第四課 詩四編――甃のうへ

第四課 詩四編
1.甃のうへ
第四課 詩四編――甃のうへ
三好達治(みよし たつじ 1900-1964):
大阪府大阪市出身の詩人。
明治33(1900)年8月23日、大阪市東区南
久宝寺で生まれる。京都第三高等学校に入
学してから、 ツルゲーネフの 「薄暮の世界」
や、萩原朔太郎、室生犀星、堀口大学らの詩
に感銘を受け、詩を書き始める。 東京帝国
大学仏文科に進み、「青空」 に参加。 「乳母
車」 「雪」 などを発表した。昭和4年(28歳)、
ボードレールの 『巴里の憂鬱』 を翻訳、また
翌昭和5年には初の詩集 『測量船』 を発行し
た。 ともに高い評価を受ける。 昭和9年(34
歳)、詩誌 「四季」 の編集に参加。
第四課 詩四編――甃のうへ
『測量船』(1930)について
昭和5年、第一書房より発行された
三好達治の初の詩集。「春の岬」「乳
母車」「雪」 「鳥語」「郷愁」などが収め
られている。
第四課 詩四編――甃のうへ
「甃のうへ」について
「甃のうへ」(詩集『測量船』に収録)という文語自由詩は、三好達治(26
歳)が東大仏文科の学生であった頃書かれたごく初期の作品であるが、こ
のなかに、すでに彼の生涯の方向が予告されている。この詩の前半の中
心モチーフは「ながれ」である。「ながれ」は桜の花びらの命のはかなさで
あるとともに、それはまた時の間に過ぎゆく青春の華やかさの象徴でもあ
る。後半の中心モチーフは「しづか」である。「しづか」は過ぎ去った人生の
終末の姿であるとともに、それはまたこの世から亡び去ったいっさいのも
のの或は広大な「無」の世界の象徴でもある。詩人は少女たちの華やか
な青春に背を向けて、ひとりわが身の影を古色蒼然たる甃のうへに歩ま
せる。終連の三行には時勢にそむいて、ただひとり亡びの世界へ歩いて
ゆく、なにかしんとした孤愁の影が漂っている。
第四課 詩四編――甃のうへ
「甃のうへ」の読解ポイント
発問1
何の花びらですか。ノー
トに漢字一字で書きます。
説明1
「桜」が正解。桜の花が
発問2 季節は、いつですか。
説明2 答は、「春」です。六行目、み寺の
「春」と書いてあります。
舞い散る風情。とすると、
空は真っ青な透きとおる
空か。
第四課 詩四編――甃のうへ
「甃のうへ」の読解ポイント
発問3 場所は、どこですか。二文字の言葉を○で囲みなさい。
説明3 「み寺」です。つまりお寺の境内で、「甃のうへ」とは「石だたみの上」なの
です。
第四課 詩四編――甃のうへ
「甃のうへ」の読解ポイント
発問4
登場人物は誰と誰ですか。それを示す言葉を、○で囲みなさい。四文
字と三文字です。
説明4
「をみなご」と「わが身」です。
発問5
「をみなご」、は複数いると考へられます。その根拠となる言葉を、○で
囲みなさい。
説明5
「語らひ」です。「語らひ」、というのは、「語り合う」、の意味です。複数の
「をみなご」、に対して、ひとりなる「わが身」、が対比されることで、語り
手である「わが身」の孤独感が強調されているのです。
第四課 詩四編――甃のうへ
「甃のうへ」の読解ポイント
複数の「をみなご」
↑ ↓
ひとりなる「わが身」
↓↓↓
孤 独 感
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
1.あはれ花びらながれ
*古語では「ああ」と訳される感嘆の語。この語尾の「れ」と「ながれ」の「れ」とは
韻を踏んでいる。
あはれ:
もののあはれ。平安朝の文学において援用される概念で、客観的な「をか
し」に対し、主観的に「喜怒哀楽」をしめすのが原義。語義順にいうと
①喜怒哀楽をしめす。ああ。なんとまあ。
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
1.あはれ花びらながれ
*古語では「ああ」と訳される感嘆の語。この語尾の「れ」と「ながれ」の「れ」とは
韻を踏んでいる。
あはれ:
②しみじみとした趣。/悲しさ。寂しさ。/男女間の愛情などを指す。
○本居宣長は「もののあはれ」が『源氏物語』の本質を表すと論じました。
○あらかじめ失われることが約束されているものにもののあはれを感じるのは
日本人の心性でもある。
○「あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ・・・ さんま さんま さんまにが
いか塩っぱいか」佐藤春夫の秋刀魚の詩だ。一語一語が心地よい秋風のよ
うにしみじみと心にしみる。
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
1.あはれ花びらながれ
○
護
国
寺
境
内
の
桜
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
2.をみなごしめやかに語らひあゆみ
しめやか:
[形動][文][ナリ]
①ひっそりと静かなさま。心静かに落ち着いているさま。
②気分が沈んでもの悲しげなさま。しんみりとしたさま。
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
2.をみなごしめやかに語らひあゆみ
