【発表要旨】 *堀内京 川端康成「高原」――軽井沢というトポス―― 「高原」 ( 「文芸春秋」他、昭和 12 年 11 月~14 年 12 月)は、川端の大作「雪国」 ( 「文芸春秋」他、昭和 10 年 1 月~ 23 年 12 月)の執筆が一度中断した期間に執筆されている。この頃の川端の眼差しは、 「雪国」の舞台である越後湯沢か ら信濃に向けられる。しかし、川端は自らの作風を「頗る非信州風、反信濃風」 ( 「信濃の話」 、 「文学界」昭和 12 年 10 月)と評し、軽井沢については「夏の軽井沢は虫が好かぬところで、そこに落ち着いて仕事をすることにならうとは、 夢にも思つて来なかつた」 ( 「軽井沢だより」 、 「文学界」昭和 11 年 10 月)としながらも「元来日本の山村のあはれに、 いはゆる軽井沢避暑団の静かさ品のよさ異国風が生き生きして楽しくもある」 (同)とも述べている。 川端の視線がいかに軽井沢に向けられ、 「高原」という作品になり得たのか。昭和 12 年という「日華事変」の只中にあ りながらも、40 ヶ国程の人が「雑居」している軽井沢というトポスの特異性に言及し、作品論を発表したい。 *藤森重記 研究会発足前夜 その二――書くいとなみ・読むいとなみ―― 『川端康成の人間と芸術』が刊行されたのは、昭和四六年四月一五日。これより先、前年五月九日、 「川端文学研究会」 は発足した。爾来四三年。設立に関わった準備委員七名中、すでに四委員が物故者となった。 『川端文学の視界』16を繙くと、研究会創立三○周年にあわせて林武志会長が「川端文学研究会発足前夜」を書い ている。今回はそれを受けて、六年後に迎える五○周年のときを視野におさめながら「発足前夜・その二」の題のもと、 私観的に固執する七つの日々を追懐・翫味する。 一、一九六六年一○月秋 二、一九七○年五月九日 三、一九七一年四月一五日 四、一九七二年四月一六日 五、一九七七年四月一日 六、二○○五年四月一日 七、二○一四年四月一九日 【会場地図】 鶴見大学(〒230-8501 横浜市鶴見区鶴見 2-1-3) JR京浜東北線 鶴見駅西口下車徒歩 5 分 京浜急行 京急鶴見駅下車徒歩 7 分 *1 号館は、総持寺参道の左手です。参道正面より入っていただくとわかりやすいと思います。
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