平 成 2 7 年 1 0 月 2 9日 11月号 学校通信 椙山女学園大学附属小学校 ノーベル医学・生理学賞大村智さんと一枚の色紙 校 長 河 野 庸 介 数日前のテレビでノーベル賞を受賞した大村智さ る方は難しい言葉を知っているなと思いつつ(私が んのインタビューを放送していた。その番組を見よ 知らないだけかもしれないが)、「惻隠」(いたわ うと思ってテレビをつけたわけではない。何となく しく思う心)の「惻」だから「悲しんだり哀れんだ スイッチをいれたら、時の人としての大村さんのイ りすること」だろうと見当をつけてから、「怛」を ンタビューが流れていたのである。ただノーベル賞 考える。しかし「怛」を用いた熟語も何一つ思い出 受賞者の言葉に興味がないわけではないので、見る すことができない。仕方がないので辞書に手を伸ば ともなしにそして聞くともなしに画面を眺めていた す。「怛然」という熟語とともに、「怛:いたみ悲 ら、大村さんの右手から少し離れたところに一枚の しむ、哀れむ(『新漢語林』)」とある。「惻怛」 色紙が飾られているのが目にとまった。ノーベル賞 が同じ意味の漢字を重ねてできた熟語であることが 受賞を機に贈られた色紙に違いないと思い、インタ 分かる。 たんぜん ビューの内容を気にしながらも、いつしかその色紙 さて、ここまで考えて改めて「至誠+惻怛」の意 の文字を読み取ろうと努力していた。まず右上にや 味である。繰り返すが私も「至誠」だけなら知って や大きく書いてある「至誠」という文字が目に入っ いた。誠意をもって行動しようともしてきた。ただ た。これは容易に分かった。次に左側に書いてある 悲しいことに、年々「これだけ誠意をもって行動し 名前を読み取ることができた。「大村智」である。 ているのに、それを分かってくれないなんて」とい 自分で書いて、それを飾ってあるんだとちょっと意 う不満を感じるようになり、その不満を相手にぶつ 外な気がしたが、それほどに大切に思っている文字 けようとしている自分に気がつき始めてもいた。 に違いない。色紙にはまだ二文字が残っている。そ そんな時に大村智さんのおかげで「惻怛」という語 の二文字がなかなか読み取れない。いつ画面が切り に出会えたのである。自分の誠意が通じないことの 替わってしまうかと焦りながらもなんとかメモする 不満を相手にぶつけているのでは、「至誠」なんて しせい そくいん たん ことができた。「惻隠」の「惻」と「怛」という文 とても言えない。ただそうは言っても弱い人間であ 字である。ということで、大村さんご自身で書いて る。時として相手にそんな不満の一つも伝えたくな 飾ってあると思われる色紙には、「至誠 惻怛 大 ることもあろう。そんな弱い心が生じたときにこそ 村智」と書いてあることがようやく分かったのであ 「惻怛」なのだと教えられた。自分を高みに置くの る。 でもない、相手を見下げるのでもない。ただ相手に そくたん 「至誠」についてはそれなりに理解することがで 届かない心を、宙に浮いてしまった誠意を見つめな きた。と言うより実はこの語は私自身も強く意識し がら「いたみ悲しむ」のである。互いにいたみ悲し ている熟語なので(「座右の銘」とは恥ずかしくて み合えれば、いや少なくとも相手を「いたみ悲しむ」 書けないが)、「とにかく誠意をもって行動すれば、 心をもつことができれば、思いが相手に伝わる時は きっと道は開けるはずだ。」という意味に理解し、 もうすぐそこまで来ているのではないか。 時に「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるな ノーベル賞受賞に沸くテレビの画面を眺めなが り(『孟子』)」と呟いてもきたのである。しかし ら、受賞分野とは異なる世界で、大村さんの人とし 「惻怛」には困った。さすがにノーベル賞を受賞す ての凄さを感じさせられた一枚の色紙であった。
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