しめやか:
[形動][文][ナリ]
③女性の容姿・態度がしとやかなさま。
○7日に肺炎のため死去した俳優二谷英明(にたに・ひであき)さん(享年81)
の通夜が10日、東京・芝公園の増上寺光摂殿でしめやかに営まれた。
○本書(『漆の実のみのる国』)は1997年1月に亡くなった、時代小説の名手・
藤沢周平の遺作長編である。ときに下級武士の青春を匂(にお)いやかに語
り、ときに故郷を離れて江戸に暮らす男女の哀歓をしめやかに描き、またとき
に市井に生きる人々の心の機微を鮮やかに歌いあげる。
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
3.うららかの跫音空にながれ
うららか:
【麗らか】[形動][文][ナリ]
①空が晴れて、日が柔らかくのどかに照っているさま。
○うららかな春の陽射しに、漂う春の匂い。
○うららかな春の陽気に包まれて、一面に咲く菜の花と富士の景観を楽しんで
みよう。
②声などが晴れ晴れとして楽しそうなさま。
○歌がうららかに鳴り響いていた。
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
4.翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
寺:
東京都文京区大塚五丁目にある真言宗豊山派の護国寺(ごこくじ)の境内だ
という。
*「みどりにうるほひ」は屋根の「緑青(ろくしょう)」の色だけでなく、境内に茂る
樹木の葉の色でもあるのだろう。
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
4.翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
○ 護国寺境内
第四課 甃のうへ<新しい言葉>
5.わが身の影をあゆます甃のうへ
*「をみなごたち」の去った空間に「わたし」はひとり残されている。静謐な世界の
なかを「わたし」のたてる「跫音」に思わず振り返って足もとをみれば、「わが
身の影」を「甃のうへ」に「あゆま」せている。
*どうして題名が「甃のうへ」なのだろう。冒頭は「あはれ花びらながれ」から始ま
るから、題名とつなげれば「甃のうへ」に花びらが散るイメージがある。とすれ
ば、最後が最初につながっていく。あるいは最初に最後が立ち現れる。
第四課 詩四編
2.小景異情
第四課 詩四編――小景異情
室生犀星(むろうさいせい 1889-1962):石川
県金沢市生まれの詩人・小説家。本名は照道。
北原白秋(1885-1942)の引き立てで詩壇に
登場。萩原朔太郎(はぎわらさくたろう1886-1942)
らと交流を結び、哀愁孤独をうたう抒情詩人として
活躍。のち小説に転じ、自らの苦しい半生を題材
に自伝的小説を数多く発表した。代表作は詩集に
『愛の詩集』『抒情小曲集』、小説に『幼年時代』
『性に眼覚める頃』『あにいもうと』『杏っ子』『蜜の
あはれ』『かげろふの日記遺文』等。その筆名「犀
星」は故郷を流れる犀川から取ったといわれる。
第四課 詩四編――小景異情
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『抒情小曲集』(1918)について
室生犀星の第二詩集。1918年(大正7)感情詩社より刊行。収められている
詩編は第一詩集『愛の詩集』よりも早い時期のもので、1912年秋から2、3年の
間に発表された、詩人犀星誕生期の作品である。1部、2部は主として故郷金
沢で不遇のうちに詩を志す心情を歌った文語抒情詩で、「ふるさとは遠きにあ
りて思ふもの」という有名な「小景異情」や「寂しき春」などを含む。3部は東京
での作で、『愛の詩集』に通ずる求道的なものも現れ、口語調も混じってくる。
親友萩原朔太郎はこの詩集を、北原白秋の『思ひ出』以後における日本唯一
の美しい抒情小曲集であるといった。
第四課 詩四編――小景異情
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「小景異情(その二)」についての定説
「小景異情」は『抒情小曲集』(1918)に載っている詩である。「一見しただけ
では、東京で作ったのか郷里で作ったのか分りにくいようだけれども、しかしそ
れは郷里を離れようとするときの別れの心と、もはや再び帰らぬという決意を
歌ったものである」(伊藤信吉「現代詩の鑑賞(上)」新潮文庫)という説が穏当
だと思われる。
東京での癒されぬ憔悴の日々が、誰もが見知らぬ他人だけの中での孤独
の充たされぬその日暮の中での追慕果てない望郷の、あの真摯な希求、あ
の愛欲を超越した純粋さを、今このふるさとの地においてしみじみと懐かしみ
涙ぐむばかり。この純粋な思慕の念を今ここに反照させつつ、改めてここ故郷
を出立しよう。
第四課 詩四編――小景異情
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「小景異情(その二)」の読解ポイント
発問1
作品の背景や犀星の生い立ちに少なからず触れておこう。
説明1
