弥生散策 キャンパ スを 歩 き、街 を 訪 ね る。 農学部正門の右手に建つガラス張りの気品あふれる記念館、弥生講堂。明治から続く名門幼稚園、文京区立第一幼稚園。 それぞれ元学部長と園長先生に話を聞く。 思 そ 一 農 い の 環 学 や た と 部 る た し 設 農 ず て 立 学 ま 建 1 の い て 2 心 の ら 5 が 中 れ 周 息 に た 年 づ 人 弥 の く ・ 生 記 。 生 講 念 物 堂 事 ・ 。 業 環 の 境 を れた20メートルの梁 一条ホールの天井に渡さ 。 館 念 記 る な く し 美 て け 時をか 弥生講堂 の ると、そこには樹の生命 ラスの扉を押して中に入 。 ややかな 柱とフロアリング 息づく静 寂が ある。つ テラス。会議 室、展示 向か いにはレッドウッドの が、圧巻は東 すべてに洗練さが漂う スペース、中二階と、その 取った一条ホールだ。 の空間を多角形に切り 工務店に因ん 額の寄付を投じた一条 その名は講堂建設に多 幾何学模様を る梁が渡され、不思議な だ。天井には20メートルあ 岩手 県 描く。この集 成材 には ガ 、遺跡を残 すかたちで ない独自工法を考 案し 建設計画を進めた。 人教授が香山壽夫 設計は農学部の安藤直 を代 表と 学名 誉教 授) 先生(建 築家・東 京大 び施工にあたった一条 する設計事務所、およ 「環 て任にあたった。 工務店の技術者らと協力し と れない木造建物」 境に優しく100年経っても倒 作り上げ、2002年の いう基本思想のもと丁寧に 心和むフローリングと柱。 。 いた に輝 選奨 作品 日本建築学会 ラマツ 。 遠野 の7 0年もののベニカ 帯びてきますよ」 経つにつれてもっと深 みを 時が 柱は この 「こ 村の 人 が使 われ 、落 成式 では 「工学系の ながら林教授は話す。 いを増してきた木肌を指し 色合 に、 を前 待客 たちが、大勢の招 のものづくり 』であるのに対し、農学 (製作) りが『making づく もの 。 祝いの舞いを披露した のは 当然 です 」。 』。時をかけて 美しくなる (育 成) ing row 『g は 25周 竣工は2000年。農学部1 「人間 始める。 ら、小林教授も静かに語り 樹の息吹に包まれなが を に骨 設立 だ。 建築 年の 記念 問が人間を 第37代農学部長 本当はそうじゃない。学 第38代農学部長 ひ こ 問を創るというけれど、 こ ば や し ま さ が学 ろ 部長 農学 して はやし よ し ひ たのは、前後 先生や 教授 折っ ます。農学を研究する 教授 学は優しい人間を創り 。農 創る 前の 竣工 授は と林 良博 教授 。小 林教 。 人たちですよ」 を務 めた 小林 正彦 教授 学生はみんな優しい、良い 。 した 奔走 どに な 式典・運営 っそりと佇んでいる。 準備、林教授は着工後の と、片隅に旧正門の扉がひ る をや に目 中庭 ち上がった。 設用地に遺跡問題が持 を創る学 問に 「優しい人間 」 準備段階で、講堂の建 思いながら 木の生きる長い時 間を 金 ば罰 すれ 反を 700 0万 円。あえて違 くなった。 本格 的な 調査 をす れば ついて、もっと聞いてみた 以下しか掘ら ンチ 0セ を5 地面 、 ? 結局 30万円。さて、どうする 林 良博 6 小 林正 彦
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