年度
小 論 文
(
分)
短 期 大 学 部 幼 児 保 育 学 科 解答はすべて解答用紙に記入すること
注意事項
一、試験開始の合図があるまで、この問題用紙を開かないこと。
二、問題用紙は、表紙を含めて三ページである。
三、解答用紙は、二枚である。解答は縦書きにすること。
四、受験番号・氏名は、監督者の指示に従って記入すること。
五、問題用紙の余白等は適宜使用してよい。
-1-
90
問 題
短期大学部 幼児保育学科
次の文章をよく読んで、以下の設問に答えなさい。
人間には〈体〉という物体のなか、もしくは皮膚と皮膚のあいだに、気概や精神、〈心〉というのでしょうか、
そういう目に見えないなにかが流れていて、ひとつの個体をつくっているのではないか─という気がするのです。
前にC・W・ニコルさんから南極かどこかへ探検に行ったときの話を聞いたことがあるのですが、彼はこんな
ことを言っていました。
しんぼう
南極などの極地では、長いあいだテントを張って、くる日もくる日も風と雪と氷のなかで、じっと我慢して待
たなければいけないときがある。そういうときに、どういうタイプの連中がいちばん辛抱づよく、最後まで自分
ぶ しょう
ていさい
を失わずに耐え抜けたか。ニコルさんに言わせると、それは必ずしも頑健な体をもった、いわゆる男らしい男と
いわれるタイプの人ではなかったそうです。
たとえば、南極でテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるし、そういうところでは体裁をかま
う必要がないから、身だしなみなどということはほとんど考えなくてもいいわけです。にもかかわらず、なかに
そ
は、きちんと朝起きると顔を洗ってひげを剃り、一応、服装をととのえて髪もなでつけ、顔をあわせると「おは
よわ ね
よう」とあいさつし、物を食べるときには「いただきます」と言う人もいる。こういう社会的なマナーを身につ
けた人が意外にしぶとく強く、厳しい生活環境のなかで最後まで弱音を吐かなかった、というわけです。これは
おもしろい話だと思います。
礼儀、身だしなみ、こういうことは極限状態のなかでは最後に考えることのような気がします。しかし実際に
は、そういうなかで顔をあわせたときにきちんと「おはよう」とあいさつのできるような人、「ありがとう」と
言えるような人、あるいは朝、ほんのわずかな水で顔を洗い、ひげも剃って、それなりに服装をととのえ、そし
て他人と礼儀を忘れずに接するという、小さいときからの自分の生活態度をずっと守りつづけたようなタイプの
くま
人のほうが、むくつけき頑強な熊のような大男よりも、かえって最後までがんばり抜いて弱音を吐くことがな
かった、という。そんな話をきいたりすると、うーん、それも新しいサバイバルの方法であるな、という感じが
します。
同じようなことは、今世紀最大の悲劇と語りつがれるアウシュヴィッツの強制収容所でもいえそうです。
(ア)
さつりく
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがユダヤ人を連行し、そして強制的な収容所をつくり、そのなかでもっと
き せき
も残虐な殺戮が行われたのがアウシュヴィッツです。
その地獄から奇蹟の生還をしたフランクルという人が、そこで起こったことを記録にまとめ世に出します。そ
れが翻訳されて日本では『夜と霧』というタイトルの本になり、多くの人びとに、人間存在の残酷さと、そのな
そんげん
かで宝石のように光る生の尊厳を静かに訴えて、いまでもロングセラーとして読まれつづけています。
まと
ほとんどの人が死んでいくなかでフランクルがどのようにその極限状態を生き抜いて奇蹟の生還を遂げたか、
ということが、ぼくにとっては興味の的だった。いろんなことがあります。でも、そのなかに、ひとつだけ印象
的なエピソードがあるのです。
精神科医だったフランクルは、人間がこの極限状態のなかを耐えて最後まで生き抜いていくためには、感動す
-2-
き
ど あいらく
ることが大事、喜怒哀楽の人間的な感情が大切だ、と考えるのです。無感動のあとにくるのは死のみである。そ
して自分の親しい友達と相談し、なにか毎日ひとつずつおもしろい話、ユーモラスな話をつくりあげ、お互いに
ひ ろう
それを披露しあって笑おうじゃないか、と決めるのです。
あすをも知れない極限状態のなかで笑い話をつくって、お互いに笑いあうなんていうことになんの意味がある
のか、と思われそうですけれども、そうではないのです。あすの命さえも知れないような強制収容所の生活のな
かでユーモアのあるジョークを一生懸命に考え、お互いに披露しあって、栄養失調の体で、うふ、ふ、ふ、と、
力なく笑う。
こういうことをノルマのように決めて毎日実行したというのですが、むしろそういうことも、ひょっとしたら
フランクルが奇蹟の生還を遂げる上での大事な役割を果たしていたのではないか、と思います。
ユーモアというのは単に暇つぶしのことでなく、ほんとに人間が人間性を失いかけるような局面のなかでは人
間の魂をささえていく大事なものだ、ということがよくわかります。
また、同じように 風 景というものに対して非常に感受性のつよい人間がいる。そして、たとえば強制労
働のなかで水たまりに映った冬の枯れ枝の風景を眺めて、あ、レンブラントの絵のようだ、なんていうことを考
にょじつ
えたりする人がいる。こういう感じかたをする人のほうがじつは強制収容所の非人間的な生活のなかでは、むし
ろ強く、生き延びることができたのです。
このエピソードは、人間が健康とか体力だけで厳しい条件に耐えられるものではない、ということを如実に表
現しているような気がしないでもありません。
大河の一滴 五木 寛之 幻冬舎文庫 一六七~一七二頁
問一 どういうタイプの人が極限状態を耐え抜くことができたといっていますか。
文中から、二十字以内で書きなさい。
問二 傍線部(ア)が示す内容を文中から抜き出しなさい。
問三 課題文を読んで、将来保育に携わる者として、あなたはどのようなことを考えますか。身近な例を用いて
八〇〇字以内で述べ、その内容にふさわしい適切な題をつけなさい。
-3-