本名を照道と言い、私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもな
く、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を
与えた。21歳の時、文人たらんとの思いを押さえがたく、やみくもに故郷を捨て
て東京に出たといわれる。貧困のどん底の中で詩作を続け、食い詰めると金
沢に帰ってきたという。
第四課 詩四編――小景異情
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「小景異情(その二)」の読解ポイント
発問2 「ひとり都のゆうぐれに」の「都」は多分東京のことを示しているのでしょう
が、「遠きみやこにかへらばや」という「みやこ」のほうは、故郷の金沢のことで
すか?
説明2
犀星の親友、萩原朔太郎は、「都=東京」にいて故郷の「みやこ=金沢」
を思っていると解している。また朔太郎は、犀星の境遇を「母親と争い、郷党
に指弾され、単身東京に漂泊して~」と述べている。
ただ、吉田精一は、「帰郷時に、東京にあって思郷の思いを抱いていた当時
を懐かしみ、そんな気持ちになれる東京に帰りたいものだ」という意味に解し
ている。
その説によれば、「都」「みやこ」はともに東京で、この詩は現実の故郷への
幻滅、あるいは愛憎半ばする思いをうたったものということになる。
第四課 詩四編――小景異情
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「小景異情(その二)」の読解ポイント
発問3 「帰るところにあるまじや」と言っていますが、作者は何か故郷に帰れな
いと思っていたのか?
説明3
ふるさとは、今ここにあってのそれでは断じてなく、遠きにあっての「思
い」こそが貴重なのであり、その思慕の念が切々として歌ともなって湧いてくる
のである。たとえ他郷の空の下で乞食となってさ迷うとも、ここふるさとには戻
るものではない。なのに帰ってきた挙句のこの幻滅、この落胆は耐えられない。
作者にとっていい思い出があまりなかったとされる故郷に帰ったことを後悔し
(半ば自嘲し)、故郷への思いを断ち切るような悲壮なニュアンスとも捉えられ
る。
第四課 小景異情<新しい言葉>
1.小景異情(その二)
小景(しょうけい)
心に残っている、ちょっとした風景や光景。また、それを描いた絵や文。
異情(いじょう)
考えや気持を異にすること。また、異なる考えや気持。
第四課 小景異情<新しい言葉>
2.ふるさとは遠きにありて思ふもの
遠きにありて
「遠きところにありて」の「ところ」が省略されている。
第四課 小景異情<新しい言葉>
3.うらぶれて異土の乞食となるとても
うらぶれる
落ちぶれて惨めなありさまになる。不幸な目にあったりして、みすぼらしくな
る。
○彼はうらぶれた生活をしている。
○「青年期のうらぶれた生活がなければ、とても作家になれなかった」という彼
は語っている。
第四課 小景異情<新しい言葉>
4.ふるさとおもひ涙ぐむ
涙ぐむ
目に涙をためる。涙を催す。
○歌いながら思い出が浮かび、涙ぐむ人もいます。
○3人は公演前、震災被災者支援の募金活動も行い、再結成を喜ぶファンから
の言葉に涙ぐんでいた。
第四課 詩四編
3.千曲川旅情の歌
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
島崎藤村(しまざき とうそん 1872-1943):
日本の詩人、小説家。本名春樹。
信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津
川市)生まれ。藤村が生まれ育った信州をつら
ぬく千曲川の流れは藤村作品に強い影響を与
えた。明治14年、9歳で学問のため上京、1891
年明治学院普通科卒業。1892年、北村透谷の
評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑
誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北
学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷
らとともに浪漫派詩人として活躍。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
島崎藤村
1897年に第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人と
してその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊、1899年函館
出身の秦冬子と結婚。長野県小諸義塾に赴任。第四詩集『落梅集』(1901)を
刊行。小諸に住んでいるときに、被差別部落問題を描いた「破戒」を書き始め
た。
1905年に上京、翌年『破戒』を自費出版、小説家に転身した。続けて透谷
らとの交遊を題材にした『春』、二大旧家の没落を描いた『家』などを出版、日
本の自然主義文学を代表する作家となる。1910年、4人の幼い子供を残し妻
死去。1913年に渡仏、第一次世界大戦に遭遇し帰国。童話集『幼きものに』、
小説『桜の実の熟する時』、『新生』、『嵐』、紀行文集『仏蘭西だより』『海へ』
などを発表。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
『落梅集』(1901)について
小諸時代(1899~1905年、長野県小諸町の小諸義塾の英語と国語の教
師としての6年間)の秘められた恋情の詩と旅情をうたう自然詩を収める。作
者の青春への訣別の意味をもつ。同詩集冒頭に収められた
「小諸なる古城のほとり」、後半の「千曲川旅情の詩」を、後に藤村自身が
自選藤村詩抄にて「千曲川旅情の歌 一、二」として合わせたものである。こ
の詩は「秋風の歌」(若菜集)や「椰子の実」(落梅集)と並んで藤村の秀作と
され、詩に歌われた小諸城址に歌碑が建立されている。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
小諸城の城跡である懐古園への入口は、坂を下っていく。天守台の石垣は
重厚な感じがする。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
懐古園内には藤村記念館があり、銅像や歌碑も立っている。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
千曲川について
信濃川(しなのがわ)は、新潟県および長野県を流れる一級河川。このう
ち信濃川と呼ばれているのは新潟県域のみで、長野県にさかのぼると千曲
川(ちくまがわ)と呼称が変わる。千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃
川と規定しているため、信濃川は日本で一番長い川となっている。千曲川(信
濃川)は古くは万葉の頃から多くの詩歌に歌われ、日本人の郷愁を誘う原風
景を伴う川としても知られている。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
千曲川の遠方に浅間山を望む(佐久市)
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
黄昏色に染まる千曲川遊水池(佐久市)
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
「千曲川旅情の歌(一)」の読解ポイント
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第一連から第三連にいくにつれて、時間が朝から夜へと移り、時間の流れを
上手く表現している。
第一連では小諸にある古城のそばで旅人がたたずんでいる。周囲は緑が
萌えるほどにはなっておらず、ふとんのように残っている雪がようやく解けは
じめたところだ。
第二連は時間が少し経過し、日中になってあたたかくなっている。それで
も、春らしさはあまり感じられず、ぼんやり霞んだ様子と麦の穂のわずかな青
さぐらいのもの。畑の中を旅人たちが急ぎ足で通りすぎる。
第三連では暮れ方になり、浅間山も闇の中に。佐久あたりから聞こえる草
笛の音と千曲川の波の音。川近くの宿で酒を飲み、疲れをいやす旅人がいる。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
「千曲川旅情の歌(一)」の読解ポイント

早春。憂鬱というか倦怠感というか、アンニュイな調子である。春なのに、ま
だ……がない、とすべてが中途半端で煮え切らない。
第一連では3行目「はこべは萌えず(萌えていない、萌えるほどに生えて
いない)」、4行目「若草も藉くによしなし(しくことなどできないくらいに少な
い)」。
第二連も1行目「あたたかい光はあれど(あるけれど、と逆接)」、2行目
「香も知らず(そんなものない、と投げやりな感じ)」、4行目「麦の色はつかに
青し(「はつかに」は、わずかに、の意)」。
第三連の1行目「浅間も見えず」で、せっかくの浅間山も姿を隠してしまう。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
「千曲川旅情の歌(一)」の読解ポイント

この詩の特徴のひとつは、ナイナイづくし、ということなのである。
否定的な語や逆接表現がやけに多い。さらに、第一連に「遊子(旅人のこと)
悲しむ」、第三連に「歌哀し」とあって、まるで楔を打つかのように、詩の気分
を決定づけている。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
「千曲川旅情の歌(一)」の読解ポイント

この詩の全体をみてみると、旅人の旅愁があらわれていた。
藤村の分身らしき主人公の旅人(第一連の「遊子」、第三連で酒を飲む人
物)は、一人旅であれば当然、ものがなしいであろう。第二連で登場する「旅
人」は、商用か何か目的があって移動する「群れ」だから、「遊子」とは対照的
な存在である。「遊子」が孤独であって、しかも漂うがごとく、あてのない旅をし
ていることが強調される。
一方、旅をしていて旅人は期待に対する失望や哀しみをもってはいるけれ
ども本当は早くはこべが萌え、若草も十分に生え、野には香が満ちてほしい
という願望があるので、それを強調するために打ち消しで表現しているのだと
も考えられる。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
「千曲川旅情の歌(一)」の読解ポイント

新体詩を目指しながらこの詩は、五七調である。つまり和歌、俳句などの伝
統詩を未だ引きずっているわけだ。
第四課 詩四編――千曲川旅情の歌
「千曲川旅情の歌(二)」の現代語訳
昨日はまたこうだった。きょうもまたこうなるだろう。何をあくせくと明日のこ
とだけ思い煩うのか。何度か栄枯盛衰の夢のあとが残る谷間に降りて、さざ
波が漂うのを見れば、そこには砂が混じり、水がまいている。
ああ、小諸の古城は何を物語っているのか。岸を洗う波は何と答えるのだ
ろうか。過去を静かに思い起こすと、百年の昔も昨日のようだ。
川岸の柳はかすんで、春浅い冷たい水が流れていく。一人で岩を巡り、岸
辺にわが憂いをとどめる。

小諸なる古城のほとりの千曲の岸辺に立って、人の世の移り変わりや人生
の変転を思う感慨である。
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
1.緑なす繁縷は萌えず
なす
名詞に付いて、…のような、という意の連体修飾語として用いられる。
○山なす大波
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
2.しろがねの衾の岡辺
しろがね
銀色。しろがねいろ。
○冬山は一面しろがねの世界だ。
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
3.畠中の道を急ぎぬ
ぬ
ぬ(助動ナ変型)動作または作用が完結または存続する意を表す。
ここでは、「急いだ」もしくは「急いでいた」と解釈することができる。
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
4.濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
濁り酒
麹(こうじ)の糟(かす)を漉(こ)してない、白く濁った酒。どぶろく。だくしゅ。
ここでは、ただ「濁った酒」という意味ではなく、「清酒」の対義語、酒蔵でち
ゃんと作った酒ではなく、土地の農家などの私製の酒だ。
草枕
道の辺の草を枕にして寝る意で、「旅」にかかる。
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
5.昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
けり
和歌・俳句などに助動詞「けり」で終わるものの多いところから物事の終わ
り。結末。決着。
○喧嘩両成敗ということでけりが付いた。
○仕事のけりが付いたら一服しよう。
なむ
[連語]完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む(ん)」
推量を強調する意を表す。きっと…だろう。…にちがいない。
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
6.河波のいざよふ見れば
いざよふ
【猶予う】進もうとしてもなかなか進めない。躊躇(ちゅうちょ)する。ためらう。
○傾きかかった月の光が、いざよいながら、残っている。
(芥川・「偸盗(ちゅうとう)」)
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
7.ただひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ
めぐる:【巡る・回る・廻る】
①周囲をまわる。周囲に沿って進む。
○池をめぐる。
②周囲を取り囲む。取り巻く。
○城の周りを堀がめぐる。
③あちこちまわり歩く。巡回する。
○諸国をめぐる。
④まわって再びもとに返る。
○春がまためぐってくる。
⑤ある事柄を中心としてそのことに関連する。○環境問題をめぐって話し合う。
第四課 千曲川旅情の歌<新しい言葉>
7.ただひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ
繋ぐ
①ひも・綱などで物を結びとめて、そこから離れたり、逃げたりしないようにする。
○馬を木につなぐ。
○犬を皮ひもでつないでおく。
②連結する
○選挙運動で彼らは手をつないだ。
○内線5021番につないでください。
③切れないように保たせる。
○料理屋の残飯で命をつないでいた。
○彼女は息子の成功に一縷(いちる)の望みをつないでいる。
第四課 詩四編
4.私のカメラ
第四課 詩四編――私のカメラ
茨木のり子(いばらぎ のりこ 1926-2006):
戦後を代表する女性詩人。本名は三浦のり子。
大阪府に生まれ。高校時代を愛知県で過ごし、
上京して現・東邦大学薬学部に入学。その在学中
に空襲や勤労動員(海軍系の薬品工場)を体験し、
1945年に19歳で終戦を迎えた。戦時下で体験した
飢餓と空襲の恐怖が、命を大切にする茨木さんの
感受性を育んだ。敗戦の混乱の中、帝劇で鑑賞し
たシェークスピア「真夏の夜の夢」に感動し、劇作
家の道を目指す。すぐに「読売新聞第1回戯曲募
集」で佳作に選ばれ、自作童話がラジオで放送さ
れるなど社会に認知されていった。
第四課 詩四編――私のカメラ
茨木のり子
1950年(24歳)に医師である三浦安信と結婚。この頃から詩も書き始め、
1953年(27歳)に詩人仲間と同人誌『櫂』(かい)を創刊。1975年(49歳)、四
半世紀を共に暮らした夫が先立ち、以降、31年間にわたる一人暮らしが始ま
る。2年後、彼女は代表作のひとつとなる『自分の感受性くらい』を世に出し
た。それは、かつて戦争で生活から芸術・娯楽が消えていった時に、胸中で
思っていた事をうたいあげたものだった。
「わたしが一番きれいだったとき」は多数の国語教科書に掲載され、彼女
の最も有名な詩のうちの1つである。
第四課 詩四編――私のカメラ
『鎮魂歌』(思潮社、1965年)
「鎮魂歌」は茨木のり子さんの第三詩集で、
1965年に思潮社から出版されました。この詩
集は全部で100ページ強あるのだが、その半
分近くが「りゅうりえんれんの物語」という詩で
占められている。戦争中に中国から日本の
炭鉱に強制的に連れてこられ、炭鉱から脱
走し、戦争が終わった後もずっと逃げ回り北
海道の厳しい冬を14回も経験した、劉連仁と
いう人物の詩。
第四課 詩四編 <練習>
1、「甃のうへ」を現代訳にしなさい。
しみじみと桜の花びらが流れおちてくる
乙女子らのうえに花びらが流れおちてくる
乙女子らひそひそとおしゃべりしながら歩いてゆく
小さなかわいい足音が空にひびく
ときどき瞳をあげて乙女子らは
かげのない明るいお寺の春の景色のなかを通りすぎてゆく
お寺の甍(いらか)は苔むして緑がかり
どの廂(ひさし)にも
風の訪れを知らせる小鐘がかかっているが静かである
わたしはひとり
自分の影を歩かせながら甃(石畳)のうえを歩いてゆく
第四課 詩四編 <練習>
2、「千曲川旅情の歌(一)」を現代語訳にしなさい。
小諸(長野県の城下町)の古城のほとり
雲は白く旅人(藤村かな?)は憂いに沈んでいる
緑のハコベもまだ早春なので茂ることなく
若草を敷くことはできないほどだ
雪で白銀輝くふとんを敷いたような丘
その雪も太陽の日差しで溶け、泡のように消えやすくなった淡雪が流れている
第四課 詩四編 <練習>
2、「千曲川旅情の歌(一)」を現代語訳にしなさい。
暖かい陽光も差すけれど
野原に春の訪れを印す香りが満ちているわけではない
春はまだ浅く、かすんでいばかり
麦の青さもわずかなものだ
行き過ぎる旅人の群れがいくつか、
畑の向こうを急ぎ足で過ぎ去っていく
第四課 詩四編 <練習>
2、「千曲川旅情の歌(一)」を現代語訳にしなさい。
辺りがくれていけば浅間山も見えなくなり
どこからか寂しさを募る草笛の音色が聞こえる
千曲川を漂う波の
その岸に近い旅館にのぼって
どぶろく酒を酔うほどに飲み
旅のせつなさをわずかに慰めよう
第四課 詩四編 <練習>
3、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき 」を鑑賞しなさい。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
第四課 詩四編 <練習>
3、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき 」を鑑賞しなさい。
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
第四課 詩四編 <練習>
3、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき 」を鑑賞しなさい。
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
第四課 詩四編 <練習>
3、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき 」を鑑賞しなさい。
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
第四課 詩四編 <練習>
3、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき 」を鑑賞しなさい。
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茨木のり子は15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた。
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戦争への怒りを女性としてうたい上げた「私が一番きれいだったとき」は多く
の教科書に掲載され、米国では反ベトナム戦争運動の中でフォーク歌手ピー
ト・シーガーが『When I Was Most Beautiful』として曲をつけた。茨木のり子の
心の声が国境を越えて人の心を打ったのだ。